2010年3月31日水曜日

近頃の梅田

久しぶりに梅田に出かけてみると、
立替中の阪急百貨店が聳え立ち、
JRに接する大丸百貨店(ACTY)も拡張工事が進んで、
手前に迫り出しています。
東側には、ガラス張りのフコク生命ビルが、
新しい姿を現してきています。

JRの北ヤードの開発も着工したそうだし、
大阪中央郵便局も取り壊しだとか、
阪神百貨店周辺も建て直しを計画中とか。

西側にハービスエントとヒルトンウエストが出来ただけでも、
十分に広がったと思っていたのに、
どんどんと変わっていきます。

人の流れも集中的に多く、
目が回りそうです。
なんだか落ち着かない。

関西経済においても変わり目なのだろうと
思います。
世代が入れ替わって、
人々のニーズも多様化して、
行動様式も変化していく、
世界的な不景気をきっかけに、
大きく転換していくのでしょう。
戦後に大きく発展した梅田も、
その転換の時期なのかと、
しばらく傍観するだけです。

2010年3月30日火曜日

アーバンライナー

“アーバンライナー”と聞いてピンとくる人は、
近鉄沿線にお住まいかあるいは、鉄道マニアの方でしょう。

近鉄特急の一つとして、
時折走っている白い車体の電車です。
この電車の乗り心地が素晴らしいのです。

座席もゆったりとしており、
揺れが少なく、
とても安定感があります。
気分もゆったりして、
ついつい夢心地。

このアーバンライナーに乗ると、
車体でこんなにも違いがあるのかと
驚きます。
関西の各私鉄、各地のJRなど乗車したことはあれど、
これが一番!
贔屓というのは怖いものです。

この電車に乗ったまま、
遠く海の見えるところまで行きたい、
よくそう思います。

2010年3月29日月曜日

映画 “とどめの一撃”

マルグリット・ユルスナール著「とどめの一撃」の映画を観ました。
“ブリキの太鼓”で知られるフォルカー・シュレンドルフが監督です。
1976年の作品です。

大筋は原作に沿っていますが、
微妙なニュアンスが違います。
配役も厳しいところがあります。
原作を意識していると、
どうしても反発してしまいます。
小さな違いが重なり、大きく反映して、
話の根本がずれてしまっています。

ですが、戦火の真っ只中、
兵士たちが駐屯する屋敷、
バルト海沿岸地方の冬の景色などは、
画面でみると、
リアルに感じられます。

一つの映画として鑑賞すればよいかもしれませんが、
原作を知らないと、
筋も、人間関係もさっぱりわからないかもしれません。

なにより、
ユルスナールが大切にしている部分が
描かれていないのが残念です。
その欠落が、原作との不一致を明らかにしています。

妙な位置づけの映画です。

2010年3月28日日曜日

しばしお別れ・・・ミラン・クンデラ

ミラン・クンデラの作品のほとんどは邦訳があり、
多くの読者を獲得しています。

「微笑を誘う愛の物語」1958-70(チェコ語版)、70(フランス語版)集英社(1992)
            「可笑しい愛」 集英社文庫(2003)
「冗談」1967(チェコ語版)1968(フランス語版) みすず書房(1970)
「生は彼方に」1973(フランス語版) 早川文庫(2001)
「別れのワルツ」1976(フランス語版) 集英社(1993)
「別れと忘却の書」1979(フランス語版) 集英社(1992)
「ジャックとその主人」1981(フランス語版) みすず書房(1996)<戯曲>
「存在の耐えられない軽さ」1984(フランス語版)集英社(1989)、集英社文庫、
                河出書房新社
「小説の精神」1986(フランス語版) 法政大学出版局(1990)<評論>
「不滅」1990(フランス語版) 集英社(1992)、集英社文庫
「裏切られた遺言」1993(フランス語版) 集英社(1994)
「緩やかさ」1995(フランス語版) 集英社(1995)
「ほんとうの私」1998(フランス語版) 集英社(1997)
「無知」2000(フランス語版) 集英社(2001)
「カーテン」2005(フランス語版) 集英社(2005)<評論>

多くの小説、評論をクンデラと親交のある西永良成氏が翻訳されています。

研究書としては、
「ミラン・クンデラの思想」西永良成著 平凡社選書(1998)
「ミラン・クンデラと小説」赤塚若樹著 水声社(2000)
「小説というオブリガード」工藤庸子著 東京大学出版会(1996)
などがあります。

