春の宵は空気も澄んでいて気持ちがいいですね。
薄暗くなった庭を眺めていると、
咲き乱れる花たちが色鮮やかに浮かんで、
儚く美しく感じます。
紫色のビオラたち、
水色の勿忘草、
白くたおやかな雪柳、
ピンクの花桃、
いつもの桜と、
花がもう少し大きめの白い桜、
次々咲く花たちは、
季節の移ろいを前向きに届けてくれます。
たっぷりと寝て、
とても満ち足りた気持ちになりました。
多めにしているお薬も、
いつもの量に減らせそうです。
この落ち着いた気分になれば大丈夫。
春は何かと仕事も忙しいですが、
またこつこつとこなしていきたいと思います。
2010年4月6日火曜日
ふわふわさくらの巻
桜(ソメイヨシノ)が満開ですね。
近くに寄って花がみっしりとついている様子を見るのも良し、
ちょっと離れてシルエットの美しさを愛でるも良し、
遠くから雲のように白く浮かび上がる様を見るも良し、
目に入るだけで幸せ気分です。
桜の花がこんなに綺麗だと思えるのは、
じつは大切なことなのです。
ことん、ことんとのんびり走る電車の中から
山裾や丘の上にふんわり、もわもわと白く軽やかな桜の姿。
この季節ならではの景色を見ていると、
不思議とほんわか気分に包まれます。
ふわふわしている感じは綿菓子みたいだなぁ。
そばで見ると花びらが砂糖菓子みたい。
ついお菓子を想像してしまうのは、
やっぱり食いしん坊です。
近くに寄って花がみっしりとついている様子を見るのも良し、
ちょっと離れてシルエットの美しさを愛でるも良し、
遠くから雲のように白く浮かび上がる様を見るも良し、
目に入るだけで幸せ気分です。
桜の花がこんなに綺麗だと思えるのは、
じつは大切なことなのです。
ことん、ことんとのんびり走る電車の中から
山裾や丘の上にふんわり、もわもわと白く軽やかな桜の姿。
この季節ならではの景色を見ていると、
不思議とほんわか気分に包まれます。
ふわふわしている感じは綿菓子みたいだなぁ。
そばで見ると花びらが砂糖菓子みたい。
ついお菓子を想像してしまうのは、
やっぱり食いしん坊です。
2010年4月5日月曜日
「とどめ一撃」に出会ってから
「とどめの一撃」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 岩波文庫
当時の手帳を繰ってみると、
1995年に岩波文庫から出版されたこの本を入手してから、
しばらくは寝かしていたようです。
2年も経って1997年11月に読み終えたと記しています。
とても感激して、興奮していたことを覚えています。
確かに滅多にしない書き込みを随所にしてあります。
そして手帳には原書が調べられるように、
フランス語の書名がいくつか並記されています。
翻訳されているもの、未だのものなど、
今ほどネットが普及していない頃ですから、
あとがきから分かることを
せっせと調べていたことを思い出します。
その頃に入手できたユルスナールの本のうち、
「東方綺譚」と「青の物語」を続いて読み、
こちらもすっかりお気に入りとなりました。
中でも「老絵師の行方」と「呪い」がとても好きです。
「ハドリアヌス帝の回想」は難しそうで、
読めないと思い、手を出しませんでした。
また何時かじっくり読める日がくると思ったのです。
※ ※ ※
それから長い間深い眠りのような状態に入りました。
その間もずっと地下水脈のようにこの「とどめの一撃」は、
理想の小説の一つとして沈んでいたのです。
※ ※ ※
ユルスナール・セレクションが出始めて、
再びユルスナールを読むチャンスが訪れました。
まだ未読であった本を少しずつ読んでいる時にも、
常にどこかで「とどめの一撃」を意識していました。
ユルスナールの作品には共通するキーワードがいくつか見られますが、
そのうちの一つに“高貴さ”があります。
「とどめの一撃」はこの“高貴さ”がテーマといってもよいかと
常々考えています。
“高貴さ”が更に昇華して“美”となってゆくのです。
「とどめの一撃」の原型となっている話は
ユルスナールが人から聞いたものだということです。
ここにテーマとなるものを読み取り、
小説に仕立て上げる力を持っていたユルスナールへの関心も高まります。
昨年この「とどめの一撃」の親本である雪華社の単行本に
