2015年6月14日日曜日

古いパンフレット

古い物を片付けていたら出てきましたよ、と
手渡されたパンフレット。


1996年秋期の関西日仏学館の講座のパンフレットでした。


私が通うことになったフランス語講座の教室のところに、
線が引いてある。
そうだ、このパンフレットを取り寄せて通うことにしたのでした。


厚めのクラシックな紙に綺麗に印字されていて、
表紙のデザインといい、とても洒落ていると思います。
きっと今は斬新なデザインなものに変わっていることでしょう。
まだ、関西日仏学館がリニュアルする前のことで、
木々の繁るお庭もあって、寄木細工の床がギシギシと鳴る、
オーソドックスなつくりの建物でした。


そのしばらく前に阪神大震災に遭遇して、
やりたいことをやってみよう、ダメ元だわ、と考えて、
英語も満足にできないのに、フランス語を習うことにしたのです。
習うなら、前から憧れていた京都の日仏学館へ通うべし、と、
週に2回、2時間かけて通い始めました。


場所柄か、京都大学の助手の人や、大学院の人、
その他の大学院の人が中心でしたが、
フリーターもいれば、主婦も、大金持ちの人も、
お嬢様の習い事の人や、フランスへ勉強に行く予定の人など、
様々なジャンルの人が集まり、
とても個性豊かにユニークな顔ぶれでした。


教師もお若く、真面目で、演劇好きなエリック先生。


すぐに皆うちとけて、授業は真剣に、
アフターは集まってランチに、
と、とても楽しい集いでした。


先生も周りの生徒さんも良かったからでしょう、
肝心なフランス語には比較的自然に入っていくことができて、
普通に半年で検定5級、4級まで進みました。


そんな知的な環境に身をおくことは初めてで、
皆の話に興味深々。
一緒に(京大の院で)お勉強しましょう、と誘われたりして、
目を丸くしたりしていました。
それでもフランス語という共通項で結ばれていた私たち、
いつも熱を帯びた授業に集中し、
いくつかの宿題に追われ、
足並みをそろえて学んでいました。
まさに、願っていた環境で、理想的な授業を受けることができたのです。


一年経ったときに、足を引っ張る出来事が起きました。
仕事を受けるように、要請されたのです。
何を考えたのか、仕事を依頼されて喜んだ私、
日仏を止めて、仕事の方を選択してしまいました。
それはそれで、良い勉強になったのではありますが。


というわけで、せっかくフランス語を学ぶことができていたのに、
中途半端に終わってしまったのです。
それ以来、アリアンスへ行ってみたり、
通信教育を受けてみたりと、あがいてはみたものの、
どれも続かず。
あの百万遍の雰囲気が忘れられず、
足かせになっています。


でも、古いパンフレットを手に取って、
やっぱりなんとかして、フランス語の勉強を再スタートさせたいな、と
ぼんやりと考えていました。
人生どこか道を誤っているような気を起こさせる、
日仏での記憶。
あれは、私にとって奇跡の一瞬だったのかもしれません。

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