2014年8月6日水曜日

「イタリアの詩人たち」 ジュゼッペ・ウンガレッティ



「イタリアの詩人たち」 須賀敦子著 青土社


  ジュゼッペ・ウンガレッティ 1888-1970


  「静けさ」 1929


    葡萄は熟した 畑は耕され
    山が つと 雲から離れる
    
    埃っぽい夏の鏡に
    鏡が落ちる
    
    おぼつかない指にはさまれて
    明るく 光っている
    遠くで
    燕たちと いっしょに
    もう これきりの 苦悩が 去っていく


須賀さんによると、
  酷暑の記憶は、しかし、鏡をくもらせ、心には傷が残る。
  ほんとうに燕たちが、なにもかも持ち去ってくれるのなら、どんなにいいだろう。


  滲み出すような悲しみの予感が、かくされた襞に似て、詩人の内面に重なってゆく。
  ペトラルカの透明とレオパルディの深い哀しみが、執拗につきまとい、
  行間を埋める。 
  若いとき、私たちは、自分の人生を選び、友を選び、悲しみの種類までを選ぼうと
  する。そして多くの場合には、それが叶えられたと信じた。しかし、ある日、
  まったく突然に、まるで自分に覚えのない悲しみが襲いかかり、感性も理性も、
  そればかりか、最も平凡な日常の行為までをも、呆けさせてしまうのだ。(P63,64)


この中期の作品には、哀しみの予感のようなものがみられ、
人の心をうつ。
その後、ウンガレッティはさらに悲しみに襲われることとなり、
少しずつ歌われる詩も変化していく。
そして晩年にあっては、幽閉された人物かのような詩を書いている。


とは、私の感想です。
ここまできても、あいかわらず、詩は苦手。
言葉がとても重くのしかかり、とてもつらく感じられます。


それに、形式などに疎いため、詩の持つ価値が今ひとつ理解できません。
ただ、ただ、読んでみて、しっくりくるか、どうか。


須賀さんはウンガレッティで博士論文を書かれておられていて、
どのような内容なのか、少し関心があります、が、
須賀さんは子供のころから、詩を好まれていて、
カトリックの学校で英詩をかなり読み込まれているようですから、
私のような無知にはきっともったいない話でしょう。

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