2011年1月30日日曜日

ザック・ジャパン 優勝おめでとう!

やはり日本代表の試合には注目です。
決勝戦はひやひやしましたが、李選手ありがとう!
日本の選手がどんどんうまくなっているのが素人目にもわかるし、
チームワークの良さも日本的でいい面が出ているように思います。
今週はこんな感じでアジア・カップに翻弄されました。

この一月はのっけから頭痛に見舞われ、
お薬を更に増量して、とりあえず安定しています。

そんな中で、なぜか読書が進みました。
読了8冊、漫画8冊、目を通した本2冊と、
冊数はかなりの量になりました。
よかったのは、「フランス的思考」ですね。
インパクトがあったのは、「流跡」です。
明日には読み終えそうな「光の指で触れよ」も、
想像以上に没頭してしまっています。

二月は増量しているお薬を減らしたいところです。
すごく冷たくて、会社の薔薇もダウン気味。
油断せずにもうしばらくの冬をしのぎたいですね。

2011年1月26日水曜日

「海街diary」

「海街diary」 吉田秋生著 小学館

ベテラン吉田秋生のコミックスです。
鎌倉に住む4人姉妹の物語。
長女の幸は看護師でしっかりもの。
次女の佳乃は信用金庫に勤めるOLで酒豪。
三女の千佳はスポーツ用品店に勤める面白い女子。
四女は母親違いで中学生のすず。
このすずとの出会いからお話は始まります。

彼女たちそれぞれの視点から描かれ、
小さな街での出来事が交錯して人生模様が彩られていきます。
なかなか厳しい状況に置かれることが多く、
そのたびに彼女たちが人の機敏を悟っていく様子が綴られます。

ちょっぴりコミカルなつっこみもあったりするので、
くすくす笑いながら、
いい生活、充実した人生を同時に味わっています。

姉妹編というか、先に出ていた「ラヴァーズ・キス」に、
共通の登場人物が現れていて、
こちらもなんとも味わい深いラブ・ストーリーでした。

コミックスにはコミックスの楽しみ方があると、
もっと読みたいものだと思うこの頃でした。

2011年1月23日日曜日

「フランス的思考」

「フランス的思考」 石井洋二郎著 中公新書

石井さんの著作は過去にちくま新書の「パリ」を読んでいました。
ここでパリのモニュメント的な物の歴史を掘り起こしながら、
その存在から派生する事柄、意味するところを読み取っていく見方に
研究方法の面白さを堪能しました。

この「フランス的思考」も読み始めて初めてその意図を知りました。
フランス的な考え方として合理主義という言葉が一般的に語られますが、
この合理主義とはいったいどういうものなのか、
そして古くデカルトにまで遡り、その後のフランスでどのような人物が
どのように新しい思考を構築するようになったか、を
丁寧に考察している本です。

具体的には、サド、フーリエ、ランボー、ブルトン、ジュネ、バルトを
取り上げて、彼らを“野生の思考者たち”と名づけています。
“野生の思考者たち”はいずれも独自の思想と思考を作品として発表し、
後世にまでその影響を及ぼしています。

とても難しい内容ですが、嬉しいことに、
終章で彼らの思考をまとめて、再検討・再思考が行われていて、
一冊で一つの講義のようです。

“野生の思考者たち”の考えはいずれも刺激に満ちていて、
ぼんやりとした思考に冷や水を浴びせさせます。
彼らのように啓示かのような明確な思考はなくとも、
昔から疑問に思っていたこと“普通”とか“一般的”とか“世間”など、
個人的に自分の中にカオスのように混沌とした状態のものたちを
再定義することが自分にもできるかもしれないと、
そんな期待をさせてくれる内容です。

彼らの思考を単に並べてみただけではきっとわかりえないことを
石井先生が読み解くことで、新たな意味が打ち立てられていきます。
そのことも“読み”の難しさと楽しみを教えてくれました。
自力ではとうてい無理なことでした。

