2009年9月21日月曜日

「黒の過程」~その④

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

今日は185ページまで。
放浪と名づけられた第一部を終え、
蟄居という名の第二部に入ったところです。

アンリ=マクシミリアンも武人として生涯を閉じ、
ゼノンも各地を巡った旅を終えて、
ブルージュに戻ってきました。

ゼノンは医者として生活を営んでいますが、
禁書の著者として追われる身を隠しています。

ユルスナールはゼノンのことを
まるで自分自身を投影したかのように描いています。
ゼノンの感じること、考えることは、
血の通った人間として実在しているかのようです。

  “自分自身もはや考えることもなかったあの子供、
  今日のゼノンと同一視するのが当然であると同時に、
  ある意味では馬鹿げてもいるあの幼い子、その子を
  彼のなかに認めるほどよく覚えている人がいるのだった。
  そう思うと、いまの生活を送っている自分に気持ちが
  励まされるように思えた。”

ユルスナールの素晴らしい点はいくつも見られますが、
そのうち、表現の美しい多様さに魅了されます。
断章の中において、平凡な表記で終わってしまうものはありません。
豊かな創造による例えなどが優雅に盛り込まれています。

 “狭い控えの間にイタリアからもたらされたものが掛けられていた。
  鱗状の枠に縁取られたフィレンツェ製の鏡で、その枠が、
  蜂の巣の六角形の穴にも似た、少しふくれ上がった二十個ほどの
  小さな鏡からなっており、・・・パリの夜明けの灰色の光のなかで、
  ゼノンはその鏡に映った自分の顔をしげしげと見つめた。・・・
  いままさに逃亡せんとしているその男は、ギリシアの人デモクリトスの
  仮説、つまり一連の囚人哲学者が生きかつ死んでいく同一の世界が、
  一連のものとして無限に存在するという仮説を思い出させた。
  その幻想に彼は苦々しい微笑を浮かべた。鏡に映った二十の小さな
  顔も、それぞれが自分のために同じ微笑を浮かべていた。
  やがてそれらが顔をなかばそらし、ドアのほうに歩みよるのが見えた。”

綴られる言葉に注意を払って、何を意図しているのか推察しながら、
物語の動向に気を配っていると、あっという間に時間が経っていきます。

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