「聖書を読む」 佐藤優・中村うさぎ対談 文藝春秋
「聖書を語る」に続いては、この「聖書を読む」本です。
まえがきで中村氏が語っています。
“従来の説に惑わされず、聖書のメタファーを自分なりに読み説いていきたい・・・と
常々思っていた。ただ、それをやるには、的確な導き手が必要だ。・・・そこで、
以前にも聖書やキリスト教について語り合った佐藤優氏を賢者と頼み、
私は今回の旅の導き手をお願いしたのである。”
そうして対談は始まりました。
目次
創世記を読む
-『ヘルタースケルター』を読む
使徒言行録を読む
ヨハネの黙示録を読む
-『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読む
キリスト教徒でなくても、聖書にまつわるエピソードなどは、
私たちも聞くことがありますね。
でも、何故神様はそういうことをなさったのだろう?と思うことはありませんか?
この本では、中村氏がそういった聖書の中の不思議や、謎、
どうみても理不尽だと思われること等を疑問として呈しています。
そこへ佐藤氏の丁寧な解説が行われます。
でも、究極は“神は恣意的で、気まぐれで、裏付けのある理由なぞ無い”と
考えられるとおっしゃっています。
そうでないと、読むことはもちろん、信じることもできなくなります。
この本では現代感覚を基本にして、語られているので、
素人の私たちにもよくわかり、感じられるようになっています。
佐藤氏の懇切丁寧な解答にも、助けられます。
聖書が尊いものであるものには間違いありませんが、
なんだか、親しみを感じるような気になってきます。
もちろん宗派によってもずいぶん違うこともわかりますし、
ユダヤ教、イスラム教、との違いも知ることができます。
この世界でキリスト教が多くの影響を及ぼしているのは間違いありませんし、
一つの宗教を知ることで、他の宗教の在り方を比較検討することもできます。
読み物としてもとても面白く、引き付けられること、間違いありません。
(関心のある人は、という意味です)
私自身、すごく悩みの種であった、アダムとイヴの楽園追放の理由となった「原罪」。
どういうふうに理解することがベターであるかと考えていましたが、
中村氏に同感です。
“「原罪」とは「他者の視線と自意識」の獲得を意味していると私は思うの。”
それであれば、つじつまが合うように思えますが、
さて、自分自身で聖書を読んだら、どう考えるでしょうか。
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