2015年12月31日木曜日

2015大晦日

今夜はカニ鍋で宴会第二弾でした。
昨夜から日本酒は奈良の「風の森」をいただいていまして、
たいへんフルーティで美味しゅうございます。
冷酒でくぃくぃと、楽しんでおります。


今年も色々とありましたが、
家庭内は比較的穏やかで、安定しておりました。
その点とても良い年であったかと思います。


個人的には、
パラダイムの転換という事態となり、
まだまだ考えながら進めていかねばならないことになりました。
きっとこの先も見えるもの、知ることによって、
変化を余儀なくされることがあるかと思います。
読書もそういったことも含めて選書していきたいところです。


まだまだ年甲斐もなく、未熟者で、
お読みいただいている方にはあきれられることも多いと思いますが、
来年もよろしくお願いいたします。

「現代小説クロニクル1995-1999」

「現代小説クロニクル1995-1999」 講談社文芸文庫


1995年はちょうど20年前になります。
その年1月には阪神淡路大震災がおこり、
予期せぬ都市型災害に衝撃を受け、
多くの被害に心を痛めたのです。
3月にはオウム真理教による地下鉄サリン事件が引き起こされ、
一般の人々を巻き込んだテロに震撼したのでした。


もうそんなに経っているのか、と思われもします。
そんな時代に発表された短編小説とは。


「声の巣」 黒井千次
「学校ごっこ」 角田光代
「蛇を踏む」 川上弘美
「家族シネマ」 柳美里
「不軽」 古井由吉
「水滴」 目取真俊
「椿堂」 竹西寛子
「無常の世界」 阿部和重


いずれも読ませるテーマを持った作品ばかりです。
リアルな「学校ごっこ」には、同世代の人間として共感を覚え、
「声の巣」には、男性の感覚が不思議に思われ、
「蛇を踏む」は、発表時期に読んでいましたが、
今読んでも奇妙な感覚が残ります。
「家族シネマ」はその当時の家族の在り方が見え隠れしているように
思われます。
残念なことに「不軽」は全くわからず。
「無常の世界」は個人が描かれた次の世代の橋渡しとなる作品です。


個人的に印象に残ったのは、
「水滴」。
まるでガルシア=マルケスだ、と思われました。
この小説は、沖縄の歴史と実態を置き換えたものとして
読むことができるらしいことを、最近になって偶然知りました。
そういったことを含むとさらに重い作品です。


また、「椿堂」は老年の男性の心理を描いた作品で、
丁寧に静かに言葉に彫り込まれています。
竹西寛子の作品は難しいと思ってきましたが、
現代を題材にしたものであれば、私にも読めるかもしれません。


全体に眺めてみると、社会性を通して個人が透けてみえる傾向が
あるように思われます。
個人とその背景にある社会の重さが圧し掛かってきている、
時代の変わり目であったのかもしれません。

2015年12月30日水曜日

宴会第一弾

まだ30日というのに、
もうすでに宴会モードの我が家です。
下の弟が帰ってきたので、
飲み、食べ、しゃべり・・・果てしなく続いてしまいそうなところ、
また明日があるので、とようやくお開きに。


やっぱり年末は読書どころではありませんでした。

2015年12月29日火曜日

2015仕事納め

今年もお仕事終了となりました。
今日はお掃除の仕上げと、
ホワイトボードの作り変え。
緊急の電話も入ったりしましたが、
どうにか過ごすことができました。


今日から秘密大作戦の第一弾がスタート。
あまり芳しくはありませんが、
一つずつクリアしていくしかありません。
何のためにこんなことしてんだろ?
と自分でも不思議ですが、
自分のためだと思って。


まずお休み一日目は、
お掃除から始めたいと思います。
油断するとついつい積み上げられる本たち。
先日は本棚をごそっと整理したところです。
そろそろ放出本をセレクトする時期かな。
机の上をすっきりとさせることにいたしましょう。


年末年始はお天気が良さそうですので、
どなたも快適に用事が済ませられますね。
よかったです。

2015年12月27日日曜日

12月第4日曜日

今日は師走らしい冬空の寒い日で、
暮れを感じさせる一日でありました。
まだ仕事がありますし、
もうすぐお正月とはあまり思えないのですが。


先日、「新しい須賀敦子」を購入し、
さっそく読んでみました。
なかなか興味深いコンセプトの本で、
江國香織さんと湯川豊さんとの対談、
湯川豊さんの講演、
松家仁之さんの講演、
湯川豊さんと松家仁之さんの対談、
にて成り立っています。


すでに須賀敦子さんの著書を読んでいて、
須賀さんに関心のある方が対象と考えてよいでしょう。
須賀さんがどのように考えて生きておられたか、
どのように書かれておられたのか、
そういったことがテーマとなっています。


須賀さんの読者にとっての関心事項、疑問が
いくつか提示されており、
著書や、書かれた書簡等から想像されるヒントを
導き出されています。
そういった点で興味深いと思うのでした。


個人的には、新規性のある内容ではなかったのですが、
読者は皆同じように感じているのだと、
思わされた一冊でした。


続いて「現代小説クロニクル2000-2004」も無事読了。
このシリーズも残り2冊になったなぁと思っていたら、
「2010-2014」が発売になったそうです。
このシリーズは実に面白い本です。
知らない作家との出会い。
短編小説の魅力を味わうこと。
時代性を感じることができること。
多種多様な作品のコラボレーションの面白さ。
メモも3冊分がたまってしまっているので、
年末年始のお休みにずずっとUPいたしましょう。


今年も残り少し、皆さまお風邪など召されぬようお気をつけください。

2015年12月25日金曜日

2015クリスマス

クリスマスといっても。
と思っていたら、カフェ・プレタポルテよりカードが届きました。
カフェ・プレタポルテは大橋トリオのファン・クラブのことです。


カードを開けると、大橋さんの素敵な声で、
“メリー・クリスマス♪”と素敵なメロディが。
ちょっと嬉しい。


お家ではフランス焼き菓子店TANTANの特製クグロフを
いただきました。
素晴らしく美味しい。


夜空には満月が光っていますし、
良い日でありました。

2015年12月23日水曜日

五人家族

今日は祖母の家で祖父の法事がありました。
祖母は御年95歳。
やはり年齢を感じさせる様子ではありますが、
目はキラキラとしていて、頭もしっかりしており、
次々と用事をこなしているのには、頭が下がります。


そういうわけで、我が家の弟たちも参加して、
数年ぶりに家族五人が揃いました。


法事の後は失礼して、家族五人で宴を楽しみました。
それぞれの個性が発揮されて、
話題もあちらこちらに飛び、
突っ込みばかりのおかしな家族。


すっかりいい年の弟たちは、
いつまでたっても男の子という感じです。


楽しい時間を過ごして、
感慨深げな母の気持ちがわかるような気がする、
そんな午後でした。

2015年12月22日火曜日

冬のスポーツ模様

一番の話題はやっぱりバルセロナのクラブ・チャンピオンでしょうか。
日本でこの大会が行われるのは、嬉しいかぎりですが、
またしてもメッシの雄姿を見逃してしまった私です。
なぜかメッシの活躍の場を観ることができない、運がありません。
スアレスも絶好調でしたね。
ネイマールもぐんとスケールが大きくなっていて、
これは凄いチームだわ、と圧倒されていました。
はい、バルセロナで一番の贔屓はイニエスタです。
イニエスタのプレイはほんと、素晴らしい。


道頓堀で大騒ぎしていたリバー・プレートのサポーターのみなさん、
来年また来ていただいて、楽しみましょうね、おとなしく。


プロ野球は契約更改がほぼ終わりつつあり、
皆次へ向かって進む準備をしていることでしょう。
今年は思いがけない引退選手もいて、
寂しさもつのります。
西武一筋の西口投手はとても好きな投手でしたから、
なおさらです。
球団に残られるそうなので、選手育成に力を注ぐための
新しい仕事にまい進されると思っています。
現役の時のようにクールにひょうひょうと。


広島では中崎投手の評価をもう少しUPしてあげてほしかったな。
あともう一年、黒田投手が踏ん張ってくれるということで、
嬉しいこともありますが。
黒田投手がもしいなかったら・・・こわくて想像できません。
でも、広島球団はよく考えていると思っています。
イメージ先行などはありませんし、実直です。
来年も応援するぞ!がんばれカープ!


ドアラもつば九郎も応援したるで!


ムネリンも応援しますぜ!早く所属球団が決まりますように。


え?フィギュア・スケート?確かに人気抜群です。
素晴らしい演技と高い評価と聞いています。
よかったですね・・・と締めておきます。


もうひとつ今年の話題はラグビーでした。
実のところを言えばラグビーには浪漫を感じるところがあって、
生を一度観てみたいのです。
すぐ近くにあるやんか!花園ラグビー場が!
なのに寒くて行けません。
すごいパワーのぶつかりあいと、ランがかっこよいと思いませんか?
といいつつ、次のワールド・カップの盛り上がりを期待して、
おとなしく待っていようと思っています。


今年の冬はスポーツ観戦の扉を閉じておいて、
ノルマをこなすとしますか。

2015冬至

ようやく冬至となりました。
お庭でとれた柚子を湯船に浮かべてみました。
あまり香りが無いので、コロコロとしてみたら、
どうにかふんわりと柚子の気配がしました。


これで長い夜にいったんお別れです。
でも冬の間は早く闇夜がやってくるように感じます。
なぜでしょうか。


手元には色々なジャンルの本が積まれていますが、
本棚の奥から引っ張りだしたのは、
岩崎力さんの「ヴァルボワまで」。


今年の春、岩崎さんが逝去され、
東京外国語大学でシンポジウムが行われたそうです。
そのレポートを“堀江教授のレミントン・ポータブル”を運営されている
齋藤さんがまとめてくださり、
これは再読せねば、と取り出したのでした。


岩崎さんが愛されていたラルボーを満足に読めない私は、
親しくされていたユルスナールの角度から読むしかありません。


そこへ今月出版されたのが「新しい須賀敦子」。
読み手の方々を考慮すると、これは読まねばなりません。


先日は「ムーミン・コミックス」文庫版を入手したりしたのですが、
どこから手をつければいいのやら、
頭が混乱してきました。


まず、お正月休みには「なにが?永遠が」を読みましょう。
きっと至福の時が訪れることでしょう。

2015年12月20日日曜日

12月第3日曜日

ほれほれ、油断していると、あと10日で今年も終わりですよ。
と、せっせとスケジュールをこなしていかねばなりません。


今日はカットの日。
欲しいCDを探しに中古CDショップへ足を運び、
贈り物用の本を買いにジュンク堂へ急ぎ、
合間に美味しい珈琲を一杯飲んで、
いつも美しいKさんにカットをお願いして、
ちょっぴりフェミニンにしてもらいました。
ベリーショートでもマイナーチェンジが可能なところがすごいです。


それから、出来上がった眼鏡を受け取りに。
一時、小さ目のレンズが流行っていましたが、
また元にもどっているような気がします。
家に帰って、10年前の眼鏡と比べてみると、
デザインもほとんど変わっていないことに驚愕。
これもレンズを入れ替えてもらって使おうかしら。
というのも、その眼鏡はチタンフレームでとても気に入っていたからです。


さて、めずらしく年賀状もいったん書き終えたので、
後はチェック、手直しのみとなりました。
無事に25日までには投函できそうです。
毎年暮れの暮れに書いていたので、今年は合格ですか。


皆さんはいつまでお仕事でしょうか?
海外では、年末年始などは、国によって違うのでしょうね。
私は29日までで、最終日はホワイトボードの作り変えでもしようかな、
とのんびり考えています。


出かけて、ジュンク堂に寄れば、ついつい気になる新刊に手が
伸びてしまいました。
これ以上本を積んだらあかんのに。
それも娯楽の本というていたらく。
いっそのこと片付けてしまうほうが身のためかもしれません。

2015年12月19日土曜日

おかげさまで

今年の4月に会社の組織変更があってから、
仕事にも変化があり、
ずいぶんと悩んだり、困ったり、仕事が進まなかったり、
という日々が続いておりましたが、
秋ごろくらいから、ようやく慣れてきたからでしょうか、
精神的に楽になってきました。
仕事の内容、質、量に変化があったわけではなく、
どうやら現在の上司の指示出しに慣れてきた、という感じです。
指示と自分のやり方をミックスさせる方法が見つかったかな。


すこしずつお腹イタイタの回数も減ってきています。
ストレスも減ってきたのかな。


変わらないのは睡眠時間です。
お家に帰って食事を済ませると、
ついつい、うとうととしてしまい、
本も読まずに終わってしまいます。


今は合間合間に「現代小説クロニクル」を読んでいるくらいでしょうか。
ユルスナールをゆっくり読めそうなのは、
もうお正月明けになりそうです。
そうです、来週はクリスマスで、
すると年の瀬がやってきます。


今年も何をしたのかわからないまま終わってしまいそうです。
来年は・・・秘密大作戦を軌道に乗せたいですし、
読書計画も進めたいし、勉強もきちんとしたい・・・
来年の抱負を述べるにはまだ早いですね。

2015年12月16日水曜日

平和な一日

まったく何事も起きず、何もしない一日でした。


いつもよりは早めに目が覚めて、
お洗濯とお掃除をすませたものの、
後はランチにお昼寝といつもどおりの水曜日。


夕方には手亡豆を入れたパスタを作り、
夜は年賀状をしたためて、終わりです。


この手亡豆は白インゲン豆の小さなタイプのもので、
味も食感もほとんど変わりありません。
小粒なので、見た目も可愛く、使いやすく、
サラダなどにも、よくなじみます。
豆類は甘い煮豆が多いですが、
私はふつうに茹でてあるものが好きで、
スープやパスタ、サラダなどに使うのが好みです。


平和すぎて、また読書が進んでおりません。
ぼんやりするのが、現在のモードですか。
お忙しい人には申し訳ないところです。

2015年12月14日月曜日

新たな課題

先日のパリでのテロは私たちに大きな衝撃を与えました。
無論、ISの関わったテロは世界各地で続いて起きており、
多くの人に苦しみを与えています。


シリア方面からの難民の人たちの苦労や悲しみも、
やはりニュースとして届きます。


世界では、ただでさえ、病気や貧困等に悩む人々も多く、
どこかで天災が起きれば、また苦しむ人々が増えるのです。


経済問題や、環境問題も見逃せません。
今や、日本にいながらにして、一井の人間も世界を見なければ
ならない状況にあると思われます。


そうなると、いくらフランス語が好き☆と言っていても、
その程度ではどうにもならず、
英語の知識が必要になっていると痛感しています。


私が心理学を勉強したいと思っているのは、
もともとは“私にできることは何か?”からスタートしています。
ボランティアで何かをするにしても、
言葉が話せなければどうしようもありません。
これまで英語が理解できないことで、悩まされることも多かった。


心理学の勉強については、
国内でその知識を活かすことができれば、と考えているので、
それには、英語が必要ではありませんが、
一歩外に出ようとすると、やはり。


秘密大作戦の一つは、
基本的な英語を身に着けようということです。
ひどくお恥ずかしい話ですが、
これが、私の大転換の一つなのです。

2015年12月13日日曜日

日曜日

相変わらず暖かい日が続きますね。
私にとっては幸いですが、
困る方も多いと思われます。


無事、「現代小説クロニクル1985-1989」を読了しまして、
次は2000-2004に進もうかと考えています。
このあたりは読んだことのある作品もある、
まことに現代文学です。


せっかくの日曜日というのに、
またまたぼんやりしておりまして、
ユルスナールは一向に進む気配なし。
私の頭の中はいったいどうなっているのでしょう?
とりあえず年賀状の準備を整えるまではできたので、
明日からぽつぽつ書くべし。


仕事の方は年末年始の休みをにらんで、
前倒しでどんどん進めているので、
スケジュール的には大丈夫そうです。


で、肝心な勉強なのですが・・・
関心がちっとも動かなくなってしまっています。
自分でもなぜそういうことになっているのかわからない。
現実的に何かに活かせるわけではない、ということもあるかもしれません。
すごく自分にはプラスになると思うのに、
無駄なことをするような気もどこかにある。


もう一つは、お医者さんにも“秘密です”と言ったのですが、
秘密の作戦が頭の中で渦巻いています。
当たり前すぎることなので、お話する勇気もありません。
これがネックかな。


来年はその秘密大作戦もクリアして、
まっとうな日々を送れるようにしたいところです。

2015年12月12日土曜日

祝賀&忘年会

今夜はI課長を囲む会で、
メンバーに喜ばしいことがあったので、祝賀会と忘年会を兼ねて、
集まりました。


いつもは4名ですが、
今回はもう1名が加わり、ちょっと違う雰囲気。


でも、I課長はお話上手なので、
お仕事の話やら、趣味の話やら、まじめ、おかしく。
基本まじめ系の集まりなのでした。
だから、笑うツボも同じでありまして。


心暖かいI課長は皆の個人の様子も聞いてくださって、
メンバーも打ち解けてぽつぽつと報告をいたします。


今の部署になって、多くの方とお仕事をさせていただきましたが、
このグループは背伸びをせずにお付き合いできる方々で、
偶然とはいえ、このように飲む機会を持てるようになって、
とてもありがたく思っています。


おまけにI課長が、恐ろしい?DVDを持ってきてくださいました。
観るのが楽しみです。


おかしなところもいっぱいの会社ですが、
いい人たちと巡り合えて、嬉しい限りの夜でした。

2015年12月10日木曜日

めがね

眼鏡をかけ始めて約16年。
あまりたいした近眼でもないので、軽い度数で、薄いレンズです。
最近では、手元が見えにくい老眼の方がめんどうだったのですが、
昨年あたりから遠方が見えにくいなぁ、と。


今年の健康診断でもちょっと落ちているようだと指摘され、
仕事の時に離れた所の数字や文字が見えないのに困っていたので、
ようやく重い腰を上げて、眼鏡を新調しに出かけました。


2代目、3代目はフォーナインズ(999.9)を愛用していましたから、
まず、フォーナインズでチェックしました。
他にもオリバーピープルなど、気になるデザインを選んでみて、
いくつかかけてみました。
まん丸いフレームが憧れなのですが、全く似合わへんのです。
で、結局は日本人の顔に馴染みやすく、
賭け心地満点のフォーナインズに落ち着いたのでした。


レンズの方は2つほどレベルを上げなくてはなりませんでした。
今の状態は0.6くらいしか見えていなかったようです。
こりゃ見えへんはずやわ。


視力がとても悪い人や、乱視が入っている人から比べると
たいしたことはないのですが、
くっきり鮮やかに視野が広がると、とても楽になるでしょう。
というのは、できあがりは一週間先なのです。


とても楽しみです。
見た目はほとんど変わらないのですが。

2015年12月9日水曜日

先生との話

昨日は早めの通院日で、
先生に昨今気になっていることを話しておりました。


体調のことを絡めた話は聞いてくださいますが、
基本的に悩みの相談は受け付けされません。
もちろん、愚痴めいた話も無し。
ですが、発展性のある話であれば、
先生の考えをいろいろとお話くださいます。


今私の中で大きく占めていることは2つあり、
そのうちの1つをお話しました。
それは、世界情勢と日本の状況にかかわる個人の在り方についてです。


多様化がさらに進み、
一つのパターンやパラダイムでくくることができなくなっている、
ということは、診察されていても痛感されることだそうです。
そういうことが、世界レベルで起きていて、
日本はまだのんびりとしていますね、とうなづいておりました。


一つのヒントは“和”にあるのでは?
というのが、先生のご意見でした。
日本における“和”という考え方は、
考え方の違う人間どうしが共存するにおいてかかせない、と
おっしゃるのです。


そして、大きな組織がそういったことを先導することも難しいと。
各個人がそういったことを意識して、
発信、共有していくようになるのでは・・・と
お話されていました。


ふーむ、普段の診察ではお聞きできないお話で、
皆それぞれが、色々と考えていることが、よくわかりました。
先生のご意見も吸収して、私も考えていきたい、と思う次第です。

少しずつ

今日は12月9日。
ちょっとだけ特別な日。


フランス焼き菓子のお店TanTanのサヴァワというケーキを
美味しくいただきました。
奈良市西部のお店で、どのお菓子もとても美味しいのです。
滋味豊かな焼き菓子が好き。


読書はようやくユルスナール「なにが?永遠が」を読み初めました。
もったいなくて、ちびちびと進めることにしています。
いや、簡単には読めない文章なので、自然とゆっくりになるのです。


「現代小説クロニクル」は1985~1989に入りました。
これでシリーズ4冊目になります。
よく知った作家の作品が並び、親しみやすいです。
冒頭には、村上春樹の「象の消滅」が置かれています。
いくら読んでも、この作家の作風にはなじめないです。
感じ方はわからないでもないけれど、
落とし込み方が全くわからない。
二作目には島田雅彦の「ユダヤ系青二才」。
苦笑いしながら読みました。
若い頃には話題作を読んでみたりしましたが、
この歳になって読んでも、印象はあまり変わりません。


残念なことに鈴木道彦さんの「マルセル・プルーストの誕生」が
完全にストップしてしまいました。
どうしましょう?
大著であることもプレッシャーではありますが、
斜め読みでもいいから、読んでおきたいのです。
それだけの知力はあるのか?おい?


