2015年6月10日水曜日

気まずい読書

「失われた時を求めて」を一年に二冊ずつ読んで数年。
11巻くらいでどうやらこの本を味わうには、
私は未熟であるとようやくわかってきました。


最初のうちは楽しく読んでいたのですが、
観察者の“私”が成熟するにつれ、
世の中がつまらなくなってきました。


現在読んでいる12巻目『見出された時』で、
どのように結びに向かっていくのか、とても気になるところです。
ちょうど第一次世界大戦が終わったところまできました。


十分予習をして読みだしたはずですが、
結構さらりと読んでしまっていまして、
これでいいのか?と不安を感じています。
そして、このまま終結まで進むしかないのか?と
気まずい思いがあります。


想像力が足りませんかね。
有名な固有名詞(画家、哲学者、思想家、作家等)には、
なるべくイメージを膨らませて、と思ってはいるものの、
どうしてか“私”の言葉に左右されてしまいます。


できれば、ちくま文庫版で再読したいと、
希望はしているのですが、
このままだと、イメージダウンで終わってしまうおそれが。


大好きなサン=ルーも亡くなってしまいましたし、
楽しみがあまり見えてこない、あやうい状態です。

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