2011年12月31日土曜日

「証人たち」


「証人たち」 ジョルジュ・シムノン著 野口雄司訳 河出書房新社

シムノンの代表的なメグレものとはまた違った趣の本格小説です。
この「証人たち」は法廷を舞台とした作品です。
ここでシムノンは何を言いたかったのでしょうか。


主人公のグザヴィエ・ローモンは裁判長として、
妻を殺害した容疑で起訴されている被告の公判を担当している。
裁判前夜、ローモンは流感気味で体調を崩していた。
隣の寝室で眠る妻はここ5年のあいだ発作のため寝たきりである。
妻の様子を気を配りながら、仕事のことから頭が離れない。
いや、逆かもしれない、書類に目を通そうとしても、
妻のことが気にかかって、その上体調もすぐれず集中できない。
実際、ちょっとした粗相から薬局まで雪の中を走らなければならなくなった。

そんなローモンの視点からこの裁判の行方が描かれていきます。
公判関係者、弁護人に至るまで容疑者を有罪だと考えている。
一般人から選ばれた陪審員たちは、裁判の流れに沿って判断し、
その判決に関与する立場にあります。

ローモンは判断はつきかねると考えています。
それは、裁判の中での証人たちへの質疑応答の中ではっきりとしていきますが、
それは決定的な証拠となるものが無いからでもあります。

証拠が明らかでない場合、
そして容疑者が否認している場合、
どうやって真実を見極めてゆくべきでしょうか。
そして誰がどのように判断をすべきなのでしょうか。
その上、今回の証人の中にその立場に不適当な人間が加わっていました。

ローモンは「人間が他の人間を理解するのは不可能である」と
悟っていました。
そのことを理解できるように、ローモンの家庭生活を織り交ぜて、
というより、この小説ではほとんど併記に近い形をとっています。

法廷物は特有の用語が多く使われており、
裁判に詳しいか、その類の本をよく読んでいるかしないと、
なかなかわかりにくいところがあります。
と思いながら、今回頭を悩ませながら読んだのです。

シムノンの小説の流れに沿ってゆっくりと辿っていくと、
ローモンの裁判に対する考え、人間についての考えと、
実際の人が人を裁く裁判制度の困難さについて、
自分なりに伝わってきます。

人が人を裁くという難しさは永遠の課題であるでしょう。
それでも、事件は溢れかえるように起き、
明らかに罪深い人もいるのです。
裁判を留めることは実際のところできない話です。
だけれども、罪と無実の境目を単純に引くことはできない事実を
知っておく必要はあるかと思われます。

2011年12月30日金曜日

元には戻れない


今年は手作りのカレンダーを壁に貼り付けていました。
12月はパリ、セーヌ川の写真でした。
憧れの土地であるとともに、
住んだこともないのに郷愁をも感じさせる大切な街です。

秋頃には「事務所の引っ越しが終わるまでは個人的なことは封印」と
考えて、年明けには元に戻そうと思っていました。
そうしてようやく引っ越しが無事に終わり、
後片付けもひと段落して、
ルーティンワークに戻るところまでやってきました。
そして、待ちに待った年末年始の休暇です。
さあ、読書だけでなく、頭の中も整理して、
今までどおりやっていこうと思ったのですが、
どうも以前の感覚が戻ってこないのです。

大きな天災や事故などに見舞われた場合は当然ですが、
たかが仕事場の引っ越しです。
そんなおかしなことがあるものか、
まだテンションがハイなままで、切り替えができていないだけだと、
手帳を広げたり、本をかいつまんで読んでみたりしてはするものの、
どこか新しいところに立っているような感じがするのです。

そう、以前の北側の窓のない寒々とした事務所で震えていた時とは違う、
今は新しい朝の光が降りそそぐ大きな部屋のすみっこにいるのです。

きっと時間とともに、
自分の核の部分は変わらずあることにも気が付くでしょう。
でも何かが変わっていっているのです、時間とともに。
これが偶然場所の変化という視覚に訴えるものであったから、
鮮明に感じるのだと思います。

もう、あの場所にいた頃の自分に戻ることはないのでした。
みっともない自分に変わりはないけれど、
その自分自身とともに進んでいくだけです。

2011年12月28日水曜日

ムーミンのダイアリー


絵本の雑誌「MOE」1月号はムーミン特集。
偶然目について購入してみました。
すると可愛いダイアリーもついていて、
中のページにもムーミンたちがいっぱい。

写真の右にある黄色いムーミンの手帳を
すでに使っていますし、
左の青い手帳は家用の記録手帳。
いったい何に使ったらよいでしょう?
会社で使ってみようかな。

昔はスナフキンに憧れたものですが、
最近は正直なミィが好きです。
「あたしは笑うか怒るかどっちかよ。泣くことなんてない。」

先日も某百貨店で催していたムーミンフェアで、
ミィ・グッズにくらくらしてしまいました。

今日はルーティンのお休みでしたが、
風邪悪化のためほとんど一日寝ていました。
2週間ほどハイテンションできていたので、
精神的にも疲れていたようです。
なにしろ本を読む余裕がありませんでしたから。
明後日からお正月休みに入ります。
何もしない予定ですが、本当に何もできなさそうです。
ハイテンションの反動はあまりにも大きいのでした。
せめて来年読む本の計画くらいは立てたいものです。

2011年12月25日日曜日

クリスマス


今年のクリスマスはまあなんと寒いこと。
家では小さい子供もいないし、
クリスマスらしいことは何もしません。
個人的にもスルーです。
お正月が近いことに理由があるかもしれません。

忙しいピークを越えたところで、
またまた風邪をひいてしまいました。
ひどい咳です。
寝込むことはなさそうなので、
エスタックイヴエースで乗り切ろうと思います。
足にもじんましんらしきものが出ていて、
かゆいやら、気になるやら。
お正月休みまでもう一息。
お休みには何もしないで過ごそうと企んでいます。
年賀状も大晦日にしか投函できなさそうです。
遅くなってしまってすみません。

今月は見事に本を読みませんでした。
たった一冊です。
いい本でしたので、次回にご紹介いたします。

来年こそしっかりプルーストを読み続けて、
ユルスナールを“世界の迷路”を読みたいもの。
他にも少しは前向きなプランを練って、
前向きにやっていきたい、と希望はあるのです。
そのためにはやはり体調を整えることかな。

2011年12月22日木曜日

新事務所


新しい事務所は大きな窓から若草山が遠くに望める
明るい丘の上にあります。

これまでと違ってオープンスペースで
50名近くがいそいそと仕事にいそしむ姿が
少々落ち着きませんが、
これも慣れてくるかと思います。

今日は冬至ですね。
とても風の強い寒い一日でした。
あったかいお風呂に浸かって、
疲れを癒すことにいたしましょう。

2011年12月21日水曜日

引っ越し


引っ越し前日。
キャビネットの中も外も通路も、
机の周りも段ボールの山になりました。
忘れ物はないかな?
ゴミ箱にも指定のシールを張ります。

以外にも早めに作業が終わってほっとしました。
小さなストーブを片付けてしまっていたので、
足元がジンジンと冷え込んできます。
PCも線を抜いてしまって何もすることがありません。

明日新しい職場に出勤して、
段ボールを開けることから始まります。
通勤は近くなるので助かります。
また新しい日々がやってくる。

2011年12月18日日曜日

バルセロナvsサントス


今日はサッカーのクラブチーム世界一を決める決勝戦。
前半を終わったところで3対0とバルセロナがリード。
バルサのボールの支配率が高く、圧倒的にサントス陣地に攻め込んでいます。

ワールドカップのような悲壮感漂う緊迫感はないのですが、
最高レベルの試合を日本でやっていて、オンタイムで見れるのは
他には無いことですね。

バルサはフォーメーションに特徴があり、
特定のFWを置いていないそうですが、
くるくるとボールがパスされているのを見ていると、
選手がお互いの位置を常に確認して、
その特徴を把握して動いているようで、
自由自在に動き回っているように感じられます。

メッシがドリブルすると、
ボールが足にくっついているみたいに見えます。

スポーツを観ているとすごく楽にテンションがあがります。
これっていいのか悪いのかわかりませんが。

2011年12月14日水曜日

アクションプランナー


ここ2,3年アクションプランナーを気に入って使っています。
来年も使おうと思い、取り寄せたのですが。
広げてみると、なんだか様子が違います。

これまではフランスのエグザコンタ製だったのですが、
ずいぶんとリニュアルしていて、日本製になっています。

紙の質も少し厚めになっていますし、
なにより活字が青から緑に、
明朝からゴシックになっています。

シンプルなデザインは変わっていないので、
使用するには差し支えなさそうですが、
気分が違う・・・

なんだかがっくり。
シックじゃない。

2011年12月11日日曜日

冬日到来


冷たい空気入ってきて、
とても寒い冬日がやってきました。

矢田丘陵も生駒山も紅葉のピークを過ぎつつあります。
陽がよく当たっていた時には、
黄金色に輝いていましたが、
今はもう茶褐色に。
冬の到来のお知らせでしょう。
もうこの景色を毎日見ることもありません。
暮れには奈良市の北の方に移ります。

半年以上もよく咲いてくれたラベンダーも、
植えてから今月初めて花をつけてくれたローズマリーも
一緒にお引越しの予定です。
移転先でも育てることができる環境でしょうか。

どんぐりを踏みつけてパチパチを今年もやっています。
こんな面白いこと、どうしてみんな知らんふりなのでしょう。

12月は来年のカレンダーを用意したり、
手帳をスタンバイさせたり、
年賀状を書きだしたり、と年末年始の用事がいろいろとありますね。
毎年のことだけれど、またひと段落させることができるのだと、
暦をありがたく思ったりしています。

2011年12月7日水曜日

「須賀敦子を読む」


「須賀敦子を読む」 湯川豊著 新潮文庫

「考える人」新潮社に連載していた時と、単行本になった時と、
読むのはこれで3回目となりました。

「考える人」に連載中は、須賀さんの知人でもあった著者による
新しい話が聞けるのではないかとの期待が大きくありました。
そのためか、内容は須賀さんの読者にとっては当然のことと思われて、
少々物足りなく感じたものでした。

単行本で再読したときも、同じように感じたのです。

須賀さんが亡くなって十年以上が経ち、
須賀さんの本を何度も読み返したり、
須賀さんの本に親しむ人のブログを読んだりするうちに、
実際にテキストを深く読み込むことの難しさを感じるようになりました。

この文庫を読むことで、さらにその思いが強くなりました。
今の時点で須賀さんの著書の心情を読み取り、平易に読みほどいているのは、
この本以外に思い当りません。
それもテキストから逸脱することなく、全体像をバランスよく把握されています。

須賀さんの著書は「ミラノ霧の風景」が一冊目でしたが、
なかなかその著者の像が見えず、
どのように受け止めてよいかわからなかったことを思い出します。
そして「コルシア書店の仲間たち」を続いて読むことで、
須賀さんの足跡を追うことができるようになったのです。
一冊、一冊出版されるごとに須賀さんの著書に親しみ、
その生き方を辿るようになりました。

湯川さんの著書ではこのあたりの読者の在り方にも目を配りながら、
そのテキスト群を読み解いておられるように感じます。

それでもまだ、私自身は須賀さんの謎を抱えたままでいます。
何度読み返しても奥深く底にたどり着くことがありません。
須賀さんのことを知ることで答えが出るわけではないでしょう。
それに須賀さんのすべてを知ることは決してできません。
これからも手探りで読み続けるしか方法はないのでした。

2011年12月4日日曜日

師走になりました


とうとう今年も12月に突入しましたが、
暖かな日がつづくので、体感的にはピンときません。

9月から読み始めたプルースト2巻目は進まない理由すら思いつかず、
今年中に読了することは不可能な模様。
「本の音」堀江敏幸著をぽちぽち読んだり、
「千年ごはん」東直子著を貸してもらって読んだり、
「ガンダムジオリジン」がとうとう完了したのを感慨深げに読んだり、
「日出処の天子」山岸涼子著の完全版が出たので懐かしく読み返したり、
現在は「須賀敦子を読む」湯川豊著を少しずつ読んでいます。

気になるのは現在公開中の「タンタンの冒険」。
スピルバーグ監督の作品は苦手なので足を運ぶまでには至りませんが、
やはりチェックはしておきたいところ。
先日公開していた「三銃士」も2年も前から楽しみにしていましたが、
これも苦手なタイプの娯楽作品に仕上がっていたので、
予告をたっぷり見て、レンタルで充分と判断しました。
それより「サルトルとボーボワール」が観たいのです。
観に行く時間はとても作れないので、
どうしようか・・・。

目下のところ仕事場の引っ越しで頭がいっぱいでして、
実際それに伴って通常作業もスケジュールをずらしているので、
ますます忙しい現状です。
引っ越しをクリアして、来年をすっきりと迎えたい、
今月の課題はそれ一つです。

2011年11月30日水曜日

「世の中ラボ」斎藤美奈子


筑摩書房のPR誌「ちくま」に連載中の斎藤美奈子さんの「世の中ラボ」。
もう21回目になりましたが、毎回時事の話題をタイムリーに捉え、
テーマに沿った内容の3冊の本の紹介で成り立っているページです。

今回のテーマは“復興を語る言論人たちの論理2”。
3.11以降論議されているテーマは原発を始めとして、
経済復興、地方分権、福祉と人の活動、生活に関わる問題が
数多く語られているのはご承知のとおりです。
全てに目を通すことは実際難しく、
関心のある面だけにしかチェックできていない実態は、
憂うべきことです。

斎藤さんは震災以降の危機感について言及している本を
「脱原発成長論」金子勝著 筑摩書房
「日本の大転換」中沢新一著 集英社新書
「福島の原発事故をめぐって」山本義隆著 みすず書房
3冊選び出し、その内容を紹介、解説することによって、
社会論評の現状のパターンを読み解こうとしています。

わずか4ページの中にぎっしりとつまった重要な示唆。
最後に“上からの指示を待つ態度は、そもそも「革命」とは呼ばないのだ”と
括られており、政権の指針を待つだけの態度をとっているだけでは、
世界は変わらないことを述べられています。

こちらの内容は自分がどのように考えているか、
この先にはどのような態度をとっていくべきか、
具体的に書かれていますので、
どの方にも参考になるかと思います。
是非ご一読を。

2011年11月27日日曜日

写真を載せてみました


ようやく念願の写真を添付することができました。

でも思っていたのと少々違いが。
できれば、もう少し上品に、陰影のある、しっとりとした写真が
撮れればいいのですが、
実際には白っぽく、質感のない、薄っぺらい写真です。
悲しい。

カメラのバージョンが低いこともありますが、
採光の関係もあるでしょう。
蛍光灯の光はどうも白っぽすぎていけません。
夜に室内で撮影する方法を考えなくては。
夕方の窓辺の明るさをイメージしてはいるのです。

まだデジカメ初心者なので、
これから色々と試してみたいと思います。

2011年11月23日水曜日

「鏡の国のアリス」


「鏡の国のアリス」 ルイス・キャロル著 河合祥一郎訳 角川文庫

こちらも「不思議の国」と同じく河合祥一郎さん訳のアリスです。
前回はトランプの国が舞台でしたが、
鏡の中に入り込んだ世界はチェスの世界です。

単純に言葉遊びを楽しむのもよし、
舞台の展開に身をゆだねるもよし、
あちらこちらに潜んでいる謎を解くのも面白い。

こちらには関西弁を話す奴らも出てきます。
可笑しすぎる。

あとがきを読みますと、
「不思議の国」以降のアリス、キャロルが辿った人生が、
語られています。
この本は幼い頃のあどけないアリスの姿を思い出しながら
書かれた本と考えてよさそうです。

子供のころに読んだときは少々気味が悪く感じられて、
あまり好きではなかったアリスの物語ですが、
楽しみ方がわかって、とても嬉しいです。

話の中にヒツジのおばあさんのお店が出てきます。
そこの店にあるものをアリスが覗き込むと、
ふっと消えてなくなってしまう。
そんなシーンがあります。
私たちにも経験のある、デジャヴュのようですね。

またまたおかしな童謡の譜面も載っていますし、
ジョン・テニエルの挿絵満載のとても贅沢な文庫本です。

チェスというと少し前に読んだ「猫を抱いて象と泳ぐ」小川洋子著 が浮かんできて、
最低限度のルールだけ必死に思い出しながら、
読みました。

2011年11月20日日曜日

ブータン国王夫妻の訪日

今週ずうっと気になって追っていたニュースは、
プロ野球の日本シリーズは別として、
ブータン国王夫妻の国賓としての訪日でした。

国民の幸せを第一の国の目標に掲げていることに関心があって、
今枝由郎さんの「ブータンに魅せられて」岩波新書を読んだりしていますが、
今はまだ実情を知らずにただ憧れとして存在する国ブータン。

ワンチュク国王はまだ31歳ととてもお若く、
結婚したばかりのジェツン・ペマ王妃は21歳とさらにお若い。

日本のメディアもかなり頻繁に取り上げてくれたので、
今回の訪日の様子も写真付きでかなり拝見することができました。

民族衣装もとても美しくて、
そして国王夫妻のたたずまいの美しさにも、
仏教徒としての手を合わせるお姿にも、
見とれてばかりでした。

世界は金融不安や、人種問題や宗教に絡む戦争危機、
温暖化による天候不順など、頭を悩ませる問題で一杯ですが、
この世の中でどのように国を動かしていかれるのか、
ブータンは小さな国とはいえ、大変貴重な指針を持たれていますので、
注目に値すると考えています。

山々に囲まれた緑豊かなブータンを一度は訪れたいものです。

2011年11月16日水曜日

「特捜部Q キジ殺し」


「特捜部Q キジ殺し」 ユッシ・エーズラ・オールスン著
 吉田薫・福原美穂子訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ1853

前回の「檻の中の女」事件を見事解決した特捜部Q。
警部補のカールと助手のアサドに若くて有能でちょっとクセのある女性ローサが
加わって、さらにパワーアップしました。

そこへまたまた古い過去の事件がもたらされます。
それは暴力に満ちた事件。関連と思われる他の事件も浮かび上がります。
そこに関与していると思われるのは、
現在のデンマーク社会で成功している人物たち。
そこに過去の事件に関係し、姿をくらましているある女性が
からんできます。ここがみそ。

三つの場面が常に絡まって、
さらにスリリングな様相です。

タフで勘が冴えていて、好きな女性にメロメロで、
巧みな話術で人を引き付けることのできるカールがやっぱり主役。

筆者は非常に物語のコントロールが上手く、
その上、情にも篤いところが随所に見られます。
それがこの物語をさらに魅力的にさせているのでしょう。

ちょっぴし偶然のタイミングを派手に使いすぎの傾向もありますが、
ミステリに見せ場は必要でしょう。

すごく面白くて、納得できる結末で結ばれて、
特捜部Qのさらなる活躍を期待するところであります。

2011年11月13日日曜日

「特捜部Q」第2弾を入手

他の本を探しに行ったら、出ていました、
ユッシ・エーズラ・オールスン「特捜部Q キジ殺し」!