※ ※ ※

「存在の耐えられない軽さ」と「不滅」を読んで
すっかりクンデラの虜になったところから、
少しずつですが、上記の本を読み進めてきました。
読みごたえのある作品ばかりで、
小説の奥深さだけでなく、
世界にはこのような作品の書き手がいるという事実に、
圧倒されました。

評論を読んでみるとクンデラの意図するところが、
理解できるようになっています。
ここで、立ち止まってしまいました。
そこには未知の原語で語られた、
理解を超えた見知らぬ世界観が広がっていました。
クンデラがマジシャンのようにも、
宇宙人のようにも見えます。

ただ小説を楽しむには、なんの支障もありません。

なぜその作品が書かれたのか、
書き手の思想と意思が知りたい、
その作品の意図はどこにあるのか、
と追求を始めると、
より理解できなくては始まりません。

以前「不滅」について、このブログでも取り上げましたが、
それ以上の進歩が見られないのが現状です。
いつか再び読む日がくるかもしれません。
でも今は、とても手には負えません。
情けなさと無念さとが入り混じっているのですが、
お手上げということで、
しばし、お蔵入りさせることにしました。
仕事で言う“優先順位を入れ替える”というところでしょうか。

2010年3月27日土曜日

上と下の二段

小学校5年生でした。
国語の時間の時のこと、
担任の先生が言いました。

“縦書きのノートの真ん中に横線を引いて、
 上と下に分けてください。”

そして黒板にその図を描いてくれました。

“上の段には、
教科書の
 文章に書かれていることを
 書いてください。”

“下の段には、
 その文章から分かることを
 書いてください。”

例えば、
上段には、文章を細かく刻んで、
記します。
下段には、上段に記した文章から、
分かること、表現されていることなど、
自分で読み取れることを、
記します。

とってもシンプルで、
どれだけ理解できているか、
一目瞭然の方法です。
小学生にもすぐにできるわけです。
お話を読んだりするときには、
とても有効な読解をすすめてくれるでしょう。

ところが、
上段は簡単に書けたのですが、
下段が問題でした。
自分が思うことや、考えることがもし間違っていたら?
不安で書くことができません。
でたらめを書くような気がしたのです。
懐疑的すぎますね。
結局、活字になっているところだけしか信用できなかったので、
上段と下段は同じことを書いてしまいました。

小学5年生、ノートに向かって、
手を滲ませていたことをよく思い出します。

2010年3月26日金曜日

最近購入した本

岩波新書で 清水徹著 「ヴァレリー」 が
出るということだったので、
店頭をチェックしていました。

ようやく並んだところで、
大急ぎで入手しました。
ヴァレリーの作品では「海辺の墓地」を
どうにか読んだだけです。
作家・詩人・評論家としてのその活動がとても気になるので、
ちょっと知識が欲しいのです。
一応、「ヴァレリーの肖像」 清水徹著 筑摩書房、
「若きパルク」 みすず書房、 
「ヴァレリー・セレクション」 平凡社ライブラリー、
は手元にあるのですが、
読むのに躊躇しているところなので、
この新書で様子を見ようと思います。
というのも、中井久夫さんのエッセイなどを読んでみて、
勝手に想像している感覚とのずれがあるように感じるのです。
(それにしても先に買い過ぎですね)

