2009年8月31日月曜日

アートとしての服~アルベール・エルバス

「HighFashion」最新号を買いました。
ここで見られる服は、
実際に着る服ではなく、
アートとして見ています。
残念ながら着ることはできなくても、
写真だけでも堪能できます。

注目しているクリエーターが何人かいます。
2001年からランバンのレディスを担当している
アルベール・エルバスは、
毎回目を喜ばせてくれます。

優美なフォルム、
細かいディティールに、
繊細さが宿っています。
柔らかなドレープも、
心をくすぐります。
布地の断ちっぱなしや、
時折見せる大胆な素材使いが
アクセントとなって、
現代性を取り込む要素となっています。

ここではしっとりとした赤いコートドレスを
細いベルトでウエストマークしています。
素材のアイデアとそれを活かしたシルエットが
絶妙です。

ファッションの専門的なことは
全くわかりませんが、
美しいモデルが、
ある衣装を身に纏い、
デコレーションされて、
一つの作品として写真に映し出されるを見ていると、
ここまで美しくなるものか、と
不思議な感覚に襲われます。

エルバスは、女性を艶かしく美しく見せてくれる
ファッションの原点に立ち戻ったデザイナーの一人だと
思います。

2009年8月30日日曜日

選挙投票日

今日は衆議院総選挙の投票日でした。
今回ほど、一人一票の積み重ねが反映されたと感じられることは
なかったのではないでしょうか。
投票者がその意義を理解し、
立候補者がその意味を理解する、
大切な選挙だったと思われます。
全てが一度に変化することはありませんが、
国政の重要さを認識して、
個人が夢を抱くことが可能な社会の構築に
期待をこめて、投票しました。

2009年8月29日土曜日

とんぼの本の新刊に

新潮社のPR誌「波」に目をとおしていると、
来月25日に《とんぼの本》「須賀敦子が歩いた道」が
出版されるとありました。
これまで新潮社の雑誌で特集されたものなどが
ベースになっているのかと思いますが、
須賀さんに関することが、写真を添えた本になるのは、
とても嬉しいことで、待ち遠しいです。

須賀さんの作品を読んだり、
没後に特集されたりしたものを見たり、
年譜を辿ったり、
写真を眺めたりしながら、
“須賀さんの歩いた道”を
なぞっています。
少しでもいいから、
須賀さんの生き方に基づく精神や考えを
理解できることを願って。

2009年8月28日金曜日

「黄金の月」

“ 僕の情熱はいまや
 流したはずの涙より
 冷たくなってしまった
 どんな人よりうまく
 自分を偽れる力を持ってしまった

 大事な言葉を何度も言おうとして
 すいこむ息は胸の途中でつかえた
 どんな言葉で君に伝えればいい
 吐き出す声はいつも途中で途切れた

 知らない間に僕らは
 真夏の午後を通り過ぎ
 闇を背負ってしまった
 その薄明かりの中で
 手探りだけで
 何もかもうまくやろうとしてきた

 君の願いと僕の嘘を合わせて
 6月の夜 永遠を誓うキスをしよう
 そして夜空に黄金の月を描こう
 僕にできるだけの光を集めて
 光を集めて

 僕の未来に光などなくても、
 誰かが僕のことをどこかで笑っていても
 君の明日が醜くゆがんでいても、
 僕らが二度と純粋を手にいれられなくても

 夜空に光る黄金の月などなくても”

1997年の春に発表された
スガシカオの「黄金の月」です。
複雑なメロディーと、
シンプルでいて渋いサウンドに乗って
この歌詞が胸に響きます。

スガシカオの初期の頃の歌を
よく聴きます。
じんわりと沁みて、
時々、泣けてきます。

2009年8月27日木曜日

ひぐらし

遠くでひぐらしが鳴いていました。
高い空に響きわたるように、
精一杯トーンの高い、大きな声(?)で。

かなかなかな・・・

短かった夏も終わりです。
天気予報では、
残暑が厳しいとのことですが、
空気は少しずつ秋めいてきています。

2009年8月26日水曜日

「大使たち」

「大使たち」 ヘンリー・ジェイムズ著 青木次生訳 岩波文庫

ヘンリー・ジェイムズを読む醍醐味は、
一つ一つの場面、一言一言の会話に潜む意味を
考えながら読み進めるところにあるでしょう。
漠然と読んでしまうと、
何を書いているのか迷宮入りになってしまいますが、
注意を払っていると、
わからずにいたことがさりげなく記してあったり、
人間関係についても配置を頭に入れておくことで、
それぞれが持つ重要性が判明したりします。

