「追悼のしおり」の第3章は
“万古不易の領域を目指す二人の旅人”。
この二人とは、母方の大叔父に該当するといっていいでしょう、
オクターヴ・ピルメとフェルナン・ピルメを指しています。
19世紀に生きたこの兄弟、オクターヴは作家として
5冊の本を発表していたそうです。
フェルナン(通称レモ)は、人道的社会主義者でしたが、
その破滅的ともいえる活動は限界を超え、
自らの命を絶ってしまったとのことです。
この章ではオクターヴを中心に、
その一族についての観察や、
大切な弟レモについて、
その当時のベルギーの裕福な家庭の在り様が
描かれています。
作家としてのオクターブへの言及は殊更厳しいものですが、
ユルスナールはあくまでも距離を縮めようとはしません。
先日の日経新聞にはこの「追悼のしおり」について、
作家の佐藤亜紀氏が書評を執筆されていました。
佐藤氏特有のはっきりとした大胆な口調で述べられた
この本の特徴を読むと、ぼつぼつと読んでいる自分が
少々情けなくなってきます。
この書評について言及しようとしたのは、
オクターブ・ピルメたちについて書かれた章から見え隠れする
ユルスナールの姿をしっかりと捉えられているからです。
引用しましょう。
“弟の自死を自死と書くことさえ自制させる一族の文化こそが、
どこまでもピルメの筆を抑え、その限界を踏み越えることを
不可能にしたと語る時、ユルスナールは来るべき世紀の動乱
を前に消えて行く文化を愛惜しながらも、そうした文化自体
が不可能になった時代に作品を生み出してきた自分自身を
見据えている。”
いかがでしょうか。
この章で少々伸びきってしまった緊張感を取り戻して、
再読せねばなりません。
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