今日は色々と紙類の片付けをしたのですが、
まだまだ本丸には辿りつけません。
すぐにため込んでしまうのがいけませんね。
紙類とは、新聞や雑誌の切り抜きが中心で、
書評やら、映画評や、美術評、健康関係の記事、
ビジュアルが綺麗なもの、好きなファッション等々、
気になること全般なので、整理するだけでも一苦労であります。
そんなことしてないで、年賀状書かんかいっ。


そうです、年賀状の季節ですね。
今年こそ、早めに書いて投函したい・・・と思っています。

2015年12月6日日曜日

進展のない日々

相変わらず何も手に着かない日々が続いています。
本さえもほとんど読まず、ぼんやりとしています。
どうやったら、エンジンがかかるのかしらん。


今日も一日、寒く、暗く、どんよりとしていました。
どうにか身体を動かして、最低限度のことはしましたが、
頭を使うことは一切しておりません。
とほほ。


ただ一つのなぐさめは音楽を聴くこと。
一日FM802をかけて、ぼんやりとしていました。


考えつく方法はテンションの上がる本を読むことです。
「その女アレックス」で大人気のルメートルの
ゴンクール賞受賞作が文庫でありましたので、入手してみました。
「その女アレックス」は悲劇的なミステリだったので、
凝った展開や人物造形、スピード感などには評価をしますが、
好みとは言い難かったのです。
ミステリではなく、またフランスの大きな文学賞を受賞するほどの
作品とは?と気になったのですが、さてさて。


無理せず、次のお休みの日にユルスナールを始めようか、
などと、考え中です。

2015年12月2日水曜日

12月に入りました

今日は12月2日。
ちょっとだけ特別な日。


12月に入ったので、スタートさせるべきことがあるのですが、
なんだかピンとこなくて、何も手についていません。
あまり寒くないからかもしれません。
例年なら、ウールのコートに手袋が必須というのに、
今年はまだ秋物で過ごしています。


ということは寒さが厳しくなってきたら、
気分が切り替わるかもしれません。


先日、自分にとってとても衝撃的なことが2つもありまして、
これでよし、と考えていたことが、ひっくり返りました。
また、軌道修正せねばならない事態です。
仕事は80%出力、読書に力点を置き、勉強を少々、と
考えていましたが、まだやるべきことがありました。
優先順位も見直しをしたいと思います。


1年に一度はそういう類のことを言っております。
いつも整理していって、結果を出して、また悩んでの繰り返し。
悩むには、何か欠けているからなのでしょう。
今回考え直すきっかけをいただいたKさんに感謝いたします。


これからも、何度も軌道修正を繰り返すことでしょう。
そのたびに大切なことを見つけられれば、
それも良しとしたいと思います。

2015年11月29日日曜日

室内楽のコンサート

奈良の秋篠音楽堂というとても小さなホールで催されたコンサートに
出かけてきました。


モディリアーニ弦楽四重奏団と
ピアノに酒井有彩さん の演奏会。


演目は、モーツァルト 弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421
      ベートーベン 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95
      シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44


どれもあまりメジャーでなく、
初めて耳にする曲ばかりでしたから、
とても新鮮に聴こえました。


モディリアーニ弦楽四重奏団はコンセルヴァトワールの仲間だそうで、
若々しく、息のあった演奏が、素晴らしかったです。


弦楽器、とくにヴァイオリンの演奏が好きなので、
楽しみにしていましたが、想像以上の楽しさでありました。


あまり得意ではないモーツァルトなのですが、
それさえも、なんとも品よく、楽しげで、良かった。


ベートーベンは力強く、情熱的で、ベートーベンらしく。


シューマンは・・・。
省略させていただきます。


音楽を聴くのは実にいいですね。
上手い方の演奏は、大変心に響きます。
クラシックは演奏技術、理解力、センス、調和等、
すぐにわかってしまいますから、
それが大変かと思われます。


贅沢者の私が一度は聴いてみたいのは、
ヴァイオリンはパールマン、クレーメル、
ピアノはポリーニ。
機会があるうちに、聴いておかねばならないでしょうね。

2015年11月25日水曜日

奈良も冷えてきました

北海道では11月では数十年ぶりの大雪とか。
雪かきが大変ですねぇ。
奈良もずいぶん冷えてきました。
冬の到来で、電気ストーブ登場です。
これからが本番です、ただただ耐え忍ぶべし。


今日は散髪に出かけて、
行き帰りの電車の中で「さよなら、オレンジ」を読んでいました。
すばらしい傑作です。
きっと目配りのできる人であれば、
手を入れたいと思われるかもしれませんが、
瑞々しさも併せ持ち、
豊かな表現力もあり、
何しろ、これまで日本ではなかったと思われる題材です。
人物造形がまた素晴らしい。
小さな本でしたが、すっかり心を奪われて読了しました。
次作も評価が高まっています。
どんな作品でしょうか。


これで11月の読書は終了です。
「現代小説クロニクル」は継続して少しずつ読んでいく予定です。


そして毎日「はじめてのマインドフルネス」を一章ずつ読んでいます。
よくできた本で、マインドフルネスという理念を解きほぐして、
一般のふつうの人が手にとっても自然に入っていけるように
なっています。名画が一つ一つのキーワードとしてあてはめてあり、
それも親しみやすいようになっていると思われます。
ふむふむ、とうなづきながら、大判のカラーのきれいな本のページを
めくっています。


一日一つの用事、それくらいしかこなせなくて、
ひぃひぃ言ってますが、それと読書を合わせれば、
少しは前に進むでしょうか。
こんな状態で、勉強脳に切り替えられるでしょうか。
始める前から、もう不安になってきました。

2015年11月23日月曜日

「何者」

「何者」 朝井リョウ著 新潮文庫


これまで朝井リョウさんの本を2冊読んでおりますが、
この本は直木賞を受賞された作品であることと、
就活について書かれた本だということで、
興味をおぼえ、読んでみました。


まず驚くべきは、ケータイを使いこなす若者たち。
SNSやブログでのコミュニケーションは、
私のような世代がアナログ人間であることを、
痛感させます。
現在では、LINEもありますから、さらに変化しているでしょう。


でも人間自体は何も変わってはいないのです。
社会に出るための関門となる就職活動。
それは若者にとっては、過酷な試練です。
かつて私もその洗礼を受けましたが、
プラスになることは何一つありませんでした。
感じたことは、企業は人を活用しているのではなく、
利用しているのだ、ということでした。


この物語では、就職活動をとおして、
自分はいったいどういう人間なのかを問うています。
誠実そうな主人公だけれど、
やはり他人のことが気になり、
自己アピールせねば、消え失せてしまいそうになる。
就職活動では、委縮してしまい、本来の自分が出せない。
いったい、どうすればよいのだろう?
という、学生たちが皆悩むであろう課題を取り上げています。


少々過激と思われる展開ではありますが、
学生たちの気持ちは十分に伝わるかと思います。


就職したのちにも、そういった悩みは無くなるわけではありません。
自分とはいったい何者であるか?
それは、人の一生の悩みかもしれません。


早く解脱したいなぁ。

テロ、戦争のことを何も知らない

今回のテロに関するニュースを毎日目にしていると、
影響の大きさを知ることになります。


テロや戦争について、実際は何も知らないのです。
第二次世界大戦での日本人の話くらいしか知らず、
現状は結果として伝わり、それを読むだけなのです。


新聞でも、テロが起きた理由等を分析していますが、
それだけではわからないことがあります。


当事者だけにしかわからないこともあるでしょうし、
中東の歴史的な問題もあるでしょうし、
宗教や宗派の対立もあるでしょう。


でもそれだけではないですよ、と今日教えていただきました。
戦争はビジネス化していると。
それが根絶されない限り、戦争は無くならないでしょうと。
そういえば、そういった話を聞いたことがありますが、
公にそういったことはあまり話されません。
少なくとも、我々はそういうことに加担したくない。
こういったリアルな情報を提供すべきなのはメディアです。
そして現実を直視し、分析する力を学ぶ必要が皆にあるでしょう。


大きなニュースとなっていますが、
FBで「憎しみは贈らない」と語った、アントワーヌ・レリス氏。
そのメッセージは世界を駆け抜け、
皆が賛同の意を示しています。
ご自身がご不幸にあったのにもかかわらず、
冷静に人道的な言葉をつづっておられる姿は、
私たちのお手本となるでしょう。


かつてポーランドで「連帯」という団体があり、
国の歴史、政治を変えたことがありました。
その「連帯」という言葉を「平和への連帯」とすれば、
今の私たちにしっくりくるように思われます。

2015年11月22日日曜日

苦しい立場の人々

恐ろしいテロの影響は、
ムスリムの人々にも大きく広がっています。


心無い人々は、
平和を祈るムスリムの人々までを攻撃しているようです。


でも、ほとんどの人々(と思いたい)は、
よく理解しています。
テロを行ったり、戦闘を行うイスラム教の人たちは、
狂信的な過激派であり、一般のムスリムの人々とは違うということを。


そういった考えや信念を一般に発言したり、
行動に起こしたりしている人々がきちんとおられます。
新聞やネットで、心を通わせている人々をみると、
ほっとさせられます。


SNSの力は凄いものです。
あっという間に皆と意見を共有できるのですから。
この力を平和のために使いたいですね。


フランス、ロシアを中心としたテロの標的になった国の人々が、
一日でも早く安心して暮らせるように、
どうにかしたい、と思う日々です。

連休です

今日は嬉しい2連休の一日目。
それだけで解放感が。
どうやら拘束されるのが嫌なのですね。
誰だって自由がいいです。


会社で思うのは、拘束して仕事をさせるより、
効率よく仕事をさせる方が利益が上がるのではないかと。
今ではフリーデスクの会社や、
自宅勤務など、多彩な働き方をさせる会社があるようですが、
人によって効率が上がることや、
都合がよい場所や時間などは、違いがあると思います。
なので、これがよいと断定することは難しいでしょう。
ただ、長時間勤務は全くダメだと思います。
成果が上がった話を聞いたことがありません。
日本人の4倍も仕事効率が高いというドイツは
どのようにしているのでしょうか。
すごく関心があるので、またしてもあの本に手が出そうです。


さて、「現代小説クロニクル1995-1999」を読み終えまして、
次はどの年代にいこうかと迷っています。
時代性が反映していることがはっきりわかる作品群は、
読み応えがありますね。
自分も経験している時代なので、なおさらです。


11月終盤はあと一冊を読み上げて、
12月に突入しようと思っています。


何かと用事や行事が組み込まれてきて、
ぼんやりとしたい私としては、
あたふたしそうな12月です。

「特捜部Q 吊された少女」

「特捜部Q 吊された少女」 ユッシ・エーズラ・オールスン著
吉田奈保子訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ1901


特捜部Q、デンマーク警察の過去に起こった未解決事件を扱うチーム。
メンバーは4名。
とっても魅力的なカール・マークは警部補。でかくて、お腹もぷっくり、
煙草が手放せず、お酒も好きそう。口も悪い。態度もふてぶてしい。
でも、当たり前にいい人なのです。
助手にはアラブ系のアサド。この人の過去は誰も知らない。
それも複雑なことがあるようで、カールもそれには触れない。
もう一人助手。過激なメークにファッションのローセ。とっても仕事ができる。
ローセもプライベートは隠されています。
気になっているけれど、もちろん深入りはしないカール。
それから新人ののっぽのゴードン。どうやら上司のラース・ビャアンによって
送り込まれたようだけど、この本でメンバー入りを皆に認識させました。


この4名で捜査を行っています。
いつの事件もきっかけは思いがけずやってきます。
今回もカールはとんでもないことに首をつっこんだような気分になります。
で、早めに片付けてしまおうと現地に向かうのですが。
アサドとローセの勘がいつも冴えているので、
カールも自分の考えと突き合わせては、次の行動に移ります。


物語は、いつももう一つのストーリーが平行して動きます。
それは、捜査中の事件と深いかかわりがあることで、
これから新たな事件が起こる予感を呼び起こします。


その上に、カールのプライベートも重要なストーリーです。
奥さんは別居中。(離婚したっけ?)
義理の息子は同居中だけど、好き勝手をしている小僧です。
同居しているもう一人は、カールの同僚ハーディ。
かつてアマ―島でカールとハーディともう一人を巻き込んだ未解決事件
があり、それがあまりにも過酷であったため、カール自身も精神的に
回復していません。ハーディはそれ以上に身体的にダメージを受けており、
現在は車いすでの生活です。
この本までは、もう2人同居人(モーデンとミカ)がいて、
彼らがハーディを介護することにより、ハーディは身体の一部を
動かすことができるようになったのです。
彼らも重要な登場人物です。
その上、カールには必要としている女性、モーナがいて。
彼女とは一時いい関係でしたが、今は距離をおいています。
カールは今も彼女を慕っています。


さて、長くなりましたし、ミステリですから、この本の内容については、
省くことにいたしましょう。
いつものとおり、どうなっているの?はやく辿りつかないと、
また事件が起こってしまうやん!とはらはらどきどきです。


でも何より、ここに書いたとおり、登場人物が皆魅力的なのです。
謎もあれば、親しみやすさもあり、笑わせてくれるし、
泣かせてくれるところもあります。
あんまりカールが人間味がありすぎて、困るくらいです。
カール、ほどほどにがんばってね。
アマー島の事件が解決するまで、このシリーズは終わらないわけですが、
カールのためには解決してほしいし、
シリーズは続いてほしいし、
読者はわがままですね。

2015年11月18日水曜日

休憩

休憩が好きです。
独りっきりのひとときがほっとします。


本を読むのも独りでしかできませんよね。
今日読み終えたのは、小川洋子さんのエッセイ
「とにかく散歩いたしましょう」。
小説はそれで素晴らしく、
エッセイでは真面目で素直なお人柄がよく現れていて、
気持よく、楽しく読むことができます。
やはりあのような作品を書かれる方だけあって、
観ること、気が付くこと、思いをはせること、優しい気持ち、
また、そういったことを言葉に置き換えることができる、
特殊な能力をお持ちでいらっしゃいますね。
そろそろ次の文庫化があるようで、今から楽しみです。


そう思いつつも、
現代日本文学を読むのはもっと絞らないとだめだと、
気にしています。
関心のある作品は文庫化まで待ってからにはしていますが、
そうことではなく、やはり時間が無いです。
この調子では、例えばモンテーニュ「エセー」を読むなんて、
とても生きている間には無理ですね。


読みたい本は星の数ほどあるけれど、
歳をとるほど、古今東西の古典が読んでみたくなってきています。


それでいて気分が楽になる本や、
楽しい本も読みたい。
この欲張りめ、どうしてくれる。


そろそろ本の整理をしなければならない時期でもあるようです。
欲張ってみたものの、さわりだけしか読めていない本は、
潔くあきらめましょう。
自分にフィットする本を読むのが一番でしょうね。


昨日は、京都へ琳派展を観に行ってきました。
本阿弥光悦、俵屋宗達、酒井抱一を中心とする素晴らしい作品が、
数多くあり、じっくり観ていたら数時間は必要でしょう。
幸か不幸か、人数制限がかかるほどのすごい人だったので、
人にまみれて、さくっと観ることしかできませんでした。
それでも、光悦の見事な筆、宗達の見事な構図の作品、
抱一の繊細な作品の数々、と気になっていたところはしっかり。
人ごみに解放された後は園内の紅葉を見ながら、
ブルディガラのサンドイッチを食べて、のんびり。
美術を鑑賞するのは不思議な感覚があるのですが、
それは自分が美術に疎いせいだと思うのです。
ただ感覚だけで、綺麗だ、好きだ、だけで観ているので、
この感情をうまく表現できればよいでしょうね。
なぜか言葉にできない感覚があるのです。


今日は疲れを癒すだけの休憩日でありました。
本のメモもまたまた積まれております。
それはまた後日ということで、ぼんにゅいです。  

2015年11月17日火曜日

通院日でした

またしても雨の降る夜になりました。
まだ奈良は暖かいです。


今日は通院日でした。
頭痛は無いし、気分も安定しているようなのですが、
この1,2か月ほどはおなかイタイタが頻繁に起きています。
ちょっとしたハイテンションの時や、
仕事の山を三つほど越えた時、
打ち合わせを終えてしばらくたった時、
気温についていけなくて汗をかいたりした後、
たいていは夕方に襲ってきます。
頭のトーンダウンに、お腹がついて行っていないのだそうです。
お腹・・・ばかやろ。
とののしる前に、自分の身体のコンディション全体を
整えて行く必要がありそうです。
先生は投薬としては、内科の薬で対応するのがよいと
おっしゃっていますが、
こう頻繁に起きると、生活にも仕事にも支障が出てきます。


お薬を飲むことは一つの方法で、頼らなければならないのですが、
精神的なものをコントロールできないか、と悩んでいます。
座禅でも組もうかしらん。
それだけでなく、生活や仕事の方法も考えることが必要のようです。
集中して仕事をすると、モチベーションは上がりますが、
それだけではなく、じっくりと取り組むことが大切なよう。


仕事の進め方と、
毎日の生活を、よく検討してみたいと思います。


今日はそんな私が気になる心理学の本を買ってみました。
昨今話題の「マインドフルネス」に関する本です。


んんん、大橋トリオとデフ・レパードを交互に聴いているような私に、
効果はあるでしょうか。

2015年11月15日日曜日

近況は

この一週間は、バカバカしいくらい能天気なツキスミだったのです。
なので、テロ事件は頭を殴られたような衝撃がありました。


不謹慎ではありますが、おなじみの近況を少しだけ。


火曜日にデフ・レパードのライブに行ってからというもの、
頭の中ではメドレーがずっと鳴りっぱなしでした。
仕事中もぐるぐると、ツイン・ギターが鳴り、コーラスが流れ続けて、
ついにはデスクトップにサヴの写真を貼り付けるまでに。


家では新曲のPV聴いて、ほんま、ええ曲やなぁ、と溜息。
いや、たんにデフ・レパード節が好きなだけです。


自然とこの30年のブランクのことを考えておりました。
私がデフ・レパードを離れてからの30年、
デフ・レパードが過ごしてきたこの30年。
思いがけずここで再び重なったわけです。
少しずつこの30年を振り返って、
現在に至った私とデフ・レパードのことを考えてみようと思っています。


読書の方は「特捜部Q 吊るされた少女」を読了しました。
シリーズも6作目となり、読みなれてきた感じでもあります。
現代社会の現実もしっかり書かれているので、
デンマークの人々も同じ人間だわ、と思うこと度々。
次のメモではしっかり書いてみましょう。
いつも面白い!ばかりではつまりませんね。


「現代小説クロニクル1995-1999」も一作ずつ進んでいます。
普段は読まない作家の作品も、一応読んでみて、
自分なりに読まない理由を考えています。


11月半ばですが、まだ平均より暖かな日が続いています。
真冬が来るのが怖いのに、もうすでに暖かな服装です。
ほんとにダウンが必要になってきそうです。


年末の予定もちらほら入ってきています。
自分のことだけ考える12月があってほしいのですが。
勉強のセットも手元に届き、12月からスタートです。
集中してこなしてしまいたい、と思っています。


このように普通の生活ができることが、ありがたいことですね。
テロや戦争だけでなく、家族のことや、体調不良だけでも、
生活は回りません。
一日、一日が大切な日々であることを、知らされた土曜日でした。

言葉がありません

13日深夜に起きたパリでのテロ事件。
イスラム国が関係していることが断定されています。


何の罪もない一般の人々を狙うテロは、
どのような理由があっても許されることではない。


仮にイスラム教の教義ののっとっていたとしても、
それは、地球上において許されない。


テロ及び攻撃、侵略を即刻やめる必要がある。
そのことをISの人間に理解させなければならないのです。
誰にそのようなことができるでしょう。


イスラム教の人々を多く受け入れている欧州では、
その矛盾に悩まされているかとも思われます。


国としての警戒態勢等の対応が優先順位の一番にあがりますが、
イスラム教との共存について、
イスラム国への対応について、
各国の人間が考えてみなければなりません。


色々な考えが頭をぐるぐると回っています。
この遠く離れた日本でも憂慮しなければならないことです。


テロに巻き込まれて命を失った多くの方々のご冥福を祈り、
ケガをされた方々、愛する人を失った方々に、
少しでもいたわりの言葉をかけることができればと思います。

2015年11月11日水曜日

久しぶりのお天気

朝からお天気に恵まれて、暖かだった日中。
めずらしく早起きして、お洗濯をせっせとこなしました。
今日は家事全般を担当する日だったので、大忙し。
道路に風で舞い散ったサザンカの花びら掃き、
1階のお掃除をして、ようやくお昼。
しっかり美味しいパンなどをいただいて、
やったぞ、お昼寝タイムです。


というわけで、午後はしっかり寝ておりました。
お洗濯もすっかり乾いて、ほっとしました。
ここのところ乾きが悪かったから、嫌でございました。


夕方にはお夕飯として、いろいろ野菜のソテーを作り、
パスタの用意をして、
他にも細々とした用事を。


合間には「特捜部Q」の新刊を少しずつ読み、
カールとの再会を喜んでおりました。


隙間の時間には何をしているのかと問われそうですが、
たいてい母とおしゃべりをしています。
昔から話相手は私なので、慣れっこです。
ときどき制限時間を設けたくなりますが。


