しばらくお休みをしていましたが、
久々にユルスナール「空間の旅・時間の旅」から紐解いてみたいと思います。
ここに「ピラネージの黒い脳髄」という評論があります。
18世紀、ヴェネツィア出の版画家はローマにおいて、
《幻想の牢獄》《景観》《ローマ古代遺跡》など数多くの作品を残しているようです。
ユルスナールは《幻想の牢獄》を中心に他の作品と比較し、
《牢獄》には何がどのように描かれているのか、
ピラネージの思考に思いをめぐらせながら、
語っています。
ここで問題は、ピラネージの作品をよく知っている必要があるということです。
ピラネージの作品について、なんとなくしか覚えのない人間には、
このユルスナールの細かい分析には付いていくのが困難です。
ここに一冊の本を並べてみましょう。
須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」です。
この本の「黒い廃墟」では、ユルスナールの評論とピラネージとの係りを、
自らの体験を踏まえて、読み、語りほぐしています。
須賀さんの滑らかな文章に、少しは助けられるような気がします。
しかしながら、ピラネージの作品をしっかり観ることをせずに、
ピラネージを語ることはできないのです。
やはり、ここはピラネージを、紙に印刷されたものを観る必要があります。
ネットでチェックしてもリアルさは半減してしまいます。
図書館へ行けば、大きな画集が観れるかもしれない、
夢に出てきそうなピラネージの作品を、
しっかり観てみようと計画中です。
2010年2月28日日曜日
2010年2月27日土曜日
2010年2月26日金曜日
本屋さんを覗いたら
しばらくの間忘れていたのだけど、
気がつくと「グーグーだって猫である」の3巻が
文庫になっていました。角川文庫。
大島弓子さんの本は大判のほうが
ゆったりとしていて好きなのですが、
そこは我慢して、とりあえず入手。
映画ですか?
キャスティングに不満があったので未見です。
新刊のコーナーを眺めていると、
講談社現代新書の特別復刊として
森有正「いかに生きるか」が出ていました。
ちくま文庫の森有正エッセー集成を持っていながら、
まったく歯が立たないので、
このような入門書をちょっとなぞってみようかと思います。
2冊だけだと寂しいなあと、
もうしばらく棚を冷やかしていると、
なぜか、ムーミン・コミックス 筑摩書房 が平積みになっています。
これもいつか大人買いするぞ~と思っているのですが、
今日は前々から欲しかった
「ムーミン谷のひみつの言葉」 冨原眞弓著 筑摩書房 が
横に積んであったので、こちらをまず。
そういえば「床下の小人たち」 メアリー・ノートン著 岩波少年文庫 を
買うつもりだったのに、
売り場が離れていたので、忘れてしまいました。
本とうに、本だから、きりがない。
気がつくと「グーグーだって猫である」の3巻が
文庫になっていました。角川文庫。
大島弓子さんの本は大判のほうが
ゆったりとしていて好きなのですが、
そこは我慢して、とりあえず入手。
映画ですか?
キャスティングに不満があったので未見です。
新刊のコーナーを眺めていると、
講談社現代新書の特別復刊として
森有正「いかに生きるか」が出ていました。
ちくま文庫の森有正エッセー集成を持っていながら、
まったく歯が立たないので、
このような入門書をちょっとなぞってみようかと思います。
2冊だけだと寂しいなあと、
もうしばらく棚を冷やかしていると、
なぜか、ムーミン・コミックス 筑摩書房 が平積みになっています。
これもいつか大人買いするぞ~と思っているのですが、
今日は前々から欲しかった
「ムーミン谷のひみつの言葉」 冨原眞弓著 筑摩書房 が
横に積んであったので、こちらをまず。
そういえば「床下の小人たち」 メアリー・ノートン著 岩波少年文庫 を
買うつもりだったのに、
売り場が離れていたので、忘れてしまいました。
本とうに、本だから、きりがない。
2010年2月25日木曜日
春日和
昨日からとても温かく、
日差しの明るい日和です。
コートなんていらないくらいですね。
梅ももう八部咲きくらいでしょうか、
色鮮やかに庭々を飾っています。
我が家の梅はくっきりとした桃色です。
初夏には大きな粒の実を結んで、