登場人物も興味深い個性的な人物たちだし、
第1弾の話の凝り方もなかなかなものでしたから、
これは楽しみです。
登場人物に入れ込むことができるミステリって、
とても読みがいがあります。
普通の小説と同じように読んでしまうので、
結構肩が凝ってしまうのですが。

現在仕事の方が目いっぱい詰まっているので、
気分転換にいいってことにして、
カールたちと仕事してきます。
デンマークの空気もいいですね。

2011年11月9日水曜日

「スワンの恋」を読みながら

少しだけプルーストを読みすすめました。
第2巻の「スワンの恋」の真っただ中です。

スワンという人は実に謎の人物です。
上流社会に出入りするというからにはそれ相当の身分とマナーを心得ており、
博識であり、上品であるという条件を備えているわけです。
それが、いくらシスティーナ礼拝堂のボッティチェリのエテロの娘のチッポラに
似ているからといって、どうしてオデットなのでしょう・・・
これが恋というものの恐ろしさ。

ヴェルデュラン夫妻のサロンで、
そこに居合わせる人々の会話などを読んでいると、
中流社会のサロンで行われていた社交生活の様子が目に見えるようです。
決して感心できるものでもありません。
現代のパーティなどと比べればそれは上品なものですが。

プルーストを読んでいて面白いのは、
こういった行動や会話の中に潜む人の心の動きをあれこれと表現しているところですね。
登場人物の人柄のみならず、その人の品格まで表れてしまいます。
ただ、とにかくそれが延々と続くので、
ずっと読み続けると知らぬ間に違う場面に展開していたりして、
スピードに気持が付いて行かなかったりします。
脳の老化のせいかしら。

しばらくスワンの恋のロマンテックさに酔いしれ、
その行方を追いかけていこうと思います。

2011年11月6日日曜日

雨の日曜日

今週も一冊も本を読まずに終わってしまいました。
ので、本のお話はできない・・・チャンネルがずれています。

職場では12月の引っ越しを前に着々と準備が進んでいます。
レイアウトに什器等を落とし込む作業、
新しい通勤経路に合わせた交通費の計算、
封筒や名刺等の印刷物の打ち合わせ、
おまけに年末調整の書類の時期と重なっています。
ルーティン業務も通常通りにありますし。
昨日は目まぐるしく忙しかったので、
夕方にはぐったりとしてしまいました。

で、今日は雨ということもあり、ゆっくりと過ごしました。
はい、休みの日はいつもゆっくりとしているのですが。
お昼寝もたっぷりとして、ちょこっとお掃除して、お洗濯もして。
日曜日は日経、朝日、毎日と新聞3紙が手元にあるので、
じっくりと目を通したりして。

来週から気温が下がってくるそうなので、
そろそろ冬支度の時期でしょうか。
今くらいの季候がすごしやすいですね。

2011年11月3日木曜日

読書が止まって

10月の風邪ひきで調子を崩していらい、
本来の読書のペースが戻りません。
目論見では10月中に「失われた時を求めて」の2巻を
読了するはずだったのでした。

電車に乗っているときは、
以前は必ず本を読んでいたのに、
最近ではぼんやりとしているだけです。

今年もあと2か月となりました。
時間だけが過ぎてゆくのに、
焦りを感じます。

手に取れば、すうっと本の中に入ってしまえるのだから、
本さえ開けばよいのです。
あまり重々しく考えないように。
焦るのもほどほどにしたいものですね。

さて、今月はユルスナールの“世界の迷路”「北の古文書」が出る予定です。
しっかり食べて、寝て、体力を養って、プルーストも読んで、
楽しみに備えたいと思います。

2011年11月2日水曜日

「磯江毅=グスタボ・イソエ」展

奈良県立美術館で催されている「磯江毅=グスタボ・イソエ」展へ。
しばらく前から新聞等で各地で行われている同展が、
奈良へやってくるとは思いもよらず、
キャッチするなりいそいそと出かけたのであります。
紙面で見てそのリアリズムの絵画が気になっておりました。

74点もの作品が並び、
一つ一つそのリアリズムの輝やける静けさに圧倒されたひとときでした。
もう写真より精密に思われるのには驚きです。
人物像は息遣いが感じさせられますし、
多くの静物画は存在感や重みがじんわりと伝わってきます。

晩年の作品にはさらに豊かさまで加わって、
大変素晴らしい作品群でした。

別室で初期の頃からのデッサンが数多く展示されていて、
その手法、ふつうのデッサンからスペインに渡って取得した手法との違いが
素人目にもわかるのでした。
絵画の手法など全く無知ではありますが、
確かに画面が奥深く、精密になり、重みを増していき、
対象が画布や紙にしっかりと刻まれていく様は、
人間の手によるものとは思われないくらいの驚きです。
奥深いものです。

美しいものを観る、その成長を見ることで、
実に心洗われる思いです。

2011年10月30日日曜日

「本の音」を読みつつ

堀江敏幸さんの文庫化された「本の音」を読んでいます。
単行本が出たのが2002年なので少々前の書評がまとめられている本になります。

大半は読んだことのない本で、なかなかわかりづらいところです。
読んでみたい本について書かれていれば、
それはとてもいいアドバイスにもなるのですが。

読んだことのある本については、
読みこめていないところをしっかり指摘されている、
教科書のような趣きでもあります。

先日こちらで“ジュンパ・ラヒリは読んでいてつらくなるので苦手”と
書いたのですが、「停電の夜」について堀江さんは以下のように評しています。

“ラヒリの主人公たちに巣くっているのは、
 アメリカをあたらしい祖国として選んだ移民たちのみならず、
 現代人の誰もが冒された不安の病だとも言えるだろう。
 「病気の通訳」とは、だから登場人物の職業というより、
 作者自身の立場を指し示すものだ。
 相対する他者の病状を通訳するだけでみずから処方箋は出さない、
 慎重で冷静で、なおかつ慈悲深い観察者の位置。
 それが若き才筆の依って立つ、美しい倫理である。”

う~ん。
そうです、そのように言っていただければ、腑に落ちるのでありました。
最近の若手の書き手にはそのような才能に溢れる人が多いようです。
現代における病なので仕方がないのでしょうか。

嗜好の問題もあるかと思います。
野崎歓さんの「フランス小説の扉」の書評では、
野崎さんの「歓び」に満ちた言葉で紹介される作品群とありますが、
そういった歓びや、幸福感に満ち溢れた本を
できることなら辿っていきたいと思うのでありました。

2011年10月26日水曜日

“暮らしのうつわ 花田”

時折“花田”さんからのDMが家に届きます。
今回のテーマは<酒器にほろ酔い>として、
4人の作家の作品の写真が載っています。

いつもこのDMの洗練された美しさを
母と感心しています。
作品も素晴らしいものばかりだけれど、
その作品を際立たせる紙面がまたあか抜けています。

“花田”は器好きの人々に愛されている有名なお店です。
東京は九段下にあり、静かなたたずまいのお店で、
一度だけ訪ねたことがあります。

目を奪う美しさの作品が整然と並び、
その審美眼に感心させられたものです。
その時は正木春蔵さんのおおぶりの平皿と、
作者は不明ですが凝った楕円形の小皿を買い求めました。
どちらも藍ものです。
今も大切に使っています。

すぐに必要なものはないけれど、
また美しい物を見に、出かけたいものです。

2011年10月23日日曜日

「メグレと無愛想な刑事」

「メグレと無愛想な刑事」 ジョルジュ・シムノン著 新庄嘉章訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ370

1957年と古い翻訳です。ですから小さい“つ”が大きかったり、
ずいぶんと古めかしい言い回しや、表現がされていたり、
いまどきこんな言葉づかいはしないだろうというような、
丁寧で古風な会話が出てきたりします。
それがまたなんともいい味わいを出しているのです。
メグレの時代はきっとそんな感じだっただろうと思われたりします。

メグレという人を紹介する部分があるわけではありませんが、
メグレの行動と考えを見ていると、
本当に頼りがいのある、思慮深い、タフで慎重で情の厚い人と
うかがえます。
ユニークなところはないけれど、読んでいてほっとさせられる、
味わい深い警察小説ですね。

この本は短編集で、4つの作品が入っています。
派手な事件はなく、どれもじっくりと捜査してじっくりと熟慮の上で
解決を見ます。見事です。
よく考えてみると、どこかにほころびがあったり、食い違いがあったりして、
ヒントとなるようです。
メグレに委ねると、まるで煮込み料理(メグレ夫人の得意料理のように)みたいに、
しっかりと考えられて立派な仕上がりになります。美味しい。

メグレ物が大好きなので、手に入る範囲で少しずつ読んでいますが、
ストックがあと2冊しかありません。
ああ、あの河出書房新社のシリーズをまるごと手に入れることができれば!

2011年10月19日水曜日

神戸へ海を見に

神戸に出かけたのは、海を見るためだったのでした。
一年に一度のお楽しみです。
神戸からさらに西に向かって電車に乗ります。
JR須磨を越えると、南側の窓に海が広がります。
飲み込まれそうなくらい広々とした海が。

陽光のあたり具合によって、
海の表情も変わります。
東側では緑がかった青なのに、西の方は白く濁って見えたり。
手前はひたすら透明に近く、思わず手をつっこみたくなります。
少し先まで見渡せば、そこはもう深く人の手に負えないくらいの海。

潮風の匂いはいつも懐かしい気分にさせられます。
海に近いところで育ったせいかもしれません。

大きな海に抱かれるような心地に、
とても安心感が生まれてきます。

一口に海といっても、所によって様々な表情があるでしょう。
見てみたいと思う海は、
ベルギーから見る北海、
クロアチアのアドリア海、
ポルトガルの大西洋、
カリフォルニアの青い海、
もちろん、トラーヴェミュンデの浜辺にも行ってみたいです。

海の出発点は、和歌山の小さな浜辺。
いつも気持は海の方を向いています。

2011年10月16日日曜日

にしむら珈琲店

神戸では有名なにしむら珈琲店でしばらく時間を過ごしてきました。
店舗はあちらこちらにありますが、
お気に入りはJR三宮駅前の三宮店です。
本店とよく似た感じで黒く磨かれた柱が調度品と重なっていて、
落ち着いた雰囲気を醸し出しています。

何よりすっきりとした珈琲は何杯飲んでも飽きません。
長く居座っている客にもお店の方は親切ですし、
ゆっくりと本を読んだり、手帳をチェックしたり、
来週のやることを考えたり、メモを取ったりと、
テーブルの上をいっぱいにして好き勝手をしていました。

特に面白いのは来店するお客さんたちの様子を見ることです。
長年の常連さんたちを中心に年配の人が多いようですが、
カップルや、若い方が一人で来られたりもしています。
入口に近い席だったのでなおさらですが、
このマンウォッチングはなかなか止められません。

大阪にはこういう感じの喫茶店が少なくなってきました。
とても不便でちょっぴり寂しい気分です。

というわけで神戸でにしむらに行くだけで元気になるのでした。

日々こもごも

ああ、西武ライオンズCS自力進出を逃す。
ああ、阪神タイガース同じくCS進出を逃す。
ああ、今日も中日ドラゴンズ、巨人に大敗。

ああ、各国で行われている格差是正デモ、声は届くのか。

ああ、今だ治らず咳の風邪。

よかったこともないわけではありませんが、
マチュー・アマルリックの映画を見損なってしまったし、
自分自身の関心のあることが手から流れていってしまっている感じです。

よく学生時代の友人が良いことがあると言っていました。
“日頃の行いが良いから♪”

ということは、日頃の行いが悪いから悪いことが起きるのか?

今夜も早く寝て夢の中で考えてみようと思います。

2011年10月12日水曜日

風邪のときのアロマオイル

風邪をひいて一週間。
今頃になってアロマオイルを焚くことを思いつきました。

風邪のときには、
ラベンダー、ティートリー、ユーカリ、ローズマリー等が
効果があります。
咳に効くのはティートリーですが手持ちがありません。
鼻風邪用ではありますが、すっきりしそうなので、
ユーカリとラベンダーを組み合わせてみました。

アロマの香りは嗅ぐだけでも気持ちのいいものですね。
なんだかゆったりと寝ることができました。
咳き込みも久々に収まっているような気がします。

手元を調べてみると、いつの間にか定番のカモミールも切れています。
ラベンダーは始終使うのですぐに無くなります。
肝心なときに使えるように、カモミールとラベンダー、ティートリーを
買っておいたほうが良さそうです。

2011年10月10日月曜日

本日も苦しかりけり

せっかくの2連休というのに、
風邪の咳があまりにも苦しく、
何一つせず一日中ゴホゴホしていました。

手元には今月の「yomyom」新潮社 があります。
特集が“この人に学ぶ暮らしのヒント”ということで、
母が貸してくれました。
予定ではこれをぱらぱら読むつもりだったのだけど。

次の休みにはもう少しは回復して、
ぱらぱらを実行したいです。

辻原登さんの「熊野でプルーストを読む」ちくま文庫も
読みかけたままになっています。
とても明晰・博識な方でちょっと尻込みしています。
これまでには「発熱」しか読んだことがなかったのですが、
とても幅広い見聞と知識とで、様々な小説を書かれているのに、
とても気になっていました。
どんなお話が聞けるのでしょうか、続きが気になります。

2011年10月9日日曜日

風邪ひき第1号

今季第1号の風邪をひいてしまいました。
ぜんそく気味の気管の風邪で、
咳がひどく呼吸が苦しいです。
じっとしているのもしんどいので、
本も読めていません。
お薬もなかなか効いてくれないし、
この連休、途方に暮れています。

まずこの復調を目指したいと思います。
読書はそれから。

2011年10月5日水曜日

「サバの秋の夜長」

「サバの秋の夜長」 大島弓子著 白泉社文庫

このお話は平成元年ごろのことだそうで、
大島さんが初めて一緒に生活した猫サバのお話です。
大島さんのファンにとっては定番の本でしょう。

先日「グーグーだって猫である」第6巻が出ていて、
このシリーズの最終巻であることを知りました。
最近の大島さんの猫たちに囲まれた生活を知ることができます。
そして大島さんが素晴らしい博愛精神の持ち主であることも、
このシリーズで改めて知ることとなりました。
今は10匹以上の可愛い家族(猫たち)と、
お庭にやってくる放浪猫たちとの行き来は、
大島さんの大忙しの生活の中心をなしているようです。
大病もされているので、大丈夫なのでしょうか?そちらも気になります。

それにしてもこのサバとの生活を振り返ってみると、
お仕事は大変だったようですが、
とてもゆったりとしていて、豊かな感じがします。
サバとのマンツーマンの生活ぶりも、とても細やかで、
サバの人格じゃない、猫格がとても面白く興味深く感じられます。
それからずいぶんと時間が経ったということでしょう。

大好きな「綿の国星」も初読は30年以上前ですが、
内容は人や猫の内面を描いているので、
そんなに時が経っているような気がしません。
時々、大島さんのこの猫たちのお話に立ち戻って、
気持ちのゆとりを推し量ったりしています。

2011年10月2日日曜日

イギリス人にはなれない

ずいぶん若い頃にP.G.ウッドハウスの短編を読んで、
こんなに面白い作家だから他の作品も翻訳されてほしいものだと
思っていました。

それからずいぶんと時間が経って、
ついにやってきました“ウッドハウス・ブーム”が。
飛びついて「比類なきジーヴス」を読んでみたのですが・・・
あまりのお馬鹿さに本を放り出してしまいました。

ジーヴスは結構です。
やはり主人のバーティが。
自分にとってイギリス貴族の紳士として代表を表すのは、
ドロシー・L・セイヤーズの作品で名高いピーター・ウィムジイ卿です。
ウィムジイとバーティと一緒に並べてはいけないことは承知しますが、
あまりに期待が大きく、勝手に想像していただけにコケテしまいました。

しかしながら、勝手に考えていたことがあだとなって、
肝心な面白さをわかっていないのではないだろうか、
不安がよぎります。
そこでコミックスの登場です。
「プリーズ、ジーヴス」 勝田文著 訳は国書刊行会と同じく森村たまきさん。

確かに面白いです。
こちらから入ればよかったかもしれません。
でも、一緒に笑えない。
「アホか~!」と失笑する程度であります。
これではイギリス人の笑いを共有することができません。
それはそれですごいショックでありました。

2011年9月28日水曜日

気分は上々、現実は低迷

秋らしくなってきましたね。
日中は半そでで過ごせるくらい暑いですが。
朝夕はほっとします。
夜は再びフクロウの声が聞こえるようになりました。
“ホッホー・・・ホッホッ”

職場で育てているラベンダーも随時花を咲かせてくれて、
家のあちらこちらに収穫した紫の花が置かれています。
こちらもそろそろ終わりでしょうか。
来年の春にまた復活してくれることを祈って冬支度です。

おかげさまで精神的には落ち着いていますし、
体調もまずまずというところです。

しかしながら、仕事が詰まってきました。
職場は50名ほどのこじんまりとした出先なのですが、
12月にまるごと引っ越しをすることが決まりました。
これから仕訳と片付けと箱詰めが始まります。
ルーティン業務に引っ越し業務がプラスされるのは、
気が重い。
何から手をつけるのだろう。

じっくり本を読む余裕が失われそうな、
少々不安であります。

2011年9月25日日曜日

9月の本読み

ここ2,3日は過ごしやすい秋の日よりになりました。
暑い夏をやり過ごして、ちょっとほっとした気分です。

9月は順調にページが進み、
9冊近くの本を読むことができました。
だいたい1か月に1冊素晴らしい本に巡り合えれば上々だと思っています。
読むのがゆっくりなので、これで十分です。
今月は久々のミステリが良かったかな。

「失われた時を求めて」第2巻は少しずつ進めているところで、
年内に読み上げればそれでよし。

他には溜まっているエッセイなどの山を崩していくこと。

ヘンリー・ジェイムズも一冊手元にあるのを今年中に読みたい。
「ある婦人の肖像」を再読するのは来年になりそう。

難問はいつまで経っても哲学系の本と美術史関連の本に手をつけられないこと。
これは一生言い続けるかもしれません。

年末にはユルスナールの「世界の迷路」第2巻が出る予定だし。
読むだけで忙しい日々でありました。

2011年9月24日土曜日

「不思議の国のアリス」

「不思議の国のアリス」 ルイス・キャロル著 河合祥一郎訳 角川文庫

“黄金の 光輝く 昼下がり、
  われら ゆっくり 川くだり。
 オールを握るは 小さな腕、
  力を出せとは ないものねだり、
 幼いおててが ひらりとあがり、
  ガイドのつもりで 右ひだり。

 ああ、ひどい、三人娘、情がない!
  ぽかぽか眠くて しかたない。
 なのに お話せがむとは!
  羽毛を動かす 息もない。
 だけどこちらは ひとりきり、
  三人相手じゃ かなわない。”

冒頭の韻を踏んだ、楽しい詩の一節です。

「不思議の国のアリス」ってこんなに面白いお話だったかしら?
昔福音館の本で読んだ印象は結構陰気に感じだったのですが。
訳者の河合氏は気鋭のシェイクスピア研究者であられるそうです。
お話の楽しい子供向けのエッセンスを満載にした、
ユーモア、ナンセンス、韻を盛り込んだ冒険譚がリアルに表れています。

アリスがどんなにナンセンスな状況に置かれても、
堂々としてる様はなんとも頼もしい。

登場人物たちのバリエーション豊かなユニークさも傑作です。
ヤマネやトカゲなどの動物たちは割とまともで、追いやられ方には哀愁を誘います。
ドードー鳥や、グリフィンなどもう存在しない動物や、空想の動物たちも大活躍。
王様、女王様、侯爵夫人のナンセンスさは人間の勝手さが見事に露呈されています。

