「証人たち」 ジョルジュ・シムノン著 野口雄司訳 河出書房新社
シムノンの代表的なメグレものとはまた違った趣の本格小説です。
この「証人たち」は法廷を舞台とした作品です。
ここでシムノンは何を言いたかったのでしょうか。
主人公のグザヴィエ・ローモンは裁判長として、
妻を殺害した容疑で起訴されている被告の公判を担当している。
裁判前夜、ローモンは流感気味で体調を崩していた。
隣の寝室で眠る妻はここ5年のあいだ発作のため寝たきりである。
妻の様子を気を配りながら、仕事のことから頭が離れない。
いや、逆かもしれない、書類に目を通そうとしても、
妻のことが気にかかって、その上体調もすぐれず集中できない。
実際、ちょっとした粗相から薬局まで雪の中を走らなければならなくなった。
そんなローモンの視点からこの裁判の行方が描かれていきます。
公判関係者、弁護人に至るまで容疑者を有罪だと考えている。
一般人から選ばれた陪審員たちは、裁判の流れに沿って判断し、
その判決に関与する立場にあります。
ローモンは判断はつきかねると考えています。
それは、裁判の中での証人たちへの質疑応答の中ではっきりとしていきますが、
それは決定的な証拠となるものが無いからでもあります。
証拠が明らかでない場合、
そして容疑者が否認している場合、
どうやって真実を見極めてゆくべきでしょうか。
そして誰がどのように判断をすべきなのでしょうか。
その上、今回の証人の中にその立場に不適当な人間が加わっていました。
ローモンは「人間が他の人間を理解するのは不可能である」と
悟っていました。
そのことを理解できるように、ローモンの家庭生活を織り交ぜて、
というより、この小説ではほとんど併記に近い形をとっています。
法廷物は特有の用語が多く使われており、
裁判に詳しいか、その類の本をよく読んでいるかしないと、
なかなかわかりにくいところがあります。
と思いながら、今回頭を悩ませながら読んだのです。
シムノンの小説の流れに沿ってゆっくりと辿っていくと、
ローモンの裁判に対する考え、人間についての考えと、
実際の人が人を裁く裁判制度の困難さについて、
自分なりに伝わってきます。
人が人を裁くという難しさは永遠の課題であるでしょう。
それでも、事件は溢れかえるように起き、
明らかに罪深い人もいるのです。
裁判を留めることは実際のところできない話です。
だけれども、罪と無実の境目を単純に引くことはできない事実を
知っておく必要はあるかと思われます。