3年前に亡くなったサリンジャー。
「ライ麦畑でつかまえて」等の作品を読みこんだ方は多いことでしょう。
そして、これらの作品を発表した後、
隠遁生活に入り、作品が発表されることはありませんでした。
そのサリンジャーの隠遁生活や執筆活動について書かれた本が翻訳されました。
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2013101300006.html
しばらく先には、その後に書かれた作品も発表されるそうです。
基本姿勢が変わっていなければ、
読者だった人々にとっては、朗報です。
そういう私も高校生のころは「フラニーとゾーイー」が宝物でした。
いまでも夕方のNYというと、
「ゾーイー」の浴室のシーンを思い浮かべます。
フラニーの苦しみというか、悩みとは似ているようで、異なりますが、
私も社会に出てから、この世の存在の秩序について悩まされました。
本屋さんを巡って、いろんなジャンルの本を見てまわったり、
ちょっとした年上の人に相談したりしましたが、
なかなか納得できる答えは得られず、
何を信頼して生きていけばいいのか、
とても困った・・・のでした。
そんなある時、ふとひらめいたのです。
この世はゼロだ。と。
問いの立て方が間違っていたのかもしれません。
何もかもわからないまま社会に出てしまったからでしょう。
それから、全力投球を求められる仕事に出会い、
無我夢中で仕事をしているうちに、
悩んだことなど忘れたかのように、
自然に社会の真ん中に立っていました。
生きていること、それが社会の中に生きることなのでした。
これで大丈夫と思ったのですが、
人生そんな甘くはありません。
それから先には、まだまだ山あり谷あり、地獄あり・・・
その話はまた今度いたしましょう。
フラニーがとてもお姉さんに思えたり、
友達のように感じたりした時が、
ずいぶん前のことになることに、
時の流れを痛感させるのでした。
サリンジャーがその後どんな作品を書きついでいったのか、
とても興味のあるところです。
0 件のコメント:
コメントを投稿