ところどころ出てくる詩や歌もとんちんかんですっかり可笑しい。

やっぱりお気に入りは昔と変わらずチェシャーネコ。
にやにや笑いながら消えていくってシュールでナンセンスで人を馬鹿にしていて、
ほんとに気分がいい。

この文庫には、ちゃんと歌詞に楽譜もついていて、
存分に楽しめるようになっています。
構えずなんにも考えずに読んで楽しい一冊でした。

2011年9月23日金曜日

訪問

祭日の今日、知人のお宅をお訪ねしました。
その方が新しい住まいに居を構えられたのです。

喧噪を少しはずれた所に、
その明るいお住まいがあり、
とっても住み心地の良さそうなお宅でした。

あまりの気持ちの良さにうっとり。
う~ん将来自分の持家が実現するとしたら、
あのように自分らしく、気持ちよく住める家がいいなぁ。

おしゃべりもはずみ、
マッコリも頂戴して、日が暮れるにつれ、ますますいい気分。

大変お邪魔いたしました。
ありがとうございました。

電車の中では初心に帰って「不思議の国のアリス」を読んでいました。
こんな話だったかな?
子供の時には見落としていた部分を面白可笑しく読んでいます。

2011年9月21日水曜日

台風再来

台風15号が日本列島を縦断中。
現在栃木県だそうです。
東日本、東北の人々はご苦労が続きます。
新幹線に缶詰になった方も多かったようですが、
こればかりはどうしようもないと、思うのですが。

奈良県北部は夕方には風雨も収まって、
今は静かになっています。
各地の被害も大きいようです。

河川の近くにお住まいの方、
山際にお住まいの方、
十分にお気を付けください。

12号で被害が大きかった紀伊半島南部はどうなっているのでしょう。
職場の人の実家なども被害があったようでした。
台風の季節、気を緩めることができませんね。

さて、台風の最中読んでいたのは、
「氷の天使」 キャロル・オコンネル著 創元推理文庫
いきなり場面が変わってばかりで、
登場人物もバリエーションが豊かで、
混乱し、読みづらかったのでした。
主人公が、元ストリート・キッズ、今は警察に務めていて、
感情を表に全く出さないコンピューター・ハッキングが得意の美女と、
なかなかこだわりの設定です。
これにつられたわけではないのです。
いつも拝見しているブログで紹介されていて、
その方がこのシリーズを未邦訳まで追っかけて読んでいるということだったので、
興味を持ったのでした。
登場人物の個性豊かな部分は気に入ったけれど、
読みにくいというのは、やはり相性の問題でしょうか、
続いて読むことはないと思います。

2冊続いてミステリを読んで、飛ばし気分でしたが、
次は落ち着いて読めるものにしようかと考えています。

2011年9月19日月曜日

生駒のとあるJazzBar

先日生駒の町中にある小さなJazzBarにお邪魔しました。
ランチ時で、客は連れて行ってくれたM氏と二人だけ。
お店には生駒出身のJazz歌手の吉本嬢のCDがかかっていました。
きれいな歌声が爽やかな感じを聴いていると、
久しぶりのJazzにむずむずしてきまして、
つい生意気にも“Jazzというと、マイルスに帰ってきます”などと
のたまってしまいました。

マスターは嬉しそうに乗ってくださって、
“じゃあ、ベタですが、これにしましょう!”と、
「Round About Midnight」のLPを掲げ、
早速、ターンテーブルに掛けてくださいました。

すっごくいい音が流れるスピーカーの間の特等席まで用意されて、
ゆったりとあの心に染み入る音色を聴かせてもらいます。
やっぱり、いいなぁ。

昼時からまったりといい気分をさせていただいたのでした。
ありがとうございました。

2011年9月18日日曜日

「特捜部Q 檻の中の女」

「特捜部Q 檻の中の女」 ユッシ・エーズラ・オールスン著
 吉田奈保子訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ1848

久々のミステリ、よかった、面白かった。
本当にあったとしたら、大変な話だけど。

2007年デンマーク、コペンハーゲン警察に、
かくかく云々の事情で新設された“特捜部Q”。
そこに主人公カール・マーク警部補が配属されます。
このカールがとても味のある中年のおっさんです。
でも、実はとてもつらい経験をしたばかりで、
精神的にはきついはず。
にもかかわらず、未解決の重大事件に挑みます。
部下は謎のシリア人のアサド・・・この設定がまた可笑しいのです。

実生活と仕事の現実の厳しさと、
そこはかと人間味のあるユニークさとが相まって、
カールの仕事は少しずつ展開を見せてゆきます。

並行して、もう一人の重要人物のスリリングな状況が語られていて、
筋の運びもキリリと締り、なかなか読ませてくれました。

何気なく選んだ本だったのですが、
とってもしっくりとはまってくれました。
おかげで寝不足気味です。
警察小説がお好きな方には是非お勧めいたします。

2011年9月14日水曜日

左手イタタ

左手の腱鞘炎のため、今日は更新をお休みさせていただきます。

この3日間たいして読書も進んでいないこともあるし、
目新しいこともありません。

ここしばらく気になるプロ野球セ・リーグの順位争いの行方を
追ってから休むことにします。
(イチローの記録も気になっています。がんばれ!)

2011年9月11日日曜日

日本人がフランス人化すると・・・

FRENCH BLOOM NET-INFO*BASEの記事から
どれくらいフランス人化しているかチェックしてみましょう。
好むと好まざるにかかわらず・・・です。

週刊フランス情報 22 - 28 AOUT 後編

日本人がフランス人化すると、こうなる!9パターン

1.レストランでは必ずテラス席に座る。
    ⇒oui,それは喫煙のため。

2.友達や知り合いに会った時に、ビズ(bise)をしないと、何かさみしい。
    ⇒non,遠慮します。

3.8時に帰宅!=遅すぎる。
    ⇒oui,仕事はさっさと済ませようぜ。

4.パートナーとはいつまでも男と女の関係でいたい。
    ⇒oui,もちろんです。

5.スナック菓子によくある「チーズ味」は、何チーズなのか?が気になる。
    ⇒non,スナック菓子には期待していません。

6.日本にいた時より、他人がどう思うか?を気にしなくなる。
    ⇒non,そうかフランスに滞在している人向けなんだ。

7.ゴミの分別の仕方がよくわからない。
    ⇒non,分けます。

8.ヒールの高い靴やサンダルを履くのが億劫になる。
    ⇒oui、でも時によってはヒールが履きたくなります。

9.人の話を聞いていると、何だか反論したくなる。
    ⇒oui,“ああ、そうなの~”と素直に対応できないのです。
     すぐ自己主張してしまう、できの悪い人間です。

日本に居ながらも少しずつフランス人化しているようです。
日本人は個人の確立が目立つと敬遠されることが多いので、
外国の方の意見にはいつも驚かされます。
フランスではリセで哲学の授業もされており、
深く考え、整理し、自分の思考を構築する習慣を
身に着けているようですね。
皆様はいかがですか?

晩夏の読書は

夏の終わりの読書は吉田秋生一辺倒。

「桜の園」 女子高校生の日々を垣間見ます。
「河より長くゆるやかに」 男子高校生の普通ではない日々。
「夢みる頃をすぎても」 20数年前の大学生はこんなふうでした。
「カリフォルニア物語」4巻 カリフォルニアからN・Yへやってきたヒースの物語。

どれもとってもてらいのない、真実をついた、面白くも、心に残る作品ばかり。
こんな歳になってから昔を振り返って読むのも、なかなか楽しいものです。
もうしばらくしたら「夜叉」に入りたいと思っています。

他には、

「巴里の空の下、オムレツのにおいは流れる」 石井好子著
読むのは2回目だけど、とにかく美味しそうなものばかりで、おなかがすいてきます。
1963年の出版された本なので、今になってはそう不思議ではない物もありますが、
とにかくきっぷのよいお人柄が滲み出た爽快なエッセイです。

「灯台守の話」 ジャネット・ウィンターソン著 岸本佐知子訳 白水uブックス
現代小説って凝っていて読むのが難しい。そこが面白かったりしますが。
主人公シルバーに共感することもなかなか難しい。
純粋なのだけど、素直でない捻た感じも受けました。
この作品は若い人のほうがフィットするかもしれません。

「失われた時を求めて」第2巻
続いて集英社版の鈴木道彦さん訳で読み始めました。
ちょうど“スワンの恋”のところです。
ここだけ昔話を独立した視点で書かれています。
書かれていることはたいした内容ではないのだけれど、
そこから引き出されるプルーストの思考が面白い。
うねうねと長々と書かれる文章をふーんと唸りながら読んでいます。

気分としてはここへじっくり読める、でも読みやすい小説が
ほしいところです。
何にしようかな・・・悩む楽しみ、探す楽しみ、活字にまみれた晩夏です。

2011年9月7日水曜日

「追悼のしおり」その⑥

ユルスナールの「世界の迷路」Ⅰ「追悼のしおり」も最後のページになりました。

“覚書”にはこの本を書くために利用した文書、言い伝え、系図集や刊行物など
多くの資料を参照したということです。
作家であったオクターヴ・ピルメについてはブリュッセル国立図書館に書簡等が
残されているようですし、
ピルメについての論文「オクターヴ・ピルメ新論」も多くの情報を与えてくれたようです。
また個人的に協力された人たちも多く名を挙げられています。
目を通していると、名家でなければ残されてはいなかったであろう資料の豊富さに、
まず驚かされます。
そしてそれらのバラバラであった情報を一つのまとまりに結びつけたユルスナールの
努力に情熱を感じるのでありました。

そうやって集められた資料の元に書かれたこの一冊について、
小倉孝誠氏による“あとがき”に多面的に書かれた本であることが説明されています。
ここではユルスナールの主体を押し出さない作家としての在り方や、
この本の意義、示すところなどが語られており、
単なる回想録を超えた年代記であることが解説されています。

「世界の迷路」と名付けられているからして、年代記として読んでいいのだろうと
考えて読み進んできましたが、ユルスナールのことですから、そう簡単に読み下すことは
させてくれません。多くの登場人物が現れていますし、時間も流れていますから、
一つ一つの章を噛み砕いて、示唆するところを知るまでには一読では済みません。
簡単に述べられる感想を言わせてくれない遺産を残して去っていったユルスナール。
まだまだ道は続くのでありました。

2011年9月4日日曜日

「記憶の山荘」

「記憶の山荘」 トニー・ジャット著 森夏樹訳 みすず書房

1948年にロンドンに生まれたジャットは、
現代史の研究者として、主にアメリカの大学で教壇に立ち、
2009年に筋委縮性側索硬化症を発症し、
2010年に亡くなりました。

難病を発症してからも活動を行っていましたが、
その中で本書は口述筆記によって著された回想録です。

幼い頃にスイスの山荘を訪れたときを思い出し、
山荘の建屋や内装、家具、色々な部屋の数々をなぞらえて、
自分の記憶を空間的に並べるという手法をとっています。

と冒頭の章にあるのですが、
3次元感覚に乏しい読者は、平坦に並べられた章をなぞっていくことしか
できませんでした。
この「記憶の山荘」という章に執筆後の筆者の考えがほぼ述べられているかと
思われるので、何回か目を通してみました。
ちょっと難しい。

本文には、幼い頃からの記憶に沿って、
各章にテーマが与えられて、当時のことが振り返られています。
イギリスで過ごした幼い頃のこと、
大学生になってから仕事に従事するまで、
アメリカに移ってからのこと、
ユダヤ人であることについてなど、
筆者が関わって、山荘の引き出しに直しておくべき事柄が、
述べられています。

歴史家の回想録なのだと簡単に手をだしてしまいましたが、
人生とは簡単にまとまったものではないことに、
改めて、反省しました。

ジャットという歴史家がどういう人であるか、
この本を読めばよくわかるわけですが、
歴史家としての姿勢を表している文章があります。

“私の職業がどれほど超倫理的な要求を突き付けてきても、
 私はつねに「理性の人」だった。「歴史」に関する
 あらゆるクリシェの中で、私がもっとも引かれたのは、
 われわれは実例を挙げながら教える哲学者に他ならない
 という定言だ。これは真実だといまも思う。そして
 私はいまもなお、自分が明らかに遠回りをしながら、
 それを行なっていることに気がついている。”

こういった姿勢こそ良心があることだと思います。
できることならば、代表作の「ヨーロッパ戦後史」や、
没後に発表された「荒廃する世界のなかで」を読めればと
いう気持ちはありますが、やはり歯がたちません。
情けないやら、悲しいやらというところです。

2011年9月3日土曜日

のろのろ台風12号

強い勢力の台風12号がゆっくりゆっくり北上しています。
奈良県北部は今頃になって風雨が強くなってきました。
のろくさいので被害の範囲も広く、箇所も多いようです。
季節柄とはいえ、早く過ぎ去ってほしいものです。
そして普段の普通の生活ができるように。

当方のブログはこのようにちびちびと本の感想を述べているに過ぎない
ささやかなものですが、
幸いなことに、思っているよりも多くの方にご訪問いただいています。
いつもありがとうございます。

本の感想も、未読の人の楽しみを奪わないように、
なるべく本論をはずし、内容が伝わりすぎないように心がけています。
本によっては、内容を紹介することで関心を持っていただけるようにしていますが、
それでも読書は読み手によって変化しますので、
あまり主観を押し付けないでいられたらと思っています。
それと好ましい本だけに絞るようにしています。
いまいちの本をまな板の上に乗せても面白くはないですよね。
書評とは違った一読者の感想文、
今後もこの路線で行きたいと思いますので、
よろしくお願いいたします。

2011年8月31日水曜日

「BANANA FISH」

「BANANA FISH」全11巻+1巻 吉田秋生著 小学館文庫

吉田秋生さんの「海街ダイアリー」の新刊4巻が出てとってもよかったので、
他の作品も読んでみようと、
伝説の「BANANA FISH」を読み始めたら、もう止まらない、一気読みでした。

この作品は1985年から1995年にかけて発表されたものですが、
時間差をあまり感じさせない生々しい作品です。
主人公アッシュ・リンクスの生と戦いを描いていますが、
謎解き、マフィアとの戦い、政治勢力の裏側を暴く戦略、
人間模様が絡み合い、圧巻です。

アッシュのあり得ない人物設定に、漫画の面白さも感じます。

完璧なアッシュが本当に得難い“純粋無垢な友情”を手に入れるまでの物語なのですが、
テーマがそれだけに、読後はとても切ない気持ちが押し寄せて、
少々つらさも感じます。

しばらくして、心が落ち着いた頃にもう一度、
このストリート・キッズたちとマフィアたちの抗争の場に、
身をおいてみましょうか。

2011年8月28日日曜日

「なずな」

「なずな」 堀江敏幸著 集英社

弟夫妻の生まれて3か月の女の子“なずな”を預かる
四十すぎの独身男性“菱山秀一”さん。
地方新聞の“伊都川日報”の記者です。
どのあたりなのか、伊都川付近の杵元町にある、
杵元グランドハイツに住んでいます。
そのアパートでなずなを孤軍奮闘して育てています。

アパートの管理人さん、1階にある喫茶店兼スナック“美津保”のママ、
ご近所の佐野医院のジンゴロ先生に娘さんの友枝さん、
勤め先の編集長梅さん、といきなり多くの人が登場します。
沢山の人に支えられて、なずなの面倒を見て、生活をしているのでした。

不思議なことや、変わったことは何も起こりません。
でも、小さな赤ちゃんと共に生活をするには、色々な準備、活動、お世話が必要なのでした。
そして、在宅勤務とはいえ、仕事もこなさなければなりません。
周りの人々との関わりや、出かけた先で耳に入ってきた情報などが、
小さな町の中で結びついていきます。

外国で大きな事故に遭い、入院中の弟、
原因不明の病気で入院検査中の義理の妹、
少し先の町に住む初老の父と具合が悪くなってきた母。
人間関係を見ていると、まるで私たちの日常のようです。
違いは日々成長を見せてくれる黒い瞳のなずなの存在ですね。
赤ちゃんを育てるって本当に大変なことだけれど、
主人公はちょっと距離があるからか、少々冷静な感覚でなずなを捉えているようです。
見えてはいないけれど、見えているように可愛いなずな。
赤ちゃんの彼女との日々を描くだけで、物語になる。
まったく、そういう小説です。

2011年8月24日水曜日

「追悼のしおり」その⑤

「追悼のしおり」も最後の章“フェルナンド”に来ました。

“邸館めぐり”の最後で母マチルドを亡くした8人の子供たちは、
その後ドイツ人のフロイラインに身辺を見てもらいながら、
以前と変わらぬ生活をしていたということです。
しばらくすると姉たちと同じようにフェルナンドも寄宿学校に
入りますが、ある女生徒と知り合いになってから成績が落ち、
「真面目に取り組んでいるとはほとんどいえない」と
報告書に書かれるようになり、父親から家に呼び戻されます。
寄宿学校でどのような日々が送られていたかは、
全て推測の域を越えません。
ただ、その女生徒モニック・Gとは長い付き合いとなるのです。

1890年明けてすぐ、父親アルチュールが亡くなり、
遺言によって財産は既に亡くなっていた兄ガストンを除いた7人の子供たちに
平等に分けられます。
兄たちはほとんどが不動産の財産を運用する能力を持たず、
屋敷のあったスュアルレは売却されて、
子供たちはそれぞれの考えでバラバラに散っていきます。
幼いころから足が悪い姉ジャンヌは、ブリュッセルに家を買い入れ、
フロイラインに家政を任せて余生を送ることを決心していたそうです。
フェルナンドは結婚にふさわしい男性が見つかるまで、
ジャンヌと生活することになります。

フェルナンドは社交界にデビューはしたものの、
適当なお相手は見つからず、
ようやく魅力的な男性と出会ったものの、
相手の気持ちを引き付けるまでには至らず、
傷心を慰めることもあってか、
フロイラインとドイツに旅に出かけるようになります。
旅先でも楽しいことはあったようですが、
よい実りをもたらすことはなかったのでした。
そうしてフェルナンドは28歳を迎えます。

そんな矢先に知り合いから40歳台の立派な風采の教養豊かなフランス人男性を
紹介されます。
知り合いの館で出会ったミシェルとフェルナンドは少しずつ近づいてゆきます。
そしてミシェルはもちろん考えに考え、求婚したのでした。
フェルナンドは色々とためらいますが、ミシェルの一押しにほだされ、
受け入れるのでした。
二人はドイツへ旅行します。フロイラインも一緒です。

この結婚に関し、ミシェルの先妻の16歳の息子は、
のちに物語を書いたようですが、少々皮肉な内容であったようです。
当然のことですが、フェルナンドの結婚によって新しい生活が始まります。
そのあたりをユルスナールはミシェルの視線とフェルナンドの視線を
交えながら旅行のこと、結婚式のこと、母ノエミ、息子プチ・ミシェルのことを
描いて、話は立体的になっていきます。

結婚してからも、二人はグランド・ホテルを巡る旅を続けていたようです。
リヴィエラ、スイス、イタリアの湖水地方、ヴェネツィア、オーストリア、ボヘミア、
ドイツ、プラハ・・・しかしこのような生活は費用がかさむもので、
ある夏を田舎の家、モン=ノワールのことでしょう、で過ごすことになります。

生真面目ではあるが、無気力で、気弱なところのあるフェルナンドは、
度々被写体にもなっているようなので、その姿を見ることはできます。
でも、この章を読む限り、ロマンティストで歴史が好きであったらしいフェルナンドは、
それ以上の何者であったか、全く手掛かりがありません。
ミシェルのお眼鏡にかかったということは一つの大きなことではあることでしょう。
それなのに何故か影の薄い女性であったようなのです。

この章の最後、つまりこの本の最後の一行にユルスナールの顔が描かれ、
この本は一つの環を作って終わりになります。

2011年8月21日日曜日

8月の雨

ここのところ曇り空に雨模様。
場所によってはかなりの大雨で被害も出ているようです。
本日も日曜日のお休みというのに、
いちにちしょぼしょぼと降り続きました。
暑さが一段落して楽になったと、
よい風に考えましょうか。

仕事場ではここ数日山盛りの業務で、
せっせと仕事に励みました。
当たり前のことで自慢にはならないけれど、
自分自身は達成感があって、ほっとしています。
今日は一日寝るぞと意気込んだのはいいのですが、
ほっとして寝過ぎの反動で鬱状態です。
これが結構怖いのでした。
全く何も手につかず、
ぼんやりと雨音を聞いていました。

今はトニー・ジャッドの「記憶の山荘」を少しずつ、
堀江敏幸さんの「なずな」をじんわりと読んでいます。
「記憶の山荘」は一気に読むと内容が混乱してきそうなので、
一区切りをつけながら進めていて、
「なずな」は小説なので、後半にかけてスピードが上がってきています。
楽しめる読書をしている時が一番幸せだなぁ、
夜になって落ち着いてきたので、
またページを広げることにしましょうか。

2011年8月17日水曜日

「ツバメの谷」

「ツバメの谷」 アーサー・ランサム著 神宮輝夫訳 岩波少年文庫

一年ぶりに湖に帰ってきたウォーカー家の子供たち。
なのに今年の夏は恐ろしい事態が待ち構え、
思いもかけない事故も発生し、さてどうなることか。

いえ、心配ご無用、著者はさらに面白い話を繰り広げてくれました。
子供たちはどんどんと新しい冒険を展開してくれます。
あれやこれやと入り組んで、こんな短期間にこんな楽しい体験が
できるなんて、ちょっとやりすぎちゃう?