一緒に、
「平和構築」 東大作著 岩波新書 も
購入しました。
しばらく前にこの東氏について新聞で読み、
40歳代という人の活躍に関心を持ったのです。

その他にも買った本はあるのですが、
目を通してみて、これは失敗というものでしたので、
お披露目するのは止めておきましょう。

という間にも次々と読みたい本が現れてくるので、
悩ましい~です。

2010年3月25日木曜日

雨で中止

雨がよく降ります。
おかげで甲子園は2日も順延。
早く雨が上がって、
明日こそ良いコンディションでプレーできますように。

明日はセ・リーグも開幕です。
ドキドキ。

バンクーバー・オリンピックは、
好きな種目を満足に観れなくて、
不完全燃焼。
アルペンとハーフパイプだったのでした。

季節も変わり、
気分も一新、
野球とサッカーを中心に、
スポーツ観戦を楽しみたいと思います。

2010年3月24日水曜日

「黄金のしっぽ ムーミン・コミックス№1」

「黄金のしっぽ ムーミン・コミックス№1」
トーベ+ラルス・ヤンソン著 冨原眞弓訳 筑摩書房

というわけで、
さっそくムーミン・コミックスです。

まず、絵が可愛い。
つい、文字ばかり追ってしまうのですが、
一コマ一コマを丁寧に見てみると、
ムーミンたちの表情がすごく面白い。

ついで、
展開がスピーディー。
どんどん話が進んでいきます。
単純すぎて、これも可笑しい。

素直なムーミンがすっぽり罠にはまってしまうので、
同情しつつ、心配になってきます。
でも話がずんずん展開するので、
ちゃんと解決して、
ムーミンたちの心もすっかり元のとおり。

ほんとは教訓めいた話は苦手です。
でもムーミン・コミックスは、
笑いとともに慰めもくれるので、
朗らかな気分も分けてくれます。

生きていると、
いろいろあるけど、
まあ、良しとしましょう。
そんな、気分です。

2010年3月23日火曜日

「ムーミン谷のひみつの言葉」

「ムーミン谷のひみつの言葉」 冨原眞弓著 筑摩書房

ムーミン谷を舞台とするコミックスは、
イギリスの新聞「イヴニング・ニューズ」で1954年から、
長く掲載されました。
この本では、コミックスのトーベ・ヤンソン時代の作品から、
示唆に富んだユーモアたっぷりの言葉の数々を選び出し、
その言葉の含む意味を読み込んでいます。

ちくま文庫の「ムーミン谷のひみつ」の兄弟本のような趣です。

私たちの日常にも、同じような言葉が発せられたり、
よく似た不可思議な状況に見舞われたりすることに、
他人事とは思えず、
ちょっぴり痛さも感じられます。
生きている限り、ムーミン谷の住人たちとそう変わりはないのです。

それにしても著者の冨原さんの読み込みは、
深く、大変明快で、わかりやすい。
大人の教科書のような内容だと思ってしまいました。

ムーミントロール “ねえ・・・義務ってなんのこと?”
スナフキンの返事 “したくないことをすることさ”
スナフキンはクールに答えたものの、
義務にがんじがらめになりかけのムーミンたちを
心優しく導いてあげるのでした。

ムーミンたちの暮らしを見ていると、
ほんとに大切なことって基本に忠実なことかな、と思いあたります。
根底にあるのは、心の自由と、他者へ優しさ、思いやりなのでした。

2010年3月22日月曜日

とてものんびり・・・あるいは怠惰

本日も大変良いお天気で、過ごしやすい一日でした。
晴れやかな陽射しに気分もうらうらと、
のんびりいたしました。

ここ数年体調が不安定なので、
休日は家でゆっくり過ごすことにしています。
たっぷり睡眠であります。
猫は一生の大半を寝ているそうですが、
猫顔負けです。

突然猫の話が出てくるのは、
猫の漫画を読んでいたせいもあります。
他にも、分厚い漫画を読みふけって、
昔々の乙女心を懐かしんだり、
パリの風物を取り上げたエッセイをめくって、
同じ好みに嬉しくなったり、
ダイエットについて書かれた本を読んで、
ヒントを得たり、と
普段はできないゆったりとした時間を楽しんでいました。

はたと顔を上げると、
もういい時間ではありませんか。
暗くなってからようやく集中できる用事にかかることにします。

連休ならではの、
宙に浮いたような時間を堪能しました。

2010年3月21日日曜日

春ですね

昨夜は突風の嵐でありました。
今日は黄砂で
一日中、目と鼻がむずむずとしていました。
花粉症の方には申し訳ないのですが、
そういった症状さえも春のしるしです。

春の花たちも次々と咲き出しています。
今はラッパ水仙がきれいです。
白い花はすがすがしく感じますね。
チューリップも桜の開花の頃には、
色づいてくることでしょう。
もう長く野原に出ることがありませんが、
きっとつくしやオオイヌフグリが
茂っていることでしょう。

家の中では、
明るくなってきたせいで目に付く埃を払ったり、
厚手の冬物を整理したり、
机に積み上げてある切抜きや本や雑誌を並べなおしたり、
季節の片付けに勤しんでいます。
合間にはまたまた珈琲を飲んでくつろいで。
春の日のお休みはのんびりムードです。

