2009年12月31日木曜日

2009年の大晦日

今年も大晦日となりました。
こういう締めくくりの日が無いとしたら、
ずっと単調な日々となるでしょう。

今日からまた寒波が到来、
すごい突風が吹いています。
風とともに冷たい空気が入ってくるのでしょう。
今夜は冷え込んで、
冬日のお正月を迎えます。

あっという間だった今年を振り返っている方も多いでしょうね。
今年はどんな年だったかな?

新しい部署に異動してきて、
てんてこ舞い、
最後の最後まで、
失敗続きでした。
仕事だけでなく、立場も変わったことを、
しみじみ感じます。

個人的には、
長年悩まされてきた体調不良が、
だいぶ安定してきたことが最も喜ばしいことです。
読書はユルスナールとシモーヌ・ヴェイユに取り掛かれたことが
嬉しいこと。
やりたかった作業や勉強は手付かずのままなので、
これが来年の課題です。
そして、読む本をもっと絞り込むことに
注意を払いたいと考えています。
冊数は減っていいから、
もっと良書に触れていきたいです。

もう一つ、
生活をもっとシンプルにしていきたい。
具体的には、
必需品も含めて買い物を減らしたいです。
少ないもので快適に暮らしていけるように。
身の丈に応じたスタイルを作っていきたいです。

このブログを読んでくださっている方は
大変少ないと思われますが、
そのわずかな方々の来年のご幸福を願って、
今年を終えたいと思います。

2009年12月30日水曜日

いててっ☆

この年の暮れに右手が腱鞘炎です。
おだんごみたいにぷくんと腫れて、
熱を持っています。
利き手なので、なんにもできません。
用事がたくさんあるのに。

仕方が無いので、
今日はゆっくりとさせていただきました。
昼寝までしてしまった。

明日は大晦日。
どうしてもしておきたいことだけ、
片付けることにします。
お正月には治まっていることでしょう。

2009年12月29日火曜日

ipod nanoがやって来た

ipod miniちゃんのバッテリーがついにやられてしまいました。
たっぷり充電してもすぐに切れてしまいます。
あえなく断念。
お疲れ様でした。

音楽無しではいられないので、
早速、nano君を我が家へ迎い入れました。

OSのアップデート、
itunesのダウンロード、
インストール。
miniの時のプログラムが邪魔をして、
難儀しましたが、
ようやく使える状態になりました。

カラーで明るいし、
FMラジオも聴けてしまう、
スゴイやつ。
これからよろしく頼みます。

2009年12月28日月曜日

仕事納め

るんるん♪ 今日で今年は店じまい。

と、言う割には朝から忙しいのですが。
端からお仕事を片付けていって、
すっきりと年を越したいと思います。
宿題もあるので、
お家でちょっとデータとにらめっこしなければ。

毎年のことながら、
仕事納めというのは、
気分のいいものです。
一区切りなので、
無理なものは持ち越しも可能だし、
まずは心の中で一段落。

明日からはお家の一年の締めくくりをしたいと思います。

2009年12月27日日曜日

「家を出た日」

「家を出た日」 米田紘輔著 文芸社

まだ二十歳の青年が、
中学生の頃のことを振り返った本です。
文章は繊細で、
細やかな心理描写を綴っています。
中学生という年代は、
まだ大人の入り口に立っている頃、
子供らしい瑞々しさを持っている頃です。
そういった純粋さをこの著者は
そのままパッキングして描いています。

厳しくみれば、
文章を書くにあたっての、
弱さや自己陶酔などが見られ、
幼さの残る内容です。
が、純粋さを失わずに、
この繊細な文章力を活かし、
書きついでいくことで、
さらに成長されると思われます。

著者は、
知り合いの知り合いという関係の方で、
偶然のご縁があって読ませていただきました。
これから伸びていかれる作家だと期待しています。

2009年12月26日土曜日

“メリュジーヌ物語” と 「抱擁」

1月の岩波書店PR誌「図書」の表紙は、
“L'HISTOIRE DE MELUSINE”1699年刊行の本です。
宮下志朗さんが“メリュジーヌ物語”のあらすじと、
この本がどのように広がっていったのかを解説しています。

“メリュジーヌ物語”はフランス版“ヘビ女房”というところで、
美しい妻は実は・・・であった、その正体を知られてしまった時、
空を舞って去ってゆく、という話です。

この“メリュジーヌ”という名前を見て思い出したのは、
「抱擁」 A.S.バイアット著 新潮文庫 です。
バイアットは、「碾臼」で知られるマーガレット・ドラブルの姉にあたり、
この作品でブッカー賞も受賞しました。

この「抱擁」という作品は、
ある詩人を研究する青年が思いがけない発見から謎解きを始めることになり、
そこへ一人の美しい女性が関わり、ドラマチックに話が展開していくものです。
その中で大変重要な鍵の一つが“メリュジーヌ”なのでした。
この青年と女性が詩人たちが生きた時代を検証する部分は大変読み応えがあり、
手ごたえを感じます。
そこへちょっとエンタメ的な要素も施されて、
筋だけ追っていてもなかなかスリリングでありました。
終盤にお気に入りの場面もあるのですが、
色々な要素を盛り込みすぎるような気もする本です。

ドラマチックというだけあって、
この作品は映画化もされています。
タイトルは同じ「抱擁」でニール・ラビュート監督 2002年の作品です。
設定は少し変えてありますし、
コンパクトにまとめてあるので、
本を読むのとはだいぶ違いますが、
若い女性を演じるグウィネス・パルトローも美しく、
(これは大切なポイントなのです)
雰囲気は十分に伝わってきます。

本と映画とをセットで楽しまれることを、
ぜひ、お勧めいたします。

2009年12月25日金曜日

駆け足で本屋さんへ

暮はぱたぱた忙しい。
街に出ると人も多くて、
間を縫って急ぎ足。
それでも本屋さんへはどうしても行かねばならぬ。

駆け足でジュンク堂へ向かい、
一冊だけ買ってきました。

「一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ」
堀江敏幸著 中公文庫。

読んだ先からすぐ内容を忘れるので、
また新鮮な気持ちで読むことができます。

今は電車に長く乗ることも少ないので、
週日はあまり読書タイムが取れません。
休日のお昼寝タイムを削らなくっちゃ。

2009年12月24日木曜日

80年代、90年代の「マリ・クレール」

日経新聞の夕刊に掲載されているプロムナード、
この欄でここしばらく海野弘さんが執筆されています。

今日は「ある雑誌と編集者の思い出」というタイトルで、
80年代、90年代の「マリ・クレール」と、
その名編集者安原顯さんについて語っておられます。

ほんとうにあの頃の「マリ・クレール」は素晴らしかった。
読んでいた当時は編集長の安原さんのことは知りませんでしたが、
自分にとっては完璧な雑誌でした。

「マリ・クレール」で池澤夏樹さん“エデンの東の対話”を知り、
鷲田清一さん“モードの迷宮”を知りました。
淀川長張治さんと山田宏一さんと蓮見重彦さんの
対談“映画千夜一夜”をせっせと読みました。
小川洋子さんもそこで読みましたし、
もちろん海野さんも読んでいたのです。

海野さんのことは「花椿」資生堂PR誌 で
よく読ませていただいていましたが、
「マリ・クレール」にも欠かせない執筆者だったのです。

仏版と提携したファッションのページも美しく、
今考えると、豪奢でした。

あの時はまだ若くて、
先のことは全くわからなくて、
この雑誌が消えてしまうなんて考えもしませんでした。

安原さんが亡くなるとともに、
「海」も「マリ・クレール」も伝説となって、
語り継がれるようになりました。

景気がよくなることだけでなく、
社会が成熟した成果として、
再びあのような雑誌が世に現れて欲しいと
思いながら月日は経っていくばかりです。

2009年12月23日水曜日

毎日新聞の2009年「この3冊」から

年末になると、
各紙で今年を振り返る企画がありますが、
今年は毎日新聞の書評に気になる本がたくさんありました。

18人もの書評者が今年の3冊を選んでいます。
面白そうな本が並んでいます。

養老孟司氏が選んだ3冊のうち、
「日本辺境論」内田樹著 新潮新書
 油断のできない、骨太な日本論とあります。ふむ。

山内昌之氏が選んだ3冊の内1冊、
「近代フランスの歴史学と歴史家」渡辺和行著 ミネルヴァ書房
 フランス史の研究者の力作。
 難しいそうだが、ちょっと見てみたい。

持田叙子氏が選ぶ1冊、
「若い藝術家の肖像」ジェイムズ・ジョイス著 丸谷才一訳 集英社
 この新訳については池澤夏樹氏も多く紙面を割いています。
 ジョイスが読めるかも?

沼野充義氏の選ぶ1冊、
「庭、灰」ダニロ・キシュ著 山崎佳代子訳 河出書房新社
 セルビアのハンガリー系ユダヤ人作家の初期の代表作だそうです。
 “魔法の鏡のような作品”というところに目が止まります。

堀江敏幸氏が選ぶ3冊、
「世界は分けてもわからない」福岡伸一著 講談社現代新書
 現在とても注目されている研究者の本ですが、
 分野が違いすぎると思っていました。
 一度読んでみようかな。
「人生の色気」古井由吉著 新潮社
 古井氏の文章は著者の思い入れが深く感じられて、
 なかなか着いていけなかったことがあります。
 相性というものがありますが、
 もう一度会いに行ってみようかな。
「ペトロニーユと120ぴきのこどもたち」
 クロード・ポンティ著 やまわきゆりこ訳 福音館書店
 これは児童文学ですね。福音館の本だし、
 きっと素敵な本なのでしょう。気になります。

さあ、暮れに本屋さんへ出かけましょう。

2009年12月22日火曜日

待ちに待った冬至です

今日は冬至。
冷たくて、少しだけ陽が差した冬の一日でした。

今日はしっかり日の出と日の入りを確認しようと思っていました。

朝7時、まだ太陽は屋根に隠れています。
少々薄暗い感じです。

午前10時、南のとても低い位置に太陽を確認しました。
雲が押し寄せてきて、ちょっとみぞれが散らつきます。

午後4時半、外に出てみると、もう太陽は山に隠れてしまっていました。
いくら冬至といっても早すぎるわい。

午後5時にすっかり暗くなってしまうと、
もう一日が終わってしまったような気がしました。

寒いのが苦手だからか、
陽が短いのは落ち着きません。
早くお家に帰って、ゆっくり夜を過ごしたくなります。
そんな人には冬至は大きな節目です。

時は確実に過ぎてゆきます。
時が流れてゆく感覚を身体で感じながら、
生きてゆくことができればいいですね。

2009年12月21日月曜日

大寒波

先週の木曜日から、
冬型の気圧配置となっていました。
北日本、日本海側は大雪だったそうですね。
山間部以外は雪の積もらない地方も、
大変冷え込みました。

風も強く、冷たく、ゴーゴーと吹いて、
音だけでもたまらないので、
隠れしのんでいました。

欧州やアメリカ東部も
寒波に襲われているようです。

現代では気候を考慮せずに生活することも多いですし、
仕事はいつだって待ってくれません。
適温にして生活することが普通になっています。
その適温にするためには、
犠牲になっていることもたくさんあるのでした。

自然と調和した生活って難しい。
温暖化をもたらす人工的な生活に
どうしようもなく頼ってしまうのでした。

2009年12月20日日曜日

「空間の旅・時間の旅」その③

「空間の旅・時間の旅」マルグリット・ユルスナール著

3つ目は
「ああ、わたしのお城、きれいなお城」 北代美和子訳

ここでいうお城とは、パリから南西に行ったロワール河近郊の
シュノンソー城を指しています。

ルネッサンス期に形を整え始めた
シュノンソーは幾人かの女性を中心として、
多難な歴史を積み重ねてきたようです。
ユルスナールはシュノンソーを彩った様々な出来事、
歴史的事実や逸話を積み重ねてゆきます。
もう伝説化してしまった古い過去が、
この城に刻み込まれているのです。
時代とともに、城の役割は変化してゆき、
フローベールが訪れたころには、
観光の対象として落ち着いていました。

城が見つめてきた歴史を作ってきたのは、
史実に名を残している人々だけではありません。
菜園、庭、森を維持管理してきた人々、
城の中で名のある者に使えてきた人々、
多くの人間がその歴史を支えてきたのです。
そして、人のみならず、様々な動植物も
城を取り巻く環境を育んできました。
そのあたりにも目を配り、
物語を読み取るユルスナールの洞察力と配慮が
この文章を締めくくっています。

筋があるわけでもないこの文章は
少々読みにくかったのですが、
ユルスナールが一年以上かけて下調べをし、
成したこのエッセイに納得するところもありました。
ユルスナール調になると、
史実と作者の意図が錯綜し、
音色を聞き取りにくくなるようにも思えます。

この「ああ、わたしのお城、きれいなお城」の原題は、
“Ah, mon beau Chateau”ですが、
童謡のような邦題は、
少々内容とは一致しないような気がします。

2009年12月19日土曜日

同窓会

先日は忘年会ならぬ同窓会がありました。

同窓会といっても学校のではありません。
勤め先のもう無くなってしまった部署のメンバーで
集ったのです。

久しぶりに皆が顔を揃え、
懐かしい雰囲気が戻ってきます。

一気に杯が空けられて、
笑い声に包まれます。

小人数で個人的に会うのとは違った
晴れやかで和やかなひと時に、
こういう集まりってなかなか無いものだと、
改めて思ったのでした。

幹事を務めていたので、
気を揉んだりもしましたが、
皆が楽しんでいる様子を見ているうちに
少しずつ酔いに揺らいで
輪郭がぼやけ、自分もその中に入ってゆきました。

2009年12月18日金曜日

洋雑誌

近頃関西では洋雑誌が手に入りにくくなりました。
以前はよく丸善の大阪支店の2階で、
パラパラと内容をチェックしたり、
何冊かを比べてみたりして、
見る楽しみと比較する楽しみがありましたが、
その丸善も関西から姿を消し、
既にリブロも無く、
店頭で見る事ができる書店は、
紀伊国屋ぐらいになってしまいました。

もちろん雑誌にもよりますし、
ネットで頼むこともできますが、
やはり内容を確認したいのです。

好んで購入していたのは、
“Marie Claire Maison”
  旅行に出かけた気分になれる、
  お洒落なインテリアや、
  風景の写真が素敵ですね。

“Marie Claire Idee”
  手作りの温かみだけでなく、
  センスの良さが秀逸です。
  
“Cote Ouest”
  写真、レイアウト、活字・・・すべてが美しい雑誌です。
  ほれぼれとしてしまいます。

旅行に出かけるかわりに、
これらの雑誌のページを捲りたいです。

2009年12月17日木曜日

ほろにがカラメル・オ・レ

夕方頃になるとあまーいものを口にしたくなります。
あまーいお菓子、
あまーい飲み物。
だから体型はコロコロしたままです。

ただいまのお気に入りは、
キリンの世界のキッチンからシリーズの
“ほろにがカラメル・オ・レ”。
甘さと苦さと塩味が濃くて、
青菜に塩みたいにとろけてしまいます。

仕事をがんばったご褒美などと言っていますが、
この甘さを続けていくと、
とんでもないことになりそうです。
これ以上コロコロになると服が入りません!

2009年12月16日水曜日

スガシカオの今年のbest3

FM802をよく聴いています。
朝、目覚まし代わりに、
休みの日にBGMとして。
近頃は好きなタイプの曲をかけてくれる番組も少なくなって、
少々寂しいのですが、
思いがけないことに出会うこともあります。

その時もぼんやりと聴いていたのですが、
偶然、
“スガシカオが選ぶ今年の新人best3”と
アナウンスされました。
これはラッキーだと、耳を澄ませます。

3位はさかいゆう、
2位はLaura Izibor
1位はサカナクション

なるほど、というチョイスですね。
サカナクションはきちんと聴いたことがないのですが、
ここでかかった「白波トップウォーター」はとても好みです。
よし、次はこれを買いにいこう!

不思議と、女性より男性の歌声の方が好きなことが多いです。
声のトーンが低いからでしょうか、押しがあまり強くない方が、落ち着きます。

2009年12月15日火曜日

“Der Himmel uber Berlin”

「ベルリン 天使の詩」 ヴィム・ヴェンダース監督

この美しい映画を何回観たことでしょう。
公開された時、毎週一回映画館に通いました。

モノクロの画面の美しさ。
童謡が流れる中、
万年筆で白いページにさらさらと横文字が書かれていきます。
天使たちは、証言者として記憶するだけでなく、
文字にも置き換えているのです。

視点は飛行中のジェット機の中の天使から、
空中へと移り、そして地上へと舞い降りていきます。
そのまなざしの優しいこと。
天使たちは、人々を見守っているのです。

子供は大人と違って、天使を認識できるらしく、
その差は純粋さによるものかと推測しましたが、
他に要因はあるのでしょうか。

主人公の天使ダミアンは、
長い間人間の世界を見つめてきましたが、
ブランコ乗りの女性に恋をして、
人間になる決心をします。
そして彼が人間として生まれ変わった時から、
画面は総天然色に切り替わります。

人間の社会に少しずつ歩を進め、
喜びとともに馴染んでゆく姿は、
生を受けた者としての
忘れかけていた感覚を揺り動かします。

幸福感に満ちたカラーの画面。

だのに、なぜだか天使のモノクロの画面に惹かれます。
俯瞰するという視点のあり方、
静けさに満ちた精神状態は確かに天使。
天使たちが集う図書館のシーンは、
印象深いものです。

好きなシーンを思い出し、
この作品を振り返ってみるとき、
ヴェンダースの他の作品と大きく違ってみえます。
この作品の格調を高めているのは、
アンリ・アルカンによるカメラワークと
ペーター・ハントケによる脚本だと思われます。
老ホメロス役のクルト・ボイスの存在も大きいでしょう。
実際、続編も作成されましたが、
平凡な内容となっていました。

冒頭のノートをつけるシーンを観てから、
万年筆で書くということに、
憧れをもつようになりました。
アルファベットではなく、
日本語ですが。

2009年12月14日月曜日

しましま

“しましま”こと“ボーダー”が大好きです。

白地に水色も軽やかで爽やかだし、
白地に紺色もベーシックな落ち着きがあるし、
紺地に白色もシックでお気に入り。
基本はこの3パターンです。

agnés.bの細いボーダー、太いボーダー、
Saint Jamesのナバルにバスク、
Le minorにOrcivalと次々に制覇。
最近はSmedreyとSunspelをよく着ています。

ほんとはあまり似合わないのだけど、
“しましま”を選ぶ日はとても楽しいのです。
はい、職場にも堂々と着て出勤しております。
いいのか、おい?

