2015年2月15日日曜日

「1941年。パリの尋ね人」

「1941年。パリの尋ね人」 パトリック・モディアノ著 白井成雄訳 作品社


作者のモディアノは、ある日1941年12月31日付の
新聞「パリ・ソワール」紙に尋ね人の広告を見出しました。


  “パリ
  尋ね人。ドラ・ブリュデール。15歳。1㍍55。うりざね顔。
  目の色マロングレー、グレーのスポーツコート、ワインレッドの
  セーター、ネイヴィーブルーのスカートと帽子、マロンの
  スポーツシューズ。パリ、オルナノ大通り41番地、
  ブリュデール夫妻宛情報提供されたし。”


オルナノ大通りなら、知っている。
というところから、ドラ・ブリュデール探索の第一歩が始まります。


両親のブリュデール夫妻について調べ始め、
どこで、どのような暮らしをしていたのか、手探りで探しだしていきます。


1940年には一人娘のドラが寄宿学校に入学したことがわかります。
それはどのような学校であったのか、これも情報となるでしょう。


1996年、このあたりまで調べ、書き上げていたモディアノは、
失踪に至ったところで、立ち止まってしまいます。
 “だがこの細部の周囲は闇であり、未知であり、無の世界であった。”
ただわかっていたことは、
1942年9月18日にアウシュヴィッツ送りとなった人々のリストで、
ドラと父の名があったということでした。


寄宿学校でドラはどのような生活を送っていたのか、
モディアノは一つ一つ考え、想像しながら辿っていきます。


あちらこちらの情報局の資料を探し、
ドラが一度帰宅していたことを突き止めるところまできました。


ドラやユダヤ系の人々が関係した場所について、
モディアノは自分も無関係ではないことを知っていました。
父の思い出を織り交ぜながら、
その当時のことを描写していきます。


パリでユダヤ系の人々がどのような状況に置かれていき、
留置所に送られ、収容所送りになっていったのか、
ドラ達の動きを追いながら、克明に、執拗に、書き記しています。


このあたりは、深く掘り下げられていて、
モディアノの作品を味わうにふさわしい文章が続き、
流れもゆっくりと、ドラ達の理解不能な運命への事実探求が重ねられます。


一つの広告から始まった、一つの歴史の探求。
それも一人の生身の人間を辿ることによって、
生々しく感じられるほどに。
それでいて、一歩ずつ思考をめぐらしながら、
ドラに想いを寄せながら探求していく様子は、
文章としてほとんど小説の体を成していて、
事実であることを認識させられる部分にくると、
めまいが起きそうになるほどです。


モディアノの手腕の素晴らしさはこの一冊でも、
十分に伝わると思われます。


さらに、訳者による丁寧な解説が付されており、
この本のもつ意味、作家の仕事への評価の理解を助けています。


この本は学生にも必読なのではないか、と、
とても貴重な本だと思っています。

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