昨日じっくりとTodoリストを眺めて、
11月に読む本を絞り込みました。
とても現実的な案です。
延期する本や、遠回しにする本などを決めたのです。
12月にはついにユルスナールに入ります。
これは決め事です。
毎年12月は特別な月なので。


気になっているのは、庭の草刈りです。
秋口からずっと担当の所を言われており、
なかなかできなくて、悩んでいます。
なぜか気が乗らないのです。
そのうち冬になってしまう・・・それまでにどうにかせねばなりません。


楽しいことの後には、難易度の高いことが出てきます。
明日の仕事のことかもしれません。
まだ、ライブの余韻でうっとりしていますから、
気持を切り替えねばならないところです。

ライブの余韻

昨夜楽しんだデフ・レパードのライブ。
じんわりと余韻が残っています。
あれほど楽しかったのに、一瞬で終わってしまったような気がします。
また目に焼き付けに行きたいところです。


そう考えると、他にも観てみたいライブがあります。
メタリカ、スコーピオンズ、
もう観ることは不可能であろうレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。
一流と言われるバンドのライブを体験してみたい。
昨日のライブで、世界レベルで仕事をしているバンドの凄さが
よくわかりました。
演奏においても、選曲構成、ライブの流れ、パフォーマンス、
いずれにおいても、隙が無く、完璧です。
その上に、本人たちが楽しんでいるという余裕。
当然観客も喜んで乗ってきて、会場全体が一体化する。
皆がライブを楽しみにしているわけがようやくわかりました。


ライブ初体験というわけではなかったのですが、
今回は納得させられたのです。


色々と勉強になりました。

DEF LEPPARD LIVE IN OSAKA 2015

今夜は、デフ・レパードの大阪公演(オリックス劇場)に
行ってまいりました!
コンサートは苦手なのですが、今回の来日はとても気になって、
直前にチケットを買い、観に行くことに。


まぁ、驚くほどに、楽しいライブでした。
ほぼ、40代、50代のおじさん、おばさんばかりで、
世代がわかる入場者構成。
でも、みんな叫んで、歌って、ノリノリで・・・。


ボーカルのジョー(・エリオット)はもともと音域も広くなく、
声も良いとはいえず、歌もうまいとは言い難い。
でも、フロントマンとしてぴったりです。
さすがにベテランですし、貫録たっぷり。


ギターのフィル(・コリン)は想像どおりでした。
かっこよく盛り上げて、決めてくれましたよ。
期待に応えてくれました。


ツイン・ギターのもう一人ヴィヴィアン(・キャンベル)は元気そうでした。
治療をしながらのツアーだそうで、大変かと思いますが、
とても楽しんでいる様子がうかがえました。
フィルと絡んだりして面白かった。


ドラムのリック(・アレン)は昔と変わらない。
若々しさを感じさせる雰囲気がありました。


今回驚いたのは、ベースのサヴ(リック・サヴェージ)。
こんなサヴの様子は写真でも映像でも観たことがなかったです。
ものすごくかっこよかった☆
久しぶりにときめいたくらいです。
演奏もすごくいい音が出ていたので、それも驚きでした。
知らなかっただけなのですけど。


メンバーの楽しそうな様子を観ていると、
ついスティーミン(故スティーブ・クラーク)のことを思いだして、
ちょっと寂しくなりました。



ホールのせいかもしれませんが、
音響は今一ついただけなかったです。
どの音も同じ調子に聴こえてしまう。
ハード・ロックなどでは重低音であるのも関係するでしょうか。


構成はほぼヒット曲中心だったので、
それも盛り上がった要因でしょう。


デフ・レパードの曲はメロディがしっかりとしています。
サビの部分は印象に残るハーモニーです。
ジャンル的にはハード・ロックになるかと思いますが、
他に似たようなバンドはいないような。


ちょうど先日、素晴らしいと評判の新譜が出たばかりです。
もうこれは、買うしかありませんね。


次回の来日も絶対観に行こうと心に決めています。
サヴを観に行くのです☆

2015年11月8日日曜日

11月の雨ですが

秋も深まる中の雨の日ですが、
意外とあたたかく過ごしやすい日でありました。
おかげさまでゆっくりとしたいつもの日曜日でした。
リラックスしたあまり、またまたお腹イタイタが発生しましたが、
その他には、楽しい一日であったといえましょう。


今日は、両親の金婚式のお祝いの品が届く日でした。
物を受け取るのが嫌いな父はご機嫌ななめ。
母は意外であったと喜んでくれました。
ちなみにブツは、ロイヤル・コペンハーゲンのイニシャル入り、
ハイハンドルのマグカップで、大丸の店員さんも
ご両親への贈り物に人気です・・・と言われていました。
あまり大げさでもなく、日常に使えるのがいいかな、と思ったのです。
8月頃から2人の弟と調整を重ねたのですが、
皆が揃う日がなかなか決まらず、結果贈り物にしたのでした。
宴会はまた後日いたしましょう、ということで。
酒飲み一家なので、宴会が一番良いのであります。


そして、夜にはFMcocoloで、殿下・・・プリンスの2時間特集☆
高校生くらいの頃にはさっぱりわからず苦手でありましたが、
いつの頃からか、すっごくかっこいいことがわかってまいりまして、
今夜は踊っておりました。


12月にはコールド・プレイの新譜が出るというニュースに
沸き立ちまして、とても楽しみです。


そして、待ちに待った「特捜部Q」の新刊が出ているとのこと☆
次に大阪へ行くのは火曜日の予定です。
ダッシュです。


今朝の日曜美術館(NHK)に堀江敏幸さんが出演されていたようですが、
案の定、寝坊助で見逃しました。
来週に再放送があるのでしょうか。


さて、プレミア12も始まりましたね。
今日はどうなったのでしょう。
世界のトップクラスの選手が集まるわけですから、
見応えがあると思われます。
それもありますが、肝心なのは秋季キャンプであります。
オフ・シーズンにどういう風にトレーニングをするかで、
来季が決まるといっていいでしょう。
この時期にはカープの情報はさっぱり入ってこないので、
すごく気になります。
中国新聞をとりたいところです。


さ、明日に備えて今夜も休むことにいたしましょう。
ぼんにゅいです。

「プルーストの世界を読む」

「プルーストの世界を読む」 吉川一義著 岩波セミナーブックス92


現在、刊行が続いている岩波文庫版「失われた時を求めて」の
翻訳が吉川一義さんです。
この「プルーストの世界を読む」は2004年の刊行です。
ずいぶん前になりますね。
この本はすぐに手に入れて、プルーストの世界に憧れるきっかけに
なりました。
プルーストの入門本として、とても優しく、わかりやすく、最適かと思われます。


目次を見てみましょう。


 第一章 序章「不眠の夜」
        「不眠の夜」の意味
        「不眠の夜」の成立過程
 第二章 「コンブレー」の構成
        シンメトリックな構成原理
        「悲しい夜」の匂いと音
        「街」の教会
 第三章 「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」
        ふたつの散歩道
        スワンの肖像
        ゲルマント公爵夫人の夢と現実
 第四章 芸術への道
        芸術家の人と作品
        文学の受容から創造へ
 第五章 比喩の魔力と根拠―サンザシの描写
        祭壇のサンザシ
        生け垣のサンザシ


ご覧いただいたように、第一巻を詳細に読み込んでいます。


これまでの研究成果を踏まえ、なぜこの文章が書かれ、
この位置に置かれているのか、までじっくりと読んでいくのです。


文章もとても柔らかで、ゆったりとしており、難解な部分も
解きほぐされていますから、読者も同じテンポでついていけるのです。


小説全体を知らないことには、わかりにくい難点もありますが、
読み通す前には、想像が膨らみ、読後には、納得させられ、と、
理解のしやすさが親しみやすさに繋がっていきます。


そういう意味で、この本が入門本に最適かと思われるのです。
内容の魅力は、とても私の力ではお伝えできかねます。
この本を読むだけで、堪能するだけのものを備えています。
是非、一読をおすすめいたします。


さて、この本のほかの関連本としては、
鈴木道彦さんの「プルーストを読む」を読みましたが、
これは以前にメモをupしたことがありますので、省略いたします。
また同じく鈴木道彦さんによる「マルセル・プルーストの誕生」は、
現在読書中というところです。
他にブラッサイの「プルースト/写真」という本があります。
これはまた改めてご紹介したいと思います。


もちろんプルーストの研究書は数多くあり、奥が深いことは
承知しておりますが、素人読書としてはこのあたりかと、
考えています。
「失われた時を求めて」を通読してみて、現状はこのとおりです。
ただ、この吉川一義さんの本を再読してみて、
吉川訳岩波文庫を読んでみたくなっていることは、確かです。
どうしようかしらん。

2015年11月7日土曜日

11月第一週目終了

今週は2連休もあったというのに、
週後半3日間出勤しただけで、ものすごく仕事をしたという気分です。
ものすごくはしていなくて、ノルマをこなしただけなのですが。
明日の日曜日の天気予報は雨。
でも、ゆったり過ごせるかと思うと、もう気分はくつろいでおります。


ようやく「現代小説クロニクル1995-1999」を読み始めました。
名前だけはよく知っている作家ばかりですし、
すっかり現代の小説なので、読むのがスムーズです。
でも、しっかりと選ばれた作品ですから、読み応えは重く、手ごたえあり。


中村うさぎさんの「他者という病」も読み始めたのですが、
臨死体験を元に書かれているだけに、
大変重く、複雑な内容で、簡単に読み流すことはとうていできません。
もう一度最初から姿勢を正して読みなおそうと思っています。
理性的に理路整然と書かれているため、私のような者には、
なかなかついて行けないのが実態です。


この2冊を読んだら、きっとオールスンの「アルファベット・ハウス」に
走ってしまうでしょう。
オールスンの「特捜部Q」の新作が待ち遠しいところです。


あ~、プルーストはどこへ行ったのでしょうか?

2015年11月5日木曜日

缶詰め

2連休明けの出勤、清々しくて、気持ちが良いものです。


さて今日は午前中から月一回の職場の会議。
皆の仕事状況をヒアリングし、職場の懸案事項を検討します。
これまで私は不参加だったのですが、
新しいK課長が参加してくださいとのことで、
毎月出席しております。
色々な状況がわかって、とても重要な会議です。
もう少し時間があったらいいのにな、と思います。
情報共有のための、職場新聞を作りたいくらいです。


午後は外注先の事務担当Iさんが大阪からお出でくださいました。
じっくり4時間打ち合わせです。
これまでの業務の見直しがかなりあったので、
それを踏まえて事務作業のやりとりを紙の上で確認していきました。
とっても細やかでほがらかなIさんは話をすいすいと理解してくださって、
打ち合わせもすいすい。
話題はあちらこちらに飛んで、とっても充実した時間でありました。
Iさん、遠くまでありがとうございました。


今日はデスクワークがほぼできなかったので、
明日、明後日に分けて、コツコツ片付けていこうと思います。


お部屋に飾った一輪の白い薔薇・・・アイスバーグがとても綺麗です。

2015年11月4日水曜日

気持のよい秋の日

陽が差してくると、暖かな空気が入ってきて、
気持よくなります。
相変わらず すぅすぅと寝ておりました。


水曜日の定番、パスタ作りはだいぶコツがつかめてきまして、
3年もかかってようやくか、と感じています。
自分のイメージどおりに作り上げるのは、
なかなか難しいですね。
以前はマニュアル付きで料理をしていたので、
かえってミスがあまりありませんでした。
パスタは勘で作っているので、なかなか要領を得なかった。
その分、具材が変わったりしても、対応できるようになり、
違うパスタにトライしてみたくなったり、と、
応用が広がってきました。
使ってみたいのはドライトマトです。
これで、深みのある味をだしてみたいです。


今日は「長くつしたのピッピ」を読んでおりました。
リンドグレーンの代表作ですね。
もうピッピ、最高です。素敵。
リンドグレーンは子供のころにやかまし村シリーズとカッレ君シリーズ
を読んでいたのですが、その他は少年文庫になっていなかったので、
読んでいませんでした。
この本を貸してくれた母は、これから児童書を色々と読んでみたいの、
と申しております。素晴らしい傾向です。私も一緒に読みましょう。
楽しい読書が一番ですね!

「伝説の洋画家たち 二科100年展」

「伝説の洋画家たち 二科100年展」 大阪市立美術館


 二科展という名はよく聞くけれど、よくわからない。
 で、あまり関心がなかった今回の展覧会でしたが、
 日経新聞夕刊に高階絵里加さんが総評を書かれていたのを読み、
 行くことに即決、閉展の前日に飛び込んだのです。


 大正3年、官展である文展に対し、立ち上げられたのが二科展。
 自由な新しい画風を求める芸術家たちが集まったとあります。
 今回では主だった画家の作品が集められています。
 その点数なんと132点に及びます。
 著名な画家には、岸田劉生、藤田嗣治、小出楢重、東郷青児、
 岡本太郎、佐伯祐三、坂本繁二郎、安井曾太郎等々。
 私は古賀春江がその中にあったのが、出かける決め手となりました。
 
 見始めると早々に西村伊作の「新宮風景」と遭遇。絵も描く人だったんだ。
 中川一政の「春光」は大正4年の作で、普通にみられる筆致の油絵です。
 岸田劉生の「静物」は重厚なバックに静物が輝いてみえる逸品。
 国枝金三の「都会風景」は大正13年ごろの大阪御堂筋の様子が。
 小出楢重の「帽子をかぶった自画像」は意気揚々とした雰囲気が伝わる
 大作。
 佐伯祐三は大好きな画家。パリの重々しく暗い風景の中に
 アルファベットが大きく浮き上がり、呼びかけられているようです。
 待望の古賀春江「素朴な月夜」はいつものシュールで、柔らかい印象、
 なのに、どこか不安を抱かせる作品です。
 興味深かったのは、熊谷守一と有島生馬(有島武郎の弟)と描きあった
 肖像画です。どちらもしっかりと描きこんだ油絵で、熊谷守一の後の
 作品とは一味違います。そして有島生馬の描いた熊谷の肖像。
 仙人と言われた風貌がこのころから見られるように思われました。
 好ましく思ったのは、伊藤久三郎「合歓の木」。これは現代作家の絵と
 いわれてもおかしくないであろう構図。色合いは少々単調ではありますが。
 また、圧倒されたのは松本竣介「画家の像」。
 戦時中の絵で、すっくりと立ち上がったその像は若々しくも、強い意志を
 感じさせ、横に座る家族の表情がそれを際立たせます。
 緻密な筆致にも見入ってしまいました。


 戦後の作品は岡本太郎に代表されるように、現代社会を先取りするような
 作品が多く、抽象画によってそれらを表されている印象が強いです。


 藤田嗣治は南米を旅した後の作品で、パリ時代で一世を風靡した作品
 とは、少々違った趣がありました。


 秀逸と思われたのは、安井曾太郎の「玉蟲先生像」。素晴らしい。完璧。


 大作も多く、人物画は親しみを感じさせ、どこか安心感を漂わせる雰囲気
 があり、日本人の洋画というだけで、これだけ雰囲気が変わるものかと、
 驚きもありました。
 どの作品もこれから羽ばたこうとする意欲と意思がしっかりと塗り込まれ、
 重量感のある見応えでした。


 とても満足感を味わえた展覧会、久しぶりです。

2015年11月3日火曜日

文化の日

今日は祝日で嬉しいお休みでした。
お天気も良く、5週間ぶりに散髪へGO!
前髪、裾周りをずいぶん短くしてもらって、
気分爽快です。


ついでに傍のユニクロに寄って、
クリストフ・ルメールとのコラボ商品をチェックしてきました。
置き方が綺麗ではないので、少々もったいない気がしましたが、
やはりデザインは秀逸で、普通の服にワンポイントで合わせても
お洒落だろうと思われました。
でも、寒がりの私には返ってオシャレ度が高く、スルー。
まだダウンを着たことが無いのですが(似合わないのです)、
職場にはユニクロのダウンで通勤したいと思って眺めていました。


本屋さんでは、ミルハウザーの自伝的小説「ある夢想者の肖像」を
眺めては、直し、手にとっては、直し、を繰り返し、
どうにか買わずに済みました。
というのも、これまでの経験からミルハウザーの作品は、
短編が好みであって、長編はあまり親しめないからなのです。
でも、惹かれるものがあります。また悩む。


散髪に行く日はお化粧品を買う日でもあります。
今日はリップとファンデーションを購入。
すぐに化粧崩れをおこしてしまうので、
しっかりキープできるよう固めの下地も。
YSL、あまりの高さにめまいを起こしそうに。
イメージ・モデルのカーラ・デルヴィーニュの映像にうっとりして、
ま、これで半年は大丈夫と安心することにしました。


一か月に一度のお楽しみはこれにて終了。
来月はいつ行けるかな?

2015年11月2日月曜日

久しぶりにTV・・・スガくんを観るために

先ほどNHKの「プロフェッショナル」を観ておりました。
主題歌を歌うスガシカオを特集していたのです。


一時期よくわからないアルバムが続いて、
少し距離をおいていたのですが、
ずっとスガくんのブログは読んでいたので、
ライブ中心の活動をしていることは知っておりました。


今度6年ぶりとなるアルバムがでるそうです。
そのアルバムの柱となる曲の歌詞作成の様子が
じっくりと取材されており、その大変さをうかがうことができました。
(スガくんの意見は全くそのとおりだと頷いておりました。)


また、この番組の主題歌「プログレス」を10年ぶりに振り返り、
そしてこれからとなる新しい曲を披露してくれました。


スガくんの曲作り、素晴らしい歌詞、歌唱力について、
この19年の間に多くの人が評価し、愛されていることに、
私までがとても嬉しく思われます。


スガくんと同い年の私。
素晴らしい同胞がいるのだと思うと、なおさら嬉しいです。
(勝手に同胞にさせていただいています!)


昔ライブ・ハウスで聴いた頃は、私も境遇が全く違ったのですが、
今新たな曲を聴いてみて、私の気持ちも一新できるような気がしました。
とても新鮮な心地です。


ありがとうスガくん、
あなたのその生き方から生まれる曲がみんなを照らしてくれるのです。

2015年11月1日日曜日

11月に入りました

11月、さすがに朝夕はかなり冷えますね。
もう暖かく着込んでおりますよ。
とにかく寒いこと自体が苦手ですし、
風邪をひくのも困るからです。


風邪気味かな?と思ったら、
即、エスタック・イブ・エースを飲みます。
お風呂はその時により加減します。
熱っぽかったら、頭は洗わない。
布団に早く入る。
なるべく手を抜く。
2,3日したら、どうにか治まります。
この方法でこの2,3年は寝込まずに済んでいます。
しばらくしても治らなかったり、
咳がひどくなったりしたら、内科のお医者さんへ。
それでも、どうにか風邪で会社を休まずに済んでいるので、
それでいいかな、と。
もちろん、枕にはラベンダーとユーカリのオイルを垂らします。
理想は寝る前の30分前にそういった支度を終え、
ゆっくりリラックスできる音楽をかけて、
読みやすい本を読む。
そうすると、マイスリー(睡眠導入剤)1個ですぅっと寝ることができます。


昨日は、夕方から大阪・天王寺へ出かけ、
大阪市立美術館で催されていた「二科100年展」を観てきました。
充実した内容で、とても良く、満足いたしました。
でも、ちょっと疲れてしまい、
今日もよく寝ましたよ。


このブログ、「体調不良と偏り読書」と名前を変えたほうが
いいかもしれません。

「謎とき 失われた時を求めて」

「謎解き 失われた時を求めて」 芳川泰久著 新潮選書


この夏、新潮社から「失われた時を求めて 全一巻」が出ましたね。
訳と編集はこの芳川さん、リライトは角田光代さん。
と、同時に芳川さん版「謎とき」が出版されたわけです。


 第一章 冒頭の一句について
  ここで、これまでの日本語訳について、
  冒頭の Longtemps、je me suis couche de bonne heure.
     をどのように訳しているのか、比較検討しています。
  芳川さんはフランス文学の研究者でおられるので、
  もちろんフランス語に立ち戻って考えられているのですが、
  実はこれは常に問題になっている訳の部分なのです。
  フランス語の知識が無いと、訳は困難なのが実態です。


   長い間、いつも私は早くから寝るのであった。(1929)
   長い間私はいつも早くから寝ることにしていた(1931)
   長い間、いつも私は早くから床に就いた(1934)
   長い間、私は早くから寝む習慣をとって来た(1940)
   長い間、私は宵寝になれてきた(1953)
    ・
    ・
    ・
   長いあいだ、私は夜早く床に就いた(1990)
   長い時にわたって、私は早くから寝たものだ(1992ちくま文庫井上訳)
   長いあいだ、私は早く寝るのだった。(2006 集英社文庫 鈴木訳)
   長い間、私はまだ早い時間から床に就いた(光文社 高遠訳)
   長いこと私は早めに寝むことにしていた(岩波文庫 吉川訳)
 
  “私”がのちのちになって、振り返った過去の習慣に関して、
  複合過去で表現している、それは、“私”が過去において生きている状態
  を指していると言えるかと思われます。
  それまでの十九世紀の小説では過去を語るとき、単純過去か半過去が
  使われていました。
  冒頭から、プルースト独自の表現を使っているというわけです。
  いきなりなかなか難しい問題提起ですね。


