2012年2月29日水曜日

バルテュス


今日は閏年の2月29日、画家バルテュスの誕生日です。
誕生日の訪れない年はどうやってお祝いしていたのでしょうね。
翌日の3月1日になったら、いつの間にか一つ年を行っていたのですから。

初めてバルテュスの名を知ったのは、
何時頃だったのか、雑誌のグラビアで「黄金の午後」を観たからでした。
1956年に描かれているのでシャシー時代の作品です。
白昼夢のような光が降り注ぐ画面の中央で、
若い女性と猫がまどろんでいる、それはそれは幸福の構図でした。
微笑みを浮かべ、ひとときの休息を満喫している女性の姿は、
安らぎともいえる安堵感を呼び込んでくれました。
今も一番好きな作品かもしれません。
個人蔵の作品なので実物を観ることはかなわないでしょう。



そののちにまた一つ心打たれる作品と出会いました。
新聞に掲載されていた小さな絵。
メトロポリタン美術館所蔵の「テレーズ」です。
少女の絵ではあるのですが、
凛としたその姿は上品で潔く、強い眼差しが印象的でした。
幸いなことに数年前にこの作品は日本で公開されたので、
絵の前に立ち、しっかりと目に焼き付けてきました。
想像どおりの深くしっかりとした色合い、
構図の端正さ、そして少女の眼差し。
このように生きてみたいと思わせる意思を感じさせます。

10数年前にはアンドレ・マルローと親交のあった画家たちの作品を集めた
美術展があり、そこでは数多くのバルテュスの作品を観ることができました。
初期の「ミツ」の挿絵1921年、「猫の王」1935年、
「樹のある大きな風景」1960年、「モンテカルヴェルロの風景Ⅱ」1998年
この時も出光美術館に2度出向きました。
しっかりと観ようと思いながらも、時間とともに記憶が薄れてしまう事実を
恐れながら、できる限り体に染み込ませたいと思ったものです。

このころには日本でも評判となっていたので、
少しずつ画集などが出始めていましたし、
雑誌でもかなり取り上げられるようなっていましたね。
作家の江國香織さんがスイスを訪ねたテレビ番組もありました。

絵画は本物を観なければわからないことがありますし、
本物でしか伝えられないものもあります。
それでも私たちにはインスピレーションというのが残っています。
心浮き立つ絵、心を写し取った絵、真実を描いた絵、
素人にとって絵画を観るのはその程度ですが、
歓びを与えてくれる画家との出会いは人生の助けとなってくれると、
信じています。

2012年2月26日日曜日

菊屋の最中


バレンタインのお返しとしては早いと思うのですが、
弟から菊屋の最中をいただきました。
菊屋大阪高麗橋HP⇒
http://www.kikuya-osaka.jp/product001.html

ぱりぱりと香ばしい皮に、
コクのある餡が詰まっていて、
素晴らしく美味でした。

最中というといつもは鶴屋八幡の百楽が贔屓です。
軽やかな皮と絶妙なコクの餡がとても上品な口当たり。
大阪ではたいていの百貨店で置いてあり、
手に入れやすいというのもいいところ。

他には奈良のみむろ最中がとても美味しいと
いつも家族で話しています。
白玉屋榮壽HP⇒
http://www.begin.or.jp/mimuro/item.html

ここに菊屋さんも加わって、
好きなものがまた増えたのでした。

2012年2月25日土曜日

女の敵


女の敵はやっぱり女。

陰口をたたいたり、噂を流したり、上司に言いつけたり、
無視したりととにかく陰険極まりない。
彼氏を奪う人だっていますね。

そういう手合いには何度も遭ってきましたが、
ここ数年は気楽に過ごしてきました。

が、気を抜いていたら現れました。
実に油断ならないものです。

されるような隙もあるのでしょう。
ショックでダウンしかけましたが、
立ち直して一から態勢を整えたいと思います。

世の中いろんな人がいるもんだ。
“汝の敵を愛せよ”とイエスはおっしゃったそうですが、
そんなに懐深くはないのでした。

2012年2月22日水曜日

ブロードハーストへ


今日は曇り空の中、
大阪市中央区玉造にあるブロードハーストへ行ってきました。
美味しいイギリス菓子のお店です。
HPはこちら⇒
http://broadhursts.com/top.html