もう少し読み込んで、“読み”と“思考”の方法に柔軟性を持たせ、
新しい側面に光を当てるような、充分な思考ができるようになりたいものです。

2011年1月19日水曜日

「流跡」

「流跡」 朝吹真理子著 新潮社

冒頭から圧倒的な筆力に押されてしまいました。
著者は26歳でありながら、もうすでに達観しているかのような面持ち。
国文学を専攻されているからでしょうか、
雰囲気は現代にはなく、江戸時代に遡ったかのようです。
USBメモリとかいう単語も出てきはしますが。

「新潮」1月号に堀江敏幸さんと著者との対談が掲載されていました。
(ドゥ・マゴ文学賞受賞<選考者堀江敏幸>に際する対談)

そこではこの「流跡」を書くきっかけや、小説についての考えなどが
述べられていて、研究の専門が近世歌舞伎であり、作品や思考、
もう一つの嗜好にも影響があることがわかります。
この対談を読むだけでも、今後書かれる作品に期待が寄せられるかと思います。

個人的には、その古風さと現代的感覚が入り混じったところが、
いまひとつ好みではないため、
好きな作品とは言いがたいのが残念です。
今後の活躍が楽しみな作家なので、
注意を払っていきたいと思います。

2011年1月16日日曜日

ニットの帽子

それにしても厳しい寒さですね。
こんな天候の中、センター試験の受験生の方々は、
大変だったかと思います。
お疲れ様でした。

冷え込んで風が強くビュービュー唸っていましたが、
散髪に行ってまいりました。
街中は普通の日曜日と変わらず大勢の人が繰り出しています。

頭が寒いとまた風邪をひいてしまいそうだと思い、
ニット帽を探して回り、運よく、質のよい毛糸のフィット感たっぷりの物を
見つけました。
帰りには早速かぶって、耳まで隠して防寒です。
“あったかーい”、ぬくぬくでした。
とっても快適で、つい会社にもかぶって行ってしまいそうです。

2011年1月12日水曜日

「ゼラニウム」

「ゼラニウム」 堀江敏幸著 中公文庫

第一章で読むのが止まってしまっていた「ゼラニウム」。
それは、その冒頭の一章は死の気配が強く漂っていたため。

気を取り直して第二章から再開です。
“さくらんぼのある家”というのも、
少々陰鬱な気配のする話だったので、
このまま進むのか?と思いきや、
第三章では若々しい女性が現れ、
猫が絡んでユーモラスな雰囲気が出てきました。
第四章はこれまた謎めいた怪しげな人々に
翻弄されてしまいますが、
この主人公“私”は思いもかけない行動に出ます。
第五章はパリに住むなら出会いそうな事件と
年配の人々が日本では考えられない言動を巻き起こすお話。
ラストの章は日本に出入りしている若き女性たちが
自由奔放な生活をおくる場所に思いがけなく巻き込まれてしまった“私”の
不思議な体験話。

いずれも「雪沼」などで接する堀江さんの作品とは違った、
また別の“私”の体験をロードムーヴィーのように描いた作品です。
常に落ち着いている“私”の内面が体験と結びついて、
想像力が膨らみ、常識と呼ばれるものの外側へ放り出され、
読むものは予想外のところに着地するのです。

“私”という人間に親しみを持ちつつ、
思いがけない体験をさせてくれる、
こんな小説読んだことが無い。

単行本で読んだときにはピンとこなかったけれど、
これは堀江さんの持つ多大な引き出しの一つなのでしょう、
恐れ入りました。

いつもの堀江さんの叙情豊かな感性が底辺でしっかりと“私”を支えていて、
堀江さんのファンにはたまらない一冊だと思います。

2011年1月10日月曜日

往馬大社

先週今年2回目の初詣に行ってきました。
往馬大社と書いて、いこまたいしゃと読みます。

奈良県生駒市の南にあり、
こんもりとした森の中、
急な階段を上り詰めると、
大きな社があります。

いつも電車の中から見える森に包まれた神社に
一度行ってみたいと思っていたのでした。

もう人出はなく、
駐車場ではしゃぐ地元の子供たちの声が響いているだけです。
静けさの中、簡単に二礼二拍手一礼をしてお参りを済ませました。
人が少ない分、神様に願いが届くスピードが早そうです。

