2015年10月30日金曜日

ファンクラブ

初めてファンクラブなるものに加入してみました。


これまでファンクラブというものにあまり興味がなかったのでした。
コンサートのチケットを入手するのに、
都合がよいらしいとは聞いていましたが、
私はコンサート行かない派ですので、関係ないし、などと
思っていました。


昨今のアーティストのHPを見ていると、
面白い仕掛けがたくさんありますね。
ここ一年くらい聴いている大橋トリオのHPを見ているうちに、
何があるのだろう?と不思議に思うようになり、
ついにふらふらっと入ってしまったのです。


で、何があるかというと・・・特に普通の特典があるだけで、
別に変ったこともない。


コンサート情報が早く入るのが良い、いい席が取れる、
これくらいでしょうか。
でも大橋トリオのコンサートに行く予定は今のところありません。


入ってみて、初めて、私には用がなかったことに気がついたのでした。

2015年10月29日木曜日

「サンドリーヌ裁判」

「サンドリーヌ裁判」 トマス・H・クック著 村松潔訳 
ハヤカワ・ポケミス1891


このミステリが称賛されているのを見るにつけ、
読んだ者として、少しは語っておこうかな、と思い直しました。


これは夫婦の物語です。


アメリカの小さな町の大学教授の夫。
同じ大学の同じく教授の妻。
妻がベッドの中で死亡していましたが、
これは自殺なのか?
夫による殺害なのか?
夫が起訴され、裁判が始まります。
裁判を舞台としながら進むミステリです。


夫は不利な状況下にありますが、
裁判中、弁護士と娘とのやりとりを挟みながら、
過去を振り返ります。


妻はあの時、なんと言ったか。
妻はどういうつもりであのような行動をとったのか。
妻の相手の男性とはどういう関係だったのか。


妻と夫は全くの他人。
偶然知り合い、妻は夫を伴侶として選びました。
そして旅に出たのでした。
旅から帰り、二人で勤められる大学を選び、
引っ越し、新たな生活が始まり、娘に恵まれ、
そして時が流れ、妻は重病であることがわかりました。
ああ、だのに夫サミュエルはいったい何をしていたのでしょう。


妻はたくさんのキーワードを残していました。
それは、夫へのメッセージであったのです。
そのことに気付いた夫サミュエルは、始めて己を知ったのです。


すべてが夫サミュエルにとって明らかになり、
裁決が発表されます。


そして、エンディングが訪れます。


ミステリ仕立てではありますが、
夫婦の話として読ませられました。
未だに夫婦というものが理解できない私には、
結末はあまりに愚かしい。
事実は小説より奇なり。


小説としての体裁が複雑で、
読み解く醍醐味もありますし、
心理描写を追っていく興味深さもあります。
もちろん山場もあちらこちらにあり、
冷や汗をかきながら読む人も多いのでは。


ミステリ小説としては満点、
個人的には苦手、という読書でありました。

2015年10月28日水曜日

「失われた時を求めて」13 見出された時Ⅱ

「失われた時を求めて」 13 第七編 見出された時Ⅱ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


この最後の一冊は、“時の流れ”を意識させる描写が
連なっています。“時”をどのように、どんなときに、
どんなふうに意識するものなのか。
“私”はこの“時”を芸術作品として、
書いてゆくことを決心し、それがスケールの大きなものであることを
すでに予測していました。
物語は“時の流れ”つまり“時”はどういうものであるか、
“私”の思考の終着点に向かって結ばれます。


この集英社文庫版には訳者による“はじめに”があり、
前巻で起こったことを振り返り、この巻で起こることを前もって
知らせてくれます。非常にすぐれた解説であり、
私たちは“はじめに”をナビとして物語に入っていくことができます。
そこでは、作者プルーストの意図の考察も取り上げられており、
この小説がいかに壮大なものであるかを知らせてくれるのです。


この小説に出てきた人物たちが、
この巻では新たな立場や様子で登場します。
そしてサン=ルーとジルベルトの間に生まれた娘も登場します。
また、かつての舞台女優ラ・ベルマと、現在有名人となった
ラシェルが比較されるように書かれています。
昔、ラシェルはサン=ルーの恋人でありました。
ヴェルデュラン夫人はゲルマント大公夫人の座に収まっています。
これだけでも、驚かされるわけです。
と同時に、私も話相手との会話で自分が歳をとっていると
理解されていることを知らされます。


プルーストは51歳で亡くなっています。
この大作が書かれた経緯は大変複雑で、
現在も研究が進んでいるようです。


物語を読むということは終了しましたが、
解説の本を読むことで、この本の気が付かなかった魅力や、醍醐味、
書かれた経緯を読み解く面白さも知ることができるでしょう。


色々な意味で、終わらない物語、そういう印象が最も強く残っています。

今年のブログを振り返ると

今年はどんな風にスタートしたのだったかな?
と、1月のブログを開いてみると。
あれまあ、抱負はすべておじゃんです。


勉強を夏から再開しますと言っておきながら、
仕事が忙しかったことと、通信教育を申し込めず、
タイミングを逃しています。
こちらは、より実践的な資格を目指して、
冬から通信教育を始めるように申込みをいたしました。
この勉強についての話は後日またいたしましょう。


健康面は1月末から偏頭痛に襲われ、苦しみました。
しばらくして治まったものの、
同時にダンベルを復活させるのが怖くて、
ストレッチもほとんどしなくなってしまいました。
精神面の持病は不思議なことに安定しております。
お医者さんも太鼓判を押してくれていまして、
だいぶタフになってきたかも?!
でもお腹イタイタは相変わらず起こるので、
自律神経のコントロール、気持ちのバランスに気を
つけねばならないところです。


読書は、プルーストこそクリアできましたが、
本丸になかなか近づけておりません。
先日もお話したように、読みやすい本ばかり読んでいるのが、
足かせになっていますね。
読みやすい本というと語弊がありますが、
関心のある現代文学や、書き手の人のものは、
現代人として読んでおきたいと思うのです。
でもそういった本の比率を下げないと、
ユルスナールや須賀さんの本の読み込み、
心理学、哲学・思想の本まではなかなか進めないでしょう。
これは来年の課題ですね。


