2011年10月30日日曜日

「本の音」を読みつつ

堀江敏幸さんの文庫化された「本の音」を読んでいます。
単行本が出たのが2002年なので少々前の書評がまとめられている本になります。

大半は読んだことのない本で、なかなかわかりづらいところです。
読んでみたい本について書かれていれば、
それはとてもいいアドバイスにもなるのですが。

読んだことのある本については、
読みこめていないところをしっかり指摘されている、
教科書のような趣きでもあります。

先日こちらで“ジュンパ・ラヒリは読んでいてつらくなるので苦手”と
書いたのですが、「停電の夜」について堀江さんは以下のように評しています。

“ラヒリの主人公たちに巣くっているのは、
 アメリカをあたらしい祖国として選んだ移民たちのみならず、
 現代人の誰もが冒された不安の病だとも言えるだろう。
 「病気の通訳」とは、だから登場人物の職業というより、
 作者自身の立場を指し示すものだ。
 相対する他者の病状を通訳するだけでみずから処方箋は出さない、
 慎重で冷静で、なおかつ慈悲深い観察者の位置。
 それが若き才筆の依って立つ、美しい倫理である。”

う~ん。
そうです、そのように言っていただければ、腑に落ちるのでありました。
最近の若手の書き手にはそのような才能に溢れる人が多いようです。
現代における病なので仕方がないのでしょうか。

嗜好の問題もあるかと思います。
野崎歓さんの「フランス小説の扉」の書評では、
野崎さんの「歓び」に満ちた言葉で紹介される作品群とありますが、
そういった歓びや、幸福感に満ち溢れた本を
できることなら辿っていきたいと思うのでありました。

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