“終わったね”と同行の人たちと声を掛け合いながら、
そばの焚き火に当たります。
焚き火というのも久しぶりです。

今年初めてのおみくじも引いてみます。
“吉”でした。
まだまだ精進が必要ってことですね。
何気なくお守りを眺めていると、
優しいM課長が自分用のお守りと一緒に、
女性用のものも買ってくださいました。

お守りって今まで持ち歩いたことはないのですが、
なんとなく気持ちが落ち着くように思えて、
bagの中にしまいこみました。

お願いごとはただ一つ。
今年もつつがなく過ごすことができますように。
どうか叶いますように。

2011年1月9日日曜日

2冊読了

お正月休み気分が抜けたと思ったら、
また連休です。
仕事まみれもつらいけれど、
休みぼけも困ります。

とりあえず、2冊読了。

「マイ・アントニーア」 ウィラ・キャザー著 佐藤宏子訳 みすず書房
 19世紀末、アメリカの西部開拓時代にボヘミアからやってきた移民家族。
 そこに目のきれいなアントニーアがいたのです。同じ汽車でやってきた“ぼく”は、
 祖父母の農場で数年を過ごし、アントニーアの家族と近しく
 お付き合いがあったのでした。
 地元で育った“ぼく”は、大学に入るために新しい世界へと旅立ちます。
 それから数十年、アントニーアと再会しますが、
 彼女は変わらず美しい目をしていました。
 
 自然にローラ・I・ワイルダーのことを思い出しますが、ローラより少し後の時代の話です。
 この本には魅力的な女性が数人登場します。どの女性も自分に合った生き方を
 選択し、それを全うしているところは、アメリカという国柄のなせる業でしょうか。

 個人的にはアントニーア自身の魅力をもっと描いて欲しかったと思うのですが、
 全体の構成上を考えれば仕方のないことかもしれません。
 ゆったりと個性的な人々と豊かな自然を描いてあり、
 キャザーの懐の深さを思わせます。


「赤朽葉家の伝説」 桜庭一樹著 創元推理文庫
 千里眼の祖母、漫画家の母を持つ女性、その土地の富豪の一族の女性三代記と
 説明書きがあったら、いったいどんなファンタジーが繰り広げられるのだろうと、
 興味しんしんになってしまいます。
 著者の桜庭一樹さんは読書家としても知られているので、どんな作品を
 書かれるのかと関心がありました。
 昭和の時代から平成にかけての、鳥取の小さな村の製鉄会社の一族のお話で、
 時代背景をうまく反映させてあり、そして個々のエピソードがしっかり絡み合っている
 こと、最後の章はミステリー仕立てになっているなど、大変凝った内容の小説です。
 読み応えがありました。
 一気に一日で読みあげて、ちょっとほっとしたのでありました。
 もともと日本の小説は暗くて苦手なことと、
 近頃生々しい小説はおっかなくなってきたのです。
 読んで納得できることが大切なので、ある程度は仕方がありません。

さて、次は何を読もうかしらん。

2011年1月5日水曜日

寒寒初出

1月4日が初出でありました。
広い建物の中のすみっこにある仕事場に、
たった3人だけの初出でした。
他の部署は真っ暗、
建物は冷え込んでいて、
寒い、寒い、冷える、冷える、
暖房をなんと30℃に設定しても、
なかなか温まりませんでした。

仕事も山盛り。
せっせと山を崩しているうちに、
だんだん疲れてきて、
帰る頃にはぐったり。
夜は早寝してぐっすり休みました。

心配していた薔薇の苗はどうにか無事でした。
ツルバラには赤い新芽が少し見え始めています。
久しぶりにたっぷりお水をあげると、
ミニバラのしょんぼり気味の若葉がしゃんとしました。
よしよしいい子じゃ。大きくなあれ。

