2009年10月31日土曜日

まとめ買いしました!

ジュンク堂のピンクレシート、集めてますか?
このときとばかり、買い込みます。

一冊ずつ揃えているプルースト、
「失われた時を求めて」⑧ソドムとゴモラⅡ 
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫

何回読んでも楽しいオースティンの傑作を新訳で。
「高慢と偏見」上・下 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫

ここでおさらい、高階先生のフィレンツェの美術史、
「フィレンツェ」 高階秀爾著 中公新書

ⅠとⅡを揃えたので、ブルクハルトにトライ。
「イタリア・ルネサンスの文化」Ⅱ ブルクハルト著 中公クラシックス

この全集は魅力的なものが多く、迷ってしまいます。
この著者のことは全く知識がありません。
とても楽しみです。
「アメリカの鳥」 メアリー・マッカーシー著 河出世界文学全集

以上、まとめ買いの巻でした。

2009年10月30日金曜日

「都市幻想」十選 が掲載終了しました。

日経新聞朝刊の隅っこの『十選』、
今回の今橋映子さん選出による『都市幻想』、
残りの6作品です。

5回目はヨハン・ファン・デル・コイケン
(「死すべきパリ」写真、フランス植民地主義に対するデモの群集)
6回目は秦テルヲ
(「煙突」日本画、明治44年に描かれた工場を描いたもの、構図が美しい)
7回目は佐伯祐三
(「工場」洋画、新聞の小さな写真では少々わかりにくいです)
8回目はマックス・エルンスト、
(「完全な都市」洋画、今橋さんは“「完全」な都市とは、
あらゆる廃墟の記憶、消え去った文明の痕跡の上に
成り立つ夢のような装置ではないだろうか。”と書かれています)
9回目はブラッサイとプレヴェール
(「無題」写真とコラージュ、遺跡の壁の写真に奇妙な牧神や悪魔たちが描かれています)
10回目はロベール・ドアノー
(「かつてのゾーンの端で(モンルージュ)」写真、パリ郊外のゾーンと呼ばれた場所に
打ち捨てられた廃車で遊ぶ子供達の姿)

一つ一つの作品に添えられた解説を読んでいくと、
其々に深い意味が隠されているのでした。
このように丁寧に噛み砕いていただくと、
どうにか糸口が掴めます。
日ごろは漠然としていますが、
見る物すべてに謎が秘められているのですから、
せめて好ましい対象については、
注意を払うようにしたいものです。

2009年10月29日木曜日

アートとしての服~ヨウジ・ヤマモト

ヨウジ・ヤマモトの服の美しさは、
誰もが承知するところです。

黒という色が息づくように
見事にカッティングされた服は、
目を見晴らされます。
造形美というのが正解でしょうか。

そこにそこはかと漂うフェミニンさ。
女性の底に潜む艶かしさを引き出して
美しさを際立たせる、
現実を超越した美意識を感じさせます。

今シーズンに民事再生法の適用を申請したとのことですが、
このデザイナーのクリエイションは、
まだまだきらめき続けることと思われます。

2009年10月28日水曜日

「春の戴冠」

「春の戴冠」① 辻邦生著 中公文庫

ルネサンス期のフィオレンツァ、
コシモ・デ・メディチからロレンツォ・デ・メディチの時代へ、
ボッティチェルリと語り手フェデリゴを取り巻くイタリアの豊かな街の姿。
主人公達はまだ若く、
ボッティチェルリも独立して工房を持ったばかり。
これから本筋に入っていくところです。

ですが、
この続きを読むのを断念いたします。

内容は大変面白く、
文章も麗しいのですが、
求めているものがもう一つ足りなく感じるのです。
「背教者ユリアヌス」を読んだときにも思っていたのですが、
情感がもう一息伝わってこないのです。
絵画を硝子越しに見ているような感じがします。

