“chef-d'oeuvre”とは“傑作”という意味に使われるフランス語です。
(スペルの表記については難がありますので、後で修正いたします)
「一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ」 堀江敏幸著 中公文庫
を読んでいると“存在の明るみに向かって”という章に行き当たりました。
この章でこの“chef-d'oeuvre”について、堀江さんはこう語ります。
・・・chef-d'oeuvreがアノニムな達成であると同時に、
ひとりの職人の人生を左右する、血の通った渾身の仕事だと
教えられた。・・・それが《天の奥に秘められている「存在の明るみ」》
をめざしての、厳しい仕事と直結した日々の実践にほかならず、
真の創作家はその明るみに導かれてより高次の明るみをめざし、
「いつしか生成の根源に分け入って」、「もはや批評家だの、公衆だの、
行き先などは問題ではない」地平に達することを示した、これほど
明確な定義はなかったのである。問題は行き先ではなく方位であり、
方角なのだ。・・・
堀江さんは宇佐見英治の「傑作について」という文書から、
学んだのでした。そして、堀江さんを基点にして、
“chef-d'oeuvre”という言葉が指し示す方角を探し求めている人々が、
自らの意識を明確にできるようになっていくと思われます。
「存在の明るみ」とはなんとも美しい言葉でしょう。
そこに達することはできなくても、
その方角に向かって歩いていく努力はできるかもしれません。
その方角を見定めることも難しいことです。
誰しもが可能なことではないでしょう。
せめて、心の持ちようは明るい方を向いていたいものです。
“chef-d'oeuvre”という言葉が、
自らの仕事の道筋を見出してゆけるきっかけになればと、
道端でぼやぼやしているところに、
声をかけられたような気がしています。
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