第一の章“出産”を読み終えました。
母フェルナンドは一瞬意識を取り戻したときに、
“自分がどこへ行こうか理解できた瞬間のひとつに”
夫にこう言ったのです。
「もしもこの子が修道女になりたいと思うことがあれば、
その願いを邪魔しないでほしい。」
父ミシェルはそのことを一言も伝えたことがなかったし、
叔母ジャンヌも口を噤んでいたので、フロイラインだけが、
くどくどと繰り返し言い聞かせたようです。
その言葉から、娘は母の勧めの由来を推察します。
そして自身はその言葉だけでなく、“自由を不当に侵害する”事柄から、
後ずさりするのでした。
もう7,8歳の頃にはそういった自我がはっきりと芽生えているのでした。
53年もの歳月を経て、ユルスナールは母の墓地を訪ねます。
その際には「黒の過程」で描かれたミュンスターの街にも立ち寄っていて、
その街とその背景にある歴史をなぞっていますが、
ここには、人間のある一つのありのままの姿が記されているように思われます。
そしてブリュッセルの古典美術館ではブリューゲルの作品の何点かを
鑑賞しています。ブリュッセルに行ってみなくてはなりません。
母方の墓地を訪ね、その一族の名前を思い返すとき、
“これらの墓石について思いめぐらしながら気づいたのは”
“私がこれらの人々を不当に自分に引き寄せているということだった。”
ユルスナールを読んでいてよく思うことは、
私たちが考えたり、ふと頭の中をよぎるような想いを、
ユルスナールははっきりと解析して、言葉に置き換えているということです。
ひとつひとつ立ち止まって考えることを止めてしまい、
足早に先へ進もうとしている力を、ユルスナールは差し止めます。
母フェルナンドが残したものの内、処分できなかったもの、
手紙や文書、身につけていた小物などを父ミシェルは小箱にしまいこみました。
それらをのちにどのように扱ったか、ユルスナールは一つずつ片付けていきます。
“私たちは人間的個性なるものにこんなにも執着しているが、
それがいかに取るに足らぬものかを証し立てるのは、その個性を支え、
時にはその象徴ともなるオブジェ類が、やがてそれ自体無効となり、
損なわれ、最後には消滅する速さをおいてほかにない。”
ユルスナールの文章を辿りながら、果たして自分はどうであったかと考え、
そしてユルスナールの下す結論にしぶしぶながら同意する。
そんな読書となっています。
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