古い物を片付けていたら出てきましたよ、と
手渡されたパンフレット。
1996年秋期の関西日仏学館の講座のパンフレットでした。
私が通うことになったフランス語講座の教室のところに、
線が引いてある。
そうだ、このパンフレットを取り寄せて通うことにしたのでした。
厚めのクラシックな紙に綺麗に印字されていて、
表紙のデザインといい、とても洒落ていると思います。
きっと今は斬新なデザインなものに変わっていることでしょう。
まだ、関西日仏学館がリニュアルする前のことで、
木々の繁るお庭もあって、寄木細工の床がギシギシと鳴る、
オーソドックスなつくりの建物でした。
そのしばらく前に阪神大震災に遭遇して、
やりたいことをやってみよう、ダメ元だわ、と考えて、
英語も満足にできないのに、フランス語を習うことにしたのです。
習うなら、前から憧れていた京都の日仏学館へ通うべし、と、
週に2回、2時間かけて通い始めました。
場所柄か、京都大学の助手の人や、大学院の人、
その他の大学院の人が中心でしたが、
フリーターもいれば、主婦も、大金持ちの人も、
お嬢様の習い事の人や、フランスへ勉強に行く予定の人など、
様々なジャンルの人が集まり、
とても個性豊かにユニークな顔ぶれでした。
教師もお若く、真面目で、演劇好きなエリック先生。
すぐに皆うちとけて、授業は真剣に、
アフターは集まってランチに、
と、とても楽しい集いでした。
先生も周りの生徒さんも良かったからでしょう、
肝心なフランス語には比較的自然に入っていくことができて、
普通に半年で検定5級、4級まで進みました。
そんな知的な環境に身をおくことは初めてで、
皆の話に興味深々。
一緒に(京大の院で)お勉強しましょう、と誘われたりして、
目を丸くしたりしていました。
それでもフランス語という共通項で結ばれていた私たち、
いつも熱を帯びた授業に集中し、
いくつかの宿題に追われ、
足並みをそろえて学んでいました。
まさに、願っていた環境で、理想的な授業を受けることができたのです。
一年経ったときに、足を引っ張る出来事が起きました。
仕事を受けるように、要請されたのです。
何を考えたのか、仕事を依頼されて喜んだ私、
日仏を止めて、仕事の方を選択してしまいました。
それはそれで、良い勉強になったのではありますが。
というわけで、せっかくフランス語を学ぶことができていたのに、
中途半端に終わってしまったのです。
それ以来、アリアンスへ行ってみたり、
通信教育を受けてみたりと、あがいてはみたものの、
どれも続かず。
あの百万遍の雰囲気が忘れられず、
足かせになっています。
でも、古いパンフレットを手に取って、
やっぱりなんとかして、フランス語の勉強を再スタートさせたいな、と
ぼんやりと考えていました。
人生どこか道を誤っているような気を起こさせる、
日仏での記憶。
あれは、私にとって奇跡の一瞬だったのかもしれません。
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