2014年8月17日日曜日
「イタリアの詩人たち」サルヴァトーレ・クワジーモド
「イタリアの詩人たち」 須賀敦子著 青土社
サルヴァドーレ・クワジーモド 1901-1968
「遙かな冬」
炎のくらがりで
焦がれる きみの 明るい手は
樫と薔薇に匂っていた。
死の匂いも。 遙かな冬よ。
鳥たちは 粟をもとめて
すぐ 雪になってしまう。
ことば も。
太陽を少し。 天使の光背。
霧が。 樹々と
われわれは 朝 空気になる。
クワジーモドはシチリア島生まれ。
ローマ大学に進んだものの、退学。
この時期に
ギリシア語とラテン語を習得する。
25歳のときに建設省の技師の職を得る。
妹の結婚相手が作家エリオ・ヴィットリーニであり、
クワジーモドをフィレンツェ文壇に紹介した。
1940年「ギリシア抒情詩集」出版。
1941年ミラノに教授の職を得る。
1942年アンソロジー「すぐ夜がくる」を出版、好評をもって迎えられる。
須賀さんの評いわく、
クワジーモドの言葉には、大理石の光沢と勁さがあり、
地中海の光と匂いがある。(P169)
クワジーモドにとって、ものごとの本質性など、最初から問題ではなかった
のではないか。彼がもとめたのは、言語の現象の世界(彼なりのそれは
サンボリズムだったといえるだろう)だったのだろう。ウンガレッティが、
モンターレが、究極的には、一神教的な実在の世界を求めたに対して、
クワジーモドの宇宙は、神々の美にちりばめられた言葉の楽園であり、
それ以上をもとめてはならない。彼の言語は、神々の光をまとっては
いるが、人間の実在に心を砕くことには、全く関与しないのである。(P183)
この本にはクワジーモドのいくつかの作品が収められていますが、
普通に綺麗な言葉で綴られていて、
それ以上でもなく、それ以下でもない、
心を揺さぶられることはない、という感じです。
これは個人的感想で、人によっては感動されるかもしれない・・・とも思うのですが、
須賀さんだけではなく、イタリア文壇でも評価は分かれているようです。
須賀さんがクワジーモドを評価していなかったことを、著作により知っていた、
そのため、ついそちらに意見が傾いてしまいますが、
最終的な評価は、読み手にゆだねられることでしょう。
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