 第二章 “私”が窓辺にたたずむと
  ここでは、主人公が窓という枠から見たこと、
  をクローズアップしています。
  それは、とても印象深い光景が多く、また衝撃的なシーンもあります。
  窓、それも一つの視点の一つです。


第三章 “私”という形式、あるいは犬になること
  “私”の視点や意識は匿名性を持っています。
  それによって、印象や感覚を研ぎ澄ませる作用を考慮しているようです。
  フランス人が知性によって乗り越えてきた歴史を、
  プルーストは印象や感覚によって切り開こうとした、と言える、
  と芳川さんは述べています。


第四章 モネを超える試み
  “私”が目にする、そして意識する風景は、旅などで度々現れます。
  その時の表現は光の移り変わりを意識しているものであり、
  一連の絵画、タブローようであるとし、一つの平面、あるいは言葉に
  よってモネの試みと重なっているようです。


第五章 メタモルフォーズ 隠喩的な錯視
  “私”は様々なシーンで、実際に目にしたものから新たな印象を引き出す
  力を持っています。それが彼の得意技と思っていましたが。
  画家エルスチールの作品を観たときにも、作品から受ける印象が
  どんどんと広がっていきます。それはとても美しく、彼の感受性の豊かさ
  をも示していました。
  同時に、隠喩的な表現が数多くみられ、それは物語の先に繋がって
  いくのです。代表的な例は性的な嗜好の持ち主のエピソードですね。


第六章 小説という場所
  幼いときに“私”は甘美な、恍惚とした印象を持つことがありました。
  それが小説家となる第一歩であったわけです。
  とても有名な章で、“私”が馬車の上から、マルタンヴィルの鐘楼を
  眺めるときがあり、そこで“歓び”を感じるという部分があります。 
  それを一生懸命に書きとめたとあります。
  ここで芳川さんは <時>の開示そのものが、無意識的想起によって
  「時間の偶然性」を廃棄するというかたちで、独自の構造を発揮する。
  そこことを示唆しているのが、われわれは「時間の外に身をおいて
  いるのに」という「自らの外に立つこと」を構造的である。 とし、
  小説の“私”の体験と発見、書くことへの歓びに繋がるとしています。
  そのほかにも芳川さんは細かなところに、独自の隠喩的表現を指摘
  されています。そう考えれば、そう読めるかも。


そろそろ書くのに疲れてきました。
私自身の最初の考えと違って、書くべきことが多すぎる。


この後、第七章 描写のネットワークを読む
     第八章 方法としての記憶
     第九章 石への傾倒 小説を書く
     第十章 死んでいる母と「ひとりの女」
     第十一章 ヴェネツィア紀行
     第十二章 知覚を宿す平面 プルーストとベルクソン
とあります。
どの章もしっかりとしたデータに基づいた考証で、読み応えがあります。
もちろん、全体に、プルーストが影響を受けたラスキンについても含め、
これまでの研究の一端が活かされています。
そういう意味ではとても読み応えのある一冊です。
また、この本を読んでなおさら興味を覚える人も多いことでしょう。
「失われた時を求めて」は、隠喩を数多く含み、どこを読んでも、
実は伏線があり、意味の無い表現が無いといっていいくらい、
重厚な作品なのです。


私は一つの小説としてこの「失われた時を求めて」を読みましたが、
読者の勝手で、苦手な部分はさらりとかわしました。
読んでいる者の勘で、これはあれと結びつく、とか、
これは窓枠がついている、とか、この描写はエルスチールの絵を
観るときと同じようだ、とか、これこそが重要な印だと思いながら、
それはそれで楽しむことができましたので、
これで一応十分だと思っています。
そういった勘の部分や、疑問を解き明かしてくれるのが、
こういった解説、批評本だと思います。


さて、この「謎とき」の本に関して申し上げれば、
筆者の感情や、熱意が後押ししていることが特徴です。
第十二章が難解であることは、筆者もご承知のようですが、
他の章も、もう少しゆとりがあってもよかったかと思います。
そういう意味で、少々読みにくさがあります。
ちょっとせっかちなのね、筆致が。


色々な解説本があって、さらに興味深いプルーストであります。

2015年10月30日金曜日

ファンクラブ

初めてファンクラブなるものに加入してみました。


これまでファンクラブというものにあまり興味がなかったのでした。
コンサートのチケットを入手するのに、
都合がよいらしいとは聞いていましたが、
私はコンサート行かない派ですので、関係ないし、などと
思っていました。


昨今のアーティストのHPを見ていると、
面白い仕掛けがたくさんありますね。
ここ一年くらい聴いている大橋トリオのHPを見ているうちに、
何があるのだろう?と不思議に思うようになり、
ついにふらふらっと入ってしまったのです。


で、何があるかというと・・・特に普通の特典があるだけで、
別に変ったこともない。


コンサート情報が早く入るのが良い、いい席が取れる、
これくらいでしょうか。
でも大橋トリオのコンサートに行く予定は今のところありません。


入ってみて、初めて、私には用がなかったことに気がついたのでした。

2015年10月29日木曜日

「サンドリーヌ裁判」

「サンドリーヌ裁判」 トマス・H・クック著 村松潔訳 
ハヤカワ・ポケミス1891


このミステリが称賛されているのを見るにつけ、
読んだ者として、少しは語っておこうかな、と思い直しました。


これは夫婦の物語です。


アメリカの小さな町の大学教授の夫。
同じ大学の同じく教授の妻。
妻がベッドの中で死亡していましたが、
これは自殺なのか?
夫による殺害なのか?
夫が起訴され、裁判が始まります。
裁判を舞台としながら進むミステリです。


夫は不利な状況下にありますが、
裁判中、弁護士と娘とのやりとりを挟みながら、
過去を振り返ります。


妻はあの時、なんと言ったか。
妻はどういうつもりであのような行動をとったのか。
妻の相手の男性とはどういう関係だったのか。


妻と夫は全くの他人。
偶然知り合い、妻は夫を伴侶として選びました。
そして旅に出たのでした。
旅から帰り、二人で勤められる大学を選び、
引っ越し、新たな生活が始まり、娘に恵まれ、
そして時が流れ、妻は重病であることがわかりました。
ああ、だのに夫サミュエルはいったい何をしていたのでしょう。


妻はたくさんのキーワードを残していました。
それは、夫へのメッセージであったのです。
そのことに気付いた夫サミュエルは、始めて己を知ったのです。


すべてが夫サミュエルにとって明らかになり、
裁決が発表されます。


そして、エンディングが訪れます。


ミステリ仕立てではありますが、
夫婦の話として読ませられました。
未だに夫婦というものが理解できない私には、
結末はあまりに愚かしい。
事実は小説より奇なり。


小説としての体裁が複雑で、
読み解く醍醐味もありますし、
心理描写を追っていく興味深さもあります。
もちろん山場もあちらこちらにあり、
冷や汗をかきながら読む人も多いのでは。


ミステリ小説としては満点、
個人的には苦手、という読書でありました。

2015年10月28日水曜日

「失われた時を求めて」13 見出された時Ⅱ

「失われた時を求めて」 13 第七編 見出された時Ⅱ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


この最後の一冊は、“時の流れ”を意識させる描写が
連なっています。“時”をどのように、どんなときに、
どんなふうに意識するものなのか。
“私”はこの“時”を芸術作品として、
書いてゆくことを決心し、それがスケールの大きなものであることを
すでに予測していました。
物語は“時の流れ”つまり“時”はどういうものであるか、
“私”の思考の終着点に向かって結ばれます。


この集英社文庫版には訳者による“はじめに”があり、
前巻で起こったことを振り返り、この巻で起こることを前もって
知らせてくれます。非常にすぐれた解説であり、
私たちは“はじめに”をナビとして物語に入っていくことができます。
そこでは、作者プルーストの意図の考察も取り上げられており、
この小説がいかに壮大なものであるかを知らせてくれるのです。


この小説に出てきた人物たちが、
この巻では新たな立場や様子で登場します。
そしてサン=ルーとジルベルトの間に生まれた娘も登場します。
また、かつての舞台女優ラ・ベルマと、現在有名人となった
ラシェルが比較されるように書かれています。
昔、ラシェルはサン=ルーの恋人でありました。
ヴェルデュラン夫人はゲルマント大公夫人の座に収まっています。
これだけでも、驚かされるわけです。
と同時に、私も話相手との会話で自分が歳をとっていると
理解されていることを知らされます。


プルーストは51歳で亡くなっています。
この大作が書かれた経緯は大変複雑で、
現在も研究が進んでいるようです。


物語を読むということは終了しましたが、
解説の本を読むことで、この本の気が付かなかった魅力や、醍醐味、
書かれた経緯を読み解く面白さも知ることができるでしょう。


色々な意味で、終わらない物語、そういう印象が最も強く残っています。

今年のブログを振り返ると

今年はどんな風にスタートしたのだったかな?
と、1月のブログを開いてみると。
あれまあ、抱負はすべておじゃんです。


勉強を夏から再開しますと言っておきながら、
仕事が忙しかったことと、通信教育を申し込めず、
タイミングを逃しています。
こちらは、より実践的な資格を目指して、
冬から通信教育を始めるように申込みをいたしました。
この勉強についての話は後日またいたしましょう。


健康面は1月末から偏頭痛に襲われ、苦しみました。
しばらくして治まったものの、
同時にダンベルを復活させるのが怖くて、
ストレッチもほとんどしなくなってしまいました。
精神面の持病は不思議なことに安定しております。
お医者さんも太鼓判を押してくれていまして、
だいぶタフになってきたかも?!
でもお腹イタイタは相変わらず起こるので、
自律神経のコントロール、気持ちのバランスに気を
つけねばならないところです。


読書は、プルーストこそクリアできましたが、
本丸になかなか近づけておりません。
先日もお話したように、読みやすい本ばかり読んでいるのが、
足かせになっていますね。
読みやすい本というと語弊がありますが、
関心のある現代文学や、書き手の人のものは、
現代人として読んでおきたいと思うのです。
でもそういった本の比率を下げないと、
ユルスナールや須賀さんの本の読み込み、
心理学、哲学・思想の本まではなかなか進めないでしょう。
これは来年の課題ですね。


今年の春前後からは職場と仕事の悩みをつらつらと書いておりました。
半年が過ぎて、新しい上司の方のやり方にもずいぶんと慣れ、
一新した流れで業務が進むようになっています。
ただ、私だけでなく、悩みが解消されたわけではなく、
秘かにI課長に相談したりしながら、
あきらめも持ちつつ、日々を過ごしています。
自分の立ち位置をしっかり固めて、
オーバーワークにならないよう、
そしてミスの出ないように努めたいところです。


こんなブログではありますが、
よろしければ、お付き合いくださいませ。
お読みいただいている方に感謝を申し上げます。

2015年10月27日火曜日

久しぶりの雨

満月の夜だというのに、
予想どおり雨が降り出しました。
降り出す前のお月さんはオレンジ色にぼやけていました。
朝には上がるらしいですが、
久しぶりの雨で喜んでいる人も多いことでしょう。


私は仕事中も暇に見えるらしく、
そんなんしてたら俺が前にいた部署では撃たれるで、
と恐ろしいことをいう人がいます。
暇じゃなくて、メリハリをつけてんねん、
と言い返したいところですが、
笑っておくことにしています。
いつか爆発するかもしれん。


それよか、時間が無いんです、私。


プライベートでも仕事の時のように段取りを組んで、
先々にこなしていく方法をとればよいのかと思います。
段取り好きではあっても、面倒くさがりなので、
プライベートではついつい後回しにしてしまいます。
それが命とりになるかもしれませんね。


読書もそういう傾向があります。
難しい本を後回しにしてしまう。
勉強も困難な方をあきらめてしまう。


詰め込みすぎたら、またダウンしてしまいますが、
やるべきことを先にするように心がけましょう。
来年の抱負は決まりです。

2015年10月26日月曜日

枯葉

歩いていると枯葉が目につくようになりました。
見上げてみると、黄色くなりかけた木々が。


そして夜も訪れも早くなりました。
帰るころには白いお月さんが暗闇に光っています。


そのうち、息も白くなって、
手が冷たくなって、
コートを着るようになるでしょう。


毎年の繰り返しなのに、
新しい季節の訪れはいつも新鮮です。


今週はゆっくりペースで参ります。
そんなときには、やりたいことばかり思いつきます。
心理学、カウンセラーの勉強をしなければ、と思いつつ、
本当に勉強したいのはフランス語だよ、と
心の声が聞こえてくるのでした。
ここ数年のメディアを見ていれば、
遅くなってでも英語の知識は必要だと思わされますし、
もちろん本を読み続けたいですし、
頭が混乱してきます。
そのために定期的に計画を立ててみるのですが。


どれも時間と根気の必要なことばかりです。
人生の目標と実質的な目標を重ねて勉強をすることにしていますが、
これも私らしくコケてしまいそうな予感がします。


どうしたら、納得できるのだろう。
満足できなくてもよいのです。
どれも手に入れたいのです。


新しい季節が来るたびに、
自分の位置を考えさせらえてしまうのでした。

木枯らし一号

今日は陽射しはあったものの、風が強かったですね。
木枯らしがやってきました。
おかげで夜はとても寒く感じます。
すごく着込んでいます。
ストーブにはまだ早いのでしょうが、出したくて仕方ありません。


昨夜は朝井リョウ著「何者」を読み終えました。
途中までは、着地点が想像できなくて、どうなるのかと思いましたが、
終盤で、よし!と膝を打ちました。


次は、と。


今日は日曜日ですので、読書メモをUPしたかったのですが、
あまりに冷えるので(?!)お休みします。
これでは本番の冬はどうなるのか、不安であります。


来週は特別な予定が無い一週間。
何もないことで、退屈するか、テンションが落ちるか、
はたまた落ち着いた日々を送れるか。
仕事でも事件が無いことを祈るばかりです。

2015年10月25日日曜日

リセット

先日の懇親会でハイテンションのあまりお腹イタイタをおこした私。
困ったのではありますが、なんとなく納得がいったのです。
遠足からこちらテンションを維持するのに気をつかっていました。
その反動が出たのではないかな?と。


そして今日も予感はありました。
久々にリラックスした何もしない一日を過ごして、
きっとその効果が現れるだろうと。
で、そのとおり夕方にお腹イタイタはやってきました。


精神というか、気持ちというか、コントロールは難しく、
自分に無理を課していると、ストレスが溜まってきます。
それは自然なこと。
ストレス・フリーは理想ですが、
そんな生活は実際には難しいでしょう。
ストレスのあまり重い病気になってしまう人もいます。


私は顔面ピクピクはよくあるので、
ストレスに弱いことはよくわかっています。
だからお腹イタイタも身体の反応だと思っています。
すごく苦しいのですが。
恥ずかしいし。


ストレスの無い生活も経験があるので、
今さら楽な生活がベストとも思えません。
こんな自分と付き合っていくのも人生ですね。


そんなこんなでお腹イタイタによりリセットされたつもりで、
明日から仕事に行ってきます。

2015年10月24日土曜日

冷や汗のち感謝の懇親会

今夜はこじんまりとした懇親会・・・I課長とYちゃんとTちゃんと4名。


このメンバーで集まるのは4回目ですが、
裏表のない素直な気持ちで仕事の話ができる重要な懇親会です。
男性中心ですから、悪口は無く、事実関係をまじめに、
可笑しくお皿の上に乗せてお料理いたします。
お互いのことをよく理解しているということも大切ですね。
そのコンビネーションが素晴らしい。


で、一番精神的に幼いのが私です。
今夜は嬉しくて、食事よりもおしゃべりに花を咲かせてしまいました。
すると・・・テンションが上がりすぎて、自律神経がぽきりと折れてしまいました。
例のお腹イタイタです。席をはずすこと6回。
気まずいやら、気恥ずかしいやら、申し訳ないやら、で、
もう穴があったら入りたいくらいでありました。


でも皆とても優しくて、さりげなくて、嬉しかったです。
この部署に来ても、また良い人たちと巡り合えたと思います。


この人たちと(I課長は別の部署におられますが、同じ会社ですし)
仕事をする楽しさ、ありがたさを味わいながら、
これからも職場での日々を過ごしていきたいと思いました。


みなさん、ありがとうございました。

2015年10月22日木曜日

すぐに読みたい本を散らばせて

昨夜取り上げた“すぐに読みたい本”を眺めてみると、
じっくり読む本が少な目です。


じっくりしか読めない本は他にあるのです。
ユルスナールやシモーヌ・ヴェイユや、
阿部謹也さんの歴史考察の本や、
辻原登さんの勉強本、
カルヴィーノの大群。


なるべく一か月に一冊はじっくり読む本を軸にしましょう。
そして“すぐに読みたい本”を散らばせるのです。


と簡単にはいっても、バランスが難しい。
これは大好きな計画を立てるチャンスです。
2,3か月くらいのプランを考えてみましょう。
もちろん脱線もありです。


“すぐに読みたい本”の中には旬の本もありますから、
そのあたりも考えて、と。


後残り一年である程度収まるようにしたい、
そして、次の課題へ入りたい、と思っています。


来年には、ユルスナールの「ハドリアヌス」と「黒の過程」も
再読したいと思っています。
ユルスナールと須賀さんはライフワークみたいなものでしょう。


そして再来年には・・・。


難しい本がさらに多くなりそうなので、
かえって“すぐに読みたい本”の類が増えそうな気もします。
それにかまけていると、肝心な本を逃してしまいますから、
要注意。


まずは年内の計画を立てることにいたします。

すぐにでも読みたい本たち

「他者という病」 中村うさぎ
「獄中記」 佐藤優
「黄昏客思」 松浦寿輝
「ロラン・バルト」 石川美子
「読んで、訳して、語り合う」 都甲幸治
「現代小説クロニクル 1995-1999」
「現代小説クロニクル 2000-2004」
「現代小説クロニクル 1975-1979」
「パリの学生街」 戸塚真弓
「何者」 朝井リョウ
「さようなら、オレンジ」 岩城けい
「長靴下のピッピ」 リンドグレーン
「阿部謹也自伝」 阿部謹也
「世間への旅」 阿部謹也


これらの本が本棚の手前にあって、
いつ読まれるのか、待っていてくれています。


今読んでいるのは、
「マルセル・プルーストの誕生」 鈴木道彦
「パリの紅茶の話」 戸塚真弓
休憩しながら、上記の本も読んでいこうと企んでいます。


もちろん、これ以外にも・・・ああ、恐ろしや。
今年度中に読めるものとそうでないものを仕分けて、
いいところにユルスナールを強引に持ってこようかと。


一日読書タイムは30分~1時間の身。
読める本からいくしかないです。

2015年10月21日水曜日

ゆっくりいたしました

一昨日の遠足があまりにハードだったので、
今日は疲れがどっと出るのではないかと思っていたのですが、
ゆっくりとマイペースに一日過ごせたからか、
疲れもだいぶとれたようです。


遠足の時には、
ご一緒した同じ会社の3名の女性の方々、
とくにMさんにはお世話になりました。
座席がお隣であったこともありましたが、
とても気遣いの細やかな方で、
おかげさまで気持ちよく過ごすことができたのです。
ありがとうございました。


昨日久々の職場では、
心配することは必要なかったようで、
山積みも無く、いつもどおり粛々と仕事に従事できました。
とはいえ、外注さんとの業務に新たな失敗が発覚し、
えらいこっちゃ、と冷や汗です。
次の打ち合わせの際には、
配慮が必要になりそうな一件であります。


遠足時の集合場所へ行く途中に大阪城ホールがありました。
そう、その前日と当日にはサカナクションのライブがあったのです。
ラジオのDJさんが、素晴らしかったと話していたので、
眺めながら、行きたいなぁと。
サカナクション、どちらかというと初期の作品を聴くことが多いのですが、
見事に大魚に成長されたようです。
今度ライブDVDが出たら、ぜひ観よう。


読書の方は、課題がたくさん積みあがっています。
ユルスナールを読めるのはいつのことになるやら、です。

「失われた時を求めて」 見出された時Ⅰ

「失われた時を求めて」 12 第七編 見出された時Ⅰ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


さて、とうとう“見出された時”までやってきました。
ここで、この小説の書かれた意味と意義を知ることができるでしょう。
そして有名なエピソードとなる想起されたきっかけを見ることにもなります。


“私”はジルベルトとサン=ルーの別宅であるタンソンヴィルに
滞在しています。
そこでゴンクール兄弟の日記(これはプルーストが書いたもの)を
読み、彼らが書くことで成功していることが、“私”には不足しており、
ひるがえせば、“私”はものごとを違った形で捉えていることでもある、
そういったことを考えさせたのです。
そのすぐ後に、長い間療養生活を送っていた“私”は書くことを諦めて
いました。しかし第一次世界大戦が始まり、療養生活を切り上げて、
パリに戻ってきます。
しばらくは戦時中の話が続きます。おなじみの名前が次々と
現れ、個性豊かな彼らの様子が語られます。
シャルリュス男爵も重要な役目を果たしてくれました。
現場を目撃してしまったのです。
そして戦争はあらゆるものの価値を代え、
軍人として果敢に第一線に赴いたサン=ルーは戦死したのでした。