ジェイムズ後期の三大作品、
「鳩の翼」「金色の盃」に続いて、
ようやくこの「大使たち」にたどり着きましたが、
この作品が一番楽しく読めました。
それは、たぶん「鳩の翼」は悲しみを避けられず、
「金色の盃」は人間関係の複雑さに納得できなかったことも含め、
「大使たち」は喜びと決断が重要な鍵となっているからだと
考えています。
簡単に言ってしまえば、前向きな要素が基本だからでしょうか。

登場人物は、主人公ストレザーを始め、
老若男女、魅力的な人物が周りを行き来します。
意味ありげな会話も大切なポイントです。
こういったカーブやスライダーなど変化球で
会話が成り立つことが、直接的な現代人からみると、
思わせぶりで、興味深いところです。

小説の持つ多大な要素を十分に持ち、
巧みに話しを組み立て、
味わいのある内容に仕立ててあるこの作品は
小説好きの多くの人と楽しみを分かち合えるように思います。

2009年8月25日火曜日

空時間があったので

空時間があったので、
またしても、なじみの本屋さんへ向かいました。

今日は買うものはないはずでしたが、
シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」 春秋社 
のハードカバーが出ていたので、
この方が読みやすそうだと決心。

ならば、小沼丹 「村のエトランジェ」 講談社文芸文庫
も買っておくべし。

オドレイ・トトウが目配せしている
エドモンド・シャルル=ルー 「ココ・アヴァン・シャネル」 ハヤカワ文庫
シャネルについて知る必要があるかどうかは別として、
タイトルも気になるし、これも入れておこう。

おまけに 「ナチュラルインテリアの家に暮らしたい」 主婦の友社
宝くじが当たって、家を建てるときの参考に。

まったく、ストレス解消のための衝動買いでした。

2009年8月24日月曜日

「黒いハンカチ」

「黒いハンカチ」 小沼丹著 創元推理文庫

読んじゃいました、「黒いハンカチ」。
ニシ・アズマ女史の小柄で愛嬌のある顔立ちが、
なんともユーモラスで、
つつましげなのに、行動力もあり、
赤いロイド眼鏡をかけ、
“みなが見過ごしている些細なことがらに眼をとめて、
かすかな違和感を胸のうちに収め”、(堀江敏幸さんによる)
次々と難問を解決していきます。

始めのうちは少々退屈に感じたのですが、
読むうちに、時代を遡ることができて、
昭和30年代ごろの淑やかな女性たちの登場する
ノスタルジックな雰囲気を楽しむことができるようになりました。
ニシ・アズマ女史ともう少しで仲良くなれそうなところで、
終わりがきて、ちょっと残念です。

ニシ・アズマ女史の東屋は校舎の3階、
屋根裏のそのちっぽけな窓から遠くに海がみえる、とあります。
かつて、同じように窓から遠く、
海がきらきらと光って見える部屋に住んでいたことがありました。
懐かしいその頃のことを思い出して、なおさら親しみを覚えます。
哀しみを想う気持ちこそ違うけれども。

小沼丹の長編「風光る丘」を読みきれなかったことがあり、
少々心配だったのですが、
これで大丈夫、
「村のエトランジェ」も読んでみたいと思います。

2009年8月23日日曜日

「ブッデンブローク家の人びと」

「ブッデンブローク家の人びと」 トーマス・マン著 望月一恵訳 岩波文庫

“トーマス・マンの作品のすべてには、海のざわめき、海のどよめきが聞こえ、・・・”と
訳者解説にあります。
この作品では具体的にトラーヴェ川の河口に広がる、トラーヴェミュンデという海岸が
たびたび登場します。
ブッデンブローグ家四代のお話の中で、最も幸福な一時代、
トラーヴェミュンデを訪ねたトーニの爽やかな青春の日々のあたりを読んでいると、
夏の日の海辺に立っているような気分になります。
ただ、トーマス・マンは容赦なくトーニに厳しい選択をさせることになりますが。

