2011年7月31日日曜日

「猫を抱いて象と泳ぐ」

「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子著 文春文庫

単行本で出たときからこのタイトルが不思議でした。
猫を抱いて、はわかるけど、
象と泳ぐ?
ちょっと難しくない?

内容はチェスをする成長を止めた男の子の話というし、
楽しめるだろうか、付いていけないのではないか?
と不安ばかりでした。

文庫になったからには、ここでトライです。

読みだしてみると、もう止まりません。
すぐにすっぽりと入り込んでしまいました。

シチェーションの面白さ、
人物造形の自然な存在感、
展開の巧みさ、
山場も所々あり、
息もつかせません。
そしてチェスを生かしたストーリー展開の楽しさ。
不思議なタイトルは主人公とチェスを結ぶものでした。

常に漂う不穏感の向こう側には静けさと豊かさが待っているのでした。
これは傑作です、と最後につぶやきながらページを閉じました。

2011年7月27日水曜日

フェルメール

京都市美術館で開催中の「フェルメールからのラブレター展」を
観に行ってきました。

17世紀オランダの絵画でフェルメールと同時期に活躍した画家の作品が
多数出展されていました。

ほぼ全部が室内画で、生活をそのまま描いたもの、肖像画、
風刺画などテーマは様々です。
中心となっているのは、手紙や書物を読むことのできる人々の姿です。
当時のオランダの人々において識字率が高かったことがわかるのです。

フェルメールの作品は3点。
“手紙を書く女”“手紙を書く女と召使い”“手紙を読む青衣の女”
どの作品も緻密で、表情が豊かで、静謐さが滲み出ています。

フェルメールの作品はこれまでも10点ほど観る機会があり、
どの作品も息を飲むほどに美しいものばかりです。
特に精密さに関してはかなりの時間をかけて制作されたのだろうと、
想像できますから、残された作品の数が少ないのもそのためかと思われます。
全体の構成バランスの絶妙さ、光の取り入れ方の効果、
ディティールの正確な描写等に加え、モデルの存在感を引き出した暖かい眼差しに、
これほどの作品を鑑賞できるのは幸運としか言いようがありません。

昔の作品を観るたびに思うのは、生活様式の違いです。
昼間の太陽光と夜は蝋燭の光だけですし、
服装の違いも当然ながらも茫然とします。
科学も医療も食事も情報も全てが異なった現代の暮らし。
遠く隔てて、でも人の心は変わらないと思うのでした。

そして、この絵画鑑賞も本を読むために必要な勉強で、
これらが読むときにイメージとして結びつくよう願うのでした。

2011年7月24日日曜日

ipodを久々の更新

itunesを新しいPCにインストールして、
色々CDを入れてみました。

グレン・グールドのBachを4枚。
    Bachに限らず、バロック音楽は色々聴いてみたいです。
    これから開拓の分野です。

ROVOの「LIVE」これは欠かせません。
    「RAVO」新作あまり聴いていないのでちょうどいいです。

パット・メセニーとブラッド・メルドーのカルテットを2枚。
    本を読みながら、聴くのに心地よいのです。
    3枚目も出るかもしれないですね。

サカナクション「kikUUiki」
       「シンシロ」
       「Night Fishing」
        このアルバムは初めて聴きます。
        なんだか“くるり”っぽいなぁと思いました。

コールドプレイ「Parashtes」
       「A Rush Of Blood To・・・」
やっぱり最初の2枚が好きです。

エクストリーム「Pornograffitti」
       「Saudades de Rock」
        ヌーノ・ベッテンコートのギターが大好きなのです。
        久しぶりに聴きたいと思いまして。

スガシカオ「FUNKAHOLIC」
     「FUNKASTIC」
      さっそく聴いてみたのですが、初期のスガくんびいきとしては、
      サウンドにグルーブ感があまり感じられない、
      ノリの悪い歌ですね・・・再聴する気にならないです。

