2015年4月3日金曜日

「ミラノ 霧の風景」と私

初めて須賀敦子さんの「ミラノ 霧の風景」を読んだのは、
24,5歳の頃。
当時イタリアに留学しようとしていた知人に、
読んでみたけれど、よくわからなかった、と話した覚えがあります。
確かに、この須賀さんという人はいったいどういう人なのだろう?
この本にはどういう意味が含められているのだろう?
母とも同じように話していました。
今から考えると天から降ってきたような本でした。


あれから、何度繰り返し読んだことでしょう。
書かれたことをそのまま読んでみたり、
想像しながら読んでみたり、
いつも味わい深い文章に包み込まれるようにして、
身体を預けるようにして読んでいました。


2冊目の「コルシア書店の仲間たち」が出て、
ああ、須賀さんにはこのような仲間たちがいたのだ、
このようにイタリアで過ごしていたのだ、と
少しだけわかったような気がしました。


それからいくつかの本が発表され、
須賀さんが亡くなった後にも、
須賀さんの軌跡を追う本が出るに至り、
私たちは須賀さんの多くを知ることができたように思います。


敬虔なクリスチャンであった須賀さん。
神を信じるものたちの集まり。
その中でも須賀さんはひとところに落ち着いてしまうことなく、
思考錯誤をしながら、生きておられたと思われます。


イタリアで過ごされた日々の大切な時間と仲間。
それは須賀さんにとってどれほど人生の支えとなったことでしょうか。


そこからさらに前に進もうとしていた須賀さん。
その姿をいつも尊敬のまなざしで仰いでいます。


昨日の日経新聞夕刊のプロムナードで、
批評家の若松英輔さんが須賀さんについて書かれていました。
“須賀について書くとは、「霧の向こうの世界」にいる人々への
 手紙になっていったのだった。”


「ミラノ 霧の風景」を読むと、
須賀さんが初めて自分を表現されたからでしょうか、
想いを抑制しながら書かれているような感じがします。


こんな言葉は実は説明不要です。
須賀さんを読んできた人にはきっとわかることだと思います。


ただ、読むだけで涙が滲んでくる。


初めて読んでから20年以上経ち、
今読むと、切ない気持ちが心の中を流れていきます。

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