そしていつも子供たちを見守ってくれる心優しい原住民たち。
子供たちは安心して、のびのびと夏休みを満喫するのでありました。

1930年代のイギリスの物語です。
幸せだなぁ。

2011年8月16日火曜日

「追悼のしおり」その④

「追悼のしおり」の第3章は
“万古不易の領域を目指す二人の旅人”。
この二人とは、母方の大叔父に該当するといっていいでしょう、
オクターヴ・ピルメとフェルナン・ピルメを指しています。

19世紀に生きたこの兄弟、オクターヴは作家として
5冊の本を発表していたそうです。
フェルナン(通称レモ)は、人道的社会主義者でしたが、
その破滅的ともいえる活動は限界を超え、
自らの命を絶ってしまったとのことです。

この章ではオクターヴを中心に、
その一族についての観察や、
大切な弟レモについて、
その当時のベルギーの裕福な家庭の在り様が
描かれています。

作家としてのオクターブへの言及は殊更厳しいものですが、
ユルスナールはあくまでも距離を縮めようとはしません。

先日の日経新聞にはこの「追悼のしおり」について、
作家の佐藤亜紀氏が書評を執筆されていました。
佐藤氏特有のはっきりとした大胆な口調で述べられた
この本の特徴を読むと、ぼつぼつと読んでいる自分が
少々情けなくなってきます。
この書評について言及しようとしたのは、
オクターブ・ピルメたちについて書かれた章から見え隠れする
ユルスナールの姿をしっかりと捉えられているからです。
引用しましょう。

“弟の自死を自死と書くことさえ自制させる一族の文化こそが、
 どこまでもピルメの筆を抑え、その限界を踏み越えることを
 不可能にしたと語る時、ユルスナールは来るべき世紀の動乱
 を前に消えて行く文化を愛惜しながらも、そうした文化自体
 が不可能になった時代に作品を生み出してきた自分自身を
 見据えている。”

いかがでしょうか。
この章で少々伸びきってしまった緊張感を取り戻して、
再読せねばなりません。

2011年8月10日水曜日

真夏の読書

本物の夏の到来です。
じりじりと陽が照り付けて、
土もアスファルトも焼け付いています。
麦わら帽子をかぶっているけれど、
自分もこんがりと焼けてきました。

ようやく読書のペースが上がってきました。
続いて色々と本を読み始めています。

先日から読んでいた「青い野を歩く」読了しました。
全体を見てみると、なかなか骨太い作家です。
女性なのに、男性の無骨な感じがよく表れています。
もちろん女性の感覚的な感性は生々しいくらいですし、
人間がしっかり描かれている作品ばかりでした。

ユルスナール「追悼のしおり」も再開しました。
最後の章“フェルナンド”にかかっています。
こちらはほんとに毎日数ページずつ進めています。
本音をいうとなかなか噛み砕けていないのですが、
これはヨーロッパの教養人のレベルにはとうてい届かない、
とあきらめています。
なので、内容を理解できているとは考えられないのでした。
文章と雰囲気を味わうという程度でしょうか。

そしてトニー・ジャッド「記憶の山荘」も読み始めました。
まだ最初の数ページですが、
なかなか読み応えがあります。
これからどういう話に展開していくのか楽しみなところです。

夏の間には、アーサー・ランサム「ツバメの谷」も待っています。
夏休みの定番です。

秋にはまた秋にふさわしい本があるので、
どれを読もうか、先を思ってまた楽しみなのでありました。

2011年8月7日日曜日

現代の海外小説

今「青い野を歩く」 クレア・キーガン著 岩本正恵訳 白水社
を読んでいます。
1968年生まれのアイルランドの作家の短編小説集です。
海外で数々の賞を受けていて、評価の高い作家だそうですが、
まず、タイトルが美しくて、ついつられて読み始めました。

文章がすっきりとした端正な面持ちであることが特徴ですが、
タイトルに表れているように、
使われている言葉が美しいことが際立っています。
瑞々しい表現にアイルランドの風景が目に映るようです。
登場人物もくっきりと存在感を放っており、
余韻を残すしぐさや会話、
情景描写も静けさと引き締まった空気を醸し出して、
無駄のない上質の仕上がりとなっています。

といいながら、
好みかと問われると、素直には頷くことができないのでした。
それは作品のせいではありません。
あくまでも好みの問題のようなのです。
これまでも現代の作家で気になる作品をほんの少しですが読んでいます。

エリザベス・ギルバート、ジュンパ・ラヒリ、
イアン・マキューアン、ベルンハルト・シュリンク、
ウィリアム・トレヴァー・・・
上記に挙げた作家たち、実はとても苦手なのでした。

あまりにも痛みが直接伝わってくるようで、
読んでいてつらいのです。
今回も同じような感覚です。

どうして生きていくのはこんなにつらいのに、
さらにつらい気持ちにならなければならないのでしょう?
他者の痛みを分かち合うには、
まだまだ修行が足りないようです。

例外はアリステア・マクラウド。
お気に入りの作家です。

これから読んでみたいのは、カズオ・イシグロですが、
読むことができるでしょうか・・・

2011年8月3日水曜日

「象が踏んでも」

「象が踏んでも 回送電車Ⅳ」 堀江敏幸著 中央公論新社

堀江さんがあちらこちらに書いた文章をまとめたシリーズの
4冊目です。
今回は冒頭に堀江さんの詩「象が踏んでも」で始まります。
詩についてはパスさせていただいて。

最初の一章は比較的読みやすい身近な事柄を取り上げたエッセイが中心です。
読むのが2回目のものも多くあり、
一つずつゆっくり楽しみました。
「純粋状態の白熊」については、以前このブログでも取り上げさせていただきましたが、
(2009.10.21付)
やはり何度読んでも心に訴える内容です。
他には「真夜中の庭に、ひとつの助詞を」で「トムは真夜中の庭で」について
ほぼ解説に近い内容の文章となっているのに参ってしまいました。
素朴な感覚で言えば、「濁りの朝」がとても好きです。
心当たりあり、というところでしょうか。

二章目からは少しずつ難解になり、
知識の無い話題が多いために難儀でありました。
大学入学前にモーリヤック漬けになったなんて、茫然としてしまいます。
こんな40代の人間が読んでも頭を痛めているというのに。

話題は「万葉集」からジャン・ルノワールに及び、
終章の写真のエッセイに関しては、正直にいうと全く付いていくことができませんでした。

こういった豊かな知識と謙虚な好奇心を持って生き、
自分なりの考えにまとめて、文章にできる。
一目つつましやかな方ですが、人には汲み出しきれないくらいの深さがあるのだと、
堀江さんにはいつも茫然とさせられてしまいます。

2011年7月31日日曜日

「猫を抱いて象と泳ぐ」

「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子著 文春文庫

単行本で出たときからこのタイトルが不思議でした。
猫を抱いて、はわかるけど、
象と泳ぐ?
ちょっと難しくない?

内容はチェスをする成長を止めた男の子の話というし、
楽しめるだろうか、付いていけないのではないか?
と不安ばかりでした。

文庫になったからには、ここでトライです。

読みだしてみると、もう止まりません。
すぐにすっぽりと入り込んでしまいました。

シチェーションの面白さ、
人物造形の自然な存在感、
展開の巧みさ、
山場も所々あり、
息もつかせません。
そしてチェスを生かしたストーリー展開の楽しさ。
不思議なタイトルは主人公とチェスを結ぶものでした。

常に漂う不穏感の向こう側には静けさと豊かさが待っているのでした。
これは傑作です、と最後につぶやきながらページを閉じました。

2011年7月27日水曜日

フェルメール

京都市美術館で開催中の「フェルメールからのラブレター展」を
観に行ってきました。

17世紀オランダの絵画でフェルメールと同時期に活躍した画家の作品が
多数出展されていました。

ほぼ全部が室内画で、生活をそのまま描いたもの、肖像画、
風刺画などテーマは様々です。
中心となっているのは、手紙や書物を読むことのできる人々の姿です。
当時のオランダの人々において識字率が高かったことがわかるのです。

フェルメールの作品は3点。
“手紙を書く女”“手紙を書く女と召使い”“手紙を読む青衣の女”
どの作品も緻密で、表情が豊かで、静謐さが滲み出ています。

フェルメールの作品はこれまでも10点ほど観る機会があり、
どの作品も息を飲むほどに美しいものばかりです。
特に精密さに関してはかなりの時間をかけて制作されたのだろうと、
想像できますから、残された作品の数が少ないのもそのためかと思われます。
全体の構成バランスの絶妙さ、光の取り入れ方の効果、
ディティールの正確な描写等に加え、モデルの存在感を引き出した暖かい眼差しに、
これほどの作品を鑑賞できるのは幸運としか言いようがありません。

昔の作品を観るたびに思うのは、生活様式の違いです。
昼間の太陽光と夜は蝋燭の光だけですし、
服装の違いも当然ながらも茫然とします。
科学も医療も食事も情報も全てが異なった現代の暮らし。
遠く隔てて、でも人の心は変わらないと思うのでした。

そして、この絵画鑑賞も本を読むために必要な勉強で、
これらが読むときにイメージとして結びつくよう願うのでした。

2011年7月24日日曜日

ipodを久々の更新

itunesを新しいPCにインストールして、
色々CDを入れてみました。

グレン・グールドのBachを4枚。
    Bachに限らず、バロック音楽は色々聴いてみたいです。
    これから開拓の分野です。

ROVOの「LIVE」これは欠かせません。
    「RAVO」新作あまり聴いていないのでちょうどいいです。

パット・メセニーとブラッド・メルドーのカルテットを2枚。
    本を読みながら、聴くのに心地よいのです。
    3枚目も出るかもしれないですね。

サカナクション「kikUUiki」
       「シンシロ」
       「Night Fishing」
        このアルバムは初めて聴きます。
        なんだか“くるり”っぽいなぁと思いました。

コールドプレイ「Parashtes」
       「A Rush Of Blood To・・・」
やっぱり最初の2枚が好きです。

エクストリーム「Pornograffitti」
       「Saudades de Rock」
        ヌーノ・ベッテンコートのギターが大好きなのです。
        久しぶりに聴きたいと思いまして。

スガシカオ「FUNKAHOLIC」
     「FUNKASTIC」
      さっそく聴いてみたのですが、初期のスガくんびいきとしては、
      サウンドにグルーブ感があまり感じられない、
      ノリの悪い歌ですね・・・再聴する気にならないです。

今のところは以上ですが、
電車で聴くことが多いので、
聴きやすくて、安らぐ音楽をもっと入れたいです。

2011年7月20日水曜日

「未見坂」

「未見坂」 堀江敏幸著 新潮文庫

もったいなくも、さらさらと読んでしまいました。
堀江さんの短編小説には

“身近な人々が、そればかりか私たちのそばにあった事物や
 私たちを包み込んでいた風景が、たえず小さな私たちに
 傾けてくれていたにちがいない配慮を、世界とのそうした
 親密な接触を思い出すこと・・・そのような不思議な
 なつかしさに浸潤される体験”

をさせてくれると、解説の小野正嗣さんは述べています。
堀江さんの短編小説の魅力はこの解説を読めばすっかり
納得がいくのでした。

この本には9つの短編が納められています。
一つ一つ、これはこういう話なんだなとか、勝手に解釈して
読んでいますが、中には少々難しい大人向けの内容もあったりして、
ある程度の年齢を経た人のほうが味わいやすいような気もします。

個人的には、冒頭の一遍、
少年が友人と自転車を漕いで山の麓へでかける「滑走路へ」が好きです。
父の不在、懸命に生きる母とのコミュニケーション、
まだ小学生の幼いはずの少年が自分なりに考え、行動している様に、
一緒に伴走している気持にさせられます。

今日はその少年が友人と新たな冒険に出かける日。
飛行機がやってくる先を望ながら、空を仰ぐ姿が、
すがすがしく、心が晴れるような気持ちにさせられました。

もちろん、舞台となっている小さな町の様々な人々、
少しずつ見られる変化を取り上げている他の作品も、
どれもしっとりと心に馴染むお話ばかりです。

最後に小野さんの解説を読み、いつのときも人が求めているのは、
このようなぬくもりではないかと思うのでした。

2011年7月18日月曜日

「未見坂」読書中

堀江敏幸さんの「象が踏んでも」と並走して、
文庫化された短編小説集「未見坂」を読み始めてしまいました。

堀江さんの視線と登場人物のそれに重なって、
読み手も視線を動かしていくと、
自然にそのシーンが浮かんできます。

物語に入り込みんでいくと、
主人公と同じところで視点がとまったり、
ある部分が気になったり、
そこからある記憶をさかのぼって色々と思い出したり、
と、まるで自分が体験しているかのような気分になってきます。

そういう気持ちの動きは単なる“共感”とも異なるように思えます。
主人公と自分が重なったような感じなのです。

そして物語の終わりにくると、
なんだか泣きたくなってくるのでした。

本当にここで涙を流せば、心がすっきりとするかもしれない。
でも心が固くなっている自分はぼんやりと空を見つめているだけなのです。

2011年7月17日日曜日

「私の中のシャルトル」

「私の中のシャルトル」 二宮正之著 ちくま学芸文庫

十年前ほどに読んだこの本のことを時々思い出します。
恥ずかしながら、正確にはどのような言葉、
文章が記述されていたか覚えていないのですが、
ただ、そこにある思考の奥深さに支えられた静けさが、
一個人の心の中のある一つのスペースを占めています。

久しぶりに取り出してページを繰ってみると、
この文章は確かに読んだとの記憶が蘇ってきました。
ここに書かれている内容は今の自分の生活とは何の関わりもないところにあり、
そのうえはっきりと述べれば、自分の興味の対象でもないのでした。
とはいえ、
エッセイという形式によって、異文化を土台にした思索を辿ることは、
困難な読書ではあるものの、非常に魅力的な光を放つものでもあります。
この本もそういう魅力を感じて読んだのでした。

内容を改めて読むことも必要かもしれないのですが、
この思索という作業が今の自分には最も求めることの一つであり、
それを体現して形を成しているという一つの例として、
大切な本なのでした。

本を広げれば、その著者の世界観に触れることができ、
さらに新たな道を示してくれる、そういう読書が必要な時があります。

著者の二宮正之氏は東大で学び、エコール・ノルマルで学んだ後、
ジュネーブ大学で教鞭を取っておられたそうです。

2011年7月13日水曜日

JAMES BLAKE

新聞の音楽評に“ダブステップを消化した陰影の美しい音楽”と
あったので、興味が湧いて聴いてみました。

スローテンポで、和音の美しい、そして複雑なリズム感を持った、
不思議な音楽です。

夜に静かに聴くのがぴったりです。

歌詞が分かればもっと楽しめるのですが。


 
昨日から、右手の甲の腱鞘炎の痛みに苦しんでいます。
今夜は早く休むことにしましょう。

2011年7月10日日曜日

「追悼のしおり」その③

“邸宅巡り”はユルスナールの出産を書いた“出産”の章に
続いて、母方の祖先について書かれた章です。

ド・カルティエ一族はリエージュ地方の非常に古い家門、
であったようです。
様々な公職に就いた人々も多かったようです。
18世紀頃についてまでの一族の歴史が数ページに渡って、
割かれていますが、ベルギーというより、
ヨーロッパの歴史に疎い者にはなかなか着いていくのがつらいところです。

著述は少しずつ範囲が狭められていき、
フレマルという18世紀に住まわれていた土地には、
ユルスナールも赴き、現代の姿の哀れさにまで、
話は及んでいきます。

一族の系図を手掛かりにしながら読み進んでいくと、
すぐにわかることなのに、今さらながらわかったのが、
母親の両親はいとこ同士なのです。
そしてその間には10人もの子供がいました。
そのことが詳しく書かれています。
祖父アルチュールと祖母マチルド。
マチルドが毎朝村の教会のミサに出かける場面は、
想像でしょうが、とても美しいシーンです。

スュアルレという場所に母親は10番目の子供として生まれました。
ユルスナールも母の兄弟、叔父たちと会っており、
その記憶が書き込まれています。

詳しい地図と一族の面々の肖像画、写真などがあれば、
どんなに助かるかと思われるほど、
多くの人々が登場し、頭の中は混乱するばかりです。
系図を見れば、ある程度限られていることに気づかされます。
ちょっとマップでも書いて整理してみたい気分です。
そんな山を乗り越えたところ、
祖母マチルドの死でこの章は幕を閉じます。

2011年7月9日土曜日

梅雨明け

近畿地方も梅雨明けし、本格的な夏を迎えました。

周りの植物を見ていると、少々おかしな感じがします。
職場の朝顔、葉っぱがほとんどなく、青い花ばかりが咲き乱れています。
そういえば、他所の朝顔も葉が少ないような気がします。
品種のせいでしょうか。
皆様のところはいかがですか?

家の庭の芝生も今年は全く伸びません。
土が目立っていて、青々とした夏の勢いがありません。

メドウセージは盛夏に咲くはずなのに、
梅雨時期から咲き始めました。
ノウゼンカズラもすっかり花盛りです。

と、何気なく見ているだけで詳しいことはわかりませんが、
夏の緑に元気がないのは気になるところです。

2011年7月6日水曜日

読書いろいろ

ユルスナールの「追悼のしおり」を読むことができずにいます。
集中ができる、まとまった時間がなかなか無いのです。
時間がある時は気分が乗らない。
一応持ち歩いてはいるのですが、
言い訳でごまかしています。

月初なので、恒例のPR雑誌「ちくま」「図書」「波」を
せっせと読んでいました。
今月はどれも読むところが沢山あって、
時間があっという間に過ぎていきます。

それと月に2回だけ発行される朝日新聞の新日曜版「GLOBE」。
これがなかなか視点がグローバルで面白いのです。
ゆっくり、じっくり読みます。

購入してからしばらく置いてあった堀江敏幸さんの「象が踏んでも」を
ようやく読み始めました。
なんだか男性の書いたエッセイが読みたくなったのでした。
一気に読むのはもったいないし、
文字が滑っていきそうなので、
これも少しずつ進めていこうと思います。

2011年7月3日日曜日

コツコツ

新しいPCは微妙にキーの位置が狭まっていて、
ミスタッチばかりしています。
なかなか進みません!

