2015年3月11日水曜日

3月11日

早春の兆しが見え始めた頃にやってきた大震災。
大きな地震の後、
襲ってきた大津波になすすべもなかった。
あれからまだ4年、もう4年。
行方不明の家族を探し続ける人たち、
仮設住宅で不便な暮らしを続ける人たち、
大切な人を失って傷ついた心を癒すことができない人たち。


そして大きな被害を受けた福島原発から、
避難を強いられている人たち、
原発の処理に携わっている人たち。


4年も経っているのに、
大きな展望は確かめることができません。


小さな輪がこつこつと活動しておられ、
人々の心に光を灯すことに心をくだいている人たちも
大勢いらっしゃいます。


大きな事業は国力で多額のお金と人を必要とします。
まだまだやるべきことがたくさんあると思われます。


小さなことでよいから、
何かしなくては、とわずかな寄付などはできるけれど、
もっとしっかりと手助けできることがあればいいのに、
と、自分に問いかけしてはみるものの、
ほんとに何もできない。
被災地の物を購入するくらいしか。


被災地から遠く離れている人たちは、
きっと同じような思いをもっているのではないでしょうか。


あまりに大きな被害です。
私たちの抱える大きな課題を残して、
時間だけが経っていってしまっているような気がします。

2015年3月8日日曜日

何もかもほったらかしで

ひとまず例の本「フィフティ・シェイズ」シリーズを読み終えました。
それから、一気読みの後にありがちな、復習読書をしています。


どうやってアナスタシアはクリスチャンを理解していったか。
どのようにクリスチャンは解放されるに至ったか。


この2点にポイントを置いて読み返しています。


そのような作業も必要無しに、ただ楽しむだけでも十分ですが、
何分性分のゆえ、どのようにこの作品が書かれたのかまで、
気になってきました。


でも、これはあくまでも女性向きの本です。
そういう点では失格。


この本を読んで、勘違いする女性も現れるかもしれません。
はい、決して王子様はやってきません。
恋愛については、否定的です。
クリスチャンみたいな理由ではありませんが。


とても勉強になる部分もあります。
男性は他の星からやってきたのよ。とママがアナに話します。
これは、男性にとっても、同じことが言えるでしょう。
お互いに違いを尊重できればいいのですがね。


私にとってロマンスを味わう本では、
オースティンが最高だと思うのですが、
ま、こういった小説も一つ体験でしょうか。

「献灯使」

「献灯使」 多和田葉子著 講談社


震災後の日本にて読まれるにふさわしい短編がいくつか
並べられています。


「献灯使」
「韋駄天どこまでも」
「不死の島」
「彼岸」
「動物たちのバベル」


表題の「献灯使」は単なるディストピア文学にとどまらないような
気がします。
確かに未来にはこのような日本があるかもしれない。
でも、人間は前に進んでいく力が潜んでいる。
だから、そのままで終わってしまうことはないだろう、
そんな考えを導き出すような作品でした。
多和田さんが『未来小説を書いたのではなく、
現代社会に潜在的に含まれているものを描いたつもりです。』と
おっしゃっているように、“今”を示唆しており、
“現代”を見つめる必要も感じられる小説です。


多和田さんの作品には色々と特色がありますが、
どれも多和田さんらしさが表れています。


個人的に言葉のゲームは苦手としているので、
そのあたりはさらりと読ませていただきました。


全く違う作品ではあるのですが、
小川洋子さんの「密やかな結晶」も、
ディストピア小説のような感覚がありました。
ゆえにラストシーンが嬉しく思われたんですが、
この「献灯使」は明るいラストではありません。
闇は簡単に消えることはありません。
ゆえに現実により近く感じられました。

2015年3月4日水曜日

7時間

暇人でもないのに、
通算7時間も読んでおりました。
例の本の続きです。


学生の頃は本を読んでいないに等しいので、
お恥ずかしい限りです。
一番時間があって、かえって気ままな読書をしていました。
学業のための読書は・・・記憶にありません。


これまでの一番長時間読んだと思うのは、
講談社文庫から出ていた「三銃士」シリーズ13巻。
3日間昼も夜も読みふけりました。
途中で途切れたら、近くにあったリブロへ自転車こいで走って、
数冊買い込んで、また読んでの繰り返し。
自分でもあきれましたが、疲れました。
これに懲りて、トップスピードの長時間読書は避けるようにしています。
やっぱり良い本はじっくり味わいたいものですね。