再び療養所にて過ごしていた“私”は完全に回復することなく、
退院し、パリへ戻ってきます。
ゲルマント家に招かれた“私”は、ふと入口の敷石のところで
つまづきました。その時です、かつても感じたことのある幸福感に
襲われたのは。以前ハーブティーにひたしたマドレーヌを口に
含んだときには、その幸福感を逃がしてしまいましたが、
このときには、これを逃してはならないと悟ったのです。
続いてスプーンが磁器にあたる音がしました。
敷石につまづいて想起されたのは、ヴェネツィアでの出来事でした。
マドレーヌの味はコンブレーでの思い出。
スプーンの音により、また新たな記憶が蘇り、
様々なシーニュが私の幸福感を呼び起こし、これらが結びついて
私の記憶、物語を形作っていることを実感するのです。
ここから末尾までは、実際この幸福感が文学とどうつながっているのか、
“私”は考えを構築させていきます。
ある意味この部分がこの本が書かれるべきものであった理由を
知ることができる山場でありましょう。


“私”が語る言葉が実は大変難しい。
いや、難しい言葉は使われてはいないけれど、
本意を汲み取るには根気が必要です。
というより、わかる人には魔術のように伝わるでしょう。
このとおり私は読み手としては失格です。
考えた事実として読み、
そしてここまでの物語がすべてここに集結しているのは、
当然の帰結として読んでしまいました。
ああ、もったいないこと。
少々リズム感が合わなかったことも理由にあると思います。
そしてフランス人らしい思考回路についていけなかったこともあります。
もう一度読み返すべきか、訳を変えて読んでみるか、
結局は“私”の心理を読みこなせないままとなるか、
考えてみようと思っています。

2015年10月20日火曜日

研修といいながら、遠足気分

昨日は、予定どおり某団体が主催する研修に参加してきました。
各社から数名ずつ集まり、総勢25名+主催担当者、コーディネイター、
コンダクターが朝早く大阪某所に集まり、観光バスに乗り込み、
一路、京都へ。


第一の訪問地は知恩院でした。
国宝である壮麗な三門をくぐり、まずは鐘楼へ。
年末にTVで放映されるあの巨大な鐘はなんと70トンだそうです。
小高い丘の中腹に大きな身体を緑の中にひっそりと置いておりました。
触らせてもらって、迫力を体感。
次はメインであり、現在修復中の御影堂の工事現場の見学です。
工事建屋の4階まで上がり、屋根の修復の様子を見せていただきました。
あまりに大規模で、圧倒されました。
補修工事の様子は、素人が見ていても、見事な手さばきでこなされていて、
いつまでものんびり眺めていられそうでした。
たぶん高さや角度などの見学視点位置が良かったのだと思います。
それから建屋に入り、ぐるりと奥へ入り、徳川家の方が寝室として
使っていたというお部屋で、お抹茶をいただきました。
寝室ということで、襖絵は墨絵なのだそうです。
美しい庭園を眺めながらの一服はとても落ち着きました。
そして大方丈へ。徳川家が執務、人と会う中心のお部屋へご案内。
まあ、お寺であるのに、豪華絢爛なこと。
襖絵は金箔たっぷりに鶴、松、でございました。
撮影は禁止でしたが、触ったりしてみましたよ。


とようやく、これで知恩院見学終了です。
法然上人が開き、徳川家によって保護、拡張された立派なお寺でありました。


あらあら、こんな風に続けていると、終わりが来そうにないですね。


お昼の時間になりました。
木屋町のたん熊北店本店でお食事です。
京料理の代表的なお店で、季節感のある美味しいお食事をいただきました。
この頃になると、皆すこしずつ慣れてきて、和やかになってきましたね。


続いては、重要文化財である町屋、諸国大名が宿泊したという二条陣屋へ。
スケールの大きなお寺とは対照的に、人間のサイズに合わせたお家です。
つまり現代人の我々には縦も横も狭すぎるのです。
こじんまりとして、工夫に工夫を重ねた、コンパクトサイズのすべてが
揃ったお家。一部屋もとても小さい。しかしながら、防犯や防災に優れ、
便利なアイデアがあちらこちらにみられます。
最も驚いたのは我々が1時間以上かけて見学したのは、全体の3分の2、
残りの3分の1のスペースでは、当主の小川家の方がお住まいだということです。


丁寧に見学していたこともあり、このあたりで時間が足りなくなってきました。
巻が入ります。
3つ目には、檜皮葺の研修センターへ向かいます。
ですが、交通渋滞に巻き込まれ、バスが動かず、降りて歩くことになりました。
この日はとにかく階段と坂を登って、下りてが多くて、
よく歩きましたし、1万歩は越えていると言われました。


檜皮葺の研修もDVDによる見学と、実施体験があり、以前から不思議に
思っていたことが色々とわかり、とても面白かったです。


最後には茶店で、みたらし団子をよばれました。
もう夕暮れになっていて、コンダクターの方は冷や汗。
一日のんびりする時間も無かったくらい、歩き回り、話を聞いて、
おしゃべりして、全員が充実した時間を過ごしたのではないでしょうか。


緊張と疲労とで、皆さん身体が重くなっていたと思います。
帰り際には、満足感がバスの中に広がっていました。


奈良組3名だけ東福寺でバスから降ろしてもらい、
京都に戻り、帰途へついたのであります。


私はそれからおまけもつけたのですが、
なるべく早めに帰り、早めに休んだのでありました。


たいへん長くなりました。
お暇な方は、ふ~ん、と読んでみてください。


皆々、お疲れ様でした。
関係者の方々にお礼申し上げます。

2015年10月18日日曜日

お天気が続きます

秋日和が続いて、お出かけには最適ですね。
鬱っぽくなることもないので、気分は上々です。
ただ風邪はあまり良くならず、まだしんどいです。
ぴったりのお薬を飲むと効果が早くでますから、
もしかしたら処方していただいた薬がフィットしていないのかもしれません。
風邪は治すのが難しいですね。
よく食べて、よく寝ているのですが、これ以上はどうしようもありません。


今日の日経新聞の書評欄は気になる記事がたくさん。
芳賀徹さん、この方のことはとても気になるのですが、
おっしゃっていることが、難しくて、参考にすらなりません。
素晴らしい才能とそれを活かす能力をお持ちの方として、
文学、人文、芸術の分野を牽引されています。
ご自身がいつも手に取る本を数多く挙げられているので、
どのように本を読まれているのか、丁寧に読んでみたいと思います。


小池昌代さんは故・池田晶子さんを取り上げておられます。
池田さんについては、存命の頃に大変な人気でしたが、
亡くなっても尚その生き方も含め、多くの人に影響を与え続けています。
これもじっくり読んでみよう。


そして、松浦寿輝さんのエッセイが出ている!ことを知らずにおりました。
これは急いで本屋さんへ行かねばなりません。


昨日は阿部謹也さんの本を入手できて、
そのうえ、文庫化されたウェルベックを読むことにしてしまいました。
私にとっては、怖いもの見たさのウェルベックです。


そんなに本を積み上げて、
どこから読むんかい?という感じですね。


さて、明日は遠足のため、いつもよりずいぶん早起きして、
出かけねばなりません。
久々にラッシュの電車に乗ることになりますから、
集合場所に行くまでに疲れてしまいそうです。
いつも体調のことばかり気にしていますから、
楽にする方法や、ショートカットする方法ばかり考えています。


というわけで、さらに早寝いたします。
ぼんにゅい♪ 爽やかな月曜日をお迎えください。

2015年10月17日土曜日

今日は通院日

昨夜は朦朧として書いたので、
後になって読んでみると、
書いた人間にしかわからないというケッタイなブログでありました。
で、かっこして補足説明を加えてみましたが、
あまり意味はありません。
そうです、私のブログは全く意味が無いのです。


今日は通院日、で朝から大阪へ出かけていました。
まだ微熱が下がらず、ちょっとしんどかったのですが、
少しずつ昨夜もらった風邪薬が効いてきたようで、
夜には普通に食事もできるようになりました。


一昨日くらいまでは、今日のお休みにはたっぷり本を読んで、
大好きなパンをたくさん食べようと思っていたのです。
残念ながら、それは実現できませんでした。


本は寝かせてあった「サンドリーヌ裁判」トマス・H・クック著。
読み始めて、自分は裁判物が苦手だとわかりました。
で、筋と気になるポイントを押さえながらのつまみ読み。
なかなか凝った趣向で、登場人物の造形も興味深い。
で、読者が納得するストーリー展開であります。
個人的に痛い部分があるので、これ以上掘り下げるのは、
やめておこうと思います。


さ、これから月曜日の遠足の準備をすることにします。
参考資料を読むのです。
会社が加盟している団体が主催する研修で、
希望者のみ参加できるのですが、
入社して以来行ってみたいと言いながら、
なかなか機会がありませんでした。
今回、うちの会社から参加するのは女性4名。
顔見知りの方々なので、楽しく過ごせそうです。
団体行動は本来苦手だし、バス酔いしそうだし、
風邪も治して、体力も持たせたいし、
気になることもあるのですが、
せっかくですから、楽しむようにしたいと思っています。

2015年10月16日金曜日

微熱

昨日から再び喉が痛くて、熱っぽい。
身体が重くて、ぼんやりとしていて、眠い。
今日はお腹イタイタ用のお薬をもらいに内科のお医者さんに
行ったので、一緒に風邪薬もだしていただきました。
しっかり食べて、お薬飲んで、よく寝る。
そして月曜日の遠足に備えなければ。


ぼんやりした頭で、気になる本を取り出してきて、
どれから読もうか、ぱらりぱらりしています。
どれも面白そうです。


軽い評論ではなく、ソフトな評論というジャンルを作っちゃいましょうか。
純文学をどう噛み砕いて日常生活に下すか。
(評論という固い表現を使っていますが、
 純文学を柔らかく話ししてみたい、ということです。)


本の読み方は、今様々な催しや、サークルがあって、
活気があるようですが、
これを経済や哲学や、青少年向けではない、
頭のよく切れる人を招いて、いろいろ話をしてみたいです。
(一方通行で終わらず、カフェ・スタイルで会話をしてみる、
 そういう感じはどうでしょうか?
 ブログでは多くの方の感想を読むことができますが、
 オフ会が一番よい形のような気がします。)


Sさんいかがですか?今は語学に集中ですね。
Oさんいかがですか?書き手は評論家としても向いておられるのでは。


本だけを読んで生きようとすれば、
どんな生活になるかな。
(本を読んでいるときが、最も充実感を味わえる、
 そういう人は多いと思うのです。)


本を中心に生きることができれば、最高なのですが、
これは最後の夢として残しておきたい気持ちもあるのです。


朦朧として、寝て、たくさん本の夢を見ることにします。
ぼんにゅい♪です

2015年10月14日水曜日

「失われた時を求めて」 逃げ去る女

「失われた時を求めて」 11 第六編 逃げ去る女
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


この巻はリーヴル・ド・ポッシュ版(1993)の「逃げ去る女」を底本と
して、他の諸版を参照して訳されたとあります。
訳者の鈴木さんが冒頭でことわっておられるように、
この巻については、複雑な経緯があるようです。
①大戦中に書かれた「自筆ノート」
②「タイプ原稿1」生前最後の修正が加えられたもの
③弟ロベールらの修正の入った「タイプ原稿2」
があり、それぞれ問題があるとのこと。
今回のリーブル・ド・ポッシュ版は「タイプ原稿1」の刊行者によるもので、
比較的新しい版ではあるが、これにも不備はある、ということです。
などなど、なぜ問題なのか、不備であるのか、は、
“はじめに”をじっくりお読みいただきたいと思います。
プルーストがどういう編にしたかったのか?
そこが一番のポイントですね。


さて、この本では、
アルベルチーヌが“私”の家から去り、叔母の家に行ってしまった、
というところから始まります。
当然ながら、自分の本心、どうすればよいのか、などと悩む“私”です。
腹心の友サン=ルーに、叔母さんの家を訪ねてもらうことにしました。
アルベルチーヌから電報が届き、また私は手紙を書きます、
また彼女から手紙が届き、私は返事を書き、そしてサン=ルーが
帰ってきます。彼の話を聞いて、また悩む私。
と、そこへいきなりアルベルチーヌが落馬して死んだという知らせが。


こんな風に経緯を書けば、単純になりますが、
このあいだの私の心の内は嵐のようです。
すごくシンプルに考える人にはわからないかもしれませんが、
悩む人には、とてもよく読み取れることでしょう。
それも、亡くなってしまったとならば、いったい・・・。


4分の3ほど進んだところで、
“私”は母に連れられてヴェネツィアに向かいます。
念願のヴェネツィアです。
ですが、心が沈んでいるからか、とても冷静な眼差しで、
ヴェネツィアを歩いています。
これは意外な気がしました。
もっとボリュームのある内容になっているだろうと勝手に予測していたので。
母と一緒であったことにより、気持ちが落ち着いていたのかもしれません。
さらりと書かれているだけに、読み落としも多いような気がします。
もちろんヴェネツィアでもアルベルチーヌのことが思い出されます。


ヴェネツィアからの帰り、思いがけないニュースが舞いこみました。
ジルベルトとサン=ルーが結婚するというのです。


知識として知ってはいても、思いがけない展開ですね。


さて、アルベルチーヌが去り、新たな縁組があり、
“私”にもどのような変化があるのか、気になるところまできました。
“私”は今後何を語ろうとしているのでしょうか。

今日は水曜日

定休日の水曜日。
午前中にランチ用のパンを買いに出かけました。
のんびりとした時間は実に解放感があって良いなぁと痛感。
今年はいつになく金木犀の香りが強く感じます。
傍によってみると、オレンジの小さなお花がぴっちり。
甘い香りですね。


夕方にはFMcocoroでマーキーのおしゃべりを楽しみ、
合間にパスタを作りました。
本日はめずらしく生姜と青梗菜を入れた和風仕立てです。
でも仕上がりは違和感なく、というより、いつもと同じ味?!
調味料も変えたのに、不思議です。


日経新聞の夕刊では連載小説「擁壁の町」がピークを迎えています。
この小説、本で読んだら普通かもしれませんが、
毎日少しずつ展開していくのを読むのがとても楽しいです。
日々の楽しみとなっていまして、
帰ったら、すぐに夕刊を広げる習慣となりました。


その夕刊に栩木伸明さんの「旅する文学」が水曜日にありまして、
今日は須賀敦子さんを取り上げておりました。
じっくり読んでいると、須賀さんの作品のことが思い出されて、
色々と考えておりました。
時間とともに、私なりの考えがまとまってきたような気もします。
今後も、一人の女性の生き方として、考えていきたいと思います。

2015年10月12日月曜日

「失われた時を求めて10」 囚われの女Ⅱ

「失われた時を求めて 10」 第五編 囚われの女Ⅱ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


アルベルチーヌと暮らしていたのはいったいどれほどの時期だったの
でしょうか。
具体的なことはきっと文章の中に組み込まれているとおもうのですが、
それを重要視していないようかのふりをするのが上手なプルースト。


この巻では、ずいぶんと大きなサロンを宴するようになった
ヴェルデュラン夫人のところでの演奏会から始まります。
ここでは故ヴァントゥイユの七重奏曲が披露されます。
第一巻でコンブレーの音楽教師として登場したヴァントゥイユが、
実は素晴らしい作曲家であったことは、
これまでにも明らかになっているのですが、
ここで音楽についての考察が述べられる場面にもなっています。
クラシック音楽を聴く醍醐味は、芸術理解の一例として書かれますが、
私にはわかりにくいのでした。
そのように頭で考えてみたことが無く、
感覚だけで聴いているからでしょう。
複雑なことに、この七重奏曲は、ヴァントゥイユの娘の相手の女性によって、
解読され、公になったようです。
このあたりは伏線がいくつもありますが、
ちょっと無理があるような気がします。
演奏会の後には、シャルリュス男爵を中心におしゃべりに花が咲きます。
シャルリュスの切れ味抜群で、頭ごなしの台詞がまたまた可笑しい。
社交界の場面はいつも可笑しいと思わされます。


後半では再びアルベルチーヌが待つ家で。
アルベルチーヌが“私”を裏切っているのでは、という不安が
常につきまといます。
彼女は“私”を愛してはいないことを心の底ではわかっているからです。
裏切りというのも、男性相手ではないところがミソです。


そして“私”が行動を起こそうとした朝、
アルベルチーヌは旅立ってしまったのです。
この巻はこれで終了。


おわかりかと思いますが、
“私”の自己問答にだいぶ疲れてきたので、
このあたりから読むピッチを上げました。
丁寧に読もうとするとかえって進まないためでした。
つまり“私”の思考回路に付き合うのに慣れてしまい、
違和感が露骨になってきたためでしょう。
逆にこのあたりでも虜になっている人はプルーストを本当に愛していると
思うのです。

曇りがちな秋の空

今日は曇ったり、雨が降ったり、陽が差したりと、
何とかと秋の空とはいいますが、
めまぐるしく変化のある秋空でしたね。


風邪気味でよく寝ましたが、
合間には細々とした用事をしておりました。
かなり片付いたような気がしますが、
本はそのままです。
読まなくては前に進みません。
が、読めておりません。
もう一週間も活字離れです。
プルーストに疲れてしまったような気もします。
まだ関係図書がありますが、
あまり読む気が起こりません。


食べるように読む読書をしなくては。
プルースト関係図書が終われば、
ユルスナールが待っています。
これを楽しみに、進んでいくことにします。

2015年10月11日日曜日

「現代小説クロニクル1980-1984」

「現代小説クロニクル 1980-1984」


 野間宏 泥海
 藤枝静男 みな生きもの みな死にもの
 吉行淳之介 菓子祭
 吉村昭 鯊釣り
 増田みず子 独身病
 坂上弘 杞憂夢
 島尾敏雄 湾内の入江で
 大江健三郎 泳ぐ男 水のなかの「雨の木」
 澁澤龍彦 きらら姫


1980年代、高度成長期がピークを迎え、
その反面、公害や社会問題が、大きく取り上げられるようになった時代。
現代病というのも聞かれるようになったのもこの頃でしょうか。


執筆陣をみると、
文壇で書き続けている作家がいて、
戦後を生き続けている作家がいて、
現代的なスタイルを掲げる作家がいて、
混沌としています。


文壇というのもこのあたりで最後の世代になるかもしれません。
つまり、大作家の弟子や、同人誌から出発して書いている作家たち。
現在の文学界とはまた違った経緯を辿っています。
そういったことも関係するのかもしれませんが、
各作家の使命感が強いという感じもします。
自分の内面深く降り、自分の使命を意識しながら書いている、
そんな風にも思われる、重い作品が多かった。


世間は、経済面では明るいはずだった時代に、
なぜこれだけ重く、苦しい作品が多かったのでしょうか。


私自身は、この時代は学生でしたが、
上記のような作家たちの作品は大人が読むものだという意識がありました。
全く共有できるものが無かったのです。


今、初めて読んでみても、時代性の違いを強く感じます。
世代の問題もあるでしょう。
いずれも作品としては申し分ないのですが、
違和感だけが残る読書となりました。
私にはめずらしい読書体験です。

2連休

2連休で浮き浮きだった昨夜。
今日起きてみると、頭がとても痛くて、身体も熱っぽい。
どうやら風邪の初期状況のようです。
風邪薬を飲んでしばらくたつと、楽になりました。
朝夕が寒いのに、薄着でいたのが良くなかったのでしょう。
いつになく寒さに油断しておりました。


まず、秋物の用意。
タートルネックの時期というわけです。
秋は綿、冬はウール。
4月までずっと首を包んで過ごします。
他の衣類も秋冬物を出して、スタンバイ。
で、夏に着なかった物をふるい分け。
太ってしまったおかげで、
コンパクトなTシャツが着れなくなってしまいました。
でも古いロゴのサンスペルはもったいなくて捨てられない。
何がもったいないのでしょうねぇ、古着なのに。
そのうちに始末することにしましょう。


お洋服は大好きだけど、
自分は基本的なものしか着ないので、
持っているものはわずかです。
今気になるのは常にワンピースです。
チュニック風に着るためですが、
なかなかこれが、手頃でよい素材の物が無いです。
今年はコクーンスタイルのワンピが目につきますね。
夏物が良さそうではありますが、
いつか奮発してミナ・ペルホネンを買おうと思っています。
アーツ&サイエンスも気になっていますが、
これは東京に行くことがあったら、必ずお店にいってみたいです。


あとは、ウールのレギンス風パンツ。
ワンピと合わせるために。
これはお洒落なものはあるのですが、
なんともサイズが合うものとめぐりあえず。
もうウールのタイツを重ね履きしかないでしょうか。
もこもこさんです。


最後は靴。
今気になっているのはパラブーツ。
履きやすそうです。
ヒールを履いていたときには、
ロベール・クレジュリーを愛用していました。
今もネットではチェックしていますが、
もう以前の倍ほどの値になっていて、手が出ません。
それにパトリックがあまりに楽なので、
入手しやすくなりましたし、
しばらくはパトリック生活が続きそうです。
たまには革靴も履きたいな。
あの須賀敦子さんはタニノ・クリスティーに自分の型を
置いていたそうです。
外国での暮らしの基本は靴でないと、足を痛めてしまいますね。
うーん、あつらえ靴も憧れです。