7月に入って夏だし、今年の後半にも入ることだし、
できるだけ一からシンプルに必要なものだけに
したいと思っています。
まずは“お気に入り”を減らすこと。
そしてituneをインストールし直す際に、
できるだけ新しい曲を入れること。

目の前に手作りの7月のカレンダーを貼りました。
今月の写真はベルギーの海。
白い砂浜と青い青い海、遠くの青い空がひたすら美しい。
ベルギーも憧れの地。
いつの日か訪れたいと願っています。

2011年6月30日木曜日

あらためまして、こんにちは

新しいパソコンがやってきました。
東芝dynabookのT351です。
白くて横長のちょっと初々しい奴です。

これから色々と使えるようにセッティングしていくところです。

パソコンを選ぶ際に感じたのは、
もうすっかり家電と同様だということ。

とはいえコンセントを入れただけで使えるわけではありませんから、
ユーザーに合わせて、コーディネイトしてあげねばなりません。
自分の使いやすいようにするために、
あれこれ遊びながら、セッティングしていこうと思います。
読書だけでなく、こちらも時間をぽちぽちかけながら。

2011年6月23日木曜日

PCクラッシュ

が~ん。
自宅のパソコンが潰れてしまいました。
去年2回も修理に出しましたが、
もう7年目に入るので、
いい加減にあきらめます。
しっかり働いてくれたから。

さて、新しいPC選びです。
これはまた楽しい作業ですね~。
いそいそ。

2011年6月19日日曜日

湿疹

読書と全く関係のない、このごろの話です。
近頃これまで順調に使っていた化粧品がぴりぴりとするようになりました。
比較的穏やかな保湿タイプを選んでいたはずなのにと、
少々悩んでいましたが、
そこへ湿疹が発生。顔が赤らんでいます。
かさかさするし、なにしろかゆいです。
仕方なく皮膚科に出かけ、塗り薬を処方してもらいました。
もともと首や肩など皮膚の弱いところに湿疹ができることがあったので、
少しはアレルギーがあるのはわかっていたのですが、
顔に出るとやはり抵抗がありますね。

というわけで、化粧品も敏感肌用のものにチェンジ。
しばらくはおとなしく様子を見ようかと思います。
お肌も曲がり角のお年頃ですし、
体調や気候の変化もあるので、不思議はありません。

このごろは読書も進まない低迷期でもあるので、
ダウン気味なのかもしれません。

2011年6月15日水曜日

「記憶の山荘」などを購入

常用のお薬が多少多くて効き過ぎているのか、
眠くてたまりません。
お休みの日はほとんど寝ています。
起きている時間を片手で数えられるくらい。
お薬の量の調整をしなくては。
というわけで読書はちっとも進みません。
困ったなあ。

そのくせ、本屋さんの近くに行くと、
寄らずにはおれません。

今回の買い物は、
しばらく前からみすず書房のHPで気になっていたトニー・ジャットの
「記憶の山荘:私の戦後史」。
歴史のコーナーで見つけたのですが、
現代史の研究者として著名な方のようです。

そして「フランス文学をひらく」慶應義塾大学フランス文学研究室。
これは、フランス文学を文学史の視点ではなく、
文化等の個別のジャンルから光を当てた文学研究の本のようです。
大学の授業みたいな感じで面白そうです。

帰ってから本棚を眺めてみたら、
すぐにでも読みたい本がずっしりと積んであります。
スーザン・ソンタグ、アッシジのフランチェスコについて書かれた本、
マルグリット・デュラスの伝記評論、ムーミン関係、
シモーヌ・ヴェイユも棚上げだし、
始めたばかりのプルーストが待っています。
一日の数時間を読書に当てられたらいいのですが、
現実には集中力と体力が持ちません。。。

まずは、「追悼のしおり」を続いて読んでいきましょう。

2011年6月12日日曜日

梅雨の日曜日

雨降りですね。
この梅雨の時期から夏にかけて、
被災された方々はどのように過ごされているのかと、
気になります。
目がまわりそうなくらい多くの課題が山積しています。
政治家の駆け引きを見ていると、
やることまだあるやろ!とつい呟いてしまうのでした。
そういう自分も何一つできていません。

職場ガーデンではアサガオが元気に蔓を伸ばし、
ラベンダーが次々と咲いています。
ラベンダーは摘んで、乾燥させて、家で飾っています。
この小さなドライフラワーのおかげで、
部屋がほんのり草の香りがします。

今週は仕事がひと段落するはずなので、
落ち着いた日々をすごせるかなと期待しています。

2011年6月9日木曜日

「追悼のしおり」その②

第一の章“出産”を読み終えました。

母フェルナンドは一瞬意識を取り戻したときに、
“自分がどこへ行こうか理解できた瞬間のひとつに”
夫にこう言ったのです。
「もしもこの子が修道女になりたいと思うことがあれば、
 その願いを邪魔しないでほしい。」

父ミシェルはそのことを一言も伝えたことがなかったし、
叔母ジャンヌも口を噤んでいたので、フロイラインだけが、
くどくどと繰り返し言い聞かせたようです。
その言葉から、娘は母の勧めの由来を推察します。
そして自身はその言葉だけでなく、“自由を不当に侵害する”事柄から、
後ずさりするのでした。
もう7,8歳の頃にはそういった自我がはっきりと芽生えているのでした。

53年もの歳月を経て、ユルスナールは母の墓地を訪ねます。
その際には「黒の過程」で描かれたミュンスターの街にも立ち寄っていて、
その街とその背景にある歴史をなぞっていますが、
ここには、人間のある一つのありのままの姿が記されているように思われます。
そしてブリュッセルの古典美術館ではブリューゲルの作品の何点かを
鑑賞しています。ブリュッセルに行ってみなくてはなりません。

母方の墓地を訪ね、その一族の名前を思い返すとき、
“これらの墓石について思いめぐらしながら気づいたのは”
“私がこれらの人々を不当に自分に引き寄せているということだった。”
ユルスナールを読んでいてよく思うことは、
私たちが考えたり、ふと頭の中をよぎるような想いを、
ユルスナールははっきりと解析して、言葉に置き換えているということです。
ひとつひとつ立ち止まって考えることを止めてしまい、
足早に先へ進もうとしている力を、ユルスナールは差し止めます。

母フェルナンドが残したものの内、処分できなかったもの、
手紙や文書、身につけていた小物などを父ミシェルは小箱にしまいこみました。
それらをのちにどのように扱ったか、ユルスナールは一つずつ片付けていきます。
“私たちは人間的個性なるものにこんなにも執着しているが、
 それがいかに取るに足らぬものかを証し立てるのは、その個性を支え、
 時にはその象徴ともなるオブジェ類が、やがてそれ自体無効となり、
 損なわれ、最後には消滅する速さをおいてほかにない。”

ユルスナールの文章を辿りながら、果たして自分はどうであったかと考え、
そしてユルスナールの下す結論にしぶしぶながら同意する。
そんな読書となっています。

2011年6月8日水曜日

「追悼のしおり」その①

ようやくユルスナール「追悼のしおり」を読み始めました。

第一章は“出産”。
ブリュッセルでマルグリットが生まれたことを指しています。

この章では、父ミシェルと母フェルナンドが、
ブリュッセルに居を構え、生活を始めた前後の頃の話が
詳しく書かれています。
人から聞いた話がほとんどのはずなのに、
まるで自分で見たか、直接聞いたか、創作しているかのように、
筋も自然に成り立っています。

主に母フェルナンドがどのような人であったか、
独特な魅力の持ち主で、とくに声が美しかったようです。
想像力と奇想に満ち、読書好きで、古典語も少し理解した
とても信心深い人だったようです。
そして体の不自由な姉ジャンヌを深く愛し、
ジャンヌのお世話していた幼女の頃からの子守役であったフロイラインを
とても大切にしていました。

五人の兄弟と四人の姉妹を持ったフェルナンドと、
再婚したミシェルには、ノエミという大きな権力を握った母がいました。
この章ではこのノエミの横顔が少し見られます。
ミシェルはユルスナールが生まれたときには49歳。
始めの結婚生活は15年も続いて、
既に19歳になる息子プチ・ミシェルがいました。
プチ・ミシェルは祖母ノエミのお気に入り。
なので、ミシェルに二人目の子供が生まれたことを、
あまり快く思っていなかったようです。

ユルスナールを難産の末生んだ母フェルナンドは、
産褥熱と腹膜炎のため、10日後亡くなります。

というような内容は生を受けた人には誰にでも個々にあるエピソードですが、
ユルスナールは人々の心理を推察しながら、
特に父ミシェルの立場を踏まえて、描いています。
そして、ユルスナールらしい慧眼を用いた言葉で、
人々の言動を受け止めています。
その1900年当初の当時、彼らのような貴族の末裔たちが
暮らしていた実態を書きとめているというわけです。
出産がどのように考えられ、受け止められていたか、
一つのケースとして見ることができるでしょう。
ノンフィクションとも違い、小説でもない、
回想という形に冷静な客観性を用いたユルスナールならではの
仕事と思われます。
自分のことを愛情を込めた上で、
これだけ淡々と話を運ぶのは難しいことだと思います。

まだ47ページまでしか読めていないので、
“出産”の章は続きが残っています。
これからどうなっていくのでしょう。
大切に少しずつ読んで参ります。

2011年6月5日日曜日

充実しない日々

しばらくは大きな予定も無いことだし、
平和に読書を楽しみたいと思っていたのに、
仕事で思わぬアクシデント発生。
とたんに弱気になってしまいます。

弱気になったら、
馬鹿馬鹿しいことを考えたりして、
脱線が続いてしまいます。

というわけで、
全く読書が進んでおりません。
手元にはこんなに素敵な本がどっさりあるというのに。

来週は方向転換して、
スィートな気分で参りたいと思います。

2011年6月3日金曜日

レミントン10周年

いつもお世話になっているサイトの
“堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル”が10周年を迎えられました。

堀江敏幸さんの本や寄稿、講演等のニュースを事細かく、
いち早くお知らせしてくれますので、
堀江さんファンには無くてはならないサイトです。

6年くらい前にその存在を知り、
関西でのオフ会にも一度参加させていただきました。
同じ作家の作品を愛する人々にお会いできたのは、
とても貴重な体験でありました。

堀江さんの活動が飛躍されるとともに、
このサイトもさらに多くの人が訪れて、
覗くこともとても有意義で、楽しませていただいています。

管理人の齋藤氏のますますのご活躍をお祈りしております。

2011年5月29日日曜日

雨の日曜日

木曜日から梅雨と台風が重なって、
ずうっと雨が続きます。
あまりの湿度に体も重く、
いろんな匂いがつきまといます。
洗濯物も片付きませんね。

去る5月7日にジュンク堂で行われた<鹿島茂×堀江敏幸>の公開対談を
ネットで見始めました。
白水社のHPから簡単に入ることができます。
のっけから鹿島先生がボス的な存在感で押してくれます。
そこを堀江さんがさらりとしたちょっとおとぼけ感で受け答え。
実に面白いです。

関西ではなかなかお目にかかれないお二人なので、
動画のおかげで楽しむことができるのはありがたいところ。

雨の日の楽しみとして、
この梅雨の間、ネットを活用して色々遊んでみようかと思っています。

2011年5月28日土曜日

ユルスナール関連情報です

「ふらんす」の6月号はユルスナール特集でした。
<世界の迷路>の発売に合わせてですね。

今年に入ってから、もうフランス語の学習は無理なのだから、
年間申込するのはやめようかと考えて、
「ふらんす」を店頭で購入していたのですが、
今月に限って、もういいかと買っていなかったのです。
ユルスナール特集を知って、大急ぎで買いに走りました。
テンションがぐぐぐっと上がったのであります。

そして、この<世界の迷路>の訳者陣が明らかになりました。
第一巻は岩崎力さん、第二巻は小倉孝誠さんであることはわかっていたので、
もしかして、もしかしたら・・・と思っていたら、
第三巻は堀江敏幸さん!!!
すっかり舞い上がってしまいました。

しばらくは<世界の迷路>第一巻「追悼のしおり」と、
堀江さんの新作に浸らせていただきます。
幸せです。

2011年5月25日水曜日

ユルスナール「追悼のしおり」を入手しました

本日は上記の本の刊行日。
仕事はお休みでしたが、もともと大阪に用事があったので出かけていました。
合間を縫ってジュンク堂へ駆けつけます。
あった、あった。
昨日も一応行ってみて、まだ未入荷であることを確認していました。
宝物の一冊がまた増えた気分です。
まだ読んでいないのに。
さ、週末には読み始めるといたしましょうか。

2011年5月22日日曜日

アサガオ

何もしない間に一週間が経ってしまったのでした。
少々気持ちがフラットになっていて、
新しい本を読む気にもなれず、
仕事のことだけを考えておりました。

昨日は職場ガーデンに新顔としてアサガオを植えました。
アサガオの季節だから、種でもと思い、
ホームセンターに行ったのですが、
昨今昔小学校で植えたような素朴なアサガオって、
あまりないようですね。
シンプルな白いのが欲しかったのですが、
改良種が多く、結局オーシャンブルーという、
丈夫で長く咲くという青い苗に落ち着きました。
会社に戻ってさっそく植えて、
丈夫に育てと願ってお水をたっぷり上げたのでした。

今日は雨で一日のんびり過ごしたので、
今週はいろいろ予定が入っているし、
待望の本たちが出版されるし、
テンションが上向きになればと思うのでした。

2011年5月18日水曜日

「スワン家の方へⅠ」を読み終えました

「失われた時を求めて」 マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 の第一巻
「スワン家の方へⅠ」をようやく読了しました。

この巻では、主人公が眠りにつくときに思い出す幼い頃の思い出が
綴られています。
場所はコンブレー、そこに住む人々との交流、スワン家の方への散歩、
最後にゲルマント家の方への散歩。
どのエピソードも後々の語りに繋がってくるかと思われます。
なんだかそういう風に感じるのです。

ちなみにざっくりとした筋は知ってはいるものの、
細かい知識は全く持たずに読んでいます。
この作品に関する図書も数多くありますが、
手を出していません。

ただ読んでいるだけですが、
一巻だけでも、その濃密な時間の流れ、そして主人公が回想するにあたっての
意識の移り変わりの表現の巧みさ、描写される人々の人柄・個性、
さらりと表現されている風景の数々は、
いずれも色鮮やかでそれにセピア色にヴェールをかけてあるようなイメージです。
一言でまとめるなら、豊かな世界がそこに広がっています。

文学として読むに当たっては、全く力不足なので、
これから解説などの前後の文章を辿って、
この幼い感想に肉付けをしたいと思います。

2011年5月14日土曜日

久々本屋さん

久しぶりに大きな本屋さんに出かけてきました。
5月2日に出ていた堀江敏幸さんの「なずな」を買いに行ったのでした。
大阪で仕事をしなくなってから、
発売日に本が買えなくなってしまって、
大変難儀であります。

無事に手にした「なずな」は、
堀江さんの本の中では一番の分厚さ。
読み応えありそうです。
先月末には「未見坂」も文庫化されたし、
今月25日には「回送電車Ⅳ」が発売予定だし、
堀江さんラッシュです、嬉しいなぁ。

他には、
「アメリカ講義」 イタロ・カルヴィーノ著 岩波文庫
「フーコー」 フィリンガム著 ちくま学芸文庫
(これはイラスト仕立てになっていて、すごい迫力です)
を購入いたしました。

森まゆみさんの「“即興詩人”のイタリア」も読んでみたい、
とうずうずしましたが、というのも、
かの「即興詩人」をするすると読めなくて困っているからでして、
これを読まずして、須賀敦子さんのことはわからないと思っているからには、
どうにかして目を通しておきたいところなのです。
この本のことは頭にインプットしておくとしましょう。

さて、手に入れた本を広げる前に、
「失われた時を求めて」Ⅰの続きへ戻らなくてはいけません。

2011年5月11日水曜日

「バルテュス 自身を語る」

「バルテュス 自身を語る」 バルテュス 聞き手:アラン・ヴィルコンドレ
              鳥取絹子訳 河出書房新社

取材嫌いと知られたバルテュス。
晩年に2年間かけて口述された回想記です。

幼い頃の記憶、
リルケから送られた言葉の数々、
描くことを信じ始めた頃、
イタリアでの修行時代、
ピエロ・デッラ・フランチェスカやマサッチョ、
ジョットーの偉大さ、
ピカソやジャコメッティとの交友関係、
アンドレ・マルローとの関係から、
ローマでのメディチ館の復旧時代。
妻節子の献身的な支えへの感謝。
そして、カトリック、神への信仰。
その他にも関わった人々、関心を持った事柄、
バルテュス自身が辿った道を、
静かに語っています。

常に自分を信じ、神を信じて、
孤独の中を少しずつ歩んできた長い道のり。

絵を描くことへの慎重さについて、
自然の光を重要とし、
天使が横切る瞬間を描こうとしていたと述べています。
“祈るときのと同じように絵を描く”
そのことを繰り返しています。

そのようにして描かれた作品の数々と、
このバルテュスの言葉を照らし合わせてみると、
一つの人生が大きな仕事を成し遂げた証を確かめることができます。

バルテュスの作品に惹かれる理由の一つは静謐さにありました。
ここに残された言葉を持って、その静謐さがどのように描かれたのか、
おぼろげながらわかってきたような気がします。

2011年5月8日日曜日

「トーニオ・クレーガー」再考

先日読んだトーマス・マンの「トーニオ」について考えていました。

トーニオが言う“普通の人”って誰だろう。
ハンスやインゲボルグはその象徴として描かれているけれど、
“普通の人”が悩みや苦しみを知らないわけではありません。
そしてトーニオが書いた作品の読者にも多くの“普通の人”がいるのです。
“平凡でいることの幸福に対する憧れ”というのは幻想なのです。
トーニオは“普通の人”と“美の崇拝者”である芸術家の二つの世界に立っている、と
リザヴェータへの手紙に書いていますが、
この言葉の意味を知るのは真の芸術家、才能に溢れる作家たちだけかもしれません。

そのように“普通の人”を定義しているトーマス・マンは、
この作品を書いた時、まだ若かったのでした。

というのも、全くの“普通の人”である当方、
なんだか違和感を感じたのでありました。

もちろん幼い頃には、友達の輪に加われずに悩んだこともよくありました。
返って自分が“普通の人”過ぎて、人の持つ“秘密”を知らないからだろうと、
考えていました。確かに外見だけでなく、神経も能力も体力も鈍かったので。
今に至っても、きっと自分はトーニオの立場には永遠に立つことが無く、
リザヴェータのように、話相手となっただろうと思っています。
機転の利かない、平凡な返事だけしかできないでしょうが。