収穫後には、美味しい梅干となり、
食卓を楽しませてくれます。
春の気配を感じだすと、
まず咲き出すのは、
日本水仙です。
菫もひっそりと咲き出して、
次は愛らしいスノードロップ。
そのうちにチューリップの芽がぐんぐんと伸びてきて、
カモミールの可愛らしい芽がぴょこぴょこと現れます。
クリスマスローズも少しずつ咲き出してきます。
楽しみにしているのはシラーです。
とっても小さくて薄い水色のお花です。
(シラーには色々と種類があるようですね)
なんて、お世話をしているのは母なので、
のんびりお庭を眺めさせてもらっています。
日差しの明るい日和です。
コートなんていらないくらいですね。
梅ももう八部咲きくらいでしょうか、
色鮮やかに庭々を飾っています。
我が家の梅はくっきりとした桃色です。
初夏には大きな粒の実を結んで、
収穫後には、美味しい梅干となり、
食卓を楽しませてくれます。
春の気配を感じだすと、
まず咲き出すのは、
日本水仙です。
菫もひっそりと咲き出して、
次は愛らしいスノードロップ。
そのうちにチューリップの芽がぐんぐんと伸びてきて、
カモミールの可愛らしい芽がぴょこぴょこと現れます。
クリスマスローズも少しずつ咲き出してきます。
楽しみにしているのはシラーです。
とっても小さくて薄い水色のお花です。
(シラーには色々と種類があるようですね)
なんて、お世話をしているのは母なので、
のんびりお庭を眺めさせてもらっています。
2010年2月24日水曜日
2010年2月23日火曜日
「一階でも二階でもない夜」読書中
堀江敏幸さんの「一階でも二階でもない夜」という
よくわかるようなわからないようなタイトルのエッセイ集を
読んでいます。
読んでいると少々前の話が出てきて、
時間のずれを感じます。
末尾を調べてみると、
この文庫本の親本が出たのは2004年だそうで、
もうそんなに経っているのかと、
堀江さんのその後の活躍を思い出して、
自分の変化の無さに唖然としました。
堀江さんとはほとんど同世代です。
でも堀江さんの読んでいる本は、
選択眼が年代を超越していますし、
書かれる文章もしかりです。
これまでは何も考えずに、
感じるままに、
堀江さんの豊かなイマジネーションと、
微細な心の動きを表現する言葉と文章を
楽しんできました。
柔らかなユーモアのセンスも、
遠慮がちに表される優しさも、
お人柄が伝わってくるようで、
親しみを感じてきました。
ほぼ人生の真ん中あたりに至り、
堀江さんの文章をそのまま味わうだけでなく、
その生きるための呼吸の方法のセンスも、
読み解く時期にきたような気がしています。
現実の姿をより自分の視点で読み解けるように、
なりたいものだ、
堀江さんのエッセイは自分を振り返る作用も持っているようです。
よくわかるようなわからないようなタイトルのエッセイ集を
読んでいます。
読んでいると少々前の話が出てきて、
時間のずれを感じます。
末尾を調べてみると、
この文庫本の親本が出たのは2004年だそうで、
もうそんなに経っているのかと、
堀江さんのその後の活躍を思い出して、
自分の変化の無さに唖然としました。
堀江さんとはほとんど同世代です。
でも堀江さんの読んでいる本は、
選択眼が年代を超越していますし、
書かれる文章もしかりです。
これまでは何も考えずに、
感じるままに、
堀江さんの豊かなイマジネーションと、
微細な心の動きを表現する言葉と文章を
楽しんできました。
柔らかなユーモアのセンスも、
遠慮がちに表される優しさも、
お人柄が伝わってくるようで、
親しみを感じてきました。
ほぼ人生の真ん中あたりに至り、
堀江さんの文章をそのまま味わうだけでなく、
その生きるための呼吸の方法のセンスも、
読み解く時期にきたような気がしています。
現実の姿をより自分の視点で読み解けるように、
なりたいものだ、
堀江さんのエッセイは自分を振り返る作用も持っているようです。
2010年2月22日月曜日
2010年2月20日土曜日
読んだ本、買った本
「秘密」 P.D.ジェイムズ著 ハヤカワミステリ
読了いたしました。
ジェイムズお得意のコツコツ捜査の後にくる山場、
静かなエンディングというストーリー展開にもすっかり慣れて、
堪能いたしました。
満足。
久しぶりのジュンク堂千日前店では、