おかげで、読書や作業はそっちのけ。
そちらの方も頭の整理をして、
軌道に乗せて参りましょうか。

2010年3月20日土曜日

思考力と表現

本を読んだり、
ブログを拝見したりして、
感じるのは、
自分の頭の中で考えていることしか
文章化できないということです。
素晴らしい表現に出会うと痛切に感じます。

思考力を深めたいと望みはするのですが、
いかんせん、この頭ですから、
どうしようもありません。
そんな思考力を元に表現しようとしているのですから、
人に読んでいただけるようなものには、
なかなかなりませんね。

自分に足りないものを感じ取りながら、
他者が生み出し、表現しているものを、
ありがたく味わう。
キャッチする立場を生かしていけるようにしたいものです。

2010年3月19日金曜日

「夜と霧」を購入しました

そうなのです、まだ読んだことがありません。
いつかは読むだろうと思いながら、
心構えがきちんとできてからにしようと、
そのままになっていました。

堀江敏幸さんの「一階でも二階でもない夜」に、
この本について語られている文章があり、
そろそろその時期かという気がしました。

旧訳か新訳か少し迷いましたが、
堀江さんの文章の中で、
 人間はふたつの種族しか存在しない、とフランクルは書く。
 「品位ある善意の人間とそうでない人間」(旧訳)=
 「まともな人間とまともでない人間」(新訳)。
と記載があったので、
旧訳の方を選びました。
訳の新旧はほとんど意味は無いだろうと思います。

読んだ後の心理的衝撃に耐えられるかと、
少々恐れています。

2010年3月18日木曜日

水玉模様の傘

もう20年近く一本の傘をさしていました。
紺色のシンプルなデザインで軽く、重宝していたのです。
持ち手は剥げて、先は変色し、
みっともない姿でしたが、
壊れるまで使おうと思っていました。
なのに先日、駅で線路に落としてしまい、
骨が一本ぐねっと曲がってしまいました。

そろそろ買い替え時かと腹を決め、
探し始めたのですが、
なかなか好みのものが無い。
傘の需要の高い国のはずなのに、
バリエーションが以外と無いのです。
不思議だと思いませんか?

やっと辿りついたのが、
ビームスのネットショップ。
希望のバンブーの柄、黒地に細かい白い水玉です。
今度も長く使うぞ・・・と考えたら、
20年後って、ン歳ではありませんか。
ちょっと派手になっているかもしれない。
考えてみると、今でも充分派手なのでありました。

2010年3月17日水曜日

関美穂子さんのはんことシール

少し前にいただいたはんこ2種。
一つは、
太陽の表情がおかしいし、
月にも足が生えている。
もう一つは東欧のような風景に、
一人乗りの馬車。
なんだか大正モダンのような雰囲気の
はんこです。
白い陶器製で、ますますノスタルジック。
これは一体?

と思っていたところ、
はんこと同じ図柄のシールを発見。
関美穂子さんという人のものでした。
横にあった水糊シールというのも、
とてもシックな色合いです。
じっくり眺めてみると、
切り絵のようでもあります。
謎は深まるばかり。
ちょっと調べてみましょう。

2010年3月16日火曜日

youtubeでLive

最近になってyoutubeでLiveを観ることにはまっています。

お気に入りは、
Coldplayと
Rage Against the Machine!

生き生きとした動き、
豊かな表情、
情感溢れる音の渦、
ダイナミックな雰囲気、
Liveならではの様子に堪能しています。

実は生のLiveやコンサートが苦手なので、
こちらの方がじっくり楽しめるのです。

2010年3月15日月曜日

「モロッコ革の本」

「モロッコ革の本」 栃折久美子著 筑摩書房

本好きの方には、栃折さんのことをご存知の方も多いかと思われます。
装丁家として知られ、何冊か本と装丁に関する本を書かれています。
森有正さんとの交流についても一冊上梓されています。

この本を知ったのは、まだ十代のことでした。
とても興味深い人の話だと進められて、読んだのでした。
それから何回繰り返し読んだことでしょう。

とても個人的な打ち明け話のような面持ちのエッセイです。
ここには、本物の栃折久美子が誕生する瞬間が記されています。
自分自身を見出したそのときの喜びが詰まっています。

時々において読み返すと、その都度読み手側の視点も変化します。
幼い頃、明るい部分だけをさらっていましたが、
単に憧れを誘うだけにすぎませんでした。
今になって思うのは、素晴らしい経験を大切な時と認識できることが、
大切だということです。