2009年12月13日日曜日

「空間の旅・時間の旅」その②

「空間の旅・時間の旅」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力編 白水社

二つ目のエッセイは「歴史小説における口調と言葉」小倉孝誠訳 です。

読み出して、なんでこんなに難解な表現なんだろう、と戸惑いました。
一度通読しただけでは、やはり混乱してしまいました。
で、再度、じっくり読んでみます。

発話の表現について、小説ではどのように書かれてきたのか。
また文学において、どのような意味合いがあったか。
まず、ユルスナールは考察しています。

そう言われてみれば、翻訳小説を読んでいるのでなお更なのか、
あまり考えてみたことが無いことでした。
ところが、ユルスナールの言うようにこれは大変重要なことなのです。

「ハドリアヌス帝の回想」を丁寧に読んでいないので、
この作品についての表現方法については、
ユルスナールの考えをなぞるだけです。

「黒の過程」についても、様々な努力と工夫があったようです。
ユルスナールはこの作品の舞台が16世紀であることを十分に考慮し、
その中で生きている者たちに矛盾が無いよう細心の注意を払っています。
確かに「再洗礼派」や「カトリック」などの宗派についての標記は一様でなく、
読書中にも、きっと意味があるのだろうと、確認しながらページを繰りましたが、
ここまでの配慮があるとは、奥が深いです。

このエッセイの中で述べられていることは、
もう研究の対象に近いように思われますが、
書くことの困難さだけでなく、
愉楽に満ちた感覚を伴っているようにも感じられます。
ユルスナールの表記表現における工夫を考慮しつつ再読すること、
ますます、読む楽しみが増えました。

2009年12月12日土曜日

「春美・クロソフスカ・ド・ローラと歩くパリ」



「春美・クロソフスカ・ド・ローラと歩くパリ」 
 春美・クロソフスカ・ド・ローラ著 朝日新聞出版

春美さんは画家バルテュスのお嬢さんです。
10数年前、ジュエリーデザイナーとして雑誌で見かけて以来、
春美さんに惹かれるようになりました。

もともとバルテュスの作品は大変好きなので、
このバルテュスと春美さん、バルテュスの奥様の節子さんご一家に
自然と関心を寄せるようになりました。

バルテュスが亡くなって以来、
節子さんの著書などで、その美しく豊かな生活に触れる機会がありますが、
春美さんご自身のことはあまり知らないままでした。

この本で春美さんがこれまでの人生を振り返られているのを読み、
バルテュスご夫妻のことも含め、
色々と知ることができました。

パリ案内のページはもう少し個人的な思い入れなど含めた内容で
あればよかったと思われますが、
バルテュス一家に関心がある人には、
とても嬉しい一冊です。

2009年12月11日金曜日

FRENCH BLOOM NET-INFOBASE

昨今色々なブログが溢れかえっていますが、
(ここも同じくですね)
フランス好きにぴったりブログを発見しました。

“FRENCH BLOOM NET-INFOBASE”です。
http://cyberbloom.seesaa.net/category/1195198-1.html

フランス語を学ぶ人を対象にフランス関連情報が掲載されています。
フランスに関心のある人には、
政治から文化、ポップカルチャーまで網羅されているので、
読み応え充分、楽しませていただけます。
数人で運営されているのも、
視点に変化があるので、面白いところです。
ぜひ一度チェックしてみてくださいね。

2009年12月10日木曜日

Sunspel

サンスペルのTシャツをお召しになったことがありますか?
もともとは男性用の肌着だそうです。
薄くて、軽くて、
直接肌につけるものだからか、
とっても肌触りがさっぱり、しなやか。
一度身に着けるとやみつきになります。

発色もイギリスのものらしくシックで、
服との組み合わせもしっくりなじみます。

着心地がいいことと、
好みの色が多いので、
半袖、7分袖、タートルネックと、
どんどん数が増えていきます。
今年は薄いパープルのタートルが仲間入りしました。

2009年12月9日水曜日

「エセー2」が届きました

白水社に発注していた本がやってきました。

「エセー2」 モンテーニュ著 宮下志朗訳
「フランス中世歴史散歩」 レジーヌ・ペルヌー、ジョルジュ・ペルヌー著 福本秀子訳
「眠られぬ夜のために」 カール・ヒルティ著 小池辰雄編

ヒルティは難しそうなのですが、
こういう落ち着いた内容の本が読みたくなるようになりました。
少し大きめのひき茶色の綺麗な本で、心が休まるような感じがします。
ゆっくり少しずつ読んでいきたいと思います。

モンテーニュはいつかがっちり読もうと企んでいます。
宮下さんの新訳で読みやすいということですし、
どこまでついていけるでしょうか。

ペルヌーの中世史研究は定評があるそうなのですが、
読むのはこれが始めてです。
歴史の本はとても好きなので、期待しています。

2009年12月8日火曜日

「Sonya's Shopping Manual」

「ソニアのショッピングマニュアルⅢ」 ソニア・パーク著 マガジンハウス

スタイリストのソニア・パークさんの選球眼は素晴らしいセンスです。
Ⅰ、Ⅱに続いてⅢには202番から301番の101点が選び抜かれています。

こんな素敵なものがあるんだ、
こんなお洒落なものもあるんだ、
と世界の数々の名品に唸らせられます。
ごくたまに共通のものもあったりして、
ちょっと嬉しかったりします。

このシリーズを眺めていると、
自分のオリジナルショッピングマニュアルを作りたくなってきます。
もっとも、貧素な内容にきまっているのですが、もしかしたら、
このブログ自体、そういう傾向があるかもしれません。

2009年12月7日月曜日

「空間の旅・時間の旅」その①

少々早いですが、
今年の締めの読書として、
やはりユルスナールを持ってきました。
「空間の旅・時間の旅」です。
またまた少しずつ読んでまいります。

この本には、
ユルスナールが書いた50篇以上のエッセー、評論から
岩崎力さんが選んだ13編が収められています。

今日読んだのは「『皇帝列伝』における歴史の相貌」。
まず『皇帝列伝』というローマ皇帝を描いた本があるということ。
その本は6人の歴史家が書いたものだということ。
これを、前半部分では、信憑性が疑わしい、書き手が凡庸だ、などと
かなり辛らつな批判をしています。
読み続けるうちに、ではなぜこの『皇帝列伝』について言及しようと
しているのかという疑問が浮かんできます。

後半部分でこの『皇帝列伝』の持つ特徴から、
他には見られない、人々を魅了する表現世界があることや、
現在確認できる芸術品や建造物を通して過去を遡れること、
心理的な真実が感じられること、など長所も挙げられています。
そして最も重要なのは、
『皇帝列伝』の書かれ方ひとつ取り上げてもわかるように、
“われわれ自身の文明・・・そして未来がそれについてどう考えるか
を判断するさいにわれわれは近視眼的になる。”と述べ、
歴史を学ぶ重要性がここに見られることを、
具体的例を示して現代の読者を諌めています。

と簡単にまとめたところで、
ユルスナールの良さがわかるわけではありません。
ユルスナールの文章に酔うことができ、
またそこから学ぶことができる、
小説とは異なった力を持った評論です。

2009年12月6日日曜日

COLDPLAY

COLDPLAY、
アルバム「X&Y」までの3枚をずっと続けて聴いていると、
あの内向的な曲調に気持ちが休まるとともに、
気分までトーンダウンしてしまうのに気がついて、
ちょっとお休みをしていました。

そこへ「Viva La Vida」の更なる大成功。
ラジオからも頻繁に流れてきて、
やっぱり、いいなあと復活。
着メロまでセットしてしまいました。

昔ミュージシャン達に入れあげたほどにはなりませんが、
ちょっとミーハーな気分で楽しんでいます。
好きなのは“In My Place”かな。

2009年12月5日土曜日

あいたたっ☆

なぜだか理由はわかりません。
膝が痛みます。
右膝の時もあれば、
左の時もあります。
同じような痛みです。
あるサイクルで嵐のようにやってきます。
お医者さんは
検査をしても異常は無いから、
湿布と痛み止めの薬しか対処しようがありませんと
おっしゃいます。
でも、つらいのです。

もうひとつ、頻繁に起きるのが、
腱鞘炎。
ちょっと重い荷物だけで、
すぐ痛み出します。
利き手の時はもう情けない状態。

筋力をつけて、
カバーする方法がありますが、
こんな運動音痴でもできますか?

2009年12月4日金曜日

「アメリカの鳥」

「アメリカの鳥」 メアリー・マッカーシー著 中野恵津子訳 
河出書房新社 世界文学全集Ⅱ-04

ようやく読み終えました。
振り返ってみれば、そう難しい話ではありません。
ただ隙がない文体なので、
きっちり読まされてしまうところがあります。

ピーター・リーヴァイはとても繊細な感覚の持ち主。
半分ユダヤ人でアメリカ生まれのアメリカ育ち。
母親は音楽家で古風なアメリカ文化をこよなく愛する人。
実父は学者、二人の養父も学者。
恵まれた環境でとても愛され、大切にされて育ったピーターです。

移り行く時代の中において、
疑問を呈し、抵抗し、生きる姿勢を模索するピーター。
フランスへ留学すると、
更に困難な問題が目の前に現れます。

悩めるピーターの姿は
誰しもが覚えがあるものでしょう。
もう19歳ともなれば、
悪態をついてひっくり返ることもできないし、
どうやって生きていくか具体的に考えるしかありません。
ピーターの立派なところは、
決して人のせいにはしないことと、
人を頼らないところです。

それは彼の座右の銘
「他者は常に究極の目的である・・・汝の行動原則」
カントの定言を記した紙が彼の財布に常に入っているからです。

その言葉を基本において考え、話し、決定し、行動する。
成長の芽が現れていく過程は、
彼のその後の姿を想像するのが嬉しく思わされます。

時代背景がきっちりと組み込まれているところも、
政治や環境問題、人種問題等と
私たちが密接に関わっていることを知らされる部分です。

総合的にみてこの本は、
ホールデンの世界で一度立ち止まった人に、
次の一歩のための本となるでしょう。

いまだにフラニーのことが忘れられない人にも。

2009年12月3日木曜日

霧にけむる丘陵

昨夜は満月が映える美しい夜空でしたが、
今日は一日小雨が降り続く灰色の空でした。

離れた山々は白く雲がかかって、
手前の紅葉している峰しか見えません。

振り返って丘陵を眺めれば、
霧がけむって
滑らかに流れていくのが見えます。
こちらも紅葉に彩られた丘が、
白さに映えて美しく、
雨の日もそれなりによいものだと
ひとりで眺めていました。

忙しさの中のひと時、
そういえば、紅葉を愛でることはあまりないことでした。

2009年12月2日水曜日

「ボルドーの義兄」

「ボルドーの義兄」 多和田葉子著 講談社

多和田葉子さんの新作は
さらに驚きと困惑を秘めてやってきました。

主人公の優奈はハンブルグに暮らす学生で、
年は20代半ばとあります。
彼女が見たこと、感じたこと、考えたこと、
彼女を取り巻く事項について、
小さなまとまりをもって語られています。

その小さなまとまりには、
章のタイトルとして、
漢字一文字が選ばれ、
さらに裏返しにした状態で印字されています。
これは一体何?
優奈にしか説明できないことです。

その漢字を眺め、意味を考えながら読んでみると、
内容はとてもシンプルで、
優奈にとってのその漢字の意味が読み取れます。

解釈の方法はいくつでもあるでしょうが、
簡単にできるのは、
自分のケースと置き換えてみることです。

この作品の刺激的な形態や内容に触れてみて、
万人が物語ることが可能なことを思い出し、
面白いと始めて感じました。

優奈という女性とは、繋がりが持てなかったので、
作品の内部まで降りていくことは出来ませんでした。

2009年12月1日火曜日

キャパオーバーの日

小さなお椀ほどの余裕しか持っておりません。
ゆえに日頃からすぐにキャパオーバーしてしまいます。

新しい部署へ来て半年経ちました。
毎日多くの発見があり、
学ぶことばかりです。
一人でこつこつとする仕事の方が、
どちらかといえば進めやすいのですが、
仕事柄そういうわけにもいかず、
右に左に、電話に後ろのドアに、
振り回されてしまっています。
当然早とちりやミスを起こしてしまいますが、
どうにか日々を送っています。

今日はそういう中でも振り幅が大きい一日でした。
めまぐるしくやってくる波に乗り切ろうとして、
失敗を何回も繰り返して、ようやく、
キャパを超えていることに気がつきました。

急がなければならなくて、
慌ててこなしたところで、
自分の中で咀嚼できていない仕事は
全うな姿として出来上がらないのです。

状況を踏まえたコントロールが出来ない未熟さに
問題があります。

少しずつ見えてきた現在の仕事を、
自分を見失わずに、
内容と量と質と時間を考慮し、
調整しながら、進めてゆくこと。
今頃になって、そんな基本的な課題が浮かび上がってきました。

2009年11月30日月曜日

観たいバレエの映画

モーリス・ベジャールが亡くなって2年。
ベジャールの遺志を継いだジル・ロマンが率いるバレエ団の
ドキュメンタリー・フィルムが公開されるそうです。

「ベジャール、そしてバレエはつづく」
予告を観るだけでどきどきします。

心をときめかせてくれるものを
バレエの場合はなんと表現すればよいでしょうか。
生の美しさを技を凝らして披露される舞台には、
目を奪われる魅力がほとばしっています。

放出されるエネルギーを受け止めるので精一杯、
映画を観る程度がちょうどいいのです。
こんな門外漢にも観るチャンスがありますように。

2009年11月29日日曜日

「シルヴィア・ビーチと失われた時代」

「シルヴィア・ビーチと失われた世代」上・下
ノエル・R・フィッチ著 前野繁 中田裕二 岡本紀元訳 開文社出版

シルヴィア・ビーチをご存知でしょうか。
1920年代パリでシェイクスピアアンドカンパニー書店を開業し、
ジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」を出版したことで知られています。

そのシルヴィアの活躍を資料に基づき編んだのが、
この本です。
当時の作家達の活動が詳しく明らかにされています。
多くの人がめまぐるしく登場するので、
読むのは大変ですが、
1920、30年代のパリにおける文学の世界に興味のある人には、
是非おすすめしたい本です。

この本に出会ったのは偶然のことでした。
Les Années folles に関心を持ち出したころのことです。
図書館でアメリカ文学のところを通るたびに、
赤くきらきらと光る背表紙の本に目が留まりました。
まるで“手にとって!”と呼びかけられているようでした。

出版されたばかりのその赤い本は、
内容もきらきらとしていました。
知らない夢のような世界がそこに広がっています。
シルヴィア達が奮闘する時代へ、
一気に入り込みました。

文学そのものには好みがあるので、
何でも読むというわけにはいきませんし、
英文学にはあまり関心が無かったので、
研究したいと思うことはありませんでしたが、
作家ではないシルヴィアが書店を運営することで、
文学の世界に参加していることに、
共鳴に近い感覚を持ったのでした。

今も夢を実行に移し、実現させたとして、
シルヴィアは敬われている人なのです。

2009年11月28日土曜日

年賀状の用意

そろそろ年賀状の用意をする時期になりました。
今年の春に現在の場所へ異動してきたので、
お世話になった方々が増えました。

さて、今回はどんな風にしようか。
ここ2、3年は便利で可愛い年賀状のCD付本を利用しています。
本屋さんで立ち読みチェック、
好みの図柄を選びます。

一言メッセージが書き込めるスペースがあるものにして、
なんて書こうか今から悩みます。

家でプリントするのだから、
インクの在庫も要注意。

こんなささやかな作業が楽しく感じられる時期です。

2009年11月27日金曜日

Gérard Philipe

ジェラール・フィリップが36歳という若さで亡くなって
今年で50年経つそうです。

映画に舞台に活躍した俳優として、
その名を知ってはいました。

初めてスクリーンで観たのは、
「花咲ける騎士道」“Fanfan la Tulip”(1951)。
想像以上の優美でしなやかな身のこなし、
軽やかな動き、華のある存在感、
知性的な表情の豊かさにとても驚きました。
たちまちファンになったのはいうまでもありません。

あんまり素敵すぎて、
有名すぎて、
わざわざ声を出していう必要はなく、
誰からも愛された名優に
心密かに憧れています。

仕方なくDVDで観ることもあるのですが、
できることなら、
またいつかスクリーンで観たいと思っています。

2009年11月26日木曜日

「アメリカの鳥」進まず

読書が進みません。
「アメリカの鳥」はまだ3分の一くらいで止まったまま。

タイトルに“鳥”と入っているのが気に入ったのですが、
アメリカと特定しているのだから、
やはり“アメリカの鳥”なのです。

アメリカなので進まないのもあるけれど、
几帳面な緩みの無い文章にも、なかなか馴染めません。
こんなふうに神経質になっていたら、
ほんとに読めなくなってしまうので、
ちょっと勢いをつけて、駆けてしまおうと思います。

2009年11月25日水曜日

本屋さんにて

久しぶりに本屋さんに立ち寄りました。
ずーっと前は毎日寄り道しないと済まなかったのですが、
最近は1,2週間に一度くらいです。

「ビカミング ジェイン・オースティン」が気になります。
新書などでオースティン関係の本は読んだりしていますが、
これは読む価値あるのかな?
候補に挙げておいて、しばし保留です。

うろうろしていると、
猫の面白い本を見つけました。
猫の習性について解説してあり、
岩合さんの絶妙な写真が載せてあります。
タイトルは忘れてしまいましたが、
猫と暮らすのを夢みている者には、
ぴったりかもしれません。

そしてやはりレヴィ=ストロース、
著作、関連本が並べられていました。
素人でも読めそうに感じていた
「悲しき熱帯」ⅠとⅡ 中公クラシックスを
買うことにしました。

今回はこれだけです。
遊びの本を買わなかったなぁ。

2009年11月24日火曜日

「作家の家」

「作家の家」 F.プレモリ=ドルーレ著 E.レナード写真
博多かおる訳 鹿島茂監修 西村書店

この大判の写真集を見つけたときは、
実にどっきりしました。
作家の創作現場でもあり、生活の場でもあった“家”に
とても関心があったからです。
ときめきながら目次を見ると、
ユルスナールも入っているではありませんか。
嬉しくなってすぐ手に入れました。

美しい写真に、作家の家との関わりと人生について、
優雅な文章が添えられています。
一度に読んで、見てしまうのはもったいなく感じて、
時折引っ張り出してきて、ゆっくりと眺めています。

20人の作家の家が紹介されていますが、
全く知らない作家もいて、そうか、ふむふむ、です。

これからは、ここに登場する作家の本を読むときに
これを広げれば、さらに一足踏み込むことができそうな気がします。

紹介されている作家たち
プロローグ:マルグリット・デュラス
1.カーレン・ブリクセン
2.ジャン・コクトー
3.ガブリエーレ・ダヌンツィオ
4.カルロ・ドッシ
5.ロレンス・ダレル
6.ウィリアム・フォークナー
7.ジャン・ジオノ
8.クヌット・ハムスン
9.アーネスト・ヘミングウェイ
10.ヘルマン・ヘッセ
11.セルマ・ラーゲルレーヴ
12.ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ
13.ピエール・ロティ
14.アルベルト・モラヴィア
15.ヴィタ・サクヴィル=ウェスト
16.ディラン・トーマス
17.マーク・トウェイン
18.ヴァージニア・ウルフ
19.ウィリアム・バトラー・イェイツ
20.マルグリット・ユルスナール

2009年11月23日月曜日

荷風は“かふう”と読む

「ふらんす」12月号の特集は“永井荷風の仏蘭西”です。
荷風を“にかぜ”と読んだ学生がいる、とあるので、
荷風に関して何も知らなくても“かふう”と読めるだけ良しとして下さい。

この特集に目を通すと、
荷風が100年前にフランスに滞在した折、
どういう感じであったか少しだけわかります。
要は銀行マンという仕事は満足にはしていなかったらしい。
でも100年後の現在では、
荷風が作家として成した仕事で十分なのでした。

荷風の作品のどこから手をつければよいのか、
よく解らなくて、とりあえず「ふらんす物語」だろうと思ったのですが、
さてはて、どうでしょう?
読まないで悩むより、まずは読んでみた方がよいですね。

2009年11月22日日曜日

「手帳300%活用術」

普段持ち歩く手帳をもっと楽しく有効に活用できないかと、
いつも首をひねっています。
ビジネス雑誌ではよく特集が組まれていますし、
女性用の雑誌も特集があるときは目を通すようにしています。

自分に見合った使い方というのは、
自分のニーズに応えなければいけません。
その自分のニーズを心得ているつもりが、
どこか抜けているようなのです。
で、もう一度復習してみようと、
「手帳300%活用術」日本能率協会マネジメントセンター
をめくってみました。