「根を持つこと」(上) シモーヌ・ヴェイユ著 岩波文庫
「リルケ詩集」 リルケ著 岩波文庫
「パリの宝物70」 山本ゆりこ著 毎日新聞社
などを購入。
それにしても、
未読の本ばかり沢山あります。
どれもすぐに読みたい本ばかり。
時間には限りがあるのですから、
やはり絞り込みが必要です。
体調のいい時には、
じっくり取り組む本を選ばなくては、
いつになったら読むの!ということに
なってしまいます。
それにしても、
(またしても)
パソコン、手元には戻ってきたのですが、
なぜかまだ不調。
早く使えるようにしたい~。
読了いたしました。
ジェイムズお得意のコツコツ捜査の後にくる山場、
静かなエンディングというストーリー展開にもすっかり慣れて、
堪能いたしました。
満足。
久しぶりのジュンク堂千日前店では、
「根を持つこと」(上) シモーヌ・ヴェイユ著 岩波文庫
「リルケ詩集」 リルケ著 岩波文庫
「パリの宝物70」 山本ゆりこ著 毎日新聞社
などを購入。
それにしても、
未読の本ばかり沢山あります。
どれもすぐに読みたい本ばかり。
時間には限りがあるのですから、
やはり絞り込みが必要です。
体調のいい時には、
じっくり取り組む本を選ばなくては、
いつになったら読むの!ということに
なってしまいます。
それにしても、
(またしても)
パソコン、手元には戻ってきたのですが、
なぜかまだ不調。
早く使えるようにしたい~。
2010年2月16日火曜日
「秘密」にはまっています
P.D.ジェイムズ「秘密」を読み出して一週間。
じわじわと読み進めています。
主人公のダルグリッシュは警視長。
50歳位の設定かと思われます。
長身黒髪、冷静沈着、思慮深く、
思いやりのある素敵な男性です。
その上詩人でもあるのです。
こんなに完璧な人物を創り上げたジェイムズは、
どういう意図があったのやら。
人間的には全く異なるのですが、
ダルグリッシュの嗜好は、
個人的にぴったりします。
読んでいて、なんの違和感もありません。
とても馴染むことができます。
主人公と価値観と感覚を分かち合える小説など、
そうそうあるものではありません。
読みおえるにはあまりにも惜しく、
ゆっくり反復を繰り返しながら、
進んでいます。
じわじわと読み進めています。
主人公のダルグリッシュは警視長。
50歳位の設定かと思われます。
長身黒髪、冷静沈着、思慮深く、
思いやりのある素敵な男性です。
その上詩人でもあるのです。
こんなに完璧な人物を創り上げたジェイムズは、
どういう意図があったのやら。
人間的には全く異なるのですが、
ダルグリッシュの嗜好は、
個人的にぴったりします。
読んでいて、なんの違和感もありません。
とても馴染むことができます。
主人公と価値観と感覚を分かち合える小説など、
そうそうあるものではありません。
読みおえるにはあまりにも惜しく、
ゆっくり反復を繰り返しながら、
進んでいます。
2010年2月13日土曜日
P.D.ジェイムズの「秘密」を読み始めました
出ました、来ました、P.D.ジェイムズの新刊が。
「秘密」ハヤカワ・ミステリ です。
「皮膚の下の頭蓋骨」を読んで以来、
すっかりジェイムズのファンです。
特に「秘密」で13作目となるダルグリッシュ物は、
次作が待ち遠しいシリーズです。
ミステリですから、好みはあるかもしれませんが、
ジェイムズの手にかかると、
単なるミステリには終わりません。
人物造詣、心理描写における人の描かれ方は、
奥深く、精密で、生々しく感じられます。
舞台設定も非常に凝っており、
まるで現実に存在しているかのようです。
刻み込まれるように言葉が選ばれ、
文章が立ち上がっているのを感じながら読んでいると、
ジェイムズに他の分野でも書いて欲しいと思わせます。
とはいえ、ジェイムズも90歳におなりとか。
できるだけ多くの作品に接したいという希望をもちつつ、
ご健勝を祈るばかりです。
「秘密」ハヤカワ・ミステリ です。
「皮膚の下の頭蓋骨」を読んで以来、
すっかりジェイムズのファンです。
特に「秘密」で13作目となるダルグリッシュ物は、
次作が待ち遠しいシリーズです。
ミステリですから、好みはあるかもしれませんが、
ジェイムズの手にかかると、
単なるミステリには終わりません。
人物造詣、心理描写における人の描かれ方は、