ずいぶん悩んだ末、残念ではありますが、
辻邦生さんの小説を味わう喜びを得られずに終わることになります。

2009年10月27日火曜日

悩みのフランス語

これまで旅行の時や、読書をする際に
語学に不慣れなことに悩まされてきました。
フランス語はもちろん英語もさっぱりです。
どうにかこうにか適当にやってきているのですが、
ユルスナールの未邦訳の本のことを考えると、
とても情けなく、沈み込んでしまいます。
読みたい。とても読みたい。
これから勉強するのにも腰が重いです。
読めるレベルに達するには、
相当かかることを覚悟しなくてはいけません。
読みたいと言いながら、
行動に移らないのは、
怠惰なだけでなく、情熱も足りないということなのでしょう。
悶々と悩む秋の日々です。

2009年10月26日月曜日

「パリの手記Ⅰ 海そして変容」

まだ若すぎて わからないことばかりだった頃、
日々を生きることに意味を持たせようとやっきになっていた頃、
そんな自分を納得させてくれる本を捜し求めていました。

そこで巡りあったのが、
「パリの手記Ⅰ 海そして変容」 辻邦生著 河出文庫 でした。

書きたい、という強い気持ちと、書く、という強い意志を持ちながら、
今だその入口が見出せない、作家になる前の辻さんがいました。
毎日レッスンをするピアニストのように、毎日書くことを自分に課し、
苦悩しつつも、手探りで方向を見定めようとする姿を率直に記した
その本を当時友達のように感じていました。

この「パリの手記」はⅠ巻からⅤ巻まであるのですが、
Ⅱ巻で停滞したまま、Ⅲ巻以降は読まずにいました。
他のエッセイ等で辻さんのその後を知ったことも、
読まなかった理由かもしれません。
後々になって合本になった大型の美しい装丁の本を入手し、
辻さんのパリ時代を研究した本「辻邦生のパリ滞在」 佐々木とおる著 駿河台出版社
なども手に入れましたが、
もうかつての自分も文字の中に埋もれてしまって見えません。
今は一体どこに立っているのでしょうか。

2009年10月25日日曜日

「夏の海の色」

初めて辻邦生さんの作品に出会ったのは、
中学校の教科書でした。
「夏の海の色」という短編です。
授業では取り上げられませんでしたが、
子供心にも染み入る作品でした。
ちょうど、同じ年頃の子供が主人公のせいか、
彼が人を通して味わった悲哀が、
地方の海の気配とともに、
文章を通じて察することができたのだと思います。
実際にはそんな細やかな心遣いとは縁遠かったのですが。
辻邦生という作家のことを、
心に留めておくようになった小さなきっかけでした。

2009年10月24日土曜日

「手紙、栞をそえて」

辻邦生さんの「春の戴冠」第1巻を順調に読み進めています。
辻さんの本には若い頃から親しんでいますが、
なぜか、小説はあまり読めていません。

辻さんの本で心に残る一冊が、
水村美苗さんとの書簡集、
「手紙、栞をそえて」 朝日文庫 です。

とても優しい語り口、
互いに敬意を表した文面です。

本を深く読まれている両者の知識、見識に裏付けられた
本への温かい眼差しは、
読む者の気持ちも豊かにさせてくれるものです。

朝日新聞に連載されていたものらしいですが、
内容は古今東西の書物を取り上げており、
若い方にはよき参考となりますし、
年長の方には、
取り上げられた本を読んだ時のことを
懐かしく思い出させてくれる親しみ深い本です。

2009年10月23日金曜日

クライマックスシリーズ

プロ野球にクライマックスシリーズが導入されてから、
がぜん面白味が増しましたね。
リーグ優勝を決めているチームからすると、
不満もありましょうが、
とにかく、消化試合が減って緊張感がありますし、
このクライマックスシリーズは駆け引きも含めて、
見ごたえがあります。

日本ハムは大手となりました。
楽天の勢いもここまでか。

巨人はリーグ戦の力そのままに、
押してきています。
中日もしぶとくがんばれ。

というのも、広島カープファンなので、
高見の見物です。

2009年10月22日木曜日

きらきら光るツリー

クリスマスまでの間、
ケータイに付けておくといいよと、
小さなクリスマスツリーをいただきました。

とっても小さいけど、
緑色の地にきらきらとビーズが煌いて、
とっても可愛いです。

普段はケータイに何も付けていませんが、
ちょっと気分を変えて、
飾ってみましょうか。

2009年10月21日水曜日

「純粋状態の白熊」とは?

