堀江敏幸さんの「象が踏んでも」と並走して、
文庫化された短編小説集「未見坂」を読み始めてしまいました。
堀江さんの視線と登場人物のそれに重なって、
読み手も視線を動かしていくと、
自然にそのシーンが浮かんできます。
物語に入り込みんでいくと、
主人公と同じところで視点がとまったり、
ある部分が気になったり、
そこからある記憶をさかのぼって色々と思い出したり、
と、まるで自分が体験しているかのような気分になってきます。
そういう気持ちの動きは単なる“共感”とも異なるように思えます。
主人公と自分が重なったような感じなのです。
そして物語の終わりにくると、
なんだか泣きたくなってくるのでした。
本当にここで涙を流せば、心がすっきりとするかもしれない。
でも心が固くなっている自分はぼんやりと空を見つめているだけなのです。
2011年7月17日日曜日
「私の中のシャルトル」
「私の中のシャルトル」 二宮正之著 ちくま学芸文庫
十年前ほどに読んだこの本のことを時々思い出します。
恥ずかしながら、正確にはどのような言葉、
文章が記述されていたか覚えていないのですが、
ただ、そこにある思考の奥深さに支えられた静けさが、
一個人の心の中のある一つのスペースを占めています。
久しぶりに取り出してページを繰ってみると、
この文章は確かに読んだとの記憶が蘇ってきました。
ここに書かれている内容は今の自分の生活とは何の関わりもないところにあり、
そのうえはっきりと述べれば、自分の興味の対象でもないのでした。
とはいえ、
エッセイという形式によって、異文化を土台にした思索を辿ることは、
困難な読書ではあるものの、非常に魅力的な光を放つものでもあります。
この本もそういう魅力を感じて読んだのでした。
内容を改めて読むことも必要かもしれないのですが、
この思索という作業が今の自分には最も求めることの一つであり、
それを体現して形を成しているという一つの例として、
大切な本なのでした。
本を広げれば、その著者の世界観に触れることができ、
さらに新たな道を示してくれる、そういう読書が必要な時があります。
著者の二宮正之氏は東大で学び、エコール・ノルマルで学んだ後、
ジュネーブ大学で教鞭を取っておられたそうです。
十年前ほどに読んだこの本のことを時々思い出します。
恥ずかしながら、正確にはどのような言葉、
文章が記述されていたか覚えていないのですが、
ただ、そこにある思考の奥深さに支えられた静けさが、
一個人の心の中のある一つのスペースを占めています。
久しぶりに取り出してページを繰ってみると、
この文章は確かに読んだとの記憶が蘇ってきました。
ここに書かれている内容は今の自分の生活とは何の関わりもないところにあり、
そのうえはっきりと述べれば、自分の興味の対象でもないのでした。
とはいえ、
エッセイという形式によって、異文化を土台にした思索を辿ることは、
困難な読書ではあるものの、非常に魅力的な光を放つものでもあります。
この本もそういう魅力を感じて読んだのでした。
内容を改めて読むことも必要かもしれないのですが、
この思索という作業が今の自分には最も求めることの一つであり、
それを体現して形を成しているという一つの例として、
大切な本なのでした。
本を広げれば、その著者の世界観に触れることができ、
さらに新たな道を示してくれる、そういう読書が必要な時があります。
著者の二宮正之氏は東大で学び、エコール・ノルマルで学んだ後、
ジュネーブ大学で教鞭を取っておられたそうです。
2011年7月13日水曜日
JAMES BLAKE
新聞の音楽評に“ダブステップを消化した陰影の美しい音楽”と
あったので、興味が湧いて聴いてみました。
スローテンポで、和音の美しい、そして複雑なリズム感を持った、
不思議な音楽です。
夜に静かに聴くのがぴったりです。
歌詞が分かればもっと楽しめるのですが。
昨日から、右手の甲の腱鞘炎の痛みに苦しんでいます。
今夜は早く休むことにしましょう。
あったので、興味が湧いて聴いてみました。
スローテンポで、和音の美しい、そして複雑なリズム感を持った、
不思議な音楽です。
夜に静かに聴くのがぴったりです。
歌詞が分かればもっと楽しめるのですが。
昨日から、右手の甲の腱鞘炎の痛みに苦しんでいます。
今夜は早く休むことにしましょう。
2011年7月10日日曜日
「追悼のしおり」その③
“邸宅巡り”はユルスナールの出産を書いた“出産”の章に
続いて、母方の祖先について書かれた章です。
ド・カルティエ一族はリエージュ地方の非常に古い家門、
であったようです。
様々な公職に就いた人々も多かったようです。
18世紀頃についてまでの一族の歴史が数ページに渡って、
割かれていますが、ベルギーというより、
ヨーロッパの歴史に疎い者にはなかなか着いていくのがつらいところです。
著述は少しずつ範囲が狭められていき、
フレマルという18世紀に住まわれていた土地には、
ユルスナールも赴き、現代の姿の哀れさにまで、
話は及んでいきます。
一族の系図を手掛かりにしながら読み進んでいくと、
すぐにわかることなのに、今さらながらわかったのが、
母親の両親はいとこ同士なのです。
そしてその間には10人もの子供がいました。
そのことが詳しく書かれています。
祖父アルチュールと祖母マチルド。