2015年10月8日木曜日

振替休日

たった一日だけの振替休日を、
今日とりました。
昨日の京都行きの疲れをとるべし。
ゆっくりと一日を過ごすことができました。


トラットリア・セッテでいただいたピザの
テイクアウト(7日はプレゼントがあるのでした)を
いただいたり、(すごい美味)
プリンを食べたり、京都話で母と盛り上がりました。


ですが、先週からちっとも本を読んでおりません。
仕事から帰ると、とっても疲れていて、
活字を読む気になれない日が続いています。
軽い本にしようかな、などと考えています。
怠け者ですから、難しい本ばかり残っています。


二日も休んだので、明日は仕事が山積みでしょう。
しっかりまた仕事にまみれてきます。

京都行き

昨日は京都行き。
でも、名所めぐりではありません。


母の誕生日のお祝いに、
ハイアット・リージェンシー京都のトラットリア・セッテで、
ランチをいただいてきました。
ロケーションが良く、美味しいと聞いていたので、
一度行ってみたかったのです。
期待たがわず、とってもよかったです。


ゆっくりと美味しいランチにワインをいただいた後は、
ご希望により、恵文社一乗寺店まで足を伸ばしました。
恵文社は以前より2倍くらい広くなっていて、驚きました。
これまでもそうだったのですが、個人的に人文系の本は
すでに持っている本ばかりで、特に驚きはありませんでした。
ただ、小さな出版社の本、とくにアート系の本がめずらしいですね。
母は雑貨も丁寧にみて、お気に入りを発見しておりました。
それだけで、よかったです。


次は一気に南に下って寺町へ。
これはタクシーを利用。
村上開新堂でプリンを(これがアイスクリームのような美味しさでした!)、
それから三月書房へ。欲しい本がたくさん!でも我慢。
その後は気になるカフェを目指して歩いて・・・。


この後いろいろハプニングもあったのですが、
新生BAL、髙島屋に寄り、
最後は八条口にできたばかりのイノダ・コーヒーへ。
美味しいコーヒーでほっと寛ぎ、帰途についたのであります。


よく歩いたわりには、入手したものが少ない不思議な一日でありました。
三月書房には、また行かねばなりません。
やっぱり見つけたときに、買っておくべきですね。

「無意味の祝祭」

「無意味の祝祭」 ミラン・クンデラ著 西永良成訳 河出書房新社


一読してすっかり気に入った作品ではあるものの、
自分ではどのようにお話すればよいのかわからず、
参考に堀江さんの書評を読んでみると、
これが完璧な内容なのです。
こちらを読んでいただければ、すべてが丸くおさまります。
で、堀江敏幸さんの日経新聞掲載の書評を引用させていただきます。
(なんて、いい加減で勝手な奴でありましょうか・・・)


 重さとの対比を拒む一つの現象としての、絶対的な軽み。
 空気のように触知できないものではなく、たしかな手触りとしての
 軽みとでも評するべき、自然のなかで舞い落ちる鳥の羽というより、
 いわば知性でつくられた羽毛布団の破れ目から飛び出して、
 ふわふわと宙に舞っている和毛の感覚だ。
 母国チェコを舞台とした前作「無知」から十数年の時を経て
 もたらされた「無意味の祝祭」はフランス語で直接書かれた四作目
 の小説である。全体の緩い印象を裏切るような、七部からなる
 構造への目配りは相変わらずで、語りは無意味という主題を
 めぐって、優雅で哲学的な笑劇、もしくは遁走曲のかたちで
 展開していく。
 六月の朝、パリのリュクサンブール公園で、ふたりの人物が出会う。
 公園内の美術館で開かれているシャガール展を観ようとして、
 そのたびに長蛇の列に嫌気がさしている老ラモン。彼の元同僚で、
 心配していた癌の疑いがなくなり、上機嫌で同じ園内を歩いていた
 ダルドロ。ところがダルドロは、自分は癌なのだとラモンに「無意味」
 な嘘をついてしまう。作者自身もわからないととぼけてみせるこの嘘
 から、人物と人物の影踏みのような流れがはじまる。
 ラモンがダルドロに斡旋したパーティ、つまり祝祭の差配業者シャルル
 の家に置かれていたフルシチョフの回想録の、「二十四羽のヤマウズラ」
 を語るスターリンの逸話が遁走の手助けをする。権力者の嘘を嘘と
 指摘できないこと。あるいは、冗談を冗談と認識できないこと。
 独裁体制におけるユーモアの欠如は、軽薄ではない知性を奪い去る
 のだ。
 宴のあと、ラモンはダルドロに、「無意味とは人生の本質なんだよ」と
 諭す。「残虐行為、血腥い戦闘、最悪の不幸といった、だれもそれを
 見たくないとこにさえも無意味は存在する」。無意味は無気力や
 無責任とはちがう。過剰な意味を過剰と認識しないまま押しつけて
 悦に入っている者の愚を、やさしく、戦闘的にではなく暴き立てる、
 真の知性の武器である。
 かつてクンデラは、小説論とも言える「カーテン」のなかで、入念な
 ストーリー展開に対する義務感の蔓延を独裁政治下の空気に重ねて
 いた。ストーリーは小説を窒息させる。意味を持たせないことで意味を
 悟らせなければならないのだ。登場人物を愛し、人生を愛し、スターリンを
 笑う力がそこから生まれる。これはなにも小説だけの話ではない。
 いまの私たちに最も有益な助言のひとつであろう。


と、以上引用させていただきました。
堀江さん、日経新聞さん、申し訳ありません。


この「無意味の祝祭」の意味するところは、
堀江さんが書かれているところで読み取っていただくとして、
単純に読むだけで、それらを体感できるというのが、
この小説の妙味です。
難しいことはわからない、でも可笑しくて笑ってしまう。
そして、声高に叫ぶこととは異なった異のとなえ方を学ぶわけです。
自分にそれだけの知性があるわけではありませんが、
変だ、おかしい、間違っている、と思われることに、
自分なりの考えを持たねばならない、
そう思わせる事柄がたくさんあります。
ある意味、力をつけさせてくれる本、だとも言えるでしょう。

決着

昨夜のゲーム、広島vs中日は、
0-3で中日の勝ち!


と、いうわけで、セ・リーグの順位が確定しましたね。
広島は4位。
今シーズンの戦いぶりを振り返れば、
仕方が無い結果だと納得しております。


昨日も得点できなかったこと自体が痛い。
投手が押さえて踏ん張っている間に、
点を入れれるようにしなければ。
これは、シーズン序盤からの課題でありました。


球団が今年の結果を踏まえて、
どのように動くのか。
各選手が本来の力を発揮できるよう、
どのように課題をクリアできるか。
オフ・シーズンを充実させていただきたいですね。


もう十分すぎるほど、追っかけたので、
CSはのんびり眺めていることにします。


今シーズンで名選手たちが引退されるのも、
寂しいところです。
西武の西口投手や、楽天の齋藤投手は、
長い間応援してきた選手なので、
なんとも言えません。
ヤクルトやソフトバンクで活躍する選手たちの顔ぶれをみると、
すっかり若い選手に入れ替わっているのでした。
新しい世代の時代になったのです。
当方も気持を入れ替えて、
選手名鑑も新しくして、
来年も応援することにいたしましょう。

2015年10月6日火曜日

とても疲れております

昨日まで右手の腱鞘炎をどうにか乗り切った、はず。
が、今朝から左手が激痛になってしまいました。
身体もどーんと重くて、左手全く役に立たず。
こういう時には、顎やら肘やら、足やらなんでも使いますが、
会社ではそうもいかず。
PCがまともに打てず、うんうんうなっておりました。
頭もぼーっとするのですね、あんまり痛いと。
私は2,3日で治るからよいのですが、
つらい痛みを持っている人は本当に大変だと思います。


今夜はそういうわけで朦朧としています。
だけども、明日は母のお誕生日のお祝いに京都へ行く約束が。
プランをしっかり練ってあるので、
お天気も良さそうだし、
後はお互いの体調だけです。


まずは痛み止めを飲んで、
インドメタシンをしっかり塗り込んで、
ゆっくり休むことにします。


ではでは、ひ弱なツキスミより愛をこめて、ぼんにゅい☆

2015年10月4日日曜日

さわやかな秋日和が続きます

先日は爆弾低気圧で、大変な日本列島でしたが、
その前後は秋日和が続いており、
皆さん、気持ちよく過ごせているのではないでしょうか。


今日は今週の疲れをとるべく、
ゆっくりしましたが、
芯の部分がまだ固く残っている感じです。
もう次の連休が待ち遠しいです。


身体が重く、頭も疲れていたのですが、
仕事をしないわけにはいきません。
よしっ、と勢いつけて始めると根を詰める仕事がたくさんありまして、
コツコツと向かっておりました。
おかげで、片付いたけれど、ぐったり、というわけです。


今日はようやく「短編小説クロニクル1980-1984」を読み終えました。
一時代前の文壇の世界がよく見えます。
時代性がよくわかるという意味で大変面白いので、
このクロニクル・シリーズを一冊ずつ買い揃えています。
次はどの時代を読んでみようかな。


最近は外で本を読むチャンスが無いので、
ちょっと寂しいです。
出かけても用事ばかりで。
のんびり読書旅行したいなぁ。
真剣に企画してみようかな?

2015年10月3日土曜日

今日の負けは痛い

右手もイタイタ腱鞘炎。
広島カープも二日酔いのヤクルトに負けてイタイタ。
優勝したチームは負けないのですよね、これジンクス。


大瀬良投手、どうした!?
このオフは新しい球種を覚えねばなりませんね。
ストレートはばっちり球威がありますから、
あとは、緩急をつけられるようにしなくては。
完全に読まれてしまっているようです。


ジョンソン投手は最多勝の権利があやうくなりました。
もう一回投げますか?
監督、行かせてやってください。
最後の中日戦がチャンスです。


最後まで3位争いをもつれこませましょう。
カープ、カープ、カープ、ひ・ろ・し・ま、広島カープ~♪
皆で歌いましょう。(カープファンの方のみで結構です)


といって、残り少ない試合数、
先発投手はもう決まっているはずです。
お天気も良さそうです。
最後の最後まで悩まされたのは、
前田智選手の記録だったなぁ。
久しぶりにハラハラしています。


はぁ、読書の方ですが、
今週は多忙で、仕事も詰まっていて、ぐったりしてしまったため、
まったく進んでおりません。
本のことを思いだせないくらい、忙しかった?
いや、眠かったのです。

2015年10月2日金曜日

いいゲームでした

ヤクルトがセ・リーグ優勝を地元・神宮で決めました。
おめでとう!


一番困るパターンは無くなったし、
今日もマエケンが勝ってくれたし、
まだまだ最後まで、頑張りましょう。


今日のヤクルトvs阪神は、鬼気迫るとてもいいゲームでした。
これだけの迫力、集中力、気合、毎回だと、
身体が持たないでしょうね。
と思いつつ、ファンはいつもこういうゲームが観たいのです。
こういったしょーもないことをつぶやくのも、
ファンの楽しみだったりします。
すみません。


今はラグビーのワールド・カップも盛り上がっていますね。
ルールはよくわからないのですが、
ラグビーの迫力ある試合はとても魅力的です。
たまに観ることがあると、
男に生まれたら、ラグビーをやりたい!といつも思います。
他の競技でそういうことを感じることはありませんから、
不思議なものです。
一度は生で観てみたいけど、寒い時期だから風邪ひきそうです。
そういや、サッカーも生で観たことがありません。
また違った感想を持つかもしれませんね。

2015年9月30日水曜日

いつのまにか葛の花も散り

先日、叢に葛の花を見出して、
ワイン色の綺麗な花なものだ、
と気をよくしていたのですが、
次に足を向けると、もう散ってしまって、
その姿はどこにもありません。


自然の秋の準備でしょうか。


今日のお休みは、大阪へ散髪に行ってきました。
休日にしっかり寝ておかないと、
後が大変疲れるので、
今週は早寝に徹しています。


でも、久々の大丸本館一周はとても楽しかったです。
この本館を立て直すことになっていますが、
もう絶対に反対します。
古めかしい作りは重厚感があり、
わざわざ階段を使って、大理石の良さを味わっているほどなのに。
物販とサービスを目的とした建物としては、
不都合が多いからでしょうが、
他の百貨店には無い、付加価値があると思うのです。
ああ、痛ましや。
大丸本館にこだわってきた意味が無くなってしまいます。
ウィンドウショッピングも楽しみが減ってしまうなぁ。


まだ水曜日ではありますが、
もうお疲れ気味なので、
またまた早めに寝ることにいたします。
ぼんにゅい、です。

2015年9月29日火曜日

打算

みえみえでかっこ悪いこと。
打算。
お世辞。
おべっか。
へつらい。
見栄っ張り。
いろいろありますが、
仕事で打算が見え隠れすると、
実に腹がたちます。
もっと真っ向勝負しましょう。
正直にすることで信頼も得られるのですから。


というわけで、打算みえみえの会議をセッティングさせられて、
結果、相手先にもダメージを与えてしまい、
私まで暗い気持ちになってしまいました。


世の中はきれいごとでは成り立っていない、
ことは重々承知ですが、
正直が一番です。


どのみちばれるんだよ。
と腹黒い私は思っているのでした。


腹黒ともだち、つば九郎、今日はカープが勝たせていただきましたよ。
胴上げはまた次の機会にどうぞ。

2015年9月28日月曜日

「迷いの旅籠 115話」

日経新聞朝刊では、宮部みゆきさんによる
「迷いの旅籠」が連載されています。
時代物です。


凝ったつくりになっていて、
最初の内は話があっちこっち飛んでいるのに、
なかなかついていけませんでした。


“迷いの旅籠”の話が見えてくるまで、
かなりの時間を要しました。
が、そのおかげで事件のおこる場所や人物の様子が
よくわかるようになっていたのでした。


話は佳境に入り、読むのが楽しみになってきたところ、
昨日の115話で涙。


想像してもいなかった展開です。
また、それを上手に表現しているのでした。


宮部さんの物を読むのは初めてで、
期待しながらの日々でしたが、
すっかり迷いこんでしまいました。


読ませます。
ぜひ、どうぞ。

2015年9月27日日曜日

中秋の名月

お月さんが白く光っています。
とてもきれいな、夜。


先ほど、河合隼雄さんの自伝の感想を書きながら、
物足りない内容だなぁと思っておりました。
簡単に言えば、書いたとおり、お人柄が素晴らしいということと、
人には簡単にはマネができない、ということですが、
実際に研究されていた内容については、
今一つ理解できていない部分があるので、
落とし込めません。
これから、河合さんの本は少しずつでも読んでいこうと思っています。
あまりにたくさんの著書があるので、
どこから手をつければよいのか、困っていますが。


先日読んだ最相葉月さんの「セラピスト」では、
河合さんと中井さんのお仕事についての現状が、
具体的に書かれており、
現在では、臨床の現場では、なかなか活かすことが難しいことも
理由がつまびらかにされています。


難しい世界を覗こうとしているな、とちょっと悩んでいます。


ま、できる範囲内で、努力するしかないですね。


今週は、「現代小説クロニクル1980~1984」を少し読み、
残すは後一遍となりました。
それから「マルセル・プルーストの誕生」を少し。
私にとっては、重要な事柄が書かれているようなので、
慎重に読み進めたいと思っているところです。


もう9月が終わってしまいますが、
お天気が続いているので、気持ちは安定しています。
仕事80%出力と、ぼちぼち読書を、続けたいと思っています。

「河合隼雄自伝」

「河合隼雄自伝」 河合隼雄著 新潮文庫


2007年に逝去された河合さんですが、
文化庁長官もなされていた方ですから、
大変よく知られておられているかと思われます。


ユングの研究家、箱庭療法の心理学者として、
著書も多く、講演やメディアを通しても知られた方でした。


そんな河合さんは、どんな人生を歩んでおられたのでしょうか。
この本をそういう気持ちで読んでみたのですが、
ご家族が大変仲が良く、
ユニークで実践派、はっきりしたご意見をお持ちでいらしたようです。
基本的にこのご家族に囲まれて育ち、
学生時の戦時中もいつも近くにご兄弟がいらして、
力になっておられたようです。


京都大学を卒業して、奈良の高校の教師でおられたころから、
どんどんと、心理学の世界に入っていかれます。
ロールシャッハについては、このころにかなりの勉強をされて、
テストを繰り返しておられたようです。
心理学を勉強されている方は、人間に関心がある方が多いようです。
つまり、心理=人に興味があるのですね。
河合さんは高校の教師をしながら、
京都大学の院に籍を置き、心理学の勉強を進められていました。
このころの心理学が学問として、臨床の場として、
どのように進んでいったのか、タイムリーに体験されています。


それから、アメリカ留学。
アメリカの教授に進められて、スイスのユング研究所への留学。


そもそもとびっきり優秀な頭脳の持ち主ですから、
行動力と努力があれば、どんどんと前に進んでいかれるのです。
その上、楽しい方ですから、人にも愛される。
この本を読んでいて、雲の上の話だなぁと、つくづく感じました。


心理学ではなく、精神医学になりますが、中井久夫さんという
先生がいらっしゃいます。
この方も、学生の頃から素晴らしい能力を発揮されています。
お医者さんをしながら、ヴァレリーやカヴァフィスの翻訳も
されているという・・・この方も雲の上の方です。


河合さんの自伝はとても参考になるとは言い難いのですが、
時代背景も違うのでもっともな話ですが、
関心のあるジャンルなので、とても興味深く読んだのです。
これほどの方がたくさん社会に存在したら、
社会も変わるのだろうな、と思ったりしながら。
人生を豊かにしてくれる、そんな自伝という形の本です。

2015年9月23日水曜日

「現代小説クロニクル」

ずっと間違えておりました。


講談社文芸文庫から出ているシリーズは、
「短編小説クロニクル」ではなく、
「現代小説クロニクル」です。


この文芸文庫のシリーズはいくつかありまして、
その位置づけをよくわかっておらず、
書名の勘違いをしておりました。
そーだよね、現代小説だよね、1970年以降のシリーズだから。


「戦後短編小説再発見」や、
「第三の新人 名作選」など、
読んでみたい本はたくさんありますが、
とりあえずは、自分が生きている時代のことを描いた作品を
読んでおこうと思います。


まずは訂正させていただき、
お詫びいたします。

お休み最終日

シルバーウィークもとうとう終わりです。
お天気に恵まれたので、充実した時間を持たれた方も多かったのでは。
私自身も明るい気分で、よく寝れました。えへへ。


でも、ちょっと間延びしてしまっています。
単に仕事するのが良いというわけではなく、
自分のテリトリーの保持とモチベーションの維持が難しい。
家では家なりのルールがありますから、
独り者でもそれなりに立場があるのでした。


今日で、今年もあと残すところ99日だそうです。
そう考えると、なんだか焦りそうになりますが、
いや、マイペースでやらせていただきますよ。
自分の管理が一番難しいのでした。


明日から、また通常の日々が始まります。
が、実は明日は私の部署は暦上休みなのです。
で、出社するのは3人だけ。
世の中は動きだしていますから、
電話はがんがん入ってきそうです。
がんばらにゃ。(マイペースと言ったばかりなのに)


今日は「短編小説クロニクル1980-1984」の中の
暗く悲しい一遍を読んだだけに終わりました。
戦争の話はとても悲しい。
寝る前にプルースト参考図書を読みましょうか。
ちょっとは明るくなるやもしれません。


それでは、ぼんにゅい です。

「自分のなかに歴史を読む」

「自分のなかに歴史を読む」 阿部謹也著 ちくま文庫


昨日は、哲学者 木田元さんの本。
今日は、歴史学者 阿部謹也さんの本と、
難し目の自伝が続きます。


正しくは阿部謹也さんの自伝は新潮社から出ており、
生涯についてはそちらで知ることができます。
早く文庫になってくれないかな。


さて、この「自分のなかに歴史を読む」も、
若い人向けに書かれたご自身の研究の道についての本です。


ヨーロッパについて関心を持たれた直接のきっかけは、
中学生の時にお世話になったカトリックの修道院となりそうです。
カトリック信者に囲まれての生活は、若い阿部さんにとても
刺激を与え、それが根底にあったように思われます。


一橋大学での良き恩師との出会いも、心に残ります。
そこで、「それをやらなければ、生きてゆけないというテーマ」
について研究をするべきだと、学ぶのです。
そこで、阿部さんはキリスト教を知るために、
ドイツ騎士修道会研究を卒業論文のテーマに選ぶことになります。


もちろんラテン語、ドイツ語も勉強され、
その道を進んでいかれます。
大学院を終了後、小樽商科大学へ渡られます。
そこで、学生時代から文通をしていた西ドイツ・ボン大学の教授に
進められ、留学をすることに。
実現するまではなかなか大変だったようです。
ドイツへ留学し、研究を続けられ、多くを学ばれたのでした。
家族との生活のなかで、ドイツの人の接しかたを知り、
ヨーロッパと日本を対角線上に置き、考えていかれます。
ドイツを知ることで、ヨーロッパ社会を知り、日本と比較し、
日本を知る。


ドイツにて古文書を読むことを続けていたある日、
ハーメルンの笛吹伝説を知ることになります。
そこで、阿部さんは推測を立て、改めて研究を始められます。


ヨーロッパはキリスト教社会ではありますが、
もちろんキリスト教が布教される前の信仰もあったり、
習慣があったりします。
とくにそれらが入り混じっていた中世ヨーロッパを中心に、
研究し続け、社会がどのように成り立っていったのか、
考察を述べられています。