今のところは以上ですが、
電車で聴くことが多いので、
聴きやすくて、安らぐ音楽をもっと入れたいです。

2011年7月20日水曜日

「未見坂」

「未見坂」 堀江敏幸著 新潮文庫

もったいなくも、さらさらと読んでしまいました。
堀江さんの短編小説には

“身近な人々が、そればかりか私たちのそばにあった事物や
 私たちを包み込んでいた風景が、たえず小さな私たちに
 傾けてくれていたにちがいない配慮を、世界とのそうした
 親密な接触を思い出すこと・・・そのような不思議な
 なつかしさに浸潤される体験”

をさせてくれると、解説の小野正嗣さんは述べています。
堀江さんの短編小説の魅力はこの解説を読めばすっかり
納得がいくのでした。

この本には9つの短編が納められています。
一つ一つ、これはこういう話なんだなとか、勝手に解釈して
読んでいますが、中には少々難しい大人向けの内容もあったりして、
ある程度の年齢を経た人のほうが味わいやすいような気もします。

個人的には、冒頭の一遍、
少年が友人と自転車を漕いで山の麓へでかける「滑走路へ」が好きです。
父の不在、懸命に生きる母とのコミュニケーション、
まだ小学生の幼いはずの少年が自分なりに考え、行動している様に、
一緒に伴走している気持にさせられます。

今日はその少年が友人と新たな冒険に出かける日。
飛行機がやってくる先を望ながら、空を仰ぐ姿が、
すがすがしく、心が晴れるような気持ちにさせられました。

もちろん、舞台となっている小さな町の様々な人々、
少しずつ見られる変化を取り上げている他の作品も、
どれもしっとりと心に馴染むお話ばかりです。

最後に小野さんの解説を読み、いつのときも人が求めているのは、
このようなぬくもりではないかと思うのでした。

2011年7月18日月曜日

「未見坂」読書中

堀江敏幸さんの「象が踏んでも」と並走して、
文庫化された短編小説集「未見坂」を読み始めてしまいました。

堀江さんの視線と登場人物のそれに重なって、
読み手も視線を動かしていくと、
自然にそのシーンが浮かんできます。

物語に入り込みんでいくと、
主人公と同じところで視点がとまったり、
ある部分が気になったり、
そこからある記憶をさかのぼって色々と思い出したり、
と、まるで自分が体験しているかのような気分になってきます。

そういう気持ちの動きは単なる“共感”とも異なるように思えます。
主人公と自分が重なったような感じなのです。

そして物語の終わりにくると、
なんだか泣きたくなってくるのでした。

本当にここで涙を流せば、心がすっきりとするかもしれない。
でも心が固くなっている自分はぼんやりと空を見つめているだけなのです。

2011年7月17日日曜日

「私の中のシャルトル」

「私の中のシャルトル」 二宮正之著 ちくま学芸文庫

十年前ほどに読んだこの本のことを時々思い出します。
恥ずかしながら、正確にはどのような言葉、
文章が記述されていたか覚えていないのですが、
ただ、そこにある思考の奥深さに支えられた静けさが、
一個人の心の中のある一つのスペースを占めています。

久しぶりに取り出してページを繰ってみると、
この文章は確かに読んだとの記憶が蘇ってきました。
ここに書かれている内容は今の自分の生活とは何の関わりもないところにあり、
そのうえはっきりと述べれば、自分の興味の対象でもないのでした。
とはいえ、
エッセイという形式によって、異文化を土台にした思索を辿ることは、
困難な読書ではあるものの、非常に魅力的な光を放つものでもあります。
この本もそういう魅力を感じて読んだのでした。

内容を改めて読むことも必要かもしれないのですが、
この思索という作業が今の自分には最も求めることの一つであり、
それを体現して形を成しているという一つの例として、
大切な本なのでした。

