2012年2月8日水曜日
池澤夏樹さんによる「アンゲロプス監督を悼む」
1月30日(月)付けの日経新聞朝刊に掲載された
池澤夏樹さんの「アンゲロプス監督を悼む」の記事には、
監督の訃報がもたらした池澤さんの驚きと戸惑いを伝え、
お二人の親交とアンゲロプス作品をよく理解できると思われたので、
ここに書き留めておくことにします。
「アンゲロプス監督を悼む」 作家 池澤夏樹
長い間ずっと一緒に仕事をしてきた相手を失って、
まだ茫然としている。テオ・アンゲロプスが事故で無くなってしまった。
それがまだ納得できないでいる。
1988年にぼくが芥川賞をもらった時、テオは焦った。
彼の映画の配給元であるフランス映画社の川喜多和子さんが電話で
そう伝えたら、テオは「ナツキにとってはめでたいことだが、
私の映画は日本でこれからどうなるのだ?」と聞いたという。
それまでにぼくは彼の映画の字幕を5本作っていた。最初のきっかけは
現代ギリシャ語という修得者がすくない言語の故だったけれど
(ぼくは1975年から2年半ギリシャで暮らして、ギリシャ語を覚えた。
テオを有名にした「旅芸人の記録」もアテネで公開された時に見ている。)、
この関係はその後もずっと続いた。来日した彼と話して親しくなった。
芥川賞ぐらいでテオの専属字幕製作者の特権を手放しはしない。そう
宣言して今まで更に7本の映画の字幕を作った。
字幕というのは制限の多い特別な種類の翻訳である。俳優が喋るのに
合わせて意味を伝えなければならない。短い台詞は字幕も短くなければ
ならない。
ヨーロッパ語どうしならばまだ楽なのだが、日本語のように文法も
語彙も違う言語だとなかなか難しい。それに観客は画面を見に来て
いるのであって字幕を読みに来ているわけではない。ほんの一瞬で
複雑な内容を伝えなければならない。
ぽんぽんと行き交う会話ならばまだ細工のしようもある。一本に
盛りきれなかった部分を次の台詞に移すこともできる。しかし、
テオ・アンゲロプスの場合、台詞は極端に少ないのだ。
画面が伝えきれなかったことを伝えるための説明的な台詞は
一切ない。長い沈黙の中でぽつりと発せられる一言に盤石の重みがある。
前後に割り振るなどできることではない。
しかもギリシャ語は語尾変化が多様な分だけ省略が可能で、
短いセンテンスのうちにおそろしくたくさんのことが盛り込める。
それをもとに字幕を作るのはまるで短歌が俳句を作るような
言語的アクロバットになる。
テオ・アンゲロプスはまずもって詩人であった。これは比喩ではない。
彼は実際に詩を書いていたし、彼の映画を作っていたのは詩の素材と
構成であり、言葉の代わりに映像を使っているにすぎない。
だからこそ字幕は大切なのだ。
忘れられない台詞がいくつもある。「旅芸人の記録」の中で、
旅回りの一座の座長アガメムノンがナチの銃殺隊の前に引き出される。
「私はイオニアの海から来た。君たちは?」
そう問うたところで撃たれて倒れる。
人は人に出会った時、自分の出自を述べ相手の出自を聞くところから
つきあいを始める。イオニアから難民としてやってきたアガメムノンは
敵の兵士をも人間として遇しようとした。だが返ってきたのは
言葉ではなく銃弾だった。
こんな感動が一作ごとに詰まっていた。それがこの先はもうないと
いうのが現実のこととは思えないのだ。
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