基本的なことから、ちょっとしたアドバイスまで、
手帳を利用することに関して事細かく書かれていて、
どこからでもヒントを得られるような作りになっています。

生活や仕事を充実させてくれるように、
手帳を有効活用することが、
手帳好きの人の最終目的ではないでしょうか。

手帳ともっと仲良くできるように、
アドバイスに耳を傾けたいと思います。

2009年11月21日土曜日

「アメリカの鳥」を読み始めました

マッカーシーの「アメリカの鳥」を読み始めました。
興味深い本が並ぶ河出書房新社の全集の案内を見ていて、
青年がパリで大人になってゆく話だそうだし、
タイトルもなんだか気になって、
是非読んでおこうと思ったのです。
今のところ、主人公は幼さの残る年ごろで、
舞台は出身地のアメリカに居る部分です。
アメリカ文化に親しめない者には、少々我慢というところ。

文化に関しては目をつむるとして、
内容はとても細やかでデリケートです。
微妙な年齢の男の子の心理状態を、
丁寧になぞってあります。
このような巧な表現によって、
主人公の心理や、とりまく環境、
周りの人々の性格や関係などが少しずつわかっていくところが、
妙味です。

そういえば、と
最近読んだナンシー・ヒューストンの「時のかさなり」 新潮クレストブックス
を思い出しました。
冒頭の章ではアメリカの少年が主役だったのです。
作為的とも思える、非常に現代的な生活を送る少年の描き方に、
少々抵抗を感じました。
とはいえ、そこから時を遡って、複雑な過去へと導かれ、
作品としては大変重みのあるものでした。
名前からは判別できませんが、
ナンシー・ヒューストンはフランス人として、
フランス語で作品を発表しているようです。
ちょっと気になる作家だと、注意しています。

次から次へと読みたい本が出てくるので、
忙し、忙し、です。

2009年11月20日金曜日

アンリの神の手

来年南アフリカで開催されるサッカーのワールドカップに
出場する全32チームがついに出揃いました。
フランスも滑り込みセーフで面目を保ちましたね。
アンリのアシストが実はハンドだったそうで。
主審が見逃してくれたのですね。
ワールドカップでアンリが活躍するところを観た覚えがないので、
このベテランにも本番ではぜひ足か頭で決めていただきたい。
(※観た覚えがないというのは大げさで大変失礼です。)

アルゼンチンも出場を決めましたが、
あの監督なので、メッシの活躍をどこまで観れるか心配です。

なんて偉そうなことを言っておりますが、単なる見物人でしかありません。
それでもワールドカップを観るとそのレベルの高さに目を回し、
狂喜してしまいます。
もちろん日本にもがんばっていただきたいです。
来年の6月ですから、まだ半年以上ありますが、
ハイクォリティのゲームに今からワクワクしています。

2009年11月19日木曜日

しょげ日

なんともお恥ずかしい話ですが、
本日は、しょげにしょげた、しょげ日でした。

一年に何回かあるものですが、
ここのところ気になることがいくつか続いており、
今日はピークだったような気がします。
明日からは減っていって欲しいのですが、
やはり必要なのは猛省でしょうか。

2009年11月18日水曜日

「説得」

「説得」 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫

オースティンの6作品のうち一番最後に書かれたもので、
他の作品と比べると表現が落ち着いており、
展開も比較的ゆったりとした内容です。

主人公のアンは控えめで年齢も27歳と大人の女性です。
自分の意見をしっかり持っており、知性も教養もあり、
もちろん振る舞いも上品、冷静な判断力も備えています。
そんなアンの穏やかで落ち着いた人柄には親しみを感じられる人も
多いのではないでしょうか。
オースティンの作品のヒロイン達は才気に溢れた女性も見られますが、
最も心を通わせることができそうなアンがとても好きです。

アンには不幸なことですが、
あいかわらず滑稽な人々も顔を並べていて、
悪漢も登場します。
アンの相手のウェントワース大佐の心情が
もう一つ解りにくいのですが、
最後には明らかにされますし、
エンディングで著者による登場人物の説明が補足されていることも、
他の作品より納得が得られる仕掛けになっています。
とても暖かい心の通った思いやりを大切にした内容は
主人公のアンにふさわしいと思います。

この作品も中野さんの新訳で、
より現代的に読みやすくなっています。
これで、3パターンの訳に接したのですが、
個人的には富田彬訳の「説き伏せられて」岩波文庫が、
古風な趣きで情緒が豊かに感じられ、
落ち着いた読書が楽しめたように思われます。

2009年11月17日火曜日

DEWでカット

朝から冷たい雨が強く降っていました。
事務所も寒く感じて、
足元のヒーターを入れました。
隣の男性Fさんが、
「寒さはまだまだこれからですよ」
と脅かします。
膝には優しい上司M氏からいただいたひざ掛けを。
真紅の地に白でお家とか小鳥とか可愛い絵が描いてあり、
軽くてお気に入りです。

そんな寒い日でしたが、
予定どおりにカットに行ってきました。
月に一度の楽しみです。
とても優しく素敵なスタイリストのKさんに、
綺麗に仕上げてもらいます。
自分ではうまくスタイリングできないので、
今日はかっこよくセットしてもらいました。
帰りは少々首筋が寒かったのですが、
気分は上々です。

2009年11月16日月曜日

かまきり救出大作戦

午後、陽の明るい時間に外に出てみると、
50台は入る駐車場の真ん中に
かまきりがいるのを発見しました。
まさにアスファルトの大平原に、
ぽつりと一匹さまよっていたのです。
これは大変と、大急ぎで助けあげました。
片手ですんだので、体力は必要ありません。
一番近くの草むらに向かいます。
所要時間180秒。
安全な場所に放しました。
手前の草陰に舞い下りたのを確認して、
一安心。
立ち去るとき一瞬、
かまきりの目がきらりと光ったように見えました。

2009年11月15日日曜日

本の小箱たち

小さめの揃いの箱に本を詰めて保管しています。
「高慢と偏見」を探そうと、
いくつかの箱を出してきました。

お目当ての本は見つからないのですが、
以外な本たちが現れました。
もうすっかり手放していたと思っていたものです。
ヴァージニア・ウルフの数冊、
ヴィタ・サクヴィル=ウエストの庭の本、
パヴェーゼの数冊、
ベンヤミンの数冊、
ヴァレリー・ラルボーも出てきました。

片付けたときはきっとまた必要になると考えたに違いありません。
そう思うと、時間を経て自分が変化していることにも驚きます。

また時間を取って、
落ちついて整理をしようと、
そのまま元に戻しました。
その時には、
心の整理もできるだろうと思うと、
嬉しさと、寂しさとが混在した複雑な気持ちです。

2009年11月14日土曜日

1964年の「ハドリアヌス帝の回想」

手元に1964年発行の「ハドリアヌス帝の回想」
マルグリット・ユルスナル著 多田智満子訳 白水社があります。
すっかり赤茶けていて、
軽いフランス装なので表紙もだいぶ痛んでいます。

これは父親の書棚にあったものを譲ってもらったものです。
子供の頃から背表紙だけは見ていたので、
こういう名の作家がいることだけは知っていました。
まさか、今になって自分がこの作家にこれほど親しみを持つようになるとは、
思いもしませんでした。

2,3年前にこの「ハドリアヌス帝の回想」に挑戦してみたのですが、
とても難解で、想像力も及ばず、
一通り目を通しただけに終わってしまいました。
ギリシア、ローマ時代に関する知識が無さ過ぎることも大きいと思います。
もうちょっと準備をして、
しっかり読めるようになりたい。
遥か彼方の時を越えるためには、
どのような支度が必要なのでしょうか。

2009年11月13日金曜日

どんぐり

しばらく暖かな日が続きましたが、
秋は静かに深まっています。
桜の葉も赤くなりぱらりぱらりと散っていますし、
山茶花の花も咲き出しました。

駅のそばに大きなどんぐりの樹があります。
足元にどんぐりを見つけるまで気がつきませんでした。
見上げると小さなどんぐりの実がたくさん生っています。
秋の実りに嬉しくなりました。

煉瓦敷きの歩道には、
ぽろりぽろりとどんぐりの実が落ちています。
哀れ、次の世代を向かえることができません。
この頃は子供の遊び道具にもなりません。

慰めの言葉はどこへやら、
茶色い丸々とした姿を見て、
つい踏みつけてみたくなりました。
ぽんと一踏み、
ぱちりといい音が鳴ります。
縁起のいい音だと楽しくなって、
ぱちりぱちりと踏みつけてまわります。
少々後ろめたく感じながらも、
これから毎秋の風物詩になりそうです。

2009年11月12日木曜日

「ノーサンガー・アビー」

「ノーサンガー・アビー」 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫

オースティン20代の処女作、意欲ある作品です。
それまでのヒロイン小説の概念をことごとくひっくり返し、
パロディ化して、新しいヒロイン像を作り上げています。
小説に対する意識も盛り込まれていて、
読者にも容赦がありません。

とはいえ、作品そのものを現代において読んでみるならば、
筋も内容も面白いのですが、
少々理屈が多く、
多少強引で、
作者の意図がはっきり出ている点において、
その後に書かれたものより、
楽しみにくいように思えます。
ちょっと厳しいでしょうか。

2009年11月11日水曜日

ISLAYと「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」

ISLAYという名のBarでウィスキーをいただきました。

まず、大好きな定番Laphroaig10年をストレートで。
次は林檎の香りが特徴のArdbegをストレート。
三杯目はちょっと度数の高いCaolila26年をストレートで。

どれもとても美味しく、
心地よく酔いがまわりました。
同伴の2名が楽しくおしゃべりをしているのを聞きながら、
ゆっくりくつろぎます。
ウィスキーを飲むときは、
必ずこのお店と決まっています。
種類が豊富で、
微妙なニュアンスを汲んでくれるマスターが居るのです。
一瞬この時間がいつまでも続いたらいいのに、
などと思ってしまいます。

ウィスキーについて知識はなくても楽しめるのが、
「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」 村上春樹著 新潮文庫
です。
村上春樹さんの本は基本的に読みませんが、
この本はウィスキーを愛する気持ちを共有できる、
嬉しいエッセイです。
美しい景色の写真も多くて、
遠いアイルランドに出かけたくなってきます。

2009年11月10日火曜日

「高慢と偏見」

「高慢と偏見」 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫

オースティンの作品はいずれも大変面白く読めますが、
中でもこれは傑作といっていいでしょう。

文章のシンプルさを基本に、
物語の筋、展開、人物造詣、
背景、会話の妙味、
どれをとってもバランスが良く、
客観性が保たれており、
流れもスムーズで、無理がありません。
欠点があまり無いように思えます。

筋を追うだけでも充分楽しいですが、
この作品は主要人物のダーシーとエリザベスの
精神的成長を掴んでいくのが重要です。
タイトルの意味がよくわかります。

この新訳で読みやすくなり、
理解しやすくなっています。
旧訳にもそれなりの良さがありますが。

ちくま文庫からは、
エマ・テナントによる続編も出ています。
一読しましたが、
個人的にはあまり必要はないものと思います。
続編というのは難しいところです。
水村美苗さんの「続 明暗」ような作品もあるのですから。

これで勢いが点き、
オースティン街道をもう一歩進みます。
今日から「ノーサンガー・アビー」です。
一番大好きな「説得」を最後に持ってこようと思います。

2009年11月9日月曜日

Brad Mehldau

ブラッド・メルドーはジャズピアニストとして、
人気も実力も兼ね備えた人ですね。

よく聴いているのは「House on Hill」。
何度聴いても新鮮で、飽きることがありません。

理知的な響き、両手の巧みなタッチ、
パッションも溢れていて、
つい聴き入ってしまいます。

ライナーノートも自分で書いてしまう程の
こだわりと知性の持ち主だそうですが、
音楽だけでも十分に思えます。

パット・メセニーとのカルテットも快作です。
異質なもの同士のように思えますが、
これが素晴らしいコンビネーションで、
新しいジャズを聴かせてくれます。

2009年11月8日日曜日

「高慢と偏見」読書中

買ったばかりの「高慢と偏見」ジェイン・オースティン著
を読んでいます。
とても読みやすくわかりやすい訳で、
驚いてばかりです。
このシーンでこんな表現がされていたのか!
などと、別の本を読んでいるような感覚もあります。
もちろん筋も人間造詣も同じではあるのですが、
現代風にすると、こんな言い回しができるのだと、
感心しています。
読み終わったら、岩波文庫と照らし合わせてみようと
思っています。

2009年11月7日土曜日

ブリヂストン美術館のカレンダー

机の上に置いてあるのは、
ブリヂストン美術館の小さなカレンダーです。

11月は佐伯祐三の《Cordonnerie(靴屋)》
白い壁に大きくCordonnerieと描いてあって、
小さな間口に靴らしきものが吊り下げられています。
横にあるこれまた小さな棚に載せてあるのは、
たたんで積んであるのでエスパドリーユでしょうか。
庶民はきっとこういうつつましげなお店でお買い物をしたのでしょう。

右手の鉄柵は建物の入り口に当たるのでしょうか、
中は真っ暗です。
足元の暗灰色の道にお店の白い壁がくっきりと浮かび上がります。
いつもの佐伯祐三の絵より、落ち着いた感じがする絵です。

来月はマネの《オペラ座の仮装舞踏会》、
今年もあと1ヶ月とちょっとになりました。

2009年11月6日金曜日

「はじめての構造主義」

「はじめての構造主義」  橋爪大三郎著 講談社現代新書

この世の中というものをどう捉えたらいいのか、
長い間悩み続けていました。
何か基本になる考え方、見方があるはずだと思っていたのです。
人に聞いてみたりしてもしっくりくることはなかったし、
哲学や宗教の本は難しすぎました。
自分を主体にして考えすぎていたのかもしれません。
様々な考え方があり、
答えなどないのだと思い始め、
自分が納得するものは自ら構築するしかないのだと、
年を経るにつれ悩むことも薄らいできました。

身辺にも色々あって、
一つ、二つの山を越えた頃、
この小さな入門書と出会いました。
とてもわかりやすく、
こういう考え方があるのかと驚きました。
すばらしく明快に感じたのです。
そこでレヴィ=ストロースやフーコーの仕事について
簡単な知識を得ることができました。

実際には、この哲学者たちの本を読むまでには至っていません。
眼前にヒマラヤの峰々のように高く聳え立っています。
これらを読むためには、ギリシア哲学、カントやヘーゲル、
ニーチェ等についても知識が必要でしょう。
気が遠くなりそうです。
いつか読む機会を作ることができれば幸いだと考えています。

なぜか戦後活躍した哲学者、思想家たちは、
早く亡くなった方が多いように思えます。
その中で、レヴィ=ストロースは100歳まで生き、
21世紀を見ることができたことをどう感じていたでしょうか。
訃報に接し、その功績と100歳という年齢を想い、
考えることはいくつもあると感じています。
こんな頭でポケっと思いつくままですが。

2009年11月5日木曜日

ワンピース

とことこと地下に広がるお洒落な街を歩いていたら、
ふと目に入ったのが、
ちょっとマルジェラ風のすとんとしたワンピース。
とっても可愛い☆とラブリーな気分で手に取ると、
よく行くお店にも置いているブランドの物でした。
よし、次の機会にBshopへ行こう!
心はあのワンピースで一杯です。
そう、こういう浮ついた状態は好ましくないです。
浮つきから脱出するためにも早くBshopへ行ってきます!?

2009年11月4日水曜日

「フィレンツェ」

「フィレンツェ」 高階秀爾著 中公新書

副題に初期ルネサンス美術の運命とあります。
15世紀ごろのフィレンツェの美術が
政治、経済、社会、思想等の影響下に
どのように発展し、衰退したのか考察しています。

フィレンツェの隆盛は、
まず、メディチ家の興隆による、
経済的発展、維持が基盤となっています。
また市民の気質にも特徴が見られます。
コンスタンティノープルの陥落により、
イスラム圏の影響もあるようです。
特に中世から大きく変化のある思想面、
ユマニスム(人文主義)の開花が
大きく影響を及ぼしていると思われます。

このユマニスムは中世的思想と、
古典的思想を結びつけるものとして
神の前にある人間の理性的存在を肯定するといった、
新しい概念だったとのことです。
これについて高階さんは非常にわかりやすく、
具体例を多く挙げて書かれています。

「春の戴冠」に登場していた人々も登場しています。
あの温厚なフィチーノ先生が、
ヨーロッパ中に知られるほどの重要な人物であったということも
ようやくわかりました。
ボッティチェルリが線描表現にこだわった理由についても
述べられています。

残念なことに、この時代は長くは続かなかったのでした。
数々の天才たちを生み出したフィレンツェが
急速に没落せざるをえなかったのは、
政治的な面だけでなく、
この街の気風にも原因があったようです。

今もその美しさを留めているフィレンツェを一度は訪ねて、
当時の栄華を偲んでみたいと思っています。

2009年11月3日火曜日

寒さがやってきた

今日はとても寒い一日でした。
と言っても北国や日本海側のように雪が降るほどではありませんが。
ちなみに住んでいるここは奈良です。

昨日は猛烈な風が吹き、
一気に冷え込みました。
この文化の日に秋薔薇を見に行こうと考えていたのですが、
強風で薔薇も散ってしまっただろうと、
諦めてしまいました。

寒さにとても弱いので、
毎年のことながら
これから冬に向けて不安です。
乗り切ることができるのかしらん。
きっとこのブログでも
寒さの話題が多くなると思います。

2009年11月2日月曜日

お仕事

週のうち5日は
お仕事です。
デスクワークをしています。
電話を取ったり、
データをパソコンに入れたり、
経理処理をしたり、
資料をまとめたり、
レポートを作成したり、
勤怠管理をしたり、
出納もしたり、
お片づけや、
洗い物まであれこれ、
つまりなんでも屋さんです。
用事が重なると大忙しです。

週に2回は電車に乗って遠方へお使いです。
今日もてくてく出かけます。

2009年11月1日日曜日

お昼寝

日頃から睡眠をしっかりとらないと、
全く調子が上がらないので、
(機嫌が悪いという声もあります)
夜はたっぷりと寝ているのですが、
この上にお昼寝をしてしまいます。

これが気持ちいいのですね。
おだやかに過ぎる時間を満喫して、
ひたすらぐうぐう寝ています。

この時間を読書やら片付けやらに
使うのが理想です。
まったく睡眠ばかりに人生を費やしているようです。

寒くなってくるとさらに布団が恋しくなりますね。

2009年10月31日土曜日

まとめ買いしました!