本を広げれば、その著者の世界観に触れることができ、
さらに新たな道を示してくれる、そういう読書が必要な時があります。

著者の二宮正之氏は東大で学び、エコール・ノルマルで学んだ後、
ジュネーブ大学で教鞭を取っておられたそうです。

2011年7月13日水曜日

JAMES BLAKE

新聞の音楽評に“ダブステップを消化した陰影の美しい音楽”と
あったので、興味が湧いて聴いてみました。

スローテンポで、和音の美しい、そして複雑なリズム感を持った、
不思議な音楽です。

夜に静かに聴くのがぴったりです。

歌詞が分かればもっと楽しめるのですが。


 
昨日から、右手の甲の腱鞘炎の痛みに苦しんでいます。
今夜は早く休むことにしましょう。

2011年7月10日日曜日

「追悼のしおり」その③

“邸宅巡り”はユルスナールの出産を書いた“出産”の章に
続いて、母方の祖先について書かれた章です。

ド・カルティエ一族はリエージュ地方の非常に古い家門、
であったようです。
様々な公職に就いた人々も多かったようです。
18世紀頃についてまでの一族の歴史が数ページに渡って、
割かれていますが、ベルギーというより、
ヨーロッパの歴史に疎い者にはなかなか着いていくのがつらいところです。

著述は少しずつ範囲が狭められていき、
フレマルという18世紀に住まわれていた土地には、
ユルスナールも赴き、現代の姿の哀れさにまで、
話は及んでいきます。

一族の系図を手掛かりにしながら読み進んでいくと、
すぐにわかることなのに、今さらながらわかったのが、
母親の両親はいとこ同士なのです。
そしてその間には10人もの子供がいました。
そのことが詳しく書かれています。
祖父アルチュールと祖母マチルド。
マチルドが毎朝村の教会のミサに出かける場面は、
想像でしょうが、とても美しいシーンです。

スュアルレという場所に母親は10番目の子供として生まれました。
ユルスナールも母の兄弟、叔父たちと会っており、
その記憶が書き込まれています。

詳しい地図と一族の面々の肖像画、写真などがあれば、
どんなに助かるかと思われるほど、
多くの人々が登場し、頭の中は混乱するばかりです。
系図を見れば、ある程度限られていることに気づかされます。
ちょっとマップでも書いて整理してみたい気分です。
そんな山を乗り越えたところ、
祖母マチルドの死でこの章は幕を閉じます。

2011年7月9日土曜日

梅雨明け

近畿地方も梅雨明けし、本格的な夏を迎えました。

周りの植物を見ていると、少々おかしな感じがします。
職場の朝顔、葉っぱがほとんどなく、青い花ばかりが咲き乱れています。
そういえば、他所の朝顔も葉が少ないような気がします。
品種のせいでしょうか。
皆様のところはいかがですか?

家の庭の芝生も今年は全く伸びません。
土が目立っていて、青々とした夏の勢いがありません。

メドウセージは盛夏に咲くはずなのに、
梅雨時期から咲き始めました。
ノウゼンカズラもすっかり花盛りです。

と、何気なく見ているだけで詳しいことはわかりませんが、
夏の緑に元気がないのは気になるところです。

2011年7月6日水曜日

読書いろいろ

ユルスナールの「追悼のしおり」を読むことができずにいます。
集中ができる、まとまった時間がなかなか無いのです。
時間がある時は気分が乗らない。
一応持ち歩いてはいるのですが、
言い訳でごまかしています。

月初なので、恒例のPR雑誌「ちくま」「図書」「波」を
せっせと読んでいました。
今月はどれも読むところが沢山あって、
時間があっという間に過ぎていきます。

それと月に2回だけ発行される朝日新聞の新日曜版「GLOBE」。
これがなかなか視点がグローバルで面白いのです。
ゆっくり、じっくり読みます。

購入してからしばらく置いてあった堀江敏幸さんの「象が踏んでも」を
ようやく読み始めました。
なんだか男性の書いたエッセイが読みたくなったのでした。
一気に読むのはもったいないし、
文字が滑っていきそうなので、
これも少しずつ進めていこうと思います。

2011年7月3日日曜日

コツコツ

新しいPCは微妙にキーの位置が狭まっていて、
ミスタッチばかりしています。
なかなか進みません!

7月に入って夏だし、今年の後半にも入ることだし、
できるだけ一からシンプルに必要なものだけに
したいと思っています。
まずは“お気に入り”を減らすこと。
そしてituneをインストールし直す際に、
できるだけ新しい曲を入れること。

目の前に手作りの7月のカレンダーを貼りました。
今月の写真はベルギーの海。
白い砂浜と青い青い海、遠くの青い空がひたすら美しい。
ベルギーも憧れの地。
いつの日か訪れたいと願っています。