二つ目のエッセイは「歴史小説における口調と言葉」小倉孝誠訳 です。
読み出して、なんでこんなに難解な表現なんだろう、と戸惑いました。
一度通読しただけでは、やはり混乱してしまいました。
で、再度、じっくり読んでみます。
発話の表現について、小説ではどのように書かれてきたのか。
また文学において、どのような意味合いがあったか。
まず、ユルスナールは考察しています。
そう言われてみれば、翻訳小説を読んでいるのでなお更なのか、
あまり考えてみたことが無いことでした。
ところが、ユルスナールの言うようにこれは大変重要なことなのです。
「ハドリアヌス帝の回想」を丁寧に読んでいないので、
この作品についての表現方法については、
ユルスナールの考えをなぞるだけです。
「黒の過程」についても、様々な努力と工夫があったようです。
ユルスナールはこの作品の舞台が16世紀であることを十分に考慮し、
その中で生きている者たちに矛盾が無いよう細心の注意を払っています。
確かに「再洗礼派」や「カトリック」などの宗派についての標記は一様でなく、
読書中にも、きっと意味があるのだろうと、確認しながらページを繰りましたが、
ここまでの配慮があるとは、奥が深いです。
このエッセイの中で述べられていることは、
もう研究の対象に近いように思われますが、
書くことの困難さだけでなく、
愉楽に満ちた感覚を伴っているようにも感じられます。
ユルスナールの表記表現における工夫を考慮しつつ再読すること、
ますます、読む楽しみが増えました。
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