ジュンク堂のピンクレシート、集めてますか?
このときとばかり、買い込みます。

一冊ずつ揃えているプルースト、
「失われた時を求めて」⑧ソドムとゴモラⅡ 
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫

何回読んでも楽しいオースティンの傑作を新訳で。
「高慢と偏見」上・下 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫

ここでおさらい、高階先生のフィレンツェの美術史、
「フィレンツェ」 高階秀爾著 中公新書

ⅠとⅡを揃えたので、ブルクハルトにトライ。
「イタリア・ルネサンスの文化」Ⅱ ブルクハルト著 中公クラシックス

この全集は魅力的なものが多く、迷ってしまいます。
この著者のことは全く知識がありません。
とても楽しみです。
「アメリカの鳥」 メアリー・マッカーシー著 河出世界文学全集

以上、まとめ買いの巻でした。

2009年10月30日金曜日

「都市幻想」十選 が掲載終了しました。

日経新聞朝刊の隅っこの『十選』、
今回の今橋映子さん選出による『都市幻想』、
残りの6作品です。

5回目はヨハン・ファン・デル・コイケン
(「死すべきパリ」写真、フランス植民地主義に対するデモの群集)
6回目は秦テルヲ
(「煙突」日本画、明治44年に描かれた工場を描いたもの、構図が美しい)
7回目は佐伯祐三
(「工場」洋画、新聞の小さな写真では少々わかりにくいです)
8回目はマックス・エルンスト、
(「完全な都市」洋画、今橋さんは“「完全」な都市とは、
あらゆる廃墟の記憶、消え去った文明の痕跡の上に
成り立つ夢のような装置ではないだろうか。”と書かれています)
9回目はブラッサイとプレヴェール
(「無題」写真とコラージュ、遺跡の壁の写真に奇妙な牧神や悪魔たちが描かれています)
10回目はロベール・ドアノー
(「かつてのゾーンの端で(モンルージュ)」写真、パリ郊外のゾーンと呼ばれた場所に
打ち捨てられた廃車で遊ぶ子供達の姿)

一つ一つの作品に添えられた解説を読んでいくと、
其々に深い意味が隠されているのでした。
このように丁寧に噛み砕いていただくと、
どうにか糸口が掴めます。
日ごろは漠然としていますが、
見る物すべてに謎が秘められているのですから、
せめて好ましい対象については、
注意を払うようにしたいものです。

2009年10月29日木曜日

アートとしての服~ヨウジ・ヤマモト

ヨウジ・ヤマモトの服の美しさは、
誰もが承知するところです。

黒という色が息づくように
見事にカッティングされた服は、
目を見晴らされます。
造形美というのが正解でしょうか。

そこにそこはかと漂うフェミニンさ。
女性の底に潜む艶かしさを引き出して
美しさを際立たせる、
現実を超越した美意識を感じさせます。

今シーズンに民事再生法の適用を申請したとのことですが、
このデザイナーのクリエイションは、
まだまだきらめき続けることと思われます。

2009年10月28日水曜日

「春の戴冠」

「春の戴冠」① 辻邦生著 中公文庫

ルネサンス期のフィオレンツァ、
コシモ・デ・メディチからロレンツォ・デ・メディチの時代へ、
ボッティチェルリと語り手フェデリゴを取り巻くイタリアの豊かな街の姿。
主人公達はまだ若く、
ボッティチェルリも独立して工房を持ったばかり。
これから本筋に入っていくところです。

ですが、
この続きを読むのを断念いたします。

内容は大変面白く、
文章も麗しいのですが、
求めているものがもう一つ足りなく感じるのです。
「背教者ユリアヌス」を読んだときにも思っていたのですが、
情感がもう一息伝わってこないのです。
絵画を硝子越しに見ているような感じがします。

ずいぶん悩んだ末、残念ではありますが、
辻邦生さんの小説を味わう喜びを得られずに終わることになります。

2009年10月27日火曜日

悩みのフランス語

これまで旅行の時や、読書をする際に
語学に不慣れなことに悩まされてきました。
フランス語はもちろん英語もさっぱりです。
どうにかこうにか適当にやってきているのですが、
ユルスナールの未邦訳の本のことを考えると、
とても情けなく、沈み込んでしまいます。
読みたい。とても読みたい。
これから勉強するのにも腰が重いです。
読めるレベルに達するには、
相当かかることを覚悟しなくてはいけません。
読みたいと言いながら、
行動に移らないのは、
怠惰なだけでなく、情熱も足りないということなのでしょう。
悶々と悩む秋の日々です。

2009年10月26日月曜日

「パリの手記Ⅰ 海そして変容」

まだ若すぎて わからないことばかりだった頃、
日々を生きることに意味を持たせようとやっきになっていた頃、
そんな自分を納得させてくれる本を捜し求めていました。

そこで巡りあったのが、
「パリの手記Ⅰ 海そして変容」 辻邦生著 河出文庫 でした。

書きたい、という強い気持ちと、書く、という強い意志を持ちながら、
今だその入口が見出せない、作家になる前の辻さんがいました。
毎日レッスンをするピアニストのように、毎日書くことを自分に課し、
苦悩しつつも、手探りで方向を見定めようとする姿を率直に記した
その本を当時友達のように感じていました。

この「パリの手記」はⅠ巻からⅤ巻まであるのですが、
Ⅱ巻で停滞したまま、Ⅲ巻以降は読まずにいました。
他のエッセイ等で辻さんのその後を知ったことも、
読まなかった理由かもしれません。
後々になって合本になった大型の美しい装丁の本を入手し、
辻さんのパリ時代を研究した本「辻邦生のパリ滞在」 佐々木とおる著 駿河台出版社
なども手に入れましたが、
もうかつての自分も文字の中に埋もれてしまって見えません。
今は一体どこに立っているのでしょうか。

2009年10月25日日曜日

「夏の海の色」

初めて辻邦生さんの作品に出会ったのは、
中学校の教科書でした。
「夏の海の色」という短編です。
授業では取り上げられませんでしたが、
子供心にも染み入る作品でした。
ちょうど、同じ年頃の子供が主人公のせいか、
彼が人を通して味わった悲哀が、
地方の海の気配とともに、
文章を通じて察することができたのだと思います。
実際にはそんな細やかな心遣いとは縁遠かったのですが。
辻邦生という作家のことを、
心に留めておくようになった小さなきっかけでした。

2009年10月24日土曜日

「手紙、栞をそえて」

辻邦生さんの「春の戴冠」第1巻を順調に読み進めています。
辻さんの本には若い頃から親しんでいますが、
なぜか、小説はあまり読めていません。

辻さんの本で心に残る一冊が、
水村美苗さんとの書簡集、
「手紙、栞をそえて」 朝日文庫 です。

とても優しい語り口、
互いに敬意を表した文面です。

本を深く読まれている両者の知識、見識に裏付けられた
本への温かい眼差しは、
読む者の気持ちも豊かにさせてくれるものです。

朝日新聞に連載されていたものらしいですが、
内容は古今東西の書物を取り上げており、
若い方にはよき参考となりますし、
年長の方には、
取り上げられた本を読んだ時のことを
懐かしく思い出させてくれる親しみ深い本です。

2009年10月23日金曜日

クライマックスシリーズ

プロ野球にクライマックスシリーズが導入されてから、
がぜん面白味が増しましたね。
リーグ優勝を決めているチームからすると、
不満もありましょうが、
とにかく、消化試合が減って緊張感がありますし、
このクライマックスシリーズは駆け引きも含めて、
見ごたえがあります。

日本ハムは大手となりました。
楽天の勢いもここまでか。

巨人はリーグ戦の力そのままに、
押してきています。
中日もしぶとくがんばれ。

というのも、広島カープファンなので、
高見の見物です。

2009年10月22日木曜日

きらきら光るツリー

クリスマスまでの間、
ケータイに付けておくといいよと、
小さなクリスマスツリーをいただきました。

とっても小さいけど、
緑色の地にきらきらとビーズが煌いて、
とっても可愛いです。

普段はケータイに何も付けていませんが、
ちょっと気分を変えて、
飾ってみましょうか。

2009年10月21日水曜日

「純粋状態の白熊」とは?

「春秋」の特集『いま、ヴェーユを<読むということ>』に、
堀江敏幸さんが寄せられていたのは、
「純粋状態の白熊」というタイトルのエッセイです。

読み始めるといきなり熊のお話です。
どういうことだろうと読み進めます。
どうやらヴェーユは「白熊について考えないこと」について
「カイエ」に記しているそうなのです。

もともとはドストエフスキーの「冬に記す夏の印象」の一節、

“「自分の意思が最高に自由であるしるし」として、
社会に対して自己を犠牲にするからといって、
見返りなどは決して期待してはならない、そのためにはどうすればいいのか?
「それは白熊のことを思い出さないようにするのとまったく同じことである。
まあ、試みにひとつ、白熊のことなぞは思い出すまいと、
心に固く決めてみるがいい。そうすれば必ず、いまいましいことに、
その白熊のやつがしょっちゅう頭に浮かんでくるにちがいないのだ。」”

ヴェーユが読んだと思われるその辺りの
影響があるようだ、と堀江さんはみています。
それを進めて、

“「善の領域」と「悪の領域」を併せ持つ空間に、
「なにごとも考えることをやめた魂の略奪状態」で向き合わねばならない。
ヴェーユは、人はいずれの側にも属さざるをえないことを意識したうえで、
その両義性を諦念で処理せず、さらに上位の自己を、
つまり皮肉な抑制なしに、真の意味で「白熊を考えていない」自己を
見出そうとしていたのではないか。・・・
隔離された空間で生きざるをえない白熊たちの、見返りを求めない
ストイシズムは、重力や恩寵とおなじように外から見えない。
それらを認識するためには、中間的なるもののなかに、
純粋状態でしぶとく留まるほかないのである。”

と分析されています。
ヴェーユの思想の一つの概念を白熊によって解読し、

“ところが、私はいまだ不純きわまりない状態で、
白熊のことを考え続けている。・・・”と、
野生出身のコユキに思いをはせ、“コユキこそは、
外から持ち込んだ善と囲いの中の悪を束ねる中間的な存在”

と、ヴェーユの思想をあらゆる所で読み取ることができることを、
証明してみせてくださる、堀江さんなのでありました。

2009年10月20日火曜日

「春の戴冠」とボッティチェリ

秋の静けさの中で集中力を持続させながら
冷静に読める本をと選んだのが、
「春の戴冠」 辻邦生著 中公文庫 です。
ボッティチェリの生涯を描いた小説とのことで、
厚めの4巻物と読み応えがありそうです。

ある時から意識をして見るようになった画家の絵があります。
ぼんやりとしていても、
視野に入ると自然にそちらに反応してしまう絵だったのです。
それらはアートの世界のみならず、
本やメディアでもよく使われているボッティチェリの絵でした。

あまりにも有名な作品の数々を
実際にはほとんど観た事がありません。

一度、秘密にしたいような出会いがありました。
ルーブル美術館で偶然ボッティチェリのフレスコ画を見つけたのです。
ルーブルのことなので、多くの人は大作の方に押しかけていて、
このフレスコ画のあたりはひっそりとしていました。
何気なく横道に逸れてその絵を見出した時は、
思わずため息が漏れました。
もちろん大抵の方はご存知なのでしょうが、
存在を知らなかった者には
天からの贈り物のように感じました。

このフレスコ画のことを、
松浦寿輝さんも 「クロニクル」 東京大学出版会 の中で、
“その剥落や色褪せにもかかわらず戦慄的に美しい-
いや、にもかからずではなくむしろ剥落や色褪せのうちに
胚胎される時間の厚みの手応えのゆえに、
かえってよりいっそう美しいと言うべきか”
と深い想いを述べておられます。

美しさを愛でるためにも、
ボッティチェリの人生を、
辻邦生さんの案内で辿ってみたいと思います。

2009年10月19日月曜日

『都市幻想 十選』

日経新聞朝刊の隅っこに『十選』というコーナーがあります。
一つのテーマについて一人の選者が、
毎日一つずつ絵画などを取り上げて、
テーマに沿って解説をするものです。

現在は東京大学准教授の今橋映子さんが、
『都市幻想』というテーマで、
絵画、木版画、写真を取り上げておられます。

今橋さんは比較文学、比較文化を研究されており、
その発想の豊かさと緻密な分析が評価されているとのことです。

1回目は、フランス絵画でした・・・
2回目は柄澤齊、
(「迷宮の潭」よりⅣ、素晴らしい木版画!)
3回目はレメディオス・バロ、
(「行動する銀行家たち」、謎めいた不気味さ漂う絵です)
今日の4回目はアーウィン・ブルーメンフェルド
(「パリ写真の世紀」の表紙に使われているのと同じエッフェル塔での写真)

あいにく、切り抜きが出来ていなくて、
きちんとご紹介できないのが残念です。

毎日どんな作品が、
どのような文章で読み施されるのか、
とても楽しみにしています。

2009年10月18日日曜日

春秋社から届きました

春秋社に発注していた本が届きました。

シモーヌ・ヴェーユ著 「神を待ちのぞむ」
とPR誌の「春秋」です。

ヴェーユの著作を少しずつ揃えていっていますが、
「カイエ」までは到達しそうにありません。
知力不足と体力不足で倒れてしまうと思います。

今月の「春秋」はヴェーユ特集だったので、
(寄稿者陣も魅力的だったのです)
とても読みたくて、
定期購読のみのところを、
少々無理を言って送っていただきました。

という状況ではあるのですが、
今、頭の中は、
須賀敦子さんとユルスナールで一杯なので、
ちょっと切り換えてから、
ヴェイユに取り掛かりたいと思っています。

2009年10月17日土曜日

2010年の手帳

店頭に来年の手帳が並び始めました。
記録用の手帳は毎年同じ物を選んでいます。
ただ、カバーが気に入らないので、
古いカバーを掛けなおして使っています。
中身は変わらないので、幸いです。

持ち歩きの予定などを書いておく手帳の方は
なかなか定番が決まりません。
今回は思い切って、
アクション・プランナーというのを発注してみました。
カバーの色も豊富なバリエーションです。
うきうきと好きな紺色を選んでみました。

首を長くして待っていたところ、
ようやく到着。
急いで開けてみると、
綺麗な紺色、イメージどおりです。
思っていたよりも大判なので、
持ち歩きが不便そうですが、
書き込みがしやすくて、
以外といいかもしれません。
紙の質もいいし、
ソフトな色の罫線や活字も目に優しい。
よくみてみるとエグザコンタのものでした。

数年前に偶然エグザコンタの手帳を使ったことがあり、
とてもよかったのです。
なかなか国内でお目にかかることがなかったので、
ほとんど諦めていました。
なので、エグザコンタというだけでも嬉しい。

バーチカルタイプを使うのは初めてで、
どこまで使いこなせるかわかりませんが、
たくさん書き込みをして、
楽しい時間を作っていきたいと思います。

2009年10月16日金曜日

「目を見開いて」

「目を見開いて」 ユルスナール対談 聞き手マチュー・ガレー 白水社

数ヶ月に渡って、ユルスナールがガレーに語った内容をまとめた本です。
ユルスナールの人となり、思考がひととおり見渡せるようになっています。

これを読んだ時点で、
もう何も言うことはありません。
ユルスナールに感服です。

暫くじっとしていようと思います。
身体に染み通り、隅々に行き渡るまで。

2009年10月15日木曜日

ipod mini

数年前ipod miniが登場したタイミングで、
小型で使いやすそうと思い、
シルバーのminiちゃんを購入しました。
以来、毎日せっせと働いてくれています。

クラシック少し、ジャズ少し、J-POP少し、
クラブ系少し、英POP少しとお気に入りが入っていますが、
このうち聴くのはほとんど決まっているのが、
不思議なところです。

なぜだか、i-tuneで購入することがありません。
音楽はやはりCDショップに行って買ってしまいます。
文明の利器を使わないうちに、
気がついたら周りはすっかり変わってしまっているかもしれません。

このminiちゃんもだいぶ年季が入ってきたので、
乗り換えを考えるようになりましたが、
手の馴染み具合といい、
持ち重りの良さといい、
もうちょっとがんばって欲しいところです。

2009年10月14日水曜日

昨日のお買い物

昨日は、満面の笑みで
「書かれる手」 堀江敏幸著 平凡社ライブラリー
を手に本屋さんを後にしました。
周りの人は気持ちが悪かったと思います。
にやにやしているのが自分でもわかっていたので。
他には、
文庫化を待っていた
「真鶴」 川上弘美著 文春文庫
爆笑エッセイ
「貧相ですが、何か?」 土屋賢二著 文春文庫
邦人トリオです。

さて、「書かれる手」は急ぐ所は目を通したので、
改めてゆっくりと読むことにして、
「真鶴」に参りましょうか。

2009年10月13日火曜日

「書かれる手」を読み始めてみて

心浮かれて「書かれる手」 堀江敏幸著 平凡社ライブラリーを
購入し、早速読み始めました。

「幻視された横道」-須賀敦子『ユルスナールの靴』をめぐって は
どうにか着いていけるとして、
堀江さんの処女作「書かれる手」-『マルグリット・ユルスナール論』、
これは「アレクシス」をリルケとヴァレリーを通して考察したものですが、
もう既にエッセイとも論文とも言えない堀江さんの独自の文体スタイルが、
現れています。溜息。

急いでクンデラ論も読んでみましたが、
クンデラに迷わされている状態の者からすると、
雲が晴れるような感覚になりました。
またしても、溜息。

もっと丁寧にゆっくりと奥深く読むように勤めなくては・・・

この「書かれる手」、単行本を手にしたときも、
難解な印象が強く、歯が立たなかったのは当然のこと。
読むことの難しさと有難さを同時に味わいました。

2009年10月12日月曜日

お世話になります

よく覗く古本屋さんとは別に、
自分の本を引き取ってもらう古本屋さんがあります。

出会いは「ミシェル・フーコー伝」 ディディエ・エリボン著 田村俶訳 新潮社。
ずっと探し求めていたこの本を見つけたのが、
この伏見屋書林さん。
児童文学の良書なども置いてあり、
印象に残ったのです。

それまで大量の本を引き取ってもらうのは某書店で、
扱いのまずさに辟易していました。
伏見屋さんに出会ってからは、
大切にとってあった本も、
思い切って手放すことができるようになりました。
訪ねると古書だけでなくさすがに本にお詳しく、
いろいろと伺えることができます。

今回は思い切ってロラン・バルトを手放すことにしました。
張り切って購入したものの、
目をこらして読みたい本のリストを眺めてみると、
とても読むことは不可能だと、
たとえ読んでも理解不能なことを考えて、
諦めることにしたのです。
悲しいことですが。

そのほかにも、読み終えてまずまずだったもの、
どうして買うに至ったのかわからないもの、
「ガンダム・オリジン」もそろそろいいか、
などと一まとめにしました。

さすがに伏見屋さんも「漫画は・・・」と言われていましたが、
無理を言って引き取ってもらいます。
「いつもお世話になります。」

2009年10月11日日曜日

「パダン」と「ドダン」

「エディット・ピアフ 愛の賛歌」 オリヴィエ・ダアン監督で
マリオン・コティヤールが熱演しているのを観ていたら、
“パダン”という歌が出てきました。
その歌いだしは『パダン♪、パダン♪』と熱烈な調子でしたが、
体調を崩していたピアフはそこでバタンと倒れてしまいます。
この映画ではマリオンの演技が強調されていて、
ピアフの激烈な人生が手に取るように伝わってきます。
ピアフのことを全く知らず、白紙状態で観たので、
新鮮でもありました。

しばらくして、スマトラ大地震が起きました。
中継でパダンという地名が出てきたのです。
ああ、そうか、パダンは土地の名だったのだ。

そういえば、よく似た音の名があったなあ。
と考えてみると、全く関係の無い話でした。
マルグリット・デュラス著 「戦争ノート」 河出書房新社 に
「ドダン夫人」草稿があったのを思い出したのです。
「パダン」と「ドダン」ちょっと似ているだけで、
何にも関係ありません。

この「戦争ノート」はデュラスの無名時代に書かれた
作品の草稿やメモが書かれた4冊のノートをまとめたものです。
既に作家デュラスの姿が見えています。
戦時中の話も多く、リアリティに富み、
人間の業を書き抜くデュラスの技があります。

「ドダン夫人」はパリのアパルトマンのコンシェルジュ。
愚痴をこぼしながらも強く生きている女性。
生きていくにはこれくらいしぶとく、したたかでないと、
現実に目を向けるよう言われたような気がしました。

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」を読まれた方は
もう「ドダン夫人」に会われていますね。
デュラスのテキストでは、生々しいですが、
堀江さんの解説により、年配の「ドダン夫人」の痛みが
よく伝わってきます。

2009年10月10日土曜日

両手一杯に海を抱えて

丘の上の更に高く8階から眺める海は、
どこまでも広く、遠く、深く、
灰色に広がっていました。
潮をふくんだ風に波打って、
波打ち際から浅瀬へ、
目を上げれば、
水平線はぼやけて、
想像もできないくらい果てまで続いています。

この大きな世界は、
一体なんなのだろう。

意味を探そうと、
愚かなことを、
ついついしてしまいます。

語りかけてくる声は聞こえないのか?