過ぎ去ってしまってから気がつくのが、普通のこと。
今の自分をよく知り、状況を判断し、トライすること、
経験しながらも同時にその意味を理解すること。
いつになっても、遅くはないのです。

2010年3月14日日曜日

文庫にならないかな

読んでみたいのに、
邦訳もあるのに、
出回っていない本。
フィリップ・ソレルスはその代表格です。
まとめて文庫の全集にしてくださいな、
集英社さん。

ミラン・クンデラも文庫にして、
全集にしてくださるとありがたいです。

ばらばらと出ているル・クレジオも、
ぜひどこかで揃えてほしいです。

原書で読みなさいと言われてしまいますね。

2010年3月13日土曜日

アートとしての服~フィービー・ファイロ

“アートしての服”などと称してしますが、
“アートとしてのモード”の方がいいような気がしています。

今回はフィービー・ファイロ。
アートという側面ではなく、
実質的な服として感心したのです。

クロエのデザイナー時代の作品は、
一般の評価ほど心に残ることがなかったのです。
なので、セリーヌのデザイナーに就任するニュースも
冷静に捉えていました。
ところが先日のこと、
セリーヌのショップの横を通りかかった時です。
ガラス越しに見える新しい服の数々、
それはそれはミニマルで美しいものだったのです。
フォルムといい、カッティングといい、
色合い、風合い、丈の長さ、
洗練を極めたデザインでした。
もちろん高級品ですので、質は最高級です。
すぐに着てみたいと思う服ばかりです。

美しいものを見るだけで、
心が洗われます。
手に入れることはなくとも、
その真髄に触れることはできると、
信じています。

2010年3月12日金曜日

今日のお買い物

昨日心に決めたとおりに、
本屋さんに出かけました。

まず、
「グーグーだって猫である 4巻」 大島弓子著 角川書店

それから、
「大島弓子が選んだ大島弓子選集 1巻 ミモザ館でつかまえて」
大島弓子著 メディアファクトリー
中学生の頃から知ってはいたのですが、
きちんと読み出したのはつい最近のこと。
まさに遅れてきた大島弓子ファンです。
昔あった全集が欲しかったのですが、
店頭では見つけられませんでした。

「ムーミン・コミックス №1 黄金のしっぽ」
トーベ・ヤンソン+ラルス・ヤンソン著 筑摩書房
今、訳者の冨原眞弓さんのムーミンの本を読書中。
コミックスも読んでみたくなりました。

「フーコー」 ポール・ヴェーヌ著 慎改康之訳 筑摩書房
いつになったら読むのでしょうか。

「古文の読解」 小西甚一著 ちくま文庫
古典を読むのが夢の一つとしてあるのですが、
この本は古典の参考書として名高いということで、
購入しました。

すぐには読まない本でも、
のちのち絶版にでもなったら泣きをみます。
かといって、ペルヌーの本のように買った翌月に、
新書になったりする目にもあったりします。
買うタイミングも難しいなぁ。

2010年3月11日木曜日

「グーグーだって猫である」

「グーグーだって猫である」 大島弓子著 角川書店

このグーグー・シリーズも5巻までやってきました。
3巻を文庫で買った後、
4巻を飛ばして新刊の5巻を購入、
大きな版の方がゆったりとしていて、
大島さんの雰囲気と似合うなあ、と
思いながら読みました。

続いて奥から1,2巻も引っ張りだしてきて、
つい読みふけってしまいました。

大島さんは本当に心優しい方です。
細かに揺れ動く気持ちを絵に託して、
大らかに描いておられます。

大変な経験もたくさんされているのに、
そういったことから生じる苦しさをも、
正直さに包んで絵の中に取り込んであるので、
読み手も素直に受け取ることができるように思います。

大島さんが多くの読み手に恵まれておられるのも、
うなづけるところですね。

明日、4巻を買いに行こうと決めました。

2010年3月10日水曜日

迷走読書

さあ、ちょっと難しいけど読んでいきましょうか、と
「ギリシアの泉」を広げてみましたが、
これはいかん、電車の中で読むもんとちゃう!
さすがに頭をかいてしまいました。

代わりに取り出したのは、
「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」 万城目学著 ちくまプリマー新書、
もっぱら評判の本です。
「鴨川ホルモー」「鹿男あおによし」で万城目学の面白さは
確認済みです。