「春秋」の特集『いま、ヴェーユを<読むということ>』に、
堀江敏幸さんが寄せられていたのは、
「純粋状態の白熊」というタイトルのエッセイです。

読み始めるといきなり熊のお話です。
どういうことだろうと読み進めます。
どうやらヴェーユは「白熊について考えないこと」について
「カイエ」に記しているそうなのです。

もともとはドストエフスキーの「冬に記す夏の印象」の一節、

“「自分の意思が最高に自由であるしるし」として、
社会に対して自己を犠牲にするからといって、
見返りなどは決して期待してはならない、そのためにはどうすればいいのか?
「それは白熊のことを思い出さないようにするのとまったく同じことである。
まあ、試みにひとつ、白熊のことなぞは思い出すまいと、
心に固く決めてみるがいい。そうすれば必ず、いまいましいことに、
その白熊のやつがしょっちゅう頭に浮かんでくるにちがいないのだ。」”

ヴェーユが読んだと思われるその辺りの
影響があるようだ、と堀江さんはみています。
それを進めて、

“「善の領域」と「悪の領域」を併せ持つ空間に、
「なにごとも考えることをやめた魂の略奪状態」で向き合わねばならない。
ヴェーユは、人はいずれの側にも属さざるをえないことを意識したうえで、
その両義性を諦念で処理せず、さらに上位の自己を、
つまり皮肉な抑制なしに、真の意味で「白熊を考えていない」自己を
見出そうとしていたのではないか。・・・
隔離された空間で生きざるをえない白熊たちの、見返りを求めない
ストイシズムは、重力や恩寵とおなじように外から見えない。
それらを認識するためには、中間的なるもののなかに、
純粋状態でしぶとく留まるほかないのである。”

と分析されています。
ヴェーユの思想の一つの概念を白熊によって解読し、

“ところが、私はいまだ不純きわまりない状態で、
白熊のことを考え続けている。・・・”と、
野生出身のコユキに思いをはせ、“コユキこそは、
外から持ち込んだ善と囲いの中の悪を束ねる中間的な存在”

と、ヴェーユの思想をあらゆる所で読み取ることができることを、
証明してみせてくださる、堀江さんなのでありました。

2009年10月20日火曜日

「春の戴冠」とボッティチェリ

秋の静けさの中で集中力を持続させながら
冷静に読める本をと選んだのが、
「春の戴冠」 辻邦生著 中公文庫 です。
ボッティチェリの生涯を描いた小説とのことで、
厚めの4巻物と読み応えがありそうです。

ある時から意識をして見るようになった画家の絵があります。
ぼんやりとしていても、
視野に入ると自然にそちらに反応してしまう絵だったのです。
それらはアートの世界のみならず、
本やメディアでもよく使われているボッティチェリの絵でした。

あまりにも有名な作品の数々を
実際にはほとんど観た事がありません。

一度、秘密にしたいような出会いがありました。
ルーブル美術館で偶然ボッティチェリのフレスコ画を見つけたのです。
ルーブルのことなので、多くの人は大作の方に押しかけていて、
このフレスコ画のあたりはひっそりとしていました。
何気なく横道に逸れてその絵を見出した時は、
思わずため息が漏れました。
もちろん大抵の方はご存知なのでしょうが、
存在を知らなかった者には
天からの贈り物のように感じました。

このフレスコ画のことを、
松浦寿輝さんも 「クロニクル」 東京大学出版会 の中で、
“その剥落や色褪せにもかかわらず戦慄的に美しい-
いや、にもかからずではなくむしろ剥落や色褪せのうちに
胚胎される時間の厚みの手応えのゆえに、
かえってよりいっそう美しいと言うべきか”
と深い想いを述べておられます。

