2015年11月29日日曜日

室内楽のコンサート

奈良の秋篠音楽堂というとても小さなホールで催されたコンサートに
出かけてきました。


モディリアーニ弦楽四重奏団と
ピアノに酒井有彩さん の演奏会。


演目は、モーツァルト 弦楽四重奏曲 第15番 ニ短調 K.421
      ベートーベン 弦楽四重奏曲 第11番 ヘ短調 op.95
      シューマン ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44


どれもあまりメジャーでなく、
初めて耳にする曲ばかりでしたから、
とても新鮮に聴こえました。


モディリアーニ弦楽四重奏団はコンセルヴァトワールの仲間だそうで、
若々しく、息のあった演奏が、素晴らしかったです。


弦楽器、とくにヴァイオリンの演奏が好きなので、
楽しみにしていましたが、想像以上の楽しさでありました。


あまり得意ではないモーツァルトなのですが、
それさえも、なんとも品よく、楽しげで、良かった。


ベートーベンは力強く、情熱的で、ベートーベンらしく。


シューマンは・・・。
省略させていただきます。


音楽を聴くのは実にいいですね。
上手い方の演奏は、大変心に響きます。
クラシックは演奏技術、理解力、センス、調和等、
すぐにわかってしまいますから、
それが大変かと思われます。


贅沢者の私が一度は聴いてみたいのは、
ヴァイオリンはパールマン、クレーメル、
ピアノはポリーニ。
機会があるうちに、聴いておかねばならないでしょうね。

2015年11月25日水曜日

奈良も冷えてきました

北海道では11月では数十年ぶりの大雪とか。
雪かきが大変ですねぇ。
奈良もずいぶん冷えてきました。
冬の到来で、電気ストーブ登場です。
これからが本番です、ただただ耐え忍ぶべし。


今日は散髪に出かけて、
行き帰りの電車の中で「さよなら、オレンジ」を読んでいました。
すばらしい傑作です。
きっと目配りのできる人であれば、
手を入れたいと思われるかもしれませんが、
瑞々しさも併せ持ち、
豊かな表現力もあり、
何しろ、これまで日本ではなかったと思われる題材です。
人物造形がまた素晴らしい。
小さな本でしたが、すっかり心を奪われて読了しました。
次作も評価が高まっています。
どんな作品でしょうか。


これで11月の読書は終了です。
「現代小説クロニクル」は継続して少しずつ読んでいく予定です。


そして毎日「はじめてのマインドフルネス」を一章ずつ読んでいます。
よくできた本で、マインドフルネスという理念を解きほぐして、
一般のふつうの人が手にとっても自然に入っていけるように
なっています。名画が一つ一つのキーワードとしてあてはめてあり、
それも親しみやすいようになっていると思われます。
ふむふむ、とうなづきながら、大判のカラーのきれいな本のページを
めくっています。


一日一つの用事、それくらいしかこなせなくて、
ひぃひぃ言ってますが、それと読書を合わせれば、
少しは前に進むでしょうか。
こんな状態で、勉強脳に切り替えられるでしょうか。
始める前から、もう不安になってきました。

2015年11月23日月曜日

「何者」

「何者」 朝井リョウ著 新潮文庫


これまで朝井リョウさんの本を2冊読んでおりますが、
この本は直木賞を受賞された作品であることと、
就活について書かれた本だということで、
興味をおぼえ、読んでみました。


まず驚くべきは、ケータイを使いこなす若者たち。
SNSやブログでのコミュニケーションは、
私のような世代がアナログ人間であることを、
痛感させます。
現在では、LINEもありますから、さらに変化しているでしょう。


でも人間自体は何も変わってはいないのです。
社会に出るための関門となる就職活動。
それは若者にとっては、過酷な試練です。
かつて私もその洗礼を受けましたが、
プラスになることは何一つありませんでした。
感じたことは、企業は人を活用しているのではなく、
利用しているのだ、ということでした。


この物語では、就職活動をとおして、
自分はいったいどういう人間なのかを問うています。
誠実そうな主人公だけれど、
やはり他人のことが気になり、
自己アピールせねば、消え失せてしまいそうになる。
就職活動では、委縮してしまい、本来の自分が出せない。
いったい、どうすればよいのだろう?
という、学生たちが皆悩むであろう課題を取り上げています。


少々過激と思われる展開ではありますが、
学生たちの気持ちは十分に伝わるかと思います。


就職したのちにも、そういった悩みは無くなるわけではありません。
自分とはいったい何者であるか?
それは、人の一生の悩みかもしれません。


早く解脱したいなぁ。

テロ、戦争のことを何も知らない

今回のテロに関するニュースを毎日目にしていると、
影響の大きさを知ることになります。


テロや戦争について、実際は何も知らないのです。
第二次世界大戦での日本人の話くらいしか知らず、
現状は結果として伝わり、それを読むだけなのです。


新聞でも、テロが起きた理由等を分析していますが、
それだけではわからないことがあります。


当事者だけにしかわからないこともあるでしょうし、
中東の歴史的な問題もあるでしょうし、
宗教や宗派の対立もあるでしょう。


でもそれだけではないですよ、と今日教えていただきました。
戦争はビジネス化していると。
それが根絶されない限り、戦争は無くならないでしょうと。
そういえば、そういった話を聞いたことがありますが、
公にそういったことはあまり話されません。
少なくとも、我々はそういうことに加担したくない。
こういったリアルな情報を提供すべきなのはメディアです。
そして現実を直視し、分析する力を学ぶ必要が皆にあるでしょう。