後半はそのあたりを優しく書かれていますが、
内容は難しいことです。


読んでいて感じることは、
非常に柔軟性のある思考をされるということです。
一つの事柄から、多くの読み、発想をされています。
研究とはそういうものなのでしょう。


ここでも、阿部謹也という人の個性が光ります。
ハーメルンの笛吹男の本はベストセラーとなり、
私も耳にはしていました。
ようやく、この阿部さんの著書を読んで、
ハーメルンに突撃してみたい、と思うようになりました。
ヨーロッパ社会についての考察も、わかるのものなら、読んでみたい。
まだ阿部さんの本が手に入るうちに、読み始めなければいけません。

2015年9月22日火曜日

お休み三日目

今日は予定どおりお出かけしてきました。
やっぱり本屋さんを目指して、大阪へ。
興味深い本を発見して、買ってしまいそうになったのですが、
手元を見てやっぱり中止、来月以降にします。
でも、誰かがあの本を買ってしまったら・・・という不安が。
amazonで調べておいて、キープしておきましょう。


さらに、ジョン・ル・カレの「リトル・ドラマー・ガール」が復刊されて
いるのを発見し、大興奮。
手放したことを後悔している本の一つだったのです。
私のロマンティック好みにぴったりくる本なので。
少しずつジョン・ル・カレの本が復刊、文庫化してくれると、
嬉しいかぎり。
できれば、P.D.ジェイムズも一緒に復刊お願いいたします、
早川書房様。


もう一つの用事はドラッグストア。
とにかくいろいろなお薬やら、ケア用品が必要で、
毎月かなりの痛手です。
なので、大安売りが売りのお店に通っています。


それから、阪急の食料品売り場へ。
まだ2回目なので、様子がよくわからない。
それに恐ろしいほどの人、人、人。
ささっと用事を済ませて脱出しました。


2,3日前からサカナクションの「白波トップウォーター」が
頭の中で回っているので、
タワーレコードに寄ってみましたが、見つからず。
ネットでインストールするほうが手早いですね。
CDとして形が無いのは寂しいですが。
ついでにFMcocoroのスタジオを覗いてみましたが、
時間が早すぎて、気配はひっそり。
あの人影がマーキーさんだったりして。
(FMcocoro平日の17:00からのマーキーさんの番組は、
タワーレコードのスタジオから放送されているのです)


間で少しだけ、広々とした眺めの良いカフェで休憩して、
頭の中で深呼吸。


用事が色々とできたので、上々のお出かけであったかと、
思います。
疲れはあるけれど、仕方ないや。


カープが負けてさらに疲れました。


では、おやすみなさい。

2015年9月21日月曜日

お休み二日目

二日目もよく寝ました。
もう十分に寝たはずなので、昼間に本を読もう、などと思っていたのが、
いつしか、ぐぅぐぅと寝ていました。


分厚い本を目の前にして、
今日はちょっと息抜きしようと勝手に決めました。
で、「パリからの紅茶の話」戸塚真弓著をぱらりと。


でも戸塚さんのエッセイもなかなか手ごわいのです。
歴史の話や、具体的な固有名詞が次々と出てきて、
これくらい知っていなければ、人とは話ができない?
と恐れてしまうくらいです。
難しいところはサクサクと読んで、楽しむことにします。
が、手抜き読書は後悔するに決まっていますね。


あまりお家に閉じこもっているとつらいものがありますから、
明日は息抜きに出かけてみます。
なるべく人の少なそうなところへ。どこ?


まだ昼間は暑いくらいですね。
朝夕はだいぶ涼しくなって、
陽射しの感じも秋らしくなってきました。
これで暦どおりくらいでしょうか。
9月も後半に入りました。
寝ている間に日は経ってゆくのでありました。

「闇屋になりそこねた哲学者」

「闇屋になりそこねた哲学者」 木田元著 ちくま文庫


木田さんは中央大学の教授としてハイデッガーの研究を主に、
メルロ=ポンティの翻訳などを手がけられた哲学者です。
文庫や新書にも多くの入門書がありますので、
私もお名前は知ってはおりましたが、
この本を読むまではあまり多くのことは存じませんでした。


これは若い人向けに書かれた本なので、
たいへん親切、そして力のこもった自伝です。


3歳半で家族とともに満州に渡り、
高校入学時に海軍兵学校に入学し、江田島で訓練を受けます。
そこで、海の向こうの広島に原爆が落とされたのを目撃し、
しばらくのち終戦を迎えることになったのです。
当時日本には頼れる親戚が無く、転々とされます。
そこからがすごい。
その際に東京でテキ屋の仕事にもついておられたそうです。
そこで遠い知り合いと出合うことができ、東北へ帰ることに。
しばらくして満州から父上を除く家族が鶴岡に帰国。
家族を養うためにあらゆる仕事に従事されます。
どんどんと仕事に向かう様は、強く、たくましい。
それでも少し休みたいと県立の農業専門学校へ行くことにするのです。
お金も底をつき、万事休すか、というところへ父上が帰国され、
ようやく学生らしき生活ができるようになったようです。


この時期のことを闇屋になりそこねた、とおっしゃっているかと
思いますが、冗談キツイですね。


そのあたりから読書を真剣に始められ、
ドストエフスキー、キルケゴールに出会い、
「ハイデガー研究」を読み、ハイデガーを読むことを考え、
本格的に勉強をしたいと考えられるようになられたそうです。
どうしてそういう考えに至ったか、ということも詳しく書かれています。
当時読まれた本についての記憶も抜群です。
そこから東北大学へ進むための勉強を始められました。


実際に誰のどんな本をどのように読んだのか、
語学はどのように勉強したのか、
誰にどのようなアドバイスをもらったか、
など、具体的な話が書かれていて、とても勉強になります。
ただ読んでいるだけでも、すごい勉強量だと思わされますし、
かなり経ってから、書かれているので、
余裕ある文章で、読みやすい。


東北大学でどのような勉強をし、論文を書き、
中央大学へ行かれてからの話もたっぷりあり、
こんなに薄い本なのに、読み応えがとてもあります。
それと、きっぷが良いことにも驚かされます。
悩まれることがあっても、必ず道を見つけて、
どんどんと進んでいく。
圧倒されるといった方がいいかもしれません。


でも、こういう人がいた、ということが、
とても嬉しかったりして、
他の著作も読んでみたくなるのです。


どんな風に語るひとであったのか、
今となってはわかりませんが、
木田元という人自身に魅力があるのだと、思うのです。


ハイデガーはとても面白い、だけどわからない。
と思い続けられて、カント、ヘーゲル、メルロ=ポンティ、フッサール、
サルトル・・・と哲学書を読みこんで、読んで、書いて、書いて、
いつしかハイデガーがわかった、とご自身で納得されるまで、
ずいぶん時間が必要だったようです。
一緒に辿ると、日本の近代哲学の受け入れ事情が分かるようにも
なっていて、頭はなかなかついていきませんが、
とても面白いのです。


追及の方法もよかったのでしょう、それと人脈です。
いつしか木田さんは独り立ちされているのに気がつきます。
ここまで来るのに、どれだけの努力があったでしょうか。
この本を読むのは簡単ですが、
理解し、お手本にすることも一つの受容であると思われるのでした。
小さくて、大きな内容の本です。

2015年9月20日日曜日

お休み一日目

いいお天気に恵まれたお休み一日目。
お洗濯も第一弾をして、
他にもお掃除などをして、
よくはかどった、と自己満足しております。


吉川一義さんの「プルーストの世界を読む」を読み終えました。
再読してみて、もう一度「失われた時を求めて」を
読みたくなってきました。
いい感じです。
現在、岩波文庫から吉川さん訳が順に出ているところですね。


さて、次は鈴木道彦さんの「マルセル・プルーストの誕生」です。
これは手ごわそうな分厚い本です。
えぇと、530ページなり、読むのにずいぶんかかりそう。


明日は、この本を読み始めることと、
洗濯&掃除の続きです。
エアコンも手入れしておいたほうがよい時期ですね。
いろいろとやることはありますな。
それでは、よい休日をお過ごしください。
(日本だけの話だし、仕事している人もたくさんいらっしゃいますが)

「なずな」

「なずな」 堀江敏幸著 集英社文庫


なずなは時折“ほぅ”という声を出すらしいです。
赤ちゃんが声を出すときは、“お”とか“む”とか、
声らしき音をのどのあたりから、発声するという気がします。
が、赤ちゃんによって個性はあるかもしれませんね。


単行本で読んだときには、
なずなのことより、ストーリーの流れや、
堀江さんならではのユニークなエピソードの絡みを楽しみました。
文庫化されて、再読となった今回は、
なずなの成長ぶりに驚くとともに、
初読ではなずなに注目していなかったことに気づきました。
主役なんですけどね。


登場人物も楽しい人ばかりで、
安心して読める小説。
堀江さんのエッセイとはまた違った緩みを感じられるところです。
どちらも楽しい。


無事に、なずながお母さんの元に帰り、
お父さんも元気になって日本に戻ってきて・・・
そう、続きが読みたいですね。
秀一さんもどんな生活をしているのか、
様子を覗いてみたいです。


え?内容の紹介が無い?
ちょっとだけ読んでみてください。
フィット感があったら、迷うことなく堀江さんの本を
どんどん読んでみてください。
小説には幸福感が、
エッセイにはこの世の真実が
香り高く描かれています。

2015年9月19日土曜日

いつからかシルバーウィーク

敬老の日を挟むから?
ゴールデンウィークにひっかけて?
いつからか秋の連休はシルバーウィーク。
私も明日から4連休いただきます、万歳。


どこへ出かけても人も多いですから、
出かけるとしても、人の少ないところへ行くつもりです。
基本的には、ゆっくりお家でお休み。
やりたいことはたくさんありますから、
掃除や洗濯をいつもより丁寧にするとか、
庭の草ぬきをするとか、
合間に昼寝と読書をはさんで、
きっとあっという間に終わってしまうことでしょう。


「謎解きプルースト」を読了して、
今は「プルーストの世界を読む」吉川一義著を読んでいます。
こちらはずいぶん前に読んでおり、
「失われた時を求めて」がどんなに素敵な小説なのか、
とてもときめいた経験があります。
今回は内容がわかっているだけに、
ふむふむと頷きながら読んでおります。
どちらの本も引用部分が幸いにも記憶にある箇所なので、
わかりやすく、ドラマティックです。
とても楽しい読書です。


悩みはカープが中日に2連敗したこと。
優勝は望めなくてもCSには食い込んでほしい、と
ファンは手に力をこめているはずです。
野球ファンではない人からみれば、あほちゃうか、というところ。
でも、ファンはチームと一体なのです!
完全にビョーキですね。

2015年9月18日金曜日

「等伯」のこと

桃山時代から江戸時代初期にかけて活躍した絵師、
長谷川等伯の生き様を描いた作品「等伯」。
安倍龍太郎氏はこの作品で直木賞を受賞されたのも、
記憶に新しいことかと思われます。


この作品、日経新聞の朝刊の連載だったのでした。
毎日、楽しみに読んでおりました。
等伯という人の誠実な人柄が中心に描かれ、
そして時代物として戦乱の京都を舞台としています。
故郷の石川県七尾との関係も深く、
大切な妻と子供を守りながら、
絵画の世界を追求していく姿に、
引き込まれていました。


絵師が主人公だからでしょうか、
あまり武士の主従関係が突出することもなくて、
この戦乱の時代を生き抜いた絵師の姿は、
とても清らかに見えるのです。


そして、どんなに素晴らしい作品かと、
写真でしか観たことの無い名画を、
いつしか武将たちと一緒に眺めていたのでした。


その本がついに文庫なりました。
もう一度読みたい、でも切りが無い、
悩んでおります。

2015年9月17日木曜日

ローズマリーの枝の先っぽ

数年前から育てていたローズマリーが枯れてしまいました。
環境も変わって、植え替えもしたり、
負担をかけてしまったのだと思います。
新天地にもあまりなじめなかったのですね。
可哀そうなことをしました。


母が面白半分に夙川沿いのローズマリーの枝を、
2本積んできてくれました。


今はお水に入れて、回復を待っているところです。
根っこが出るまで、成長できたら、
こんどこそ、慎重に土を用意して、
ぐんぐん伸びるようにコンディションを整えてあげましょう。
といって、お庭にはそのようなスペースはあるでしょうか、


ホームセンターが近くにないので、
それも困ったことの一つです。
どうしようかな?
ネット?
まず、総支配人の母と相談してみようと思います。

2015年9月16日水曜日

「黒ヶ丘の上で」

「黒ヶ丘の上で」 ブルース・チャトウィン著 栩木伸明訳 みすず書房


1800年代も終わり、ウェールズの田舎家に双子の男の子が生まれました。
名はルイスとベンジャミン。
この物語は主に彼らのお話です。


彼らの父となったエイモスは、やもめでありましたが、まだ若く、
ある日美しい女性と知り合い、心を寄せ合うようになります。
その女性こそ、双子の母となるメアリーです。


メアリーは牧師の父とともにインドなどで暮らした経験もあり、
世界が広いことをよく知った女性でした。
エイモスと結婚し、牧場での暮らしが始まり、
その苦労は大変なものでありましたが、
双子と下に妹に恵まれ、彼女は自分の生活を大切にしながら、
生きていくのです。
そんな母の元に守られ、育ち、影響を受け、双子は牧場の手伝いをし、
暮らしていきます。
父エイモスは生粋の地元の人間、少々荒く、粗い男性です。


双子が育つ間には、周りに色々なタイプの人間が現れ、
風変りな生活をしている人もいます。
そして衝突や事件も起こるのでした。


成人し、戦争が始まり、出征しなければならなくなり、
彼らもつらい経験をします。


祖母を亡くし、祖父を亡くし、牧場で使う道具も変化していきます。
車も走るようになり、トラクターも導入されました。


近所にやってくる人間たちは、時代に応じたタイプが現れて、
それについていけない双子と母メアリーに同情したり、
不憫に思ったり。


妹はあまり登場しません。いつのまにやら、男の子を残して、
この世を去っています。
その甥っ子が双子の前に現れます。
結婚せず、子供のいない双子にとっては、唯一の親族。
その甥っ子、ふつうの現代っ子です。


母メアリーを亡くしてからは、双子は、
彼女の思い出を大切にしながら、生きていきます。
その思いはとても深いものです。
それが、双子とこの物語を支える柱となります。


双子はそれぞれ性格が違い、個性があるわけですが、
その違いを互いによく理解しています。
それにより、生活や仕事が成り立ってもいるのでした。
それがこの物語の中心であり、面白さでもあります。


彼らが80歳を迎えたとき、とても思いがけないプレゼントがありました。
これもこの物語を結ぶ大きな節目となります。


数々のエピソードを織り交ぜ、感心したり、吹き出したり、
ぞっとしたりを繰り返し、繰り返しの物語。
双子の生活は基本的に変わりなく、淡々と続いていくのです。
それが、この百年に渡る物語、黒ヶ丘の上でおきたことでした。


とくに変わった物語でもないのですが、
書き手が登場人物に息を吹き込んでおり、
皆、生き生きとしています。
彼らの生き様が時代を反映している部分もあり、
また、逆らってオリジナリティーを貫いている部分もあって、
それが、また親しみを感じる部分でもあります。


丁寧に書かれたリアルな一代記。
ゆっくり読み進むにぴったりの一冊です。

よくわからない、ハンガリーの柵

シリアからセルビアを経由してハンガリーへ。
難民の方々の異動ルートはこれが一番安全だからでしょうか。
ですが、ハンガリーではついに国境沿いに柵をめぐらし始めました。


EUで16万人の受け入れは難しい。
ですが、どうにかならないものでしょうか。
想像を超える人数なので、対応は困難を極めているかと思われます。
が、人道的に対処しなければいけません。


いつか、自分の身にも降りかかってくる、そう思うのです。


ああ、わからない。
私の頭では理解できない、考えられない。
ただ、苦しんでいる人を見ていると、つらいのです。

2015年9月15日火曜日

今日はお医者さんの日

一か月はあっという間ですが、
診察をしていただくには、ちょうどいい間隔です。
小さなことばかりですが、自分には気になることが、
意外といくつかあったりして、ご相談します。


今回は、天気が悪かった2週間の頃から、
少々鬱気味で、お腹の調子もひどく悪い、という件です。
先生いわく、天気が悪い日が続くとどうしても調子が悪くなりがちで、
症状は色々ですが、みなさん口を揃えて訴えられます、ということでした。
たぶん、鬱気味もお腹イタイタも体調全体に響いている結果でしょう、
お腹イタイタも一度の投薬で治まるのであれば、
心配ないと思います、ほんとに大きな病気であれば、
それだけでは済まないものなのです。


そーでした。神経質に反応してしまうので、
お天気一つで参ってしまうのでした。
お腹が痛いときはちょっと困るのですが、
どーにか治まっていますから、
あまり悩まないことにします。


秋は自分のために使おう、と意気込んでおりましたが、
そんなこんなで出だしが悪く、
これからも80%出力でいこうかな、などと思っています。
少しずつ予定も詰まってきましたし、
やるべき計画もあります。
最低でも、本を読む時間をひねり出すべし。
冬には勉強を再開する予定ですので、
ある程度、読書の方も落ち着かせておかねばいけませんね。
今日は「謎解きプルースト」をずっと読んでおりました。
いきなりフランス語文法が出てきて、焦りました。
が、明日には読了できるでしょう。
明日は定休日、ゆっくり眠らせていただきます。

2015年9月13日日曜日

萩が咲いています

萩が咲きだすと、本格的な秋。
ここ2,3日は汗ばむくらいの天気ですが、
個人的にはこれくらいの方が元気が出ます。


夕暮れが早まって、家に着くと真っ暗なのも、
妙に気が重くなります。
夜が好きなのに、帰りが遅くなったような気がして、
時計を見て、ああ、いつも通りだ、と。


江戸時代には一般の人は時計が無かったわけですから、
2時間に一度の鐘の音で時間を計っていたと、
今日の朝刊にありました。
すごくゆったりしていたと思います。
今なんて、PCの立ち上がりが数秒かかるだけで、
いらいらしているのですから、笑えますね。


プルーストを読み終えたのに、
感動が無い、と不満のツキスミですが、
これには、何かわけがありそうだと感じています。
私自身にも、小説そのものにも仕掛けがありそうな。
これから全13巻を振り返るわけですが、
数冊の参考図書を用意しています。
参考図書によって、感想が変わるとは思いませんが、
いくつかの秘密が解き明かされることでしょう。
さて、どの本からいこうかな?

「死を笑う」

「死を笑う うさぎとまさると生と死と」
中村うさぎ・佐藤優著 毎日新聞社


2013年に原因不明の病気で心肺停止に陥り、
臨死体験を経験された中村うさぎさん。
かつて鈴木宗男事件に連座して、
社会的に葬り去られた経験を持つ佐藤優さん。
このお二人は、かねてからキリスト教について
真剣に語り合った経緯もあり、
死について真面目に向かい合った対談をまとめられています。


自身の体験から会話は始まり、
何によって死とするか、
死と考えられるのか、
具体的な社会的事件を例にとって、
話は広がっていきます。


私は一気に読んでしまったので、
不謹慎ではありますが、
内容に頷きながら読んだものの、
話の意図をよくわかっていない部分があると思います。
死そのものについて、
つきつめて考えたことが無い、という点もマイナスでしょう。


もちろん死を前提に、
お二人がどのように生きているか、生き延びているか、
についても話されています。
それが、面白かったりするので、これも不謹慎かもしれません。


ですが、一般の人が読む場合、
重苦しい思いで読まれることが多いであろう死について、
これほどあけっぴろげに語られることは少ないのでは、
ないでしょうか。


自分自身の死イコール生について考えさせられる、
有意義な一冊でありました。 


今月、新潮社から中村さんの著書「他者という病」が
出版されています。
その本について「波」で佐藤優さんが、
“己の死についてもっと掘り下げて考えなくてはならない。
 中村うさぎさんとこのテーマについて一緒に仕事をしたい。”
と書かれています。
この本では佐藤さんの言う“愛のリアリティー”を説かれているそうです。
生きていくあたって、一人では生きられない、とするなら、
これは、一読の必要あり、というところです。

2015年9月12日土曜日

ちょっとへんです

昨夜遅くに、プルースト13巻を読了しました。
数年かけて読んできて、
12巻と13巻の「見出された時」はクライマックスとみなし、
前々からとても期待をしていました。


が、読み終えてみると、
プルーストらしく一言一言を重ねているにしかとらえられず、
インパクトが全く感じられません。


これはいかがなものでしょうか。
どこか神経が参ってますかね。


確かに読んでいる途中から、
プルーストは普遍的なことを語ってはいるが、
私の感覚とはかなり異なっていることに、
意識はありました。
そのためか、あまり没入できなかったのも事実です。
隣の部屋に入ってしまい、間違った椅子に腰をかけているような。


これは大変な事態です。
もういちど振り返ってみなければなりません。
なぜ、そうなのか、原因を確認しなければ。


感動を味わえず、ぼんやりしてしまっている状態です。

2015年9月11日金曜日

なんともいえない一日でした

個人的には、
まずまずの一日を送ることができて幸いですが、
関東以北の災害被害を思うと、
のんきなことは控えねばなりません。


同じ日本に西と東でこれほど違うなんて。


今日は関西は晴れ晴れとした気持の良いお天気でした。
昨夜はお腹イタイタに襲われましたが、
朝はすくっと起きることができて、
不思議な事件が勃発してもどうにか凌いで、
棚上げ案件も少し進めて、
プルースト13巻もちょっぴり読んで、
夜に至っています。


西ではこんな風に生活できている人間がいるのに、
お家が流されてしまった人が東にはおられるなんて。


少しでも食べて、少しでも眠り、
明日という日に備えてください。
体調を崩されないように、願っております。

2015年9月9日水曜日

「舟を編む」

「舟を編む」 三浦しをん著 光文社文庫


この本については以前も書いたのですが、
実に楽しい本なので、改めて取り上げることにします。


主人公の若き男性、馬締さん。
彼に辞書を編纂する部署の荒木氏から白羽の矢を立てられ、
「大渡海」を作っていくことになります。
“海を渡るにふさわしい舟を編む”と、
アドバイザー役の松本先生が言うのです。


その部署には若手のフットワークの良い西岡くんもいるのですが、
彼は途中キャラ違い?ということで、営業に異動になり、
馬締さんはこつこつと作業を進めることに。


ずいぶんの年月が経ち、
その部署へ若い女性が異動してきます。
そのあたりからエンディングにかけ、
「大渡海」が完成に至るまで、その女性、岸辺さんも新風を送ります。


大筋は辞書が作られるまでのお話です。
そこへ馬締さんの恋、西岡くんの隠しネタ、荒木さんの人生、
松本先生のフォロー、岸辺さんの活躍などなど、
楽しい話がうまく絡んでおりまして、
途中で止められないくらい、面白い!