美しさを愛でるためにも、
ボッティチェリの人生を、
辻邦生さんの案内で辿ってみたいと思います。

2009年10月19日月曜日

『都市幻想 十選』

日経新聞朝刊の隅っこに『十選』というコーナーがあります。
一つのテーマについて一人の選者が、
毎日一つずつ絵画などを取り上げて、
テーマに沿って解説をするものです。

現在は東京大学准教授の今橋映子さんが、
『都市幻想』というテーマで、
絵画、木版画、写真を取り上げておられます。

今橋さんは比較文学、比較文化を研究されており、
その発想の豊かさと緻密な分析が評価されているとのことです。

1回目は、フランス絵画でした・・・
2回目は柄澤齊、
(「迷宮の潭」よりⅣ、素晴らしい木版画!)
3回目はレメディオス・バロ、
(「行動する銀行家たち」、謎めいた不気味さ漂う絵です)
今日の4回目はアーウィン・ブルーメンフェルド
(「パリ写真の世紀」の表紙に使われているのと同じエッフェル塔での写真)

あいにく、切り抜きが出来ていなくて、
きちんとご紹介できないのが残念です。

毎日どんな作品が、
どのような文章で読み施されるのか、
とても楽しみにしています。

2009年10月18日日曜日

春秋社から届きました

春秋社に発注していた本が届きました。

シモーヌ・ヴェーユ著 「神を待ちのぞむ」
とPR誌の「春秋」です。

ヴェーユの著作を少しずつ揃えていっていますが、
「カイエ」までは到達しそうにありません。
知力不足と体力不足で倒れてしまうと思います。

今月の「春秋」はヴェーユ特集だったので、
(寄稿者陣も魅力的だったのです)
とても読みたくて、
定期購読のみのところを、
少々無理を言って送っていただきました。

という状況ではあるのですが、
今、頭の中は、
須賀敦子さんとユルスナールで一杯なので、
ちょっと切り換えてから、
ヴェイユに取り掛かりたいと思っています。

2009年10月17日土曜日

2010年の手帳

店頭に来年の手帳が並び始めました。
記録用の手帳は毎年同じ物を選んでいます。
ただ、カバーが気に入らないので、
古いカバーを掛けなおして使っています。
中身は変わらないので、幸いです。

持ち歩きの予定などを書いておく手帳の方は
なかなか定番が決まりません。
今回は思い切って、
アクション・プランナーというのを発注してみました。
カバーの色も豊富なバリエーションです。
うきうきと好きな紺色を選んでみました。

首を長くして待っていたところ、
ようやく到着。
急いで開けてみると、
綺麗な紺色、イメージどおりです。
思っていたよりも大判なので、
持ち歩きが不便そうですが、
書き込みがしやすくて、
以外といいかもしれません。
紙の質もいいし、
ソフトな色の罫線や活字も目に優しい。
よくみてみるとエグザコンタのものでした。

数年前に偶然エグザコンタの手帳を使ったことがあり、
とてもよかったのです。
なかなか国内でお目にかかることがなかったので、
ほとんど諦めていました。
なので、エグザコンタというだけでも嬉しい。

バーチカルタイプを使うのは初めてで、
どこまで使いこなせるかわかりませんが、
たくさん書き込みをして、
楽しい時間を作っていきたいと思います。

2009年10月16日金曜日

「目を見開いて」

「目を見開いて」 ユルスナール対談 聞き手マチュー・ガレー 白水社

数ヶ月に渡って、ユルスナールがガレーに語った内容をまとめた本です。
ユルスナールの人となり、思考がひととおり見渡せるようになっています。

これを読んだ時点で、
もう何も言うことはありません。
ユルスナールに感服です。

暫くじっとしていようと思います。
身体に染み通り、隅々に行き渡るまで。

2009年10月15日木曜日

ipod mini

数年前ipod miniが登場したタイミングで、
小型で使いやすそうと思い、
シルバーのminiちゃんを購入しました。
以来、毎日せっせと働いてくれています。

クラシック少し、ジャズ少し、J-POP少し、
クラブ系少し、英POP少しとお気に入りが入っていますが、
このうち聴くのはほとんど決まっているのが、
不思議なところです。