大きなニュースとなっていますが、
FBで「憎しみは贈らない」と語った、アントワーヌ・レリス氏。
そのメッセージは世界を駆け抜け、
皆が賛同の意を示しています。
ご自身がご不幸にあったのにもかかわらず、
冷静に人道的な言葉をつづっておられる姿は、
私たちのお手本となるでしょう。


かつてポーランドで「連帯」という団体があり、
国の歴史、政治を変えたことがありました。
その「連帯」という言葉を「平和への連帯」とすれば、
今の私たちにしっくりくるように思われます。

2015年11月22日日曜日

苦しい立場の人々

恐ろしいテロの影響は、
ムスリムの人々にも大きく広がっています。


心無い人々は、
平和を祈るムスリムの人々までを攻撃しているようです。


でも、ほとんどの人々(と思いたい)は、
よく理解しています。
テロを行ったり、戦闘を行うイスラム教の人たちは、
狂信的な過激派であり、一般のムスリムの人々とは違うということを。


そういった考えや信念を一般に発言したり、
行動に起こしたりしている人々がきちんとおられます。
新聞やネットで、心を通わせている人々をみると、
ほっとさせられます。


SNSの力は凄いものです。
あっという間に皆と意見を共有できるのですから。
この力を平和のために使いたいですね。


フランス、ロシアを中心としたテロの標的になった国の人々が、
一日でも早く安心して暮らせるように、
どうにかしたい、と思う日々です。

連休です

今日は嬉しい2連休の一日目。
それだけで解放感が。
どうやら拘束されるのが嫌なのですね。
誰だって自由がいいです。


会社で思うのは、拘束して仕事をさせるより、
効率よく仕事をさせる方が利益が上がるのではないかと。
今ではフリーデスクの会社や、
自宅勤務など、多彩な働き方をさせる会社があるようですが、
人によって効率が上がることや、
都合がよい場所や時間などは、違いがあると思います。
なので、これがよいと断定することは難しいでしょう。
ただ、長時間勤務は全くダメだと思います。
成果が上がった話を聞いたことがありません。
日本人の4倍も仕事効率が高いというドイツは
どのようにしているのでしょうか。
すごく関心があるので、またしてもあの本に手が出そうです。


さて、「現代小説クロニクル1995-1999」を読み終えまして、
次はどの年代にいこうかと迷っています。
時代性が反映していることがはっきりわかる作品群は、
読み応えがありますね。
自分も経験している時代なので、なおさらです。


11月終盤はあと一冊を読み上げて、
12月に突入しようと思っています。


何かと用事や行事が組み込まれてきて、
ぼんやりとしたい私としては、
あたふたしそうな12月です。

「特捜部Q 吊された少女」

「特捜部Q 吊された少女」 ユッシ・エーズラ・オールスン著
吉田奈保子訳 ハヤカワ・ポケット・ミステリ1901


特捜部Q、デンマーク警察の過去に起こった未解決事件を扱うチーム。
メンバーは4名。
とっても魅力的なカール・マークは警部補。でかくて、お腹もぷっくり、
煙草が手放せず、お酒も好きそう。口も悪い。態度もふてぶてしい。
でも、当たり前にいい人なのです。
助手にはアラブ系のアサド。この人の過去は誰も知らない。
それも複雑なことがあるようで、カールもそれには触れない。
もう一人助手。過激なメークにファッションのローセ。とっても仕事ができる。
ローセもプライベートは隠されています。
気になっているけれど、もちろん深入りはしないカール。
それから新人ののっぽのゴードン。どうやら上司のラース・ビャアンによって
送り込まれたようだけど、この本でメンバー入りを皆に認識させました。


この4名で捜査を行っています。
いつの事件もきっかけは思いがけずやってきます。
今回もカールはとんでもないことに首をつっこんだような気分になります。
で、早めに片付けてしまおうと現地に向かうのですが。
アサドとローセの勘がいつも冴えているので、
カールも自分の考えと突き合わせては、次の行動に移ります。


物語は、いつももう一つのストーリーが平行して動きます。
それは、捜査中の事件と深いかかわりがあることで、
これから新たな事件が起こる予感を呼び起こします。


その上に、カールのプライベートも重要なストーリーです。
奥さんは別居中。(離婚したっけ?)
義理の息子は同居中だけど、好き勝手をしている小僧です。
同居しているもう一人は、カールの同僚ハーディ。
かつてアマ―島でカールとハーディともう一人を巻き込んだ未解決事件
があり、それがあまりにも過酷であったため、カール自身も精神的に
回復していません。ハーディはそれ以上に身体的にダメージを受けており、
現在は車いすでの生活です。
この本までは、もう2人同居人(モーデンとミカ)がいて、
彼らがハーディを介護することにより、ハーディは身体の一部を
動かすことができるようになったのです。
彼らも重要な登場人物です。
その上、カールには必要としている女性、モーナがいて。
彼女とは一時いい関係でしたが、今は距離をおいています。
カールは今も彼女を慕っています。


さて、長くなりましたし、ミステリですから、この本の内容については、
省くことにいたしましょう。
いつものとおり、どうなっているの?はやく辿りつかないと、
また事件が起こってしまうやん!とはらはらどきどきです。


でも何より、ここに書いたとおり、登場人物が皆魅力的なのです。
謎もあれば、親しみやすさもあり、笑わせてくれるし、
泣かせてくれるところもあります。
あんまりカールが人間味がありすぎて、困るくらいです。
カール、ほどほどにがんばってね。
アマー島の事件が解決するまで、このシリーズは終わらないわけですが、
カールのためには解決してほしいし、
シリーズは続いてほしいし、
読者はわがままですね。

