2015年4月12日日曜日

考えなくてよい本

気晴らしに読み続けている「フィフティ・シェイズ」シリーズ。
何回読んでも、気分は上がるけれど、心には染み込んでこない。


とても重要なシーンをじっくり読んでみること数回。
でも、気持ちを揺さぶられるほどにはならなくて、
心はフラットなまま。


それには秘密があるのです。
この小説は主人公アナスタシアの一人称で書かれていますが、
すべての言動において、アナスタシアが自己分析をしているのです。
アナスタシアが理解を深めていく過程おいて必要な描写と
されているわけですが、読者が入り込む余地がありません。
そして、読者が考える必要もないのです。


よって、意味深い会話や描写もあり、
いくつもの重要なエピソードもあるのですが、
読者はそれらを与えられるだけに終わります。


日頃、考えることが必要な本を好んで読んでいるので、
このフラットな感覚にはかえって奇妙な気がしましたが、
こういう本の方が一般的には読みやすいのでしょう。


アナスタシアのお相手のフィフティことクリスチャンの、
人間的解放がこの本の大きなテーマでもあります。
このあたりをじっくりと読んで自分なりの解答を得たかったのですが、
これについても、書かれていること以外知ることはできません。
アナスタシアがすべて考え、理解していくことが、
書かれてしまわれているので。


ある意味、ゆとりのある本でなければ、
自分なりに考える必要はなく、
楽な読書を楽しむことができるともいえます。


でももう一歩踏み込みたい、いつもの癖が、
もわもわとざわめいています。

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