2011年12月31日土曜日

「証人たち」


「証人たち」 ジョルジュ・シムノン著 野口雄司訳 河出書房新社

シムノンの代表的なメグレものとはまた違った趣の本格小説です。
この「証人たち」は法廷を舞台とした作品です。
ここでシムノンは何を言いたかったのでしょうか。


主人公のグザヴィエ・ローモンは裁判長として、
妻を殺害した容疑で起訴されている被告の公判を担当している。
裁判前夜、ローモンは流感気味で体調を崩していた。
隣の寝室で眠る妻はここ5年のあいだ発作のため寝たきりである。
妻の様子を気を配りながら、仕事のことから頭が離れない。
いや、逆かもしれない、書類に目を通そうとしても、
妻のことが気にかかって、その上体調もすぐれず集中できない。
実際、ちょっとした粗相から薬局まで雪の中を走らなければならなくなった。

そんなローモンの視点からこの裁判の行方が描かれていきます。
公判関係者、弁護人に至るまで容疑者を有罪だと考えている。
一般人から選ばれた陪審員たちは、裁判の流れに沿って判断し、
その判決に関与する立場にあります。

ローモンは判断はつきかねると考えています。
それは、裁判の中での証人たちへの質疑応答の中ではっきりとしていきますが、
それは決定的な証拠となるものが無いからでもあります。

証拠が明らかでない場合、
そして容疑者が否認している場合、
どうやって真実を見極めてゆくべきでしょうか。
そして誰がどのように判断をすべきなのでしょうか。
その上、今回の証人の中にその立場に不適当な人間が加わっていました。

ローモンは「人間が他の人間を理解するのは不可能である」と
悟っていました。
そのことを理解できるように、ローモンの家庭生活を織り交ぜて、
というより、この小説ではほとんど併記に近い形をとっています。

法廷物は特有の用語が多く使われており、
裁判に詳しいか、その類の本をよく読んでいるかしないと、
なかなかわかりにくいところがあります。
と思いながら、今回頭を悩ませながら読んだのです。

シムノンの小説の流れに沿ってゆっくりと辿っていくと、
ローモンの裁判に対する考え、人間についての考えと、
実際の人が人を裁く裁判制度の困難さについて、
自分なりに伝わってきます。

人が人を裁くという難しさは永遠の課題であるでしょう。
それでも、事件は溢れかえるように起き、
明らかに罪深い人もいるのです。
裁判を留めることは実際のところできない話です。
だけれども、罪と無実の境目を単純に引くことはできない事実を
知っておく必要はあるかと思われます。

2011年12月30日金曜日

元には戻れない


今年は手作りのカレンダーを壁に貼り付けていました。
12月はパリ、セーヌ川の写真でした。
憧れの土地であるとともに、
住んだこともないのに郷愁をも感じさせる大切な街です。

秋頃には「事務所の引っ越しが終わるまでは個人的なことは封印」と
考えて、年明けには元に戻そうと思っていました。
そうしてようやく引っ越しが無事に終わり、
後片付けもひと段落して、
ルーティンワークに戻るところまでやってきました。
そして、待ちに待った年末年始の休暇です。
さあ、読書だけでなく、頭の中も整理して、
今までどおりやっていこうと思ったのですが、
どうも以前の感覚が戻ってこないのです。

大きな天災や事故などに見舞われた場合は当然ですが、
たかが仕事場の引っ越しです。
そんなおかしなことがあるものか、
まだテンションがハイなままで、切り替えができていないだけだと、
手帳を広げたり、本をかいつまんで読んでみたりしてはするものの、
どこか新しいところに立っているような感じがするのです。

そう、以前の北側の窓のない寒々とした事務所で震えていた時とは違う、
今は新しい朝の光が降りそそぐ大きな部屋のすみっこにいるのです。

きっと時間とともに、
自分の核の部分は変わらずあることにも気が付くでしょう。
でも何かが変わっていっているのです、時間とともに。
これが偶然場所の変化という視覚に訴えるものであったから、
鮮明に感じるのだと思います。