小学一年生のかのこちゃんと猫のマドレーヌ夫人のお話でした。
朗らかで明るく、明快で愉快な、楽しい本でした。

しかしながら、これでいいのか、ツキスミ。

楽しく、安易な方向に流れてしまっています。
せめて机上では、じっくり頭を使う本を読まねば。
難しい本ばかりは読めないことはわかっているので、
バランスよく選んでいきましょう。

2010年3月9日火曜日

またまたうどんです

冷たい空気が南下してきて、
おまけに嵐のような突風の吹き荒れる一日でした。
まだ油断はできません。
マフラーを巻きつけて、
カットに行ってきました。

綺麗にしていただいて、
さっぱりとした後は、
大阪人には定番の美々卯にて、
うどんすき・・・ではなくてかやくうどんを食しました。
こっくりとしたお出汁が美味しい。

しばらく前に、
生意気に言えば二十年来“贔屓にしていた”うどん屋さんが
ついに閉店してしまいました。
三ツ寺にあったそのお店の
鴨なんばには、おろし生姜がたっぷりと添えてあって、
生姜と葱と鴨のハーモニーがとても好みだったのです。
アメリカ村の南にあたるその付近も、
若者相手のお店が増え、
ついに看板を降ろしてしまったのでした。

新しいお店ができることで活気が出たり、
新鮮な気分を味わったりもできるので、
一概には言えませんが、
好きなお店が消えてゆくのは、
やはり寂しいものです。

2010年3月8日月曜日

深く読む

本を丁寧に読むようにしているのは、
本質を掴みとりたいと思っているからです。

わざわざそんなこと、とお思いかもしれません。

幼少のころから、
表面的に読んでいるような気がしているのです。
ストーリーだけ追いかけて、
上っ面しかわかっていないような、
肝心なことが理解できていなくて、
書き手の声が聞こえていないような、
不安が常にあります。

読むことだけでなく、
他のことについても、
よく似た恐怖感があるようです。

大切なことを理解したい。
そのために深く読みたい。
努力が嫌いで苦手なたちなので、
注意を払って丁度いい加減かと思うのです。

2010年3月7日日曜日

考え事の不思議

今日は一日しとしとと雨でありました。
お部屋でおとなしく過ごしていたのです。

ゆっくりとした時間です。
考え事ばかりしていましたが、
ちっとも前に進みません。
考え事というのはおかしなもので、
忙しくしている時に、
ふと新しい展開をしたり、
解決策が見つかったりしますね。
脳神経学や心理学的にはその理由が
わかっているものなのかもしれません。

とりあえず、心の整理を形にしようと、
本棚の整理をしてみました。
この本棚には読みたい本を詰め込んでいっているのですが、
あるはあるは、とりどりに興味のあるものばかりです。
冷静に見てみると欲張り本棚です。

どうしても読むぞと決めている本と、
精神上支えになってくれる本と、
刺激を与えてくれるタイトルの本を、
手前に並べ直してみました。

今の望みと希望はこの本棚をみればわかる。
ちょっとは前進したかしら。

2010年3月6日土曜日

三年読書

ずいぶん前に大江健三郎さんが、
あるコラムに書かれていた興味深い話です。

“渡辺一夫氏に三年にひとりずつ
 詩人、作家、思想家をきめて
 集中的に読めといわれた。
 私が人生で完全に実行した
 最良の教え。”

きままに読書を重ねていた頃に、
この“三年にひとり”というのを、
ひとつの目安になることと教わり、
早速試してみることにしました。

以外とひとりに絞り込むのも難しく、
とりあえず数年だけ考えてみました。

それからしばらくすると、
ひとりの作家を三年ではとても読みきれないことが、
わかりました。
ひととおり読むことはできても、
丁寧に読むまでには至りません。
そうすると尚更この三年という言葉が効いてきます。

自分の年齢を鑑みて、
これからどういう読書をすることが、
納得のいく状態になるのでしょうか。

さらりと読むだけの読書、
じっくり読む読書、
どうしようかしらん。
考えて、悩むことがまた楽しかったりします。

2010年3月5日金曜日

春の訪れ

朝は一面が白く霧に包まれていたのに、
いつしか陽差しが降り注ぎだし、
柔らかな春のきざはしが訪れました。

鶯もたどたどしくさえずり始めましたし、
名前の知らない鳥たちも声高く、
足元には枯れ草に混じって緑の新草が伸びてきました。

ようやく冬の終わりです。
今年はいつになく梅の花が目に付きます。

体調も無事復活し、
パソコンも快適に動くようになり、
仕事の山も片付けて、
つかの間ほっとしています。

冬のきーんとした冷たさと静けさもそれなりに
良いものだとは思いますが、
体感的に春のうらうらとした空気が気持ちよく感じます。
そこに微風がそよそよと流れてくれば、
お散歩日和。
血の巡りものんびりとしていますが、
歩調ものんびりしたお散歩が楽しみです。