2011年5月7日土曜日

休み明け

たった2日しか出勤していないというのに、
なんでしょう、この疲れは。

久しぶりに皆の顔を見て、書類を見れば、
やらなくっちゃと、せっせと仕事に励んだわけですが、
せっかく休み中に充電した体力を
もうすっかり消耗してしまいました。

今日はとても晴れやかなよいお天気でした。
風もさわやかでしたね。

今晩は早めに寝て、
すがすがしい新しい明日を迎えたいと思います。

2011年5月5日木曜日

GW終了

今日はゴールデンウィークの最終日。
明日は本当は定休日なのですが、
そろそろ月初の仕事に手をつけた方がよさそうなので、
お当番で出社します。

5日間もお休みがあったのに、
結局あまり本も読まず、勉強もせず、
いつものことながら、成果がほとんどありませんでした。
夜も寝て、昼も寝ているからね~。
猫並みでありました。

外を見ると、新緑がぐんぐん伸びてきて、
季節の変わってきたことをしみじみ感じます。
この過ごしやすい時期に、
やっておきたいこと、
体調のメンテナンスと、読書の道筋をしっかりつけたいなと
思っています。
体調が思わしくないと、仕事にも支障があるし、
読書もできない。
そして、読書がしっかり出来ていると、
生きている実感を感じることができますから、
重要な生きるための行動です。

2011年5月4日水曜日

神戸へ

今日はお休みにしては早くに目覚めました。
というのは、母の日が間近ということで、
母とデートで神戸に行くからなのです。

今日は大阪駅北の三越伊勢丹とLUCUAのオープンと重なって、
梅田へどんどんと人が訪れています。
そこから西に向かってGO!
元町で降りて、まずは腹ごしらえ、
中華料理の順徳へ急ぎます。
開店して15分くらいしか経たないのに、もう満員。
どうにか円卓に滑り込んで、
大好きなネギ汁ソバ、牛肉の炒め物、エビシューマイを食しました。
周りの老夫婦や若夫婦、家族連れ、若い二人連れ、
皆々健啖家で、ぱくぱく平らげておられました。

満足したところで、近くの文具店ONEWAYへ。
久しぶりにオリジナルの本型ノートを入手。
ちょっとした仕事用の文具も一緒に購入して、
今日のメインのRolloへ。
アンティークのボタンを主に、様々な小間物が各種並んでいます。
使わなくても、手に入れてお守りにしたくなるような、
お気に入りになりそうな物がたくさんあるお店です。
メダイを買おうか迷いましたが、
もう少し考えようと思い、今日は止めておきました。
次は近くのRolloStock。
こちらは趣のある生地やレース、テープなどが揃っています。
洋裁の腕があるなら、ここの生地を使って、
いっぱいワンピースを作りたい!とため息。
そこから少し北にある姉妹店ブロカント・ティトへ。
こちらはヨーロッパの可愛いチケットや紙袋、封筒、メモ、
食器もありますし、全てこちらもアンティークのようです。
とても風情のあるお店です。
きれいな模様のパラフィン紙を購入しました。
お気に入りの本のカバーにするつもりです。

さて、バター珈琲で一休みした後は、
栄町のケーキ屋さんMontPlusへ。
以前から気になっていたお店でしたが、
洋菓子好きの感想としては、普通の美味しさかな。
それになんだか落ち着かないお店でありました。

栄町は小さなお洒落なお店がひしめいていて、
皆自分の贔屓のお店があるようです。
初めて覗いた東ヨーロッパ系の雑貨を置いているお店では、
素朴な雰囲気にわくわくさせられました。
そして、通りがかりに大好きなPlageに入ることができました。
小さな小さなお店で、輸入の紙を中心とした文具が置かれています。
とても丁寧にセレクトされていて、センスの良さに酔わされます。
気分で選んでもうまく使いこなせないともったいないので、
次回は目的を絞って訪ねようと今回は失礼しました。

その後は、ええと、大丸に寄ったり、Bshopの本店を覗いたり、
クロワッサンの店で食器を見たりして、
とことこと三宮まで歩き、最後の締めににしむらで一休み。

思っていたより時間が経っていたので、
そろそろ帰る時間かな・・・と席を立ちました。
人も多く、慌しく過ごしたので、あんまり気持ちにゆとりはなかったような。
母の日に相応しかったか、少々不安ですが、
母と出かけることもあまりないので、
久しぶりでよかったことにしておきましょうか。

2011年5月3日火曜日

「大きな1年生と小さな2年生」

「大きな1年生と小さな2年生」 古田足日著 偕成社文庫

小学校1年生のときに買ってもらった一冊でした。
ホタルブクロというキーワード以外をすっかり忘れてしまっていました。

大きな1年生のまさや。
小さな2年生のあきよとまり子。
小学校で起こる小さな諍いやとまどいを、
まさやはあきよとまり子の姿を見ながら、
少しずつ自分なりに感じ取っていきます。
それが、本当にあるような出来事ばかりなので、
低学年の小学生にも共感を呼ぶのでしょう。

物語のクライマックスは、
まさやが思いがけない冒険にでかけるところにあります。
そういえば、レイの花を目印に置いていったけ。
そういえば、カルピスをいただいて喉をうるおしたっけ。

大人には想像もつかないことを仕出かすのが子供たち。
こういう経験を経て、少しずつ成長していくのですね。

子供心に地味な作品だと感じていましたが、
大人になってようやくその作品の意味を知ったような気がします。

2011年5月2日月曜日

「バルテュス 自身を語る」途中

眩暈がするほどの陽光の中を、
奈良公園へ出かけてみました。
開放的な気分になった人々が押し寄せています。
どの道を行っても、大きな声が響いているし、
黄砂のせいもあって土ぼこりがひどいし、
初夏を思わせる暑さで、すっかり参ってしまいました。
木陰で本でも読もうと思ったのが間違いで、
早々と引き上げてきました。

読みかけていたのは、「バルテュス 自身を語る」。
納得のできる言葉が並んでいて、
とても心が安らぎます。
絵画については様々なアプローチ方法があって、
人によって考えは異なるでしょうが、
私はバルテュスがこの本で述べていることに、
諸手を挙げて賛成する立場です。
まだ自分の考えが定まらなかった頃には、
絵画を手当たり次第観ていましたが、
見方が悪いのか、よくわかっていないからか、
近頃では、好きか、嫌いかだけで観るようになっています。
では好きという場合はどういう絵や写真であるか。
これもはっきりとしていません。

そんな気分だけで観ようとしている者に、
これはぴったりの本です。

バルテュスが何を重要視していたのか、
懇切丁寧に繰り返し語られています。

現在半分まできましたが、
一読しただけでは、頭の中が整理できないでしょう。
せめて、何故自分がある特定の絵画や写真に惹かれるのか、
その答えを見つけることができるかもしれません。

2011年5月1日日曜日

ゴールデンウィークの始まり

今日からゴールデンウィークです。
空模様は雨だけれど、気分はのんびり、ゆったりです。
5月25日までに「失われた時を求めて」第1巻を読み上げようと考えて、
ぽつりぽつり再開する予定です。
後もう2冊ほど、このお休みの間に読む予定。
 
今日のクライマックスは“天皇賞”。
一着はヒルノダムールでした。
確かYさんが予想していましたが、
Hさんと当方は大はずれもいいところ。
長距離のレースだったので、
見ているだけでも面白かった。
最後には大はずれに大笑い。
予想と違うところがまた楽しいところでしょうか。

2011年4月29日金曜日

「偶然の祝福」

「偶然の祝福」 小川洋子著 角川文庫

大阪の本社に行く途中、いつもはうたた寝しているのに、
何か読みたくなったので、途中下車。
小さな町の小さな本屋さんに寄って、選んでみました。

これは2000年に単行本が出ているそうなので、
もうずいぶん前の作品になりますね。
ある作家が語る短編小説です。
以前の小川さんの作品は
常に死の気配が漂うものが多かったように思います。
この本もそういったどこかひんやりとして感覚が、
底辺に忍んでいて、少々怖さも感じられます。
その中に「キリコさんの失敗」という、
優しさと思いやりとユーモアが溢れる作品がありました。
これは愛情が前面に感じられる作品として、
その後の小川さんの作品に通じるように思い当たります。

小川さんの作品では、語り手の心情が、
天候や状況展開に及んで描かれることが多くて、
そのたびに読み手の気持ちも揺さぶられます。
すぐに影響を受けてしまう読み手は、
本を選ぶ際には、気をつけておかなくてはいけません。

2011年4月27日水曜日

ハーブガーデンにしたいな

会社でのグリーン作戦を、
薔薇からハーブに方向転換しました。

ハーブは大好きで、これまでにも育てたことがあるし、
緑も綺麗。自然な香りが広がるし、
何しろ育てやすい。
手軽に入手できるようになったことも一つあります。

早速、這うタイプのローズマリーを、
白い陶製の植木鉢に植えてみました。
うまくいけば、噴水みたいにこんもりとなって、
きれいなシルエットとなるでしょう。

そして大好きなイングリッシュ・ラベンダーを2本、
お揃いの植木鉢に植えてみると、
一週間で青い花芽が色づいてきました。
この香りがとっても好き。

後はタイムを大きめの鉢に何かと寄せ植えにしようかと、
計画中です。

できればバランスを考えて、オリーブが欲しいところです。
と言っても、自前の予算も、会社にある鉢にも、
時間も手間も限界があるので、
これくらいにしておかなければ、
仕事よりガーデニング担当になってしまいます!

薔薇は来年の春、暖かい時期に、
しっかりとした苗を買い直そうと考えています。

それにしてもハーブは地味目な花だから、
会社の人は魅力に気づいてくれるかしらん。

2011年4月24日日曜日

「ピエタ」

「ピエタ」 大島真寿美著 ポプラ社

タイトル「ピエタ」と聞いて、
海外文学やキリスト教文化に関心のある人は、
知らんふりできないと思います。

これは、18世紀のヴェネツィアにあるピエタという慈善院で
育てられたエミーリアを語り手とする小説です。
話の軸にはかの音楽家ヴィヴァルディが居て、
ヴィヴァルディ没後のエミーリアを始めとする女性たちの結びつきが、
描かれています。

お話は巧みに入り組んでいて、
人物の設定も多彩で各々が重要な役目を担っています。
たいへん楽しく読むことができました。

全体を通して、柔らかな語り口と深い愛情が貫かれており、
それは作者の意図による語り手エミーリアの人物造型なのか、
穏やかなたたずまいが感じられます。

それは、逆に言えば、締りが無く、頼りなさも感じさせるものです。
個性的な役割を担う登場人物たちの人柄は伝わるものの、
人物の個性までは明確でなく、平坦に写るのも確かです。
主要舞台であるピエタそのものの存在感も薄く、
ピエタに住み、仕事に従事しているエミーリアとの関わりも、
あまり言及されていません。

ヴェネツィアの美しさも画家カナレットとサンダロという乗り物で、
海から眺めたときのような描写がもう少し深く描かれていたら、
さらに美しく感じられるような気がします。

18世紀のヴェネツィアの状況については、
そこに住む女性の目で見、感じることが書かれています。
そのあたりはしっかり感じ取られます。
先に述べた、エミーリアの視線にもう少しシビアな感覚が盛り込まれていれば、
さらに舞台、人物、ストーリーが際立ち、
骨格のしっかりした小説になったような気がして、
少しもったいない気がするのでした。

2011年4月20日水曜日

悲しい薔薇たちの運命

ああ、豊かに咲き誇る薔薇たちよ、
それは夢の中でのことに過ぎず、
あえなく春の日に立ち枯れていったのであった・・・

大げさですが、本当の話です。
冬に購入したミニバラのオーバーナイト・センセーションと、
ツルバラのピエール・ド・ロンサールは、
会社で注意を払いながら育てていたのですが、
一度葉を伸ばした後、あっけなく枯れてしまいました。

ピエールをどうにか救いたいと思い、
慌てて植え替えをしてみたのですが、
根が全く伸びていなくて、
黒い塊と化していました。
これでは、成長するはずがありません。

家でも同じお店から取り寄せたアイスバーグが、
全く同じ状況になりました。

水遣り、日光に当てる、温度差があるときは屋内に入れて等、
考えていたのですが、他の薔薇たちは大丈夫なのに、
同じお店で買った3鉢がだめでした。

残念というか、くやしいというか、哀れというか、
なんとも複雑な心境です。

しばらく薔薇は棚上げとします。

2011年4月17日日曜日

リザヴェータという名に

「トーニオ・クレーガー」において、
成人した主人公トーニオはミュンヘンで、
友人の画家のリザヴェータを訪問するシーンがあります。
また、小説の最後でリザヴェータへの手紙に自分が愛する人々への気持ちを
託しています。
このリザヴェータ・イヴァーノヴナは重要な役割を担っているのです。

「トーニオ」が書かれたのは1903年のこと。
それより前、1866年にもリザヴェータが登場する作品が書かれています。
ドストエフスキーの「罪と罰」です。

ここでは、主人公ラスコーリニコフが高利貸の老女アリョーナ・イワーノヴナを
殺害することが大きな事件の始まりとなっています。
アリョーナの妹のリザヴェータ・イワーノヴナはこの事件に巻き込まれ、
ラスコーリニコフに殺められてしまいます。

そうです、同じ名前なのです。
研究者さんの間では判明していることなのでしょうが、
さて、どういった訳があるのでしょうか。
トーマス・マンに尋ねてみたいところです。

2011年4月15日金曜日

ユルスナールの<世界の迷路>がついに

「白水社の本棚」によると、
5月25日にマルグリット・ユルスナールの
<世界の迷路Ⅰ>「追悼のしおり」がついに刊行されるとのこと。
訳者は岩崎力さん。

<世界の迷路>は日本語で読むことはできないだろうと、
あきらめていただけに、飛び上がるほど嬉しいニュースです。

今からもうどきどきです。

2011年4月13日水曜日

「トーニオ・クレーガー」

「トーニオ・クレーガー」 トーマス・マン著 平野卿子訳 河出文庫

昔読んだ「トーニオ」は少々陰気な雰囲気をかもし出していて、
北ドイツ(たぶんリューベック)が舞台だから、
仕方が無いのかと思っていました。
それに硬さもあって、親しみが湧かず、
「ブッテンブローグ」と「魔の山」は大好きだけれど、
これはちょっと違うと脇においてありました。

この平野さんによる新訳はそんな印象を拭い去る快訳です。
北国の暗いイメージに軽やかで華やかなハンスが印象的で、
主人公トーニオの切ない気持ちの揺れが伝わってきます。
その後に出会ったインゲボルグの印象もハンスと同じく、
主人公の性分とは相容れることなく、憧れの対象として描かれます。
しかしトーニオは自らの生来の天分を信じ、
芸術家への道を歩み、文壇で作品が認められるようになるのです。
そのトーニオは、親友リザヴェータ(この名前には何か意味があるのでしょうか)
に胸の内を吐露し、そののち故郷とデンマークを訪ねます。
成人してから見る故郷の町。
変わらぬもの、変わった自分を再確認して、
デンマークの避暑地に出かけたトーニオは、
そこで幻のハンスとインゲボルグに再会します。
子供の時分から理想的な市民の典型=普通の人に見えた二人。
そこでトーニオは改めてこれまでの自分の過ごしてきた日々を振り返り、
そして“迷子になった普通の人”である自分の行くべき道を見据えるのでした。

このように筋は特に変わったところの無い作品ですが、
主人公トーニオの造型が深く掘り込まれているのが特徴だと思います。
もちろんトーニオのモデルはトーマス・マン自身でしょう。

筋を置き換えて、若き頃を振り返り、これまでの人生、思考について考えてみるのも
一考です。いや、そのための一冊でしょう。
そういう一冊のことを「青春の書」と呼ぶのだと思います。

2011年4月10日日曜日

自己管理できていません

3月末からの風邪引きから続いて、
この一週間腹痛の風邪に襲われています。
体調にはずいぶん気を使っているつもりなのに、
これでは話になりません。
とりあえず仕事を第一優先でせっせと励んでいます。

その寸暇を縫って「英国王のスピーチ」を観てきました。
イギリスの映画って観るのは初めてかもしれません。
王室が舞台のためか、とても端正な運びと、
微妙なユーモアセンスになかなか付いていけません。
配役は素晴らしく、演技は申し分ありません。
個人的に朗らかな雰囲気を求めていたのでしょう。
史実ですからそういうわけにもいかず、また、
完成度が高くても、個人の好みとは別なものだと、
妙に納得したのでありました。

2011年4月6日水曜日

桜が咲き出しました

ようやく暖かな春の陽射しが訪れました。
桜も早くも満開の木もあれば、じっくり3分咲きの木と色々ですが、
淡いピンクを目にすれば、それだけでほっとします。
しばらくすれば、咲ける限り咲き誇って、もういいかげん飽きるくらいに
なりますね。それも桜の種の保存の運命なのだから、
馬鹿ほど咲いてくれても何の問題もありません。はい。

震災関連のニュースが下火になってきているような気がします。
メディアのあり方に疑問です。
コツコツと現状を知らせてください。
自分にできることはないか、すごく悩んでいます。
一つのアイデアを持って、それを一番効果的にする方法を考えています。

先週から風邪に苦しみ、続いて右手の腱鞘炎に苦しみ、
痛み止めの飲みすぎからか腹痛に身をよじらせ、という日々が続いています。
こんな足止めを食っているうちに日々は刻々と過ぎてゆくのでした。
焦ってます。はい。

2011年4月3日日曜日

「妄想気分」

「妄想気分」 小川洋子著 集英社

小川さんの最近の小説は気になるものばかりで、
どうしてこんなに魅了されるのだろうと、不思議です。

こちらは古くは1991年にまで遡る小川さんのエッセイ集。
昔のエッセイはとても自然なある意味普通の言葉で書かれています。
それはまた安心感を呼び起こすものであって、
作家としてのご苦労もしんみりと伝わるものです。

最近書かれたエッセイでは、途中から小川さんの魔力が忍び込んできて、
小説を読んでいるような気分になってきます。
可笑しいのは“阪神電車高架下の秘密結社”。
甲子園球場が大好きな者としては、
ある程度わかるのですが、途中から、むむむ・・・?
傑作です。

小川さんの作品を全て読んでいないので、
文庫になっているものから、少しずつ読んでみようかなと、
思っています。

小川さんの素敵な優しいお人柄もよく伝わってくるこの本、
隠れたヒットではないでしょうか。

2011年3月30日水曜日

見失っていない?

3月も終わり近くなり、
「ふらんす」4月号を読んでいると、
やっぱりフランス語を勉強したいという気持ちがむくむくと湧いてきました。
現在の状況では時間の捻出と体力が問題となり、なかなか実現が難しい。
フランス語の本を読むことが一つの目標ではありますが、
ひとつ、フランス語で考えるということをしてみたいのです。
そんな夢みたいなこと・・・ではありますが、
なぜか思考の組み立てが違うこと、響きの違いが新しいニュアンスを
運んできてくれるような気がしているのです。
そんなことを思って数年経ちますが、
近頃それを現実にした方のブログを発見し、読んでいます。
もともと学者の方のようですが、フランス語を始めて10年で、
現在はフランスで哲学研究をされているようです。
時々、ブログを覗かしていただいて、ため息をついています。

そんなところに「ちくま」4月号が届き、
「瞬間を生きる哲学」古東哲明著の解説を読んでいると、
なにかふと目の前をよぎるものがありました。
自分にとって大切なことがここにもあるのでは?