なぜだか、i-tuneで購入することがありません。
音楽はやはりCDショップに行って買ってしまいます。
文明の利器を使わないうちに、
気がついたら周りはすっかり変わってしまっているかもしれません。

このminiちゃんもだいぶ年季が入ってきたので、
乗り換えを考えるようになりましたが、
手の馴染み具合といい、
持ち重りの良さといい、
もうちょっとがんばって欲しいところです。

2009年10月14日水曜日

昨日のお買い物

昨日は、満面の笑みで
「書かれる手」 堀江敏幸著 平凡社ライブラリー
を手に本屋さんを後にしました。
周りの人は気持ちが悪かったと思います。
にやにやしているのが自分でもわかっていたので。
他には、
文庫化を待っていた
「真鶴」 川上弘美著 文春文庫
爆笑エッセイ
「貧相ですが、何か?」 土屋賢二著 文春文庫
邦人トリオです。

さて、「書かれる手」は急ぐ所は目を通したので、
改めてゆっくりと読むことにして、
「真鶴」に参りましょうか。

2009年10月13日火曜日

「書かれる手」を読み始めてみて

心浮かれて「書かれる手」 堀江敏幸著 平凡社ライブラリーを
購入し、早速読み始めました。

「幻視された横道」-須賀敦子『ユルスナールの靴』をめぐって は
どうにか着いていけるとして、
堀江さんの処女作「書かれる手」-『マルグリット・ユルスナール論』、
これは「アレクシス」をリルケとヴァレリーを通して考察したものですが、
もう既にエッセイとも論文とも言えない堀江さんの独自の文体スタイルが、
現れています。溜息。

急いでクンデラ論も読んでみましたが、
クンデラに迷わされている状態の者からすると、
雲が晴れるような感覚になりました。
またしても、溜息。

もっと丁寧にゆっくりと奥深く読むように勤めなくては・・・

この「書かれる手」、単行本を手にしたときも、
難解な印象が強く、歯が立たなかったのは当然のこと。
読むことの難しさと有難さを同時に味わいました。

2009年10月12日月曜日

お世話になります

よく覗く古本屋さんとは別に、
自分の本を引き取ってもらう古本屋さんがあります。

出会いは「ミシェル・フーコー伝」 ディディエ・エリボン著 田村俶訳 新潮社。
ずっと探し求めていたこの本を見つけたのが、
この伏見屋書林さん。
児童文学の良書なども置いてあり、
印象に残ったのです。

それまで大量の本を引き取ってもらうのは某書店で、
扱いのまずさに辟易していました。
伏見屋さんに出会ってからは、
大切にとってあった本も、
思い切って手放すことができるようになりました。
訪ねると古書だけでなくさすがに本にお詳しく、
いろいろと伺えることができます。

今回は思い切ってロラン・バルトを手放すことにしました。
張り切って購入したものの、
目をこらして読みたい本のリストを眺めてみると、
とても読むことは不可能だと、
たとえ読んでも理解不能なことを考えて、
諦めることにしたのです。
悲しいことですが。

そのほかにも、読み終えてまずまずだったもの、
どうして買うに至ったのかわからないもの、
「ガンダム・オリジン」もそろそろいいか、
などと一まとめにしました。

さすがに伏見屋さんも「漫画は・・・」と言われていましたが、
無理を言って引き取ってもらいます。
「いつもお世話になります。」

2009年10月11日日曜日

「パダン」と「ドダン」

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」 オリヴィエ・ダアン監督で
マリオン・コティヤールが熱演しているのを観ていたら、
“パダン”という歌が出てきました。
その歌いだしは『パダン♪、パダン♪』と熱烈な調子でしたが、
体調を崩していたピアフはそこでバタンと倒れてしまいます。
この映画ではマリオンの演技が強調されていて、
ピアフの激烈な人生が手に取るように伝わってきます。
ピアフのことを全く知らず、白紙状態で観たので、
新鮮でもありました。

