「雪の練習生」 多和田葉子著 新潮文庫
第一章『祖母の退化論』では、
“わたし”元サーカスの花形、そして今は事務職で、
あちらこちらに顔出すお仕事をしている実はホッキョクグマが、
一人称で本を書きはじめ、人気作家となり、亡命を2回、
そして東ドイツに辿りついています。
その時には、伴侶がいて、娘のトスカを授かっています。
“わたし”は人間と同じ思考を持っています。
全く同じで、少々食べ物の嗜好が違うくらい。
でも旧ソ連での暮らしはとても大変そうで、
亡命に至るのは自然の流れにも思われて、
全く違和感なく読むことができました。
とっても真面目な“わたし”。
第二章『死の接吻』では、
娘トスカがサーカスで究極の芸を見せるところから、
始まります。
パートナーは人間のウルズラ。
ウルズラを通してサーカスの生活、トスカとの訓練が
書かれます。人間の視点ということになっているので、
とても人間の独特の体臭のような臭さが伝わります。
そして、彼らはその究極の芸で大成功をおさめます。
実はこの第二章もホッキョクグマのトスカが
ウルズラの伝記を書いているという設定です。
第三章『北極を想う日』
トスカは動物園に送られ、伴侶を得、クヌートを生みます。
この章はクヌートが母から離れ、
人間の手で育てられている状況をクヌートの視点から、
描いてあります。
クヌートは実在したドイツのホッキョクグマでしたね。
きっとこの本に描かれているような感じなのかと、
思えるくらい、リアルに描かかれています。
どうしてホッキョクグマになったら、そういうことを考えるのか?
言葉で表現できる多和田さんに改めて感心してしまいます。
素晴らしい想像力と、表現力です。
ホッキョクグマと思っているけれど、それは多和田さん自身でも
あるでしょう。
人間が考えられるのは、このような人間主体の想像力が、
限界なのだと、考えさせられました。
このような作品の場合、単なる小説では済まないような気もします。
多和田さんは、これまで様々な世界を描いてこられていますが、
いつも何のくびきも無く、軽やかに塀を乗り越えてしまわれます。
そして、視点には必ずご自身がしっかり立っておられるのでした。
小説家として、創造者として、大切なことだと思われます。
『ホッキョクグマを想う日』というあとがきがあると面白いでしょうね。
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