続いて「図書」4月号も読んでみます。
冒頭の「エセー」のボルドー本、モンテーニュの手沢本の写真について、
宮下志朗が解説をされています。
“考えること”の必要性がここに提示されています。

何について考えるべきか決まったことがあるわけではないのです。
ただ、深く考えることを日々怠っているような気がしています。
日々の雑事に追われて、言い訳をしながら生きてしまっている。

人により生き方は様々なのですが、
じっくり本を読んで、それについて思考する、
人生に反映させる、そういう生活が理想なのかもしれません。

近頃は目的に向かってダッシュすることが、
目的を達成する一番の方法として、
人々はせっせと仕事に学業に運動に励んでおられます。

どうやら自分の頭の中はダッシュには程遠く、
ゆっくりと回り道をしながら、散歩するように考え事をするのが、
向いているようです。

2011年3月27日日曜日

風邪引きの日々

またもや風邪を引いています。
最初は喉がいがらいなぁ・・・から始まって、
お腹がムカムカする、
頭全体がもやもやと痛い。
すぐに市販のお薬を飲んで2,3日凌いでいると、
今度はゼロゼロの咳が。
一日眠った後には、
鼻がズルズル。
薬を飲み続けているので、
熱が出たりすることもなく、
だらだらと進行しています。
ひととおりの症状が出尽くしたら、
そのうち治ってくれるでしょう。
仕事を休まずにいられるので、
まだましですね。
今日も眠ってばかりの一日でした。
早く暖かな春よ来ておくれ。

2011年3月23日水曜日

ニュースで頭が一杯

大地震から10日以上経ちました。
毎日新しいニュースが入ってきて、
遠く離れて憂いています。

かなりの日数が経ってから救助された方、
被災された中でも自分の腕を持って被災生活に役立つよう働いている方、
身内を失われた国会議員の方の話、
皆が心寄せ合ってやっていこうとしているのに、早めに開幕しようとする
セ・リーグの不思議な人々、
田んぼに流されたスナメリの子供が救出された話、
少しでも役に立とうと寄付・募金をする人々、
命を張って復旧に努める原発関係の方々。

大きなニュースにならないところでも、
多くの方が復旧に向けて働いておられます。
皆さんのひたむきな努力に頭が下がります。

海外ではリビアにおいて多国籍軍によるカダフィ派への空爆が始まりました。

みずほ銀行のトラブルも生活と関わっていて、
ニュースを見ているだけでも頭が一杯です。

2011年3月21日月曜日

決算が近づいて

3月末の決算が近づいています。
経理関係の仕事が山となって押し寄せています。
システムに打ち込んで、
プリントして、上司に判子をいただいて、
一揃えにまとめて本社に持ち込みます。

基本のルーティンの仕事も決算前後に集中します。
次から次へとやってくる書類を、
マシンのようにやっつけて。
人事関係の書類もやってきます。
書類の種類が細かく分かれているので、
間違えないようにチェックします。

そんな時期になぜかPCの入替があります。
各システムのセッティングは各自でやらなければなりません。
これはちょっとどきどきです。
まともに動かんかったら、どーするねん!

年次が変われば、昨年度の書類たちのファイリングが待っています。
4月上旬には監査がやってきます。
この監査の準備もしておかないといけません。

というわけで、パニパニのツキスミです。
少々ダウン気味でこの2連休は寝っぱなしでした。
しばらくは奮闘せねばなりません。
今からGWが楽しみなのでありました。

2011年3月20日日曜日

観るべきか否か

毎日東日本大地震関連のニュースを読みつづけていると、
ようやく被害状況が明らかにされてきており、
復旧に向けての活動が行われたり、
救助活動が続けられていたり、
寄付・募金活動が活発に行われていたり、
少しずつ前に進んでいることを知ることができます。
避難生活をされている方々が、
健康に新たな生活が営めるようになるまで、
まだまだ応援が必要ですね。
ささやかではありますが、
いくつか募金することで応援に参加したいと思っています。

会社とお家を行ったり来たりの日々を続けていると、
当然のことながら息抜きがしたくなります。
年初にDVD再生機能が故障して、
今年は映画館に出かけることにしようと決めました。
もともと映画館は大好きなところです。
照明を落として薄暗い中、スクリーンに身を沈める時間は、
とても贅沢なひとときです。
映画が始まるまでのドキドキ感はなんとも言えないものです。
今年に入って、「しあわせの雨傘」「リッキー」「ヒアアフター」と
3本楽しみましたが、今悩んでいるのは「英国王のスピーチ」を
観るべきか、ということ。
野崎歓氏が新聞で絶賛されていたこともあり、
観に行くことにしていましたが、予告編を観てみると、
作為的な感じが露骨に出ていて、ちょっと不満です。
それより、大好きなキアロスタミの新作「トスカーナの贋作」の方が
いいかしらん。
迷ったときはアクションを起こさないという決まりを作っているのです。
さて、今回はどうしましょうか。

2011年3月16日水曜日

落ち着かない

東日本大地震で被災された方々の様子を見る度、
苦しい気持ちに襲われます。
家族を失われた方々も多く、
家や仕事場等帰るべき所を失われた人々も
何万人といらっしゃると思います。
落ち着かないといって、そわそわとしているだけでは、
何にもならないのです。

各国、各地からも救援隊が駆けつけてこられて、
情報を共有しながら、救助にあたっておられます。
ほんとうにありがたいことです。

同時に緊急に対応が必要なのは、
原子力発電所の事態でしょう。
これは人間が作り上げたものです。
どうにか対処しなくてはいけません。
気を揉みながらニュースを見ているばかりです。

今おかれた立場で精一杯生きるということしかできない自分に、
傍観者というレッテルを貼り、
ただただ、無事を祈るばかりです。
そして、命を失われた方々のご冥福をお祈りいたします。

2011年3月13日日曜日

新聞の役割

今回の大地震について、
TVではリアルタイムの情報が映像とともに放送されて、
現地の状況が視覚的に確認できます。
ほとんどの情報がTVで収集できると思います。

新聞では、大きくまとめた情報を遅れながらもまとめて
発信されています。
ここで、紙面にしかできない情報を載せていただきたいと考えます。
今の時点で、どの街、どの区域がどのような状況にあるかということ、
どの組織がどの街へどのような対応をし始めているか、
海からの対応はどの位置からどのようにされているか、
原発の現在状況、
また、停電などライフラインの状況を、
すべて地図や表を伴ってわかりやすく提示してほしいのです。

広範囲に渡っている今回の被害について、
どこから手をつけていてよいのかわからないほどかと思いますが、
捜索や救助、復旧に向かって動いている様子は、
TVだけでは把握できません。
紙面の特性を活かして、情報をまんべんなく流していただければと思います。

2011年3月12日土曜日

節電・・・申し訳ありません

関西電力によると、
関西電力より東北電力へ電力の供給を始めたということです。
ですので、各家庭で使用する電気もなるべく控えて、
節電に努めてほしいとのことです。

ケチなので普段からマメに電気等消していますが、
さらに気をつけたいと思います。

※上記の情報はデマだったのでしょうか・・・
 関西電力のHPでは、以下のように、特に節電の必要は無いとしています。
 申し訳ありません。

『当社はお客さまへの安定供給を維持した上で、11日夕方から、
 電力各社と協力しながら最大限可能な範囲で電気の融通 を行っております。

 平素より皆さまには省エネ・節電にご協力を頂いておりますが、
 今のところ、お客さまに更なる特別な節電をお願いするような状況にはございません。』

2011年3月11日金曜日

東北地方太平洋沖地震

東北で観測至上最大の地震が発生。

映像を見ているだけでも恐ろしい。
津波があっという間に押し寄せて、
家や車を飲み込んでいく様子には、
息を呑んでしまいました。

どうやって夜を過ごされるのでしょう。
食べるものはあるでしょうか。
余震が続いているので、
恐怖も心配も不安もつのっておられると思います。

関東圏でも交通手段が途絶えているそうで、
帰宅するのも困難なようです。

政府を始めとする関係機関が対応を迅速に行い、
人々も助け合わなければいけません。

子供たちはみんなお家に帰れたのか、
気になってしかたがありません。

2011年3月9日水曜日

「失われた時を求めて1」“スワン家のほうへⅠ”

「失われた時を求めて1」“スワン家のほうへⅠ”
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫

とうとう「失われた時を求めて」を読み始めました。
昔からいつの日か時がきたら読もうと思っていましたが、
そろそろ読んでもいいお年頃かと予定をたて、
数年かけて読む予定でいます。

毎日数頁ずつ少しずつ読んでいます。

冒頭「長いあいだ、私は早く寝るのだった。」
早速ここで考え込みます。
かつて長い間“早く寝ていた”のか、
長い間“早く寝る”習慣があるのか。
続く文章で今現在の寝てからの習慣が描かれていることから、
そうか、“早く寝る”習慣だな、と思うのですが、
浅い眠りに入ろうとするときに、
ふと昔の子供時代のことを回想し始めることを考慮すると、
これは今と昔をリンクさせた表現なのでしょう。
と思いつつ、原文も見ておくと勉強になるかしれません。

昔コンブレーで過ごした子供時代に
そのままシフトしてゆき、
そのころの出来事、習慣、様子、
人々の描写が回想されていきます。
文章が長いことが特徴ということですが、
訳文がこなれているおかげか、
あまり苦にはなりません。
優しい感じと豊かな雰囲気と、
柔らかなうっとりとするような空気がとりまいています。

時折訪れるスワン氏との交遊を、
今の視点で解きほぐしてスワン氏がどういう人物であったのか、
まずフレームだけが解説されています。

そのスワン氏が来たある晩のこと、
ママンのおやすみのキスを受けられず、
ベッドの中で耐えられず、
つい甘えて泣いてしまう主人公。
父の許しがあり、ママンと休むことができたとき、

“明日になればふたたび苦悩が始まり、
 ママンはここにいてくれないだろう。
 けれどもいったん鎮まってしまうと私には
 その苦悩が分からなくなっていた。
 ・・・なぜなら苦悩は私の意志の力の及ばぬものであり、
 その苦悩を用意に避けられるもののように見せるのは、
 まだ次の苦悩と私とを引き離しているこの間隔だけで
 あったから。”

苦悩はやはりやってくる。
それが遠いもののように見せるのは時間だけである。
その繰り返しが人生のようでもあります。
苦悩だけでなく喜びもあるのですが、
それはまるで天からの贈り物のように気まぐれだったりします。

そんなことを思い出させてくれるのが、
厳しい内容の本ではなく、
このセピア色の語り口の本であるのが嬉しいのでした。

2011年3月2日水曜日

近頃のニュース

ここのところ気になるのは、
やはりニュージーランド地震の救出の状況でしょう。
一週間を過ぎているけれど、
まだまだ時間がかかりそうで、
被害状況もよくわからない。
日本から留学されていたのは、
若い方が中心なので、
志半ばの方々を失うことは、
とても心が痛みます。

世界的に大きなニュースとしては、
中東のデモに発する民主化活動でしょう。
チュニジア、エジプトに続いて、
バーレーンやリビアも。
SNSの利用により情報が伝達しやすく、
デモの勢力が一気に拡大することや、
軍勢力が反政府軍に反転することなども、
大きな特徴ですね。
ただリビアではカダフィの権力がまだしっかりとしているようで、
国連を始め各国が動き出しています。
戦争に発展しないことをひたすら祈ります。

国会も民主党もどうなることか、
距離を置いて傍観していることが、
いいのか悪いのか、
社会情勢をみているだけでもはらはらするのに、
この上に天災まで起きるとは、
厳しいことばかりです。

2011年2月27日日曜日

何もしないお休みの日

昨日から左膝が激痛でまともに歩くこともできない状態です。
湿布と痛み止めのお薬で耐えるしかありません。
痛み止めのお薬を飲むとこれがすごく眠くなる。
というわけで、今日もほとんど一日寝ていました。

ささやかでも生産性のあがらない日はとても残念です。
読書もせず、ただ最低の用事をこなしました。
洗濯したり、片付けをしたり、
明日の用意をしたり、
いろいろノートをつけたり。

今はお食事兼コンディションノートをつけています。
1,2ヶ月だけ様子を見てみようと思っています。
無印のスケジュールノートに判子をぺたぺた押して、
項目を分けて、毎日結果を書き込んでいます。
こんなことをしているのはやっぱりヒマだからかな。

他には日々の出来事、読んだ本のことなどを書き込む手帳、
予定を書き込むコンパクトな手帳、
PCでは日記を書いています。
結構こういう作業が楽しいのですね。
週末にこの作業をし終えるとほっとします。

今読書中の本はどれも今ひとつのめり込めない内容です。
読書義務があるわけではないので、
放棄することにします。
心のどこかでは無念さが渦巻いているのですが、
もっと自分にとって好ましい本があるはずですから。

庭の梅が満開で夜空で見るととっても綺麗です。
お花見でもしようかな。

2011年2月23日水曜日

「リッキー」

フランソワ・オゾン監督の「Ricky」を観て来ました。

想像していたのとは違って、
結構重い映画でした。

7歳の女の子リザと暮らすフランス人女性カティは、
仕事場でスペイン人のパコと知り合います。
すっかり懇意になった二人は三人で暮らし始め、
そのうち、こうのとりが男の赤ちゃんを連れてきました。
その赤ちゃんには、なんと羽根があったのです。

という予備知識から、
勝手にファンタジーだと思い込んでいました。
頭の中に浮かぶのは VanHalen「1984」のジャケットの天使の図。
ミケランジェロの天使でないところが全く・・・です。

ところが、映画を観始めてすぐにわかったのは、
ファンタジーではなく、とてもリアリティを持たせた内容だったのです。

結構はらはら、どきどきさせられて、
笑うなんてとんでもない、
不安と動揺ばかりです。

現実の中に飛び込んできた天恵。
人間たちはどのように受け止め、
どのように対応していくのか。
そしてその天使の行く末は。
わざとリアルに仕立ててあるのだと思いますが、
気持ちがなかなか付いていかなかったことを告白します。

子役のリザの表情が豊かで、
観客の気持ちも代弁してくれているような気がしました。

2011年2月20日日曜日

本読み

「ひとり日和」がとてもよかった青山七恵さんの
「窓の灯」 河出文庫 を読みました。
こちらは伝えたいことがばらばらのモチーフとなって表現されていて、
いまひとつテーマが掴みにくかったのでした。
全体を見渡してようやく主人公の言動がわかったような感じです。

ちょっと一息して、
「ムーミン谷の冬」 講談社文庫 トーベ・ヤンソン著 を読了。
ムーミン谷の冬の出来事がいつものように描かれて、
不思議な出来事やムーミンたちの心の揺れが味わえる内容はいつものとおりです。
最後の章で冬に終わりが来て、晴れやかな春がやってきます。
ムーミンが心待ちにしていた春はそれはそれはとても気持ちの良いものでした。
こちらまで嬉しくなってくる春の訪れです。

同時進行で、読んでいたコミックスは、
「天才柳沢教授の生活 Best オレンジ」 講談社文庫 山下和美著、
同じく「Best グリーン」 です。
なんだかほっと安心できるストーリーで、
つい読んでしまいます。
他に柳沢教授と猫のタマとの生活を書いたものがあるらしいので、
次はそちらを読んでみるつもりです。

「知っておきたいフランス文学」 小野潮著 明治書院 も読みかけで、
「夜よりも大きい」 小野正嗣著 も読みかけです。
「パリからの紅茶の話」は好きなエッセイストの戸塚真弓さんの一冊。
これも読みかけて中断しています。

最近は中断してしまうと、ほとんど読み終えることがありません。
かつては読み始めると最後まで読み終えずにはいられない性分でしたが、
其々に理由をつけて、次の本に取り掛かってしまうこの頃です。

と言い訳をしながら新しく手にしたのは、
「生の深みを覘く」 中村邦生編 岩波文庫 ポケットアンソロジー。
色々な時代の様々な地域の短編を、
ぽつりぽつりと楽しむことにしています。
2月はこれで終了しそうです。

2011年2月16日水曜日

またまた大雪

先日に続いて奈良は大雪になりました。
天気予報では奈良県は5cmということですが、
とんでもない10cm以上は軽く積もっています。

電車も遅れ気味、
チェーンを巻いたバスはまともに動かず、
バス停は人だかりでした。

ようやく1時間遅れてバスを降りたら、
そこからまた雪道をザクザク、グシャグシャと、
雪まみれとなって歩きます。

雪国の人ってすごいなぁ。
こんな状態が数ヶ月も続くなんて考えられません。
もともと雪に慣れていないことと、
雪への対応があまりされていないことが原因でしょう。

ああ、いくら綺麗な雪景色でも、
しばらくは遠慮したいです。

2011年2月13日日曜日

時々読書

「浦からマグノリアの庭へ」がとってもよかった小野正嗣さんの新作、
「夜よりも大きい」リトルモア を読み始めました。
小野さんらしいしっかりとした端正な文章と
シュールでねっとりとした描写のバランスが絶妙です。
“夜”の物語は不気味だったり、シュールだったり、
あまり美しい感じのしない作品が多いのはどうしてでしょう。
夜の美しさを描いた作品が読んでみたいです。
夜を書いた作品で思いつくのはセリーヌと松浦寿輝さんぐらいなのですが。

平行して青山七恵さん「ひとり日和」河出文庫 を読みました。
若手の女性作家の作品ということで、軽い気持ちで頁を繰ると、
なかなか手ごわい内容です。
題材はそれほど凝ったものではないのに、
舞台と人物がしっかりと書き込まれている。
主人公が息をし、新しい日々を送る様子が、
とてもリアルに響いてくる。
小説の一番大切なことがここに記録されている、そう感じました。

つづいて「ムーミン谷の冬」講談社文庫。
ムーミンたちってとっても思考がシンプルで愉快です。
その言動のストレートさがとても小気味良い。
現代社会への皮肉でもなんでもかまいません、
こういう風に生きてゆければ最高だ!と思うことができるのが、
このムーミン・シリーズの魅力です。

2011年2月11日金曜日

雪だよりと近況

目が覚めると外は大雪でした。
20cmは積もっていたでしょう。
乳白色の空からははらはらと雪が降っています。

いつものかさかさの茶色と勢いのない緑ばかりの庭が、
真っ白に輝いていてとても綺麗。

休日だったので、外に出かけることもなく、
お家で暖かく過ごしました。
寝て、寝て、寝て zzz
眠ることで脳の中が整理され、
活性化するそうです。
体と心の疲れを取るだけでなく、
ダイエットにも重要だそうです。
というわけで、思う存分寝ています zzz

昨日は散髪に行って、
綺麗にしてもらって満足、満足。
その足で大丸へ行き、
チョコレートを山ほど買い込みました。
いつもお世話になっている方々に
お配りします。

一月は好調だった読書もぴたりと足が止まり、
何を読めばいいのか、
少々悩んでいます。
おまけに仕事上の悩みも発生。
ここ数年仕事については順調だっただけに、
ちょっと困った。
まぁ焦っても仕方がないので、
ベクトルを変えるくらいの考えを持って、
職場に向かいたいと思います。

2011年2月9日水曜日

早春のチューリップ

綺麗に咲いた赤いチューリップの鉢を
優しいM課長が買ってきてくれました。
しっかりとした蕾が後3本。
色鮮やかなお花を目にすると、
気分が華やぎます。
嬉しいな。

昨夜は久しぶりにしとしとと雨が降り、
柔らかな雨音を聴きながら、
暖かなこんな早春の日もいいものだ、と
和みました。

庭のピンクの梅の花も咲き出しました。
そろそろ春がやってくる!