今年の春前後からは職場と仕事の悩みをつらつらと書いておりました。
半年が過ぎて、新しい上司の方のやり方にもずいぶんと慣れ、
一新した流れで業務が進むようになっています。
ただ、私だけでなく、悩みが解消されたわけではなく、
秘かにI課長に相談したりしながら、
あきらめも持ちつつ、日々を過ごしています。
自分の立ち位置をしっかり固めて、
オーバーワークにならないよう、
そしてミスの出ないように努めたいところです。


こんなブログではありますが、
よろしければ、お付き合いくださいませ。
お読みいただいている方に感謝を申し上げます。

2015年10月27日火曜日

久しぶりの雨

満月の夜だというのに、
予想どおり雨が降り出しました。
降り出す前のお月さんはオレンジ色にぼやけていました。
朝には上がるらしいですが、
久しぶりの雨で喜んでいる人も多いことでしょう。


私は仕事中も暇に見えるらしく、
そんなんしてたら俺が前にいた部署では撃たれるで、
と恐ろしいことをいう人がいます。
暇じゃなくて、メリハリをつけてんねん、
と言い返したいところですが、
笑っておくことにしています。
いつか爆発するかもしれん。


それよか、時間が無いんです、私。


プライベートでも仕事の時のように段取りを組んで、
先々にこなしていく方法をとればよいのかと思います。
段取り好きではあっても、面倒くさがりなので、
プライベートではついつい後回しにしてしまいます。
それが命とりになるかもしれませんね。


読書もそういう傾向があります。
難しい本を後回しにしてしまう。
勉強も困難な方をあきらめてしまう。


詰め込みすぎたら、またダウンしてしまいますが、
やるべきことを先にするように心がけましょう。
来年の抱負は決まりです。

2015年10月26日月曜日

枯葉

歩いていると枯葉が目につくようになりました。
見上げてみると、黄色くなりかけた木々が。


そして夜も訪れも早くなりました。
帰るころには白いお月さんが暗闇に光っています。


そのうち、息も白くなって、
手が冷たくなって、
コートを着るようになるでしょう。


毎年の繰り返しなのに、
新しい季節の訪れはいつも新鮮です。


今週はゆっくりペースで参ります。
そんなときには、やりたいことばかり思いつきます。
心理学、カウンセラーの勉強をしなければ、と思いつつ、
本当に勉強したいのはフランス語だよ、と
心の声が聞こえてくるのでした。
ここ数年のメディアを見ていれば、
遅くなってでも英語の知識は必要だと思わされますし、
もちろん本を読み続けたいですし、
頭が混乱してきます。
そのために定期的に計画を立ててみるのですが。


どれも時間と根気の必要なことばかりです。
人生の目標と実質的な目標を重ねて勉強をすることにしていますが、
これも私らしくコケてしまいそうな予感がします。


どうしたら、納得できるのだろう。
満足できなくてもよいのです。
どれも手に入れたいのです。


新しい季節が来るたびに、
自分の位置を考えさせらえてしまうのでした。

木枯らし一号

今日は陽射しはあったものの、風が強かったですね。
木枯らしがやってきました。
おかげで夜はとても寒く感じます。
すごく着込んでいます。
ストーブにはまだ早いのでしょうが、出したくて仕方ありません。


昨夜は朝井リョウ著「何者」を読み終えました。
途中までは、着地点が想像できなくて、どうなるのかと思いましたが、
終盤で、よし!と膝を打ちました。


次は、と。


今日は日曜日ですので、読書メモをUPしたかったのですが、
あまりに冷えるので(?!)お休みします。
これでは本番の冬はどうなるのか、不安であります。


来週は特別な予定が無い一週間。
何もないことで、退屈するか、テンションが落ちるか、
はたまた落ち着いた日々を送れるか。
仕事でも事件が無いことを祈るばかりです。

2015年10月25日日曜日

リセット

先日の懇親会でハイテンションのあまりお腹イタイタをおこした私。
困ったのではありますが、なんとなく納得がいったのです。
遠足からこちらテンションを維持するのに気をつかっていました。
その反動が出たのではないかな?と。


そして今日も予感はありました。
久々にリラックスした何もしない一日を過ごして、
きっとその効果が現れるだろうと。
で、そのとおり夕方にお腹イタイタはやってきました。


精神というか、気持ちというか、コントロールは難しく、
自分に無理を課していると、ストレスが溜まってきます。
それは自然なこと。
ストレス・フリーは理想ですが、
そんな生活は実際には難しいでしょう。
ストレスのあまり重い病気になってしまう人もいます。


私は顔面ピクピクはよくあるので、
ストレスに弱いことはよくわかっています。
だからお腹イタイタも身体の反応だと思っています。
すごく苦しいのですが。
恥ずかしいし。


ストレスの無い生活も経験があるので、
今さら楽な生活がベストとも思えません。
こんな自分と付き合っていくのも人生ですね。


そんなこんなでお腹イタイタによりリセットされたつもりで、
明日から仕事に行ってきます。

2015年10月24日土曜日

冷や汗のち感謝の懇親会

今夜はこじんまりとした懇親会・・・I課長とYちゃんとTちゃんと4名。


このメンバーで集まるのは4回目ですが、
裏表のない素直な気持ちで仕事の話ができる重要な懇親会です。
男性中心ですから、悪口は無く、事実関係をまじめに、
可笑しくお皿の上に乗せてお料理いたします。
お互いのことをよく理解しているということも大切ですね。
そのコンビネーションが素晴らしい。


で、一番精神的に幼いのが私です。
今夜は嬉しくて、食事よりもおしゃべりに花を咲かせてしまいました。
すると・・・テンションが上がりすぎて、自律神経がぽきりと折れてしまいました。
例のお腹イタイタです。席をはずすこと6回。
気まずいやら、気恥ずかしいやら、申し訳ないやら、で、
もう穴があったら入りたいくらいでありました。


でも皆とても優しくて、さりげなくて、嬉しかったです。
この部署に来ても、また良い人たちと巡り合えたと思います。


この人たちと(I課長は別の部署におられますが、同じ会社ですし)
仕事をする楽しさ、ありがたさを味わいながら、
これからも職場での日々を過ごしていきたいと思いました。


