2010年1月31日日曜日

暗峠のうどん屋さん

古くから大阪と奈良を結ぶ峠として知られた
“くらがりとうげ”。
現在は国道ですが、車も通りにくい細い道で、
勾配のきつい峠だそうです。

先日、奈良は生駒市の方から峠に向かいました。
行き先は峠の袂にあるうどん屋さん。

くねくねと道を登り、振り返ると生駒の家々が小さくなっていきます。
すると急に視界が開けて、西側の大阪方面の空が大きくなりました。
この道をもっと先へ行くと、
あの辺りが暗峠ですよ。
同行の方が指を指して教えてくださいます。

向かいの尾根が広々と見渡せる中腹に
そのうどん屋さんはありました。
古民家を修復して趣のある佇まい。
店内の広い和室には、大きな神棚に大きな床の間、
天井の真ん中に太い梁が渡っています。
大きな火鉢には炭がじんわりと辺りを暖めていました。

近辺で捕れるという“いのししうどん”に惹かれましたが、
まずはベーシックに“きざみ”に“かやくごはん”としました。
窓から望む景色も素晴らしく、
冬の山に吹き付ける冷たい風にのった粉雪を眺めながら、
待ち時間を過ごしました。

関西では、うどんは時によっては“およばれ”のご馳走にもなる、
馴染みのある食事です。
好物でもあるので、とても嬉しく、楽しいひと時です。
その日は峠までは行きませんでしたが、
話を聞いていて、近いうちに出かけてみようと、
興味を深めたのであります。

2010年1月30日土曜日

金色のポーチを探しもとめて

ここ2,3年の間、
金色のポーチを探し続けています。

ポーチというのはね、
手鏡とか、リップとか、お薬とか、
糸ようじなどを入れておくケースのことですよ。
と、理解不能の方にご説明申しておきます。

ぴったりしたサイズ、
好みの四角い形、
マチ少々、
できれば素材は皮で、
色は渋めのゴールド、
小さめのロゴなどととこだわっています。

様々なところをチェックしていますが、
ありそうなのに、見つかりません。

去年zuccaが出していた物が、
もしかしたらぴったりかもしれませんが
今頃はもう無いでしょうね。

巡り合いたい、探し物のひとつでした。

2010年1月29日金曜日

Y-mailのハイライター

サン=ローランの春のコスメは、
夢心地にさせてくれます。

バッグや財布でお馴染みになったY-mailのシリーズが
コスメでも登場しました。

黒いバッグを模したケースからするりと出すと、
金色のコンパクトの表に刻印風のロゴが入っています。

このお洒落な外見にまずやられてしまいました。
中身はというと、
チークとハイライターの2タイプがあります。
チークも綺麗な配色で、便利そうな組み合わせ。
ハイライターはさらにキラキラと輝く色見。

実用的にはチークが使いやすそうだと、
現物を見に行ったところ、
横に煌くハイライターにくらくら。

一度は撤退して考えてみました。
“メイクなんて縁が無いのにどうして買うの?”

男性諸君にはなおさら疑問かもしれませんが、
コスメというのは魔力があるのです。
一度魔法にかかると、逃れることはできません。

というわけで、今は夢を手元にしっかりと握っています。

2010年1月28日木曜日

「空間の旅・時間の旅」その⑥

「空間の旅・時間の旅」 マルグリット・ユルスナール著

「ボルヘスあるいは「見者」」
「ある慎ましく輝かしい女性」
「美術通りのワイルド」

ボルヘスについての評論は、
1987年にハーヴァード大学で行われた講演内容で、
豊かで平易な表現で語られており、
比較的伝わりやすいものかと思われます。
ボルヘスを読んだことはありませんが、
“みずからをあるがままの自分として・・・凡人として見る、・・・
 他者も宇宙も見る”人であったというくだりは、
興味をそそられるところです。