偶然出会いました。
何度目かとなる再読でも初読の時のように、
心がときめきました。
並行するように「黒の過程」、「目を見開いて」を読み、
人としてのユルスナールの姿も見えてきました。
このブログでも、ふらふらと読書している状態を
ご覧いただいていますが、
迷い、誤り、焦り、戸惑いを繰り返してきています。
納得できるようになるまで、時間がかかりましたが、
そろそろ心を決めるときのようだと感じ始めたました。
これからしばらくの間、
ユルスナールを中心とした読書に勤めたいと思います。
読書に沿った作業も計画中です。
ユルスナールの作品をより深く読み解くために。
ブログをお読みくださっている方々に、
ご協力いただいていることをお礼申し上げます。
この先もどうかご支援ください。
よろしくお願いいたします。
当時の手帳を繰ってみると、
1995年に岩波文庫から出版されたこの本を入手してから、
しばらくは寝かしていたようです。
2年も経って1997年11月に読み終えたと記しています。
とても感激して、興奮していたことを覚えています。
確かに滅多にしない書き込みを随所にしてあります。
そして手帳には原書が調べられるように、
フランス語の書名がいくつか並記されています。
翻訳されているもの、未だのものなど、
今ほどネットが普及していない頃ですから、
あとがきから分かることを
せっせと調べていたことを思い出します。
その頃に入手できたユルスナールの本のうち、
「東方綺譚」と「青の物語」を続いて読み、
こちらもすっかりお気に入りとなりました。
中でも「老絵師の行方」と「呪い」がとても好きです。
「ハドリアヌス帝の回想」は難しそうで、
読めないと思い、手を出しませんでした。
また何時かじっくり読める日がくると思ったのです。
※ ※ ※
それから長い間深い眠りのような状態に入りました。
その間もずっと地下水脈のようにこの「とどめの一撃」は、
理想の小説の一つとして沈んでいたのです。
※ ※ ※
ユルスナール・セレクションが出始めて、
再びユルスナールを読むチャンスが訪れました。
まだ未読であった本を少しずつ読んでいる時にも、
常にどこかで「とどめの一撃」を意識していました。
ユルスナールの作品には共通するキーワードがいくつか見られますが、
そのうちの一つに“高貴さ”があります。
「とどめの一撃」はこの“高貴さ”がテーマといってもよいかと
常々考えています。
“高貴さ”が更に昇華して“美”となってゆくのです。
「とどめの一撃」の原型となっている話は
ユルスナールが人から聞いたものだということです。
ここにテーマとなるものを読み取り、
小説に仕立て上げる力を持っていたユルスナールへの関心も高まります。
昨年この「とどめの一撃」の親本である雪華社の単行本に
偶然出会いました。
何度目かとなる再読でも初読の時のように、
心がときめきました。
並行するように「黒の過程」、「目を見開いて」を読み、
人としてのユルスナールの姿も見えてきました。
このブログでも、ふらふらと読書している状態を
ご覧いただいていますが、
迷い、誤り、焦り、戸惑いを繰り返してきています。
納得できるようになるまで、時間がかかりましたが、
そろそろ心を決めるときのようだと感じ始めたました。
これからしばらくの間、
ユルスナールを中心とした読書に勤めたいと思います。
読書に沿った作業も計画中です。
ユルスナールの作品をより深く読み解くために。
ブログをお読みくださっている方々に、
ご協力いただいていることをお礼申し上げます。
この先もどうかご支援ください。
よろしくお願いいたします。
2010年4月4日日曜日
遠いミシェル・フーコー
簡単な哲学入門書を読んでいて
もっとも関心を引いたのがミシェル・フーコーの仕事でした。
その頃は体調もすぐれず、
集中力を全く維持できない状態でしたので、
そのうちに読み始めることができればと
楽観的に考えていました。
それから十年以上が経ち、
手元を確かめてみれば、
フーコーを読むなんてまだまだ出来ません。
人から哲学系の本は若いうちに読んでおいた方がよいと
言われたことがあります。
20代の頃に出会っていれば、
人生も変わっていただろうとも思います。