もう、あの場所にいた頃の自分に戻ることはないのでした。
みっともない自分に変わりはないけれど、
その自分自身とともに進んでいくだけです。

2011年12月28日水曜日

ムーミンのダイアリー


絵本の雑誌「MOE」1月号はムーミン特集。
偶然目について購入してみました。
すると可愛いダイアリーもついていて、
中のページにもムーミンたちがいっぱい。

写真の右にある黄色いムーミンの手帳を
すでに使っていますし、
左の青い手帳は家用の記録手帳。
いったい何に使ったらよいでしょう?
会社で使ってみようかな。

昔はスナフキンに憧れたものですが、
最近は正直なミィが好きです。
「あたしは笑うか怒るかどっちかよ。泣くことなんてない。」

先日も某百貨店で催していたムーミンフェアで、
ミィ・グッズにくらくらしてしまいました。

今日はルーティンのお休みでしたが、
風邪悪化のためほとんど一日寝ていました。
2週間ほどハイテンションできていたので、
精神的にも疲れていたようです。
なにしろ本を読む余裕がありませんでしたから。
明後日からお正月休みに入ります。
何もしない予定ですが、本当に何もできなさそうです。
ハイテンションの反動はあまりにも大きいのでした。
せめて来年読む本の計画くらいは立てたいものです。

2011年12月25日日曜日

クリスマス


今年のクリスマスはまあなんと寒いこと。
家では小さい子供もいないし、
クリスマスらしいことは何もしません。
個人的にもスルーです。
お正月が近いことに理由があるかもしれません。

忙しいピークを越えたところで、
またまた風邪をひいてしまいました。
ひどい咳です。
寝込むことはなさそうなので、
エスタックイヴエースで乗り切ろうと思います。
足にもじんましんらしきものが出ていて、
かゆいやら、気になるやら。
お正月休みまでもう一息。
お休みには何もしないで過ごそうと企んでいます。
年賀状も大晦日にしか投函できなさそうです。
遅くなってしまってすみません。

今月は見事に本を読みませんでした。
たった一冊です。
いい本でしたので、次回にご紹介いたします。

来年こそしっかりプルーストを読み続けて、
ユルスナールを“世界の迷路”を読みたいもの。
他にも少しは前向きなプランを練って、
前向きにやっていきたい、と希望はあるのです。
そのためにはやはり体調を整えることかな。

2011年12月22日木曜日

新事務所


新しい事務所は大きな窓から若草山が遠くに望める
明るい丘の上にあります。

これまでと違ってオープンスペースで
50名近くがいそいそと仕事にいそしむ姿が
少々落ち着きませんが、
これも慣れてくるかと思います。

今日は冬至ですね。
とても風の強い寒い一日でした。
あったかいお風呂に浸かって、
疲れを癒すことにいたしましょう。

2011年12月21日水曜日

引っ越し


引っ越し前日。
キャビネットの中も外も通路も、
机の周りも段ボールの山になりました。
忘れ物はないかな?
ゴミ箱にも指定のシールを張ります。

以外にも早めに作業が終わってほっとしました。
小さなストーブを片付けてしまっていたので、
足元がジンジンと冷え込んできます。
PCも線を抜いてしまって何もすることがありません。

明日新しい職場に出勤して、
段ボールを開けることから始まります。
通勤は近くなるので助かります。
また新しい日々がやってくる。

2011年12月18日日曜日

バルセロナvsサントス


今日はサッカーのクラブチーム世界一を決める決勝戦。
前半を終わったところで3対0とバルセロナがリード。
バルサのボールの支配率が高く、圧倒的にサントス陣地に攻め込んでいます。

ワールドカップのような悲壮感漂う緊迫感はないのですが、
最高レベルの試合を日本でやっていて、オンタイムで見れるのは
他には無いことですね。

バルサはフォーメーションに特徴があり、
特定のFWを置いていないそうですが、
くるくるとボールがパスされているのを見ていると、
選手がお互いの位置を常に確認して、
その特徴を把握して動いているようで、
自由自在に動き回っているように感じられます。

メッシがドリブルすると、
ボールが足にくっついているみたいに見えます。

スポーツを観ているとすごく楽にテンションがあがります。
これっていいのか悪いのかわかりませんが。

2011年12月14日水曜日

アクションプランナー


ここ2,3年アクションプランナーを気に入って使っています。
来年も使おうと思い、取り寄せたのですが。
広げてみると、なんだか様子が違います。

これまではフランスのエグザコンタ製だったのですが、
ずいぶんとリニュアルしていて、日本製になっています。

紙の質も少し厚めになっていますし、
なにより活字が青から緑に、
明朝からゴシックになっています。

シンプルなデザインは変わっていないので、
使用するには差し支えなさそうですが、
気分が違う・・・

なんだかがっくり。
シックじゃない。

2011年12月11日日曜日

冬日到来


冷たい空気入ってきて、
とても寒い冬日がやってきました。

矢田丘陵も生駒山も紅葉のピークを過ぎつつあります。
陽がよく当たっていた時には、
黄金色に輝いていましたが、
今はもう茶褐色に。
冬の到来のお知らせでしょう。
もうこの景色を毎日見ることもありません。
暮れには奈良市の北の方に移ります。

