2010年1月28日木曜日

「空間の旅・時間の旅」その⑥

「空間の旅・時間の旅」 マルグリット・ユルスナール著

「ボルヘスあるいは「見者」」
「ある慎ましく輝かしい女性」
「美術通りのワイルド」

ボルヘスについての評論は、
1987年にハーヴァード大学で行われた講演内容で、
豊かで平易な表現で語られており、
比較的伝わりやすいものかと思われます。
ボルヘスを読んだことはありませんが、
“みずからをあるがままの自分として・・・凡人として見る、・・・
 他者も宇宙も見る”人であったというくだりは、
興味をそそられるところです。

次の「女性」とは、
ヴァージニア・ウルフのことで、
ユルスナールは1937年にウルフの「波」を翻訳しています。
その際、ユルスナールはウルフを訪ねています。
このエッセイは、1937年の当時の仏訳の序文に加え、
35年経ってから総合的に振り返ったものを補填したものです。
内容としては、ウルフを読んでいないと意味するところがわかりにくく、
そういう困難な部分を堀江敏幸さんの解説が補ってくれています。
ウルフの「波」は非常に個性的な作品ですので、
堀江さんの懇切丁寧な解説は、
ウルフの作品の読解にも助けになりました。

ワイルドの評論は1929年に発表されたそうで、
かなり早い時期のものとなります。
これは評論というよりエッセイといった方がよさそうです。
ユルスナールの持つイメージが一人歩きしています。
引用される固有名詞に関する知識を共有できる人には、
たまらなく愉楽に満ちたものだと思われます。

このユルスナールの評論とエッセイがまとめられている本、
大変読みにくく感じているのですが、
それは単純に難しいだけということもなさそうです。
堀江さんによると。

“誤解を恐れずに言えば、ユルスナールの批評的散文は、
 斬新な視点の提示や目の覚めるような分析で、読者を
 魅了するものではない。・・・その最大の特徴は、
 行文に起伏が少ない点にある。そこではトーマス・マンも
 カヴァフィスもピラネージも平らな水面にならんでしまい、
 静止衛星のように冷静で暗く沈んだ接眼レンズのなかで、
 動きのない壁画に似た響きを奏ではじめるのだ。・・・
 ユルスナールの肉声は大きな時の渦に吸い込まれて・・・
 読者は生々しい反応に触れることがない・・・”

ユルスナールのその冷静な視線は作品一点を見つめることに集約されず、
流れ行く時間、総合的な歴史の中の一つとして織り込まれているのです。
狭い社会で狭義に縛られていると、見えないままに終わってしまいそうです。

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