人間の思考など簡単には変わらないものでしょうが、
入門書を読んだり、伝記を読んだりしてして思うには、
きっと天地がひっくり返るくらい、
物事の見方、思考、発想に刺激を受けそうな予感がしています。
少しずつフーコーの本を手に入れて、
いつ訪れるかわからないその日に備えています。
つい最近は新潮社から「カントの人間学」が出版されました。
「狂気の歴史」の副論文ですから、
これもぜひ揃えておきたい。
そう願いつつも、
不器用で一つのことしかできないものですから、
ユルスナールに本気で取り組むのであれば、
フーコーまで届かないかもしれません。
覚悟して選び取ることが必要なのでしょう。
その日が来るまで、
フーコーは大切においておきましょう。
もっとも関心を引いたのがミシェル・フーコーの仕事でした。
その頃は体調もすぐれず、
集中力を全く維持できない状態でしたので、
そのうちに読み始めることができればと
楽観的に考えていました。
それから十年以上が経ち、
手元を確かめてみれば、
フーコーを読むなんてまだまだ出来ません。
人から哲学系の本は若いうちに読んでおいた方がよいと
言われたことがあります。
20代の頃に出会っていれば、
人生も変わっていただろうとも思います。
人間の思考など簡単には変わらないものでしょうが、
入門書を読んだり、伝記を読んだりしてして思うには、
きっと天地がひっくり返るくらい、
物事の見方、思考、発想に刺激を受けそうな予感がしています。
少しずつフーコーの本を手に入れて、
いつ訪れるかわからないその日に備えています。
つい最近は新潮社から「カントの人間学」が出版されました。
「狂気の歴史」の副論文ですから、
これもぜひ揃えておきたい。
そう願いつつも、
不器用で一つのことしかできないものですから、
ユルスナールに本気で取り組むのであれば、
フーコーまで届かないかもしれません。
覚悟して選び取ることが必要なのでしょう。
その日が来るまで、
フーコーは大切においておきましょう。
2010年4月3日土曜日
奈良公園へ遠足に
昨夜は早めに就寝し、本日に備えました。
同行の知人にもご配慮いただいて、
無事、一日を楽しく過ごすことができました。
待ち合わせは近鉄西大寺駅、
最近オープンした駅ナカに、
“豊祝”という日本酒のお店があります。
出会うなり早々、きき酒で乾杯!
三種類の豊祝のお酒はなんとも美味。
お腹にじんわり染み渡ります。
お昼のランチも美味しそうなので、
追加していただきます。
そこから近鉄奈良駅へと向かいます。
奈良公園の桜を見て回ろうと計画したのです。
今日は気温が低く、少々冷たかったですね。
桜は満開、白く、のびのびと咲き誇っていました。
緑の中をとことこと歩き、
まず浮見堂で一休み。
この辺りは人も多く、間を縫ってさらに公園の奥へ。
春日大社の本道を左に折れ、
さらに奥へ坂を登ってゆくと、
“ヒルトップテラス”という結婚式場+レストラン+カフェにたどり着きます。
ここではちょっと背伸びした雰囲気を味わいます。
テラスでまたまた一休みして、次は若草山へ向かいます。
若草山の裾野は工事中で、桜もかなり手を入れてありました。
ですが、山の稜線に沿った桜は見事な咲きぶりです。
またとことこと歩き、春日大社の方へ抜けます。
春日大社では珍しそうにカメラを構える人が多く、
その様子を眺めながら、中央を抜けていきました。
春日大社の正面入り口の右手にある大きな古木の枝垂れ桜が、
たおやかに咲いていました。美しいものです。
そこから公園をまっすぐに歩き、
猿沢池から奈良町へとさらに歩きます。
今日の晩ごはんは“粟”でいただくのです。
古民家を手直ししたそのお店はこじんまりとしていて、
ほんわか和みます。
お食事はというと、
大和野菜がメインの食材としてふんだんに使われ、
ソースなども大変凝ったものでした。
デザートまで美味しくいただき、
二人ともとっても満足。
後で珈琲をいただいて、
近鉄奈良駅へ。
これで今日のコースはおしまいです。
お疲れ様でした。
同行の知人にもご配慮いただいて、
無事、一日を楽しく過ごすことができました。
待ち合わせは近鉄西大寺駅、
最近オープンした駅ナカに、
“豊祝”という日本酒のお店があります。
出会うなり早々、きき酒で乾杯!