みなさん、ありがとうございました。

2015年10月22日木曜日

すぐに読みたい本を散らばせて

昨夜取り上げた“すぐに読みたい本”を眺めてみると、
じっくり読む本が少な目です。


じっくりしか読めない本は他にあるのです。
ユルスナールやシモーヌ・ヴェイユや、
阿部謹也さんの歴史考察の本や、
辻原登さんの勉強本、
カルヴィーノの大群。


なるべく一か月に一冊はじっくり読む本を軸にしましょう。
そして“すぐに読みたい本”を散らばせるのです。


と簡単にはいっても、バランスが難しい。
これは大好きな計画を立てるチャンスです。
2,3か月くらいのプランを考えてみましょう。
もちろん脱線もありです。


“すぐに読みたい本”の中には旬の本もありますから、
そのあたりも考えて、と。


後残り一年である程度収まるようにしたい、
そして、次の課題へ入りたい、と思っています。


来年には、ユルスナールの「ハドリアヌス」と「黒の過程」も
再読したいと思っています。
ユルスナールと須賀さんはライフワークみたいなものでしょう。


そして再来年には・・・。


難しい本がさらに多くなりそうなので、
かえって“すぐに読みたい本”の類が増えそうな気もします。
それにかまけていると、肝心な本を逃してしまいますから、
要注意。


まずは年内の計画を立てることにいたします。

すぐにでも読みたい本たち

「他者という病」 中村うさぎ
「獄中記」 佐藤優
「黄昏客思」 松浦寿輝
「ロラン・バルト」 石川美子
「読んで、訳して、語り合う」 都甲幸治
「現代小説クロニクル 1995-1999」
「現代小説クロニクル 2000-2004」
「現代小説クロニクル 1975-1979」
「パリの学生街」 戸塚真弓
「何者」 朝井リョウ
「さようなら、オレンジ」 岩城けい
「長靴下のピッピ」 リンドグレーン
「阿部謹也自伝」 阿部謹也
「世間への旅」 阿部謹也


これらの本が本棚の手前にあって、
いつ読まれるのか、待っていてくれています。


今読んでいるのは、
「マルセル・プルーストの誕生」 鈴木道彦
「パリの紅茶の話」 戸塚真弓
休憩しながら、上記の本も読んでいこうと企んでいます。


もちろん、これ以外にも・・・ああ、恐ろしや。
今年度中に読めるものとそうでないものを仕分けて、
いいところにユルスナールを強引に持ってこようかと。


一日読書タイムは30分~1時間の身。
読める本からいくしかないです。

2015年10月21日水曜日

ゆっくりいたしました

一昨日の遠足があまりにハードだったので、
今日は疲れがどっと出るのではないかと思っていたのですが、
ゆっくりとマイペースに一日過ごせたからか、
疲れもだいぶとれたようです。


遠足の時には、
ご一緒した同じ会社の3名の女性の方々、
とくにMさんにはお世話になりました。
座席がお隣であったこともありましたが、
とても気遣いの細やかな方で、
おかげさまで気持ちよく過ごすことができたのです。
ありがとうございました。


昨日久々の職場では、
心配することは必要なかったようで、
山積みも無く、いつもどおり粛々と仕事に従事できました。
とはいえ、外注さんとの業務に新たな失敗が発覚し、
えらいこっちゃ、と冷や汗です。
次の打ち合わせの際には、
配慮が必要になりそうな一件であります。


遠足時の集合場所へ行く途中に大阪城ホールがありました。
そう、その前日と当日にはサカナクションのライブがあったのです。
ラジオのDJさんが、素晴らしかったと話していたので、
眺めながら、行きたいなぁと。
サカナクション、どちらかというと初期の作品を聴くことが多いのですが、
見事に大魚に成長されたようです。
今度ライブDVDが出たら、ぜひ観よう。


読書の方は、課題がたくさん積みあがっています。
ユルスナールを読めるのはいつのことになるやら、です。

「失われた時を求めて」 見出された時Ⅰ

「失われた時を求めて」 12 第七編 見出された時Ⅰ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


さて、とうとう“見出された時”までやってきました。
ここで、この小説の書かれた意味と意義を知ることができるでしょう。
そして有名なエピソードとなる想起されたきっかけを見ることにもなります。


“私”はジルベルトとサン=ルーの別宅であるタンソンヴィルに
滞在しています。
そこでゴンクール兄弟の日記(これはプルーストが書いたもの)を
読み、彼らが書くことで成功していることが、“私”には不足しており、
ひるがえせば、“私”はものごとを違った形で捉えていることでもある、
そういったことを考えさせたのです。
そのすぐ後に、長い間療養生活を送っていた“私”は書くことを諦めて
いました。しかし第一次世界大戦が始まり、療養生活を切り上げて、
パリに戻ってきます。
しばらくは戦時中の話が続きます。おなじみの名前が次々と
現れ、個性豊かな彼らの様子が語られます。
シャルリュス男爵も重要な役目を果たしてくれました。
現場を目撃してしまったのです。
そして戦争はあらゆるものの価値を代え、
軍人として果敢に第一線に赴いたサン=ルーは戦死したのでした。


再び療養所にて過ごしていた“私”は完全に回復することなく、
退院し、パリへ戻ってきます。
ゲルマント家に招かれた“私”は、ふと入口の敷石のところで
つまづきました。その時です、かつても感じたことのある幸福感に
襲われたのは。以前ハーブティーにひたしたマドレーヌを口に
含んだときには、その幸福感を逃がしてしまいましたが、
このときには、これを逃してはならないと悟ったのです。
続いてスプーンが磁器にあたる音がしました。
敷石につまづいて想起されたのは、ヴェネツィアでの出来事でした。
マドレーヌの味はコンブレーでの思い出。
スプーンの音により、また新たな記憶が蘇り、
様々なシーニュが私の幸福感を呼び起こし、これらが結びついて
私の記憶、物語を形作っていることを実感するのです。
ここから末尾までは、実際この幸福感が文学とどうつながっているのか、
“私”は考えを構築させていきます。
ある意味この部分がこの本が書かれるべきものであった理由を
知ることができる山場でありましょう。


“私”が語る言葉が実は大変難しい。
いや、難しい言葉は使われてはいないけれど、
本意を汲み取るには根気が必要です。
というより、わかる人には魔術のように伝わるでしょう。
このとおり私は読み手としては失格です。
考えた事実として読み、
そしてここまでの物語がすべてここに集結しているのは、
当然の帰結として読んでしまいました。
ああ、もったいないこと。
少々リズム感が合わなかったことも理由にあると思います。
そしてフランス人らしい思考回路についていけなかったこともあります。
もう一度読み返すべきか、訳を変えて読んでみるか、
結局は“私”の心理を読みこなせないままとなるか、
考えてみようと思っています。