デジカメを忘れたのが大失敗。
せっかくの写真がありません。
レモン風味クリームとナッツの入ったケーキと、
イチゴが山盛りのタルトを食べて満足。

生ケーキだけでなく、
焼き菓子も豊富にあります。
風味豊かなスポンジが他店との違いがよくわかるので、
普通のイチゴのショートケーキも食べたかった。

お持ち帰りの焼き菓子もしっかりと購入して、
ご満悦で帰宅しました。

イギリス菓子というと北野佐久子さんを思い出します。
ハーブやイギリスの料理、お菓子などを研究されていて、
その紹介に努められています。

10数年前に北野さんの「イギリスのお菓子」という本がありました。
ビールを使うケーキというのに挑戦してみましたが、
腕の悪さか???という不思議な風味でありました。

イギリスも一度は行ってみたいところですね。
オースティンと児童小説の中の世界しかしらないので、
現代とはすごくずれがあるとは思います。
ロンドン・オリンピックの影響で、
TVで見る機会は増えそうですね。

2012年2月19日日曜日

ムーミンのクッキー


ムーミンの缶入りクッキー。
わかりにくいですが、ムーミンファミリーと、
ミィ、スナフキン、スノークのお嬢さんが並びました。
塩味に少しシナモン風味で美味しいです。
赤い缶も可愛い。
しっかりミィとスナフキンを食しました。

北欧フェアなどでも見かけますが、
面白いことにハービスエントのアンジェで
母が見つけてきました。
アンジェは素敵な雑貨が色々と揃っていてとても楽しいお店ですね。
本気になったらすごく散財してしまいそうです。
だから普段は見るだけ。

※ ※ ※

忙しかった12月を越えて、はや1月も過ぎ、2月も中旬になりました。
新しい仕事場にも少しずつ慣れてきて、
皆の動きもようやく落ち着いてきました。

だからでしょうか、
なんだか物足りない気分がむくむくと湧いてきました。
忙しかった反動かな?
何かしなければいけないという気持ちと、
何をしたらいいのかわからないという不安とが心を襲ってきます。

いい機会だからフランス語でも始めるといいのかなとも思います。
(いつも再開したいと思っているので。)
それともちょっとお出かけして気分転換の方が気楽でしょうか。

読みたい本も読んでいるのに充足感が無いのは、
どうしてでしょうか。
自分に対して不安もあるし、疑問もあります。
もっと踏み込んで未知の本にトライするのもいいかもしれません。
「パンセ」や「エセー」などが思い浮かびます。

この一週間どうどう巡りを繰り返しているのでした。
季候がよければお散歩して考えごとするのですが、
こう寒いと自然と暖かなカフェで難しい顔をしています。

2012年2月12日日曜日

「ちいさいモモちゃん」


「ちいさいモモちゃん」 松谷みよ子著 講談社文庫

昔々いつのことだか、読んだ記憶がうっすらとあります。
母に尋ねると4歳くらいのころに買ってみたけれど、
まだ早いと周りの人に言われたということでした。
家にはあったはずだけれど、
どんな本だったのか、全く覚えていませんが、
長い時間を経て読み始めてみると、
そうそう、思い出しました。

モモちゃんが生まれたとき、
ジャガイモさんとニンジンさんとタマネギさんが、
カレー粉の袋をしょってやってきた話。

これを始めとして、
子猫のプーが一緒に暮らすようになったり、
モモちゃんがあかちゃんのうちに行くようになったことや、
怖いウシオニがモモちゃんの影をペロリと食べてしまった事件、
なんとなく記憶にあります。

モモちゃんが必死でおはなしをして、
できるかぎりトコトコ歩いて、
まわりで起きたことを理解しようとして、
モモちゃんの懸命な努力が成長することの原点なんだ。
今になってわかることです。
そして初めてママになったママも一生懸命です。
こうやってみんな大きくなったのだと、
ほろりとさせられながら読みました。