2010年3月4日木曜日

「一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ」

「一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ」 堀江敏幸著 中公文庫

先日の“chef-d'oeuvre”という言葉が頭の中でもやもやとしていて、
散歩でもしながら、じっくりと考えてみたいと思ったりしています。

今回文庫本でゆっくり時間をかけて読めたせいか、
一冊の本がこれだけ豊穣なことを教えられました。
時間が経ってみると、堀江さんの渡仏時の話題も、
あの時のことかな、などと記憶とつき合わせたりもできたりして、
堀江さんにまつわる事象の知識がふくらんでいきます。

著者自身に関心があるというよりは、
堀江さんの紡ぎ出す言葉で形作られた世界が、
魅力的なのです。

純度が高く、栄養のある水を飲むことに似た読書には、
アルコールも少し含んでいるような酔いがあります。

chef-d'oeuvre

“chef-d'oeuvre”とは“傑作”という意味に使われるフランス語です。
(スペルの表記については難がありますので、後で修正いたします)

「一階でも二階でもない夜 回送電車Ⅱ」 堀江敏幸著 中公文庫

を読んでいると“存在の明るみに向かって”という章に行き当たりました。
この章でこの“chef-d'oeuvre”について、堀江さんはこう語ります。

 ・・・chef-d'oeuvreがアノニムな達成であると同時に、
 ひとりの職人の人生を左右する、血の通った渾身の仕事だと
 教えられた。・・・それが《天の奥に秘められている「存在の明るみ」》
 をめざしての、厳しい仕事と直結した日々の実践にほかならず、
 真の創作家はその明るみに導かれてより高次の明るみをめざし、
 「いつしか生成の根源に分け入って」、「もはや批評家だの、公衆だの、
 行き先などは問題ではない」地平に達することを示した、これほど
 明確な定義はなかったのである。問題は行き先ではなく方位であり、
 方角なのだ。・・・

堀江さんは宇佐見英治の「傑作について」という文書から、
学んだのでした。そして、堀江さんを基点にして、
“chef-d'oeuvre”という言葉が指し示す方角を探し求めている人々が、
自らの意識を明確にできるようになっていくと思われます。

「存在の明るみ」とはなんとも美しい言葉でしょう。
そこに達することはできなくても、
その方角に向かって歩いていく努力はできるかもしれません。
その方角を見定めることも難しいことです。
誰しもが可能なことではないでしょう。
せめて、心の持ちようは明るい方を向いていたいものです。

“chef-d'oeuvre”という言葉が、
自らの仕事の道筋を見出してゆけるきっかけになればと、
道端でぼやぼやしているところに、
声をかけられたような気がしています。

2010年3月3日水曜日

気がつくと、夜中でした

寝つく前に、更新しようと思っていたら、
もう次の日になってしまいました。

♪ この地で、この地で、また始まる意味を探し求め、
  また歩き始める ♪

今日はこのサカナクションの「アルクアラウンド」が
頭の中で一日中かかっていました。
テクノ調の前半から、ドラマテッィクなサビへの展開と、
哀切な歌詞が聴かせます。

J-popでお気に入りのミュージシャンは、
現在このサカナクション、
秦基博、初期のスガシカオ、初期のくるり、
Peridots、というところです。
きっと好みはお察しいただいているかと思います。

2010年3月1日月曜日

うまくいかない

仕事がはかどらない。
右膝が痛い。
強引に約束事をさせられた。
業務上、好ましくない話を聞かされた。
気が進まない予定が入った。

以上、
自分のペースで行動できないことばかりです。
だから、
気が滅入ってしまうのですね。

おみくじはたしか中吉だったのに(?)
今年はなかなか思うようにいきません~。

どこかで息抜きができるようにしないといけません。
そして、よい文章を読まねばいけません。
なによりも質のよい睡眠ですね~zzz。