リューベックとトラーヴェミュンデに行ってみたい。
この小説を読んだ人はそう思うでしょう。
この小説のモデルとなったところを実際肌で感じてみたい。
それほど、この小説は描写的でドラマチックです。

デカダンスの香りの漂う、ユーモアもぴりりと効いた、
律儀さを感じられるこの作品を読み、
小説という形態の本を楽しむようになりました。
そういう意味で記念碑的な一冊です。

2009年8月22日土曜日

「黒いハンカチ」を買いに

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」を読んでいて、
小沼丹「黒いハンカチ」が、
ある本屋さんで平積みされていたのを、
ふと思い出して、買いに行きました。

そのほかに、
欲しいと思いながらも、店頭では見つからない、
いつかamazonで買うことにしようか、
などと、入手を保留にしていた本がありました。
現物を見ると、ついついその気になってしまいます。

というわけで、
今回購入したのは、
以下の4冊。

「黒いハンカチ」 小沼丹著 創元推理文庫
「デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか?」 ヤン・アンドレア著 河出書房新社
「マルグリット・デュラス」 クリスティアーヌ・ブロ=ラバレール著 国文社
「イタリア・ユダヤ人の風景」 河島英昭著 岩波書店

読むのが追いつきません。

2009年8月21日金曜日

「めぐりくる夏の日に」

「めぐりくる夏の日に」 河島英昭著 岩波書店

「イタリアをめぐる旅想」で河島さんと出会ったものの、
河島さんについてほとんど知らないままでした。

どうしてイタリア文学と巡り合ったのか、
どうやって河島さんのストイックなスタイルが出来上がったのか、
どうしたら洞察力を持って秘密に辿り着くことができるのか、
疑問を持ちつつも、これは
謎めいたまま置いておく方がよいのだろうと思っていました。

思いがけなく、日経新聞夕刊に連載されているプロムナードに
河島さんが執筆されて、他のエッセイとまとまって一冊の本になったのが、
この本です。

初めて知った河島さんのルーツともいえる、
大森での幼少期、
北上川のほとりでの疎開時代の印象的な出来事。
いくつかのエピソードを辿るうち、
幼い時より深く考えをめぐらせる人であったことが察せられます。

深い思考力のある人が戦争時をどのように過ごしていたのか、
戦争を知らない世代には、想像を絶するものがあると思われます。
戦争を体験したということと、
疎開によって、異文化ともいえる環境で過ごしたことが、
河島さんを読み解くの鍵のいくつかであるように思えます。

あまり知られていなかった事実として、
戦時中のイタリアにおけるユダヤ系知識人たちは
どのように生きたか。

でも謎はまだ残っています。
イタリアの豊かさを知ったきっかけはどこにあるのでしょうか。
河島さんとイタリアとの結びつきによって、
読者はより豊穣な文化と接することができるのです。

惰性と自己愛による言い訳を述べるより、
手元にあるこの2冊をしっかり読み解くことが必要でしょう。
「イタリア・ユダヤ人の風景」も落ち着いて広げてみることにします。

2009年8月20日木曜日

古書店にてお買い物

よく覗く古書店があります。
このたび購入したのは、

「海景幻想」 中村真一郎著 新潮社
「ヘンリー・ジェイムズ」 青木次生著 芳賀書店

中村真一郎さんの本を少しずつ集めています。
今回も美本で、初版で、お手ごろ価格。

ヘンリー・ジェイムズは訳者の青木さんの本なので、
是非、目を通しておこうと思いました。

古書店で注意してチェックしているのが、
この中村さんと、
清岡卓行さんの本です。
後、文庫しか持っていなくて、
ハードカバーが欲しいと思っている本。

このよくお世話になる古書店では、
流通ピッチが良いのでしょうか、
3ヶ月に一度くらいしか行かないのですが、
たびたび邂逅があります。

欲しい欲しいとあせっているよりも、
時間に身をゆだねて待っていたら、
いつか手に入るのものだと、思うようになりました。
(何でもというわけではありませんが)