2015年10月20日火曜日

研修といいながら、遠足気分

昨日は、予定どおり某団体が主催する研修に参加してきました。
各社から数名ずつ集まり、総勢25名+主催担当者、コーディネイター、
コンダクターが朝早く大阪某所に集まり、観光バスに乗り込み、
一路、京都へ。


第一の訪問地は知恩院でした。
国宝である壮麗な三門をくぐり、まずは鐘楼へ。
年末にTVで放映されるあの巨大な鐘はなんと70トンだそうです。
小高い丘の中腹に大きな身体を緑の中にひっそりと置いておりました。
触らせてもらって、迫力を体感。
次はメインであり、現在修復中の御影堂の工事現場の見学です。
工事建屋の4階まで上がり、屋根の修復の様子を見せていただきました。
あまりに大規模で、圧倒されました。
補修工事の様子は、素人が見ていても、見事な手さばきでこなされていて、
いつまでものんびり眺めていられそうでした。
たぶん高さや角度などの見学視点位置が良かったのだと思います。
それから建屋に入り、ぐるりと奥へ入り、徳川家の方が寝室として
使っていたというお部屋で、お抹茶をいただきました。
寝室ということで、襖絵は墨絵なのだそうです。
美しい庭園を眺めながらの一服はとても落ち着きました。
そして大方丈へ。徳川家が執務、人と会う中心のお部屋へご案内。
まあ、お寺であるのに、豪華絢爛なこと。
襖絵は金箔たっぷりに鶴、松、でございました。
撮影は禁止でしたが、触ったりしてみましたよ。


とようやく、これで知恩院見学終了です。
法然上人が開き、徳川家によって保護、拡張された立派なお寺でありました。


あらあら、こんな風に続けていると、終わりが来そうにないですね。


お昼の時間になりました。
木屋町のたん熊北店本店でお食事です。
京料理の代表的なお店で、季節感のある美味しいお食事をいただきました。
この頃になると、皆すこしずつ慣れてきて、和やかになってきましたね。


続いては、重要文化財である町屋、諸国大名が宿泊したという二条陣屋へ。
スケールの大きなお寺とは対照的に、人間のサイズに合わせたお家です。
つまり現代人の我々には縦も横も狭すぎるのです。
こじんまりとして、工夫に工夫を重ねた、コンパクトサイズのすべてが
揃ったお家。一部屋もとても小さい。しかしながら、防犯や防災に優れ、
便利なアイデアがあちらこちらにみられます。
最も驚いたのは我々が1時間以上かけて見学したのは、全体の3分の2、
残りの3分の1のスペースでは、当主の小川家の方がお住まいだということです。


丁寧に見学していたこともあり、このあたりで時間が足りなくなってきました。
巻が入ります。
3つ目には、檜皮葺の研修センターへ向かいます。
ですが、交通渋滞に巻き込まれ、バスが動かず、降りて歩くことになりました。
この日はとにかく階段と坂を登って、下りてが多くて、
よく歩きましたし、1万歩は越えていると言われました。


檜皮葺の研修もDVDによる見学と、実施体験があり、以前から不思議に
思っていたことが色々とわかり、とても面白かったです。


最後には茶店で、みたらし団子をよばれました。
もう夕暮れになっていて、コンダクターの方は冷や汗。
一日のんびりする時間も無かったくらい、歩き回り、話を聞いて、
おしゃべりして、全員が充実した時間を過ごしたのではないでしょうか。


緊張と疲労とで、皆さん身体が重くなっていたと思います。
帰り際には、満足感がバスの中に広がっていました。


奈良組3名だけ東福寺でバスから降ろしてもらい、
京都に戻り、帰途へついたのであります。


私はそれからおまけもつけたのですが、
なるべく早めに帰り、早めに休んだのでありました。


たいへん長くなりました。
お暇な方は、ふ~ん、と読んでみてください。


皆々、お疲れ様でした。
関係者の方々にお礼申し上げます。

2015年10月18日日曜日

お天気が続きます

秋日和が続いて、お出かけには最適ですね。
鬱っぽくなることもないので、気分は上々です。
ただ風邪はあまり良くならず、まだしんどいです。
ぴったりのお薬を飲むと効果が早くでますから、
もしかしたら処方していただいた薬がフィットしていないのかもしれません。
風邪は治すのが難しいですね。
よく食べて、よく寝ているのですが、これ以上はどうしようもありません。


今日の日経新聞の書評欄は気になる記事がたくさん。
芳賀徹さん、この方のことはとても気になるのですが、
おっしゃっていることが、難しくて、参考にすらなりません。
素晴らしい才能とそれを活かす能力をお持ちの方として、
文学、人文、芸術の分野を牽引されています。
ご自身がいつも手に取る本を数多く挙げられているので、
どのように本を読まれているのか、丁寧に読んでみたいと思います。


小池昌代さんは故・池田晶子さんを取り上げておられます。
池田さんについては、存命の頃に大変な人気でしたが、
亡くなっても尚その生き方も含め、多くの人に影響を与え続けています。
これもじっくり読んでみよう。


そして、松浦寿輝さんのエッセイが出ている!ことを知らずにおりました。
これは急いで本屋さんへ行かねばなりません。


昨日は阿部謹也さんの本を入手できて、
そのうえ、文庫化されたウェルベックを読むことにしてしまいました。
私にとっては、怖いもの見たさのウェルベックです。


そんなに本を積み上げて、
どこから読むんかい?という感じですね。


さて、明日は遠足のため、いつもよりずいぶん早起きして、
出かけねばなりません。
久々にラッシュの電車に乗ることになりますから、
集合場所に行くまでに疲れてしまいそうです。
いつも体調のことばかり気にしていますから、
楽にする方法や、ショートカットする方法ばかり考えています。


というわけで、さらに早寝いたします。
ぼんにゅい♪ 爽やかな月曜日をお迎えください。

2015年10月17日土曜日

今日は通院日

昨夜は朦朧として書いたので、
後になって読んでみると、
書いた人間にしかわからないというケッタイなブログでありました。
で、かっこして補足説明を加えてみましたが、
あまり意味はありません。
そうです、私のブログは全く意味が無いのです。


今日は通院日、で朝から大阪へ出かけていました。
まだ微熱が下がらず、ちょっとしんどかったのですが、
少しずつ昨夜もらった風邪薬が効いてきたようで、
夜には普通に食事もできるようになりました。