2015年11月18日水曜日

休憩

休憩が好きです。
独りっきりのひとときがほっとします。


本を読むのも独りでしかできませんよね。
今日読み終えたのは、小川洋子さんのエッセイ
「とにかく散歩いたしましょう」。
小説はそれで素晴らしく、
エッセイでは真面目で素直なお人柄がよく現れていて、
気持よく、楽しく読むことができます。
やはりあのような作品を書かれる方だけあって、
観ること、気が付くこと、思いをはせること、優しい気持ち、
また、そういったことを言葉に置き換えることができる、
特殊な能力をお持ちでいらっしゃいますね。
そろそろ次の文庫化があるようで、今から楽しみです。


そう思いつつも、
現代日本文学を読むのはもっと絞らないとだめだと、
気にしています。
関心のある作品は文庫化まで待ってからにはしていますが、
そうことではなく、やはり時間が無いです。
この調子では、例えばモンテーニュ「エセー」を読むなんて、
とても生きている間には無理ですね。


読みたい本は星の数ほどあるけれど、
歳をとるほど、古今東西の古典が読んでみたくなってきています。


それでいて気分が楽になる本や、
楽しい本も読みたい。
この欲張りめ、どうしてくれる。


そろそろ本の整理をしなければならない時期でもあるようです。
欲張ってみたものの、さわりだけしか読めていない本は、
潔くあきらめましょう。
自分にフィットする本を読むのが一番でしょうね。


昨日は、京都へ琳派展を観に行ってきました。
本阿弥光悦、俵屋宗達、酒井抱一を中心とする素晴らしい作品が、
数多くあり、じっくり観ていたら数時間は必要でしょう。
幸か不幸か、人数制限がかかるほどのすごい人だったので、
人にまみれて、さくっと観ることしかできませんでした。
それでも、光悦の見事な筆、宗達の見事な構図の作品、
抱一の繊細な作品の数々、と気になっていたところはしっかり。
人ごみに解放された後は園内の紅葉を見ながら、
ブルディガラのサンドイッチを食べて、のんびり。
美術を鑑賞するのは不思議な感覚があるのですが、
それは自分が美術に疎いせいだと思うのです。
ただ感覚だけで、綺麗だ、好きだ、だけで観ているので、
この感情をうまく表現できればよいでしょうね。
なぜか言葉にできない感覚があるのです。


今日は疲れを癒すだけの休憩日でありました。
本のメモもまたまた積まれております。
それはまた後日ということで、ぼんにゅいです。  

2015年11月17日火曜日

通院日でした

またしても雨の降る夜になりました。
まだ奈良は暖かいです。


今日は通院日でした。
頭痛は無いし、気分も安定しているようなのですが、
この1,2か月ほどはおなかイタイタが頻繁に起きています。
ちょっとしたハイテンションの時や、
仕事の山を三つほど越えた時、
打ち合わせを終えてしばらくたった時、
気温についていけなくて汗をかいたりした後、
たいていは夕方に襲ってきます。
頭のトーンダウンに、お腹がついて行っていないのだそうです。
お腹・・・ばかやろ。
とののしる前に、自分の身体のコンディション全体を
整えて行く必要がありそうです。
先生は投薬としては、内科の薬で対応するのがよいと
おっしゃっていますが、
こう頻繁に起きると、生活にも仕事にも支障が出てきます。


お薬を飲むことは一つの方法で、頼らなければならないのですが、
精神的なものをコントロールできないか、と悩んでいます。
座禅でも組もうかしらん。
それだけでなく、生活や仕事の方法も考えることが必要のようです。
集中して仕事をすると、モチベーションは上がりますが、
それだけではなく、じっくりと取り組むことが大切なよう。


仕事の進め方と、
毎日の生活を、よく検討してみたいと思います。


今日はそんな私が気になる心理学の本を買ってみました。
昨今話題の「マインドフルネス」に関する本です。


んんん、大橋トリオとデフ・レパードを交互に聴いているような私に、
効果はあるでしょうか。

2015年11月15日日曜日

近況は

この一週間は、バカバカしいくらい能天気なツキスミだったのです。
なので、テロ事件は頭を殴られたような衝撃がありました。


不謹慎ではありますが、おなじみの近況を少しだけ。


火曜日にデフ・レパードのライブに行ってからというもの、
頭の中ではメドレーがずっと鳴りっぱなしでした。
仕事中もぐるぐると、ツイン・ギターが鳴り、コーラスが流れ続けて、
ついにはデスクトップにサヴの写真を貼り付けるまでに。


家では新曲のPV聴いて、ほんま、ええ曲やなぁ、と溜息。
いや、たんにデフ・レパード節が好きなだけです。


自然とこの30年のブランクのことを考えておりました。
私がデフ・レパードを離れてからの30年、
デフ・レパードが過ごしてきたこの30年。
思いがけずここで再び重なったわけです。
少しずつこの30年を振り返って、
現在に至った私とデフ・レパードのことを考えてみようと思っています。


読書の方は「特捜部Q 吊るされた少女」を読了しました。
シリーズも6作目となり、読みなれてきた感じでもあります。
現代社会の現実もしっかり書かれているので、
デンマークの人々も同じ人間だわ、と思うこと度々。
次のメモではしっかり書いてみましょう。
いつも面白い!ばかりではつまりませんね。


「現代小説クロニクル1995-1999」も一作ずつ進んでいます。
普段は読まない作家の作品も、一応読んでみて、
自分なりに読まない理由を考えています。


11月半ばですが、まだ平均より暖かな日が続いています。
真冬が来るのが怖いのに、もうすでに暖かな服装です。
ほんとにダウンが必要になってきそうです。


年末の予定もちらほら入ってきています。
自分のことだけ考える12月があってほしいのですが。
勉強のセットも手元に届き、12月からスタートです。
集中してこなしてしまいたい、と思っています。