古書店というのは、
そんな夢を叶えてくれるところですね。

2009年8月19日水曜日

一ヶ月が経ちました

このブログを始めて一ヶ月が経ちました。
立ち寄る人も無く、
独りひそかに、
誰に宛てるということもなく、
細々とまずい文章を綴っています。

問題は本について書くときです。
心に残っている本で、
比較的最近読んだもの、
他の話題に関連しているもの、
などと考えながら選んではいるものの、
再読に時間がかかってしまうことが、
悩みです。
目を通してみると、
思いがけない発見があって、
論点がずれてしまいそうなことも多く、
いきなりテーマを変えざるを得ないことがあります。

毎日書くのをあきらめて、
じっくり書くことにしようか、
迷っているところです。
日記というからには、
毎日、せめて2,3日おきが
原則だと思うのですが、
思うようにいかないこともあるかもしれません。

2009年8月18日火曜日

下鴨納涼古本まつり

「京都古書研究会」が主催している「京の三大古本まつり」の一つ、
「下鴨納涼古本まつり」に出かけたことがあります。

ちょうど、お盆の時期に、
下鴨神社の南、糺の森で行われます。

京都市バスでとことこ揺られ、
閑静な住宅街の中、「糺の森」で降りて、
汗をぬぐいながら、歩いて数分。
土の匂いと、木の香りと、そよ風に乗って
古本のなんとも複雑な匂いが待っていました。

要領が分からずに端から覗いていくと、
うわっ「フィンランド駅で」がこの値段!
哲学系の本もきれいな状態で次々出てくる!
文庫までじっくり見ていたら、日が暮れてしまう!
さすが80万冊以上といわれるだけあります。

その日はもう書店では見られなくなっていた古典全集の一冊
「土佐日記」を探すつもりだったので、
古典文学系のありそうな怪しい気配のするお店を覗き込み、
それに絞り込むことにしました。

図書館で借りたその本は大きめで、
ページの真ん中に大きい活字で本文、
上段に小さい活字で解説、
下段にも小さい活字で現代語訳とあり、
ゆったりとしたレイアウトで組んであり、
装丁もしっかりとしていて、
忘れられない本だったのです。

幸いにもあっさりとその本は見つかり、
状態もとてもよく、お値段も格安、
待っていてくれたとばかり、
手に入れた本を抱きしめて店を出ました。

なぜだか、人出はそこそこで、
あまり混雑しておらず、
こちらは希望通りで、気持ちは晴れやか、
あちらこちらを冷やかしながら、
南に下り、森を出ました。

暑さにめげなければ、
毎年行きたいところですが、
少々気合が必要でしょうか。
でも、本好きには堪らない催しです。

2009年8月17日月曜日

orvalとmalheur12

orvalには目がありません。
初めて飲んだ時、
フルーティな香りと味わい深さに、
こんなに美味しいビールがあるのかと、
驚きました。

なので、ベルギービールを飲めるお店に行ったら、
orval!!!と叫びます。

下戸なので、
2杯くらいしか飲めません。
では2杯目は、何にしようかと迷っていたら、
malheur12を勧められたので、
それに決まり。

これも、とても風味豊かで、
美味しい!!!

久しぶりのムール貝のビール蒸しも美味しいし、
ビールにはソーセージは欠かせないし、
しっかりパンも頼んで、
すっかりテンションの上がった夜でした。

2009年8月16日日曜日

「イタリアをめぐる旅想」

「イタリアをめぐる旅想」 河島英昭著 平凡社ライブラリー

旅へ出るときは必ず鞄の中にしのばせておく本です。
そして、飛行機や列車で、
しばらくの時間すっぽりと河島さんの旅に同行するのです。

冒頭にあるローマへの再訪は、
これまで勝手に思い描いていたローマとは大変違っていたので、
少々戸惑いつつ、後を付いてゆきます。
その後 「ローマ散策」 岩波新書 で、
河島さんが伝えようとするローマの姿を
捉えなおすことができましたが。