しばらくして、スマトラ大地震が起きました。
中継でパダンという地名が出てきたのです。
ああ、そうか、パダンは土地の名だったのだ。

そういえば、よく似た音の名があったなあ。
と考えてみると、全く関係の無い話でした。
マルグリット・デュラス著 「戦争ノート」 河出書房新社 に
「ドダン夫人」草稿があったのを思い出したのです。
「パダン」と「ドダン」ちょっと似ているだけで、
何にも関係ありません。

この「戦争ノート」はデュラスの無名時代に書かれた
作品の草稿やメモが書かれた4冊のノートをまとめたものです。
既に作家デュラスの姿が見えています。
戦時中の話も多く、リアリティに富み、
人間の業を書き抜くデュラスの技があります。

「ドダン夫人」はパリのアパルトマンのコンシェルジュ。
愚痴をこぼしながらも強く生きている女性。
生きていくにはこれくらいしぶとく、したたかでないと、
現実に目を向けるよう言われたような気がしました。

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」を読まれた方は
もう「ドダン夫人」に会われていますね。
デュラスのテキストでは、生々しいですが、
堀江さんの解説により、年配の「ドダン夫人」の痛みが
よく伝わってきます。

2009年10月10日土曜日

両手一杯に海を抱えて

丘の上の更に高く8階から眺める海は、
どこまでも広く、遠く、深く、
灰色に広がっていました。
潮をふくんだ風に波打って、
波打ち際から浅瀬へ、
目を上げれば、
水平線はぼやけて、
想像もできないくらい果てまで続いています。

この大きな世界は、
一体なんなのだろう。

意味を探そうと、
愚かなことを、
ついついしてしまいます。

語りかけてくる声は聞こえないのか?

日常から離れて、
真空のような時間を過ごし、
もうしばらくこうしていたいと、
願った一日でした。

2009年10月9日金曜日

“やきものいこま”さんへ

40年続いていた“やきものいこま”さんが
店を閉じることになりました。
店内に一杯和食器が溢れた、
大らかで、楽しく、落ち着いたたたずまいのお店で、
長くお世話になりました。
いつもお気に入りがたくさんあって、
選ぶのに頭を痛めたものです。

今日が最後の訪問になりました。
店主の方が大変魅力的なことも
お店の人気の理由の一つだったと思います。

またしても決めるのに悩みましたが、
藍の木賊柄の大ぶりのお湯飲みを一つ、
他にもいくつか使いやすいものを。

ご挨拶とともに、
お餞別もいただいて、
名残を惜しみました。

2009年10月8日木曜日

お見舞い申し上げます

大型の台風18号が日本に上陸しました。
暴風域では大変な被害が出ています。
ニュースでは一部分しかわかりませんが、
怪我をなされた方、
被害に遭われた方々に、
お見舞い申し上げます。

2009年10月7日水曜日

海を見に

今日はこれから荒れた海を見に出かけてきます。
どうしてこんな天候の時に?
今日しか都合のつく日が無かったから。

いつもは穏やかな日差しのふりそそぐ海しか
見る事がないので、
こういう日もいいかなと思っています。

では行ってきます。

2009年10月6日火曜日

台風その名も“メーロー”

大型の台風がやってくる予報が出ています。
“メーロー”という名です。
ここ数年本州に台風が上陸することが少なかったので、
恐ろしさが薄らいでいましたが、
そんなことを言っていると、
どんな大変な事態になるかわからない、
油断大敵です。

日本を逸れてくれても、
他の国で被害がでるかもしれないし。

そんな話をしていたら、
台風のエネルギーを転換して、
何かに活かすことができないだろうかと
言う人がいました。
それができればノーベル賞ものだと、
ぜひ研究してくださいと、
お願いしてみましたが、さてはて。

夢はさておき、
皆様、ご用心ください。

2009年10月5日月曜日

苗木

近くのホームセンターで
植え時の苗木を見かけました。

美味しそうなりんごの写真が入ったラベルに“ふじ”とあります。
これを植えたらこんな見事な“ふじ”が成るのか・・・
他にも無花果、柿、梅、プラムとあります。
横にはベリー類の苗もあります。