このように普通の生活ができることが、ありがたいことですね。
テロや戦争だけでなく、家族のことや、体調不良だけでも、
生活は回りません。
一日、一日が大切な日々であることを、知らされた土曜日でした。

言葉がありません

13日深夜に起きたパリでのテロ事件。
イスラム国が関係していることが断定されています。


何の罪もない一般の人々を狙うテロは、
どのような理由があっても許されることではない。


仮にイスラム教の教義ののっとっていたとしても、
それは、地球上において許されない。


テロ及び攻撃、侵略を即刻やめる必要がある。
そのことをISの人間に理解させなければならないのです。
誰にそのようなことができるでしょう。


イスラム教の人々を多く受け入れている欧州では、
その矛盾に悩まされているかとも思われます。


国としての警戒態勢等の対応が優先順位の一番にあがりますが、
イスラム教との共存について、
イスラム国への対応について、
各国の人間が考えてみなければなりません。


色々な考えが頭をぐるぐると回っています。
この遠く離れた日本でも憂慮しなければならないことです。


テロに巻き込まれて命を失った多くの方々のご冥福を祈り、
ケガをされた方々、愛する人を失った方々に、
少しでもいたわりの言葉をかけることができればと思います。

2015年11月11日水曜日

久しぶりのお天気

朝からお天気に恵まれて、暖かだった日中。
めずらしく早起きして、お洗濯をせっせとこなしました。
今日は家事全般を担当する日だったので、大忙し。
道路に風で舞い散ったサザンカの花びら掃き、
1階のお掃除をして、ようやくお昼。
しっかり美味しいパンなどをいただいて、
やったぞ、お昼寝タイムです。


というわけで、午後はしっかり寝ておりました。
お洗濯もすっかり乾いて、ほっとしました。
ここのところ乾きが悪かったから、嫌でございました。


夕方にはお夕飯として、いろいろ野菜のソテーを作り、
パスタの用意をして、
他にも細々とした用事を。


合間には「特捜部Q」の新刊を少しずつ読み、
カールとの再会を喜んでおりました。


隙間の時間には何をしているのかと問われそうですが、
たいてい母とおしゃべりをしています。
昔から話相手は私なので、慣れっこです。
ときどき制限時間を設けたくなりますが。


昨日じっくりとTodoリストを眺めて、
11月に読む本を絞り込みました。
とても現実的な案です。
延期する本や、遠回しにする本などを決めたのです。
12月にはついにユルスナールに入ります。
これは決め事です。
毎年12月は特別な月なので。


気になっているのは、庭の草刈りです。
秋口からずっと担当の所を言われており、
なかなかできなくて、悩んでいます。
なぜか気が乗らないのです。
そのうち冬になってしまう・・・それまでにどうにかせねばなりません。


楽しいことの後には、難易度の高いことが出てきます。
明日の仕事のことかもしれません。
まだ、ライブの余韻でうっとりしていますから、
気持を切り替えねばならないところです。

ライブの余韻

昨夜楽しんだデフ・レパードのライブ。
じんわりと余韻が残っています。
あれほど楽しかったのに、一瞬で終わってしまったような気がします。
また目に焼き付けに行きたいところです。


そう考えると、他にも観てみたいライブがあります。
メタリカ、スコーピオンズ、
もう観ることは不可能であろうレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン。
一流と言われるバンドのライブを体験してみたい。
昨日のライブで、世界レベルで仕事をしているバンドの凄さが
よくわかりました。
演奏においても、選曲構成、ライブの流れ、パフォーマンス、
いずれにおいても、隙が無く、完璧です。
その上に、本人たちが楽しんでいるという余裕。
当然観客も喜んで乗ってきて、会場全体が一体化する。
皆がライブを楽しみにしているわけがようやくわかりました。


ライブ初体験というわけではなかったのですが、
今回は納得させられたのです。


色々と勉強になりました。

DEF LEPPARD LIVE IN OSAKA 2015

今夜は、デフ・レパードの大阪公演(オリックス劇場)に
行ってまいりました!
コンサートは苦手なのですが、今回の来日はとても気になって、
直前にチケットを買い、観に行くことに。


まぁ、驚くほどに、楽しいライブでした。
ほぼ、40代、50代のおじさん、おばさんばかりで、
世代がわかる入場者構成。
でも、みんな叫んで、歌って、ノリノリで・・・。


ボーカルのジョー(・エリオット)はもともと音域も広くなく、
声も良いとはいえず、歌もうまいとは言い難い。
でも、フロントマンとしてぴったりです。
さすがにベテランですし、貫録たっぷり。


ギターのフィル(・コリン)は想像どおりでした。
かっこよく盛り上げて、決めてくれましたよ。
期待に応えてくれました。


ツイン・ギターのもう一人ヴィヴィアン(・キャンベル)は元気そうでした。
治療をしながらのツアーだそうで、大変かと思いますが、
とても楽しんでいる様子がうかがえました。
フィルと絡んだりして面白かった。


ドラムのリック(・アレン)は昔と変わらない。
若々しさを感じさせる雰囲気がありました。


今回驚いたのは、ベースのサヴ(リック・サヴェージ)。
こんなサヴの様子は写真でも映像でも観たことがなかったです。
ものすごくかっこよかった☆
久しぶりにときめいたくらいです。
演奏もすごくいい音が出ていたので、それも驚きでした。
知らなかっただけなのですけど。


メンバーの楽しそうな様子を観ていると、
ついスティーミン(故スティーブ・クラーク)のことを思いだして、
ちょっと寂しくなりました。



ホールのせいかもしれませんが、
音響は今一ついただけなかったです。
どの音も同じ調子に聴こえてしまう。
ハード・ロックなどでは重低音であるのも関係するでしょうか。


