2014年8月21日木曜日

「聖なる酔っぱらいの伝説」



「聖なる酔っぱらいの伝説」 ヨーゼフ・ロート著 池内紀訳 岩波文庫


この新たに編まれた短編集には5つの作品が収められています。


「蜘蛛の巣」 1923
「四月、ある愛の物語」 1925
「ファルメライヤー駅長」 1933
「皇帝の胸像」 1935
「聖なる酔っぱらいの伝説」 1939


ヨーゼフ・ロートは1894年、当時はまだハプスブルク王家統治の
オーストリア君主国の、現在ではウクライナ共和国のロシア国境に近い
ブロディーという町でユダヤ人の両親の元に生まれました。
公用語はドイツ語、ウィーン文化圏だった当時ですが、
第一次世界大戦後、オーストリア=ハンガリー帝国は崩壊、
ポーランド人、ウクライナ人、オーストリア人、ドイツ人、ロシア人、ユダヤ人と
多民族の国家が分散され、新たに民族主義色を強めるようになりました。


そんな環境にあったヨーゼフ・ロートは、
ベルリンで新聞の特派員として働いていましたが、
ナチスの台頭に危機感を抱き、
パリへと向かいます。


「蜘蛛の巣」は初めて書かれた小説で、
読んでみると、これはナチスの初期を描いたものだと勝手に思ってしまいました。
でも、この作品はミュンヘン暴動の2日前に新聞連載を終えているのです。
当時はまだナチ党は小さな集団で、
政権をとるのは十年後の1932年のことです。
なんという察知能力、というか、観察眼ですね。
当時の社会情勢をよく理解していたからこそ、書けたものだと思います。


ヨーゼフ・ロートは、かつての多民族国家の時代に憧憬と回帰の念を抱いており、
「皇帝の胸像」はそういった内容となっています。
洗練された文章、無駄のない的確な描写によって、
そういった想いがメランコリックにではなく、
ひとりの人物と村を題材に懐かしくも、重厚に描かれています。


「四月」と「ファルメライヤー駅長」は、愛の物語。


遺作となった「聖なる酔っぱらいの伝説」は、ほんとに酔っぱらいの奇跡のお話です。


ヨーゼフ・ロートには美しい奥さんがいたそうです。
その人は精神に異常をきたし、病院への入退院を繰り返していたとのことです。


その妻を入院収容しなければならなくなって以降、
家を捨て、ホテルを住居とし、
パリを始めとして、あちらこちらを渡り歩き、
1934年パリのホテルを出たところで倒れ、44歳という若さで亡くなったのでした。


「聖なる酔っぱらいの伝説」は少しは本当のことが含まれているのでしょう。
彼はお酒を、それも強いペルノーなどを好み、深酒が体をむしばんでいたようです。
それでも、文章は美しく、明晰でした。
とても苦しい人生だったのだと思います。
祖国を失い、夫人を置いての亡命、
“眼前の死”を避けるためのお酒・・・であったそうです。


と、長々と池内紀さんの“あとがき”から抜き書きをしましたが、
私が思うに、
ヨーゼフ・ロートは、私たちの現実の世界を客観的に見つめながら、
人生の喜びと悲哀を同時に描き、生きた愛すべき作家です。

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