この本には「ちいさいモモちゃん」と次のお話の
「モモちゃんとプー」が収められています。
最後の方ではモモちゃんがお姉さんになります。
少しずつだけど、しっかりと大きくなっています。

いつもそばにプーがいてくれてよかったね、モモちゃん。
一人ではさみしいもんね。

この文庫版の表紙は酒井駒子さんの絵で飾られていて、
とってもかわいいモモちゃんを見ることができます。
この酒井さんの絵が本を手に取ったきっかけだったのです。

2012年2月11日土曜日

冬の休日


今日は土曜日だけど祝日のお休みで、
陽射しもあって穏やかな冬の一日でした。
でもお話することが思いつかないのです。

少しずつ本は読んでいますが、
あまりにゆっくり過ぎてペースが落ちてきそうです。
ここらあたりで、ぐっと一気に読めそうな本が必要のよう。
昨年好評だったミステリ「二流小説家」があるので、
このあたりにしてみようかな。

昨日ニュースで「マリ・クレール日本版」が中央公論新社から
復刊されるという情報を得ました。
しばらくは読売新聞購読者を対象に配布されるとか。
これは気になるところです。
どうにかして手に入れたいです。

2月なので確定申告の手続きもしなくてはいけません。
個人事業主ではないので、たいしたことはないのですが、
わずかでも戻ってきてほしいものです。

1月の後半は比較的元気にすごせたので、
冬の残りのもう一息を無事に乗り切りたいと思っています。
寒気と頭痛との戦いが主なので、
風邪薬と持病のお薬は手放せません。
手の腱鞘炎は対策がわからないのですが、
足の膝の痛みはちょっとした体操で鍛えることで、
変化が出てくるようですね。
膝の保護とスリミングと両方兼ねて、
試してみようと思います。

冒頭の写真はオフホワイトの熊の土鈴です。
北海道からやってきました。
手のくぼみにちょこんと収まる優しい焼き物。
北海道出身だから白いけど白熊でなくてヒグマでしょうか。

2012年2月8日水曜日

池澤夏樹さんによる「アンゲロプス監督を悼む」


1月30日(月)付けの日経新聞朝刊に掲載された
池澤夏樹さんの「アンゲロプス監督を悼む」の記事には、
監督の訃報がもたらした池澤さんの驚きと戸惑いを伝え、
お二人の親交とアンゲロプス作品をよく理解できると思われたので、
ここに書き留めておくことにします。