構成はほぼヒット曲中心だったので、
それも盛り上がった要因でしょう。


デフ・レパードの曲はメロディがしっかりとしています。
サビの部分は印象に残るハーモニーです。
ジャンル的にはハード・ロックになるかと思いますが、
他に似たようなバンドはいないような。


ちょうど先日、素晴らしいと評判の新譜が出たばかりです。
もうこれは、買うしかありませんね。


次回の来日も絶対観に行こうと心に決めています。
サヴを観に行くのです☆

2015年11月8日日曜日

11月の雨ですが

秋も深まる中の雨の日ですが、
意外とあたたかく過ごしやすい日でありました。
おかげさまでゆっくりとしたいつもの日曜日でした。
リラックスしたあまり、またまたお腹イタイタが発生しましたが、
その他には、楽しい一日であったといえましょう。


今日は、両親の金婚式のお祝いの品が届く日でした。
物を受け取るのが嫌いな父はご機嫌ななめ。
母は意外であったと喜んでくれました。
ちなみにブツは、ロイヤル・コペンハーゲンのイニシャル入り、
ハイハンドルのマグカップで、大丸の店員さんも
ご両親への贈り物に人気です・・・と言われていました。
あまり大げさでもなく、日常に使えるのがいいかな、と思ったのです。
8月頃から2人の弟と調整を重ねたのですが、
皆が揃う日がなかなか決まらず、結果贈り物にしたのでした。
宴会はまた後日いたしましょう、ということで。
酒飲み一家なので、宴会が一番良いのであります。


そして、夜にはFMcocoloで、殿下・・・プリンスの2時間特集☆
高校生くらいの頃にはさっぱりわからず苦手でありましたが、
いつの頃からか、すっごくかっこいいことがわかってまいりまして、
今夜は踊っておりました。


12月にはコールド・プレイの新譜が出るというニュースに
沸き立ちまして、とても楽しみです。


そして、待ちに待った「特捜部Q」の新刊が出ているとのこと☆
次に大阪へ行くのは火曜日の予定です。
ダッシュです。


今朝の日曜美術館(NHK)に堀江敏幸さんが出演されていたようですが、
案の定、寝坊助で見逃しました。
来週に再放送があるのでしょうか。


さて、プレミア12も始まりましたね。
今日はどうなったのでしょう。
世界のトップクラスの選手が集まるわけですから、
見応えがあると思われます。
それもありますが、肝心なのは秋季キャンプであります。
オフ・シーズンにどういう風にトレーニングをするかで、
来季が決まるといっていいでしょう。
この時期にはカープの情報はさっぱり入ってこないので、
すごく気になります。
中国新聞をとりたいところです。


さ、明日に備えて今夜も休むことにいたしましょう。
ぼんにゅいです。

「プルーストの世界を読む」

「プルーストの世界を読む」 吉川一義著 岩波セミナーブックス92


現在、刊行が続いている岩波文庫版「失われた時を求めて」の
翻訳が吉川一義さんです。
この「プルーストの世界を読む」は2004年の刊行です。
ずいぶん前になりますね。
この本はすぐに手に入れて、プルーストの世界に憧れるきっかけに
なりました。
プルーストの入門本として、とても優しく、わかりやすく、最適かと思われます。


目次を見てみましょう。


 第一章 序章「不眠の夜」
        「不眠の夜」の意味
        「不眠の夜」の成立過程
 第二章 「コンブレー」の構成
        シンメトリックな構成原理
        「悲しい夜」の匂いと音
        「街」の教会
 第三章 「スワン家のほう」と「ゲルマントのほう」
        ふたつの散歩道
        スワンの肖像
        ゲルマント公爵夫人の夢と現実
 第四章 芸術への道
        芸術家の人と作品
        文学の受容から創造へ
 第五章 比喩の魔力と根拠―サンザシの描写
        祭壇のサンザシ
        生け垣のサンザシ


ご覧いただいたように、第一巻を詳細に読み込んでいます。


これまでの研究成果を踏まえ、なぜこの文章が書かれ、
この位置に置かれているのか、までじっくりと読んでいくのです。


文章もとても柔らかで、ゆったりとしており、難解な部分も
解きほぐされていますから、読者も同じテンポでついていけるのです。


小説全体を知らないことには、わかりにくい難点もありますが、
読み通す前には、想像が膨らみ、読後には、納得させられ、と、
理解のしやすさが親しみやすさに繋がっていきます。


そういう意味で、この本が入門本に最適かと思われるのです。
内容の魅力は、とても私の力ではお伝えできかねます。
この本を読むだけで、堪能するだけのものを備えています。
是非、一読をおすすめいたします。


さて、この本のほかの関連本としては、
鈴木道彦さんの「プルーストを読む」を読みましたが、
これは以前にメモをupしたことがありますので、省略いたします。
また同じく鈴木道彦さんによる「マルセル・プルーストの誕生」は、
現在読書中というところです。
他にブラッサイの「プルースト/写真」という本があります。
これはまた改めてご紹介したいと思います。


もちろんプルーストの研究書は数多くあり、奥が深いことは
承知しておりますが、素人読書としてはこのあたりかと、
考えています。
「失われた時を求めて」を通読してみて、現状はこのとおりです。
ただ、この吉川一義さんの本を再読してみて、
吉川訳岩波文庫を読んでみたくなっていることは、確かです。
どうしようかしらん。