日常から離れて、
真空のような時間を過ごし、
もうしばらくこうしていたいと、
願った一日でした。

2009年10月9日金曜日

“やきものいこま”さんへ

40年続いていた“やきものいこま”さんが
店を閉じることになりました。
店内に一杯和食器が溢れた、
大らかで、楽しく、落ち着いたたたずまいのお店で、
長くお世話になりました。
いつもお気に入りがたくさんあって、
選ぶのに頭を痛めたものです。

今日が最後の訪問になりました。
店主の方が大変魅力的なことも
お店の人気の理由の一つだったと思います。

またしても決めるのに悩みましたが、
藍の木賊柄の大ぶりのお湯飲みを一つ、
他にもいくつか使いやすいものを。

ご挨拶とともに、
お餞別もいただいて、
名残を惜しみました。

2009年10月8日木曜日

お見舞い申し上げます

大型の台風18号が日本に上陸しました。
暴風域では大変な被害が出ています。
ニュースでは一部分しかわかりませんが、
怪我をなされた方、
被害に遭われた方々に、
お見舞い申し上げます。

2009年10月7日水曜日

海を見に

今日はこれから荒れた海を見に出かけてきます。
どうしてこんな天候の時に?
今日しか都合のつく日が無かったから。

いつもは穏やかな日差しのふりそそぐ海しか
見る事がないので、
こういう日もいいかなと思っています。

では行ってきます。

2009年10月6日火曜日

台風その名も“メーロー”

大型の台風がやってくる予報が出ています。
“メーロー”という名です。
ここ数年本州に台風が上陸することが少なかったので、
恐ろしさが薄らいでいましたが、
そんなことを言っていると、
どんな大変な事態になるかわからない、
油断大敵です。

日本を逸れてくれても、
他の国で被害がでるかもしれないし。

そんな話をしていたら、
台風のエネルギーを転換して、
何かに活かすことができないだろうかと
言う人がいました。
それができればノーベル賞ものだと、
ぜひ研究してくださいと、
お願いしてみましたが、さてはて。

夢はさておき、
皆様、ご用心ください。

2009年10月5日月曜日

苗木

近くのホームセンターで
植え時の苗木を見かけました。

美味しそうなりんごの写真が入ったラベルに“ふじ”とあります。
これを植えたらこんな見事な“ふじ”が成るのか・・・
他にも無花果、柿、梅、プラムとあります。
横にはベリー類の苗もあります。

最初は大きめの鉢に植えて、
少しずつ整枝しながら水をやって、
虫をとって、大きくする。
土地があったら、植え替えてあげる。
数年経つと、花が咲いて、実が成るのだ・・・
夢想がむくむくと湧いてきます。

飾りのないテラコッタの鉢の横に
グリーンのエプロンをかけて、麦藁帽子をかぶり、
大きなスコップを手にした姿が目に浮かびます。

そう人に話すと、
誰でも最初はそういうもの、と
あっさりかわされました。

2009年10月4日日曜日

十六夜

十六夜の今夜もお月さまが綺麗です。
静かに夜が更けていきます。
こういう夜は日本の古典文学などが
ぴったりくるように思います。
が、手元にはあいにく無いので、
宿題のユルスナール論などを
読むことにします。

堀江敏幸著「書かれる手」を本棚から
ひっぱり出してきました。
と、『堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル』というHPに、
この「書かれる手」が平凡社ライブラリーから出るという
ニュースがありました。
なんというタイムリー。
文庫になると、またゆっくり読み返せるではありませんか。
嬉や嬉。

須賀敦子著「ユルスナールの靴」では、
“死んだ子供の肖像”という章が「黒い過程」論に
割かれています。
この中に「黒い過程」の重要事項が全て書かれているといっても
過言ではないでしょう。
とくにキリスト教の信仰を通した視点での意見は
信者であり、文学者である須賀さんならではのものでしょう。
「黒い過程」を読んでいるときには漠然と把握していたことが
明確にされていて、ここまできっちりと読み込まなくては、
読む意味がないのだと、言い聞かされたような気がします。

そこへ岩崎力著「ヴァルボワまで」の読んでみると、
ユルスナールは
“いくつかの祖国をもち、いくつかの文化に属している”といい、
“換言すればそのいずれにも属していない” また、
“いくつかの宗教に属している”
と言い切っているといいます。
ユルスナールの広い視野、知識、理解力が
あらゆる作品の中で活きているということでしょう。

ユルスナールを読むことはまだまだ始まったばかりです。
美しい月夜にふさわしい読書を始めましょう。

2009年10月3日土曜日

お茶するのが好き

お茶をするひとときが、
なによりも好きかもしれません。

街に出ても、
すぐカフェで一杯。

電車に長く乗る時も、
珈琲一杯。

一仕事して、
一息、一杯。

熱く濃い目に入れた珈琲が、
体に染みます。

何をするわけでもなく、
頭を休ませるという口実で、
ただぼんやりと、
座っています。

なので出かける時は、
お茶が出来る場所のチェックを
忘れてはいけません。

心身だけでなく、
頭にも心にも余裕を持たせて、
気持ちの柔軟性を保つ、
と聞こえはいいですが、
ただ疲れやすいだけの話です。

2009年10月2日金曜日

「旅芸人の記録」

「旅芸人の記録」 テオ・アンゲロプロス監督 1975年

ギリシャの現代史を小さな劇団の旅を通して
道案内をする壮大な叙事詩的映画です。

アンゲロプロスのこの代表作を観るのは
「永遠と一日」、「エレニの旅」の後になったので、
映像のイメージなどは知っていましたが、
やはり手ごわい内容でした。

ギリシャの現代史がこれほど苦痛に満ちていたことを、
劇団=一市民をとおして思い知らされました。

伝えたいことがあまりにも多すぎて、
語るには言葉も知識も足りません。
素晴らしい映画です。

2009年10月1日木曜日

北海道のお土産

北海道旅行のお土産をいただきました。
坂本直行さんの花の絵が入ったタオルハンカチです。
薄い紫色で表はガーゼ、裏はタオル、
小ぶりで使いやすそうですが、
きれい過ぎてもったいないので、
布物を直してあるチェストに片付けておきます。

お土産話も楽しいのですが、
食べ物のお土産も嬉しい。

千秋庵のノースマンをほおばりながら、
珈琲をいただきます。

2009年9月30日水曜日

「祝祭と狂乱の日々1920年代パリ」が届きました

岩崎力さんの評論「ヴァルボワまで」を発注するときに
目に付いて同じく岩崎さんの訳による冒頭の書、
ウィリアム・ワイザー著 河出書房新社
をお取り寄せしました。

この本はLes Annèes folles(レ・ザネ・フォル)と呼ばれ、
文学、絵画、舞踊、音楽、ファッション等の中心地として栄えた
1920年代のパリを描いた作品です。

この本の邦訳が出た1986年に偶然図書館で見かけて、
手に取り、水を飲み干すように読んだことを覚えています。
それがそれまで全く関心のなかったパリとの出会いでもありました。

ここに出てくる人々に魅了され、
時代の雰囲気にも圧倒されました。
それ以来、パリとこの時代に活躍した人々について
意識をもつようになり、
色々なところでの結びつきから、
読む本も広がっていったように思います。

というわけで、数多くの出会いを作ってくれた思い出の本を
再読する機会がようやく訪れたというわけです。
今読み返したら、また違った印象をもつかもしれません。

2009年9月29日火曜日

白水社から届きました

白水社からカタログが届きました。
単行本、辞典や参考書、それから新書の3冊です。
それにあわせて【読者謝恩セール2009】の案内が!
これを待っていたのです。

数年に一度、白水社では謝恩セールをしてくれます。
ある程度まとめて購入すると、
金額別に図書カードがプレゼントされるのです。
なんて嬉しい話でしょう。
早速カタログのページをめくります。
欲しい本はいくらでもありますから、
絞込むのに悩みます。

モンテーニュ「エセー」は全7巻、これまで3巻まで出ています。
1巻は入手済みとあれば、2,3巻といきますか。
シリ・ハストヴェット「フェルメールの受胎告知」も気になるし、
ペルヌー兄弟の「フランス中世歴史散歩」も愉しそうだし、
ぜーバルトも一度読んでみたい。
ジダンの伝記もちょっと目をとおしてみたい。
uブックスになってくれれば大人買いするところです。

ずいぶん前のことになりますが、
阪神大震災の時、被災地に住んでいたのですが、
一週間もしないうちに見舞い状をくださったのが、
白水社でした。
不安の中での日々でしたので、
大変嬉しく、有難く感じられました。
白水社とのお付き合いは購入者としてだけですが、
それ以来、特別な出版社だという意識を持っています。

2009年9月28日月曜日

「黒の過程」それからの読書

なぜだか「黒の過程」を読み終えた気がしません。
ゼノンのいる世界が未だ見えるような感覚が残っています。

この本に関して気になるものを、
続いて目を通してみようと思います。

一冊は「ユルスナールの靴」須賀敦子著。
この本に限らず須賀さんの本は何度繰り返し読んでも、
すうっと通り抜けてしまう感じがします。
それはきっと須賀さんの文章のうまさによるものだと思うのですが、
ゼノンのところをもう一度読めば、きっと違う感じを得られて、
読後感も落ち着いてくるのではないかと、
何か掴めるのではないかという期待を密かにもっています。
あまり欲張るといいことはありませんが。
須賀さんの本を読むのは
読書の原点に帰ることに近い意味があるので、
それだけでも十分です。

そして堀江敏幸著「書かれる手」。
ここにユルスナール論と「ユルスナールの靴」の批評があります。

それから先日買った「ブルージュ」河原温著と
ローデンバックの「死都ブルージュ」。
時代が違うので意味はないかもしれません。

そして岩崎力さんの「ヴァルボワまで」を注文しました。
届くのが待ち遠しいです。

2009年9月27日日曜日

「黒の過程」~その⑧

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

『上海からの贈り物』 堀江敏幸
堀江さんの解説はそれだけで一つの作品として
読むことのできる内容です。
堀江さんが「黒の過程」を再読することとなった契機は
滅多とない出会いだったそうですが、
それさえも偶然を通り越した逸話のようです。
堀江さんの目を通した「黒の過程」は再び息を取り戻し、
ゼノンが未だ放浪の身にあるかのような
錯覚までしてしまいそうです。

『解題=訳者あとがきにかえて』 岩崎力
ユルスナールはこの作品を書き上げた後も、
作品とともにあったようです。
それだけ渾身の、愛着のある作品なのでしょう。
読書中にも感じていたのですが、
この作品の美しさ、高貴さを失わせずに、
日本語に置き換えるのは、
ユルスナールとその作品群を深く理解していた
岩崎氏ならではの手腕でしょう。

〔個人的な・・・〕
この本はまるで綴れ織りのような作品です。
宗教、政治、思想、科学が劇的に変化する時代を背景に、
ゼノンと彼と関係のある人々たちを
それぞれの舞台において克明に描いています。
その絵図のなかのあちらこちらにゼノンの姿が見えます。
どの人々も個性豊かなので、
後々にもその名が登場したとき、ああ、あの人がと
自然に繋がっていくのです。
どのシーンも丹念に描かれており、
実在の人も想像上の人も見事に織り交じっています。
また、ユルスナールの特徴として、
丹念に選ばれた言葉による、
情緒豊かな文章と、端的に述べられた文章との
バランスの絶妙さ、
情感と高貴さを失わない書き手の視点が、
作品の質をさらに高めていると思われます。

ゼノンは錬金術、科学をベースに哲学者として思考し、
医者として活動した人間ですが、常に自由を希求した
放浪の人でもありました。
ゼノンがとっさに感じるくだりで、
他人とは思えない全く同じ感覚に襲われたことを思い出したりする、
そんな驚きもありました。
それは、他の人にも同じことが言えるでしょう。

ブリュージュを抜け出して、海岸で過ごしたときのことを
堀江さんも留意していますが、ゼノンが全くの自然体として
世界と向き合った重要なときだったと思われます。
ゼノンが孤高の人として生を前向きに生きたことが、
人の生き方に最も関心のある人間としては重要です。
そのように生きることが一番の願いです。

2009年9月26日土曜日

「黒の過程」~その⑦

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

物語は終わりを告げました。
恩人の救いの手も功をなさず、
ゼノンは死へ旅立ちます。

ゼノンの思考や、恩人との問答は、
付いていくのが難しい部分でした。
結局、ゼノンその人のすべてを知ることは
他人には無理な話かとも思います。
ただ、ゼノンが受け入れた運命を
もう一度振り返ってみるのは、
ゼノンを理解するために必要なことでしょう。

 “接近しがたい事物の原則を、人間を象って
  作られたある個人のなかに閉じ込めるのもやはり
  冒瀆だとわたしには思えるのです。それでも意に反して
  わたしは、明日火に焼かれて煙をあげるのは、
  わたしのなかにいるなにとも知れぬ神だと感じるのです。
  あえて申し上げれば、わたしをしてあなたに《ノン》と
  言わせるのは、まさにその神なのです。”

『作者の覚え書き』
ユルスナールによって、本書の成り立ち、引用、
時代考証に必要とした書物について解説されています。
史実のなかにこのフィクションを織り込むためには、
数多くの資料を研究する必要があったはずです。
元になった作品はあったといえど、この作品を書き上げるには、
多大な時間と熱心さ、努力、知力、才能が動員されているに違いありません。

2009年9月25日金曜日

「須賀敦子が歩いた道」

「須賀敦子が歩いた道」 新潮社 とんぼの本

須賀さんが歩いた道、目に留めたもの、
心ひかれたところを丁寧に辿った本です。
重点を須賀さんの視点においた写真と解説は、
須賀さんを慕う人にはうれしいつくりになっています。

第2章では友人であった松山巌さんが、
須賀さんの著書や会話を念頭に置きながら、
イタリアを訪ねています。
須賀さんの気持ちや意図を想いはかって、
会話形式で綴られています。
本当に親しかった方たちは、
須賀さんという存在の重みを感じられていることでしょう。
本を通してしか出会いはなかったとはいえ、
読者もそういった想いに近いものがあると思います。

小さな本ですが、
須賀さんのことが凝縮されて詰まっており、
切々と胸を打ちます。

須賀さんが愛した絵画、
聖母子像を始めとする数々は、
人々の心を清らかに癒し高める芸術であることを、
須賀さんを通して教えられるように思えます。

2009年9月24日木曜日

「黒の過程」~その⑥

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

  “目の前に開けているのは、霧を通して徐々に
  陽が射してくるあの美しい朝のひとつだった。”

ゼノンは海岸に向かって歩き出します。

 “事物に逆らって自分の道を切り拓いてゆく精神の歩みが
  崇高な深遠さに人を導くのは確かだったが、
  この世にあることからなる営み自体を不可能にするものでもあった。
  ・・・変化は再生であり、ほとんど輪廻と言うべきものだった。
  ・・・この出立から完全な自由が生まれつつあった。”

美しいこの『砂丘の散歩』という章の中で、
ゼノンは深呼吸をし、瑞々しい感覚をつかみ直します。

しかしこの後、ゼノンは捕らえられます。
ゼノンは冷静に逮捕を受け入れ、
その身を牢獄に置き、
己自身と向き合うことになります。

裁きを受けるにあたり、
ゼノンの著作内容や、思想について、
彼自身も司教に弁明を行い、
同時に社会観念に相対して検討されます。

ゼノンの立場の苦しさは、
嘘偽りのない彼の人格からして、
相当なものだと思われます。

今日は336ページまで。
中途半端な読み止しで、
まとまりがつきません。

2009年9月23日水曜日

連休のお買い物

今日は「黒の過程」をお休みして、
連休中の本の買出しのご報告です。

用事を済ませて、人ごみの中を
てくてくなじみの本屋さんへ参ります。

まず手に取ったのは、
「絲的メイソウ」 絲山秋子著 講談社文庫
絲山さんの本は文庫化されたら即買いです。
単行本を買わなくて申し訳ないのですが。
絲山さんの作品で好きなのは、
「逃亡くそたわけ」と「袋小路の男」です。
明快な書きっぷりが気持ちいいです。

続いて、
「ノーサンガー・アビー」 ジェイン・オースティン著 中野康司訳 ちくま文庫
中野さんのオースティン訳が次々と出るので、嬉しい限りです。
この事態をあまり把握していなかったので、
中野さんの「高慢と偏見」は未読状態。
これでまた大好きな作品を読む楽しみが増えました。

「ブルージュ」 河原温著 中公新書
ブルージュには以前から関心があって、憧れの場所です。
そういうわけでこの本は一度読んだことがあるのですが、
今回「黒の過程」の重要な舞台ですし、
再読すべしと、手元の本の山を探すことをあきらめて、
購入しました。

「黒い山」 レックス・スタウト著 宇野輝雄訳 ハヤカワ・ミステリ
スタウトのネロ・ウルフ・シリーズが大好きです。
翻訳はされていても単行本化されていないとか、
翻訳そのものがまだされていないとかで、
未読のものがまだまだあるようです。
この手の本はとっておきですので、
しばらく寝かせてから読むことにします。

最後に
「クラウド・コンピューティング仕事術」 西田宗千佳著 朝日新書
ちょっと知りたいことがあって、購入しました。
こういう実用本が新書であるのは助かります。

今回はコンパクトにまとめました。

2009年9月22日火曜日

「黒の過程」~その⑤

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

ゼノンはブリュージュにて身を潜めながら、
終わりのない思考を重ねてゆきます。
その中で、
 
  “彼のなかではほとんど目につかない変化が起こりつつあった。”

そして、
 
 “彼自身知らないうちに地滑りが起こっていた。
  真っ暗な夜の闇のなか、流れに逆らって泳ぐ人のように、
  どれだけ岸から押し流されたかを正確に測る目印が
  彼には欠けていた。”

彼の思索の旅は過去を遡り、最も主要とする研究に向けられながら、
続けられてゆきます。

《opus nigrum》(黒の過程)とは、
彼が若い神学生のころ、ニコラ・フラメルの著作のなかで読んだ
化金石の探求のなかでもっとも困難な部分、
形態の溶解や焙焼の試みの描写であり、
人によると、人が望むと望まざるとにかかわらず、
条件が満たされさえすれば、その変化は自然に起こると
聞いていたようです。
その錬金術のこの分離について、
ゼノンは省察をめぐらせ、事物の実態をもって実験し、
その結果、錬金術という冒険の次の段階を見据えるようになり、

 “壁の亀裂の底から空想の怪獣が生まれつつあった。
  彼は大胆に肯定した。かつて大胆に否定したのと同じように。
  突然彼は足を止め、満身の力で手綱を引いた。・・・”

黒の過程という言葉が始めて出てきたのですが、
意味するところは、実際に読む必要があります。

今日読んだ「深淵」に続く章は、
ゼノンという人物とよく知り合える部分です。
引用したい部分は多すぎるので、あっさり諦めます。

ユルスナールの分身ともいえるゼノン、
冷静沈着であって、情念をも秘めた人。
慎重に身を隠していたのですが、
ついに立ち去る時がやってきます。
町を出る前日の夕方に聴いたロラン・ド・ラシュスのモテットは、
実際に存在するのでしょうか。

2009年9月21日月曜日

「黒の過程」~その④

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

今日は185ページまで。
放浪と名づけられた第一部を終え、
蟄居という名の第二部に入ったところです。

アンリ=マクシミリアンも武人として生涯を閉じ、
ゼノンも各地を巡った旅を終えて、
ブルージュに戻ってきました。

ゼノンは医者として生活を営んでいますが、
禁書の著者として追われる身を隠しています。

ユルスナールはゼノンのことを
まるで自分自身を投影したかのように描いています。
ゼノンの感じること、考えることは、
血の通った人間として実在しているかのようです。

