2009年10月4日日曜日

十六夜

十六夜の今夜もお月さまが綺麗です。
静かに夜が更けていきます。
こういう夜は日本の古典文学などが
ぴったりくるように思います。
が、手元にはあいにく無いので、
宿題のユルスナール論などを
読むことにします。

堀江敏幸著「書かれる手」を本棚から
ひっぱり出してきました。
と、『堀江敏幸教授のレミントン・ポータブル』というHPに、
この「書かれる手」が平凡社ライブラリーから出るという
ニュースがありました。
なんというタイムリー。
文庫になると、またゆっくり読み返せるではありませんか。
嬉や嬉。

須賀敦子著「ユルスナールの靴」では、
“死んだ子供の肖像”という章が「黒い過程」論に
割かれています。
この中に「黒い過程」の重要事項が全て書かれているといっても
過言ではないでしょう。
とくにキリスト教の信仰を通した視点での意見は
信者であり、文学者である須賀さんならではのものでしょう。
「黒い過程」を読んでいるときには漠然と把握していたことが
明確にされていて、ここまできっちりと読み込まなくては、
読む意味がないのだと、言い聞かされたような気がします。

そこへ岩崎力著「ヴァルボワまで」の読んでみると、
ユルスナールは
“いくつかの祖国をもち、いくつかの文化に属している”といい、
“換言すればそのいずれにも属していない” また、
“いくつかの宗教に属している”
と言い切っているといいます。
ユルスナールの広い視野、知識、理解力が
あらゆる作品の中で活きているということでしょう。

ユルスナールを読むことはまだまだ始まったばかりです。
美しい月夜にふさわしい読書を始めましょう。

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