一昨日くらいまでは、今日のお休みにはたっぷり本を読んで、
大好きなパンをたくさん食べようと思っていたのです。
残念ながら、それは実現できませんでした。


本は寝かせてあった「サンドリーヌ裁判」トマス・H・クック著。
読み始めて、自分は裁判物が苦手だとわかりました。
で、筋と気になるポイントを押さえながらのつまみ読み。
なかなか凝った趣向で、登場人物の造形も興味深い。
で、読者が納得するストーリー展開であります。
個人的に痛い部分があるので、これ以上掘り下げるのは、
やめておこうと思います。


さ、これから月曜日の遠足の準備をすることにします。
参考資料を読むのです。
会社が加盟している団体が主催する研修で、
希望者のみ参加できるのですが、
入社して以来行ってみたいと言いながら、
なかなか機会がありませんでした。
今回、うちの会社から参加するのは女性4名。
顔見知りの方々なので、楽しく過ごせそうです。
団体行動は本来苦手だし、バス酔いしそうだし、
風邪も治して、体力も持たせたいし、
気になることもあるのですが、
せっかくですから、楽しむようにしたいと思っています。

2015年10月16日金曜日

微熱

昨日から再び喉が痛くて、熱っぽい。
身体が重くて、ぼんやりとしていて、眠い。
今日はお腹イタイタ用のお薬をもらいに内科のお医者さんに
行ったので、一緒に風邪薬もだしていただきました。
しっかり食べて、お薬飲んで、よく寝る。
そして月曜日の遠足に備えなければ。


ぼんやりした頭で、気になる本を取り出してきて、
どれから読もうか、ぱらりぱらりしています。
どれも面白そうです。


軽い評論ではなく、ソフトな評論というジャンルを作っちゃいましょうか。
純文学をどう噛み砕いて日常生活に下すか。
(評論という固い表現を使っていますが、
 純文学を柔らかく話ししてみたい、ということです。)


本の読み方は、今様々な催しや、サークルがあって、
活気があるようですが、
これを経済や哲学や、青少年向けではない、
頭のよく切れる人を招いて、いろいろ話をしてみたいです。
(一方通行で終わらず、カフェ・スタイルで会話をしてみる、
 そういう感じはどうでしょうか?
 ブログでは多くの方の感想を読むことができますが、
 オフ会が一番よい形のような気がします。)


Sさんいかがですか?今は語学に集中ですね。
Oさんいかがですか?書き手は評論家としても向いておられるのでは。


本だけを読んで生きようとすれば、
どんな生活になるかな。
(本を読んでいるときが、最も充実感を味わえる、
 そういう人は多いと思うのです。)


本を中心に生きることができれば、最高なのですが、
これは最後の夢として残しておきたい気持ちもあるのです。


朦朧として、寝て、たくさん本の夢を見ることにします。
ぼんにゅい♪です

2015年10月14日水曜日

「失われた時を求めて」 逃げ去る女

「失われた時を求めて」 11 第六編 逃げ去る女
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


この巻はリーヴル・ド・ポッシュ版(1993)の「逃げ去る女」を底本と
して、他の諸版を参照して訳されたとあります。
訳者の鈴木さんが冒頭でことわっておられるように、
この巻については、複雑な経緯があるようです。
①大戦中に書かれた「自筆ノート」
②「タイプ原稿1」生前最後の修正が加えられたもの
③弟ロベールらの修正の入った「タイプ原稿2」
があり、それぞれ問題があるとのこと。
今回のリーブル・ド・ポッシュ版は「タイプ原稿1」の刊行者によるもので、
比較的新しい版ではあるが、これにも不備はある、ということです。
などなど、なぜ問題なのか、不備であるのか、は、
“はじめに”をじっくりお読みいただきたいと思います。
プルーストがどういう編にしたかったのか?
そこが一番のポイントですね。


さて、この本では、
アルベルチーヌが“私”の家から去り、叔母の家に行ってしまった、
というところから始まります。
当然ながら、自分の本心、どうすればよいのか、などと悩む“私”です。
腹心の友サン=ルーに、叔母さんの家を訪ねてもらうことにしました。
アルベルチーヌから電報が届き、また私は手紙を書きます、
また彼女から手紙が届き、私は返事を書き、そしてサン=ルーが
帰ってきます。彼の話を聞いて、また悩む私。
と、そこへいきなりアルベルチーヌが落馬して死んだという知らせが。


こんな風に経緯を書けば、単純になりますが、
このあいだの私の心の内は嵐のようです。
すごくシンプルに考える人にはわからないかもしれませんが、
悩む人には、とてもよく読み取れることでしょう。
それも、亡くなってしまったとならば、いったい・・・。


4分の3ほど進んだところで、
“私”は母に連れられてヴェネツィアに向かいます。
念願のヴェネツィアです。
ですが、心が沈んでいるからか、とても冷静な眼差しで、
ヴェネツィアを歩いています。
これは意外な気がしました。
もっとボリュームのある内容になっているだろうと勝手に予測していたので。
母と一緒であったことにより、気持ちが落ち着いていたのかもしれません。
さらりと書かれているだけに、読み落としも多いような気がします。
もちろんヴェネツィアでもアルベルチーヌのことが思い出されます。


ヴェネツィアからの帰り、思いがけないニュースが舞いこみました。
ジルベルトとサン=ルーが結婚するというのです。


知識として知ってはいても、思いがけない展開ですね。


さて、アルベルチーヌが去り、新たな縁組があり、
“私”にもどのような変化があるのか、気になるところまできました。
“私”は今後何を語ろうとしているのでしょうか。

今日は水曜日

定休日の水曜日。
午前中にランチ用のパンを買いに出かけました。
のんびりとした時間は実に解放感があって良いなぁと痛感。
今年はいつになく金木犀の香りが強く感じます。
傍によってみると、オレンジの小さなお花がぴっちり。
甘い香りですね。


夕方にはFMcocoroでマーキーのおしゃべりを楽しみ、
合間にパスタを作りました。
本日はめずらしく生姜と青梗菜を入れた和風仕立てです。
でも仕上がりは違和感なく、というより、いつもと同じ味?!
調味料も変えたのに、不思議です。