2015年11月7日土曜日

11月第一週目終了

今週は2連休もあったというのに、
週後半3日間出勤しただけで、ものすごく仕事をしたという気分です。
ものすごくはしていなくて、ノルマをこなしただけなのですが。
明日の日曜日の天気予報は雨。
でも、ゆったり過ごせるかと思うと、もう気分はくつろいでおります。


ようやく「現代小説クロニクル1995-1999」を読み始めました。
名前だけはよく知っている作家ばかりですし、
すっかり現代の小説なので、読むのがスムーズです。
でも、しっかりと選ばれた作品ですから、読み応えは重く、手ごたえあり。


中村うさぎさんの「他者という病」も読み始めたのですが、
臨死体験を元に書かれているだけに、
大変重く、複雑な内容で、簡単に読み流すことはとうていできません。
もう一度最初から姿勢を正して読みなおそうと思っています。
理性的に理路整然と書かれているため、私のような者には、
なかなかついて行けないのが実態です。


この2冊を読んだら、きっとオールスンの「アルファベット・ハウス」に
走ってしまうでしょう。
オールスンの「特捜部Q」の新作が待ち遠しいところです。


あ~、プルーストはどこへ行ったのでしょうか?

2015年11月5日木曜日

缶詰め

2連休明けの出勤、清々しくて、気持ちが良いものです。


さて今日は午前中から月一回の職場の会議。
皆の仕事状況をヒアリングし、職場の懸案事項を検討します。
これまで私は不参加だったのですが、
新しいK課長が参加してくださいとのことで、
毎月出席しております。
色々な状況がわかって、とても重要な会議です。
もう少し時間があったらいいのにな、と思います。
情報共有のための、職場新聞を作りたいくらいです。


午後は外注先の事務担当Iさんが大阪からお出でくださいました。
じっくり4時間打ち合わせです。
これまでの業務の見直しがかなりあったので、
それを踏まえて事務作業のやりとりを紙の上で確認していきました。
とっても細やかでほがらかなIさんは話をすいすいと理解してくださって、
打ち合わせもすいすい。
話題はあちらこちらに飛んで、とっても充実した時間でありました。
Iさん、遠くまでありがとうございました。


今日はデスクワークがほぼできなかったので、
明日、明後日に分けて、コツコツ片付けていこうと思います。


お部屋に飾った一輪の白い薔薇・・・アイスバーグがとても綺麗です。

2015年11月4日水曜日

気持のよい秋の日

陽が差してくると、暖かな空気が入ってきて、
気持よくなります。
相変わらず すぅすぅと寝ておりました。


水曜日の定番、パスタ作りはだいぶコツがつかめてきまして、
3年もかかってようやくか、と感じています。
自分のイメージどおりに作り上げるのは、
なかなか難しいですね。
以前はマニュアル付きで料理をしていたので、
かえってミスがあまりありませんでした。
パスタは勘で作っているので、なかなか要領を得なかった。
その分、具材が変わったりしても、対応できるようになり、
違うパスタにトライしてみたくなったり、と、
応用が広がってきました。
使ってみたいのはドライトマトです。
これで、深みのある味をだしてみたいです。


今日は「長くつしたのピッピ」を読んでおりました。
リンドグレーンの代表作ですね。
もうピッピ、最高です。素敵。
リンドグレーンは子供のころにやかまし村シリーズとカッレ君シリーズ
を読んでいたのですが、その他は少年文庫になっていなかったので、
読んでいませんでした。
この本を貸してくれた母は、これから児童書を色々と読んでみたいの、
と申しております。素晴らしい傾向です。私も一緒に読みましょう。
楽しい読書が一番ですね!

「伝説の洋画家たち 二科100年展」

「伝説の洋画家たち 二科100年展」 大阪市立美術館


 二科展という名はよく聞くけれど、よくわからない。
 で、あまり関心がなかった今回の展覧会でしたが、
 日経新聞夕刊に高階絵里加さんが総評を書かれていたのを読み、
 行くことに即決、閉展の前日に飛び込んだのです。


 大正3年、官展である文展に対し、立ち上げられたのが二科展。
 自由な新しい画風を求める芸術家たちが集まったとあります。
 今回では主だった画家の作品が集められています。
 その点数なんと132点に及びます。
 著名な画家には、岸田劉生、藤田嗣治、小出楢重、東郷青児、
 岡本太郎、佐伯祐三、坂本繁二郎、安井曾太郎等々。
 私は古賀春江がその中にあったのが、出かける決め手となりました。
 
 見始めると早々に西村伊作の「新宮風景」と遭遇。絵も描く人だったんだ。
 中川一政の「春光」は大正4年の作で、普通にみられる筆致の油絵です。
 岸田劉生の「静物」は重厚なバックに静物が輝いてみえる逸品。
 国枝金三の「都会風景」は大正13年ごろの大阪御堂筋の様子が。
 小出楢重の「帽子をかぶった自画像」は意気揚々とした雰囲気が伝わる
 大作。
 佐伯祐三は大好きな画家。パリの重々しく暗い風景の中に
 アルファベットが大きく浮き上がり、呼びかけられているようです。
 待望の古賀春江「素朴な月夜」はいつものシュールで、柔らかい印象、
 なのに、どこか不安を抱かせる作品です。
 興味深かったのは、熊谷守一と有島生馬(有島武郎の弟)と描きあった
 肖像画です。どちらもしっかりと描きこんだ油絵で、熊谷守一の後の
 作品とは一味違います。そして有島生馬の描いた熊谷の肖像。
 仙人と言われた風貌がこのころから見られるように思われました。
 好ましく思ったのは、伊藤久三郎「合歓の木」。これは現代作家の絵と
 いわれてもおかしくないであろう構図。色合いは少々単調ではありますが。
 また、圧倒されたのは松本竣介「画家の像」。
 戦時中の絵で、すっくりと立ち上がったその像は若々しくも、強い意志を
 感じさせ、横に座る家族の表情がそれを際立たせます。
 緻密な筆致にも見入ってしまいました。


