先日、新潮社から松浦寿輝さんの小説「名誉と恍惚」が出版されました。
松浦さんは、学者でもあられますが、
書き手としては、詩人としてスタートされています。
後に手掛けられるようになった小説では芥川賞も受賞し、
また、子供向けと言ってよいような作品もあり、
手ごわい研究書はもちろん、多くの本を発表されています。
その中で、私が読めるのは、エッセイだけ。
和むような親しみのあるエッセイではなく、
このような精神が存在するのかと震撼させられるような、
感覚におちいることが多いです。
それでも、わずかな共通項では、共感できるところがあり、
他の人には見られない透徹した思考に導かれるように、
読んでいる、という感じでしょうか。
小説作品の方は、とても男性的な感覚で書かれており、
暗く、湿った感じが苦手で、
読むことはあきらめています。
そこへ今回の歴史を舞台にした大作です。
どんな本なのか、と新潮社の「波」でストーリーをなぞったり、
あれこれと書評に目をとおしているのですが、
どれも、筋書きを中心とした書評ばかりです。
これでは、あまりよくわからない、と思っていました。
この本の存在意義を知りたかったのです。
そこへ、4月29日(土)の日経新聞の書評欄に、
山城むつみさんが取り上げられていたのを読みますと・・・。
舞台設定の分析、本のポジション、
作家の冒険心を見出し、登場人物の描かれ方を分析し、
この本のポジションと照らし合わせて、
この登場人物たちがどのように描かれているか、
非常に客観的に書かれているのです。
この本の特徴をこれにより知ることで、
自分が読むべきか、否か、判断することができます。
このようにすぐれた書評というのは、
本の意義が伝わるものでなければならない、
のではないでしょうか。
今は本の帯から始まり、色々な形、
ネット上も含めての、色々な場所で、
書評がたくさん存在しますが、
自分が知りたいことをよくよく理解していないと、
辿りつけなかったりします。
もちろん、現物にあたってみるのが一番です。
が、書評を読む醍醐味を味わうのも大切かと思います。
なんて、こんな素人の表面読みの私がいうのは、
はなはだおかしなことであり、失礼なことでもありますが、
少し感じたことを書かせていただきました。
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