最初は大きめの鉢に植えて、
少しずつ整枝しながら水をやって、
虫をとって、大きくする。
土地があったら、植え替えてあげる。
数年経つと、花が咲いて、実が成るのだ・・・
夢想がむくむくと湧いてきます。

飾りのないテラコッタの鉢の横に
グリーンのエプロンをかけて、麦藁帽子をかぶり、
大きなスコップを手にした姿が目に浮かびます。

そう人に話すと、
誰でも最初はそういうもの、と
あっさりかわされました。

2009年10月4日日曜日

十六夜

十六夜の今夜もお月さまが綺麗です。
静かに夜が更けていきます。
こういう夜は日本の古典文学などが
ぴったりくるように思います。
が、手元にはあいにく無いので、
宿題のユルスナール論などを
読むことにします。

堀江敏幸著「書かれる手」を本棚から
ひっぱり出してきました。
と、『堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル』というHPに、
この「書かれる手」が平凡社ライブラリーから出るという
ニュースがありました。
なんというタイムリー。
文庫になると、またゆっくり読み返せるではありませんか。
嬉や嬉。

須賀敦子著「ユルスナールの靴」では、
“死んだ子供の肖像”という章が「黒い過程」論に
割かれています。
この中に「黒い過程」の重要事項が全て書かれているといっても
過言ではないでしょう。
とくにキリスト教の信仰を通した視点での意見は
信者であり、文学者である須賀さんならではのものでしょう。
「黒い過程」を読んでいるときには漠然と把握していたことが
明確にされていて、ここまできっちりと読み込まなくては、
読む意味がないのだと、言い聞かされたような気がします。

そこへ岩崎力著「ヴァルボワまで」の読んでみると、
ユルスナールは
“いくつかの祖国をもち、いくつかの文化に属している”といい、
“換言すればそのいずれにも属していない” また、
“いくつかの宗教に属している”
と言い切っているといいます。
ユルスナールの広い視野、知識、理解力が
あらゆる作品の中で活きているということでしょう。

ユルスナールを読むことはまだまだ始まったばかりです。
美しい月夜にふさわしい読書を始めましょう。

2009年10月3日土曜日

お茶するのが好き

お茶をするひとときが、
なによりも好きかもしれません。

街に出ても、
すぐカフェで一杯。

電車に長く乗る時も、
珈琲一杯。

一仕事して、
一息、一杯。

熱く濃い目に入れた珈琲が、
体に染みます。

何をするわけでもなく、
頭を休ませるという口実で、
ただぼんやりと、
座っています。

なので出かける時は、
お茶が出来る場所のチェックを
忘れてはいけません。

心身だけでなく、
頭にも心にも余裕を持たせて、
気持ちの柔軟性を保つ、
と聞こえはいいですが、
ただ疲れやすいだけの話です。

2009年10月2日金曜日

「旅芸人の記録」

「旅芸人の記録」 テオ・アンゲロプロス監督 1975年

ギリシャの現代史を小さな劇団の旅を通して
道案内をする壮大な叙事詩的映画です。

アンゲロプロスのこの代表作を観るのは
「永遠と一日」、「エレニの旅」の後になったので、
映像のイメージなどは知っていましたが、
やはり手ごわい内容でした。

ギリシャの現代史がこれほど苦痛に満ちていたことを、
劇団=一市民をとおして思い知らされました。

伝えたいことがあまりにも多すぎて、
語るには言葉も知識も足りません。
素晴らしい映画です。

2009年10月1日木曜日

北海道のお土産

北海道旅行のお土産をいただきました。
坂本直行さんの花の絵が入ったタオルハンカチです。
薄い紫色で表はガーゼ、裏はタオル、
小ぶりで使いやすそうですが、
きれい過ぎてもったいないので、
布物を直してあるチェストに片付けておきます。

お土産話も楽しいのですが、
食べ物のお土産も嬉しい。

千秋庵のノースマンをほおばりながら、
珈琲をいただきます。