2014年8月10日日曜日
「イタリアの詩人たち」 エウジェニオ・モンターレ
「イタリアの詩人たち」 須賀敦子著 青土社
エウジェニオ・モンターレ 1896-1981
初めての詩
昼下がりの野菜畑の 妬けつく塀のほとりで
蒼白く呆けて 時の逝くにまかせる
李や茨の茂みで 鶫が舌打ちし
蛇が かさこそと音たてるのを ただ聞いている
罅割れた地面に カラスエンドウのうえに
赤茶けた 蟻の列が連なり
ほんのわずかな 土の起伏にも
ふと崩れ去り また縺れあうのを 窺っている
深く繁った枝のあいだから ずっと遠くに
海の鱗が 動悸うつのを じっと見ていると
禿げた岩山の頂きから
おぼつかない 蝉の軋めきが 立ちのぼる
眩しい太陽の 光のなかを行くと
悲しい驚きに襲われ
いのちと そのつらい営みの すべてを感じとる
尖った壜の破片を埋めこんだ
この石垣の道をたどるあいだに
リヴィエラ海岸にあるモンテ・ロッソで書かれたこの処女作は、
のちに「烏賊の骨」という名の詩集に収められる。
この項で、須賀さんは数を多くの作品を取り上げながら、
モンターレの詩を分析し、批評し、
彼の書く作品がどのように変化していったのか、
細かく書かれています。
須賀さんの評を読みながら、
ああ、そういことか、とどうにか理解に努めるという程度ですが、
ある種閉鎖的、内向的でありながら、
生における一瞬の煌めきや、
この先の未来にむけて視線が向けられていることに、
人間らしさを身近に感じられるような気がします。
でも、難しいです。はい。
モンターレの名を知ったのは、
河島英昭さんのエッセイ「イタリアをめぐる旅想」平凡社ライブラリーでした。
もう20年くらい前のことです。
レ・チンクェ・テッレにひどく憧れて、
地図を探してみたり、イタリアの旅行ガイドを調べてみたりと、
このエッセイを読んで、妄想は膨らむばかりでした。
このようなエッセイを書かれる人が好まれる詩人ならば、
きっと何か感じるところがあるだろうと、
モンターレについても、とても憧れがありました。
でも、難しいです。はい。
今では、ネットで検索すればレ・チンクェ・テッレの地図も出てきますし、
写真で眺めることさえできます。
隠れた名所として、訪れる人も多いようです。
でも、私の心の中には、ずっと昔に河島さんが訪れたイタリアが
そのまま残っています。
なんとなく、自身がその地を訪ねることはないような気がしますが、
それでいいのです。
言葉で再構成された書き手が見た風景、土地、街・・・が
私の中で形成され、彩られることで、いったん終結しているような
気がしています。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