2010年1月20日水曜日

「明日への回想」

「明日への回想」 菅野昭正著 筑摩書房

1930年生まれのフランス文学者として名高い著者が
青年の頃までを振り返った本です。

旧制の中学三年生の時に
ヴァレリーの「ヴァリエテ」に出会ったとあります。
優れた翻訳であったとはいえ、
そんな若い時にヴァレリーを読むなんてこと、
少々の知力では考えられません。

というわけで、
著者の知的水準が非常に高いところにあったことが
わかります。
そのころに読まれた本は小説だけでなく、
批評、評論にも及んでいたようで、
それは戦後の社会状況に影響されたことが大きかったようです。
とはいえ、幅広い関心、視野がなければ、
気づかずに通りすぎてしまうと思うのです。

学生時、社会の動きに翻弄されて過ごしていた時期にも
心に残る文学作品や映画には触れておられたようです。

東大で中村真一郎さんや森有正さんの講義を受けられていたというのも
いまや伝説として語られるような話です。

森さんの「経験」という命題についての思索は、
その後渡仏されてからの森さんの著書に記されています。

1966年に菅野さんが発表したパリ滞在の感想記についての
森さんの指摘は非常に興味深いところです。
“肝要なことは、彼自身の自我を、彼自身の孤独を生きることである。
 凡ての命名はその後から来るのである。この点について、
 彼の文章は殆ど何も語らない。”
なんという洞察力、意味の深さ。
この森さんの声を菅野さんはしっかりと受け止められています。

森有正さんから多大な影響を受けた辻邦生さんの著作については、
辻的“経験”が多く織り込まれていると指摘されています。
この点、辻作品を読みこなせない者としては、
なんとも痛いところです。

この本を貫いているのは、
戦争体験と戦後社会をどう生きるかというテーマです。
その中で文学の徒としての道を探っているのです。

著者に影響を与えた人としてフランス・ルネサンスの文学者渡辺一夫さんの名も
上がっています。
この方の著書も基本に忠実で、奥深い思想が根底に流れています。
いつか丁寧に読もうと思い、本棚に並べて納めてあります。

菅野さんは謙虚な姿勢を保ちながら、
過去を振り返り、そこから知らされたこと、考えたことを丁寧に記されています。
使われている語彙が少々難しく、読めない漢字もたくさんありましたが、
ちょっとごまかしつつ、読み進めました。
いつの時代も自分の思想的姿勢を崩さず、
指針を見定め、且つ肝要さを失わず生きることが大切なのでした。

菅野さんの翻訳作品にいくつか接することがありましたが、
その中でもミラン・クンデラ「不滅」には
翻訳の困難さを想像させられ、その手腕に喝采したことを思い出します。

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