2011年1月3日月曜日

1月3日

今日でお正月休みもおしまい。
読書三昧にするつもりでしたが、
そうそう読んでばかりともいかず、
読み上げたのは一冊だけ。

「不完全なレンズで 回想と肖像」 ロベール・ドアノー著 月曜社

堀江敏幸さんの翻訳だということだし、
ドアノーの代表的な作品は知っているし、
ということで、読んでみました。

ドアノーの写真は、
被写体が今にも動きだし、話し始めるような気配を持っていると
いつも感じます。
適切な表現が思いつかないのですが、
被写体がくっきりと浮かび上がり、肉感的な気配を感じさせます。

ドアノーの写真についてのジャック・プレヴェールの言葉。
“きみが<写真を撮る>って動詞を活用するときは、
 いつだってレンズの半過去形でなんだ。”

詩人プレヴェールを被写体とした写真集「ジャック・プレヴェール通り」の
序文の末尾に置かれた一節だそうです。

半過去形とはフランス語の動詞の活用形の一つで、
、堀江さんの言葉では、
“限られた時間の幅のなかでは、完結していない行為”。

その言葉をもってすれば、ドアノーの写真は、
“「過去における現在」である。
 それは、瞬間と持続を同時に体現してしまうもうひとつの魔法なのだ。
 言い換えれば、写真はつねに主観的で、ある意味では偽の証言で
 なければならない、ということだろう。感情がこめられているからこそ、
 それは正しく歪むのである。”

そんな写真を撮る人の文章は、
動画のキャプションのようにリアルで、
ユーモアの溢れる言葉の連なりです。
想像力欠如の人間にはちょっと苦しいくらいでした。
翻訳するのは難しかったに違いありません。
集中して読んでしまうことができたので、
よかったように思います。

言葉のように語る写真って面白い、と
挟み込まれた写真の数々を見ながらページを繰りました。

出足は上々、
今年はどんな本と出合うのでしょう。

2011年1月2日日曜日

「目を見開いて」

「目を見開いて」 ユルスナール・セレクション6 
聞き手 マチュー・ガレー 岩崎力訳 白水社

1971年秋からユルスナールの住む「プティット・プレザンス」を
訪れるようになっていたガレーが数年に渡り対談を行い、
それをまとめたものが本書です。

ユルスナールの幼少期、多大な影響を与えた父、
初期からの作品について、代表作について、
そして社会問題について、作家として、
最後に一人の人間としてユルスナールは思慮深く、明快に、
返答しています。
返答というより、自分の生き方、考えを述べるといった風でしょう。
ユルスナールの思想の全体像が見渡せる重要な内容です。

タイトルの「目を見開いて」は、
『ハドリアヌス帝の回想』の最後の言葉でもあるという、
“目を見開いたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう・・・”
から取られています。
ユルスナールは対談の中でも、
「私としては、意識を完全に保ったまま死にたいと考えています。
 病気の進行が充分に緩慢で、いわば私の死が私のなかに入り込み、
 全体に広がる時間を与えたいのです。」
と述べています。

読んでいる最中にも、考えさせられること、頷かされることが
数多くあり、その感動は小さな文章にまとめることは困難です。

巻末の堀江敏幸さんのエッセーと岩崎力さんの解題も
読みほどく助けになってくれます。

この本はこれからも何回も読むことになるだろう、
そういう重要な本であることは、タイトルからも察せられます。

2011年1月1日土曜日

Bonne Année 2011

寒空の一年の始まりです。
今年は健康第一と宣言したので、
今日からさっそくヨガの真似事を始めてみます。
体がとっても硬いのです。

以前からヨガの真似事をしていますが、
体を伸ばしたりすると確かに気持ちがいいのです。
そして少し体が締ったような感じになります。
ここしばらくしていなかったので、
体がすっかり元に戻ってしまい、年相応のお豚さんに。

メニューを見直して、体をほぐし、
締めないことには、さらにお豚になってしまいます。

続けていけるように、
ちょっぴり楽なメニューでやってみようと思います。

今年は小さなことをゆっくり少しずつ、
そんな一年と考えています。