マチルドが毎朝村の教会のミサに出かける場面は、
想像でしょうが、とても美しいシーンです。
スュアルレという場所に母親は10番目の子供として生まれました。
ユルスナールも母の兄弟、叔父たちと会っており、
その記憶が書き込まれています。
詳しい地図と一族の面々の肖像画、写真などがあれば、
どんなに助かるかと思われるほど、
多くの人々が登場し、頭の中は混乱するばかりです。
系図を見れば、ある程度限られていることに気づかされます。
ちょっとマップでも書いて整理してみたい気分です。
そんな山を乗り越えたところ、
祖母マチルドの死でこの章は幕を閉じます。
続いて、母方の祖先について書かれた章です。
ド・カルティエ一族はリエージュ地方の非常に古い家門、
であったようです。
様々な公職に就いた人々も多かったようです。
18世紀頃についてまでの一族の歴史が数ページに渡って、
割かれていますが、ベルギーというより、
ヨーロッパの歴史に疎い者にはなかなか着いていくのがつらいところです。
著述は少しずつ範囲が狭められていき、
フレマルという18世紀に住まわれていた土地には、
ユルスナールも赴き、現代の姿の哀れさにまで、
話は及んでいきます。
一族の系図を手掛かりにしながら読み進んでいくと、
すぐにわかることなのに、今さらながらわかったのが、
母親の両親はいとこ同士なのです。
そしてその間には10人もの子供がいました。
そのことが詳しく書かれています。
祖父アルチュールと祖母マチルド。
マチルドが毎朝村の教会のミサに出かける場面は、
想像でしょうが、とても美しいシーンです。
スュアルレという場所に母親は10番目の子供として生まれました。
ユルスナールも母の兄弟、叔父たちと会っており、
その記憶が書き込まれています。
詳しい地図と一族の面々の肖像画、写真などがあれば、
どんなに助かるかと思われるほど、
多くの人々が登場し、頭の中は混乱するばかりです。
系図を見れば、ある程度限られていることに気づかされます。
ちょっとマップでも書いて整理してみたい気分です。
そんな山を乗り越えたところ、
祖母マチルドの死でこの章は幕を閉じます。
2011年7月9日土曜日
梅雨明け
近畿地方も梅雨明けし、本格的な夏を迎えました。
周りの植物を見ていると、少々おかしな感じがします。
職場の朝顔、葉っぱがほとんどなく、青い花ばかりが咲き乱れています。
そういえば、他所の朝顔も葉が少ないような気がします。
品種のせいでしょうか。
皆様のところはいかがですか?
家の庭の芝生も今年は全く伸びません。
土が目立っていて、青々とした夏の勢いがありません。
メドウセージは盛夏に咲くはずなのに、
梅雨時期から咲き始めました。
ノウゼンカズラもすっかり花盛りです。
と、何気なく見ているだけで詳しいことはわかりませんが、
夏の緑に元気がないのは気になるところです。
周りの植物を見ていると、少々おかしな感じがします。
職場の朝顔、葉っぱがほとんどなく、青い花ばかりが咲き乱れています。
そういえば、他所の朝顔も葉が少ないような気がします。
品種のせいでしょうか。
皆様のところはいかがですか?
家の庭の芝生も今年は全く伸びません。
土が目立っていて、青々とした夏の勢いがありません。
メドウセージは盛夏に咲くはずなのに、
梅雨時期から咲き始めました。
ノウゼンカズラもすっかり花盛りです。
と、何気なく見ているだけで詳しいことはわかりませんが、
夏の緑に元気がないのは気になるところです。
2011年7月6日水曜日
読書いろいろ
ユルスナールの「追悼のしおり」を読むことができずにいます。
集中ができる、まとまった時間がなかなか無いのです。
時間がある時は気分が乗らない。
一応持ち歩いてはいるのですが、
言い訳でごまかしています。
月初なので、恒例のPR雑誌「ちくま」「図書」「波」を
せっせと読んでいました。
今月はどれも読むところが沢山あって、
時間があっという間に過ぎていきます。
それと月に2回だけ発行される朝日新聞の新日曜版「GLOBE」。
これがなかなか視点がグローバルで面白いのです。
ゆっくり、じっくり読みます。
購入してからしばらく置いてあった堀江敏幸さんの「象が踏んでも」を
ようやく読み始めました。
なんだか男性の書いたエッセイが読みたくなったのでした。
一気に読むのはもったいないし、
文字が滑っていきそうなので、
これも少しずつ進めていこうと思います。
集中ができる、まとまった時間がなかなか無いのです。
時間がある時は気分が乗らない。
一応持ち歩いてはいるのですが、
言い訳でごまかしています。
月初なので、恒例のPR雑誌「ちくま」「図書」「波」を
せっせと読んでいました。
今月はどれも読むところが沢山あって、
時間があっという間に過ぎていきます。
それと月に2回だけ発行される朝日新聞の新日曜版「GLOBE」。
これがなかなか視点がグローバルで面白いのです。
ゆっくり、じっくり読みます。
購入してからしばらく置いてあった堀江敏幸さんの「象が踏んでも」を
ようやく読み始めました。
なんだか男性の書いたエッセイが読みたくなったのでした。
一気に読むのはもったいないし、
文字が滑っていきそうなので、
これも少しずつ進めていこうと思います。
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