日経新聞の夕刊では連載小説「擁壁の町」がピークを迎えています。
この小説、本で読んだら普通かもしれませんが、
毎日少しずつ展開していくのを読むのがとても楽しいです。
日々の楽しみとなっていまして、
帰ったら、すぐに夕刊を広げる習慣となりました。


その夕刊に栩木伸明さんの「旅する文学」が水曜日にありまして、
今日は須賀敦子さんを取り上げておりました。
じっくり読んでいると、須賀さんの作品のことが思い出されて、
色々と考えておりました。
時間とともに、私なりの考えがまとまってきたような気もします。
今後も、一人の女性の生き方として、考えていきたいと思います。

2015年10月12日月曜日

「失われた時を求めて10」 囚われの女Ⅱ

「失われた時を求めて 10」 第五編 囚われの女Ⅱ
マルセル・プルースト著 鈴木道彦訳 集英社文庫


アルベルチーヌと暮らしていたのはいったいどれほどの時期だったの
でしょうか。
具体的なことはきっと文章の中に組み込まれているとおもうのですが、
それを重要視していないようかのふりをするのが上手なプルースト。


この巻では、ずいぶんと大きなサロンを宴するようになった
ヴェルデュラン夫人のところでの演奏会から始まります。
ここでは故ヴァントゥイユの七重奏曲が披露されます。
第一巻でコンブレーの音楽教師として登場したヴァントゥイユが、
実は素晴らしい作曲家であったことは、
これまでにも明らかになっているのですが、
ここで音楽についての考察が述べられる場面にもなっています。
クラシック音楽を聴く醍醐味は、芸術理解の一例として書かれますが、
私にはわかりにくいのでした。
そのように頭で考えてみたことが無く、
感覚だけで聴いているからでしょう。
複雑なことに、この七重奏曲は、ヴァントゥイユの娘の相手の女性によって、
解読され、公になったようです。
このあたりは伏線がいくつもありますが、
ちょっと無理があるような気がします。
演奏会の後には、シャルリュス男爵を中心におしゃべりに花が咲きます。
シャルリュスの切れ味抜群で、頭ごなしの台詞がまたまた可笑しい。
社交界の場面はいつも可笑しいと思わされます。


後半では再びアルベルチーヌが待つ家で。
アルベルチーヌが“私”を裏切っているのでは、という不安が
常につきまといます。
彼女は“私”を愛してはいないことを心の底ではわかっているからです。
裏切りというのも、男性相手ではないところがミソです。


そして“私”が行動を起こそうとした朝、
アルベルチーヌは旅立ってしまったのです。
この巻はこれで終了。


おわかりかと思いますが、
“私”の自己問答にだいぶ疲れてきたので、
このあたりから読むピッチを上げました。
丁寧に読もうとするとかえって進まないためでした。
つまり“私”の思考回路に付き合うのに慣れてしまい、
違和感が露骨になってきたためでしょう。
逆にこのあたりでも虜になっている人はプルーストを本当に愛していると
思うのです。

曇りがちな秋の空

今日は曇ったり、雨が降ったり、陽が差したりと、
何とかと秋の空とはいいますが、
めまぐるしく変化のある秋空でしたね。


風邪気味でよく寝ましたが、
合間には細々とした用事をしておりました。
かなり片付いたような気がしますが、
本はそのままです。
読まなくては前に進みません。
が、読めておりません。
もう一週間も活字離れです。
プルーストに疲れてしまったような気もします。
まだ関係図書がありますが、
あまり読む気が起こりません。


食べるように読む読書をしなくては。
プルースト関係図書が終われば、
ユルスナールが待っています。
これを楽しみに、進んでいくことにします。

2015年10月11日日曜日

「現代小説クロニクル1980-1984」

「現代小説クロニクル 1980-1984」


 野間宏 泥海
 藤枝静男 みな生きもの みな死にもの
 吉行淳之介 菓子祭
 吉村昭 鯊釣り
 増田みず子 独身病
 坂上弘 杞憂夢
 島尾敏雄 湾内の入江で
 大江健三郎 泳ぐ男 水のなかの「雨の木」
 澁澤龍彦 きらら姫


1980年代、高度成長期がピークを迎え、
その反面、公害や社会問題が、大きく取り上げられるようになった時代。
現代病というのも聞かれるようになったのもこの頃でしょうか。


執筆陣をみると、
文壇で書き続けている作家がいて、
戦後を生き続けている作家がいて、
現代的なスタイルを掲げる作家がいて、
混沌としています。


文壇というのもこのあたりで最後の世代になるかもしれません。
つまり、大作家の弟子や、同人誌から出発して書いている作家たち。
現在の文学界とはまた違った経緯を辿っています。
そういったことも関係するのかもしれませんが、
各作家の使命感が強いという感じもします。
自分の内面深く降り、自分の使命を意識しながら書いている、
そんな風にも思われる、重い作品が多かった。


世間は、経済面では明るいはずだった時代に、
なぜこれだけ重く、苦しい作品が多かったのでしょうか。


私自身は、この時代は学生でしたが、
上記のような作家たちの作品は大人が読むものだという意識がありました。
全く共有できるものが無かったのです。


今、初めて読んでみても、時代性の違いを強く感じます。
世代の問題もあるでしょう。
いずれも作品としては申し分ないのですが、
違和感だけが残る読書となりました。
私にはめずらしい読書体験です。

2連休

2連休で浮き浮きだった昨夜。
今日起きてみると、頭がとても痛くて、身体も熱っぽい。
どうやら風邪の初期状況のようです。
風邪薬を飲んでしばらくたつと、楽になりました。
朝夕が寒いのに、薄着でいたのが良くなかったのでしょう。
いつになく寒さに油断しておりました。


まず、秋物の用意。
タートルネックの時期というわけです。
秋は綿、冬はウール。
4月までずっと首を包んで過ごします。
他の衣類も秋冬物を出して、スタンバイ。
で、夏に着なかった物をふるい分け。
太ってしまったおかげで、
コンパクトなTシャツが着れなくなってしまいました。
でも古いロゴのサンスペルはもったいなくて捨てられない。
何がもったいないのでしょうねぇ、古着なのに。
そのうちに始末することにしましょう。


お洋服は大好きだけど、
自分は基本的なものしか着ないので、
持っているものはわずかです。
今気になるのは常にワンピースです。
チュニック風に着るためですが、
なかなかこれが、手頃でよい素材の物が無いです。
今年はコクーンスタイルのワンピが目につきますね。
夏物が良さそうではありますが、
いつか奮発してミナ・ペルホネンを買おうと思っています。
アーツ&サイエンスも気になっていますが、
これは東京に行くことがあったら、必ずお店にいってみたいです。