「アンゲロプス監督を悼む」 作家 池澤夏樹

 長い間ずっと一緒に仕事をしてきた相手を失って、
まだ茫然としている。テオ・アンゲロプスが事故で無くなってしまった。
それがまだ納得できないでいる。
 1988年にぼくが芥川賞をもらった時、テオは焦った。
 彼の映画の配給元であるフランス映画社の川喜多和子さんが電話で
そう伝えたら、テオは「ナツキにとってはめでたいことだが、
私の映画は日本でこれからどうなるのだ?」と聞いたという。
 それまでにぼくは彼の映画の字幕を5本作っていた。最初のきっかけは
現代ギリシャ語という修得者がすくない言語の故だったけれど
(ぼくは1975年から2年半ギリシャで暮らして、ギリシャ語を覚えた。
テオを有名にした「旅芸人の記録」もアテネで公開された時に見ている。)、
この関係はその後もずっと続いた。来日した彼と話して親しくなった。
 芥川賞ぐらいでテオの専属字幕製作者の特権を手放しはしない。そう
宣言して今まで更に7本の映画の字幕を作った。
 字幕というのは制限の多い特別な種類の翻訳である。俳優が喋るのに
合わせて意味を伝えなければならない。短い台詞は字幕も短くなければ
ならない。
 ヨーロッパ語どうしならばまだ楽なのだが、日本語のように文法も
語彙も違う言語だとなかなか難しい。それに観客は画面を見に来て
いるのであって字幕を読みに来ているわけではない。ほんの一瞬で
複雑な内容を伝えなければならない。
 ぽんぽんと行き交う会話ならばまだ細工のしようもある。一本に
盛りきれなかった部分を次の台詞に移すこともできる。しかし、
テオ・アンゲロプスの場合、台詞は極端に少ないのだ。
 画面が伝えきれなかったことを伝えるための説明的な台詞は
一切ない。長い沈黙の中でぽつりと発せられる一言に盤石の重みがある。
前後に割り振るなどできることではない。
 しかもギリシャ語は語尾変化が多様な分だけ省略が可能で、
短いセンテンスのうちにおそろしくたくさんのことが盛り込める。
それをもとに字幕を作るのはまるで短歌が俳句を作るような
言語的アクロバットになる。
 テオ・アンゲロプスはまずもって詩人であった。これは比喩ではない。
彼は実際に詩を書いていたし、彼の映画を作っていたのは詩の素材と
構成であり、言葉の代わりに映像を使っているにすぎない。
だからこそ字幕は大切なのだ。
 忘れられない台詞がいくつもある。「旅芸人の記録」の中で、
旅回りの一座の座長アガメムノンがナチの銃殺隊の前に引き出される。
「私はイオニアの海から来た。君たちは?」
 そう問うたところで撃たれて倒れる。 
 人は人に出会った時、自分の出自を述べ相手の出自を聞くところから
つきあいを始める。イオニアから難民としてやってきたアガメムノンは
敵の兵士をも人間として遇しようとした。だが返ってきたのは
言葉ではなく銃弾だった。
 こんな感動が一作ごとに詰まっていた。それがこの先はもうないと
いうのが現実のこととは思えないのだ。

2012年2月5日日曜日

身をおくこと 「北の古文書」を読み始めて


ユルスナールの「北の古文書」を読み始めました。
「追悼のしおり」では母親の祖先を辿る話でしたが、
この本では父親側の話となるそうです。
冒頭ではクレイヤンクールの土地であったモン・ノワールを軸に、
それよりももっと昔の先史から語り始めています。
北西ヨーロッパの歴史となるのでしょう、
まだ人間が現れる前の自然と命の営みを大きく俯瞰しています。

こういった文章に出会うと、
ちっぽけな自分が言葉の作り上げる雄大な世界に取り込まれて、
茫然としてしまいます。
そしてこういう文書を書く人には見えているのだろうその世界観に、
とても深く感じ入ります。

ユルスナールは人間をも含んだ世界に対して、
畏敬の念を持っていただけでなく、
自らもその一員であることをきちんと自覚しており、
その視点から立って語るようにしているように感じられます。

最初の数ページだけで、ユルスナールの世界に取り込まれ、
普段の生活の中で見えない状態にあるものを見せてくれる、
言葉だけで深さと豊かさを教えてくれる、
その中に身をおくことの素晴らしさ。
本を読む醍醐味ですね。

これからゆっくりとページを繰って、
ユルスナールの描き出す世界を歩いてみようと思います。

2012年2月1日水曜日

寒空


黒い画面に白い点、これはお月さんです。
しょぼいデジカメではこの程度しか撮れません。

この寒空に冷たい突風が吹いていて、
明日はさらに冷え込みそうです。
雪国の人ってどういうふうに生活しているのかな。
深い雪の中外に出るのも大変だと思います。
普通にお勤めもあるんですよね。
そのご苦労は想像もつきません。
被災地では寒さと雪の対策が万全ではなかったようで、
大変な様子です。
この冬を乗り切って、今後に活かしてほしいです。

さて、読書の方はモモちゃんシリーズも3冊目に入り、順調です。
2月に入りましたからユルスナール「北の古文書」も読み始めたいと思います。
並行して読む予定は多和田葉子さん「雪の練習生」。
ぼちぼち読んでいるのは堀江敏幸さんの「本の音」。
そしてまだまだ読み続けている庄野至さんの本。
月初なのでPR誌も届いて、今晩は「図書」を読みましょう。