2011年8月24日水曜日

「追悼のしおり」その⑤

「追悼のしおり」も最後の章“フェルナンド”に来ました。

“邸館めぐり”の最後で母マチルドを亡くした8人の子供たちは、
その後ドイツ人のフロイラインに身辺を見てもらいながら、
以前と変わらぬ生活をしていたということです。
しばらくすると姉たちと同じようにフェルナンドも寄宿学校に
入りますが、ある女生徒と知り合いになってから成績が落ち、
「真面目に取り組んでいるとはほとんどいえない」と
報告書に書かれるようになり、父親から家に呼び戻されます。
寄宿学校でどのような日々が送られていたかは、
全て推測の域を越えません。
ただ、その女生徒モニック・Gとは長い付き合いとなるのです。

1890年明けてすぐ、父親アルチュールが亡くなり、
遺言によって財産は既に亡くなっていた兄ガストンを除いた7人の子供たちに
平等に分けられます。
兄たちはほとんどが不動産の財産を運用する能力を持たず、
屋敷のあったスュアルレは売却されて、
子供たちはそれぞれの考えでバラバラに散っていきます。
幼いころから足が悪い姉ジャンヌは、ブリュッセルに家を買い入れ、
フロイラインに家政を任せて余生を送ることを決心していたそうです。
フェルナンドは結婚にふさわしい男性が見つかるまで、
ジャンヌと生活することになります。

フェルナンドは社交界にデビューはしたものの、
適当なお相手は見つからず、
ようやく魅力的な男性と出会ったものの、
相手の気持ちを引き付けるまでには至らず、
傷心を慰めることもあってか、
フロイラインとドイツに旅に出かけるようになります。
旅先でも楽しいことはあったようですが、
よい実りをもたらすことはなかったのでした。
そうしてフェルナンドは28歳を迎えます。

そんな矢先に知り合いから40歳台の立派な風采の教養豊かなフランス人男性を
紹介されます。
知り合いの館で出会ったミシェルとフェルナンドは少しずつ近づいてゆきます。
そしてミシェルはもちろん考えに考え、求婚したのでした。
フェルナンドは色々とためらいますが、ミシェルの一押しにほだされ、
受け入れるのでした。
二人はドイツへ旅行します。フロイラインも一緒です。

この結婚に関し、ミシェルの先妻の16歳の息子は、
のちに物語を書いたようですが、少々皮肉な内容であったようです。
当然のことですが、フェルナンドの結婚によって新しい生活が始まります。
そのあたりをユルスナールはミシェルの視線とフェルナンドの視線を
交えながら旅行のこと、結婚式のこと、母ノエミ、息子プチ・ミシェルのことを
描いて、話は立体的になっていきます。

結婚してからも、二人はグランド・ホテルを巡る旅を続けていたようです。
リヴィエラ、スイス、イタリアの湖水地方、ヴェネツィア、オーストリア、ボヘミア、
ドイツ、プラハ・・・しかしこのような生活は費用がかさむもので、
ある夏を田舎の家、モン=ノワールのことでしょう、で過ごすことになります。

生真面目ではあるが、無気力で、気弱なところのあるフェルナンドは、
度々被写体にもなっているようなので、その姿を見ることはできます。
でも、この章を読む限り、ロマンティストで歴史が好きであったらしいフェルナンドは、
それ以上の何者であったか、全く手掛かりがありません。
ミシェルのお眼鏡にかかったということは一つの大きなことではあることでしょう。
それなのに何故か影の薄い女性であったようなのです。

この章の最後、つまりこの本の最後の一行にユルスナールの顔が描かれ、
この本は一つの環を作って終わりになります。

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