馬締さんがいい人で。
登場人物がみなユニークで。
難しい辞書作りの話もわかりやすく、盛り上がりもあり、
言うことなしです。


著者の三浦さんの本は2冊目ですが、
他も読んでみようと思うくらいです。
エンターテイメントなので、少々都合の良さもありますが、
それもノリの内ということで。
とても真面目にコツコツと書かれた、
楽しい本であります。
さすがは本屋大賞第一位です。

今日起きていたのは8時間!?

本を読んでいないので、自分のペースがつかめていないのか、
仕事がいくつか煮詰まっているからか、
9月に入ってから、体調不良です。


2日に1度お腹イタイタが発生していまして、
それも寝る前とか、意外な時間帯で、
とても気が滅入ってしまいます。


仕事が進まないことを考えると、
さらに気持ちが落ち込んでおります。


そのためか、今日も寝てばかりおりました。
信じられないくらい寝てしまえるのです。
そして、またこれから寝ようとしています。


仕事中は眠気に襲われることがないので、
お薬の副作用も考えられず、
ただ疲れているのでしょうか。


先日難民の人たちのことを書いているときに、
念頭にあったのは、アゴタ・クリストフ「文盲」でした。
彼女は東欧からの亡命でありましたが、
救われてからも、心理的な葛藤がひしひしと感じられ、
助かってよかった、ではすまない、大変なことであることを、
思い出していたのです。


日本にも難民申請を出されている人がいるようです。
政府はどのように対処するのでしょうか。
気になるところです。

2015年9月8日火曜日

EUに移動されている難民の人たち

中東や、アフリカから難民としてヨーロッパに渡ってきている
難民の方々。
家族の身の危険を感じて、祖国を脱出されている方が
多いのだろうと思われます。
そしてヨーロッパで受け入れ可能な国では、
仕事も得られる、生きてゆけると考えられているのでしょう。


これほど多くの人達が移動しているのは、
確かに難民となるでしょうが、
祖国が住める土地ではなくなっているという事実があり、
そのような状態にしてしまった人間たちの業でもありますから、
助けることはもちろん、いつか再び祖国に帰れるようにすることも、
大切な仕事としてあるのではないでしょうか。


そういうときに必要なのは、
国連、NPO、バチカン、各国の政治指導者、宗教指導者、各種団体が、
それぞれ知恵を集めること。


イスラム国による侵攻は、もっとも激しいようですが、
アフガニスタンが未だ安定しないことも、気になるところです。
イスラム圏が安定しなければ、いくら戦争しても、
生きていくことはできないはずです。
イスラム圏には多くの宗派があり、互いに睨み合っているということですが、
ここまでは調整不可能でした。
ですが、国民たちが皆外国へ逃げていく、という事態を、
当事者たちはどのように捉えているのでしょうか。


生きていく場所が無い、
食べることができない、
安心して寝る場所が無い、
子供たちを育てていく場所が無い、
これほどの不幸を背負って、難民の人たちは歩いてやってきました。


ドイツでは、一般の市民たちも、子供たちにぬいぐるみを渡したり、
安心感を得てもらおうと努力されていました。
ぬいぐるみを手にした子供たちの笑顔。
一瞬のぬくもり、友達ができた喜び。
子供には何の罪もないのですから、
人間として、できることはやらねばなりません。


日本においても同じことがいえると思います。
鎖国をするわけにはいかないのですから、
移民の人々を受け入れ、制度を整え、
日本人とともに、進んだ社会を作っていかねばならない、
と考えています。
それにしても、何のアイデアも無いのですが。


まずは、多くの難民を受け入れることにしている各国の姿勢に
拍手を送り、今後もそういった国が増えていくことを願い、
未だ不安定な政情の国が一刻も早く改心して、
平和な国になってくれるよう、祈るばかりです。

2015年9月7日月曜日

秋の気配

夜の虫の鳴き声が秋らしい。
もうエアコンも必要ありません。


日中も曇りがちだと、涼しいくらい。
空も少しずつ遠くなってきて、
夕暮れも早まってきました。


陽射しを感じられなくなってくると、
寂しくなってくるのは、なぜでしょう。


何かを失ってしまったような気がするからでしょうか。


ただ会社だけはいつものとおり動いています。
仕事は季節感が感じられませんね。
忙しくなるか、否か、どちらかくらいで。


次から次へとやることは生まれてきて、
前へ前へ進んでいこうとしているけれど、
活性化に繋がっているのかしら。
同じことを繰り返しているような気がしてなりません。


まわりの顔色を見ながら、
言い訳をして、
お願いをして、
お礼を言う。


今の部署はシンプルな構成になって、
以前と比べればずいぶんスムーズに仕事は廻るけれど、
人の情というのが薄れているように感じます。
そういうこと、会社で求めるほうが難しいのですけど。
秋を経て冬になって、枯れ木にならないようにしなければ。

2015年9月6日日曜日

何してんだか

雨降りの日曜日。
乾かない洗濯物を部屋干し。
昼寝。
寝て起きてデーゲームで完敗したことを知る。
掃除。
写真をブログにupできないか、試行錯誤。
作戦失敗、理屈がわかっていないからか、
どこをさわってもうまくいかない。
シュクセンもインストールしてみたけれど、
どこかへ消えてしまった。
PCに詳しいのは弟だけど、写真のupなんて、
仕事には関係ないだろうな。


というわけで、
終日の夜はナイターを聞くのに忙しく、
休みの日はごそごそとしているうちに終わり、
本は一ページも読めておりません。
ちょっと難しい本を手に取ると、こんな風です。


でも、早寝できているので、
それが良いでしょうか。
仕事の方もぽつぽつ進めております。
本好き返上のツキスミですが、
あまり悲観的ではない・・・つもりです。

「現代小説クロニクル1990-1994」

「現代小説クロニクル 1990-1994」 講談社文芸文庫


大庭みな子 フィヨルドの鯨
鷺沢萠 ティーンエイジ・サマー
山田詠美 晩年の子供
安岡章太郎 夕陽の河岸
石牟礼道子 七夕
後藤明生 十七枚の写真
古山高麗夫 セミの記憶
多和田葉子 光とゼラチンのライプチッヒ
中沢けい 犬を焼く
笙野頼子 タイムスリップ・コンビナート


取り上げれている作家たちの名前をみると、
年配の方から若手まで幅広いことに驚きを感じます。
1990年代始めはそういう方が入り混じっているということを、
読むとなおさら感じさせられます。


若手の書き手は瑞々さのあふれる筆致で、
かつてのルールの従わないオリジナリティのある手法で
書き始めているという感があります。


安岡さんたち年長の方々は、
昭和の物語であり、戦後の日本の気配が漂います。
昨今の小説に慣れた人には、
少々固めで、古風でもあります。


そういった時代性を感じ取ることができる趣向のシリーズですが、
読み比べるとなおさら面白いのではないかと思われます。


もちろん良品と出会える楽しみもあります。
私はこの本では大庭みな子さんの作品が、
とてもよかった。


年配のカナダ人の女性が、一人で本を作っている、
というお話で、落ち着きがあり、
フィヨルドの気配を十分に味あわせてくれ、
鯨がアクセントとなっている、リアリティもあり、品のある、
一作でした。


詳しい解説が巻末にあり、
小説家と作品について、未知であっても親しむことのできる、
たいへん優れたシリーズだと思われます。


次はどの年代を読んでみようかな・・・という気持ちになります。

2015年9月5日土曜日

音信不通

あるきっかけで、音信不通となってしまい、
連絡が途絶えてしまった友人たち。
よく思い出すのです。


小学校の時のIちゃん、
中学校の時のOにKちゃん、
高校時代のIさんたち、Mちゃん。
社会人になってからも、Kちゃん、もう一人Kちゃん。
それからも幾人か。


みんなどうしているのだろう。
うまく通じなくなったきっかけは、
ほとんど全部私にあって、
今から考えると、実に幼いが故の理由ばかり。


どうして快い返事を書く、とか、
態度を改めて声をかける、とか、
気持に柔軟性が無かったのだろう、などと、
後悔しています。


今になって、
そのときの友人たちの気持ちを考えると、
情けなくなるばかりです。


どこかでばったり会うことができて、
やり直しができればいいのに、
と、振り返りながら、考えるのでした。


また会いたい、そう思う友人ばかりです。

2015年9月4日金曜日

つばめに負ける

セ・リーグは最後の最後までもつれています。
目が離せません。
で、負けてしまうとショックが大きい。


今日は上位3チーム、阪神、ヤクルト、巨人が勝ちました。


カープはヤクルトに弱いのですよね。
緻密な野球で攻められると、
調子が崩されてしまいます。
今日はそれでジョンソン投手が不調だったようで。
広島はコツコツと足と単打で稼ぐチームでございましょ。
投手がいくらがんばっても、点をとってあげませんと。
ここへきて、シーズン始めの1点差負けが響いているような
気がします。


まだあと20試合は残っています。
優勝とはいいません、ふさわしい勝ち方はしていないので。
でもCSには残りたいですよね。
勝てるゲームをしていきましょう。


できれば、黒田投手にももう少し勝ち星をつけてあげたい。
福井投手も2ケタに乗せてほしい。
そして来年は大瀬良投手は先発に戻したい!


え?打線の方は、あまり注目しておりません。
なぜでしょう?面白みがないからです。
気にしているのは菊池選手ですが、
じつは、捕手陣も結構打ってくれるのです。
というわけで、みんなでマツダスタジアムでCSをやろう!

2015年9月3日木曜日

反省

今日も本を1ページも読まなかった。


仕事の話をするにあたって、相手が納得のいかない様子だったので、
いらいらしてしまった。


そのすぐ後に、よくわからずに仕事をすすめようとした人が、
わーわー言ってきたので、切れてしまった。


そのまたすぐ後に、お客様に電話したら、
全く理解してくれなくて、途方にくれた。
ひどい態度のお客様には、やはり気分が滅入る。


右膝がすごく痛くて、痛み止めを飲んでしまった。


カープは藤波に圧倒されてしまった。


雨がざあざあ降るそんな一日でしたが、
最後にはいいことが。
奈良のフランス焼き菓子の美味しいお店TANTANの
タルト・タタンをいただきました。
とても丁寧につくられた素朴なお菓子たちは、
いついただいても美味しいです。


さ、こういう日は早く寝ましょうか。

2015年9月2日水曜日

自分のことを考える秋冬

9月に入り、仕事を全開してみたら、
反動でバタンキュー。
夏だけでなく、常に80%出力でいい加減みたいです。


今日のお休みも夕方まで調子が出ませんでした。
で、夜はラジオで阪神vs広島戦を。
あかん、野球の決着がつくまで、何も手に着かん。


とはいえ、棚上げ状態のこと(勉強)や、
読書計画を練っているところです。
勉強の方向性も見直しています。
スキルとして身に着く勉強をしたいので。
それでも、専門の勉強をするとなると、
かなり奥が深いので、関係図書も読んでいかねばなりません。
やっぱりマイペース、じっくりやりましょう。


しばらくは、大きな行事が無いことを願っています。
すぐに体力と神経を消耗してしまうので、
何もできなくなってしまいます。
この秋と冬は自分のために使いたいな、と思っているのです。
そして、40代ラストの来年に50代への道筋をつけたい、
それが、一番の課題であり希望です。


なのに、なぜか、遠方へのお出かけの話が2つも浮上しています。
遠方行なんて、もう18年もしていません。
もちろん理由は身体がついていかないからです。
今はまだ無理だといいたいところなのですが。

2015年9月1日火曜日

夕闇のポルト

P社のカレンダーは横幅1mはあり、
つまり大型で迫力のある世界の名所を
カラー写真で彩った見応えのあるものです。


事務所の壁に貼ってあり、
いつも圧倒されるのですが、
9月はポルトの夕闇を灯りが煌く写真です。


素晴らしく綺麗な風景だと思い、
じっくり眺めていると、
どうやらポルトというのは、
ポルトガルの第2の都市で、
写真は世界遺産でもある旧市街地らしいということが、
わかってきました。


美しいところがたくさんあるものだと、
溜息をついています。
ぜひ、訪ねてみたいものです。


昔、ずいぶん年長のお洒落な先輩が、
ファドが好きなのよ、知ってる?
と聞いてきたことがありました。


ファドはたしかポルトガルの音楽でしたね。
なんとも心に沁みるのよ、
とその人が語っていたことを思い出しました。

2015年8月31日月曜日

糸トンボ

糸トンボがそよそよと飛んでおりました。
葉っぱの先っぽに止まると、
水色の身体がきらきらと光っています。


今年はいつになく糸トンボを見ることが度々ありました。
倉庫にまぎれこんだときには、
ちょいとつまんで、外に逃がしてやりました。


トンボがいるということは、
キレイな水があるのかな、と思えたりして、
まだこのあたりは平穏だ、とほっとしたり。


近頃は赤トンボが減ってきていると聞きます。
確かに稲穂に赤トンボという図は、
もう長く見ることがありません。
住宅地を外れればまだ田んぼはあるので、
そちらにお散歩したら、
懐かしい風景を見ることができるかもしれません。

2015年8月30日日曜日

秋雨

蝉の鳴き声もまばらになってきました。
まだミンミンゼミもがんばっていますが、
ほぼツクツクホーシです。


夏の終わりには、ヒグラシが聞こえたりしますが、
今年は聞くことができるでしょうか。
それくらいのしとしと雨が続きそうです。


まだまだ暑いのはセ・リーグで、
スポーツ観戦好きの人たちは、
世界陸上に、テニスも始まるぞ、と
忙しそうです。
柔道も話題ですね。


私は、秋から冬にかけて、
今年中にやっておきたいことの、
ピックアップを始めようとしています。


冬の方が勉強もはかどるので、
山を持っていこう、
今年中に読了本のメモをupしよう、
プルーストの関連書をどこまで読めるか、
忘れていることで、やっておいたことがよいことがないか?
それが重要ですかね。
家庭内イベントも企画中。
秋になったら、お薬を減らしていくという話もしています。
体調を崩さないように、というのを片方の輪にして、
もう片方にしなければならないことを輪にセット、
両輪のバランスを取りながら過ごしていきたい、と思っています。

みんな勉強している

しばらく前に黒薔薇会のメンバーが、
一級建築士の資格を取得したときには、
その経過を聞いていたので、
彼女なら、と納得したものでした。
仕事には特別関係は無いけれど、
建築が好きだから、と言っていたのでした。


以前お世話になったI課長、
この方も仕事には直接関係はありませんが、
ある国家試験を取得されています。
もちろん仕事をしながらです。


いつもブログを拝見している方は、
仕事とは別に数学のゼミに参加されていますし、


別のおひとりは、
仕事に必要とはいえ、
なんと四か国語の勉強を集中的に続けておられます。
レベルも高く、一級クラスです。
もともと語学のセンスもおありなのだと思いますが、
その熱意に感服しております。


その上、先日の宴会で、以前お世話になった上司の方が、
ある国家試験を取得したと言われたのです。
仕事もしながら、家庭もあるのに、飲みにも行って、
いつそんな時間があるのでしょうか?
脱帽でありました。
T課長、勉強を継続する秘訣を教えてください。


あぁ、もともとの頭脳と集中力と、根気と努力、
私には縁遠いとは、このことでしょう。
皆さん、素晴らしいです。

8月の終わり

暦では明日で8月も終わりですが、
秋雨前線で雨模様もあり、
すっかり夏も終わりの気分です。


ブログには付き物の写真を載せられなくなって、
かなり経ちます。
やはり写真があったほうがいいですね、という声もあり、
画素数を減らすソフトを教えてもらって、
どうにか写真をupできるように作業をしているのですが、
どうもうまくいきません。
もう少し研究すべし。
すごく簡単にできるはず、と思うのですが、
私のスキルでは難しい。


緑陰の読書、ブルース・チャトウィンの「黒ヶ丘の上で」も
無事読了しました。
ウェールズでの100年の経過を、
最後に俯瞰するという試みが楽しい。
それと、実直に生きるというのも、大切なテーマで、
とても好ましく感じられました。
チャトウィンの代表作「パタゴニア」はあまり食指が伸びないので、
パスしますが、短編で「ウッツ男爵」という作品が、
白水社uブックスで出ています。
この作品は20年くらい前に「マイセン幻想」というタイトルで
映画化されており、実は観ているのです。
でも、なんだかよくわからなかったので、残念な映画という印象が
残っています。
それもあり、その「ウッツ男爵」は読んでみたいな、と思っています。


さて、秋はプルーストに進みます。
お家でゆっくり丁寧にエンディングを楽しみたい。


それから辻原登の「文学を学ぶ」の2冊を入手したので、
さらりと読んでみたいと思っています。
辻原さんってちょっと理屈っぽい感じの文章です。
わからないなら読まないでください、という感じ。
さて、読めますかね?


秋こそ読書にぴったりです。
今のところ大きな予定も無いですし、
落ち着いて読書に取り組みたいです。
ほんとは勉強しなくてはならないのですが、
というのも、周りの方々が皆勉強に勤しんでおられていて、
自分を顧みて恥ずかしい限りなのです。


今一番気になっているのは、プルースト。
なので、勉強を置いておいてそちらから始めます。

2015年8月29日土曜日

夏の暮れの宴会

もう0時を過ぎております。


昨夜は、以前お世話になった部署の方々と、
残暑払いをいたしました。


どうしてかわからない。
参加されている方々のキャパシティの広さ、深さでしょうか、
何も考える必要が無いのです。
ただ、ただ、皆さんのお話を小耳にはさみながら、
過ごしているだけです。
でも、とても楽しいのです。


精神的な豊かさというのも関係しているでしょう。


また、今は利害関係がほとんど無いということもあるでしょう。


それにしても、皆さんとても仲良く楽しくおしゃべりをされています。
それを見ているだけで、とても気持ちが和らぎます。


この半年に一度の宴会が、
私の助けになってくれている、ともいえると思います。
感謝の一言につきるのでした。

2015年8月27日木曜日

「パリでメシを食う」を読みながら

フランスに関連するニュースを読んでいて
川内有緒さんの著書に興味を持ったので、
その人の文庫を一冊、と思い、読んでみています。


タイトルのとおり、
パリで活躍する人、10名を取材しており、
4版とありますから、
人気のある本のようですね。


意外とフランスびいきでパリへ、というわけではなく、
自分の生き方を追求していくと、
パリにその場所があり、
その場で生かされ、生き抜いている、と感じられます。


まず、自分の生き方、やりたいことへの情熱、努力が
人並みではありません。
いくつもの障壁を乗り越えて、その場に到達されています。
その熱意は、どこから生まれてくるのでしょうか。


今から同じような情熱と努力を持って、
何かを成し遂げよ、と考えても、
とうてい私などにはできません。
でも、かつて20代のころ、
まわりを顧みずに、せっせと穴を掘るウサギのように、
仕事に従事していたことがありました。
気持ちも体力も併せてエネルギーをたっぷり注いだ記憶だけが、
残っています。
そんな過去を思い出すと、
溢れる熱意をもって行動する時期というのが、
あるものなのかもしれません。


そして今は年齢相応に仕事をしている自分がいます。
これからやりたいことも、
マイペースでするしか、方法は無いと思っています。
こういうことも自分らしさに繋がっているような気がします。


もし10代、20代の私がこの「パリでメシを食う」を読んだとしたら、
きっと違った感覚を持つことでしょう。
未来への可能性に対し、自分の全精力をかけることでしょう。
パターン化された人生しか知らなかった自分に、
生き方の自由な選択を教えてくれたに違いありません。
それには強い芯がなければならないことも。