と思いきや、明日から再び冷え込むそうです。

会社の薔薇さんも屋内に入れてあげなくちゃ。
もうしばらく春気分はおあずけですね。

2011年2月6日日曜日

「しあわせの雨傘」

「しあわせの雨傘」~POTICHE~ フランソワ・オゾン監督

1977年のフランスの町、傘工場を営むブルジョワ家庭の妻のお話。
主人公の妻をカトリーヌ・ドヌーヴが輝くように魅力的に演じています。
ストーリーも面白く、配役もぴったり。
70年代のファッションも見逃せません。
夫を演じるファブリス・ルキーニにこんなワンマンな役が似合うとは思ってもみなかった。
迫力あるジェラール・ドパルデューも適役。
身勝手な娘もお洒落で理屈屋の息子もはまっていて可笑しかったです。

カラフルな画面も晴れやかで楽しく、
フランス映画らしい人間臭さもたっぷり。
何を撮っても上手なフランソワ・オゾンですね。
まったくオゾン監督にはお手上げです。
「まぼろし」のようなじんわりと深みのある作品が好きなので、
今回のコメディーはどんな仕上がりかと思っていましたが、
想像以上に素晴らしかった。
フランスでもロングランになっているわけがわかりました。

ラストのシーンのドヌーヴは秀逸です。
“la vie ~♪” 一緒に歌いたくなる気分です。

現在同じくオゾン監督の「リッキー」が上映中です。
観に行きたいな。でもちょっと遠いなぁ・・・

2011年2月2日水曜日

「光の指で触れよ」

「光の指で触れよ」 池澤夏樹著 中公文庫

同じく中公文庫から出ている「すばらしい新世界」の続編にあたり、
あの仲の良い家族のその後が描かれています。

恋人を作った夫から離れ、妻は幼い娘を連れてヨーロッパへ旅立ちます。
息子は全寮制の高校へ進学しており、親たちの仲介役を務めます。
ばらばらとなった家族は、それぞれの今後の生き方を考えていくことから、
人間社会の在り様にまで思いを馳せます。
この家族を通じて、この世界における物の存在を確認し、
どのようにこれからを生きてゆくべきか、試行錯誤を体験することになります。
これからの生き方、家族の一つのモデルといっていいでしょう。

池澤夏樹さんとの出会いはずっと遡った頃のことです。
「マリ・クレール」で「エデンの東の対話」を掲載されているのを読み、
こんなに同じようなことを考えている人がいるのだ!と驚きました。
そこではアダムとイヴが対話形式で、
その当時の社会について、自然について、人間について、
語りあっていました。
もう20年以上前のことです。
急いで「ギリシアの誘惑」「夏の朝の成層圏」を読みました。
特に「ギリシアの誘惑」はとても好きなエッセイで、
ここにも既に池澤夏樹さんの広く深く豊かな世界観が現れています。

そして「スティル・ライフ」が発表され、
池澤さんが現在に至るまで多岐に渡る活動をされているのは、
周知のとおりです。
その間、気になる作品や、書評などをかいつまんで読んできましたが、
まったくぶれること無い池澤さんの生き方、思想のあり方を、
文学社会では大変評価されていることが嬉しく思われます。
文学の中だけではなく、実社会の人々にもっと読んでいただきたい、
と声を大にして言いたいところです。

小説がこのように世界を超えることができるのか、と
解説者の角田光代さんが述べられています。
文学や芸術は社会を写し、照らし、語り継ぎ、未来をも述べることが、
自由にできる世界ですね。

この小説の意義は角田さんの解説を読んでいただくとして、
どのように小説を読むかという自由もあるという面白さもあります。
個人的には大きなテーマを抱えているこの小説のいくつかの弱みも気になるところです。
ここから派生してくる物語も考えられそうです。
そのような問題提起も含め、充実した読書となりました。

2011年1月30日日曜日

ザック・ジャパン 優勝おめでとう!

やはり日本代表の試合には注目です。
決勝戦はひやひやしましたが、李選手ありがとう!
日本の選手がどんどんうまくなっているのが素人目にもわかるし、
チームワークの良さも日本的でいい面が出ているように思います。
今週はこんな感じでアジア・カップに翻弄されました。

この一月はのっけから頭痛に見舞われ、
お薬を更に増量して、とりあえず安定しています。

そんな中で、なぜか読書が進みました。
読了8冊、漫画8冊、目を通した本2冊と、
冊数はかなりの量になりました。
よかったのは、「フランス的思考」ですね。
インパクトがあったのは、「流跡」です。
明日には読み終えそうな「光の指で触れよ」も、
想像以上に没頭してしまっています。

二月は増量しているお薬を減らしたいところです。
すごく冷たくて、会社の薔薇もダウン気味。
油断せずにもうしばらくの冬をしのぎたいですね。

2011年1月26日水曜日

「海街diary」

「海街diary」 吉田秋生著 小学館

ベテラン吉田秋生のコミックスです。
鎌倉に住む4人姉妹の物語。
長女の幸は看護師でしっかりもの。
次女の佳乃は信用金庫に勤めるOLで酒豪。
三女の千佳はスポーツ用品店に勤める面白い女子。
四女は母親違いで中学生のすず。
このすずとの出会いからお話は始まります。

彼女たちそれぞれの視点から描かれ、
小さな街での出来事が交錯して人生模様が彩られていきます。
なかなか厳しい状況に置かれることが多く、
そのたびに彼女たちが人の機敏を悟っていく様子が綴られます。

ちょっぴりコミカルなつっこみもあったりするので、
くすくす笑いながら、
いい生活、充実した人生を同時に味わっています。

姉妹編というか、先に出ていた「ラヴァーズ・キス」に、
共通の登場人物が現れていて、
こちらもなんとも味わい深いラブ・ストーリーでした。

コミックスにはコミックスの楽しみ方があると、
もっと読みたいものだと思うこの頃でした。

2011年1月23日日曜日

「フランス的思考」

「フランス的思考」 石井洋二郎著 中公新書

石井さんの著作は過去にちくま新書の「パリ」を読んでいました。
ここでパリのモニュメント的な物の歴史を掘り起こしながら、
その存在から派生する事柄、意味するところを読み取っていく見方に
研究方法の面白さを堪能しました。

この「フランス的思考」も読み始めて初めてその意図を知りました。
フランス的な考え方として合理主義という言葉が一般的に語られますが、
この合理主義とはいったいどういうものなのか、
そして古くデカルトにまで遡り、その後のフランスでどのような人物が
どのように新しい思考を構築するようになったか、を
丁寧に考察している本です。

具体的には、サド、フーリエ、ランボー、ブルトン、ジュネ、バルトを
取り上げて、彼らを“野生の思考者たち”と名づけています。
“野生の思考者たち”はいずれも独自の思想と思考を作品として発表し、
後世にまでその影響を及ぼしています。

とても難しい内容ですが、嬉しいことに、
終章で彼らの思考をまとめて、再検討・再思考が行われていて、
一冊で一つの講義のようです。

“野生の思考者たち”の考えはいずれも刺激に満ちていて、
ぼんやりとした思考に冷や水を浴びせさせます。
彼らのように啓示かのような明確な思考はなくとも、
昔から疑問に思っていたこと“普通”とか“一般的”とか“世間”など、
個人的に自分の中にカオスのように混沌とした状態のものたちを
再定義することが自分にもできるかもしれないと、
そんな期待をさせてくれる内容です。

彼らの思考を単に並べてみただけではきっとわかりえないことを
石井先生が読み解くことで、新たな意味が打ち立てられていきます。
そのことも“読み”の難しさと楽しみを教えてくれました。
自力ではとうてい無理なことでした。

もう少し読み込んで、“読み”と“思考”の方法に柔軟性を持たせ、
新しい側面に光を当てるような、充分な思考ができるようになりたいものです。

2011年1月19日水曜日

「流跡」

「流跡」 朝吹真理子著 新潮社

冒頭から圧倒的な筆力に押されてしまいました。
著者は26歳でありながら、もうすでに達観しているかのような面持ち。
国文学を専攻されているからでしょうか、
雰囲気は現代にはなく、江戸時代に遡ったかのようです。
USBメモリとかいう単語も出てきはしますが。

「新潮」1月号に堀江敏幸さんと著者との対談が掲載されていました。
(ドゥ・マゴ文学賞受賞<選考者堀江敏幸>に際する対談)

そこではこの「流跡」を書くきっかけや、小説についての考えなどが
述べられていて、研究の専門が近世歌舞伎であり、作品や思考、
もう一つの嗜好にも影響があることがわかります。
この対談を読むだけでも、今後書かれる作品に期待が寄せられるかと思います。

個人的には、その古風さと現代的感覚が入り混じったところが、
いまひとつ好みではないため、
好きな作品とは言いがたいのが残念です。
今後の活躍が楽しみな作家なので、
注意を払っていきたいと思います。

2011年1月16日日曜日

ニットの帽子

それにしても厳しい寒さですね。
こんな天候の中、センター試験の受験生の方々は、
大変だったかと思います。
お疲れ様でした。

冷え込んで風が強くビュービュー唸っていましたが、
散髪に行ってまいりました。
街中は普通の日曜日と変わらず大勢の人が繰り出しています。

頭が寒いとまた風邪をひいてしまいそうだと思い、
ニット帽を探して回り、運よく、質のよい毛糸のフィット感たっぷりの物を
見つけました。
帰りには早速かぶって、耳まで隠して防寒です。
“あったかーい”、ぬくぬくでした。
とっても快適で、つい会社にもかぶって行ってしまいそうです。

2011年1月12日水曜日

「ゼラニウム」

「ゼラニウム」 堀江敏幸著 中公文庫

第一章で読むのが止まってしまっていた「ゼラニウム」。
それは、その冒頭の一章は死の気配が強く漂っていたため。

気を取り直して第二章から再開です。
“さくらんぼのある家”というのも、
少々陰鬱な気配のする話だったので、
このまま進むのか?と思いきや、
第三章では若々しい女性が現れ、
猫が絡んでユーモラスな雰囲気が出てきました。
第四章はこれまた謎めいた怪しげな人々に
翻弄されてしまいますが、
この主人公“私”は思いもかけない行動に出ます。
第五章はパリに住むなら出会いそうな事件と
年配の人々が日本では考えられない言動を巻き起こすお話。
ラストの章は日本に出入りしている若き女性たちが
自由奔放な生活をおくる場所に思いがけなく巻き込まれてしまった“私”の
不思議な体験話。

いずれも「雪沼」などで接する堀江さんの作品とは違った、
また別の“私”の体験をロードムーヴィーのように描いた作品です。
常に落ち着いている“私”の内面が体験と結びついて、
想像力が膨らみ、常識と呼ばれるものの外側へ放り出され、
読むものは予想外のところに着地するのです。

“私”という人間に親しみを持ちつつ、
思いがけない体験をさせてくれる、
こんな小説読んだことが無い。

単行本で読んだときにはピンとこなかったけれど、
これは堀江さんの持つ多大な引き出しの一つなのでしょう、
恐れ入りました。

いつもの堀江さんの叙情豊かな感性が底辺でしっかりと“私”を支えていて、
堀江さんのファンにはたまらない一冊だと思います。

2011年1月10日月曜日

往馬大社

先週今年2回目の初詣に行ってきました。
往馬大社と書いて、いこまたいしゃと読みます。

奈良県生駒市の南にあり、
こんもりとした森の中、
急な階段を上り詰めると、
大きな社があります。

いつも電車の中から見える森に包まれた神社に
一度行ってみたいと思っていたのでした。

もう人出はなく、
駐車場ではしゃぐ地元の子供たちの声が響いているだけです。
静けさの中、簡単に二礼二拍手一礼をしてお参りを済ませました。
人が少ない分、神様に願いが届くスピードが早そうです。

“終わったね”と同行の人たちと声を掛け合いながら、
そばの焚き火に当たります。
焚き火というのも久しぶりです。

今年初めてのおみくじも引いてみます。
“吉”でした。
まだまだ精進が必要ってことですね。
何気なくお守りを眺めていると、
優しいM課長が自分用のお守りと一緒に、
女性用のものも買ってくださいました。

お守りって今まで持ち歩いたことはないのですが、
なんとなく気持ちが落ち着くように思えて、
bagの中にしまいこみました。

お願いごとはただ一つ。
今年もつつがなく過ごすことができますように。
どうか叶いますように。

2011年1月9日日曜日

2冊読了

お正月休み気分が抜けたと思ったら、
また連休です。
仕事まみれもつらいけれど、
休みぼけも困ります。

とりあえず、2冊読了。

「マイ・アントニーア」 ウィラ・キャザー著 佐藤宏子訳 みすず書房
 19世紀末、アメリカの西部開拓時代にボヘミアからやってきた移民家族。
 そこに目のきれいなアントニーアがいたのです。同じ汽車でやってきた“ぼく”は、
 祖父母の農場で数年を過ごし、アントニーアの家族と近しく
 お付き合いがあったのでした。
 地元で育った“ぼく”は、大学に入るために新しい世界へと旅立ちます。
 それから数十年、アントニーアと再会しますが、
 彼女は変わらず美しい目をしていました。
 
 自然にローラ・I・ワイルダーのことを思い出しますが、ローラより少し後の時代の話です。
 この本には魅力的な女性が数人登場します。どの女性も自分に合った生き方を
 選択し、それを全うしているところは、アメリカという国柄のなせる業でしょうか。

 個人的にはアントニーア自身の魅力をもっと描いて欲しかったと思うのですが、
 全体の構成上を考えれば仕方のないことかもしれません。
 ゆったりと個性的な人々と豊かな自然を描いてあり、
 キャザーの懐の深さを思わせます。


「赤朽葉家の伝説」 桜庭一樹著 創元推理文庫
 千里眼の祖母、漫画家の母を持つ女性、その土地の富豪の一族の女性三代記と
 説明書きがあったら、いったいどんなファンタジーが繰り広げられるのだろうと、
 興味しんしんになってしまいます。
 著者の桜庭一樹さんは読書家としても知られているので、どんな作品を
 書かれるのかと関心がありました。
 昭和の時代から平成にかけての、鳥取の小さな村の製鉄会社の一族のお話で、
 時代背景をうまく反映させてあり、そして個々のエピソードがしっかり絡み合っている
 こと、最後の章はミステリー仕立てになっているなど、大変凝った内容の小説です。
 読み応えがありました。
 一気に一日で読みあげて、ちょっとほっとしたのでありました。
 もともと日本の小説は暗くて苦手なことと、
 近頃生々しい小説はおっかなくなってきたのです。
 読んで納得できることが大切なので、ある程度は仕方がありません。

さて、次は何を読もうかしらん。

2011年1月5日水曜日

寒寒初出

1月4日が初出でありました。
広い建物の中のすみっこにある仕事場に、
たった3人だけの初出でした。
他の部署は真っ暗、
建物は冷え込んでいて、
寒い、寒い、冷える、冷える、
暖房をなんと30℃に設定しても、
なかなか温まりませんでした。

仕事も山盛り。
せっせと山を崩しているうちに、
だんだん疲れてきて、
帰る頃にはぐったり。
夜は早寝してぐっすり休みました。

心配していた薔薇の苗はどうにか無事でした。
ツルバラには赤い新芽が少し見え始めています。
久しぶりにたっぷりお水をあげると、
ミニバラのしょんぼり気味の若葉がしゃんとしました。
よしよしいい子じゃ。大きくなあれ。

2011年1月3日月曜日

1月3日

今日でお正月休みもおしまい。
読書三昧にするつもりでしたが、
そうそう読んでばかりともいかず、
読み上げたのは一冊だけ。

「不完全なレンズで 回想と肖像」 ロベール・ドアノー著 月曜社

堀江敏幸さんの翻訳だということだし、
ドアノーの代表的な作品は知っているし、
ということで、読んでみました。

ドアノーの写真は、
被写体が今にも動きだし、話し始めるような気配を持っていると
いつも感じます。
適切な表現が思いつかないのですが、
被写体がくっきりと浮かび上がり、肉感的な気配を感じさせます。

ドアノーの写真についてのジャック・プレヴェールの言葉。
“きみが<写真を撮る>って動詞を活用するときは、
 いつだってレンズの半過去形でなんだ。”

詩人プレヴェールを被写体とした写真集「ジャック・プレヴェール通り」の
序文の末尾に置かれた一節だそうです。

半過去形とはフランス語の動詞の活用形の一つで、
、堀江さんの言葉では、
“限られた時間の幅のなかでは、完結していない行為”。

その言葉をもってすれば、ドアノーの写真は、
“「過去における現在」である。
 それは、瞬間と持続を同時に体現してしまうもうひとつの魔法なのだ。
 言い換えれば、写真はつねに主観的で、ある意味では偽の証言で
 なければならない、ということだろう。感情がこめられているからこそ、
 それは正しく歪むのである。”

そんな写真を撮る人の文章は、
動画のキャプションのようにリアルで、
ユーモアの溢れる言葉の連なりです。
想像力欠如の人間にはちょっと苦しいくらいでした。
翻訳するのは難しかったに違いありません。
集中して読んでしまうことができたので、
よかったように思います。

言葉のように語る写真って面白い、と
挟み込まれた写真の数々を見ながらページを繰りました。

出足は上々、
今年はどんな本と出合うのでしょう。

2011年1月2日日曜日

「目を見開いて」

「目を見開いて」 ユルスナール・セレクション6 
聞き手 マチュー・ガレー 岩崎力訳 白水社

1971年秋からユルスナールの住む「プティット・プレザンス」を
訪れるようになっていたガレーが数年に渡り対談を行い、
それをまとめたものが本書です。

ユルスナールの幼少期、多大な影響を与えた父、
初期からの作品について、代表作について、
そして社会問題について、作家として、
最後に一人の人間としてユルスナールは思慮深く、明快に、
返答しています。
返答というより、自分の生き方、考えを述べるといった風でしょう。
ユルスナールの思想の全体像が見渡せる重要な内容です。

タイトルの「目を見開いて」は、
『ハドリアヌス帝の回想』の最後の言葉でもあるという、
“目を見開いたまま、死のなかに歩み入るよう努めよう・・・”
から取られています。
ユルスナールは対談の中でも、
「私としては、意識を完全に保ったまま死にたいと考えています。
 病気の進行が充分に緩慢で、いわば私の死が私のなかに入り込み、
 全体に広がる時間を与えたいのです。」
と述べています。

読んでいる最中にも、考えさせられること、頷かされることが
数多くあり、その感動は小さな文章にまとめることは困難です。

巻末の堀江敏幸さんのエッセーと岩崎力さんの解題も
読みほどく助けになってくれます。

この本はこれからも何回も読むことになるだろう、
そういう重要な本であることは、タイトルからも察せられます。

2011年1月1日土曜日

Bonne Année 2011

寒空の一年の始まりです。
今年は健康第一と宣言したので、
今日からさっそくヨガの真似事を始めてみます。
体がとっても硬いのです。

以前からヨガの真似事をしていますが、
体を伸ばしたりすると確かに気持ちがいいのです。
そして少し体が締ったような感じになります。
ここしばらくしていなかったので、
体がすっかり元に戻ってしまい、年相応のお豚さんに。

メニューを見直して、体をほぐし、
締めないことには、さらにお豚になってしまいます。

続けていけるように、
ちょっぴり楽なメニューでやってみようと思います。

今年は小さなことをゆっくり少しずつ、
そんな一年と考えています。