2009年9月27日日曜日

「黒の過程」~その⑧

「黒の過程」 マルグリット・ユルスナール著 岩崎力訳 白水社

『上海からの贈り物』 堀江敏幸
堀江さんの解説はそれだけで一つの作品として
読むことのできる内容です。
堀江さんが「黒の過程」を再読することとなった契機は
滅多とない出会いだったそうですが、
それさえも偶然を通り越した逸話のようです。
堀江さんの目を通した「黒の過程」は再び息を取り戻し、
ゼノンが未だ放浪の身にあるかのような
錯覚までしてしまいそうです。

『解題=訳者あとがきにかえて』 岩崎力
ユルスナールはこの作品を書き上げた後も、
作品とともにあったようです。
それだけ渾身の、愛着のある作品なのでしょう。
読書中にも感じていたのですが、
この作品の美しさ、高貴さを失わせずに、
日本語に置き換えるのは、
ユルスナールとその作品群を深く理解していた
岩崎氏ならではの手腕でしょう。

〔個人的な・・・〕
この本はまるで綴れ織りのような作品です。
宗教、政治、思想、科学が劇的に変化する時代を背景に、
ゼノンと彼と関係のある人々たちを
それぞれの舞台において克明に描いています。
その絵図のなかのあちらこちらにゼノンの姿が見えます。
どの人々も個性豊かなので、
後々にもその名が登場したとき、ああ、あの人がと
自然に繋がっていくのです。
どのシーンも丹念に描かれており、
実在の人も想像上の人も見事に織り交じっています。
また、ユルスナールの特徴として、
丹念に選ばれた言葉による、
情緒豊かな文章と、端的に述べられた文章との
バランスの絶妙さ、
情感と高貴さを失わない書き手の視点が、
作品の質をさらに高めていると思われます。

ゼノンは錬金術、科学をベースに哲学者として思考し、
医者として活動した人間ですが、常に自由を希求した
放浪の人でもありました。
ゼノンがとっさに感じるくだりで、
他人とは思えない全く同じ感覚に襲われたことを思い出したりする、
そんな驚きもありました。
それは、他の人にも同じことが言えるでしょう。

ブリュージュを抜け出して、海岸で過ごしたときのことを
堀江さんも留意していますが、ゼノンが全くの自然体として
世界と向き合った重要なときだったと思われます。
ゼノンが孤高の人として生を前向きに生きたことが、
人の生き方に最も関心のある人間としては重要です。
そのように生きることが一番の願いです。

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