 戦後の作品は岡本太郎に代表されるように、現代社会を先取りするような
 作品が多く、抽象画によってそれらを表されている印象が強いです。


 藤田嗣治は南米を旅した後の作品で、パリ時代で一世を風靡した作品
 とは、少々違った趣がありました。


 秀逸と思われたのは、安井曾太郎の「玉蟲先生像」。素晴らしい。完璧。


 大作も多く、人物画は親しみを感じさせ、どこか安心感を漂わせる雰囲気
 があり、日本人の洋画というだけで、これだけ雰囲気が変わるものかと、
 驚きもありました。
 どの作品もこれから羽ばたこうとする意欲と意思がしっかりと塗り込まれ、
 重量感のある見応えでした。


 とても満足感を味わえた展覧会、久しぶりです。

2015年11月3日火曜日

文化の日

今日は祝日で嬉しいお休みでした。
お天気も良く、5週間ぶりに散髪へGO!
前髪、裾周りをずいぶん短くしてもらって、
気分爽快です。


ついでに傍のユニクロに寄って、
クリストフ・ルメールとのコラボ商品をチェックしてきました。
置き方が綺麗ではないので、少々もったいない気がしましたが、
やはりデザインは秀逸で、普通の服にワンポイントで合わせても
お洒落だろうと思われました。
でも、寒がりの私には返ってオシャレ度が高く、スルー。
まだダウンを着たことが無いのですが(似合わないのです)、
職場にはユニクロのダウンで通勤したいと思って眺めていました。


本屋さんでは、ミルハウザーの自伝的小説「ある夢想者の肖像」を
眺めては、直し、手にとっては、直し、を繰り返し、
どうにか買わずに済みました。
というのも、これまでの経験からミルハウザーの作品は、
短編が好みであって、長編はあまり親しめないからなのです。
でも、惹かれるものがあります。また悩む。


散髪に行く日はお化粧品を買う日でもあります。
今日はリップとファンデーションを購入。
すぐに化粧崩れをおこしてしまうので、
しっかりキープできるよう固めの下地も。
YSL、あまりの高さにめまいを起こしそうに。
イメージ・モデルのカーラ・デルヴィーニュの映像にうっとりして、
ま、これで半年は大丈夫と安心することにしました。


一か月に一度のお楽しみはこれにて終了。
来月はいつ行けるかな?

2015年11月2日月曜日

久しぶりにTV・・・スガくんを観るために

先ほどNHKの「プロフェッショナル」を観ておりました。
主題歌を歌うスガシカオを特集していたのです。


一時期よくわからないアルバムが続いて、
少し距離をおいていたのですが、
ずっとスガくんのブログは読んでいたので、
ライブ中心の活動をしていることは知っておりました。


今度6年ぶりとなるアルバムがでるそうです。
そのアルバムの柱となる曲の歌詞作成の様子が
じっくりと取材されており、その大変さをうかがうことができました。
(スガくんの意見は全くそのとおりだと頷いておりました。)


また、この番組の主題歌「プログレス」を10年ぶりに振り返り、
そしてこれからとなる新しい曲を披露してくれました。


スガくんの曲作り、素晴らしい歌詞、歌唱力について、
この19年の間に多くの人が評価し、愛されていることに、
私までがとても嬉しく思われます。


スガくんと同い年の私。
素晴らしい同胞がいるのだと思うと、なおさら嬉しいです。
(勝手に同胞にさせていただいています!)


昔ライブ・ハウスで聴いた頃は、私も境遇が全く違ったのですが、
今新たな曲を聴いてみて、私の気持ちも一新できるような気がしました。
とても新鮮な心地です。


ありがとうスガくん、
あなたのその生き方から生まれる曲がみんなを照らしてくれるのです。

2015年11月1日日曜日

11月に入りました

11月、さすがに朝夕はかなり冷えますね。
もう暖かく着込んでおりますよ。
とにかく寒いこと自体が苦手ですし、
風邪をひくのも困るからです。


風邪気味かな?と思ったら、
即、エスタック・イブ・エースを飲みます。
お風呂はその時により加減します。
熱っぽかったら、頭は洗わない。
布団に早く入る。
なるべく手を抜く。
2,3日したら、どうにか治まります。
この方法でこの2,3年は寝込まずに済んでいます。
しばらくしても治らなかったり、
咳がひどくなったりしたら、内科のお医者さんへ。
それでも、どうにか風邪で会社を休まずに済んでいるので、
それでいいかな、と。
もちろん、枕にはラベンダーとユーカリのオイルを垂らします。
理想は寝る前の30分前にそういった支度を終え、
ゆっくりリラックスできる音楽をかけて、
読みやすい本を読む。
そうすると、マイスリー(睡眠導入剤)1個ですぅっと寝ることができます。


昨日は、夕方から大阪・天王寺へ出かけ、
大阪市立美術館で催されていた「二科100年展」を観てきました。
充実した内容で、とても良く、満足いたしました。
でも、ちょっと疲れてしまい、
今日もよく寝ましたよ。


このブログ、「体調不良と偏り読書」と名前を変えたほうが
いいかもしれません。

「謎とき 失われた時を求めて」

「謎解き 失われた時を求めて」 芳川泰久著 新潮選書


この夏、新潮社から「失われた時を求めて 全一巻」が出ましたね。
訳と編集はこの芳川さん、リライトは角田光代さん。
と、同時に芳川さん版「謎とき」が出版されたわけです。