  “自分自身もはや考えることもなかったあの子供、
  今日のゼノンと同一視するのが当然であると同時に、
  ある意味では馬鹿げてもいるあの幼い子、その子を
  彼のなかに認めるほどよく覚えている人がいるのだった。
  そう思うと、いまの生活を送っている自分に気持ちが
  励まされるように思えた。”

ユルスナールの素晴らしい点はいくつも見られますが、
そのうち、表現の美しい多様さに魅了されます。
断章の中において、平凡な表記で終わってしまうものはありません。
豊かな創造による例えなどが優雅に盛り込まれています。

 “狭い控えの間にイタリアからもたらされたものが掛けられていた。
  鱗状の枠に縁取られたフィレンツェ製の鏡で、その枠が、
  蜂の巣の六角形の穴にも似た、少しふくれ上がった二十個ほどの
  小さな鏡からなっており、・・・パリの夜明けの灰色の光のなかで、
  ゼノンはその鏡に映った自分の顔をしげしげと見つめた。・・・
  いままさに逃亡せんとしているその男は、ギリシアの人デモクリトスの
  仮説、つまり一連の囚人哲学者が生きかつ死んでいく同一の世界が、
  一連のものとして無限に存在するという仮説を思い出させた。
  その幻想に彼は苦々しい微笑を浮かべた。鏡に映った二十の小さな
  顔も、それぞれが自分のために同じ微笑を浮かべていた。
  やがてそれらが顔をなかばそらし、ドアのほうに歩みよるのが見えた。”

綴られる言葉に注意を払って、何を意図しているのか推察しながら、
物語の動向に気を配っていると、あっという間に時間が経っていきます。

2009年9月20日日曜日

「黒の過程」~その③

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

今日はゼノンの異父妹のその後の生活について続き、
そして20年ぶりに再会をはたしたアンリ=マクシミリアンとゼノンとの
間で交わされた会話の部分を読みました。

ゼノンの異父妹はマルタ。
幼いときから付き添っている乳母の影響を受け、
福音主義の道を辿ります。
そしてその地を襲った病により周りの人々を失い、
神により莫大な相続を受ける運命の印を刻印されたのでした。

 “彼女の持参金は妻としての権威を十倍にもするものであり、
  二つの巨大な財産を結合させることは、
  分別のある娘にとって、背いてはならない義務であることを
  彼女自身十分に承知していた”

そのため、彼女はアンリ=マクシミリアンの鈍重な弟と許婚の関係を
受け入れることになります。


そして、場所はインスブルック。
イタリアから密名を帯びてやってきているアンリ=マクシミリアンは、
偶然その地に潜んでいたゼノンと再会し、
互いのそれまでの歩みを語り合います。
ゼノン40歳。これまでの経験から得た教訓について、
己の独自の立場から独白します。
世の中のことがわかりはじめ、まだこれから先のことはわからないと言う。

ゼノンという人物がどのように生きたか。
考える対象は現代社会とは異なるのですが、
社会に対する疑問、人間の愚行について、これからの世界の変化についての
語りを読んでいると、細かい具体的なことや古典の引用などはわからないものの、
人間の思考の方向性に納得させられるところがあります。
 
 “空間にのびた道をうろつきながら、《彼方》がぼくを待っているということを
  《此処》で知ったから・・・ぼくはぼくなりに時間の街道で冒険を試みようと
  したということだ。・・・ぼくはそういう試みに疲れ果てたのだ。”

ゼノンのような異端の人間が行く道をゼノンはどう考えているのでしょうか。

  “われわれの蒸留瓶からいつか彗星が飛び出すことがないかどうか、
  誰が知っているだろう?われわれの省察がわれわれをどこまで
  導くかを考えると、アンリ、人がぼくらを火刑にするというのも
  さほど驚くべきことではないように思えてくるのだ。”

そして、こう述べます。

  “ぼくの書いた『未来予測』にたいする追求が、
  ますますきびしくなっているという噂だ。ぼくへの断罪について
  まだなにも決まってはいないが、しかし近々警戒を要する日々が
  来ることはまちがいない。”

ゼノンは多難の道をどう辿っていくのでしょうか。

2009年9月19日土曜日

「黒の過程」~その②

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

今日はほとんど進みませんでした。
104ページまで。

7章目では、ゼノンの母親のその後が描かれていました。
と同時に、偶像崇拝派と再洗礼派との間で争われた
凄まじい地獄絵を冷静な筆致で再現しています。

続いて、ゼノンの異父の妹が
ケルンに住む父親の親戚に引き取られていきます。
ここで、当時のカトリックの商人の生活の有り様を観ることができます。
饒舌なほどに強調された人々、これはこの小説の特徴だと思われます。

2009年9月18日金曜日

「黒の過程」~その①

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

「黒の過程」を読み始めました。
ユルスナールの本は大切に少しずつ、
コンディションを整えて、読むようにしています。
「黒の過程」を読むのは初めてですので、
慎重に歩を進めることにしましょう。

冒頭、齢16歳のアンリ=マクシミリアンが
元帥を夢見て、故郷ブルージュを発つところから始まります。
途中、一人の巡礼に出会いますが、
それは顔見知りのゼノン、彼こそが主人公です。
続いてゼノンの出生について、
青年期の出来事が語られます。

今日は82ページまで。
ゼノンという人が若い頃どのような人物であったのか、
彼が生きたのはどのような時代であったのか、
知ることができました。
時代背景についても重要なのですが、
全てを明らかにするのはよしておくことにして、
前者については、
アンリ=マクシミリアンに語った言葉により、
暗示されているかと思います。
 
  “-・・・別の人が余所でぼくを待っている。ぼくはそっちのほうへ行く。
  そして彼はまた歩きはじめた。
  -誰が? 仰天してアンリ=マクシミリアンが尋ねた。・・・
  ゼノンが振り返った。
  -Hic Zeno と彼は言った。このぼく自身さ。”

早速、ゼノンという人物に関心が湧いてきました。

ユルスナールの人物造詣も素晴らしいのですが、
表現力もまた酔わせるような素晴らしさです。

  “しかしながらゼノンは徐々に、彼らにとって、・・・
  要するにひとつの名前にすぎなくなっていった。
  いや、ひとつの名前どころか、彼ら自身の過去の、
  不完全で生命力を失った記憶のいくつかが、
  ゆっくりと腐っていく貯蔵瓶に貼り付けられた一枚の
  ラベルに過ぎなかった。二人は依然としてゼノンの
  噂をし合っていた。しかし実は彼を忘れてしまったのだった。”

2009年9月17日木曜日

「猫とともに去りぬ」

「猫とともに去りぬ」 ジャンニ・ロダーニ著 関口英子訳 光文社古典新訳文庫

ロダーニを読むのは 「チポリーノの冒険」岩波少年文庫 以来です。
明るく朗らかで楽しいイメージはそのままです。
大いに笑いました、
ケラ、ケラ、ケラ、と
心の中で。

思いもかけないユーモアにも驚きます。
生き物も、ほんとは命をもたない物達もすごく生き生きとしています。
ファンタジーってこういうふうに生まれてくるのですね。
人を幸せにしてくれる作用が嬉しいです。

“ロダーニの物語創りにおける理論書”という
「ファンタジーの文法」もやっぱり読みたいな、と思いました。
ただ、読み手が愉しいファンタジーにふさわしいかどうかという
問題は残っていますが。

2009年9月16日水曜日

ヴィルヘルム・ハンマースホイ

手元に昨年催されたハンマースホイの図録があります。

これまで、オルセー展などでふと気になる絵がありました。
絵葉書を一枚見てみるとハンマースホイ「室内、ストランゲーデ30番地」とありました。
ですので、昨年の展覧会には是非行きたかったのですが、
残念ながら機会を逸しました。
急いで図録を取り寄せて、
初めてハンマースホイという画家について知ることになりました。

ハンマースホイは19世紀のオランダで
数々の静寂に満ちた絵を描いています。
生活の中には多数の色が溢れていると思いますが、
ハンマースホイの世界はほとんどモノトーンといっていいかと思います。
そして精密なタッチで形あるものをカンバスに落とし込んでいます。

解説を読んでみると多くの謎があるようです。
構図や物の配置、あるはずの足が無い家具、
陰影のつけ方など、何故このように描かれたのか
不思議に思われることがあります。

でもバランスが悪いという印象はあまり受けません。
ハンマースホイにとって納得がいき、落ち着くように
描かれたのでしょう。
観ている者としても少々謎めいた感じと、
この静寂は心を落ち着かせてくれます。
緯度が高いためか、光が弱弱しいことも、
かえって心を震わせてくれるように思います。

気になるといえば、
モデルとして登場している妻のイーダが、
いつも悲しげに見えることでしょうか。

松浦寿輝さんの「半島」文春文庫には、
ハンマースホイの絵が使われています。
ここでは、名前がハメルショイと記載されています。
オランダではどちらの読みが正しいのでしょうか。

2009年9月15日火曜日

「正弦曲線」

「正弦曲線」 堀江敏幸著 中央公論新社

サイン、コサイン、タンジェント・・・と始まるこの本に、
いつもの堀江さんより、理系より?と焦らされました。
いえいえ、ここから正弦曲線へ展開し、
ご自身の話に結び付けていくのも、
堀江さんにとってはお手の物。

さりげなく話しを始めながら、
どこへ行くのかと着いていくと、
思いもかけない心の渦に巻き取られ、
最後には“ぽん”と据えられる、という感じが
いつもします。

その心の渦に入りこんだ時、
どこかで音が鳴るのです。
柔らかく、心地よい音色が“ぽーん”と
体の中に響き渡ります。

何の音だか、
どこで鳴っているのかわからないのですが、
何かが反応しています。
それが明らかになれば、
少しは進歩があるのでしょうが、
そのまま余韻を楽しむのも、
一考かと。

具体的に本や、音楽の話など、
教えられることも多いので、
多様に実りのある読書です。

2009年9月14日月曜日

藤塚さんのお茶碗

日に日に秋らしくなってきました。
パン党にとっても、
白いごはんが美味しい季節になりましたね。

ふだんは本を始めとして西欧文化に関心があるのですが、
食器については和好みです。

うつわ屋さんへ行くとわくわくします。

食事も好きなうつわだと一層美味しいような気がします。

手元には自然と藤塚光男さんの染付けのうつわが多くなっています。
柔らかな曲線を描いた輪郭、
青みがかった生地の色、
優しく筆を走らせた藍の影、
古伊万里の写しという図柄だそうです。
手にするだけでほっとするうつわ達です。

今日も藤塚さんのお茶碗に白いごはんをよそって、
いただきます。

2009年9月13日日曜日

PATRICK

ゴダールではありません。
スニーカーの話です。

PATRICKのスニーカーを買いました。
黒いパンチングの入ったハイカットと、
黒に白いラインの入ったスマートなラインの2足です。

PATRICKとのお付き合いは
もう20年にもなります。
テニスシューズタイプのオーソドックスなのが
一番足にぴったりするのですが、
最近は白しかなくて、困っています。

足にぴったりとあった靴とどこまでも歩いていきたい。

オーダーすればいいのでしょうが、
なかなかそういうわけにもいかず、
悩みの種です。
結局オールマイティな黒いスニーカーに頼っています。

いつか、靴マニアになれるくらい、
いろんな靴を履いてみたい。
雑誌などめくりながら、夢見ています。

2009年9月12日土曜日

堀江さんの新刊を買いに

堀江敏幸さんの新刊が出る日に、
とことこと本屋さんへ急ぎました。
今日は3冊だけと決めています。

 「正弦曲線」 堀江敏幸著  中央公論新社
 「春美・クロソフスカ・ド・ローラと歩くパリ とっておきの小さな美術館」 
  春美・クロソフスカ・ド・ローラ著 朝日新聞出版
 「奇術師」 クリストファー・プリースト著 古沢嘉通訳 ハヤカワ文庫FT

もうすぐオースティンの新刊も出るし、
来週も楽しみです。
せっせと読まねば。

2009年9月11日金曜日

ヴァージニア・ウルフが読めない

クリストファー・プリースト「魔法」を読んでいて襲われた感覚は、
ヴァージニア・ウルフを読もうとしているときに
感じるものとよく似ていました。

ウルフの作品で最初に読んだのは「灯台へ」。
これは大変好きな作品で、お気に入りの一冊です。
翻訳違いでも読むようにしていますが、
なんら問題も無く、いつも充実した読後感が残ります。

この後、ウルフについて書かれた評論や、
伝記などを2,3冊読みました。
精神の病いに大変苦しみ、
死を選んだとありました。

しばらくして「波」を読んだ時です。
なんだか、頭の中の空気が抜けていくように感じます。
次に「ダロウェイ夫人」を読み出したのですが、
意識に沿ってその対象が移るに従って、
頭の中の空気が断片化し、
散り散りになり、崩壊していくような、
頭痛が襲ってきました。

続いて「オーランドー」。
文章を目にするだけで、
同じような感覚に襲われます。
心理描写という情景が流れるように変化していく時、
ついていけないのです。

それからというもの、
ウルフは好きな作家であり、
どういう作品を書き、
どのような作家であるか、
頭の中で位置づけはできているつもりではいるものの、
作品を読めないでままでいます。

2009年9月10日木曜日

「魔法」続き

昨日は「魔法」を読み終えたばかりで、
かなりの動揺ぶりを露呈してしまいました。
少し落ち着いて、振り返ってみましょう。

イギリスが舞台のこの小説は、
風光明媚な場所のクリニックにおいて
治療を受けている一部記憶喪失の主人公の場面から
始まります。
その主人公の現在おかれた拘束状態から
物語を動かすべく、一人の女性が現れますが、
主人公は彼女のことを覚えていません。

続く治療のシーンも意味ありげです。

現れた女性に関して、ある記憶がよみがえります。
その記憶は大変美しい旅の思い出であると同時に、
苦痛を伴ったものでもありました。

まもなく無事に退院し、彼女とともに、
過去の生活の場所へ戻ります。
そこで、彼女によって、
主人公の失っていた時間について語られます。

ここからが本番なのでした。
彼女が話す事実は奇妙で、 どうしようもなく、
袋小路に行き詰った状態です。
何が本当のことで、
どうつじつまを合わすのか、
今後どうすればよいのか。

不明で不安定で、居心地が悪く、
気味が悪く、何を信じればよいのか。

主人公の芯の部分はぶれないのに、
読んでいる者のほうが、
振り回されてしまいました。

真相を目の前にしながら、
病後の新しい生活を進む主人公は
大変冷静沈着な人間として描かれており、
山場を迎えた後、
ぴしりとピリオドを打つことになります。

この言いようのない内容と巧みな構造を持ち、
人物の心理の動きを微細に表現した
スリリングでいて、端正な作品を
見事にコントロールしている作者にお手上げです。
他にはどんな作品が書かれているのか、
怖いものみたさに、好奇心で一杯です。

2009年9月9日水曜日

「魔法」

「魔法」 クリストファー・プリースト著 古沢嘉通訳 ハヤカワ文庫FT

大変奇妙な作品です。
途中までは普通の英文学だったのに、
どんどん迷宮に入り込んでいって、
ところどころがスリラーのように恐ろしく、
どういう展開になるのが予想がつきません。
最後になってようやく作者が終わらせてくれましたが、
読後感としては未だ宙ぶらりんです。
読書の醍醐味とはいえ、
精神上、少々危険な旅でありました。

2009年9月8日火曜日

「行人」の旅

「行人」 夏目漱石著 岩波文庫

毎週土曜日、日経新聞夕刊に
文学作品にゆかりの土地を尋ねる記事が
大きく掲載されています。
基本的に日本文学なので、
日本各地を様々に巡って、
作品と作家との関係が紐解かれています。

先日は「行人」でした。
作品の前半部分の舞台となった和歌山市の南、和歌浦で、
偶然にも、しばらく前に知人と「行人」ツアーと称して
訪ねたところです。

知人が漱石を学び、好んでいることから始まったこの企画のために
何回も繰り返し、ページを繰りました。

なるべく小説のとおりに出かけることにし、
7月の下旬の暑い日に、
てくてくと歩きまわりました。
東照宮と紀三井寺以外は当時の面影は無く、
海岸の様子も漱石の描写とは程遠く、
拍子抜けするほど、落差がありました。

陽が高く、当りは真っ白な日差し、影は揺らめいていました。
当時もこんなに暑かったのでしょうか。

「行人」はこの舞台とは関係なしに、
とてもひりひりとした人間の心理を奥深く突いた作品です。
神経衰弱と一言で片付けられない、
自分のことすら見えない、
一郎の現代人にも通じる苦痛があります。

一体、自分とは何者なのか、
自分を引き受けることの困難は、
人間に与えられた宿命のように思えてなりません。

2009年9月7日月曜日

エコバッグ

最近、布地のエコバッグをよく持って歩いています。
時々「昔風の買出しだね」と言われて、しょげています。

気に入ったものを用途によって使い分けています。
キャトル・セゾンのマチのある大きなもの、
同じくキャトル・セゾンの麻地の軽いもの、
アニエス・ベーの素敵なイラストの入ったA4変形のもの、
おなじみディーン&デルーカの黒い手提げにはマグを入れて、
クローニクのはとても小ぶりな黒い手提げ、
ロイヤル・コペンハーゲンの紺色のは最近手に入れました。
ギンガムチェックのかわいいのが欲しいし、
水玉もいいなあ・・・などと、数ばかり増えていきそうです。

たいてい水のペットボトルと本が入っています。
そのほかにも書類やら、封筒やら、珈琲、お薬、
カーディガンやら、なんやらかんやら、
やはり買出しみたいなものです。

2009年9月6日日曜日

“半歩遅れの読書術”から

ただいまクリストファー・プリーストの「魔法」ハヤカワ文庫を読書中です。
全く知らなかったこの作家のことについて教えてもらったのは、
日経新聞日曜日の読書欄にある“半歩遅れの読書術”にて。
松浦寿輝さんが紹介されていたのでした。

まだ読み出したばかりですが、
早速、引き込まれています。
じっくりと読むタイプの小説のようなので、
あわてずに今後の展開を楽しみたいと思います。

読みながら、イギリス文学の良さに感心しています。
英語がさっぱりわからないので、原書が読めず、
ちょっぴり残念ですが、
主要な作家、作品はどんどん翻訳されているので、
これらもどんどん文庫化してほしいところです。

この“半歩遅れ”は小さい記事ですが、
様々な人が気になる書籍を紹介しています。
松浦さんの記事を全てとっておかなかったことが
悔やまれます。
おばかさんです。

2009年9月5日土曜日

アートとしての服~ドリス・ヴァン・ノッテン

ドリス・ヴァン・ノッテン、
ここのところ話題が多く、
注目の人ですね。

ドリスのデザインセンス、
エスニックからインスパイアを受けたデザイン、
トレンドに左右されないライン、
美しい発色、
色彩のコーディネイト、
テキスタイルの選択、
アクセントの置き方、
どこかノスタルジックなライン、
無駄のそぎ落とされたデザイン等々に
魅了されてきました。