半年以上もよく咲いてくれたラベンダーも、
植えてから今月初めて花をつけてくれたローズマリーも
一緒にお引越しの予定です。
移転先でも育てることができる環境でしょうか。

どんぐりを踏みつけてパチパチを今年もやっています。
こんな面白いこと、どうしてみんな知らんふりなのでしょう。

12月は来年のカレンダーを用意したり、
手帳をスタンバイさせたり、
年賀状を書きだしたり、と年末年始の用事がいろいろとありますね。
毎年のことだけれど、またひと段落させることができるのだと、
暦をありがたく思ったりしています。

2011年12月7日水曜日

「須賀敦子を読む」


「須賀敦子を読む」 湯川豊著 新潮文庫

「考える人」新潮社に連載していた時と、単行本になった時と、
読むのはこれで3回目となりました。

「考える人」に連載中は、須賀さんの知人でもあった著者による
新しい話が聞けるのではないかとの期待が大きくありました。
そのためか、内容は須賀さんの読者にとっては当然のことと思われて、
少々物足りなく感じたものでした。

単行本で再読したときも、同じように感じたのです。

須賀さんが亡くなって十年以上が経ち、
須賀さんの本を何度も読み返したり、
須賀さんの本に親しむ人のブログを読んだりするうちに、
実際にテキストを深く読み込むことの難しさを感じるようになりました。

この文庫を読むことで、さらにその思いが強くなりました。
今の時点で須賀さんの著書の心情を読み取り、平易に読みほどいているのは、
この本以外に思い当りません。
それもテキストから逸脱することなく、全体像をバランスよく把握されています。

須賀さんの著書は「ミラノ霧の風景」が一冊目でしたが、
なかなかその著者の像が見えず、
どのように受け止めてよいかわからなかったことを思い出します。
そして「コルシア書店の仲間たち」を続いて読むことで、
須賀さんの足跡を追うことができるようになったのです。
一冊、一冊出版されるごとに須賀さんの著書に親しみ、
その生き方を辿るようになりました。

湯川さんの著書ではこのあたりの読者の在り方にも目を配りながら、
そのテキスト群を読み解いておられるように感じます。

それでもまだ、私自身は須賀さんの謎を抱えたままでいます。
何度読み返しても奥深く底にたどり着くことがありません。
須賀さんのことを知ることで答えが出るわけではないでしょう。
それに須賀さんのすべてを知ることは決してできません。
これからも手探りで読み続けるしか方法はないのでした。

2011年12月4日日曜日

師走になりました


とうとう今年も12月に突入しましたが、
暖かな日がつづくので、体感的にはピンときません。

9月から読み始めたプルースト2巻目は進まない理由すら思いつかず、
今年中に読了することは不可能な模様。
「本の音」堀江敏幸著をぽちぽち読んだり、
「千年ごはん」東直子著を貸してもらって読んだり、
「ガンダムジオリジン」がとうとう完了したのを感慨深げに読んだり、
「日出処の天子」山岸涼子著の完全版が出たので懐かしく読み返したり、
現在は「須賀敦子を読む」湯川豊著を少しずつ読んでいます。

気になるのは現在公開中の「タンタンの冒険」。
スピルバーグ監督の作品は苦手なので足を運ぶまでには至りませんが、
やはりチェックはしておきたいところ。
先日公開していた「三銃士」も2年も前から楽しみにしていましたが、
これも苦手なタイプの娯楽作品に仕上がっていたので、
予告をたっぷり見て、レンタルで充分と判断しました。
それより「サルトルとボーボワール」が観たいのです。
観に行く時間はとても作れないので、
どうしようか・・・。

目下のところ仕事場の引っ越しで頭がいっぱいでして、
実際それに伴って通常作業もスケジュールをずらしているので、
ますます忙しい現状です。
引っ越しをクリアして、来年をすっきりと迎えたい、
今月の課題はそれ一つです。