昨日はお医者さん通院のため、お休みをとっていました。
で、本屋さんに直行して、例の本を買い込んで、
せっせとcafeを梯子しながら読んでいたのでした。
楽しい本を読んでいる時はあっという間ですね。


その例の本は、なかなかのものです。
出来過ぎは別として、単純に楽しいです。
もちろん、嫌いな人もいるでしょう。


この集中読書は少々中毒性がありますから、
次も大作を読みたい気分です。
あれかな?

2015年3月2日月曜日

3月ではありませんか

もう2月が終わったわ・・・と思いながら、
事務所のあちらこちらのカレンダーをめくっていて、
ふと、これは3月が到来した!ということだ!
今さらながら実感したのです。


3月、通称お水取り『修二会』も松明が掲げられるようになり、
ようやく春に近づいた気がします。


今日は一日早めのお雛さん。
この歳で・・・と言われそうですが、
親にとっては、ただ一人の娘で、
いつまでたっても一人前にならない子供のままです。
感謝をこめて飾りをし、
ひなちらしをよばれ、苺のショートケーキでそれらしく。


ますます3月という感じです。


2月は何もしないで終わってしまったので、
この3月はせめてプルースト10巻を読み上げることにしましょうか。
後は残り4冊の読了本のメモをしたためて。


今は松浦寿輝さんの「青天有月」をぽつりぽつり読んでいます。
とても落ち着きます。

2015年3月1日日曜日

クリスマスローズが咲いています

お庭には、少しずつ緑が目につくようになってきました。
今はクリスマスローズの季節です。
白い大きな花をつけています。
ボルドーもあったはずですが、今年は咲かないのかもしれません。


自分でお庭を作るのなら、
また違ったスタイルを目指すところですが、
ここはのんびりと無責任に眺めるお庭です。


あれほどズキズキしていた偏頭痛がとれて、
どよーんとする前頭葉の痛みも無く、
普通に生活できるようになりました。
どこまで続くかわかりませんが、
このまましばらく保てれば嬉しいです。


お勉強をしばらくしていませんが、
そうすると方向が見えなくなりつつあります。
これからのため、何か手がかりになるように、
お勉強をしていこうと思ってはいますが、
心の底では別のことがしたいと言っています。
でもそれは単なる趣味なので、今はそのタイミングとちゃうで、
と自分に言い聞かせています
何のためにお勉強をするのか、
よおく考え直したいと思います。

「バルナブース」に目をとおしてみました

1920年代のパリに憧れ、
NRFという名前を聞くだけで、どきどきしてしまう、
そんな人にはヴァレリー・ラルボーはとっておきの人です。


シェイクスピア&カンパニー書店のシルヴィア・ビーチを助け、
ジョイスの「ユリシーズ」の出版に貢献した人としても知られています。


ラルボーの作品で読んだことがあるのは「幼なごころ」で、
とても気にいっていましたが、「恋人たち、幸せな恋人たち」や
「罰せられざる悪徳・読書」は入手はしたものの、
なぜか読む気になれず、今に至っています。
代表作である「A.O.バルナブース全集」は、長い間その名前に
惹かれていて、いつか読んでみたいと思っていた本です。


ついに岩崎力さんの訳で岩波文庫から出版されたので、
大喜びでありました。


で、その本の知識は何もなく読み出したのではありますが。
何か馴染めない。
ついて行けない。
一ページごとに目を走らせてみても、
ちっとも親しみが感じられない。
すごく捻ったエスプリも苦手だし。
バルナブースが客観的に世界を見て、記述しているのは
わからないことはないけれど、共有できない哀しさよ。
友人との会話も絵空事のようで、
楽しむに至らない。


というわけで、読者失格の烙印を押したのでした。


訳者の岩崎力さんはユルスナールの友人、訳者として
身近に感じられる人ではありますが、
「ヴァルロワまで」というタイトルのエッセイからして、
ラルボーを愛する方なので、友人失格でもあります。


その上、堀江敏幸さんもラルボー好きでおられます。


とても残念な結果に終わり、
もう少し努力をするべきなのか、
悩むところです。