次の「女性」とは、
ヴァージニア・ウルフのことで、
ユルスナールは1937年にウルフの「波」を翻訳しています。
その際、ユルスナールはウルフを訪ねています。
このエッセイは、1937年の当時の仏訳の序文に加え、
35年経ってから総合的に振り返ったものを補填したものです。
内容としては、ウルフを読んでいないと意味するところがわかりにくく、
そういう困難な部分を堀江敏幸さんの解説が補ってくれています。
ウルフの「波」は非常に個性的な作品ですので、
堀江さんの懇切丁寧な解説は、
ウルフの作品の読解にも助けになりました。

ワイルドの評論は1929年に発表されたそうで、
かなり早い時期のものとなります。
これは評論というよりエッセイといった方がよさそうです。
ユルスナールの持つイメージが一人歩きしています。
引用される固有名詞に関する知識を共有できる人には、
たまらなく愉楽に満ちたものだと思われます。

このユルスナールの評論とエッセイがまとめられている本、
大変読みにくく感じているのですが、
それは単純に難しいだけということもなさそうです。
堀江さんによると。

“誤解を恐れずに言えば、ユルスナールの批評的散文は、
 斬新な視点の提示や目の覚めるような分析で、読者を
 魅了するものではない。・・・その最大の特徴は、
 行文に起伏が少ない点にある。そこではトーマス・マンも
 カヴァフィスもピラネージも平らな水面にならんでしまい、
 静止衛星のように冷静で暗く沈んだ接眼レンズのなかで、
 動きのない壁画に似た響きを奏ではじめるのだ。・・・
 ユルスナールの肉声は大きな時の渦に吸い込まれて・・・
 読者は生々しい反応に触れることがない・・・”

ユルスナールのその冷静な視線は作品一点を見つめることに集約されず、
流れ行く時間、総合的な歴史の中の一つとして織り込まれているのです。
狭い社会で狭義に縛られていると、見えないままに終わってしまいそうです。

2010年1月27日水曜日

わかりません

今はEMOBILEを使っています。
これを光ケーブルに変更しようとしているのですが、
何をどうすればよいのか分かりません。
むむむ。

パソコンの中を色々と調べてみますが、
一層混乱してしまいそうです。
皆さん巧みに使われているので、
お恥ずかしいのですが、
それにしても複雑な用語ばかりで、
うーん、わからん。

2010年1月26日火曜日

「空間の旅・時間の旅」その⑤

「空間の旅・時間の旅」 マルグリット・ユルスナール著

「三島、あるいは空虚のヴィジョン」 澁澤龍彦訳
を続いて読んでみました。

三島由紀夫を読んだ経験が無いので、
ユルスナールの丁寧な解説に助けられつつ、
三島の作品世界を辿りました。

三島がユルスナールを高く評価しているのを知り、
ユルスナールも三島を読んでみたようです。

高貴な趣味で、教養もあり、才能もあり、
強靭な行動力も持ち合わせてその名を轟かせた三島ですが、
心に訴えるものが感じられません。
作者としてのナルシシズム、エゴイズムが強いような気がします。

小説を読んだこともないのに、
そう判断を下してしまうのは危険ですが、
どこかユルスナールの気質と似たようなところが
あるようにも思えます。

澁澤龍彦も翻訳の際のあとがきで、
“肉体の感覚や外部世界の偶然を通して、
 死が自分に送ってくれる合図の一つ一つを感じれば
 感じるほど、ますます自分が賢明に強く生きていると
 いうことを自覚する人間”がいるとし、
編者の岩崎力さんも
三島もユルスナールもそういう人間に属していると
述べられています。

“死”をどう意識しているか。
“生”を意識するよりも、“死”の気配を強く感じる人は、
また独自の世界観を持っているように感じます。

2010年1月25日月曜日

残念読書

先週は「明日への回想」を読み終えて、
上々のスタートを切ったはずが。

続いて読んだ本が今一つ。
仕切りなおして読んだ本も、
好みとずれがあって、
選択した自分に不満が残りました。

現在、充実感に乏しい状態です。

軌道修正すべく、
ユルスナールに戻ります。