奥深く、精密で、生々しく感じられます。
舞台設定も非常に凝っており、
まるで現実に存在しているかのようです。
刻み込まれるように言葉が選ばれ、
文章が立ち上がっているのを感じながら読んでいると、
ジェイムズに他の分野でも書いて欲しいと思わせます。
とはいえ、ジェイムズも90歳におなりとか。
できるだけ多くの作品に接したいという希望をもちつつ、
ご健勝を祈るばかりです。
2010年2月9日火曜日
小説家52人の日記リレー
「新潮」2010年3月号の特集は
小説家52人による2009年に日記リレーです。
有名な作家を基本として、ベテラン作家、人気作家、
個性派作家、通好み作家と52人ともなれば壮観な顔ぶれ。
堀江敏幸さんのところを読んでみたかったのですが、
ついつい続いて他の人のも読んでいると、
どの人も個性豊かで面白い。
作品と似通ったところがあるなぁと思いながら、
ぱらぱらと読みふけりました。
普段はとっつきにくい作家の文章も、
思いがけなく楽しみました。
こういう企画が立てられるのが文芸誌の強みかな。
小説家52人による2009年に日記リレーです。
有名な作家を基本として、ベテラン作家、人気作家、
個性派作家、通好み作家と52人ともなれば壮観な顔ぶれ。
堀江敏幸さんのところを読んでみたかったのですが、
ついつい続いて他の人のも読んでいると、
どの人も個性豊かで面白い。
作品と似通ったところがあるなぁと思いながら、
ぱらぱらと読みふけりました。
普段はとっつきにくい作家の文章も、
思いがけなく楽しみました。
こういう企画が立てられるのが文芸誌の強みかな。
2010年2月8日月曜日
2010年2月7日日曜日
2010年2月5日金曜日
2010年2月4日木曜日
「オチビサン」を読んでいます
「オチビサン」①② 安野モヨコ著 朝日新聞出版
毎週日曜日、朝日新聞で読んでいます。
とっても色使いがきれいで、
時々の風物を下敷きとしている、
とても楽しい漫画です。
オチビサンもナゼニもパンくいも
ユーモラスで面白く可愛い。
シンプルな筋立ても、
考えるという前に、感じることを主にしていて、
気楽に楽しめます。
安野さんは人気漫画家として活躍されていますが、
今は事情でこれだけを連載されているようです。
あちらこちらで見かける安野さんの代表作からは
同じ作家であることが想像できませんでした。
時間も空間ももうずっと前に忘れ去られたような雰囲気の設定ですが、
そう感じられるのきっと和の色彩のせいでしょう。
懐かしさを感じられるほんわかとした世界は
漫画ならではのものだと思います。
毎週日曜日、朝日新聞で読んでいます。
とっても色使いがきれいで、
時々の風物を下敷きとしている、
とても楽しい漫画です。
オチビサンもナゼニもパンくいも
ユーモラスで面白く可愛い。
シンプルな筋立ても、
考えるという前に、感じることを主にしていて、
気楽に楽しめます。
安野さんは人気漫画家として活躍されていますが、
今は事情でこれだけを連載されているようです。
あちらこちらで見かける安野さんの代表作からは
同じ作家であることが想像できませんでした。
時間も空間ももうずっと前に忘れ去られたような雰囲気の設定ですが、
そう感じられるのきっと和の色彩のせいでしょう。
懐かしさを感じられるほんわかとした世界は
漫画ならではのものだと思います。
2010年2月3日水曜日
今日は節分です
2月3日、明日の立春を前にした節分です。
季節ごとに節分はあるわけですが、
どうしてこの立春の前の日を特に重要視するのでしょうか?
わかりません。
寒さが厳しいからでしょうか。
鬼退治、厄除けのための豆まきはしましたか?
豆は炒った大豆ですか、それとも落花生?
いわしの頭を飾りましたか?
七福を表す七種の具が入った巻き寿司は食べましたか?
今年は西南西を向いて食するのだそうです。
厄除けや縁起ものは所によって様々で、
その由来を紐解いてみるととても面白いですね。
縁起よく、本日ユルスナール「空間の旅・時間の旅」を読了いたしました。
また追って感想を述べさせていただきますね。
ふたたび寒さが厳しくなっています。
皆様お風邪など召されぬようになさってください。
季節ごとに節分はあるわけですが、
どうしてこの立春の前の日を特に重要視するのでしょうか?