三種類の豊祝のお酒はなんとも美味。
お腹にじんわり染み渡ります。
お昼のランチも美味しそうなので、
追加していただきます。
そこから近鉄奈良駅へと向かいます。
奈良公園の桜を見て回ろうと計画したのです。
今日は気温が低く、少々冷たかったですね。
桜は満開、白く、のびのびと咲き誇っていました。
緑の中をとことこと歩き、
まず浮見堂で一休み。
この辺りは人も多く、間を縫ってさらに公園の奥へ。
春日大社の本道を左に折れ、
さらに奥へ坂を登ってゆくと、
“ヒルトップテラス”という結婚式場+レストラン+カフェにたどり着きます。
ここではちょっと背伸びした雰囲気を味わいます。
テラスでまたまた一休みして、次は若草山へ向かいます。
若草山の裾野は工事中で、桜もかなり手を入れてありました。
ですが、山の稜線に沿った桜は見事な咲きぶりです。
またとことこと歩き、春日大社の方へ抜けます。
春日大社では珍しそうにカメラを構える人が多く、
その様子を眺めながら、中央を抜けていきました。
春日大社の正面入り口の右手にある大きな古木の枝垂れ桜が、
たおやかに咲いていました。美しいものです。
そこから公園をまっすぐに歩き、
猿沢池から奈良町へとさらに歩きます。
今日の晩ごはんは“粟”でいただくのです。
古民家を手直ししたそのお店はこじんまりとしていて、
ほんわか和みます。
お食事はというと、
大和野菜がメインの食材としてふんだんに使われ、
ソースなども大変凝ったものでした。
デザートまで美味しくいただき、
二人ともとっても満足。
後で珈琲をいただいて、
近鉄奈良駅へ。
これで今日のコースはおしまいです。
お疲れ様でした。
2010年4月2日金曜日
2010年4月1日木曜日
「恋愛迷子」
「恋愛迷子」 小川内初枝著 光文社文庫
著者の小川内さんと、
昔、同じ職場で仕事をしていました。
しばらくは会うこともなかったのですが、
小川内さんが太宰治賞を受賞されてから、
再びお話をするようになりました。
頭脳明晰、才能豊か、
とても繊細で、豊かな情感をお持ちの方だと
常々感じています。
そんな小川内さんが書かれる小説は、
現代に生きる女性の揺れる心をしっかりと捉えた
芯のある作品ばかりです。
この「恋愛迷子」では、
自立を求め、果たしながらも、
信じるという行為に疑問を呈して、
自らの生き方を選択できずにいる、
31歳のOLの迷える姿を描いています。
この主人公が何故、どのように惑うのか、
さらには、どのように生を営んでゆくのか、
舞台設定も鮮やかに、
求心力を持って物語は明かしてくれます。
藤田香織さんによる解説も
丹念に読み込まれた上でのもので、
読後感を充実させてくれるのでした。
人間の存在意義を問うに近い、
生きる困難さを、
心理面から描いている小川内さん、
今後も書き継いでいってください!
著者の小川内さんと、
昔、同じ職場で仕事をしていました。
しばらくは会うこともなかったのですが、
小川内さんが太宰治賞を受賞されてから、
再びお話をするようになりました。
頭脳明晰、才能豊か、
とても繊細で、豊かな情感をお持ちの方だと
常々感じています。
そんな小川内さんが書かれる小説は、
現代に生きる女性の揺れる心をしっかりと捉えた
芯のある作品ばかりです。
この「恋愛迷子」では、
自立を求め、果たしながらも、
信じるという行為に疑問を呈して、
自らの生き方を選択できずにいる、
31歳のOLの迷える姿を描いています。
この主人公が何故、どのように惑うのか、
さらには、どのように生を営んでゆくのか、
舞台設定も鮮やかに、
求心力を持って物語は明かしてくれます。
藤田香織さんによる解説も
丹念に読み込まれた上でのもので、
読後感を充実させてくれるのでした。
人間の存在意義を問うに近い、
生きる困難さを、
心理面から描いている小川内さん、
今後も書き継いでいってください!
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