2013年7月11日木曜日

猛暑5日目


背高のっぽの先で白いミントの花が揺れています。
ミントの葉がそよそよとすると暑い夏を感じます。

先日本屋さんで見かけて気になっていた本を読みかけてみました。
亀山郁夫著 「偏愛記」 新潮文庫
ドストエフスキーをめぐる旅と副題にあるので、
新訳で評判となった亀山さんとドストエフスキーとの関わりについて、
書かれているのかな、と興味を持ったのです。

亀山さんの訳は読んだことはありません。
ドストエフスキーは「罪と罰」、「カラマーゾフの兄弟」だけです。
参考書となる本も少し読んでみました。

読んだときの衝撃は実に凄まじかったことを覚えています。
どうして今まで読んでいなかったのだろうと、
若いときに読んでおきたかったと思ったものです。
今でもこの2冊のテーマはどこにあるのか、
よく思い出す本でもあります。
課題がたくさんある小説でもあり、自分のことが書かれた本でもあり、
社会について書かれた本でもあり、世界に通じる開かれた本でありました。

ドストエフスキーの本のことはまた次の機会にして、
今日は「偏愛記」。

この本を読んでいると、自分を暴きだされているような気がして、
落ち着かなくなってきました。
亀山さんがあまりにナイーブで正直な文章を書かれているからです。
新訳をされた本のまわりにはこんなに複雑な事実が渦巻いていたのだと、
驚かされました。
新訳というのは、それはもう大変な作業であったかとは想像するのですが、
やはり人間がするからにあたっては、机上の理屈だけでは成り立たないのでした。

亀山さんという方はとてもデリケートでいらして、
(デリケートではない、と自分自身で言う人はあまりいないでしょうが)
文字はページに張り付いているけれど、
文章は本から飛び出してしまうほどの揺れが感じられます。

こういう人が訳したドストエフスキーはどんな風であろう?
自然に新訳が読みたくなってきました。

「白痴」、「悪霊」も読んでみたいと常々思っているのです。
どちらも一度読みかけてギブアップしたので、
入口を変えて読みなおしてみましょうか。
それから、改めてこの「偏愛記」を最後まで読み通すことにしましょう。

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