ライカ時代の
美しい紺色のパンツと、
柔らかな草色のタンクトップ、
黒のカーディガンのワンセットを
大切においてあります。

2009年9月4日金曜日

「マンスフィールド短編集」

「マンスフィールド短編集 幸福・園遊会」 キャサリン・マンスフィールド著 
崎山正毅・伊澤龍雄訳 岩波文庫

久しぶりにマンスフィールドを読みました。
堀江敏幸さんの本で紹介されていたからなのですが、
もともと好きだっただけに、じっくり時間をかけて楽しみました。

マンスフィールドは完璧な作品を書くために、
“水晶のような透明さ”を求めたといいます。
ここにまとめられた19編はいずれも、完成度が高く、
隙がありませんし、目配りができており、構成もしっかりとしています。
そしてテーマに即した人物の心理の動きを丁寧に追っています。
人の心を振り回す代わりに、細やかな描写によって、
情景を明朗に映し出し、物語は映画のようにしなやかに流れます。

お気に入りは「入り海」です。
海辺と子供たちの情景がとても美しく、楽しい。
この作品を読んでいると、情景描写や心理描写において、
ヴァージニア・ウルフを思い出しました。
ウルフはマンスフィールドに一目おいていて、少々ライバル意識を
持っていたらしいので、気になる点です。

このような普遍的な内容の小説は、
いくつ年齢を重ねても、その時々にあわせて
楽しむことができると思います。

2009年9月3日木曜日

「雲のゆき来」

「雲のゆき来」 中村真一郎著 講談社文芸文庫

中村さんの文体が好きでなければ、
とうてい読みきることが出来なかったと思われる
引用の多い、複雑な小説でした。

冒頭に元政上人との関わりが書かれて、
上人の作品や生き方を複線に、
ある若い外国人女優との京都への旅が
描かれています。
明らかにされようとするのは、
その女優さんの根底に塊となっている感情。
「私」の中で、元政上人の生き方と女優さんの生き方が
対比され、「私」自身の考えが浮き彫りなってゆく。

実のところ、この本から読み取ることは大変多く、
詩文、和歌などの古典から教えられること、
女優さんを通して考えされられること、
「私」という人物について驚かされること等、
書き出すことができません。
一度読んだだけでは、もったいなく、
「私」の年齢くらいになった頃に、
落ち着いてゆっくり読み返したいと思っています。

2009年9月2日水曜日

「ブラフマンの埋葬」

「ブラフマンの埋葬」 小川洋子著 講談社文庫

先日小川さんの「ミーナの行進」を読みました。
芦屋が舞台で、従姉妹の少女2人が中心となって
不思議で忘れられない日々を送る話でありました。
奇妙なことや、不可思議なことがたくさん起こるのに、
ちっとも違和感がないところが、
小川さんの手腕です。

これ以外にも小川さんの作品は少しばかり読んでいるのですが、
一番の好きな作品が、「ブラフマン」。

“僕”とブラフマンとの出会いから別れの日々の話です。
“僕”は相手の心を汲み取ることのできる稀有な人で、
ブラフマンにも同じように目を覗き込んで、
声を出さない彼の気持ちを考慮しつつ、
仕事に励み、ブラフマンとの時間を過ごしていきます。

その中には、
何かが隠されていて、
何かが起こりそうで、
はらはらしてしまいます。

隠されているというより、
命のあるものは明確な形態と名前を持たず、
不明であることから、神秘性を生み出しています。
ブラフマンもどんな生き物であるのか、
“僕”のメモから推察するしかありません。

小川さんの作品の好きなところは、
その神秘性と、繊細さ、そして根底にある暖かさにあります。
ゆえに大切に手に包んで守りたくなるような気持ちになります。
そして、いつまでも本の中の世界が持続しているような錯覚に陥ります。

巻末の奥泉光さんによる解説では、
この作品の妙味と小川さんの技術について語られています。

2009年9月1日火曜日

“Le scaphandre et le papillon”

「潜水服は蝶の夢を見る」 ジュリアン・シュナーベル監督

原作はジャン=ドミニク・ボビーによる同じ題名で、
実話であることは知られていると思います。
翻訳を読んだことはありませんので、
この映画で感じたことしか書くことができません。

まず、陰影の深い画面が、作品の重みを伝え、
色彩の美しさが、目に入るものたちの存在の確かさを
感じ取らせてくれます。

主人公の陥った状態をマチュー・アマルリックは忠実に
再現しているようです。

瞬き、瞬き、その目に映るもの、
その目が語るもの、
をシュナーベルは丁寧に描写していきます。

そのまわりに、主人公を理解できるように、
エピソードが取り巻かれ、
彼が一人の人間として立ち上がってきます。

今の彼に残された片方だけの視力、記憶、思考、
全てを尽くして、本は書き上げられます。

ここでは、絶望という言葉を受け止めながらも、
彼方へと飛翔する蝶のように、
現実を生きる姿がありました。

シュナーベルの目を背けない、
おそらく凄まじい製作能力を
見せられた思いです。

そして亡くなった原作者の、
生への願望もここに刻まれこんでいると
言っていいでしょう。

2009年8月31日月曜日

アートとしての服~アルベール・エルバス

「HighFashion」最新号を買いました。
ここで見られる服は、
実際に着る服ではなく、
アートとして見ています。
残念ながら着ることはできなくても、
写真だけでも堪能できます。

注目しているクリエーターが何人かいます。
2001年からランバンのレディスを担当している
アルベール・エルバスは、
毎回目を喜ばせてくれます。

優美なフォルム、
細かいディティールに、
繊細さが宿っています。
柔らかなドレープも、
心をくすぐります。
布地の断ちっぱなしや、
時折見せる大胆な素材使いが
アクセントとなって、
現代性を取り込む要素となっています。

ここではしっとりとした赤いコートドレスを
細いベルトでウエストマークしています。
素材のアイデアとそれを活かしたシルエットが
絶妙です。

ファッションの専門的なことは
全くわかりませんが、
美しいモデルが、
ある衣装を身に纏い、
デコレーションされて、
一つの作品として写真に映し出されるを見ていると、
ここまで美しくなるものか、と
不思議な感覚に襲われます。

エルバスは、女性を艶かしく美しく見せてくれる
ファッションの原点に立ち戻ったデザイナーの一人だと
思います。

2009年8月30日日曜日

選挙投票日

今日は衆議院総選挙の投票日でした。
今回ほど、一人一票の積み重ねが反映されたと感じられることは
なかったのではないでしょうか。
投票者がその意義を理解し、
立候補者がその意味を理解する、
大切な選挙だったと思われます。
全てが一度に変化することはありませんが、
国政の重要さを認識して、
個人が夢を抱くことが可能な社会の構築に
期待をこめて、投票しました。

2009年8月29日土曜日

とんぼの本の新刊に

新潮社のPR誌「波」に目をとおしていると、
来月25日に《とんぼの本》「須賀敦子が歩いた道」が
出版されるとありました。
これまで新潮社の雑誌で特集されたものなどが
ベースになっているのかと思いますが、
須賀さんに関することが、写真を添えた本になるのは、
とても嬉しいことで、待ち遠しいです。

須賀さんの作品を読んだり、
没後に特集されたりしたものを見たり、
年譜を辿ったり、
写真を眺めたりしながら、
“須賀さんの歩いた道”を
なぞっています。
少しでもいいから、
須賀さんの生き方に基づく精神や考えを
理解できることを願って。

2009年8月28日金曜日

「黄金の月」

“ 僕の情熱はいまや
 流したはずの涙より
 冷たくなってしまった
 どんな人よりうまく
 自分を偽れる力を持ってしまった

 大事な言葉を何度も言おうとして
 すいこむ息は胸の途中でつかえた
 どんな言葉で君に伝えればいい
 吐き出す声はいつも途中で途切れた

 知らない間に僕らは
 真夏の午後を通り過ぎ
 闇を背負ってしまった
 その薄明かりの中で
 手探りだけで
 何もかもうまくやろうとしてきた

 君の願いと僕の嘘を合わせて
 6月の夜 永遠を誓うキスをしよう
 そして夜空に黄金の月を描こう
 僕にできるだけの光を集めて
 光を集めて

 僕の未来に光などなくても、
 誰かが僕のことをどこかで笑っていても
 君の明日が醜くゆがんでいても、
 僕らが二度と純粋を手にいれられなくても

 夜空に光る黄金の月などなくても”

1997年の春に発表された
スガシカオの「黄金の月」です。
複雑なメロディーと、
シンプルでいて渋いサウンドに乗って
この歌詞が胸に響きます。

スガシカオの初期の頃の歌を
よく聴きます。
じんわりと沁みて、
時々、泣けてきます。

2009年8月27日木曜日

ひぐらし

遠くでひぐらしが鳴いていました。
高い空に響きわたるように、
精一杯トーンの高い、大きな声(?)で。

かなかなかな・・・

短かった夏も終わりです。
天気予報では、
残暑が厳しいとのことですが、
空気は少しずつ秋めいてきています。

2009年8月26日水曜日

「大使たち」

「大使たち」 ヘンリー・ジェイムズ著 青木次生訳 岩波文庫

ヘンリー・ジェイムズを読む醍醐味は、
一つ一つの場面、一言一言の会話に潜む意味を
考えながら読み進めるところにあるでしょう。
漠然と読んでしまうと、
何を書いているのか迷宮入りになってしまいますが、
注意を払っていると、
わからずにいたことがさりげなく記してあったり、
人間関係についても配置を頭に入れておくことで、
それぞれが持つ重要性が判明したりします。

ジェイムズ後期の三大作品、
「鳩の翼」「金色の盃」に続いて、
ようやくこの「大使たち」にたどり着きましたが、
この作品が一番楽しく読めました。
それは、たぶん「鳩の翼」は悲しみを避けられず、
「金色の盃」は人間関係の複雑さに納得できなかったことも含め、
「大使たち」は喜びと決断が重要な鍵となっているからだと
考えています。
簡単に言ってしまえば、前向きな要素が基本だからでしょうか。

登場人物は、主人公ストレザーを始め、
老若男女、魅力的な人物が周りを行き来します。
意味ありげな会話も大切なポイントです。
こういったカーブやスライダーなど変化球で
会話が成り立つことが、直接的な現代人からみると、
思わせぶりで、興味深いところです。

小説の持つ多大な要素を十分に持ち、
巧みに話しを組み立て、
味わいのある内容に仕立ててあるこの作品は
小説好きの多くの人と楽しみを分かち合えるように思います。

2009年8月25日火曜日

空時間があったので

空時間があったので、
またしても、なじみの本屋さんへ向かいました。

今日は買うものはないはずでしたが、
シモーヌ・ヴェイユ 「重力と恩寵」 春秋社 
のハードカバーが出ていたので、
この方が読みやすそうだと決心。

ならば、小沼丹 「村のエトランジェ」 講談社文芸文庫
も買っておくべし。

オドレイ・トトウが目配せしている
エドモンド・シャルル=ルー 「ココ・アヴァン・シャネル」 ハヤカワ文庫
シャネルについて知る必要があるかどうかは別として、
タイトルも気になるし、これも入れておこう。

おまけに 「ナチュラルインテリアの家に暮らしたい」 主婦の友社
宝くじが当たって、家を建てるときの参考に。

まったく、ストレス解消のための衝動買いでした。

2009年8月24日月曜日

「黒いハンカチ」

「黒いハンカチ」 小沼丹著 創元推理文庫

読んじゃいました、「黒いハンカチ」。
ニシ・アズマ女史の小柄で愛嬌のある顔立ちが、
なんともユーモラスで、
つつましげなのに、行動力もあり、
赤いロイド眼鏡をかけ、
“みなが見過ごしている些細なことがらに眼をとめて、
かすかな違和感を胸のうちに収め”、(堀江敏幸さんによる)
次々と難問を解決していきます。

始めのうちは少々退屈に感じたのですが、
読むうちに、時代を遡ることができて、
昭和30年代ごろの淑やかな女性たちの登場する
ノスタルジックな雰囲気を楽しむことができるようになりました。
ニシ・アズマ女史ともう少しで仲良くなれそうなところで、
終わりがきて、ちょっと残念です。

ニシ・アズマ女史の東屋は校舎の3階、
屋根裏のそのちっぽけな窓から遠くに海がみえる、とあります。
かつて、同じように窓から遠く、
海がきらきらと光って見える部屋に住んでいたことがありました。
懐かしいその頃のことを思い出して、なおさら親しみを覚えます。
哀しみを想う気持ちこそ違うけれども。

小沼丹の長編「風光る丘」を読みきれなかったことがあり、
少々心配だったのですが、
これで大丈夫、
「村のエトランジェ」も読んでみたいと思います。

2009年8月23日日曜日

「ブッデンブローク家の人びと」

「ブッデンブローク家の人びと」 トーマス・マン著 望月一恵訳 岩波文庫

“トーマス・マンの作品のすべてには、海のざわめき、海のどよめきが聞こえ、・・・”と
訳者解説にあります。
この作品では具体的にトラーヴェ川の河口に広がる、トラーヴェミュンデという海岸が
たびたび登場します。
ブッデンブローグ家四代のお話の中で、最も幸福な一時代、
トラーヴェミュンデを訪ねたトーニの爽やかな青春の日々のあたりを読んでいると、
夏の日の海辺に立っているような気分になります。
ただ、トーマス・マンは容赦なくトーニに厳しい選択をさせることになりますが。

リューベックとトラーヴェミュンデに行ってみたい。
この小説を読んだ人はそう思うでしょう。
この小説のモデルとなったところを実際肌で感じてみたい。
それほど、この小説は描写的でドラマチックです。

デカダンスの香りの漂う、ユーモアもぴりりと効いた、
律儀さを感じられるこの作品を読み、
小説という形態の本を楽しむようになりました。
そういう意味で記念碑的な一冊です。

2009年8月22日土曜日

「黒いハンカチ」を買いに

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」を読んでいて、
小沼丹「黒いハンカチ」が、
ある本屋さんで平積みされていたのを、
ふと思い出して、買いに行きました。

そのほかに、
欲しいと思いながらも、店頭では見つからない、
いつかamazonで買うことにしようか、
などと、入手を保留にしていた本がありました。
現物を見ると、ついついその気になってしまいます。

というわけで、
今回購入したのは、
以下の4冊。

「黒いハンカチ」 小沼丹著 創元推理文庫
「デュラス、あなたは僕を(本当に)愛していたのですか?」 ヤン・アンドレア著 河出書房新社
「マルグリット・デュラス」 クリスティアーヌ・ブロ=ラバレール著 国文社
「イタリア・ユダヤ人の風景」 河島英昭著 岩波書店

読むのが追いつきません。

2009年8月21日金曜日

「めぐりくる夏の日に」

「めぐりくる夏の日に」 河島英昭著 岩波書店

「イタリアをめぐる旅想」で河島さんと出会ったものの、
河島さんについてほとんど知らないままでした。

どうしてイタリア文学と巡り合ったのか、
どうやって河島さんのストイックなスタイルが出来上がったのか、
どうしたら洞察力を持って秘密に辿り着くことができるのか、
疑問を持ちつつも、これは
謎めいたまま置いておく方がよいのだろうと思っていました。

思いがけなく、日経新聞夕刊に連載されているプロムナードに
河島さんが執筆されて、他のエッセイとまとまって一冊の本になったのが、
この本です。

初めて知った河島さんのルーツともいえる、
大森での幼少期、
北上川のほとりでの疎開時代の印象的な出来事。
いくつかのエピソードを辿るうち、
幼い時より深く考えをめぐらせる人であったことが察せられます。

深い思考力のある人が戦争時をどのように過ごしていたのか、
戦争を知らない世代には、想像を絶するものがあると思われます。
戦争を体験したということと、
疎開によって、異文化ともいえる環境で過ごしたことが、
河島さんを読み解くの鍵のいくつかであるように思えます。

あまり知られていなかった事実として、
戦時中のイタリアにおけるユダヤ系知識人たちは
どのように生きたか。

でも謎はまだ残っています。
イタリアの豊かさを知ったきっかけはどこにあるのでしょうか。
河島さんとイタリアとの結びつきによって、
読者はより豊穣な文化と接することができるのです。

惰性と自己愛による言い訳を述べるより、
手元にあるこの2冊をしっかり読み解くことが必要でしょう。
「イタリア・ユダヤ人の風景」も落ち着いて広げてみることにします。

2009年8月20日木曜日

古書店にてお買い物

よく覗く古書店があります。
このたび購入したのは、

「海景幻想」 中村真一郎著 新潮社
「ヘンリー・ジェイムズ」 青木次生著 芳賀書店

中村真一郎さんの本を少しずつ集めています。
今回も美本で、初版で、お手ごろ価格。

ヘンリー・ジェイムズは訳者の青木さんの本なので、
是非、目を通しておこうと思いました。

古書店で注意してチェックしているのが、
この中村さんと、
清岡卓行さんの本です。
後、文庫しか持っていなくて、
ハードカバーが欲しいと思っている本。

このよくお世話になる古書店では、
流通ピッチが良いのでしょうか、
3ヶ月に一度くらいしか行かないのですが、
たびたび邂逅があります。

欲しい欲しいとあせっているよりも、
時間に身をゆだねて待っていたら、
いつか手に入るのものだと、思うようになりました。
(何でもというわけではありませんが)

古書店というのは、
そんな夢を叶えてくれるところですね。

2009年8月19日水曜日

一ヶ月が経ちました

このブログを始めて一ヶ月が経ちました。
立ち寄る人も無く、
独りひそかに、
誰に宛てるということもなく、
細々とまずい文章を綴っています。

問題は本について書くときです。
心に残っている本で、
比較的最近読んだもの、
他の話題に関連しているもの、
などと考えながら選んではいるものの、
再読に時間がかかってしまうことが、
悩みです。
目を通してみると、
思いがけない発見があって、
論点がずれてしまいそうなことも多く、
いきなりテーマを変えざるを得ないことがあります。

毎日書くのをあきらめて、
じっくり書くことにしようか、
迷っているところです。
日記というからには、
毎日、せめて2,3日おきが
原則だと思うのですが、
思うようにいかないこともあるかもしれません。

2009年8月18日火曜日

下鴨納涼古本まつり

「京都古書研究会」が主催している「京の三大古本まつり」の一つ、
「下鴨納涼古本まつり」に出かけたことがあります。

ちょうど、お盆の時期に、
下鴨神社の南、糺の森で行われます。

京都市バスでとことこ揺られ、
閑静な住宅街の中、「糺の森」で降りて、
汗をぬぐいながら、歩いて数分。
土の匂いと、木の香りと、そよ風に乗って
古本のなんとも複雑な匂いが待っていました。

要領が分からずに端から覗いていくと、
うわっ「フィンランド駅で」がこの値段!
哲学系の本もきれいな状態で次々出てくる!
文庫までじっくり見ていたら、日が暮れてしまう!
さすが80万冊以上といわれるだけあります。

その日はもう書店では見られなくなっていた古典全集の一冊
「土佐日記」を探すつもりだったので、
古典文学系のありそうな怪しい気配のするお店を覗き込み、
それに絞り込むことにしました。

図書館で借りたその本は大きめで、
ページの真ん中に大きい活字で本文、
上段に小さい活字で解説、
下段にも小さい活字で現代語訳とあり、
ゆったりとしたレイアウトで組んであり、
装丁もしっかりとしていて、
忘れられない本だったのです。

幸いにもあっさりとその本は見つかり、
状態もとてもよく、お値段も格安、
待っていてくれたとばかり、
手に入れた本を抱きしめて店を出ました。

なぜだか、人出はそこそこで、
あまり混雑しておらず、
こちらは希望通りで、気持ちは晴れやか、
あちらこちらを冷やかしながら、
南に下り、森を出ました。

暑さにめげなければ、
毎年行きたいところですが、
少々気合が必要でしょうか。
でも、本好きには堪らない催しです。

2009年8月17日月曜日

orvalとmalheur12

orvalには目がありません。
初めて飲んだ時、
フルーティな香りと味わい深さに、
こんなに美味しいビールがあるのかと、
驚きました。

なので、ベルギービールを飲めるお店に行ったら、
orval!!!と叫びます。

下戸なので、
2杯くらいしか飲めません。
では2杯目は、何にしようかと迷っていたら、
malheur12を勧められたので、
それに決まり。

これも、とても風味豊かで、
美味しい!!!