わかりません。
寒さが厳しいからでしょうか。
鬼退治、厄除けのための豆まきはしましたか?
豆は炒った大豆ですか、それとも落花生?
いわしの頭を飾りましたか?
七福を表す七種の具が入った巻き寿司は食べましたか?
今年は西南西を向いて食するのだそうです。
厄除けや縁起ものは所によって様々で、
その由来を紐解いてみるととても面白いですね。
縁起よく、本日ユルスナール「空間の旅・時間の旅」を読了いたしました。
また追って感想を述べさせていただきますね。
ふたたび寒さが厳しくなっています。
皆様お風邪など召されぬようになさってください。
2010年2月2日火曜日
止めるといいことあるのかな
某人気経済評論家によると、
“ねたみ”
“うらみ”
“ぼやき”
この3つを止めましょう、
いずれも何の得もありません。
とのことです。
確かに前向きで明るい気持ちの良い人は、
この3つと縁が無さそうです。
ポジティヴに憧れつつ、
ネガティヴを内包している人に同情しながら、
凡人が考えるのは、
“ねたみ”も“うらみ”も“ぼやき”も
人間の一種のパーソナリティだということです。
“ねたみ”
“うらみ”
“ぼやき”
この3つを止めましょう、
いずれも何の得もありません。
とのことです。
確かに前向きで明るい気持ちの良い人は、
この3つと縁が無さそうです。
ポジティヴに憧れつつ、
ネガティヴを内包している人に同情しながら、
凡人が考えるのは、
“ねたみ”も“うらみ”も“ぼやき”も
人間の一種のパーソナリティだということです。
2010年2月1日月曜日
心の中のサリンジャー
2010年1月27日、「ライ麦畑でつかまえて」で知られる
J.D.サリンジャーが亡くなりました。
サリンジャーとの出会いは「フラニーとゾーイー」でした。
何を読んでいいのかわからなくて、
手当たりしだいに選んでいた高校生の頃のことです。
大人の世界をまだ知らなかったものですから、
悩むフラニーさえ、大人びて見えました。
フラニーの苦しさを理解する兄のゾーイーの存在が、
力強く感じられたものです。
今になっても、色褪せない光景。
フラニーもゾーイーも必ず次の地点に脱すると感じられるところが、
希望に満ちていて、好きでした。
その点「ライ麦畑」のホールデンは、
大人になるのを拒否しているように感じられて、
一度読んだきりになりました。
しばらくの間、フラニー達グラース家にまつわる小説を追いかけて読み、
2,3年は他の作家の本をほとんど読みませんでした。
ちょっと中毒みたいになっていたのでしょう。
そのくせ、読み砕くことができなくて、
持て余していたところもあります。
持て余すという意味では、
サリンジャー自身、登場人物たちをどう扱うべきか
悩んでいたのかもしれません。
サリンジャーはきっと答えなど持っていなかったのだと、
思っています。
答えが無く、隠遁してしまったということも、
不思議ではないような気がします。
J.D.サリンジャーが亡くなりました。
サリンジャーとの出会いは「フラニーとゾーイー」でした。
何を読んでいいのかわからなくて、
手当たりしだいに選んでいた高校生の頃のことです。
大人の世界をまだ知らなかったものですから、
悩むフラニーさえ、大人びて見えました。
フラニーの苦しさを理解する兄のゾーイーの存在が、
力強く感じられたものです。
今になっても、色褪せない光景。
フラニーもゾーイーも必ず次の地点に脱すると感じられるところが、
希望に満ちていて、好きでした。
その点「ライ麦畑」のホールデンは、
大人になるのを拒否しているように感じられて、
一度読んだきりになりました。
しばらくの間、フラニー達グラース家にまつわる小説を追いかけて読み、
2,3年は他の作家の本をほとんど読みませんでした。
ちょっと中毒みたいになっていたのでしょう。
そのくせ、読み砕くことができなくて、
持て余していたところもあります。
持て余すという意味では、
サリンジャー自身、登場人物たちをどう扱うべきか
悩んでいたのかもしれません。
サリンジャーはきっと答えなど持っていなかったのだと、
思っています。
答えが無く、隠遁してしまったということも、
不思議ではないような気がします。
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