あとは、ウールのレギンス風パンツ。
ワンピと合わせるために。
これはお洒落なものはあるのですが、
なんともサイズが合うものとめぐりあえず。
もうウールのタイツを重ね履きしかないでしょうか。
もこもこさんです。


最後は靴。
今気になっているのはパラブーツ。
履きやすそうです。
ヒールを履いていたときには、
ロベール・クレジュリーを愛用していました。
今もネットではチェックしていますが、
もう以前の倍ほどの値になっていて、手が出ません。
それにパトリックがあまりに楽なので、
入手しやすくなりましたし、
しばらくはパトリック生活が続きそうです。
たまには革靴も履きたいな。
あの須賀敦子さんはタニノ・クリスティーに自分の型を
置いていたそうです。
外国での暮らしの基本は靴でないと、足を痛めてしまいますね。
うーん、あつらえ靴も憧れです。

2015年10月8日木曜日

振替休日

たった一日だけの振替休日を、
今日とりました。
昨日の京都行きの疲れをとるべし。
ゆっくりと一日を過ごすことができました。


トラットリア・セッテでいただいたピザの
テイクアウト(7日はプレゼントがあるのでした)を
いただいたり、(すごい美味)
プリンを食べたり、京都話で母と盛り上がりました。


ですが、先週からちっとも本を読んでおりません。
仕事から帰ると、とっても疲れていて、
活字を読む気になれない日が続いています。
軽い本にしようかな、などと考えています。
怠け者ですから、難しい本ばかり残っています。


二日も休んだので、明日は仕事が山積みでしょう。
しっかりまた仕事にまみれてきます。

京都行き

昨日は京都行き。
でも、名所めぐりではありません。


母の誕生日のお祝いに、
ハイアット・リージェンシー京都のトラットリア・セッテで、
ランチをいただいてきました。
ロケーションが良く、美味しいと聞いていたので、
一度行ってみたかったのです。
期待たがわず、とってもよかったです。


ゆっくりと美味しいランチにワインをいただいた後は、
ご希望により、恵文社一乗寺店まで足を伸ばしました。
恵文社は以前より2倍くらい広くなっていて、驚きました。
これまでもそうだったのですが、個人的に人文系の本は
すでに持っている本ばかりで、特に驚きはありませんでした。
ただ、小さな出版社の本、とくにアート系の本がめずらしいですね。
母は雑貨も丁寧にみて、お気に入りを発見しておりました。
それだけで、よかったです。


次は一気に南に下って寺町へ。
これはタクシーを利用。
村上開新堂でプリンを(これがアイスクリームのような美味しさでした!)、
それから三月書房へ。欲しい本がたくさん!でも我慢。
その後は気になるカフェを目指して歩いて・・・。


この後いろいろハプニングもあったのですが、
新生BAL、髙島屋に寄り、
最後は八条口にできたばかりのイノダ・コーヒーへ。
美味しいコーヒーでほっと寛ぎ、帰途についたのであります。


よく歩いたわりには、入手したものが少ない不思議な一日でありました。
三月書房には、また行かねばなりません。
やっぱり見つけたときに、買っておくべきですね。

「無意味の祝祭」

「無意味の祝祭」 ミラン・クンデラ著 西永良成訳 河出書房新社


一読してすっかり気に入った作品ではあるものの、
自分ではどのようにお話すればよいのかわからず、
参考に堀江さんの書評を読んでみると、
これが完璧な内容なのです。
こちらを読んでいただければ、すべてが丸くおさまります。
で、堀江敏幸さんの日経新聞掲載の書評を引用させていただきます。
(なんて、いい加減で勝手な奴でありましょうか・・・)


 重さとの対比を拒む一つの現象としての、絶対的な軽み。
 空気のように触知できないものではなく、たしかな手触りとしての
 軽みとでも評するべき、自然のなかで舞い落ちる鳥の羽というより、
 いわば知性でつくられた羽毛布団の破れ目から飛び出して、
 ふわふわと宙に舞っている和毛の感覚だ。
 母国チェコを舞台とした前作「無知」から十数年の時を経て
 もたらされた「無意味の祝祭」はフランス語で直接書かれた四作目
 の小説である。全体の緩い印象を裏切るような、七部からなる
 構造への目配りは相変わらずで、語りは無意味という主題を
 めぐって、優雅で哲学的な笑劇、もしくは遁走曲のかたちで
 展開していく。
 六月の朝、パリのリュクサンブール公園で、ふたりの人物が出会う。
 公園内の美術館で開かれているシャガール展を観ようとして、
 そのたびに長蛇の列に嫌気がさしている老ラモン。彼の元同僚で、
 心配していた癌の疑いがなくなり、上機嫌で同じ園内を歩いていた
 ダルドロ。ところがダルドロは、自分は癌なのだとラモンに「無意味」
 な嘘をついてしまう。作者自身もわからないととぼけてみせるこの嘘
 から、人物と人物の影踏みのような流れがはじまる。
 ラモンがダルドロに斡旋したパーティ、つまり祝祭の差配業者シャルル
 の家に置かれていたフルシチョフの回想録の、「二十四羽のヤマウズラ」
 を語るスターリンの逸話が遁走の手助けをする。権力者の嘘を嘘と
 指摘できないこと。あるいは、冗談を冗談と認識できないこと。
 独裁体制におけるユーモアの欠如は、軽薄ではない知性を奪い去る
 のだ。
 宴のあと、ラモンはダルドロに、「無意味とは人生の本質なんだよ」と
 諭す。「残虐行為、血腥い戦闘、最悪の不幸といった、だれもそれを
 見たくないとこにさえも無意味は存在する」。無意味は無気力や
 無責任とはちがう。過剰な意味を過剰と認識しないまま押しつけて
 悦に入っている者の愚を、やさしく、戦闘的にではなく暴き立てる、
 真の知性の武器である。
 かつてクンデラは、小説論とも言える「カーテン」のなかで、入念な
 ストーリー展開に対する義務感の蔓延を独裁政治下の空気に重ねて
 いた。ストーリーは小説を窒息させる。意味を持たせないことで意味を
 悟らせなければならないのだ。登場人物を愛し、人生を愛し、スターリンを
 笑う力がそこから生まれる。これはなにも小説だけの話ではない。
 いまの私たちに最も有益な助言のひとつであろう。


と、以上引用させていただきました。
堀江さん、日経新聞さん、申し訳ありません。


この「無意味の祝祭」の意味するところは、
堀江さんが書かれているところで読み取っていただくとして、
単純に読むだけで、それらを体感できるというのが、
この小説の妙味です。
難しいことはわからない、でも可笑しくて笑ってしまう。
そして、声高に叫ぶこととは異なった異のとなえ方を学ぶわけです。
自分にそれだけの知性があるわけではありませんが、
変だ、おかしい、間違っている、と思われることに、
自分なりの考えを持たねばならない、
そう思わせる事柄がたくさんあります。
ある意味、力をつけさせてくれる本、だとも言えるでしょう。

決着

昨夜のゲーム、広島vs中日は、
0-3で中日の勝ち!