久しぶりのムール貝のビール蒸しも美味しいし、
ビールにはソーセージは欠かせないし、
しっかりパンも頼んで、
すっかりテンションの上がった夜でした。

2009年8月16日日曜日

「イタリアをめぐる旅想」

「イタリアをめぐる旅想」 河島英昭著 平凡社ライブラリー

旅へ出るときは必ず鞄の中にしのばせておく本です。
そして、飛行機や列車で、
しばらくの時間すっぽりと河島さんの旅に同行するのです。

冒頭にあるローマへの再訪は、
これまで勝手に思い描いていたローマとは大変違っていたので、
少々戸惑いつつ、後を付いてゆきます。
その後 「ローマ散策」 岩波新書 で、
河島さんが伝えようとするローマの姿を
捉えなおすことができましたが。

トリノでは、
宿泊先がパヴェーゼの亡くなったホテル。
ここで、河島さんのパヴェーゼに寄せる想いを知らされ、
しかし、詳しいことが述べられていないだけに、
どう振舞っていいのか、宙吊り感覚に陥ってしまいました。
繰り返し読むたびにパヴェーゼの影が少しずつ浮かび上がってきます。

最も好きなのは、
レ・チンクェ・テッレとモンテ・ロッソについて書かれた章です。
海、静寂、夜、夜明け、潮騒、陽射し、猫、小さなホテル、辞書と原稿用紙、
好きな表現ばかりが連なっています。
モンターレのことも少し知ることができました。
このレ・チンクェ・テッレ、最近は画像などでも見られるようになりましたが、
自分の足で一度訪れたいと願っています。

トスカーナ地方、サルディーニャ、クールマイユール、
どこへ行っても、河島さんは落ち着いた視線と思考を持ち、
必ず自分自身との対話を行っています。
“異国に呼吸して、絶えず迫られるおのれの感覚の修正、
おのれの周辺を取り巻く感覚的断層の確認、
そしてそれに拮抗すべき自分自身の感覚的思考”に裏付けられた、
言葉を読むことができることを、感謝しています。

この本では、そのときの河島さんの心理と、
河島さんが語ろうとすること以外は、
知ることができません。
そのことに上記の理由からか、
河島さんはかなり注意を払っておられます。
そういったより私的な“旅想”であることに、
一方的ではありますが、親しみを感じられることが嬉しくて、
またこの本を手にすることになるのです。

2009年8月15日土曜日

「美しい夏」

「美しい夏」 チェーザレ・パヴェーゼ著 河島英昭訳 岩波文庫

長い間この「美しい夏」を読みたいと思っていました。
タイトルの美しさなのか、パヴェーゼという名前の響きなのか、
この本を好きだと言ったミュージシャンのせいか、
額装された絵のように、この本のタイトルは胸の奥に残されていました。

河島英昭さんが、パヴェーゼに大変思いを寄せておられるのを知ってから、
なおさらその思いは強くなり、
ようやく、河島さんの訳で読めることができました。

まずパヴェーゼの表現方法が気になります。
夏のことを“あの”として既に去った出来事としていること。
“あの”夏は特別な夏であったのです。

そして、ジーニアとアメーリア。
ジーニアはアメーリアであり、またその逆でもあること。
読者はジーニアでもあり、アメーリアでもあること。
それは女性であれば、それもある程度年齢のいった者であればなおさら、
強く感じることができると思われます。

自分自身のことを理解しながら、
夏を過ごし、その後の雪の時期を越えてゆく、
そういうジーニアには、単に物語として終わりを迎えて欲しくないと
強く思います。

堀江敏幸さんの「彼女のいる背表紙」に
〔きみは、夏じゃないんだ〕というタイトルでこの本が紹介されています。
この言葉を書き付けたとき、
パヴェーゼは、どう感じていたのだろうかと、
その後、自分の書いたその言葉を乗り越えることはできなかったのだろうかと、
遠い存在のその人のことを考え、
心が落ち着かない状態です。

2009年8月14日金曜日

「彼女のいる背表紙」

「彼女のいる背表紙」 堀江敏幸著 マガジンハウス

まず、タイトルに惹かれます。
女性のこと、本のことが書かれているとすぐに察せられます。
さて、どんな背表紙が並んでいるのか、
目次と索引をチェックしてから、本文へと入ります。

一冊目はサガン「私自身のための優しい回想」。
サガンの個性を見抜いた文章に唸らされ、
すぐにでも読みたいところですが、今は絶版だそうです。

と、いう具合に、次々と本が紹介されて、
目が回りそうなので、休み休み読み進めます。
アメリカの作家の次には、ドイツの作家、
次はフランス、イタリア、ロシア、モンゴル、エトセトラ、エトセトラ、
もちろん日本も含め、
数多くの世界を覗き込むことになりました。

雑誌の連載であったためでしょうが、
短い文章にまとめられていて、
そこに、
堀江さんのエッセンスが振りかけられています。
本によっては、
もっとじっくり読みたいと思わせるのに、
切り上げられてしまっているように感じるところもあります。

この本は読んだことがある、と思っていても、
堀江さんの視点はまた違ったところにあって、
その違いがまた興味深かったりします。

堀江さんの読みを参考に、
ここから新しい出会いがありそうな予感がします。

2009年8月13日木曜日

Burdigara

ブルディガラ、大好きなパン屋さんです。

ブリーとハムを挟んだカスクートは、
外側もしっかり焼けて、端っこまで粉の味が美味しく、
きのこのキッシュは、側がバター風味たっぷりで、
これだけでも十分なはずですが、
締めに甘いコンヴェルサシオン、
アーモンド・ペーストにりんごのスライスが満載の
贅沢なおやつをいただきました。

オーソドックスなパンが主体なので、
できれば食事に合わせるための、お持ち帰りがいいですね。

最近美味しいパン屋さんが多くなって、
幸せです。

2009年8月12日水曜日

“Dialogue avec mon Jardinier”

ジャン・ベッケル監督(ジャック・ベッケルの息子)の
「画家と庭師とカンパーニュ」を観ました。

主演は画家役にダニエル・オートゥイユ、
庭師にジャン=ピエール・ダルッサン、
この二人が友情を深めていく話です。
小学校の同級生だった二人が再会し、
少しずつそれぞれの現在の状況を知るようになります。
菜園を作るという一つの目標をもって、
お互いの仕事に敬意を払いつつ、
二人が次第に理解し合っていくことを軸に、
話は進展していきます。

こういった、人とある一定の距離感を保つのは大切だけども、
実現するのは、なかなか難しいものだと思います。
ここでは、さりげなく大人の人間関係を描いて、
温かみの残る作品となっていました。

そういえば、
ダニエル・オートゥイユは、
パトリス・ルコント監督の「ぼくの大切なともだち」でも
似たタイプの役柄でした。
ちょっとルコントの方は、
作品そのものが作為的な感じを受けましたが。

久しぶりに映画を観て、
読書とは違った楽しみを堪能できました。
もう少し頻繁に観ることができるといいのですが。

2009年8月11日火曜日

白いアサガオ

よく目にするところに、
白い大きなアサガオが咲いています。
それはそれはとても大きく、固く、肉厚で、
思わず覗き込むと、
大きな白い口に緑がかった喉元がぐっと深く、
飲み込まれていくような感覚におちいります。

これを見て思い出したのが、
ジョージア・オキーフの「チョウセンアサガオ」。
色具合と、迫ってくる感じがよく似ています。
それ以上の想像力はないので、
オキーフが描こうとしたらしいことまでは、
連想できませんが、
生々しさは全く同じといえるでしょう。

漠然とオキーフの色の美しさを愛でて、
きれいだなぁと思っていた以上の、
リアリティを重ねて感じました。

2009年8月10日月曜日

「のだめカンタービレ」

今日は「のだめカンタービレ」22巻の発売日でした。
もう説明の必要がないくらい人気のある漫画ですね。
今回はどのような展開になるのか、大変待ちわびていたので、
速攻読み×2回を繰り返し、ほっとしています。

この漫画の魅力はストーリー、ネタ、キャラクターと
色々とあり、人の数だけ読み方があると思います。
絵の中から音楽が流れ出すように感じられるところも
大きな魅力の一つですね。

ピアノを習って十数年目のことでした。
グレン・グールドの音に慄いた頃です。
せめて一音だけでもと、
ピアノの蓋を開けて、
ドの音を鳴らしてみました。
ゆっくりと、
丁寧に、
何回もタッチしてみました。
でも、いくら鳴らしてみても、
間の抜けた音しか鳴りません。

音楽が遠いことを知らされて、
ピアノから、少しずつ遠ざかってしまいました。
音楽というものが、どういうものなのか、
楽器を弾くことがどういうことなのか、
また、何が必要なのか、
何一つわかっていなかった頃の話です。

ピアノの音を聴くたびに
複雑な思いがありましたが、
のだめの弾くピアノの音は、
憧れの音色なのです。

透き通った、人の心に届く音で、
自分の全てを投入にして、メロディーを奏でる 、
のだめは心をまっさらにしてくれる、
そう感じながら、
今、読んでいます。

2009年8月9日日曜日

日曜日の新聞

日曜日は各新聞に書評のページがあるので、
とても楽しみにしています。
ネットでもチェックできますが、
新聞紙をがさごそ広げて、
掘り出しものが無いか、見落としがないか、
宝探しをするのは、ささやかな行事となっています。

今日は毎日新聞に堀江敏幸さんの
ヴァレリー・ラルボー著 「恋人たち、幸せな恋人たち」 ちくま文庫 
の書評が載っておりました。

そうそう、ラルボーに親しみを感じるのは、
シルヴィア・ビーチと懇意だったからで、
ビーチについて読んでいたころは、
ラルボーのこともよく知っているような錯覚をおこしていたものです。

そのラルボーの作品「幼なごころ」 岩波文庫 もとてもよかったので、
「恋人たち」も堀江さんの書評と合わせて、
ゆっくりと味わいたいと思っています。

2009年8月8日土曜日

夏の日

朝、目覚めると、白い野牡丹の花が2輪咲いていました。
柔らかな輪郭を描き、濃い緑の中で、静かに佇んでいました。

時間とともに、陽射しが強くなり、
気温もじわじわと高くなっていきます。

太陽が一番高く上った頃には、
蝉たちも全力を挙げて鳴いています。

クロアゲハが2頭、踊るように舞いながら、飛んでいきます。
次には、大きなアゲハが通り過ぎ、
黄色いシジミチョウもミモザの周りをぱたぱたと飛び回っています。

まだ成長途中のカマキリが、
朝顔の蔓をひょいひょいと伝ってのぼっていきます。

時々ヒヨドリが蝉を追いかけに来て、
静かな庭が騒々しくなります。

陽が傾きかける頃には、
野牡丹もすっかり萎んでしまいました。

たくさんの蕾があるので、
しばらくの間、目の保養になってくれることでしょう。

今日も暑い一日でした。

2009年8月7日金曜日

暑さに参ってしまいました

駅で10分ほど電車のくるのを待っているだけで、
汗が流れ落ち、陽射しで目の前がくらくらしてしまいました。
どうにか冷気の中に入り込んだものの、
しばらく経っても、頭の中はぼうっとしたままで、
一文字も読むことができませんでした。

夏のほうが冬より得意なはずのつもりが、
年々気候の変化についていけません。
これからまだまだ暑い日が続くというのに、
不安です。
なんとか、凌ぐ方法を考えなくては。
本も読めないと、存在する意味さえありませんから。

2009年8月6日木曜日

「ムーミン谷のひみつ」

「ムーミン谷のひみつ」 冨原眞弓著 ちくま文庫

フランス哲学を専門とされている冨原さんにはもう一つの顔があります。
(ほんとはもっとあるのかもしれませんが、知る限りにおいては)
トーベ・ヤンソンと面識のある翻訳者であり、研究者でいらっしゃいます。

この「ムーミン谷のひみつ」はムーミン谷の住人たちについて書かれており、
とくに彼らの精神的な部分を掘り下げ、成長していく過程を重点にしています。
これだけで、ムーミン谷の仲間をよく知ったような気になるほどです。

読書の大切なことの一つに登場人物について
彼らをよく理解することが挙げられるでしょう。
この本を読んでみて、これまでいかに上滑りで、
ストーリーだけを追う読書をしていたか、
痛感してしまいました。
一人ひとり、また一つひとつのエピソードに詰まった宝物を
見逃しているようなものですね。

実際にムーミン・シリーズを丁寧に読むことで、
彼らと本当に出会いたいと強く思ったのでした。

2009年8月5日水曜日

「たいした問題じゃないが」

「たいした問題じゃないが」イギリス・コラム傑作選 行方昭夫編訳 岩波文庫

“本書は、二十世紀初頭に活躍したガードナー、ルーカス、リンド、ミルンという
四人のイギリスの名エッセイストの選集である。”(解説による)

新聞や雑誌にこのような気の利いたエッセイがあると、
大変楽しいと思うのですが、
意外と読ませてくれる記事は少ないものです。

不思議とイギリスではユーモア溢れる作品が好まれるようです。
それに一捻りされた皮肉によって、自らと世間を笑う余裕もありますね。
紳士的で節度が保たれているのは時代性もあるでしょうか。

この四人のなかでは、ルーカスの作品が馴染みやすく、
朗らかな気分にさせてくれました。

これくらいの余裕があると、人生を楽しめそうですが、
実際ご本人たちはどんな人だったのでしょうか。

2009年8月4日火曜日

うちわ

こう暑くなってくると、
冷房の効いた部屋でも
顔がほてって、
ついうちわを手に取りたくなります。

ぱたぱたと扇ぐだけなのに、
うちわには条件があります。
芯軸が竹でできていること。
しなり具合が違いますね。

模様にも条件をつけるなら、
和紙に風情のある草花が、
さらに涼しげです。

ゆっくりと扇いでいると、
なんとなく気持ちが静まっていくような気分になります。

自らうちわを購入することも少ない昨今、
扇子とはいかなくても、
落ち着いた時間を求めて、
お気に入りを探しに行くのもいいかもしれません。

2009年8月3日月曜日

「ネにもつタイプ」

月初は出版社のPR誌が届く時期です。
それぞれ特色があって楽しいです。

「ちくま」でいっとう早く開くのが、
岸本佐知子さんの「ネにもつタイプ」。

「気になる部分」にも見られるように、
どことなくしんみりとしていて、
儚げなのに、捻っていて、笑える。

もうどうしてこういう視点がもてるのか、
思考が張り巡らされているのか、
岸本さんは実は地球人ではないかもしれません。

白水社のHPに「実録・気になる部分」が掲載されていますが、
これまた、本とは違った抱腹絶倒ものです。
人前で読んではいけません。

2009年8月2日日曜日

「シモーヌ・ヴェイユ」

6月頃からしばらくシモーヌ・ヴェイユに関する本を読んでいました。

「シモーヌ・ヴェイユ」 フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著 上野直子訳 岩波書店
「シモーヌ・ヴェイユ伝」 ジャック・カボー著 山崎庸一郎・中條忍訳 みすず書房
「シモーヌ・ヴェイユ 最後の日々」 ジャック・カボー著 山崎庸一郎訳 みすず書房
「シモーヌ・ヴェイユ」 冨原眞弓著 岩波書店

ヴェイユには以前から関心があったのですが、
いきなり「重力と恩寵」を読もうとして参ってしまい、
一度は諦めた経験があります。

そこへ、入りやすそうな評伝が岩波書店から出たので、
再度挑戦する気持ちで取り組みました。

確かに一冊目の評伝は読みやすく、分かりやすかったのですが、
続いて読んだ伝記が、厚みだけでなく、手ごわい内容でした。
数多くの引用とともに、ヴェイユの思想を推考し、
彼女の生き様を追っていくには、かなりの体力を必要とします。

同じカボーの「最後の日々」は伝記を補足する内容で、
ニューヨークからロンドンまでの最晩年に至る重要な時期について、
深く掘り下げて書かれています。

圧巻は冨原さんのヴェイユ論。
この内容を理解するには、ヴェイユが読んだ本なども
頭に入っていないと、付いていけません。
ヴェイユという人の知性と教養、思考の深さと、
人間への熱いまなざしに圧倒されます。
そして冨原さんの努力と読解力に頭が下がります。

ここへきて、ヴェイユを読む覚悟を決めなくては
いけなくなりました。

2009年8月1日土曜日

新しいジュンク堂へ

新しくできたジュンク堂書店へ行ってきました。

これまたとても広く、天井も高く、
迷路のように本棚が並んでいます。
ふらふらと目を泳がせながら歩き回って、
気になるジャンルの本たちを眺めたり、
ぱらりぱらりとチェックしたりして、
あっという間に時間が経ちました。

他店で品切れだった本も見つかって、
無事入手できました。
今回もシモーヌ・ヴェイユ関係です。

「重力と恩寵」 シモーヌ・ヴェイユ著 ちくま学芸文庫
「シモーヌ・ヴェイユ 力の寓話」 冨原眞弓著 青土社

今日は2冊だけにしておきました。

2009年7月31日金曜日

はんこ集め

単調になりがちな手帳のページを
もっと楽しく、 見栄えがするようにと、
直径5mmくらいのはんこを買い集めてみました。
お日様やよつば、おサイフにカップ&ソーサーなど・・・

今はきれいな色のスタンプも揃っているので、
好きな色をあれこれ買って、
目的に合わせて、ぽちぽちと押しています。

意外と紙に押してみると、
色が濃かったり、
はんこの図柄と合わなかったり、
単純なことなのに、しっくりと思い通りにいきません。

センスが無いってことですね。

で、また違う色を探しに文具屋さんへ出かけるのでした。

今日はGaspard et Lisaのかわいいはんこを見つけたので、
凝りもせず、買ってみました。

一体、何に使うのでしょう?

手作り用の消しゴムはんこキットもあるそうなので、
いつか作ってみたいと思っています。

不器用なことをすっかり忘れて?

2009年7月30日木曜日

夏はパミス・フット・スクラブ

夏になると取り出すのは、
BODYSHOPのPumiceFootScrubです。

少量を手に取り、
足首から先をくるくるとマッサージすると
ペパーミントの爽やかな香りで、
足も気分もすっきりします。
少しひんやりとした感じが続いて、
気持ちがとてもいいのです。
疲れも和らぐような気がします。

暑い日を凌ぐためにも、
色々と楽しみを生活の中に取り入れて、
過ごしたいと思っています。

2009年7月29日水曜日

「文学的パリガイド」を買いに

鹿島茂さんの 「文学的パリガイド」 中公文庫 が出ていると知り、
本屋さんへ急ぎます。

この「文学的パリガイド」を調べてみると、
すでに親本を読んでいたことが判明しましたが、
すぐ内容を忘れるので、もう一度読むことにします。

鹿島先生の 「明日は舞踏会」 中公文庫 はまだ読んでいなかったので、
当時の状況を学習すべく、一緒に買うことにします。

さらに店内を新刊を中心にチェックします。

「ヨーロッパの中世美術」 浅野和生著 中公新書 は写真も多く、
初心者向けで読みやすそうなので、これも買うことにします。

前から欲しかった 宮下志朗訳のモンテーニュ 「エセー 1」 白水社も、
いずれ買うのだから、と言い訳しながら加えます。

今月の 「旅」 新潮社 はコルシカ島とサルデーニャ島の特集なので、
旅に出る代わりに眺めようと、買うことにします。

さいごに 「天才柳沢教授の生活」 山下和美著 講談社漫画文庫 の8、9巻を
乗っけて、レジへ進みます。

ふむふむ、今日も楽しいお買い物ができたとご満悦。