2013年3月10日日曜日
「失われた時を求めて 5」 “ゲルマントの方Ⅰ”
「失われた時を求めて 5」 “ゲルマントの方Ⅰ” マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳
この5巻は読むのにずいぶん時間がかかりました。
主軸になる部分が捉えにくいように感じられ、
どこを中心に読んでいいのかわかりづらかったのです。
なんてことはない、タイトルどおりです。
“ゲルマントの方”へ近づいたのです。
祖母の健康を気遣って、ゲルマント家の屋敷の一部に引っ越しをした
“私”の家族。祖母とヴィルパリジ夫人が知り合いであったことが、
きっかけとなったようです。
遠くの存在であったゲルマント家に少しずつ近くなってきました。
“私”はオペラ座でラ・ベルマのお芝居を観ますが、
そこでボックス席を観察していた折、ゲルマント侯爵夫人を見、
コンブレー時代から抱いていた憧れの気持ちを強くします。
そして、夫人が出かける際に偶然出会うようにするため、
“私”も毎朝散歩に出かけるようになりますが、
そうやって近づこうとすればするほど、手が届かなくなるのは人の常。
夫人の甥のサン=ルーに夫人と近づけるようお願いをするため、
サン=ルーに会いにいったりします。
自然とサン=ルーが抱えている愛人問題に触れることになり、
その愛人、ユダヤ人で元娼婦で女優であるラシェルと知り合いにもなります。
「サン=ルー、目を覚まして!」と思う人は多いでしょうね。私もその一人です。
後半はヴィルパリジ夫人のサロンの出来事が中心場面です。
多くの人が出入りをし、ヴィルパリジ夫人がどういう立場の人であるか、
推し量れるのですが、ポイントはそこへ現れたゲルマント夫人と、
皆の会話の中心となっているドレフィス事件。
プルーストの母親がユダヤ人ということもあるでしょうし、
この作品にもスワン氏やラシェル、“私”の友人ブロックなど多くの
ユダヤ人が登場することもあり、大きく取り上げられています。
が、“私”は自分の意見を決して述べません。
ヴィルパリジ夫人のサロンでも挨拶をする程度で、
ほとんどは人間観察に費やされています。
これがこの本の特徴の一つでしょう。
かといって“私”=プルーストともいえないような口ぶりで書かれています。
そんな“私”の考えることに耳を傾け、
シャルリュス男爵のような妙な人間の動向の様子を見たり、
ゲルマント侯爵夫人を通して見える社交界を覗き見したり、
つまり、当時の上流階級を中心とした人間社会の様子を
“私”が解説し、人間の本性を見抜いていく、というのが、
この小説の醍醐味というところでしょうか。
この巻は、ある意味楽しい場面も少なく、
新しい場面の展開で緊張感も漂う、楽な読書ではありませんでした。
でも、これからのどのように“私”が進んでいくのか、
興味深い部分に差し掛かっているともいえるところでしょう。
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