2010年4月9日金曜日

下流の場合

先日の新聞で、
思いもかけない記事を読みました。
ある作家がお金の使い方について述べていたのですが、
“浪費”を奨励する向きの内容でした。
“浪費”することによって、
上昇志向のライフスタイルや価値観を育む、
というように読めました。
そして現在の厳しい不況による生活水準の悪化は、
個人の努力が足りないからという発言もありました。

低い生活水準に甘んじている者からしてみると、
上記のような考え方は昭和の遺物です。
多くの会社がぎりぎりの利益を追いかけ、
人件費をぎりぎりまで詰めている現在では、
一人の人間が成す仕事の質も量も違いますし、
手にする給与も福利厚生なども、
バブル以前とは大きく異なります。

単純に“浪費”や“消費”を楽しめるような余裕は無いのです。

社会がそのように変化して行く中で、
政治の面でも経済面でも対応が遅れ、
個人はそのあおりを受けていると思われます。

そういった状況に個人も変化を求められ、
様々な努力が必要となります。
ただ、名門大学卒、資格などのこれまで有力とされたものが
そのまま通用するわけではありません。
常に新しい発想と実力、行動力を求められます。
また、経済的に厳しい状況におかれると、
身動き一つ難しいところがあります。

十分な収入のある人と無い人との格差が大きいだけでなく、
安定した収入を得られない人が想像以上に多いことを
理解する必要があると思われます。

こういった社会や経済の状況については
大きな問題として各所で研究され、
報道されているので、周知のことではあります。
が、あまりの見識の無さと配慮の無い発言に、
あきれ、憤慨してしまったのです。

今はこれまでの常識が覆されている、
新たな局面にあると思っています。

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