 第一章 冒頭の一句について
  ここで、これまでの日本語訳について、
  冒頭の Longtemps、je me suis couche de bonne heure.
     をどのように訳しているのか、比較検討しています。
  芳川さんはフランス文学の研究者でおられるので、
  もちろんフランス語に立ち戻って考えられているのですが、
  実はこれは常に問題になっている訳の部分なのです。
  フランス語の知識が無いと、訳は困難なのが実態です。


   長い間、いつも私は早くから寝るのであった。(1929)
   長い間私はいつも早くから寝ることにしていた(1931)
   長い間、いつも私は早くから床に就いた(1934)
   長い間、私は早くから寝む習慣をとって来た(1940)
   長い間、私は宵寝になれてきた(1953)
    ・
    ・
    ・
   長いあいだ、私は夜早く床に就いた(1990)
   長い時にわたって、私は早くから寝たものだ(1992ちくま文庫井上訳)
   長いあいだ、私は早く寝るのだった。(2006 集英社文庫 鈴木訳)
   長い間、私はまだ早い時間から床に就いた(光文社 高遠訳)
   長いこと私は早めに寝むことにしていた(岩波文庫 吉川訳)
 
  “私”がのちのちになって、振り返った過去の習慣に関して、
  複合過去で表現している、それは、“私”が過去において生きている状態
  を指していると言えるかと思われます。
  それまでの十九世紀の小説では過去を語るとき、単純過去か半過去が
  使われていました。
  冒頭から、プルースト独自の表現を使っているというわけです。
  いきなりなかなか難しい問題提起ですね。


 第二章 “私”が窓辺にたたずむと
  ここでは、主人公が窓という枠から見たこと、
  をクローズアップしています。
  それは、とても印象深い光景が多く、また衝撃的なシーンもあります。
  窓、それも一つの視点の一つです。


第三章 “私”という形式、あるいは犬になること
  “私”の視点や意識は匿名性を持っています。
  それによって、印象や感覚を研ぎ澄ませる作用を考慮しているようです。
  フランス人が知性によって乗り越えてきた歴史を、
  プルーストは印象や感覚によって切り開こうとした、と言える、
  と芳川さんは述べています。


第四章 モネを超える試み
  “私”が目にする、そして意識する風景は、旅などで度々現れます。
  その時の表現は光の移り変わりを意識しているものであり、
  一連の絵画、タブローようであるとし、一つの平面、あるいは言葉に
  よってモネの試みと重なっているようです。


第五章 メタモルフォーズ 隠喩的な錯視
  “私”は様々なシーンで、実際に目にしたものから新たな印象を引き出す
  力を持っています。それが彼の得意技と思っていましたが。
  画家エルスチールの作品を観たときにも、作品から受ける印象が
  どんどんと広がっていきます。それはとても美しく、彼の感受性の豊かさ
  をも示していました。
  同時に、隠喩的な表現が数多くみられ、それは物語の先に繋がって
  いくのです。代表的な例は性的な嗜好の持ち主のエピソードですね。


第六章 小説という場所
  幼いときに“私”は甘美な、恍惚とした印象を持つことがありました。
  それが小説家となる第一歩であったわけです。
  とても有名な章で、“私”が馬車の上から、マルタンヴィルの鐘楼を
  眺めるときがあり、そこで“歓び”を感じるという部分があります。 
  それを一生懸命に書きとめたとあります。
  ここで芳川さんは <時>の開示そのものが、無意識的想起によって
  「時間の偶然性」を廃棄するというかたちで、独自の構造を発揮する。
  そこことを示唆しているのが、われわれは「時間の外に身をおいて
  いるのに」という「自らの外に立つこと」を構造的である。 とし、
  小説の“私”の体験と発見、書くことへの歓びに繋がるとしています。
  そのほかにも芳川さんは細かなところに、独自の隠喩的表現を指摘
  されています。そう考えれば、そう読めるかも。


そろそろ書くのに疲れてきました。
私自身の最初の考えと違って、書くべきことが多すぎる。


この後、第七章 描写のネットワークを読む
     第八章 方法としての記憶
     第九章 石への傾倒 小説を書く
     第十章 死んでいる母と「ひとりの女」
     第十一章 ヴェネツィア紀行
     第十二章 知覚を宿す平面 プルーストとベルクソン
とあります。
どの章もしっかりとしたデータに基づいた考証で、読み応えがあります。
もちろん、全体に、プルーストが影響を受けたラスキンについても含め、
これまでの研究の一端が活かされています。
そういう意味ではとても読み応えのある一冊です。
また、この本を読んでなおさら興味を覚える人も多いことでしょう。
「失われた時を求めて」は、隠喩を数多く含み、どこを読んでも、
実は伏線があり、意味の無い表現が無いといっていいくらい、
重厚な作品なのです。


私は一つの小説としてこの「失われた時を求めて」を読みましたが、
読者の勝手で、苦手な部分はさらりとかわしました。
読んでいる者の勘で、これはあれと結びつく、とか、
これは窓枠がついている、とか、この描写はエルスチールの絵を
観るときと同じようだ、とか、これこそが重要な印だと思いながら、
それはそれで楽しむことができましたので、
これで一応十分だと思っています。
そういった勘の部分や、疑問を解き明かしてくれるのが、
こういった解説、批評本だと思います。


さて、この「謎とき」の本に関して申し上げれば、
筆者の感情や、熱意が後押ししていることが特徴です。
第十二章が難解であることは、筆者もご承知のようですが、
他の章も、もう少しゆとりがあってもよかったかと思います。
そういう意味で、少々読みにくさがあります。
ちょっとせっかちなのね、筆致が。


色々な解説本があって、さらに興味深いプルーストであります。