2016年2月7日日曜日

「新しい須賀敦子」

「新しい須賀敦子」 湯川豊編 集英社


2014年10月4日から11月24日の間、
神奈川近代文学館で開催された「須賀敦子の世界展」。
そこで行われた対談 江國香織・湯川豊「須賀敦子の魅力」、
湯川豊の講演「須賀敦子を読む」、
松家仁之の講演「須賀敦子の手紙」。
この対談と講演に加え、
松家・湯川の対談「須賀敦子が見ていたもの」、
湯川豊による「『新しい須賀敦子』五つの素描」からなる、
一冊です。


もともと須賀敦子展に足を向ける人々が対象ですので、
須賀敦子の読者が対象となっています。
それもかなり読んでいる方でないと、
なかなか難しいものがあるでしょう。


というのは、須賀さんのエッセイといわれる作品群は、
エッセイと呼ぶべきか、小説とみなすべきか、
という問いから始まり、
その中に書かれている事柄をどのように解釈すべきか、
また、本と本の間に繋がっていると思われる事柄、人物について、
どのように解釈すべきか、
のちには小説を書こうとされた須賀さんが、
どのような思いを持たれていたか、
かつてエマウスという活動を行われていた頃はどのようであったか、
など、須賀さんについての疑問は尽きないのです。


それは、読者が須賀さんの書かれるものを通して、
文学そのものの良さを通り越して、
須賀さんを愛し、須賀さんという人物を理解したいと思わせるものが、
あるからだと思われるのです。


ゆえに、この本は須賀さんの作品をひととおり読んだ方が、
作品を通じて、どのように生きた人であるか、を
思いめぐらすようになったときに、読まれる本だと思われます。


個人的には書簡は大変プライベートなものでありますから、
普段からあまり丁寧には読みません。
松家さんは雑誌「つるとはな」にて、須賀さんの書簡を紹介されています。
ですが、私は遠慮させていただきました。
文学者が研究する際には必要ではありますが、
須賀さんはちょっとたじろがれるような気がするのです。
これは、今となっては、どうしようもないことではありますが。


この本の内容については、
私が勝手に考えていたことと、そう変わった話はなく、
素直にそうであろう、と頷きながら読んだのでした。
贅沢をいえば、想像外の読み方があったとすれば、
なおさら引き付けられたのではないかと思うのです。

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