トリノでは、
宿泊先がパヴェーゼの亡くなったホテル。
ここで、河島さんのパヴェーゼに寄せる想いを知らされ、
しかし、詳しいことが述べられていないだけに、
どう振舞っていいのか、宙吊り感覚に陥ってしまいました。
繰り返し読むたびにパヴェーゼの影が少しずつ浮かび上がってきます。

最も好きなのは、
レ・チンクェ・テッレとモンテ・ロッソについて書かれた章です。
海、静寂、夜、夜明け、潮騒、陽射し、猫、小さなホテル、辞書と原稿用紙、
好きな表現ばかりが連なっています。
モンターレのことも少し知ることができました。
このレ・チンクェ・テッレ、最近は画像などでも見られるようになりましたが、
自分の足で一度訪れたいと願っています。

トスカーナ地方、サルディーニャ、クールマイユール、
どこへ行っても、河島さんは落ち着いた視線と思考を持ち、
必ず自分自身との対話を行っています。
“異国に呼吸して、絶えず迫られるおのれの感覚の修正、
おのれの周辺を取り巻く感覚的断層の確認、
そしてそれに拮抗すべき自分自身の感覚的思考”に裏付けられた、
言葉を読むことができることを、感謝しています。

この本では、そのときの河島さんの心理と、
河島さんが語ろうとすること以外は、
知ることができません。
そのことに上記の理由からか、
河島さんはかなり注意を払っておられます。
そういったより私的な“旅想”であることに、
一方的ではありますが、親しみを感じられることが嬉しくて、
またこの本を手にすることになるのです。

2009年8月15日土曜日

「美しい夏」

「美しい夏」 チェーザレ・パヴェーゼ著 河島英昭訳 岩波文庫

長い間この「美しい夏」を読みたいと思っていました。
タイトルの美しさなのか、パヴェーゼという名前の響きなのか、
この本を好きだと言ったミュージシャンのせいか、
額装された絵のように、この本のタイトルは胸の奥に残されていました。

河島英昭さんが、パヴェーゼに大変思いを寄せておられるのを知ってから、
なおさらその思いは強くなり、
ようやく、河島さんの訳で読めることができました。

まずパヴェーゼの表現方法が気になります。
夏のことを“あの”として既に去った出来事としていること。
“あの”夏は特別な夏であったのです。

そして、ジーニアとアメーリア。
ジーニアはアメーリアであり、またその逆でもあること。
読者はジーニアでもあり、アメーリアでもあること。
それは女性であれば、それもある程度年齢のいった者であればなおさら、
強く感じることができると思われます。

自分自身のことを理解しながら、
夏を過ごし、その後の雪の時期を越えてゆく、
そういうジーニアには、単に物語として終わりを迎えて欲しくないと
強く思います。

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」に
〔きみは、夏じゃないんだ〕というタイトルでこの本が紹介されています。
この言葉を書き付けたとき、
パヴェーゼは、どう感じていたのだろうかと、
その後、自分の書いたその言葉を乗り越えることはできなかったのだろうかと、
遠い存在のその人のことを考え、
心が落ち着かない状態です。

2009年8月14日金曜日

「彼女のいる背表紙」

「彼女のいる背表紙」 堀江敏幸著 マガジンハウス

まず、タイトルに惹かれます。
女性のこと、本のことが書かれているとすぐに察せられます。
さて、どんな背表紙が並んでいるのか、
目次と索引をチェックしてから、本文へと入ります。

一冊目はサガン「私自身のための優しい回想」。
サガンの個性を見抜いた文章に唸らされ、
すぐにでも読みたいところですが、今は絶版だそうです。

と、いう具合に、次々と本が紹介されて、
目が回りそうなので、休み休み読み進めます。
アメリカの作家の次には、ドイツの作家、
次はフランス、イタリア、ロシア、モンゴル、エトセトラ、エトセトラ、
もちろん日本も含め、
数多くの世界を覗き込むことになりました。

雑誌の連載であったためでしょうが、
短い文章にまとめられていて、
そこに、
堀江さんのエッセンスが振りかけられています。
本によっては、
もっとじっくり読みたいと思わせるのに、
切り上げられてしまっているように感じるところもあります。

