先日読んだトーマス・マンの「トーニオ」について考えていました。
トーニオが言う“普通の人”って誰だろう。
ハンスやインゲボルグはその象徴として描かれているけれど、
“普通の人”が悩みや苦しみを知らないわけではありません。
そしてトーニオが書いた作品の読者にも多くの“普通の人”がいるのです。
“平凡でいることの幸福に対する憧れ”というのは幻想なのです。
トーニオは“普通の人”と“美の崇拝者”である芸術家の二つの世界に立っている、と
リザヴェータへの手紙に書いていますが、
この言葉の意味を知るのは真の芸術家、才能に溢れる作家たちだけかもしれません。
そのように“普通の人”を定義しているトーマス・マンは、
この作品を書いた時、まだ若かったのでした。
というのも、全くの“普通の人”である当方、
なんだか違和感を感じたのでありました。
もちろん幼い頃には、友達の輪に加われずに悩んだこともよくありました。
返って自分が“普通の人”過ぎて、人の持つ“秘密”を知らないからだろうと、
考えていました。確かに外見だけでなく、神経も能力も体力も鈍かったので。
今に至っても、きっと自分はトーニオの立場には永遠に立つことが無く、
リザヴェータのように、話相手となっただろうと思っています。
機転の利かない、平凡な返事だけしかできないでしょうが。
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