と、いうわけで、セ・リーグの順位が確定しましたね。
広島は4位。
今シーズンの戦いぶりを振り返れば、
仕方が無い結果だと納得しております。


昨日も得点できなかったこと自体が痛い。
投手が押さえて踏ん張っている間に、
点を入れれるようにしなければ。
これは、シーズン序盤からの課題でありました。


球団が今年の結果を踏まえて、
どのように動くのか。
各選手が本来の力を発揮できるよう、
どのように課題をクリアできるか。
オフ・シーズンを充実させていただきたいですね。


もう十分すぎるほど、追っかけたので、
CSはのんびり眺めていることにします。


今シーズンで名選手たちが引退されるのも、
寂しいところです。
西武の西口投手や、楽天の齋藤投手は、
長い間応援してきた選手なので、
なんとも言えません。
ヤクルトやソフトバンクで活躍する選手たちの顔ぶれをみると、
すっかり若い選手に入れ替わっているのでした。
新しい世代の時代になったのです。
当方も気持を入れ替えて、
選手名鑑も新しくして、
来年も応援することにいたしましょう。

2015年10月6日火曜日

とても疲れております

昨日まで右手の腱鞘炎をどうにか乗り切った、はず。
が、今朝から左手が激痛になってしまいました。
身体もどーんと重くて、左手全く役に立たず。
こういう時には、顎やら肘やら、足やらなんでも使いますが、
会社ではそうもいかず。
PCがまともに打てず、うんうんうなっておりました。
頭もぼーっとするのですね、あんまり痛いと。
私は2,3日で治るからよいのですが、
つらい痛みを持っている人は本当に大変だと思います。


今夜はそういうわけで朦朧としています。
だけども、明日は母のお誕生日のお祝いに京都へ行く約束が。
プランをしっかり練ってあるので、
お天気も良さそうだし、
後はお互いの体調だけです。


まずは痛み止めを飲んで、
インドメタシンをしっかり塗り込んで、
ゆっくり休むことにします。


ではでは、ひ弱なツキスミより愛をこめて、ぼんにゅい☆

2015年10月4日日曜日

さわやかな秋日和が続きます

先日は爆弾低気圧で、大変な日本列島でしたが、
その前後は秋日和が続いており、
皆さん、気持ちよく過ごせているのではないでしょうか。


今日は今週の疲れをとるべく、
ゆっくりしましたが、
芯の部分がまだ固く残っている感じです。
もう次の連休が待ち遠しいです。


身体が重く、頭も疲れていたのですが、
仕事をしないわけにはいきません。
よしっ、と勢いつけて始めると根を詰める仕事がたくさんありまして、
コツコツと向かっておりました。
おかげで、片付いたけれど、ぐったり、というわけです。


今日はようやく「短編小説クロニクル1980-1984」を読み終えました。
一時代前の文壇の世界がよく見えます。
時代性がよくわかるという意味で大変面白いので、
このクロニクル・シリーズを一冊ずつ買い揃えています。
次はどの時代を読んでみようかな。


最近は外で本を読むチャンスが無いので、
ちょっと寂しいです。
出かけても用事ばかりで。
のんびり読書旅行したいなぁ。
真剣に企画してみようかな?

2015年10月3日土曜日

今日の負けは痛い

右手もイタイタ腱鞘炎。
広島カープも二日酔いのヤクルトに負けてイタイタ。
優勝したチームは負けないのですよね、これジンクス。


大瀬良投手、どうした!?
このオフは新しい球種を覚えねばなりませんね。
ストレートはばっちり球威がありますから、
あとは、緩急をつけられるようにしなくては。
完全に読まれてしまっているようです。


ジョンソン投手は最多勝の権利があやうくなりました。
もう一回投げますか?
監督、行かせてやってください。
最後の中日戦がチャンスです。


最後まで3位争いをもつれこませましょう。
カープ、カープ、カープ、ひ・ろ・し・ま、広島カープ~♪
皆で歌いましょう。(カープファンの方のみで結構です)


といって、残り少ない試合数、
先発投手はもう決まっているはずです。
お天気も良さそうです。
最後の最後まで悩まされたのは、
前田智選手の記録だったなぁ。
久しぶりにハラハラしています。


はぁ、読書の方ですが、
今週は多忙で、仕事も詰まっていて、ぐったりしてしまったため、
まったく進んでおりません。
本のことを思いだせないくらい、忙しかった?
いや、眠かったのです。

2015年10月2日金曜日

いいゲームでした

ヤクルトがセ・リーグ優勝を地元・神宮で決めました。
おめでとう!


一番困るパターンは無くなったし、
今日もマエケンが勝ってくれたし、
まだまだ最後まで、頑張りましょう。


今日のヤクルトvs阪神は、鬼気迫るとてもいいゲームでした。
これだけの迫力、集中力、気合、毎回だと、
身体が持たないでしょうね。
と思いつつ、ファンはいつもこういうゲームが観たいのです。
こういったしょーもないことをつぶやくのも、
ファンの楽しみだったりします。
すみません。


今はラグビーのワールド・カップも盛り上がっていますね。
ルールはよくわからないのですが、
ラグビーの迫力ある試合はとても魅力的です。
たまに観ることがあると、
男に生まれたら、ラグビーをやりたい!といつも思います。
他の競技でそういうことを感じることはありませんから、
不思議なものです。
一度は生で観てみたいけど、寒い時期だから風邪ひきそうです。
そういや、サッカーも生で観たことがありません。
また違った感想を持つかもしれませんね。