この本は読んだことがある、と思っていても、
堀江さんの視点はまた違ったところにあって、
その違いがまた興味深かったりします。

堀江さんの読みを参考に、
ここから新しい出会いがありそうな予感がします。

2009年8月13日木曜日

Burdigara

ブルディガラ、大好きなパン屋さんです。

ブリーとハムを挟んだカスクートは、
外側もしっかり焼けて、端っこまで粉の味が美味しく、
きのこのキッシュは、側がバター風味たっぷりで、
これだけでも十分なはずですが、
締めに甘いコンヴェルサシオン、
アーモンド・ペーストにりんごのスライスが満載の
贅沢なおやつをいただきました。

オーソドックスなパンが主体なので、
できれば食事に合わせるための、お持ち帰りがいいですね。

最近美味しいパン屋さんが多くなって、
幸せです。

2009年8月12日水曜日

“Dialogue avec mon Jardinier”

ジャン・ベッケル監督(ジャック・ベッケルの息子)の
「画家と庭師とカンパーニュ」を観ました。

主演は画家役にダニエル・オートゥイユ、
庭師にジャン=ピエール・ダルッサン、
この二人が友情を深めていく話です。
小学校の同級生だった二人が再会し、
少しずつそれぞれの現在の状況を知るようになります。
菜園を作るという一つの目標をもって、
お互いの仕事に敬意を払いつつ、
二人が次第に理解し合っていくことを軸に、
話は進展していきます。

こういった、人とある一定の距離感を保つのは大切だけども、
実現するのは、なかなか難しいものだと思います。
ここでは、さりげなく大人の人間関係を描いて、
温かみの残る作品となっていました。

そういえば、
ダニエル・オートゥイユは、
パトリス・ルコント監督の「ぼくの大切なともだち」でも
似たタイプの役柄でした。
ちょっとルコントの方は、
作品そのものが作為的な感じを受けましたが。

久しぶりに映画を観て、
読書とは違った楽しみを堪能できました。
もう少し頻繁に観ることができるといいのですが。

2009年8月11日火曜日

白いアサガオ

よく目にするところに、
白い大きなアサガオが咲いています。
それはそれはとても大きく、固く、肉厚で、
思わず覗き込むと、
大きな白い口に緑がかった喉元がぐっと深く、
飲み込まれていくような感覚におちいります。

これを見て思い出したのが、
ジョージア・オキーフの「チョウセンアサガオ」。
色具合と、迫ってくる感じがよく似ています。
それ以上の想像力はないので、
オキーフが描こうとしたらしいことまでは、
連想できませんが、
生々しさは全く同じといえるでしょう。

漠然とオキーフの色の美しさを愛でて、
きれいだなぁと思っていた以上の、
リアリティを重ねて感じました。

2009年8月10日月曜日

「のだめカンタービレ」

今日は「のだめカンタービレ」22巻の発売日でした。
もう説明の必要がないくらい人気のある漫画ですね。
今回はどのような展開になるのか、大変待ちわびていたので、
速攻読み×2回を繰り返し、ほっとしています。

この漫画の魅力はストーリー、ネタ、キャラクターと
色々とあり、人の数だけ読み方があると思います。
絵の中から音楽が流れ出すように感じられるところも
大きな魅力の一つですね。

ピアノを習って十数年目のことでした。
グレン・グールドの音に慄いた頃です。
せめて一音だけでもと、
ピアノの蓋を開けて、
ドの音を鳴らしてみました。
ゆっくりと、
丁寧に、
何回もタッチしてみました。
でも、いくら鳴らしてみても、
間の抜けた音しか鳴りません。

音楽が遠いことを知らされて、
ピアノから、少しずつ遠ざかってしまいました。
音楽というものが、どういうものなのか、
楽器を弾くことがどういうことなのか、
また、何が必要なのか、
何一つわかっていなかった頃の話です。

ピアノの音を聴くたびに
複雑な思いがありましたが、
のだめの弾くピアノの音は、
憧れの音色なのです。

透き通った、人の心に届く音で、
自分の全てを投入にして、メロディーを奏でる 、
のだめは心をまっさらにしてくれる、
そう感じながら、
今、読んでいます。

2009年8月9日日曜日

日曜日の新聞

日曜日は各新聞に書評のページがあるので、
とても楽しみにしています。
ネットでもチェックできますが、
新聞紙をがさごそ広げて、
掘り出しものが無いか、見落としがないか、
宝探しをするのは、ささやかな行事となっています。

今日は毎日新聞に堀江敏幸さんの
ヴァレリー・ラルボー著 「恋人たち、幸せな恋人たち」 ちくま文庫 
の書評が載っておりました。

そうそう、ラルボーに親しみを感じるのは、
シルヴィア・ビーチと懇意だったからで、
ビーチについて読んでいたころは、
ラルボーのこともよく知っているような錯覚をおこしていたものです。

そのラルボーの作品「幼なごころ」 岩波文庫 もとてもよかったので、
「恋人たち」も堀江さんの書評と合わせて、
ゆっくりと味わいたいと思っています。

2009年8月8日土曜日

夏の日

朝、目覚めると、白い野牡丹の花が2輪咲いていました。
柔らかな輪郭を描き、濃い緑の中で、静かに佇んでいました。

時間とともに、陽射しが強くなり、
気温もじわじわと高くなっていきます。

太陽が一番高く上った頃には、
蝉たちも全力を挙げて鳴いています。

クロアゲハが2頭、踊るように舞いながら、飛んでいきます。
次には、大きなアゲハが通り過ぎ、
黄色いシジミチョウもミモザの周りをぱたぱたと飛び回っています。

まだ成長途中のカマキリが、
朝顔の蔓をひょいひょいと伝ってのぼっていきます。

時々ヒヨドリが蝉を追いかけに来て、
静かな庭が騒々しくなります。

陽が傾きかける頃には、
野牡丹もすっかり萎んでしまいました。

たくさんの蕾があるので、
しばらくの間、目の保養になってくれることでしょう。

今日も暑い一日でした。

2009年8月7日金曜日

暑さに参ってしまいました

駅で10分ほど電車のくるのを待っているだけで、
汗が流れ落ち、陽射しで目の前がくらくらしてしまいました。
どうにか冷気の中に入り込んだものの、
しばらく経っても、頭の中はぼうっとしたままで、
一文字も読むことができませんでした。

夏のほうが冬より得意なはずのつもりが、
年々気候の変化についていけません。
これからまだまだ暑い日が続くというのに、
不安です。
なんとか、凌ぐ方法を考えなくては。
本も読めないと、存在する意味さえありませんから。

2009年8月6日木曜日

「ムーミン谷のひみつ」

「ムーミン谷のひみつ」 冨原眞弓著 ちくま文庫

フランス哲学を専門とされている冨原さんにはもう一つの顔があります。
(ほんとはもっとあるのかもしれませんが、知る限りにおいては)
トーベ・ヤンソンと面識のある翻訳者であり、研究者でいらっしゃいます。

この「ムーミン谷のひみつ」はムーミン谷の住人たちについて書かれており、
とくに彼らの精神的な部分を掘り下げ、成長していく過程を重点にしています。
これだけで、ムーミン谷の仲間をよく知ったような気になるほどです。

読書の大切なことの一つに登場人物について
彼らをよく理解することが挙げられるでしょう。
この本を読んでみて、これまでいかに上滑りで、
ストーリーだけを追う読書をしていたか、
痛感してしまいました。
一人ひとり、また一つひとつのエピソードに詰まった宝物を
見逃しているようなものですね。

実際にムーミン・シリーズを丁寧に読むことで、
彼らと本当に出会いたいと強く思ったのでした。

2009年8月5日水曜日

「たいした問題じゃないが」

「たいした問題じゃないが」イギリス・コラム傑作選 行方昭夫編訳 岩波文庫

“本書は、二十世紀初頭に活躍したガードナー、ルーカス、リンド、ミルンという
四人のイギリスの名エッセイストの選集である。”(解説による)

新聞や雑誌にこのような気の利いたエッセイがあると、
大変楽しいと思うのですが、
意外と読ませてくれる記事は少ないものです。

不思議とイギリスではユーモア溢れる作品が好まれるようです。
それに一捻りされた皮肉によって、自らと世間を笑う余裕もありますね。
紳士的で節度が保たれているのは時代性もあるでしょうか。

この四人のなかでは、ルーカスの作品が馴染みやすく、
朗らかな気分にさせてくれました。

これくらいの余裕があると、人生を楽しめそうですが、
実際ご本人たちはどんな人だったのでしょうか。

2009年8月4日火曜日

うちわ

こう暑くなってくると、
冷房の効いた部屋でも
顔がほてって、
ついうちわを手に取りたくなります。

ぱたぱたと扇ぐだけなのに、
うちわには条件があります。
芯軸が竹でできていること。
しなり具合が違いますね。

模様にも条件をつけるなら、
和紙に風情のある草花が、
さらに涼しげです。

ゆっくりと扇いでいると、
なんとなく気持ちが静まっていくような気分になります。

自らうちわを購入することも少ない昨今、
扇子とはいかなくても、
落ち着いた時間を求めて、
お気に入りを探しに行くのもいいかもしれません。

2009年8月3日月曜日

「ネにもつタイプ」

月初は出版社のPR誌が届く時期です。
それぞれ特色があって楽しいです。

「ちくま」でいっとう早く開くのが、
岸本佐知子さんの「ネにもつタイプ」。

「気になる部分」にも見られるように、
どことなくしんみりとしていて、
儚げなのに、捻っていて、笑える。

もうどうしてこういう視点がもてるのか、
思考が張り巡らされているのか、
岸本さんは実は地球人ではないかもしれません。

白水社のHPに「実録・気になる部分」が掲載されていますが、
これまた、本とは違った抱腹絶倒ものです。
人前で読んではいけません。

2009年8月2日日曜日

「シモーヌ・ヴェイユ」

6月頃からしばらくシモーヌ・ヴェイユに関する本を読んでいました。

「シモーヌ・ヴェイユ」 フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著 上野直子訳 岩波書店
「シモーヌ・ヴェイユ伝」 ジャック・カボー著 山崎庸一郎・中條忍訳 みすず書房
「シモーヌ・ヴェイユ 最後の日々」 ジャック・カボー著 山崎庸一郎訳 みすず書房
「シモーヌ・ヴェイユ」 冨原眞弓著 岩波書店

ヴェイユには以前から関心があったのですが、
いきなり「重力と恩寵」を読もうとして参ってしまい、
一度は諦めた経験があります。

そこへ、入りやすそうな評伝が岩波書店から出たので、
再度挑戦する気持ちで取り組みました。

確かに一冊目の評伝は読みやすく、分かりやすかったのですが、
続いて読んだ伝記が、厚みだけでなく、手ごわい内容でした。
数多くの引用とともに、ヴェイユの思想を推考し、
彼女の生き様を追っていくには、かなりの体力を必要とします。

同じカボーの「最後の日々」は伝記を補足する内容で、
ニューヨークからロンドンまでの最晩年に至る重要な時期について、
深く掘り下げて書かれています。

圧巻は冨原さんのヴェイユ論。
この内容を理解するには、ヴェイユが読んだ本なども
頭に入っていないと、付いていけません。
ヴェイユという人の知性と教養、思考の深さと、
人間への熱いまなざしに圧倒されます。
そして冨原さんの努力と読解力に頭が下がります。

ここへきて、ヴェイユを読む覚悟を決めなくては
いけなくなりました。

2009年8月1日土曜日

新しいジュンク堂へ

新しくできたジュンク堂書店へ行ってきました。

これまたとても広く、天井も高く、
迷路のように本棚が並んでいます。
ふらふらと目を泳がせながら歩き回って、
気になるジャンルの本たちを眺めたり、
ぱらりぱらりとチェックしたりして、
あっという間に時間が経ちました。

他店で品切れだった本も見つかって、
無事入手できました。
今回もシモーヌ・ヴェイユ関係です。

「重力と恩寵」 シモーヌ・ヴェイユ著 ちくま学芸文庫
「シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話」 冨原眞弓著 青土社

今日は2冊だけにしておきました。